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第三十一節 三庄制圧
国府に戻ると、政隆は家臣十騎に命じ、国府軍の一員として警護に当たらせた。明朝までに、橋立の兵が押し寄せて来る怖れが有った為である。成合四郎を獄に繋(つな)ぎ、人質にして居るとはいえ、獄舎を襲撃して、奪還に動く事も考えられる。更(さら)には、政隆を虜(とりこ)とする事が叶(かな)えば、丹後の国政は由良の言い成りと成ってしまうであろう。
政隆が、常能(つねよし)と今度の事を話し合うべく、共に政庁本殿へと向かって居た所、けたたましい音を立てて、回廊を渡って来る者が在った。見れば、介の與謝延年(よさののぶとし)、目(もく)の小倉行長である。二人は政隆等の前へ駆け付けると、殊(こと)に延年が顔を紅潮させて、政隆に質(ただ)した。
「国府(こう)の殿、成合庄の地頭四郎殿を捕え、投獄したとは、真(まこと)にござりまするか?」
政隆は涼しい顔で答える。
「然様(さよう)。」
延年は愕然(がくぜん)とした顔で、政隆に訴える。
「四郎殿は、当国最大の勢力を誇る、三国太夫殿の御子息にござりまするぞ。」
「存じて居る。」
「南方の橋立庄に加え、由良の本家も動けば、数百の兵が国府に攻め寄せて参りまする。」
「うむ。」
「国府に残る兵は精々(せいぜい)五十騎。如何(いかが)なされる御積りにござりまするか?」
「無論迎え討つまでじゃ。」
政隆の回答に、延年は一瞬目眩(めまい)を覚えた。そして、傍らの常能(つねよし)に訴える。
「掾(じょう)の殿、貴殿が付いて居ながら、何たる不始末じゃ。この上は、四郎殿を賓客の間に移してよくよく詫びを述べ、由良への取り成しを願い出るより他は無い。貴殿からも、国府(こう)の殿に申し上げよ。」
しかし、常能は黙したままである。先の磐城兵の戦(いくさ)振りを目(ま)の当りにして、政隆の遣(や)り方を見届けて行きたいと、考えて居たからであった。
延年は埒(らち)が明かぬと見るや、政隆に一礼して、その場を去って行こうとした。
「待て。」
直ぐ様、政隆が声を掛ける。延年は足を止めて、怪訝(けげん)そうな面持ちで振り返った。
「介の殿に、頼みたき事が有る。」
延年は少し黙考した後、答えた。
「何でござりましょう?」
「貴殿には、但馬(たじま)国府へ赴いて貰(もら)い、彼(か)の国における海賊の出没状況を、調べて来て欲しいのだが。」
ぱっと、延年の表情が明るく成った。
「国府(こう)の殿の御命令とあらば、直ちに出立致しましょう。」
「護衛の兵は、多くを付けては遣(や)れぬ。二人だけで宜しいか?」
「仕方ござりませぬな。」
延年は神妙に承り、急に軽快な足取りと成って、仕度の為に辞して行った。
政隆からして見れば、延年(のぶとし)に下手に動かれて、己の計画が狂わされる事を避けたかった。故に延年を但馬へ向かわせ、当事件との関わりから外したのである。延年も面倒事を回避出来、喜んで居る様子である。翌日早朝、未だ藍色の空の下、延年は丹後守の命令書を携え、国府を後にした。戦(いくさ)が始まる前に国府を離れて居れば、後は国府が占領される事態に陥(おちい)ろうとも、自身は由良への言い訳が立つからである。
陽が昇るに連れて、国府の中は緊張に包まれ出した。何時(いつ)三庄太夫の配下が、成合の報復に来るか分からないからである。
