第三十節 人買いの禁制

 更(さら)に半月程が過ぎた。政隆が漸(ようや)く国守の務めを執る様に成り、介の與謝延年(よさののぶとし)も安堵を覚え始めた頃である。ここ暫(しばら)く平穏であった国府に、早馬が駆け込んで来た。馬上の男は、政隆が連れて来た磐城武士であり、この所、国府の中で見掛けた者は居なかった。地元武士の如き恰好(かっこう)に扮(ふん)し、衣服は大分汚れて居る。早馬は真っ先に、国検非違使(けびいし)の側に詰める、広瀬十郎の元へと向かった。

 急使は直ぐに、十郎の居る部屋へと通された。そして十郎は報告を聞いた上で、男に正装を命ずる。男は急ぎ、顔や手足の泥を落し、支給された束帯(そくたい)に着替えた。さっぱりした所で、十郎はその急使を伴い、政隆が政務を執る正殿へと渡って行った。

 広瀬十郎は、先の戦の功績に因(よ)り八位に叙され、その位は丹後掾(じょう)に匹敵する物である。加えて太政大臣の陪臣(ばいしん)であり、正殿に上がる事を許されて居る。十郎は真っ直ぐ、国守の元へ向かった。

 取次の者に来訪を告げると、直ぐに入室が許された。国守執務の間入口にて座礼を執った十郎は、室内に、介と掾(じょう)が居る事に気付いた。国政の上位三名が集まって話をして居る所へ、己が割り込んで良い物か、十郎は逡巡(しゅんじゅん)した。だが直ぐに、政隆より中に入る様に告げられ、粛々と下座に進み出て、急使と共に控えた。

 介の與謝延年が、不機嫌そうに尋ねる。
「今、大事な話をして居るというに、一体何事じゃ?」
十郎は介に一揖(いちゆう)した後、三方へ言上する。
「只今、これなる者が杉末より立ち戻り、海賊の出没を報告してござりまする。」
「何と、其(そ)は真か?」
政隆は驚駭(きょうがい)した面持ちで、急使に直(じか)に尋ねた。
「はっ。某(それがし)が良民に扮(ふん)して天橋立の南方を巡回して居りました所、浜辺にて不審なる船乗りが、付近の豪族の家臣と話をして居りました故、物陰より様子を窺(うかが)って居り申した。すると豪族方は船乗りに銭を渡し、船乗りは男女数人を船より下ろして、豪族達に引き渡したのでござりまする。」
報告を聞き、政隆は憤慨(ふんがい)して立ち上がった。
「何と、人買いの禁制を出して間も無いというに。国守を愚弄(ぐろう)する所行じゃ。その村にも、高札(こうさつ)は立てて居たのであろう。」
脇から宥(なだ)める様に、延年が言上する。
「畏(おそ)れながら、あの辺りは橋立庄にて、我等国府の権限は及びませぬ。」
「では、荘園には禁制を通達して居らぬと?」
「仰せの通り。」
政隆は怒りの形相(ぎょうそう)で、力を込めて床(ゆか)を叩く。大きな音が響き渡り、延年はたじろいだ。政隆は拳(こぶし)を震わせながら、言葉を接ぐ。
「禁制は、庄司の財を奪う内容に非(あら)ず。人の道を説(と)いて居る。如何(いかが)わしい者等が出没する中、民は安心して生業(なりわい)に励み、国家の税収を上げる事が出来ようか?否(いな)。人道を説くに、国衙(こくが)領も荘園も関係は無い。荘園へも、先の禁制を記した高札を立てよ。此(こ)は、掾(じょう)の殿に命ずる。」
「はっ。承知仕(つかまつ)り申した。」
大江常能(おおえのつねよし)は下知を受けると直ぐに、担当部署へ早足で向かって行った。更(さら)に、政隆は延年を睨(にら)む様に見て告げる。
「介の殿。話はこれまでじゃ。蔵の中の事は当分、貴殿に任せる。私は別の件で、忙しゅう成りそう故に。」
「は、ははっ。」
延年は政隆に気圧(けお)された様子で、その場を辞して行った。

