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第二十一節 大炊助(おおいのすけ)任官
年が改まって治安二年(1022)と成った。この年、常陸平氏の元鎮守将軍維良(これよし)が逝去した。長保五年(1003)に下総国府を焼討、寛仁二年(1018)には陸奥守と戦(いくさ)に及ぶ等、幾つかの騒動を起して来た人物である。維良の死に因(よ)り、常陸平氏は二つの勢力に纏(まと)まる事と成った。府中の安忠と、筑波の為幹(ためもと)である。叔父維良の亡き後、安忠は常陸平氏の棟梁として、千葉の平忠常と磐城の村岡重頼という敵を、腹背に抱(かか)えた状況を打破すべく、切り崩しの工作に着手した。
一方で閑院家の家司(けいし)見習い平政隆も、十七の若武者と成って居た。弓馬の道を坂上広高の元で修行し、又、史書や兵書も好んで読んだ。一つは武士として成長する為、そしてもう一つは、主君公季(きんすえ)に対し奉(たてまつ)り、何時(いつ)でも奥州遠征に向かわんとする気概を示さんが為である。
寒風が吹き荒(すさ)ぶ晩秋の候、砂埃(すなぼこり)の舞う左京の大路を、閑院殿に向かう武士の姿が在った。家司(けいし)の坂上広高である。広高は公季に随行して、内裏(だいり)に詰めて居たのであるが、独り邸へ引き返して来た。
広高は邸に着くと、庭の掃除(そうじ)をして居た下働きの男へ歩み寄り、緊迫した面持ちで尋ねる。
「政隆を見かけなんだか?」
「はあ。確か裏門にて、警備の方と話をして居られましたが。」
男の話が終ると同時に、広高は踵(きびす)を返し、裏門へ早足で向かって居た。
裏門では、政隆が三人の兵を集め、夜間警備の遣(や)り方を話して居た。この日は、政隆が指揮を担当する日であった。故に、万一盗賊が侵入した際に、確実に捕縛(ほばく)する策を練(ね)って居たのである。
そこへ、広高が汗を滲(にじ)ませながら現れた。突然の事に、四人は何か大事が有った事を察し、緊張が走った。広高は政隆の前で歩を止めると、顰(しか)め顔のまま告げる。
「大殿(おとど)の御命令じゃ。至急、儂(わし)と共に検非違使(けびいし)庁へ参れ。」
検非違使(けびいし)庁は都の司法、警察権を掌(つかさど)る役所である。政隆は俄(にわか)に不吉な予感に襲われた。しかし、主君公季の命である。従う他は無く、広高に付いて邸を出た。
西洞院大路を北へ向かい歩きながら、広高は政隆に言い渡した。
「本日の警備は、別の者が指揮を執る。」
「はっ。」
承服はした物の、政隆の不安は募(つの)るばかりであった。
(もしかすると、昨年由良に赴いた折、忘路(わすれじ)である事が露見して居たか?将又(はたまた)村岡重頼に係る者が己の所在を知り、磐城へ送る様願い出て来たのか?)
悪い事ばかりが、政隆の脳裏(のうり)を錯綜(さくそう)した。
やがて、検非違使(けびいし)庁に入った政隆と広高は、少尉(しょうじょう)の案内を得て、一室へと通された。待つ事四半時、二人の前に姿を現したのは、右衛門督(うえもんのかみ)藤原実成であった。主君公季の嫡男である。二人が粛然と座礼を執る中、実成はゆっくりと上座に腰を据(す)えた。そして政隆に声を掛ける。
「急ぎ其方(そち)に駆け付けて貰(もら)ったは他でも無い。昨夜、不審な男が検非違使(けびいし)庁の辺りをうろ付いて居った故に、兵衛が尋問した所、奥州磐城の謀反を報告しに参ったと言う。其方(そち)の知る者やも知れぬと思い、召し出した次第じゃ。」
政隆は畏(かしこ)まって答える。
「成程(なるほど)。その者の話を聞けば、何か分かるやも知れませぬ。何卒(なにとぞ)、御引き合わせ下さりませ。」
実成は頷(うなず)くと、側に控える大尉(だいじょう)に合図をした。大尉は直ぐ様承り、部屋を後にして行った。
間も無く大尉(だいじょう)は四名の兵と共に、奥州磐城より下向して来たという男を、庭に連れて来た。確かに衣服の汚(よご)れや解(ほつ)れ等を見ると、長旅をして来た様子が窺(うかが)える。又、着物の質から判断するに、そこそこ身分が有る様にも見受けられる。