辰(たつ)の下刻、橋立庄へ高札(こうさつ)を立てに行って居た十人ばかりの小隊が、国府へ帰還して来た。隊長は直ちに、掾(じょう)の大江常能(おおえのつねよし)に報告を行った。そして、一大事の報告に接した常能は、直ぐ様政隆の元へと向かった。
小隊長の報告に依れば、国府軍に成合四郎が連れ去られた事は、その日の内に橋立、由良に報されたという。由良は国府に抗議を行うべく、軍の召集を命じ、橋立だけでも百騎程が地頭の館に集まったとの事。それ故、今日中に第一陣が押し寄せて来る事も、充分に考えられるとの由(よし)であった。
常能(つねよし)から話を聞いた政隆は、別段動ずる様子も無い。
「然様(さよう)か。」
一言呟(つぶや)いただけであった。政隆の考えを量る事が出来ず、常能の心が焦燥(しょうそう)に駆られ始めた時、物見の兵が息を切らせて注進して来た。
「申し上げまする。五十艘を超す大船団が、宮津湾沖に姿を現し、此方(こちら)へ向かって来て居りまする。」
それを聞き常能は、仰天した顔で兵を見た。
「由良の水軍か?」
「分かりませぬ。」
二人の遣(や)り取りを余所(よそ)に、政隆はゆっくりと立ち上がって縁側へと進み、天を仰いだ。
「良き日和(ひより)じゃ。風も穏やかぞ。」
大きく伸びをした後、政隆は振り返って常能に命じる。
「掾(じょう)の殿、悪いが、広瀬十郎をここへ連れて来てはくれぬか。」
「はっ、直ちに。」
常能は緊迫した面持ちで、物見の兵と共に、政隆の元を辞して行った。
間も無く、常能が十郎を伴い、政庁本殿へと戻って来た。十郎が入室して座礼を執ると、政隆は直ぐに話を切り出した。
「今、沖に五十余艘の船団が来て居る。大将は越前の足羽十郎高保殿。鄭重に国府へ御迎えせよ。」
「はっ。」
十郎は承知の意を示すと、直ぐ様国府を発ち、僅(わず)かな供を連れて、湊(みなと)へと向かった。
半時の後、大船団は天橋立の北東に接岸し、搭乗して居た将兵、兵糧や武具等の軍需物資を揚陸させた。湊は忽(たちま)ち兵で溢(あふ)れたが、駆け付けた十郎の計らい宜しく、直ぐに隊列を整えて、国府へ行軍を始めた。
長蛇の列の先頭に十郎が在り、嚮導(きょうどう)して大軍を国府内に導き入れた。丹後の国府は陸奥の多賀城と比べると、軍事的色合いが薄い。政庁前の広場は、瞬(またた)く間に兵で一杯に成った。集まった軍勢は凡(およ)そ千五百。三名の将が先頭に立って居た。
そこへ、国守政隆と掾(じょう)の常能(つねよし)が姿を現した。政隆は、先頭中央に立つ将の正面へと進み、丁寧な礼を執る。
「丹後守平政隆にござる。この度は我が軍の海上輸送に御助力を戴き、感謝の言葉もござりませぬ。」
将も又、鄭重な礼を返した。
「足羽高保(あすわたかやす)にござりまする。当方こそ、越前近海の海賊掃討に兵を貸して戴き、御礼(おんれい)申し上げまする。当家と磐城平家は、先代より誼(よしみ)の深き間柄なれば、何なりと協力致しまするぞ。」
続いて、政隆は脇に控える二将に、気さくに話し掛ける。
「久しいのう。此度は軍勢を遠国丹後にまで寄越してくれて、大儀であった。しかし、思いの外多いのう。幾ら連れて参った?」
年長の将が答える。
「ざっと千五百にござりまする。」
「何と、磐城郡内で集め得る数の半分に及ぶではないか。留守の方は、手薄に成って居らぬのか?」
「はっ。万珠姫様の仇(かたき)討ちと称して兵を募(つの)りましたる所、かつて村岡の軍門に在った者が殿への忠誠を示すべく、続々と兵を整えて参ったのでござりまする。」
「然様(さよう)であったか。」
軍勢を見渡しながら頷く政隆の袖(そで)を、そっと引く者が在る。振り返って見れば、大江常能(おおえのつねよし)であった。常能は当惑しながら、政隆に尋ねる。
