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第二十二節 官軍出陣
二月に入ると、次第に暖かく感じる日が増え始め、近郷の山では日に日に、残雪が少なく成って来る。間も無く峠の通行も、雪に因(よ)る不便は無く成るであろう。
政隆は大炊寮(おおいのりょう)より空を眺め、又時折突風が運んで来る梅の花弁(はなびら)を眺めては、愈々(いよいよ)冬の終りを感じるのであった。
その日、政隆の元へ公季(きんすえ)より、使者が遣わされて来た。至急、宮中に参内(さんだい)する様に、との事である。
(時、遂(つい)に来(きた)れり。)
政隆は使者に承知の旨を告げると、机に書類を置き、静かに立ち上がった。
「御案内下され。」
使者は政隆を嚮導(きょうどう)し、大炊寮(おおいのりょう)を後にして行った。
やがて内裏建礼門に着いた所で、追捕使(ついぶし)実成が待って居た。側には、坂上広高も控えて居る。政隆が合流した所で、実成は護衛を門外に留め、左近衛少将の案内を得て、閑院家三名が揃(そろ)って宮中へと入って行く。
承明門を潜(くぐ)ると、正面には荘厳な紫宸殿(ししんでん)が広がる。一行は右近の橘(たちばな)の左手、校書殿(きょうしょでん)へ向かって行く。ここは蔵人(くろうど)が事務を行う処であり、実成の子公成(きんなり)は、長官たる蔵人頭(くろうどのとう)に任官して居る。公成は祖父公季の寵愛一入(ひとしお)で、公季の養子と成り育てられた。未だ二十四歳の、若き貴族である。
校書殿(きょうしょでん)では公成が廊下に立ち、閑院家の来訪を待って居た。少将以下が階梯(かいてい)の前で歩を止めると、公成は大声で告げる。
「帝(みかど)が御出御遊ばされる。控えられよ。」
これを受け、少将や実成、広高が庭に平伏する。政隆は帝の前に出る等、夢想(むそう)だにして居なかったので、呆然(ぼうぜん)と立ち尽して居た所、広高に袖(そで)を引かれて、前に手を突いた。
公成も廊下にて平伏し、やがて帝が校書殿(きょうしょでん)を出て、公成の側に姿を現した。敦成(あつひら)天皇は御歳(おんとし)十六。道長の外孫である。政(まつりごと)が解り始めた頃で、不安気な面持ちを実成に向けて居る。
「右衛門督(うえもんのかみ)、近年奥州に不穏な動きが有り、征討軍を出陣させると聞くが。」
「主上(しゅじょう)の御心(みこころ)を煩(わずらわ)わせたる段、誠に申し訳無き仕儀にござりまする。されど此度、私奴(め)が追捕使(ついぶし)を拝命致しましたからには、必ずや陸奥の凶賊を討伐して御覧に入れまする。」
「うむ。頼もしき言葉じゃ。」
帝は実成に向かって微笑(ほほえ)んだ。
実成は一度畏(かしこ)まった後、帝に言上する。
「この度は、征討軍の次官(すけ)と判官(ほうがん)に宛(あ)てる者を召し連れましてござりまする。我が左手に控えしは、閑院家の家司(けいし)にして、家中一の剛の者、坂上広高と申しまする。かつて奥州遠征を成功させし田村麻呂の末裔にて、東国には多くの同族が居りまする。仍(よっ)て判官(ほうがん)に任じ、我が補佐に当たらせ様と存じまする。」
紹介を受け、広高は深く頭(こうべ)を垂れた。帝は和(にこ)やかに言葉を掛ける。
「田村麻呂将軍の武名は聞き及んで居る。その武名を穢(けが)す事の無き様、励むが良い。」
「ははっ。」
広高に続き、実成は政隆を紹介する。
「では、我が右手に控えし者、現在大炊助(おおいのすけ)の職に在り、平政隆と申しまする。この者には次官(すけ)として、先鋒を任せ様と考えてござりまする。」
政隆も広高に倣(なら)い、低頭する。しかし、帝は不満気な顔で政隆を見る。
「未だ大分若い様じゃのう。これで先鋒の将が務まるのか?」
実成は苦笑しながら言葉を接ぐ。
「この者は、閑院家では広高に次ぐ、武芸の腕を有してござりまする。加えて申し上げますれば、此度奥州の不穏なる情勢は、凶賊村岡重頼が郡司平政道を暗殺し、その所領を奪い取った事に端を発しまする。これなる政隆は、政道の嫡子にして、奥州四郡の正統なる跡継ぎにござりますれば、村岡の家中を切り崩すには適任かと存じまする。」