男は庭に跪(ひざまず)くと、神妙に礼を執った。そして、脇から見下ろす大尉(だいじょう)が、男に命ずる。
「本日、奥州出身の御方が閑院家に仕えて居られる故、この場に御越し願った。其方(そち)が我等に報告せし事、今一度この場にて申し上げよ。」
「はっ。」
男は大尉に頭を下げた後、室内に座す実成や政隆にも恭(うやうや)しく礼を執り、話を始めた。
「某(それがし)、奥州菊多郡の豪族にて、井口小弥太と申しまする。」
その声に、政隆の眉(まゆ)が動いた。井口は頭を下げたまま、話を続ける。
「去る長和五年(1016)、菊多郡少領村岡重頼は、大領であり主君でもある平政道様を暗殺し、翌年は信夫(しのぶ)郡へも遠征し、郡司平政澄様を攻め滅ぼし申した。その後、海仙両道は村岡の手に落ち、謀叛人が制圧した土地は政(まつりごと)が乱れ、占領下十一郡の民からは、怨嗟(えんさ)の声が上げって居りまする。斯(か)かる事態は天下の為ならずと考えた末、某(それがし)は僅(わず)かな郎党を率い、検非違使(けびいし)庁に訴え出た次第にござりまする。逆賊討伐の折は、我が兵を御使い戴ければ、光栄に存じ奉(たてまつ)りまする。」
井口の話が終わると、政隆はすっと立ち上がり、庭へ下りて井口の前に進み出た。
政隆が井口の前で膝(ひざ)を付いたのに気付き、井口は顔を上げる。その目に映(うつ)った物は、鋭い眼光で己を見据(みす)える、若い武官の姿であった。
「遠路御苦労であった。」
政隆の言葉に井口は安堵し、再び平伏する。暫(しば)し井口を見下ろして居た政隆は、やがて室内の実成に向かい三間歩み出た処で跪(ひざまず)き、言上する。
「申し上げまする。この者は逆賊村岡重頼の側近にて、長和五年(1016)春、我が父平政道を鳥見野原にて暗殺せし、下手人にござりまする。又、某(それがし)が磐城住吉館を脱出した折は追手の先鋒を務め、忠臣大村次郎信澄の犠牲が無くば、某(それがし)はこの者に討たれて居り申した。」
井口の顔は見る見る蒼白と成り、震える声で尋ねる。
「貴方様はもしや、千勝様?」
政隆は立ち上がると、井口を睨(にら)め付けて答える。
「如何(いか)にも。御主ら村岡一味の陰謀に因(よ)り奥州を追われ、都まで逃げ延びて参った。」
井口は取り乱し、後退(あとずさ)りをしたが、直ぐに周囲を固める兵に取り抑えられた。
事の次第を悟った実成は、大尉(だいじょう)に命ずる。
「其奴(そやつ)は謀叛人に与力致した疑いが有る。獄に繋(つな)ぎ、厳しく取り調べよ。」
「はっ。」
大尉は兵に井口を引っ立てさせ、獄舎へと向かって行く。
「無実にござりまする。御助けを!」
井口は大声を上げて抗(あらが)って居たが、次第にその声は遠ざかって行った。
政隆は袴(はかま)の土を払うと、再び屋内に上がり、実成の前に座した。そして手を突き、伏して懇願する。
「御願いにござりまする。あの井口なる者は、我が父、我が忠臣をその手に掛けし怨敵(おんてき)。私の手で仇討(かたきうち)を果す事、何卒(なにとぞ)御許可を賜(たまわ)りたく存じまする。」
凄(すさ)まじい程の意思を感じた実成は、政隆の気持ちを酌(く)んで頷(うなず)いた。
「では。」
政隆が歓喜の表情を浮かべたと同時に、後方に座して静観して居た広高が、突如口を開いた。
「政隆、少々軽率に過ぎるのではないか?」
存外な面持ちで、政隆は広高を振り返る。
「軽率とは、如何(いか)なる事にござりましょう?」
広高は政隆を見据(みす)える。
「井口は当庁の獄舎に繋(つな)がれた以上、最早何とでも出来よう。なれば、先ずは井口の口より村岡の非を証言させ、磐城征伐の大義名分を得るが上策と思うが。」
政隆は、俄(にわか)に己の成すべき事を思い出した。そして広高に一礼した後、向き直って実成に言上する。