 部屋には政隆に十郎、急使の三人だけが残り、俄(にわか)に静まり返った。静寂を打ち破ったのは、急使が発した声である。
「畏(おそ)れながら、殿に申し上げたき儀がござりまする。」
政隆は尚も、不機嫌な面持ちを湛(たた)えて居る。
「何じゃ?」
「橋立庄の地頭職でござりまするが、既(すで)に三庄太夫の御子は更迭(こうてつ)された模様。」
それを聞いた政隆の心に、二つの感情が同時に起った。一つは、かつて情の厚かった三郎が、人身売買を行うにまで落ちては居なかった事への安堵感。そしてもう一つは、三庄太夫が何故(なにゆえ)実の子を解任したのかという、驚きの念であった。
「詳しく申せ。」
「はっ。」
急使は、自身が橋立庄で見聞きした事を、具(つぶさ)に話し始めた。

 以前三庄太夫には、末に一人娘有り、名を小末(こずえ)といった。しかし生来(しょうらい)体が弱く、太夫は殊(こと)に気に掛けて居た。ある日、閑院家に随行して来た薬師(くすし)が、太夫に告げた。丙午(へいご)の年に生まれた若者の生き肝を調剤すれば、娘の病(やまい)を癒(いや)す薬が出来ると。太夫は奴(ぬ)の中に、忘路(わすれじ)という丙午年生まれの少年を見付けるも、間も無くその少年は太夫の元より逃亡し、追い詰められた末に自害した。

 しかし太夫は諦(あきら)めなかった。人買いを通じ、丙午年生まれの少年を高値で買うと海賊に伝え、代りと成る者を探した。それを聞いた、当時橋立庄地頭であった三郎が、由良庄石浦の父の元を訪ねて、非道な真似(まね)は成さらぬ様にと、諫言(かんげん)に及んだが、末娘を溺愛(できあい)する太夫の逆鱗(げきりん)に触れ、三郎は石浦館内の牢に投獄されたという。橋立庄地頭の後任には、その後太夫の重臣が任命され、今に至るとの事である。

 太夫の娘小末(こずえ)は、妙薬が間に合わず、やがて病(やまい)が悪化して亡くなった。太夫の哀しみは深く、今ではすっかり老いさらばえてしまった。かつての覇気は失われ、又心も病(や)んでしまった為、太夫の嫡男次郎が、今や由良三庄を切り盛りする立場に在るという。

 黙って話を聞いて居た政隆は、続いて十郎に尋ねた。
「太夫のもう一つの所領である成合だが、今も太夫の子、四郎が地頭を務めて居るのであったな?」
「御意。」
「よし。これで当国最大の荘園を支配する、三庄太夫の近況は判(わか)った。二人共、大儀である。下がって緩(ゆる)りと休むが良い。」
「ははっ。」
十郎と急使は辞儀をして、国守の間を後にした。誰も居なく成り、独り残った政隆は、床(ゆか)の上に横たわり、大の字と成った。

 暫(しば)しは静かに天井を眺めて居たが、やがて心の底から、無性に込み上げて来る物が有った。突如、政隆は大声で笑い始めた。姉万珠は三庄太夫に只殺されたのではなく、己を由良より逃がした事で、太夫を狂わせる程、大切な者を失わせた事が解ったからである。しかし、一時の愉悦(ゆえつ)には浸(ひた)れた物の、これで復讐(ふくしゅう)の炎が消え去った訳ではなかった。

 翌日より、丹後掾大江常能は政隆の下知に従い、国内荘園においても、禁制の高札(こうさつ)を立て始めた。だがそれは、直ぐに荘官の手の者に因(よ)り破却された。常能はその旨を政隆に報告するも、政隆は再度高札を掲げる様、常能に厳命した。

 再び、国府の官吏が荘園内へ立ち入り、高札を立てる作業を行った。そして遂(つい)に、事件が起きた。国府北方の成合庄に入った官吏に対し、地頭の家臣が迎撃し、負傷者が出たのである。