帝は漸(ようや)く得心し、政隆に言葉を掛ける。
「其(そ)は難儀な事であったのう。この度は官軍の先鋒として、立派に亡父の仇(あだ)を討つが善(よ)かろう。」
「はっ。必ずや。」
ここに政隆は、帝より村岡討伐の大命を得るに至った。長年に渡る忍従の日々が無駄ではなかった事を感じ、己を生き存(なが)らえさせてくれた姉の事が思い出され、俄(にわか)に目頭が熱く成るのを覚えた。
帝には今一つ疑問が有り、実成に尋ねる。
「して、主典(さかん)には誰を宛(あ)てる?」
「はっ。凶賊村岡が拠点は、奥州海道の南端菊多にござりますれば、やはり常陸平氏の長者、安忠なる者が相応(ふさわ)しいかと存じまする。」
「そうじゃのう。人選はそれで良いであろう。呉々(くれぐれ)も賊に不覚を取る事の無き様。」
「ははっ。」
実成に加え、広高と政隆も、挙(こぞ)って平伏した。
話を終えた帝は、公成を引き連れて、清涼殿(せいりょうでん)へ戻ろうとしたが、不意に足を止めて、実成の方を振り返る。
「必ず成功させよ。」
一言念を押して、帝は退出して行った。三名は暫(しば)し押し黙ったまま、清涼殿に向かい平伏して居た。
やがて実成が立ち上がり、衣服に付いた土を払うと、広高と政隆も頭を上げた。そして再び少将の案内を得て、内裏(だいり)を後にして行った。
建礼門の外に出た三名は、近くで待機して居た閑院家の兵と合流し、実成は牛車(ぎっしゃ)へと乗り込んだ。広高と政隆には、其々(それぞれ)馬が用意されて居る。牛車の中から実成の声が聞こえた。
「これより、閑院殿を追捕使(ついぶし)の本営と致す。次官(すけ)と判官(ほうがん)はそこへ詰める様に。」
「はっ。」
広高は返事をすると、駒を牛車の側へと進めた。政隆は東南に在る大炊寮(おおいのりょう)の方角を望んだ後、広高の後に続いた。大炊寮では多くの事を学ぶ事が出来た。それを今度は磐城遠征に活かさんとの決意を胸に秘め、待賢門を潜(くぐ)り、大内裏を後にした。
閑院殿に向かう道中、牛車(ぎっしゃ)の中より、政隆を呼ぶ声が聞こえた。
「はっ。」
政隆が馬を寄せると、中から実成が、抑えた声で話し掛ける。
「先程の、主上が最後に掛けられた御言葉の意味が解るか?」
頬(ほお)を指で掻(か)きながら、政隆は思う所を述べる。
「主上より多大なる期待を掛けられし事、誠に以(もっ)て光栄の至りと存じ奉(たてまつ)りまする。」
牛車の中から、微(かす)かに実成の苦笑する声が漏れ聞こえた。
「一つ教えて置く。主上は御若く、外祖父道長公の成す事に逆らう事は能(あた)わず。道長公の御子は既(すで)に左府、内府の要職を固め、残るは右府と太政大臣を残すのみである。特に父上が任官されておわす太政大臣の地位は、先年関白左大臣頼通殿より上とする宣旨が下されて居る。此(こ)は主上が関白家への権力集中を快く思(おぼ)しておわされぬ証(あかし)であり、父上にその歯止めを期待される物である。」
太政官の人事は、一寮の次官(すけ)に過ぎぬ政隆に取っては雲の上の話であったが、次第に実成の真意が理解出来始めた。
「仰せの儀、良く解りましてござりまする。某(それがし)が村岡重頼に遅れを取る様な事が有らば、大殿(おとど)並びに閑院家の失脚を招き、主上が危惧(きぐ)遊ばされる関白様の独裁に繋(つな)がり兼ねぬ、という事にござりまするな。」
「然様(さよう)。其方(そち)には三千の兵を悉(ことごと)く任せる事と致すが、後に我等が居ると思わぬ様。」
「はっ、肝に銘じまする。」
政隆は平静を装(よどお)って答えたが、内心は恐怖に戦慄(わなな)いて居た。僅(わず)か三千の寄せ集めの兵を以(もっ)て、果して二万を抱(かか)える村岡勢と勝負に成るのか。戦(いくさ)の仕度が愈々(いよいよ)整いつつ在る今、政隆の心には、次第に不安が広がって居た。