「国府(こう)の殿、此(こ)は一体何事にござりましょう?」
政隆は微笑を湛(たた)えて答える。
「紹介致そう。両脇が当家の家臣にて、老将の方が鵜沼昌直、もう片方が望月国茂じゃ。そして中央の御方が、越前の足羽高保殿。我が軍と共に、北陸に跋扈(ばっこ)する海賊を一掃して居られる。」
「なんと、国府(こう)の殿には、国外に斯様(かよう)な御力を持たれておわされたか。」
「ここに集いしは、先年大戦(おおいくさ)を経験した兵(つわもの)ばかり。もう国府は安泰でござる。」
「真(まこと)に。」
常能の額を、冷たい汗が伝って居た。目の前に居る若者は、弱冠十八歳の若さで国守に就任し、遥々(はるばる)奥州より千五百の大軍が駆け付ける程に、大きな人望を得て居る。又、越前の豪族とも親交が有り、底が知れない。最も驚くべきは、頃合を見計らう巧みさと、並外れた度胸である。急造の上方兵三千騎を以(もっ)て、二万の奥州武士団を討ち破ったという話は聞いて居たが、ここに至って、真実である事を確信した。
政隆は昌直に尋ねる。
「船旅にて到着したばかりだが、直ぐに出陣するのは無理かのう?」
「いえ、出羽より丹後まで、全て船で移動して参り申した。兵達もすっかり、海には慣れた様にござりまする。寧(むし)ろ、殿に援軍が到着し、敵方に動揺が生じている隙(すき)を、見逃す手はござりませぬ。」
「よし。」
政隆は腹を決めると、先ずは留守居を選任した。
「掾(じょう)の殿は国府軍を纏(まと)め、私の留守中の事は全て御任せ致す。又、足羽(あすわ)殿には手勢と共に国府へ残って戴き、掾(じょう)の殿を輔(たす)けて貰(もら)いたい。」
「ははっ。」
常能(つねよし)と高保(たかやす)は、揃(そろ)って承服した。
続いて政隆は、磐城勢全軍に大声で告げる。
「これより、由良庄石浦館へ赴き、地頭の三庄太夫に挨拶を述べに参る。彼(か)の者は私と姉上を奴婢(ぬひ)として扱い、姉上は私を逃がす為の囮(おとり)と成って、追い詰められた末に自害なされた。この礼を存分に致し、以(もっ)て姉上の御霊(みたま)を安んじる。全軍、これより出陣致す。」
千五百の兵が同時に答え、鬨(とき)の声と成って、国府一帯に響き渡った。政隆は士気の高さを頼もしく感じると、愛馬に飛び乗って、前軍の先頭に歩を進めた。そして十郎以下、丹後下向に同道して来た者に告げる。
「広瀬十郎は配下の者を纏(まと)め、国府の守りに着く様。但(ただ)し、橋立から由良への道を見て回った者は、嚮導(きょうどう)役として、私と共に参れ。」
「はっ。」
磐城兵の一人が馬に跨(またが)り、政隆の側へ駒を進める。十郎も静かに頭を下げた。
鵜沼昌直と望月国茂が騎乗して、隊列に加わると、政隆は大声で号令を発した。
「磐城勢出陣!目指すは、三庄太夫と由良次郎の居る石浦の館。」
総大将の命を受け、磐城郡千五百騎は整然と行軍を始めた。国府の大門が厳粛に開かれる。大江常能、足羽高保、広瀬十郎等は、姿勢を正して軍勢を見送って居た。
*
磐城軍総勢千五百騎は、総大将に丹後守平政隆を戴き、威風堂々、国府の街を進んだ。軍勢は再び湊(みなと)へと戻り、五十余艘の軍船へと乗り込んだ。政隆は、鵜沼、望月と共に司令船に座乗し、先頭と成って宮津湾へ出港した。
司令船に続き、僚船が続々と追随して来る。その大船団の行き先を示すのは、先日まで地侍に扮(ふん)して、若狭湾南岸を見て回った磐城武士である。