「右衛門督(うえもんのかみ)様に申し上げまする。先程御願い致せし儀は私心故にこれを撤回し、天下の御為(おんため)、奥州で起りし不穏な動きの調査を、御願いし奉(たてまつ)る次第にござりまする。」
実成は笑顔で政隆に答える。
「うむ。先の事を考えれば、その方が其方(そち)の為にも成るであろう。検非違使(けびいし)庁において確(しか)と取調べを行った後、太政官へ報告が成される故、吉報を待って居るが良い。本日は大儀であった。」
政隆と広高は平伏し、実成は席を立って、二人の元を去って行った。
その後、二人は共に検非違使(けびいし)庁を後にした。政隆は閑院殿へ引き返し、広高は内裏の公季の元へ戻らねば成らない。故に政隆は広高に辞儀をして、道を別(わか)とうとした。その時、広高は一言声を掛けた。
「此度の事、其方(そなた)の運が開ける切っ掛けと成るやも知れぬ。万事、慎重にな。」
「はっ。御助言を賜(たまわ)り、有難く存じまする。」
政隆は礼を述べると、颯爽(さっそう)と広高の元を辞して行った。新たな希望の緒(いとぐち)を見出した政隆は、時折荒れ狂う寒風を物ともせず、堂々たる足取りで、大路を歩んで行った。
その後、井口を尋問して行く内に、井口一党が上洛に及んだ理由が明確に成って来た。
村岡重頼は奥州南部十一郡に及ぶ、広大な旧磐城平家の所領を得た物の、当地の豪族を纏(まと)め切れずに苦慮して居た。かつて平政氏は、威武の他に、その政(まつりごと)に共感する者を増やして行き、勢力を拡大して行った。然(しか)るに重頼は、先に武力を以(もっ)て支配域を広げて行った為、真に重頼の思想に共感する者を得られなかった。故に広域の豪族や民より信を得る事は難しく、やがて各地で、政(まつりごと)の失策が目立つ様に成って来た。
地方武士の反感が募(つの)りつつ在る事は、当然村岡家中でも大きな問題と成った。評定の場を独占する譜代の臣は、戦(いくさ)には長(た)けて居ても、政(まつりごと)の難局を解決に導く力は不足して居た。互いに過去の失政を詰(なじ)るのみで、村岡家の団結力も、次第に解(ほつ)れて行った。
家中の不和は、次第に先の戦(いくさ)の後に与えられた、恩賞の不公平に及んだ。井口小弥太は平政道を暗殺し、政敵大村信澄を討ち取る功績を挙げた物の、重頼からは一郡すら与えられず、その不満はやがて噴出した。評定の場で主君の批判に触れた事で、重頼は井口を投獄する。しかし同志に救い出されて、そのまま奥州を脱出し、都へ逃げ込んで来たという始末であった。
広高を通じて、検非違使(けびいし)の調査を知り得た政隆は、井口小弥太に一抹(いちまつ)の哀れさを覚えた。
*
数日後、閑院殿に詰める家臣達は、一室へと集まる様に通達を受けた。廊下を渡る皆の顔色を窺(うかが)うと、明るい者、不安に満ちた者と様々である。政隆は何が待って居るのか判(わか)らず、近くの者に尋ねて見た所、如何(どう)やら秋の除目(じもく)、即(すなわ)ち在京官吏の人事の発表が有るらしい。閑院家に仕える男達は皆、位官の昇進を夢見て居る。一方で政隆は、新参の青二才には無縁の事であろうと、達観して居た。
家臣達が集まる部屋では、自身の今後が決定される時を目前にして、皆緊張の色を呈しながら座して居る。彼方此方(あちこち)で噂(うわさ)話や予想等が飛び交(か)い、些(いささ)か騒然と成って居た。しかし家司(けいし)坂上広高の入室が告げられた途端、室内は急に静まり返った。
広高は上座に腰を据(す)えると、諸臣を見渡し、懐から任官者の目録を取り出した。皆が固唾(かたず)を呑んで見詰める中、広高は淡々と氏名、位官を読み上げて行く。呼ばれた者は返事をして、任官状を受け取るのであるが、中には喜びを抑え切れない者も居る。政隆は微笑(ほほえ)まし気に、嬉々とする男達を眺めて居た。
任官状を受け取った者は順次退室し、部屋に残る家臣の数は徐々に減って行く。広高が読み上げる目録は残り僅(わず)かだが、政隆の周りには、未だ多くの者が名を呼ばれずに残って居た。最後まで呼ばれずに残るという事は、今年の昇進は無いという事である。残された者達は悲愴な面持ちと成り、次に我が名が呼ばれる事を強く願って居た。