春とはいえ、未だ京には北方からの寒風が吹き寄せて居た。
*
三月中旬、畿内各国より次々と兵が到着し、東山の諸寺に分宿する兵の数は、やがて三千を数えるに至った。兵部省も取り敢(あ)えず、雨期が到来するまで二ヶ月の兵糧を掻(か)き集めた。これを受けて追捕使(ついぶし)実成は、遂(つい)に官軍の進発許可を太政官に要請し、直ちに出陣の許可が下った。
出陣の日の朝、閑院殿より百名を超える行列が、大内裏に向けて整然と進んで行く。その先頭を行く政隆は鎧兜(よろいかぶと)を身に纏(まと)い、凛々(りり)しい若武者の姿と成って、沿道に群(むら)がる民の注目を一身に集めて居た。中軍、後軍は其々(それぞれ)、実成と広高が率いて居り、両者は武官の束帯(そくたい)を纏(まと)って居た。本日の出陣の儀式には臨(のぞ)む物の、その後は京に留まって、政隆の後方支援に当たる故である。
一行は大内裏の朱雀門より入り、正面朝堂院の応天門を掠(かす)め、西隣の豊楽(ぶらく)院豊楽門を潜(くぐ)って行った。豊楽院は宮中の様々な行事が催される処であるが、本日は出陣の儀が執り行われ、太政官の高官や各省の卿、更(さら)には帝や親王家の臨席の下に行われる。
かつて平政氏が奥州征討に向かった折は、朝廷の許可を得て、坂東武者を核とした軍を編成した故に、大行(おおぎょう)な儀式等は執り行われなかった。しかし此度は、右兵衛督(うえもんのかみ)や太政大臣が中心と成って行う遠征の為、八十余年前の小野好古瀬戸内派遣を上回る、大規模な物と成った。
帝や親王家、高官達が居並ぶ正殿の前に、追捕使(ついぶし)の長官(かみ)、次官(すけ)、判官(ほうがん)が跪(ひざまず)く。先ず太政大臣公季が、奥州遠征の宣旨(せんじ)を読み上げた。続いて、長官(かみ)の実成が帝より追捕使の印章を賜(たまわ)り、政隆と広高にも其々(それぞれ)、宝剣が下賜された。又、官軍の御旗(みはた)も用意され、実成は左近衛大将より恭(うやうや)しく押し戴いた。
最後に、太政大臣公季が進み出て、訓辞を行う。
「追捕使並びに前軍の将、平政隆。」
公季の言葉に、列席する高官達は俄(にわか)に響動(どよ)めいた。最初に次官(すけ)を名指しした事が、意外であったのである。しかし帝の御前でもあり、直ぐに式の場は静けさを取り戻した。引き続き、公季の声が豊楽院に響き渡る。
「神武天皇が東征遊ばされ、伊勢より山路を越えて大和に攻め入り、長髄彦(ながすねびこ)を東方へ追い遣(や)って後、天皇(すめらぎ)の軍が朝賊を相手に敗北を喫した例は無い。皇祖皇宗以来打ち立てられし武勲の誉(ほま)れを、其方(そち)の手で穢(けが)す事、有るまじき様。」
「はっ。逆賊村岡重頼を討ち果すまでは、再び生きて京師へは戻りませぬ。」
政隆は不退転の決意を、帝と公季に示した。もしも己が敗北すれば、関白頼通と内大臣教通は、太政大臣家の失策として閑院家を失脚させ、実成を長官(かみ)に戴く追捕使(ついぶし)も、解体させられるであろう。道長の直系ではない右大臣実資(さねすえ)は、本日の式典を病欠して居る。思えば右大臣はこの頃、公季とは距離を置いて居る様に感じられた。勝ち目の薄い戦(いくさ)で、連座の責を負う危険から避けたかったのであろう。
斯(か)くして出陣の儀は滞(とどこお)り無く終り、やがて楽隊の演奏が始まった。将の一人が官軍旗を掲(かか)げ、広場に集う二百の兵は、新たに陣形を組み直す。実成、政隆、広高の三名は帝に礼を執った後、用意された馬に其々(それぞれ)飛び乗った。政隆は前軍を纏(まと)めて、粛然と豊楽院を後にする。目指すは、官軍三千騎が待機する鳥部野であった。
この日は、政隆がかつて経験した事の無い、栄光の日であった。しかし京を離れた後は、己の才覚に因(よ)り、天国とも地獄とも成り得る身の上である。政隆は強い責任感を抱(いだ)きながら、豪華絢爛(けんらん)たる造りの大内裏朱雀門を、再び潜(くぐ)って行った。