船団は、先ず若狭湾に出るべく、船首を北東に向けた。一里と半程航行すると、栗田半島の北端、黒崎に至る。ここより先は、宮津湾と呼ばれる海域から、広大な若狭湾へと入る。黒崎の東へ回り込んで、針路を東南に取ると、今度は半島の東の端、無双ヶ鼻を通過する。天候は申し分無かったが、些(いささ)か風が強まり、船体が大きく揺れた。しかし、政隆は船首に立って、時折打ち付ける波の飛沫(ひまつ)を浴びて居た。遠方に愈々(いよいよ)、由良浜が見えて来たからである。政隆の心中にも、自ずと波濤(はとう)が生じて居た。
無双ヶ鼻を過ぎた辺りで、政隆は針路を真東へと変えた。遠くに望める博奕岬を目印に航行し、若狭国へ抜ける動きをして見せたのである。その間、由良や神崎の様子を、遠目に窺(うかが)って居た。
暫(しば)し静かに進んで居たが、突然、政隆は号令を下した。
「船首を南へ向けよ。由良川に突入する。」
舵(かじ)取りは巧みな操舵(そうだ)で、瞬(またた)く間に弧を描いて、速度を落とさずに南へと転じた。後方五十艘もそれを受け、針路を順次変じて行く。長蛇の列が突如折れ、やがて南北に一直線と成った船団は、速度を増して、由良川河口へと突き進んだ。
西に桃島と由良浜、東に金ヶ岬と神崎の浜が望める。この景色を、かつて同じ海の上から見た記憶が蘇(よみがえ)る。あの時、同じ船には姉万珠と、人買いの宮崎三郎が乗って居た。そして今、側には父の遺臣達が五十艘の大船団を組み、姉の仇(かたき)を討とうとして居る。突然涙が溢(あふ)れ出したが、直ぐに荒い海風が、それを攫(さら)って行った。
由良庄も神崎庄も、海岸には幾らかの兵を配置して居る。船団の反転を受けて、俄(にわか)に動揺が生じ、早馬を石浦に発した様である。しかし、政隆率いる大規模な船団の威容を目(ま)の当りにし、些(いささ)か後込(しりご)みして居る風(ふう)にも見える。
程無く、由良浜より三艘の船が出航し、政隆等の前へと進み出て、将と思(おぼ)しき者が大声で叫んだ。
「これより先、太政大臣閑院公季(きんすえ)様が御所領である!何人(なんぴと)たりとも、軍勢の通行は罷(まか)り成らぬ!」
政隆がこれに答える。
「私は平政隆。丹後守である上に、公季の大殿(おとど)が女婿(じょせい)である。本日は、三庄太夫殿に挨拶を申しに参った。」
「御挨拶なれば、斯様(かよう)な大軍は不要にござりましょう。軍勢を御引き揚げ下され。」
「其方(そち)の如き下郎が口を挟む事ではない。退(ひ)かぬと在らば、蹴散(けち)らすまで。」
政隆は前進全速を命じ、船団の勢いは更(さら)に増す。五十余艘の前に、由良の船は抗する事能(あた)わず、既(すんで)の処で脇へ退(ひ)いた。磐城軍はそのまま、由良川を遡上(そじょう)して行った。
由良川の両岸では、三庄太夫配下の兵達が身構えては居る物の、如何(どう)する事も出来ずに居る。河口より一里も行かぬ所に、石浦の邑(ゆう)は在った。軍船は岸に乗り上げると、搭乗して居た兵が一斉に上陸する。五十余艘の上陸には些(いささ)か時を要するが、政隆は先に上陸した大野、広野、舟越、玉村の四隊を率いて、驀地(まっしぐら)に石浦館へ向かい、駆け出した。
途中、館の兵が阻止(そし)するべく立ち開(はだか)ったが、数と勢い、忠義心に戦(いくさ)経験、全てに劣(おと)って居た。瞬(またた)く間に蹴散らされ、磐城勢は怒濤の如く、石浦館に押し寄せた。