「平政隆。」
突然、広高が読み上げる声が、政隆の耳に聞こえた。己に早位官が与えられる等とは思いも寄らず、政隆は狼狽(ろうばい)した。
「はっ。」
政隆は立ち上がり、俄(にわか)に信じられぬ顔で広高の前へ進み出て、座礼を執る。
「従六位上大炊助(おおいのすけ)。」
政隆は更(さら)に耳を疑った。行き成り六位にして、大炊寮(おおいのりょう)の次官(すけ)である。呆然(ぼうぜん)とした顔のまま任官状を受け取ると、広高に一礼して、のそりと廊下へ出て行った。
自室へと戻る途次、政隆は今一度任官状を見直した。確かに、広高が告げた様に書かれて在る。政隆は足が地に着かない気分で、再び歩き始めた。
大炊寮(おおいのりょう)は宮内省管轄下の小寮であり、大内裏東側、南端に位置する郁芳(いくほう)門を潜(くぐ)って直ぐ北側に在る。大炊寮の西には上層機関の宮内省が在り、その又西は太政官である。職掌(しょくしょう)は諸司(つかさ)への食料の分給、神事や仏会(ぶつえ)、宴(うたげ)の際の炊飯支給、加えて諸国からの米穀の収納であった。
奥州で生まれ育った政隆にして見れば、六位に在る者は、一国の介に匹敵する高官である。亡き父政道はかつて、正六位下常陸介の位官に在ったが、政隆は十七歳にしてその六位に叙されたのである。信じ難い事ではあるが、次第に冷静に成って考えて見ると、太政大臣の意向が有れば、六位の人事など如何(どう)にでも出来るとも感じられた。
又、大炊助(おおいのすけ)に任官した事で、諸国の米穀の収穫量が掴(つか)める様に成る。それは即(すなわ)ち、村岡重頼支配下、非荘園地域の収入を知り得る他に、官軍を編成する際、何(どれ)だけの兵糧を調達出来るかを知る上で、大いに都合の良い役職であった。
政隆は、主君公季が磐城奪還の後ろ楯と成ってくれて居る事を感じ、改めて感謝の念を抱いた。
自室へ戻り、任官状を丁寧に仕舞うと、今度は文官用の束帯(そくたい)が入り用に成るのではと思い至った。何しろ、一寮の次官(すけ)である。政隆には全く未知の世界であった。家司(けいし)の人に尋ね様にも、皆閑院家家臣の任官通知に追われて忙しい。政隆は自室に留まり、暫(しば)し先の事をゆっくり考えて置こうと思った。
横に成って村岡攻略の策を練ろうとした時、ふと部屋の隅(すみ)に置かれた布袋が目に入った。由良で小萩から受け取った、姉の遺品である。政隆は起き上がってそれを手に取ると、何が何でも姉の魂を磐城へ帰して遣(や)りたい、という念に駆られた。
由良ヶ岳で見た、姉の最後の姿を思い出す内に、その時に授けてくれた、家宝の地蔵菩薩を拝まずには居られなかった。思えば、この家宝が三庄太夫に奪われて居たならば、今の己は無いのである。政隆は命懸けで家宝を守り通した姉に対し、深く感謝した。
その時、後方から女中の声が聞こえた。
「玉綾姫様、御越しにござりまする。」
政隆は慌てて姿勢を正し、女中を見た。女中は座礼を執りながらも政隆を見詰め、返事を待って居る。
「窮屈(きゅうくつ)な処でござりまするが、御入り下さりまする様。」
兎角(とかく)、そう答える他は無かった。
政隆の返事を受けて、玉綾姫が姿を現した。太政大臣が愛娘(まなむすめ)は、朱色の絢爛(けんらん)なる衣に身を包んで入室して来た。政隆は脇へ下がり、平伏して姫を迎えた。
玉綾姫は政隆の前に腰を下ろし、笑顔を向ける。
「御久しゅうござりまする。以前御会いした時は、僧の姿をして御出ででしたが、あれから二年。立派な若人(わこうど)に成長されましたね。」
政隆は低頭したまま答える。
「恐縮にござりまする。大殿(おとど)と広高様の御導きの御蔭と、感謝致して居りまする。」
姫は、政隆が己の方を見てくれないので、少し寂し気な面持ちである。
「本日参りました用向きは、他でもありませぬ。私の恩人である政隆様に、此度御任官の御祝いを申し上げたく思い。」