やがて鳥部野の東方、音羽山清水寺の外れに建つ塔頭(たっちゅう)に入った追捕使(ついぶし)一行は、その一棟を借り受けた。そして長官実成は、判官(ほうがん)広高に下知する。
「近隣の寺院に分宿する兵を、麓(ふもと)に集めて置く様。」
広高は承服すると、配下の者を率いて、山を下りて行った。そして実成は家臣より木箱を受け取ると、政隆一人を招き、奥の一室へと入って行く。
大木が陽光を遮(さえぎ)り、室内は大層暗く感じられるが、日中である為、目は直ぐに慣れた。実成が床(ゆか)に腰を下ろした後、政隆はその正面に座して畏(かしこ)まった。
実成は懐を探り、小さな布袋の様な物を取り出した。そして先ずは、木箱を政隆の前に置いて言い渡す。
「この中には、平安忠宛(あて)に追捕使主典(さかん)の任官状と、村岡追討の勅書が納められて居る。これを用い、必ずや常陸平家を味方に付けるのじゃぞ。」
「承知致し申した。常陸府中まで、鄭重に御預かり致しまする。」
政隆は深く頭を下げ、木箱を受け取った。
続いて実成は、暗い室内でも目に付く、朱色の袋を差し出した。
「中には、石清水八幡大菩薩の護符が納められて居る。かつて源頼信は八幡神を信仰し、下総において平忠常を破った。縁起は良いぞ。」
政隆は恭(うやうや)しく、それを押し戴く。
「御配慮、有難く存じまする。」
実成は苦笑した顔で、表の大木に目を移した。
「其(そ)は、妹からじゃ。」
「もしや、玉綾姫様の。」
つと、実成の視線が政隆に戻る。
「分かるか?」
「いえ、何と無く。」
実成はゆっくりと腰を上げ、表に向かって立った。そして、ぼそりと伝える。
「もしも、其方(そち)が見事村岡を討伐し、都に凱旋した暁(あかつき)には、妹を其方(そち)の嫁にと、父上が仰せであった。」
政隆は余りに意外な事を聞き、激しく困惑した。
「畏(おそ)れながら、太政大臣家の姫君ともなれば、皇族や高官の方々の元へ嫁がれるが至当かと。某(それがし)の如き下位の者が妻としては、閑院家の御名(おんな)に傷が付きまする。」
実成は微笑を湛(たた)えて、政隆の方を振り向いた。
「奥州十一郡を平定致さば、其方(そち)は磐城武士団二万騎の棟梁と成る。斯様(かよう)な者が親族であれば、当家に取っては心強い。」
そして実成は、些(いささ)か表情を翳(かげ)らせて言葉を接ぐ。
「父上も御歳じゃ。間も無く儂(わし)や公成の時代と成ろう。妹は我が子公成よりも年下であるのに、父上の娘故に、政略結婚には使えぬ。公成から見れば、縁が遠く成るのでな。又、妹は都の外に興味を抱いて居る様子。其方(そち)の妻なれば、妹の望みも叶(かな)うという物。妹は其方(そち)に好意を寄せて居る様じゃが、其方(そち)の気持は如何(どう)じゃ?」
「いえ、突然の話にて。大戦(おおいくさ)の前にもござりますれば。」
「うむ、下手(へた)に惑わせては、戦(いくさ)の障(さわ)りに成るのう。今話せし事は、もしも話と捉(とら)えてくれい。」
「はっ。只姫様には、政隆が感謝して居たと、御伝え願いとう存じまする。」
「相(あい)解った。」
実成は顔を綻(ほころ)ばせて頷(うなず)いた。
ふと、部屋の外から男の声が聞こえた。
「坂上様よりの使いにござりまする。麓(ふもと)にて兵の召集、完了致しましてござりまする。」
「そうか、至急参る。」
実成は使者に答えた後、政隆の前へ歩み寄った。
「では、参るとしよう。」
「はっ。」
政隆は一礼すると、八幡大菩薩の護符を懐に納め、勅書を携えて立ち上がり、実成の後に付いて行った。
塔頭(たっちゅう)を出て麓(ふもと)へ下りると、近くの広い野原に三千もの兵が集結し、整然と隊列を組んで居た。その正面に広高の姿が在ったので、実成と政隆は案内役の使者より前に出て、広高の脇へと立った。
共に下山して来た警護の兵十余名が、追捕使(ついぶし)の周りを固めた所で、広高は兵に向かい大声で告げた。
「追捕使右衛門督藤原実成様、並びに副使大炊助平政隆様、御到着である。」
兵は一斉に片膝を突き、両将に礼を執った。実成は手を上げて、兵達に直る様示唆(しさ)した後、全軍を見渡して言葉を掛ける。