正門は固く閉ざされて居たが、兵達は丸太を担(かつ)ぎ、勢いを付けて、幾度も門にぶつける。その凄(すさ)まじい衝撃に、門の一部が砕け、歪(ゆが)み始める。後一突きで閂(かんぬき)が圧(へ)し折れると思われた時、館内より声が上がった。
「御待ち在れ、某(それがし)は当庄の地頭を代行する、由良次郎と申しまする。今、門を開けまする故、手荒な事は差し控えられたし。」
地頭代と聞き、兵達は門を打ち破るのを止(や)めた。間も無く、門が軋(きし)みながら開かれ、中から二人の郎党を従えた次郎が出て来た。
「御大将は何方(どなた)にござる?」
磐城兵の中から、政隆が進み出る。
「丹後守、平政隆じゃ。」
次郎は政隆を見据えると、薄笑いを浮かべた。
「幾ら国守様と雖(いえど)も、太政大臣家の荘園に兵を以(もっ)て押し入ったは、天下の大罪にござる。必ずや閑院公季様より、重い罰が下されましょうぞ。何故(なにゆえ)、斯様(かよう)な暴挙に出られたか?」
政隆は、次郎まで一歩の距離へ進み出て、睨(ね)め付けながら問う。
「この顔、覚えて居らぬか?もう四年以上も前の事に成ろうか。」
怪訝(けげん)な面持ちで、次郎は政隆を見詰める。この若者の四年前とも成ると、少年のあどけなさが残って居る頃であろうか。
暫(しば)しの沈黙が続いた。
「あっ!」
突如、次郎は驚いた顔で叫んだ。
「よもや、四年前に当庄を脱け出た?」
「思い出したか。忘路(わすれじ)じゃ。」
政隆が、奴(ぬ)であった頃に付けられて居た名を告げた事で、次郎は漸(ようや)く事態を理解した様子である。そして、高らかに笑い始めた。政隆は気分を害して怒鳴(どな)る。
「何がおかしい!」
次郎は、笑み堪(たた)えて答える。
「何とも、奴(ぬ)が国守様へ御昇り遊ばされたとは、斯様(かよう)に奇異な事が起り得る物なのでござりまするな。しかし国守様、今の地位に就(つ)くまでには、都で嘸(さぞ)や御苦労を成された事でござりましょう。過去の事を思えば、御気持は御察し致しまする。されど昔の事で、今の地位を棒に振る事もござりますまい。此度(こたび)は何事も無かった事に致しまする故、このまま国府へ御引き取り下され。」
今、次郎が述べた事、即(すなわ)ち閑院家より罪を問われる事を、既(すで)に政隆は覚悟して居た。
「我が身を案ずるには及ばず。」
政隆は振り返り、家臣に下知する。
「この者は、我が姉上の仇(かたき)。直ちに召し捕れ。」
磐城兵は直ぐ様、次郎と二人の郎党を捕縛した。
「何をされる。幾ら公季様の娘婿(じょせい)とはいえ、徒(ただ)では済まされませぬぞ。」
後ろで吠(ほ)える次郎を無視し、政隆は門内へと踏み込んだ。
「三庄太夫を捕えよ。奴こそが、当国の秩序を乱す張本人ぞ。」
総大将の命を受けて、磐城軍千五百は二手に別れ、一隊は館内へと突入する。そして残りは、蟻(あり)の這(は)い出る隙間も無い程、厳重に館を包囲した。
間も無く館は完全に、磐城勢に因(よ)って制圧された。政隆は母屋(おもや)に入り、戸を開け放って、広い庭が望める縁側に腰を下ろした。鵜沼、望月両将も合流し、政隆の側に控える。
やがて、三庄太夫の一族郎党六十三名が縄目を受けて、庭へ引っ立てられて来た。先頭に、老人と次郎の二人が跪(ひざまず)く。そして両側を、大野、広野、舟越、玉村の四将が手勢を配備して、厳重に固めて居る。
次郎の隣に跪(ひざまず)く老人は、確かに三庄太夫であった。しかし、かつての様な狡猾(こうかつ)で、残忍な相は失われて居る。病(やまい)に因(よ)り末娘の小末(こずえ)を失って以来、日々哀しみに暮れて、心を病(や)んでしまったと聞いて居た。確かに、斯(か)かる事態に陥(おちい)っても尚、惚(ほう)けた顔で辺りを見回して居る。