「有難き御心遣いと存じ上げまする。されど、私は姫様の恩人に非(あら)ず。只、地蔵菩薩像を一体、御貸し差し上げただけに過ぎませぬ。」
「まあ、随分と謙遜なさるのですね。」
政隆は、姫と話をするのが苦手であった。何分にも主家の姫御であり、何(いず)れは皇族や大臣の子弟に嫁ぐべき身分の、雲の上の人であった故である。
姫は政隆に、家司(けいし)見習いと成ってからの近況を尋ねた。多くは事務、応接等で、然程(さほど)話題と成る物は無かった。只、荘園の視察に丹後へ赴いた事を添(そ)えて置いた。
未だ京を出た事の無い姫は、都の外に大いに関心を抱(いだ)いて居た。故に丹後の事を詳しく聞いて来るのだが、やがて政隆の、心の闇(やみ)へと触れて行った。
「丹後の由良という処では、何(ど)の様な産物が有るのですか?」
「由良庄は山、海、大河を擁して居りますれば、それは様々ござりまする。山海は数多(あまた)の珍味を産出致しまするが、他に村では鉄器や焼物、綿や絹を用いた織物。又、浜では塩も取れまする。」
「何とも豊かな土地なのですね。領家の方は立派な人物と存じまする。」
「はあ。」
政隆は微(かす)かに眉(まゆ)を顰(ひそ)めたが、直ぐに平静を装(よそお)った。姫はそれに気付かずに、話題を変える。
「見た所、政隆様は御独りで、この間に御住まいなのですか?」
「はい。」
御身内の方等、呼び寄せて共に住まれては如何(いかが)でしょう?身の回りの事等、一人で成されては大変と存じまする。」
「いえ、慣れて居りますれば。」
ふと、姫は部屋の隅(すみ)に置かれた布袋から、櫛(くし)が食(は)み出て居るのを認めた。それは色褪(あ)せ、所々欠けては居るが、元は何処(どこ)ぞの姫君が用いて居た様な柄(がら)が、幽(かす)かに見受けられる。
「その御櫛(くし)は?」
政隆は姫が見詰める方を見遣(みや)った後、表情を曇(くも)らせてのそりと立ち上がり、櫛(くし)を袋の中へ納めた。
「此(こ)は、我が姉の形見(かたみ)にござりまする。」
「えっ?」
姫は驚駭(きょうがい)した。そして政隆は、心の堰(せき)が切れた様に話し始める。
「人買いに攫(さら)われた私と姉は、由良の三庄太夫の元に売られ、奴婢(ぬひ)に落され申した。その境遇から姉は、己(おの)が命を犠牲にして、私を逃がしてくれたのです。」
「まあ、何という。」
政隆は更(さら)に恐ろしい形相(ぎょうそう)を呈し、話を続ける。
「それを知ったは、由良より帰る前日。故にあの時は、茫然(ぼうぜん)自失の有様(ありさま)にござり申したが、今の私であれば、必ずや姉の仇(かたき)を討ったでありましょう。」
心中に秘めて居た事を吐露(とろ)した政隆は、話を終えた後、後悔の念に駆られた。何(いず)れ丹後に戻って仇(かたき)討ちを果す為に、人に知られては不利に成る事は明白であった。姫の口から公季に伝われば、怖らく二度と、丹後行きの許しは得られぬであろう。政隆は憮然(ぶぜん)として項垂(うなだ)れた。
姫は、大層困惑した面持ちであった。そして悲しい目をして、政隆を見る。
「貴方様は久しく、孤独と戦って来られたのですね。幼くして父母や家臣と別れ、姉君が唯一の支えで在られた。その大切な御方を失われた悲しみは、怖らく私の想像を絶する物でござりましょう。少し話し過ぎました。どうぞ御許し下さりませ。」
姫は目を赤くして、頭を下げた。その際に涙が数滴、床(ゆか)の上に滴(したた)る。政隆は姫の涙に愕然(がくぜん)とし、慌てて平伏した。しかし、何を詫びるべきか判(わか)らず、只黙するのみであった。
玉綾姫は袖(そで)で涙を拭(ぬぐ)った後、笑顔を作って再び政隆を見る。
「本日は、御祝いの品を届けに参るだけの積りでしたのに。」
姫は女中に命じて、畳(たたみ)程の大きさの、桐の箱を室内に運び入れる。
「此(こ)は御祝いの、細(ささ)やかな気持にござりまする。御納め下さりませ。」
「はっ。某(それがし)如きの為に各別なる御計らい。痛み入りまする。」
政隆が素直に受け取ってくれると言うので、姫は安心した様子で言葉を接いだ。