「此度、東国を騒がす逆賊を追討するべく、皆善(よ)く集まってくれた。その方達の活躍に因(よ)り、海内に平和が取り戻される事を、切に願う物である。」
兵達は実成の言葉に応え、槍を掲(かか)げて勝鬨(かちどき)の声を上げる。士気は頗(すこぶ)る高い様であった。
実成は諸手(もろて)を差し伸ばして兵を静めると、再び話を続ける。
「その方達には、栄誉有る官軍の先鋒を務めて貰(もら)う。大将には副使の平政隆を宛(あ)てる事とし、朝廷より拝領した追捕使(ついぶし)の印章は、ここに副使へ預ける事と致す。」
衛兵の一人が、印章を納めた箱を実成に差し出し、実成はそれを持って政隆に向かう。政隆も実成に正対して跪(ひざまず)いた。
「副使平政隆に、追捕使の印章を託する。これを以(もっ)て以後、政隆将軍の言葉は即(すなわ)ち、余の言葉なり。」
そう宣言して、実成は政隆に印章を渡した。政隆が恭(うやうや)しく押し戴いた後立ち上がると、引き続き実成が言葉を接ぐ。
「余は、判官(ほうがん)の坂上将軍と共に都に留まり、先鋒隊の武具兵糧が不足する事の無き様、兵部省等に掛け合って、後方支援に当たる。」
それを聞いた兵達は、一旦政隆の方を向いた後、表情を翳(かげ)らせた。
「副使といっても、又随分と御若い様じゃな。」
「それに総大将が都に残られるとは、一体如何(いか)なる事じゃ?」
「敵は数万の大軍と聞く。これでは戦(いくさ)に成るのか。」
俄(にわか)に兵達が騒(ざわ)つき始める。広高が静め様とするが、中々三千の口を閉じる事は出来ない。
政隆は黙したまま兵の前へ進み出て、突如抜刀した。刀は空を斬り、ピュンという音が空気を伝う。驚いた兵は、急に押し黙ってしまった。
「この宝剣は出陣の折、帝より勅命と共に賜(たまわ)りし物。私の命に従わぬ者は斬る。」
政隆の気迫に、三千の兵は一気に沈黙した。政隆はパチリと刀を鞘(さや)に納めると、広高に向かって依頼を述べる。
「坂上将軍の御一族は、上総、下総、常陸の三国に加え、奥州安積(あさか)郡にもおわすと聞き及び申した。彼等の助力が得られれば、村岡征伐の大いなる助けと成りましょう。」
「うむ、確かに。では某(それがし)より書状を遣(つか)わし、官軍に援軍を出す様、手配して置き申そう。」
政隆は頷(うなず)くと、続いて実成の方を振り返った。
「実成様にも、御願の儀がござりまする。鎮守府将軍、陸奥守双方に、手勢を率いて名取団まで、南進して戴きたく存じまする。さすれば、村岡は若輩の某(それがし)が率いる少数の本隊よりも、北方の国府軍に備えるべく、兵の大半を宇多、信夫(しのぶ)へ向けるでありましょう。」
「成程(なるほど)、妙案じゃ。村岡は、少なくとも一万の軍を北上させるであろう。早速太政官に提起し、必ずや実現させようぞ。」
政隆は実成に辞儀をし、聞き届けて貰(もら)った事への感謝と、再び見(まみ)える事の無い可能性を含む、別離の意を示した。
その後政隆は馬を曳(ひ)かせ、颯爽(さっそう)と飛び乗った。そして全軍を見渡し、大声で告げる。
「我等、今は三千なれど、坂東において更(さら)なる増援が有る。一方、賊軍は南北を官軍に挟撃され、兵力の分散を余儀無くされる。勝機は官軍に有り。」
これを受け、三千の兵は天地を揺るがす声を上げて応えた。政隆が全軍の将兵を掌握した証(あかし)である。
「出陣!目指すは賊将村岡重頼が拠点、奥州菊多郡なり。」
大将の下知に因(よ)り、前軍より粛然と進軍を開始した。政隆は中軍に入り、馬上より実成、広高に一揖(いちゆう)して、北に向かい去って行った。
官軍は東山を回り込み、東海道を東へと進んで行く。政隆は後方、京の都を振り返る事は無かった。戦(いくさ)に敗れれば、再び見る事は叶(かな)わないが、その時は故国の土と成る事が出来る。只、実成より受け取った八幡大菩薩の御守りが、懐の中に京の薫(かおり)を留めて居り、それが政隆の心を微(かす)かに揺さ振った。玉綾姫の心を、政隆は量り兼ねて居た。