政隆は今の三庄太夫の様を見て、これまで重ねてきた数々の悪行の末、天罰が下ったのだと思った。しかし、姉は建部山中で自害に追い遣(や)られたというのに、斯(か)かる悪人がのうのうと生き存(なが)らえて居る事が、許せなかった。
「裁きを下す。海賊と結託し、天下の良民を売買致すは、甚(はなは)だ人の道に外れた行いである。加えて、本家閑院の大殿(おとど)に対し奉(たてまつ)り、取り立てた税を過少に申告し、私腹を肥やして居た事は、私が奴(ぬ)であった頃より存じて居る。斯(か)かる不義不忠の所行、閑院家の一族として、又国守として、断じて許す訳には参らぬ。一族郎党も、これに加担せし罪は重い。仍(よっ)て、全員死罪と致す。即刻、由良浜へと引っ立てい。」
政隆の命を受け、磐城兵は三庄太夫の一族郎党を悉(ことごと)く、力尽(ちからずく)で立ち上がらせ、連行する。
「御助けを。」
多くの者は命乞(ご)いをし、又悲鳴を上げた。しかし、政隆は彼等を只、冷たく見据えて居た。多くの顔に、かつて奴婢(ぬひ)であった己や姉に対し、惨(むご)く当たった記憶が有ったからである。彼等の叫び声は徒(いたずら)に、政隆の怨讐(おんしゅう)の炎を燃え上がらせた。
由良の浜は、俄(にわか)に雲が厚みを増し、陽の光を遮(さえぎ)り始めて居た。海の色は、疾(と)うに灰色と成って居る。そこへ、政隆率いる磐城勢数百が、三庄太夫以下六十三名を捕縛し、西へと連行して行く。
ふと先頭を行く政隆が、馬を止めて呟(つぶや)いた。
「この松は、首を晒(さら)すに丁度良い。」
全軍が停止し、三庄太夫の一類は浜に並べられ、跪(ひざまず)かされた。ここが処刑の場と成る事を悟った太夫の郎党から、再び命乞(ご)いの声が響く。
今朝も、浜で汐汲(しおくみ)をして居た婢(ひ)達は、磐城軍の侵入に因(よ)り監視の兵が戸惑いを見せる中、陸(おか)に上がり、一ヶ所に身を寄せて居た。皆、複雑な面持ちで、遠巻きに浜の様子を窺(うかが)って居る。
「先ず、三庄太夫と由良次郎の首を刎(は)ねよ。」
政隆が馬上で叫ぶと、二人を取り抑えて居た兵は、刀の柄(つか)に手を掛けて、抜き放った。
太刀を天に翳(かざ)し、振り下ろそうとしたその時、陸(おか)の方より大声で叫ぶ者が在った。
「御待ち下され。斬っては成りませぬ。」
「待て。」
政隆は兵を止め、陸の方へ駒を返した。見れば一人の老僧が、浜へ駆け下りて来る。
老僧は政隆の馬前で足を止めると、前屈(かが)みと成って息を整える。政隆は、老僧を馬上より見下ろしながら問う。
「何故(なにゆえ)止める?この者等は、支配化の奴婢(ぬひ)を酷使し、それが為に多くの人命が失われた。ここで禍根(かこん)を断って置かねば、将来幾人が新たに犠牲と成るか、判(わか)った物ではない。」
漸(ようや)く呼吸が整い出した老僧は、喘(あえ)ぎつつ語り掛ける。
「国守様は、荘園内における奴婢(ぬひ)達の事に、重きを置いておわされる。それ自体は立派な御心懸けと存じまする。されども拙僧(せっそう)の目から見れば、些(いささ)か遺恨(いこん)に捕われ過ぎる余りに、道を踏み外して居る様に思われまする。」
政隆は怒気を帯びた形相(ぎょうそう)と成り、声を荒げて言い捨てる。
「私はこの者に、姉上を殺されて居る。今更(いまさら)、我が積年の恨みを解(かい)せぬ僧の説法など、聞く耳持たぬ。」
僧は、至極(しごく)残念そうに告げた。