「これを御渡しする事が目的でしたのに、余計な話までしてしまって。只私は、貴方様が本懐を遂(と)げられる事を、陰ながら御祈り致して居りまする。」
そう言って一礼し、静かに腰を上げると、侍女を伴って、政隆の元を辞して行った。
如何(どう)やら三庄太夫が政隆の仇(かたき)である事を、姫は公季に黙って居てくれる様である。政隆は冷汗(ひやあせ)を拭(ぬぐ)った後、姫が置いて行った、大きな桐箱が目に留まった。気になって封を解き、蓋(ふた)を開けると、中に納められて在った物は、新調の文官の束帯(そくたい)であった。姫は政隆の位官を知り、相応(ふさわ)しい物を用意してくれたのである。
これにて政隆は、装束(しょうぞく)で恥を掻(か)かずに登庁する事が出来る。政隆は姫が去った方を見詰め、その気配りに頭を下げた。
政隆が束帯(そくたい)を丁寧に箱へ仕舞い終えた時、人影が部屋の入口に現れた。政隆がそれに気付いて見遣(みや)ると、入口に立って居たのは主君公季であった。
「こ、これは。」
慌てて政隆が平伏すと、公季がゆっくりと入って来た。政隆は上座を空け、自身は下座へと退(しりぞ)く。
公季はどかりと腰を据(す)えると、低く抑えた声で話を始める。
「儂(わし)は此度、その方を大炊寮(おおいのりょう)の次官(すけ)に抜擢(ばってき)するべく動いた。その意味が解るか?」
「はっ。諸国米穀の収入を調べ、官軍が用意出来る兵糧、又、陸奥の収穫量も詳しく調査致す所存にござりまする。」
「うむ。加えて近隣諸国、特に常陸、下野、出羽等を調べ置く事も、役に立つであろう。」
「はっ。」
公季は、政隆が六位に昇進した事に満足せず、飽(あ)く迄(まで)、磐城奪還を志して居る様子に安堵した。
「井口某(なにがし)の取調べも進んで居る。来年辺りには早、磐城征伐の軍が発動されるやも知れぬ。その折は、其方(そち)を先鋒の将と致す故、万事抜かり無き様。」
「承知仕(つかまつ)りましてござりまする。」
政隆は嬉々とした顔で平伏した。愈々(いよいよ)、祖国奪還の時が近付いて来たのである。
話を済ませた公季が立ち去ろうとした時、思い出した様に政隆に尋ねた。
「その方、寮へ登庁する束帯(そくたい)を未だ持たぬであろう?」
政隆は公季の方へ体を向き変える。
「いえ、先程玉綾姫様より賜(たまわ)りましてござりまする。」
「何じゃと?」
公季の眉間(みけん)の皺(しわ)が、一瞬深く成った。しかし直ぐに穏やかな顔に戻り、政隆に尋ねる。
「姫が遣(つか)わした束帯は?」
「はっ、これに。」
政隆は直ちに桐箱を開け、公季の前に差し出した。公季は束帯(そくたい)を手に取って確認し、再び箱の中へ戻す。
「うむ。それで良い。そうか、姫が。」
公季は上の空の顔で、何かを呟(つぶや)きながら立ち去って行った。
政隆は平伏して、主君を見送る。玉綾姫より拝領した束帯が、公季にも認可された事で、懸案であった着衣の問題は解決した。政隆は肩の荷が一つ取れ、安堵の表情を呈して居た。
位官を与えられた政隆は、朝廷より俸禄が支給される事と成った。しかし、財政難の朝廷より支払われる禄は、寮の次官(すけ)にしては、思いの他では無かった。奴隷(どれい)の身を経験して居る故に、高額と思う事は難くはないが、磐城遠征の足しにするには、心許(こころもと)無い額である。
幸い、政隆には引き続き、閑院殿の一室を使用する許可が得られたので、新たに住まいを求めずに済む運びと成った。南部奥州十一郡を支配し、二万の兵を擁する村岡重頼相手に、政隆は少しでも多くの兵や、軍需物資を必要として居た。政隆は僅(わず)かでも無駄な出費を抑えるべく努め、その暮し振りは更(さら)に質素な物と成った。
大炊助(おおいのすけ)として大炊寮(おおいのりょう)の仕事を覚え、熟(こな)して行った政隆は、次第に神事、仏会(ぶつえ)に精通する様に成って行った。神仏は人々の信仰を集める。末法の世たる昨今に至っては、尚更(なおさら)その傾向は強まって居ると言える。