 この報に接した政隆は、磐城武士の一人に命じ、然(さ)りげ無く国府を発たせた。一時の時間を置き、先程送り出した武士が充分国府から離れた頃合を見て、政隆は直参の磐城武士十騎に、戦(いくさ)仕度を命じた。十郎は副大将を命ぜられ、十騎の召集を急いだ。

 一方、政隆は自ら足を運び、己が定めた禁制二箇条を記した高札を、取りに向かった。作業場では、急に国司が姿を現した為、俄(にわか)に緊張が走った。政隆は既(すで)に仕上がった一本を手に取ると、今度は正門に向かって去って行った。その場に居合わせた者達は、声を発する事も出来ず、只呆然(ぼうぜん)と、国司の後ろ姿を見送って居た。

 国府大門において、政隆は磐城十騎の終結を待った。一騎、又一騎と、戦(いくさ)仕度を終えた武者達が集まって来る。そこへ、慌てて駆け寄って来る、一人の文官の姿が見えた。よく見れば、それは掾(じょう)の大江常能であった。常能は政隆の前で立ち止まり、呼吸を荒げながら尋ねる。
「国府(こう)の殿、僅(わず)かな武士を率いて、何処(いずこ)へ向かわれまする?」
政隆の心は既(すで)に、戦(いくさ)の体勢に入って居た。故に、鋭い眼光を常能に向ける。
「知れた事。成合庄に赴き、高札を立てて参る。」
常能は膝(ひざ)を突き、政隆に懇願(こんがん)する。
「御止(や)め下さりませ。国府の者が荘園に立ち入っては、不入の権を侵(おか)す事と成りまする。又、奴婢(ぬひ)を買い入れる事は、荘園領主が富を蓄えるには不可欠な事。それを妨(さまた)げる者は、喩(たと)え国府(こう)の殿と雖(いえど)も、武力を以(もっ)て排除して参りまするぞ。」
政隆の顔に、不敵な笑みが浮かんだ。
「ふふっ。荘園内で扱(こ)き使われて居る者達に、奴婢(ぬひ)の解放令が国府より発せられて居る事が広まれば、逃亡者は続出するであろう。中には、蜂起する者が現れるやも知れぬ。三庄太夫も、指を啣(くわ)えて見て居る訳には行かぬのう。」
「三庄太夫は直参だけでも三百の兵を擁して居り、近隣の豪族を味方に加えれば、一千の兵を集める力を持ってござりまする。国府の軍がとても太刀打ち出来る相手ではなく、下手(へた)に手を出せば、国府(こう)の殿の御立場も危うく成りまする。何卒(なにとぞ)御再考の程を。」
しかし政隆には、翻意(ほんい)する積りは無い。
「精々(せいぜい)一千か。」
そう呟(つぶや)いただけであった。

 間も無く、十郎が最後の一騎と共に姿を現した。政隆は常能に一旦(いったん)高札を預け、己の愛馬に飛び乗ると、再び高札を受け取って告げる。
「掾(じょう)の殿、もしも我が身に万一の事が有ったとしても、全ては私の一存故に、貴殿等の責任ではない。その後は介の殿を中心に、穏便(おんびん)なる解決策を示せば、荘園方も矛(ほこ)を納めるであろう。心配には及ばぬ。」
そう言い残し、政隆は配下の兵を率い、国府を飛び出して行った。

 成合庄は、天橋立の北方に位置する。平地が少なく、海辺では水産業、内陸丘陵地では林業が主な生業(なりわい)である。領家の館は丘の中腹に建ち、僅(わず)かな兵で攻め落せる物ではない。奴婢(ぬひ)の監視の為、五十程の兵が常駐して居る。実に、政隆の五倍の兵力であった。

 荘園との境近くまで来た時、後方より馬蹄(ばてい)の音が響いて来た。振り返って見れば、掾(じょう)の大江常能(おおえのつねよし)が、拙(つたな)い馬術で必死に追い掛けて来て居る。政隆は行軍を止め、馬を返して常能の方へ歩み寄る。