「やはり、私怨(しえん)に駆られておわされる。一国の太守たる者、常に冷静に事を処さねば、それこそ意外な処に、禍(わざわい)を残す事と成りましょうぞ。」
主君政隆の意を汲(く)み、兵の一人が老僧を突き飛ばす。老僧は蹌踉(よろ)け、砂の上に倒れてしまった。
その光景を見て、遠巻きに様子を窺(うかが)って居る汐汲女の中から、一人の婢(ひ)が駆け寄って来た。
「和尚様。」
婢(ひ)は老僧を案じ、ゆっくりと抱き起す。
突然政隆の脳裏(のうり)に、未だ閑院家に仕えたばかりの頃の記憶が蘇(よみがえ)った。今から三年余も前、家司(けいし)見習いとして、由良の視察に赴いた時の物である。
「小萩さん。」
不意に、政隆の口から声が漏れた。それを聞き、汐汲女は大いに驚いた。
「何故(なぜ)、私の名を?」
政隆は馬を下り、和尚と小萩の前へ進み出る。
「小萩さん、分かりませぬか?忘路(わすれじ)です。」
「えっ?」
小萩は俄(にわか)に信じられぬ様子で、政隆を見上げた。確かに、先年閑院家の家司(けいし)と成り、由良において再開した忘路(わすれじ)であった。しかし、この若さで一国の太守に就(つ)いたという事を、中々信ずる事が出来なかった。政隆は笑顔を向ける。
「御預かりした姉上の遺品は、無事に故国へ埋葬する事が叶(かな)いました。御礼を申し上げまする。」
政隆は深く頭を下げた。
「いえ。斯様(かよう)な事をされては。」
旧知とはいえ、国守に頭を下げられた事に、小萩は戸惑った。
すっと頭を上げると、政隆はふと視線を、小萩が抱(かか)える老僧へと移した。
「小萩さんは、この御坊を御存知なのですか?」
「はい。近くの如意寺という寺院で、住持をされておわします。篠さんも度々、御世話になって居ました。」
「如意寺?」
政隆は思い出した様に、懐(ふところ)から護符を取り出した。和尚はそれを、懐かしそうに眺める。
「ほう。篠さんより、弟御に渡って居ったか。」
声を微(かす)かに震わせながら、政隆は和尚に尋ねる。
「此(こ)は、御坊が姉上に下された物なのでござりまするか?」
「然様(さよう)。篠さんが持仏を私に預かって欲しいと言うので、その代りとして、私が篠さんに授けた物でござりまする。」
和尚の言葉に、政隆は長年の謎が解けた思いであった。由良の地で奴婢(ぬひ)として過ごした期間は三年近く。その間、姉は家宝の放光王地蔵菩薩を、よくぞ三庄太夫に奪われずに守り通して来たと、感心を覚えた物である。しかしそれには、如意寺の和尚の助けが有った事を知り、政隆は漸(ようや)く得心した。
自ずと政隆は膝(ひざ)を突き、和尚に礼を執った。
「当家の恩人に対し、重ね重ねの無礼を働いたる段、ここに御詫び申し上げまする。」
政隆は、次第に己の心が鎮まって行くのを感じて居た。和尚は微笑を湛(たた)え、ゆっくりと頷(うなず)いた。
しかし冷静と成っても、政隆には未だ納得の行かない事が有った。
「御坊、私怨(しえん)を取り除(のぞ)いたとしても、彼(か)の者達は海賊と繋(つな)がり、北陸の海を不穏と成した罪がござりまする。それでも、処刑は成らぬと仰せられまするか?」
和尚は、政隆を見詰めて答える。
「国府(こう)の殿の御役目とは、四年間、国内安寧の為に政(まつりごと)を執る事でござりましょう?」
「如何(いか)にも、仰せの通りにござりまする。」
「その為には、国守は国内の豪族の信を集め、武力よりも心で治める様、努めなければ成りませぬ。」
「はい。」