政隆は大軍を纏(まと)める上で、信仰は役に立つ物と考え始めた。そして神官、僧侶の所作を詳しく観察する日々が続いたのである。
その一方で当然、本年秋における各国の収穫量の調査を、厳密に行った。この時に、政隆は新たな問題に気が付いた。郡司の他に荘司の権限を持つ村岡重頼の元には、非公式な物を含めて、安定且(か)つ莫大(ばくだい)な収入が有るのに対し、朝廷に納められる税は、年々減少を続けて居る。これは全国に私領荘園が拡大した故である。凡(およ)そ八十年前、官軍は小野好古を総大将に瀬戸内へ大軍を派遣し、藤原純友を首領とする二万を数えた海賊団を殲滅(せんめつ)した。しかし有力貴族が己の富を増やす事のみに腐心する昨今、官軍のかつての精強さは、喪失されて居る様に思われた。
*
年が開け治安三年(1023)、都では新年祝賀の行事が執り行われ、大炊寮(おおいのりょう)は行事の下準備に大童(おおわらわ)であった。それでも大炊頭(おおいのかみ)の指揮の下に力を合わせ、何とか乗り切る事が出来た。
祝宴の後片付けが終った後、政隆は草臥(くたび)れて閑院殿へ戻った。そして休日を寝て過ごし、慣れぬ職務の疲れを癒(いや)すのであった。
宮内省主管で、華やかな新年行事が宮中で行われる一方、検非違使(けびいし)庁内の獄裡(ごくり)では、昨年投獄された井口小弥太の取調べが続けられて居た。この件は、太政大臣公季や右衛門督(うえもんのかみ)実成が強い関心を持って居る為に、獄吏(ごくり)達の取調べにも力が入る。井口は既(すで)に村岡家に対する忠誠心を失って居り、有る事無い事を語って居た。中には東国の安寧を脅(おびや)かす内容も含まれて居た為、検非違使(けびいし)庁は視察の必要有りと判断し、小隊を編成して、陸奥へ下向させた。
しかしこの小隊は、荘園の検注を狙(ねら)う国府役人と勘違いされ、奥州菊多郡に入った所で村岡軍の威嚇(いかく)を受け、何の成果も得られぬまま、已(や)むなく帰京してしまった。この事は、検非違使(けびいし)別当より太政官に報告される事と成った。
連日、陣座(じんのざ)に公卿が列席し、奥州の不穏な情勢を打開すべく、評議が続けられた。十年程前も、常陸国において平忠常が擾乱(じょうらん)を起した例が有る。あの時は、常陸介源頼信が平維幹(これもと)と連合し、五千の兵を以(もっ)て早々に降伏させるに至った。しかし此度、奥州南部を制圧した村岡重頼が如何程(いかほど)の兵力を有するのか、内裏において予測が立って居なかった。
そこで関白左大臣頼通は、兵部卿と大蔵卿を召し出し、村岡支配下十一郡の軍事力、及び官軍が奥州へ派遣出来る兵力を諮問(しもん)した。両卿は各省官吏の多くを動員して、過去の帳簿等から推し量った結果、村岡軍二万、官軍二千余と報告した。
これを受け、太政官の多くの公卿が、暗澹(あんたん)たる面持ちと成った。官軍が地方武士の十分の一しか集まらぬ事に、酷(ひど)く落胆した故である。その中で、関白頼通だけは平然としたままであった。藤原摂関家には、伊勢の平維衡(これひら)や河内の源頼信といった、精強で知られる武士団の棟梁が仕えて居り、又地方に官符を発すれば、万の軍勢を集める力を、未だ朝廷が備えて居ると信じる故である。
しかし、内大臣教通は両省の報告を受け、穏健策を採る事を勧めた。
「村岡某(なにがし)という者、この後朝廷に尽し、税を収める事を起請(きしょう)させ、書翰(しょかん)として提出させれば良いのでは。下手(へた)に事を荒立て、大戦(おおいくさ)を引き起す方が、天下の為に成らぬ物と存ずる。それに、法成寺(ほうじょうじ)に在って静養する父上の病(やまい)にも障(さわ)りましょう。」
藤原道長は隠居して無官の身と成れども、帝(みかど)の外祖父として、朝廷内に隠然たる力を持って居る。公卿の多くは道長の気分を害する事の無き様、教通の穏健策に賛同を示した。
関白頼道は、未だ三十過ぎの若さである。地方豪族の大規模な反乱等は経験した事が無く、騒ぐ程の事ではないと考えて居た。