 常能は政隆の側で何とか馬を止め、真剣な眼指(まなざし)で申し上げる。
「民を憂(うれ)うる気持は、掾(じょう)の某(それがし)とて同じにござりまする。是非とも、御供の端に御加え下さりまする様、御願い申し上げまする。」
意外な申し出に、政隆は困惑した。
「行けば、戦(いくさ)と成るは必定。それでも同行すると申されるか?」
「はっ。」
政隆は弱り顔をして、十郎を振り返る。十郎は嬉しそうに答えた。
「国府にも、民を憂(うれ)える御方が在ったは、頼もしき限りにござりまする。掾(じょう)の殿には、高札(こうさつ)を護って戴き申そう。同時に、我等の手並を拝見して戴ければ、幸いと存じまする。」
「仕方が無いのう。」
政隆は常能を隊列の中へと誘(いざな)い、再び北を目指して進み始めた。政隆も胸中では掾(じょう)の行動を頼もしく感じ、嬉々とした表情を浮かべて居た。

 成合庄の中心は、四郎が本拠とする山腹の館である。故に、住人が最も頻繁に行き交(か)う処は、山裾(すそ)に発展した、職人や武士の街である。政隆の一隊は、武装した兵十騎を伴うという目立つ有様で、堂々と街の中へ入って行った。

 擦(す)れ違う人々は皆、政隆の一隊を注目して居る。政隆は沿道の通行人や家屋に目を遣(や)りながら、奴婢(ぬひ)が集まる処を探した。やがて街の中心を外れた先に、厳重に柵で仕切られた建物が並ぶ。その近くでは、番兵が鋭い眼指で、此方(こちら)を窺(うかが)って居た。怖らくここが、奴婢(ぬひ)の住居なのであろうが、日中は仕事の為、殆(ほとん)どが出払って居る様であった。

 政隆は進路を変え、浜辺へと向かった。海岸に出ると、多くの汐汲(しおくみ)女が、海水を塩田に撒(ま)く作業をして居た。突然、十騎の武者が浜に下りて来たので、婢(ひ)達に緊張が走った。皆手を止めて数ヶ所に集まり、一隊の様子を注視して居る。

 国府の兵は、作業場の側に適当な場所を定め、高札(こうさつ)を打ち付けた。柱が地中深くまで刺さり、押してもびくともしない事を確認すると、政隆は婢(ひ)が集まる方を振り返り、大声で告げた。
「私は丹後守、平政隆である。この度、国府は国法を定めて奴婢(ぬひ)の使用、売買を禁止した。仍(よっ)て、皆はもう成合の婢(ひ)ではない。国衙(こくが)領に入り、良民として暮らすが良い。」
政隆の話を、婢(ひ)達は俄(にわか)に信じられぬ様であった。皆、仲間同士で顔を合わせ、対応を相談して居る。

 やがて、三十程の女性が一人前へ進み出て、政隆に尋ねた。
「成合だけでも、奴婢(ぬひ)を監視する為に五十の兵が居りまする。国守様には、地頭より私達を御救い下さる力が御有りなのでしょうか?」
藤原氏を始めとする有力貴族が定めた、不輸不入という不文律。果してこの若い国司に、それを打破する力が有るのか、婢(ひ)は訝(いぶか)しんで居た。

 政隆がそれに答え様とした時、浜に三十程の兵が駆け込んで来た。先頭を騎馬で駆けるのは、荘園を三庄太夫より預かる四郎である。四郎は十間程の距離を隔(へだ)てて駒を止め、兵を左右に展開させた。三方を囲み、海へと追い詰める、威嚇(いかく)の構えである。婢(ひ)達は戦(いくさ)を怖れ、遠くへ退(しりぞ)いた。