「国守様は御存知ないかと存じまするが、太夫殿は先年末娘を亡くされ、哀しみの余り、気の病(やまい)を患(わずら)われました。近隣の豪族の中には、斯(か)かる太夫殿を見て、気の毒に思う者も多うござりまする。それ等の者から見れば、国守が武力を以(もっ)て由良を制圧した事だけでも、不安が募(つの)って居るというのに、その上、病(やまい)の太夫殿を手に掛けたと聞こえれば、名声は地に落ちましょう。国守様が事を成すには、人の和は不可欠の物。何卒(なにとぞ)、よくよく御考えの程を。」
政隆は出来得る限り自我を取り除(のぞ)き、和尚の言葉を吟味して見た。確かに、自身が千五百の兵を集めて、三庄太夫を召し捕っただけでも、国内の豪族達は大いに国府を警戒して居るであろう。加えて、ここで太夫を処刑してしまっては、太夫と繋(つな)がりの有る人材の登用が難しく成る。政隆が今後、人材不足から失政を招き、今の地位を失う事に成れば、佐渡へ売られて行った母を探す事は、より困難と成る。遺恨(いこん)を晴らす事と母の救出、天秤(てんびん)に掛けて見れば、自ずと道は明らかと成った。
政隆は手を突き、和尚に感謝を申し上げた。
「有難うござりまする。漸(ようや)く、己が道を踏み外して居た事に、気付く事が出来申した。」
「そうですか。」
和尚は、安心した様子で立ち上がった。政隆の顔も、憑物(つきもの)が取れたかの様に、晴れ晴れとして居る。
和尚に向かって一礼すると、政隆は踵(きびす)を返し、三庄太夫と由良次郎の前に立った。
「命は助ける。但(ただ)し、家財は召し上げ、一族郎党、悉(ことごと)く国外追放に処する。」
危うく首を刎(は)ねられる所で在った次郎達は、命が助かった事を知り、大きく息を吐(つ)いた。そして次郎は、微(かす)かな笑みを浮かべた。命さえあれば閑院家を動かし、旧領を回復する他に、政隆への報復すら可能であると、考えて居たのかも知れない。
太夫の一族は東の神崎庄に一先ず移し、国府の獄に繋(つな)がれた成合四郎の到着を待って、纏(まと)めて若狭国へ放逐(ほうちく)する事と決した。
処分を一通り告げた後、政隆は再び和尚と小萩の前に立った。和尚は和(にこ)やかに、政隆に告げる。
「見事なる、度量の広さにござりまする。これ以上、拙僧(せっそう)が申し上げる事は、何もござりませぬ。」
辞儀をして立ち去ろうとする和尚に、政隆は声を掛ける。
「姉上を幾度も支えて下さりましたる段、弟として御礼(おんれい)申し上げまする。」
丁寧な礼を執る政隆に、和尚も粛々と頭を下げて返した。そして和尚は、静かにその場を立ち去って行った。
和尚を見送った後、政隆は小萩に向かい、優しく告げる。
「三庄太夫は、もう戻っては来れぬ。奴婢(ぬひ)であった者は、今日から良民と成る。故郷に帰りたい者には路銀を渡し、新たな由良庄で働きたい者には、各人に住居や家財道具、当面の生活費用を支給しよう。その旨、皆に告げてはくれぬか。」
小萩は、驚いた顔で答える。
「夢の様な話にござりまする。真(まこと)、その様な事が出来るのでござりまするか?」
「三庄太夫が貯(たくわ)えて居った財は、元々は皆が稼いだ物。それを分配するだけの事ぞ。」
政隆の笑みを受け、小萩の目から涙が溢(あふ)れる。
「有難うござりまする。皆も感激致す事でござりましょう。」
小萩は深く頭を下げると、仲間達の元へ駆け戻って行った。群衆の中へ消えて行って間も無く、汐汲女達の間から喝采(かっさい)が起った。皆涙ながらに、政隆に御礼を述べて居る。
政隆は馬に飛び乗ると、群衆に向かい手を振って応えながら、石浦館へと引き返して行った。