「如何(いかが)かな実資(さねすけ)殿。余は内大臣の案で良いと思うのだが?」
下に座す右大臣実資は、飄々(ひょうひょう)とした様子で答える。
「まあ、宜しいのでは。」
頼通は頷(うなず)き、続いて隣に座す公季に確認する。
「大叔父上、斯様(かよう)な結論と成り申した。」
太政大臣公季は正面を向いたまま、無表情に答える。
「儂(わし)からも一つ、報告がござる。」
そして遠方に控える実成を見遣(みや)り、声を上げる。
「右衛門督(うえもんのかみ)。その方が入手せし事を、この場において御報告して差し上げよ。」
「はっ。」
意外な運びに、公卿達の視線は実成へと注がれる。実成は中央に歩み出て着座すると、上座の太政大臣、左大臣に向かい礼を執った。
「されば申し上げまする。村岡重頼は政(まつりごと)が乱れ、支配下の豪族が既(すで)に反旗を翻(ひるがえ)し始めてござりまする。此(こ)は村岡に長年仕えし井口なる者の言にて、今は検非違使(けびいし)庁の獄舎に幽閉してござりまする。譜代の臣までが逃亡して来る事を見ても、村岡重頼には十一郡を束(たば)ねる力は、最早無い物と存じまする。」
実成の報告に公季は真顔で頷(うなず)き、公卿達に伝える。
「今、右兵衛督(うえもんのかみ)が申した事が真(まこと)なれば、奥州十一郡をこのまま放置するは、それこそ天下を揺るがす大乱の火種と成るであろう。余は直ちに征討軍を編成し、奥州に朝廷の武威を示す事こそ、海内安寧の上策と心得る。」
仗議(じょうぎ)の主導権を握られた頼通は、面白くない顔で公季に尋ねる。
「大叔父上、官軍は二千程しか兵を用意出来ませぬ。一体如何(いか)なる名将を以(もっ)て、事に当たる御所存か。」
「されば、かつて西海の藤原純友を追討した折の如く、東山東海両道凶賊追捕使を編成致しまする。長官(かみ)を右衛門督(うえもんのかみ)に兼帯させる旨を御了承戴き、次官(すけ)以下の人事を全て一任下されるのであらば、当家が責任を以(もっ)て平定致しまする。」
「ほう。」
頼通の表情が俄(にわか)に晴れた。公季の提唱する遠征が失敗に終われば、目の上の瘤(こぶ)である太政大臣の座より、公季を追い落す口実が出来る。又、仮に成功したにせよ、難問を解決してくれれば有難い。但しそれでは、真の一の人の座を、公季に持って行かれる心配が残る。頼通の眉間(みけん)の皺(しわ)は、再び深く成った。
頼通が黙考して居る脇で、右大臣実資(さねすけ)が口を開いた。
「閑院家は左大臣殿よりも、奥州の事情に通じて居られる御様子。御任せして見るが宜しいかと。」
内大臣教通も、静かに頷(うなず)いて居る。それを見て、大納言、中納言、参議の辺りから、異議無しの声が聞こえ始めた。
既(すで)に仗議(じょうぎ)の場は、太政大臣公季に賛同する空気が色濃く成って居た。頼通は下手(へた)に逆行する事の不利を悟り、公季に本件を任せる旨の可否(かひ)を問う事とした。
結果、公季の思惑通りに議決する運びと成った。右衛門督(うえもんのかみ)実成を東山東海両道凶賊追捕使に任じ、加えて次官(すけ)、判官(ほうがん)、主典(さかん)の任命権を与える事とした。村岡重頼が支配する奥州の地は東山道に属するが、遠征を成す上で拠点と成るのは、その手前の坂東である。坂東は多くが東海道に属し、重頼の血縁である勢力が割拠して居る。故に追捕使には、奥州、坂東両方面において、軍権が付与される事と成った。
仗議(じょうぎ)を終えた後、実成は直ちに兵部卿に掛け合い、畿内、東山道、東海道において募兵を行う事とした。しかし、大蔵省からは財政上の都合に因(よ)り、畿内、東海の兵二千に抑える様通達が成された。実成は渋々、これを承諾する他は無かった。
実成は右衛門府を佐(すけ)に任せ、自身は兵部省、大蔵省を行き来する事頻繁(ひんぱん)と成った。方々に手を尽して回り、加えて太政大臣公季の助け船も有り、漸(ようよ)う三千の兵を整えて貰(もら)える運びと成った。実成はこれが限度であると判断し、もう一つの大事に着手する事にした。