 四郎は、政隆を見据(みす)えて告げる。
「丹後守様、我等は奴婢(ぬひ)を働かせる事で、閑院様に莫大(ばくだい)な貢物(みつぎもの)を致して居りまする。もし御禁制を荘園にも強(し)いられるのであらば、進物(しんもつ)の量が減る事は必定。幾(いく)ら閑院家の女婿(じょせい)と雖(いえど)も、御身(おんみ)の為に成りませぬぞ。悪い事は申し上げませぬ。速やかに、国府へ御戻り下さりまする様。」
その言葉が終ると共に、配下の兵が槍を構え、威嚇(いかく)の度を強めた。しかし、政隆は平然としたまま、四郎を見据えて尋ね返す。
「由良庄では、扱(こ)き使われて働けなく成った奴婢(ぬひ)を、由良ヶ岳の山深くへ捨てに行く。ここでは鼓ヶ岳か、それとも弥助山まで捨てに参るのか?」
「何を仰(おお)せられる?」
四郎の声が上擦(うわず)った。
「私はこの背に、幾人の奴婢(ぬひ)を負ったか分からぬ。私も、三郎殿と姉上の助けが無ければ、今頃は由良ヶ岳の土と成って居たであろう。」
政隆を凝視して居た四郎は、突然顔色を変えた。
「まさか、三郎兄者が情けを掛けて居た姉弟の?」
「覚えて居ったか。忘路(わすれじ)じゃ。」
「何と?」
四郎の頬(ほお)を冷汗が伝い、顎(あご)から滴(したた)り落ちる。

 暫(しば)しの沈黙の後、四郎は突然、声高に笑い始めた。
「世の中とは面白き物じゃのう。奴(ぬ)が国守様と成るとは。さて国守様、折角(せっかく)今の地位に昇り詰める事が叶(かな)ったというに、奴婢(ぬひ)への同情から、御立場を悪くされる事もござるまい。」
「我が祖父は陸奥大掾(だいじょう)、そして父は常陸介じゃ。何事も無ければ、四郡を束(たば)ねる当家は、国守に就(つ)く位の力は当然持って居った。それを人買い等が存在する故に、私は奴(ぬ)に落され、姉上は自害を余儀無くされた。人買いを撲滅(ぼくめつ)する事こそ、我が積年の望みじゃ。」
政隆の強い決意を窺(うかが)わせる表情に、四郎の顔付きも変わった。
「如何(どう)しても、退(しりぞ)いては下さりませぬか?」
四郎が右手を上げると、国府方を包囲する三十名の兵は、ゆっくりと距離を詰め始めた。
「くどい。海賊と繋(つな)がる輩(やから)の言葉に等、耳を貸して居られぬわ。」
「ここは我が荘園の内。本家の閑院公季(きんすえ)様以外、私に下知出来る者は居らぬ。少々痛い目に遭(あ)って貰(もら)い、世の中の仕組みという物を学んで戴くとしよう。」
そう言い終えると同時に、四郎の手が素早く下げられた。突撃の合図である。
「命まで取る必要は無い。秩序を乱す者を、少し懲(こ)らしめてやれ。」
兵達はおうと応え、政隆の一隊を目掛けて突撃した。

 政隆勢は三倍の敵に三方を囲まれ、しかも背後は海である。絶体絶命の状況下、政隆は高札(こうさつ)の側に在って、家臣達に命ずる。
「高札と掾(じょう)の殿は私が守る。皆、思う存分戦ってくれい。」
下知を受け、磐城武士は素早く戦(いくさ)の体勢に入った。矢戦(やいくさ)には距離が縮まり過ぎて居た為、抜刀して馬を駆る。その加速度は尋常ではなかった。成合方の予測よりも速く、間合に入り込む。成合の兵は心の準備が整うよりも、一瞬先に攻撃を受ける事と成った。磐城兵の剛剣を鎧(よろい)で受けた物の、激しい衝撃で砂浜に倒れた。

 磐城兵は少数と雖(いえど)も、悉(ことごと)く騎兵である。一方の成合兵は、数で勝(まさ)ると雖(いえど)も、殆(ほとん)どが歩兵である。加えて、南部奥州の平定を成し遂(と)げたばかりの兵と、普段奴婢(ぬひ)を虐(しいた)げて居る兵とでは、個人の技量、精神力に大きな差が生じて居た。

 瞬(またた)く間に、成合兵十名程が蹴散(けち)らされた。磐城騎兵は更(さら)に勢いを増し、次の狙いへと襲い掛かる。成合方はすっかり気後れしてしまい、再び十名が倒された。気が付けば、成合方の戦力は互角以下に落ちて居た。四郎は顔面蒼白と成り、慌てて家臣に叫ぶ。
「退(ひ)けっ!館へ駆け込め!」
言葉が終らぬ内に、既(すで)に四郎は馬を返し、退却を始めて居た。

 砂上では、馬も速さが幾分鈍(にぶ)る。磐城騎兵は馬術の腕においても、成合を圧倒して居た。成合騎兵は敵に背を向けて遁走(とんそう)したが、直ぐに追い付かれ、背後より刀で叩かれて、次々と砂浜に転がり落ちた。

 やがて、四郎の周りに味方が居なく成った。そして、両脇を磐城兵が並んで駆けて居る事に気が付き、彼等は程無く、四郎の前へ出た。既(すで)に、己一人が敵の包囲に陥(おちい)って居る事を悟った四郎は、ゆっくりと馬を止めて、太刀を捨てた。磐城兵は四郎を馬より下ろし、両手を後ろで縛(しば)って虜(とりこ)とし、政隆の元へと連行した。

 政隆は四郎を一瞥(いちべつ)すると、近くに倒れて呻(うめ)いて居る兵に申し渡した。
「成合四郎は、国守を襲撃した廉(かど)に因(よ)り、国府へ連れ帰り、取調べを致す。その間、もしこの高札(こうさつ)が破却される様な事有らば、四郎の命は保証出来ぬ。館の者に、よく伝えて置く様。」
成合兵は脂汗を顔中に滲(にじ)ませながら、幾度も頷(うなず)く。鋭い視線で念を押した後、政隆は振り返って、遠巻きで此方(こちら)の様子を窺(うかが)う汐汲(しおくみ)女達に、大声で告げた。
「近い内に、当国からは奴(ぬ)も婢(ひ)も居なく成る。皆良民として、当地で生業(なりわい)を得る事も出来ようし、故郷へ帰る事も自由じゃ。今暫(しば)し、私を信じて待って居て欲しい。」
汐汲女達はやがて、政隆に向かって頭を下げ始めた。如何(どう)やら、政隆が本気で奴婢(ぬひ)を解き放つ積りである事を、信用したらしい。政隆は彼女達に手を振って応えた後、再び馬に跨(またが)った。馬上で縄目を受け取る四郎を横目に、隊列の先頭へと進み出る。そして、待機して居た大江常能(おおえのつねよし)に向かい、和(にこ)やかに告げる。
「では掾(じょう)の殿、参りまするか。」
「はっ。」
常能と政隆は同時に馬を進め、後続の兵が二人に追随する。捕縛された成合四郎は、悔しさに顔を歪(ゆが)めながら、馬上で揺られて居た。

 国府の一行が地頭を連れ去った後、浜辺では波の音だけが響いて居た。汐汲(しおくみ)女達は希望を得た表情で、作業を再開させて居る。磐城兵との戦力差が逆に幸いしてか、成合兵には骨を砕(くだ)かれた者は有っても、死人は出なかった。軽傷の者が重傷者を運び、丘の館へと引き揚げて行った。

 国府への帰途、隊列の先頭で政隆と馬を並べる大江常能(おおえのつねよし)は、静かに心を震わせて居た。地頭が抱(かか)える武士は、国府の兵をも追い払う、強大な力を持って居た。それが、僅(わず)か三分の一の寡兵(かへい)を相手に、赤児の手を捻(ひね)る様に打ち負かされてしまったのである。地頭の台頭に因(よ)って国府の権威は堕(お)ち、侮(あなど)りを受ける様にも成った。しかし隣におわす丹後守は、これまでの国守とは随分と異なる。地方武士団の棟梁であり、国府の復権を成し遂(と)げてくれるのではあるまいかと、常能は大いなる期待を抱(いだ)いて居た。

 陽が、籠(こもり)社の西方稜線に掛かろうとして居る。東の宮津湾を、船足の軽い荷船が一艘、全速力で南へ蛇行して居る。成合が橋立と連絡を取りに向かって居る事は、誰もが容易に想像出来た。

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