第十八節 和江延命寺

 その頃、忘路(わすれじ)の名と由良を捨てて逃げた医王丸は、和江まで来た所で、大川庄の兵が出動して来たのを認め、川の辺の草叢(くさむら)に潜(ひそ)んで居た。先刻、和江谷川を渡ろうとした時、追手に見付かった様に思えたのだが、その後、辺りから急に兵の姿が消えた為に、事無きを得たのである。

 そろそろ陽が傾いて来た。夜陰(やいん)に乗じて大川庄を抜け様と考えたが、由良川に沿う道は人の目に付き易い。又、罠(わな)が仕掛けられて居たら、一巻の終りである。

 医王丸は由良川の道を諦(あきら)め、和江谷川に沿って、西の谷間に入って行った。もしかしたら、この小道から山陰道へ出られるのでは、と考えての行動である。

 暫(しばら)く川伝いに上流を目指した所、夕陽が左手に見える事に気付いた。これは北へ向かって居るなと感付いた時、前方に寺が見えて来た。この様な山間(やまあい)にしては、格式高い寺院に見受けられる。山門は古びて居ると雖(いえど)も、荘厳な造りであり、寺域も広大である。山門の前には、延命寺と刻まれた石碑が在った。

 医王丸は山門の前に腰を下ろした物の、急な疲れに襲われ、再び立つ事が出来なく成ってしまった。思えば、午前は柴刈りに追われ、午後は頓(ひたすら)、由良ヶ岳の道無き道を走って来たのである。

 虚(うつ)ろな目をしながら、医王丸は姉より託された襤褸(ぼろ)布の包みを解き、中から厨子(ずし)を取り出した。そして扉を開けて、中に納めて在る地蔵菩薩を眺めた。
「姉上、母上。」
医王丸が呟(つぶや)いた直後、背後から男の声がした。
「ほう、これは見事な。」
医王丸は心の臓が止まる程に驚いた。慌てて厨子の扉を閉めると同時に振り返ると、山門の前に一人の僧が立って居る。

 その初老と思しき僧は、柔和(にゅうわ)な眼指を医王丸に向けて告げる。
「今、近隣三庄では脱走した者を捕えるべく。多くの兵が動いて居りまする。貴方も、変な疑いを掛けられぬ様、呉々(くれぐれ)も注意なされよ。」
医王丸は力無く頷(うなず)くも、山門より動く気配が無い。
「如何(いかが)なされた?」
僧の問いに、医王丸はか細い声で答える。
「実は私は、由良庄より脱けて来た奴(ぬ)にござりまする。しかし一日山に在って、もう動く事も出来ませぬ。このまま追手に見付かっては、御寺にも迷惑が及びましょう。我が身を何処(どこ)ぞの草叢(くさむら)にでも、投げ捨てて置いては戴けませぬか。」
草臥(くたび)れ果てた医王丸の姿をよく見ると、藪(やぶ)の中を走って来たのか、皮膚(ひふ)や衣服の彼方此方(あちこち)が破れて居る。僧は少年の姿が痛ましく感じられた。

 初老の僧は医王丸に肩を貸し、何とか立ち上がらせる事が出来た。そして向かった先は、寺院の中であった。僧は小僧に山門を閉める様に命じ、本堂の中へと入って行く。
「御坊、私を匿(かくま)っては、後々如何(いか)なる災いが降り懸(かか)るか。」
医王丸の言葉に、僧は首を振って返す。
「貴方の持仏は、由緒有る物と御見受け致した。仏門に在る私が非人情をしては、貴方の守り本尊より必ずや咎(とが)を受けましょう。その方が恐ろしい事です。」
僧は笑顔で答え、医王丸を本堂の中へ入れた。

 一旦、医王丸の体は本尊の前に置かれた。そして僧は、寺院の中から大きな葛籠(つづらこ)を探して来て、本尊の後ろにゆっくりと下ろした。僧は再び医王丸に肩を貸し、葛籠(つづらこ)の前へ連れて行った。そして医王丸は、体を屈(かが)めて葛籠(つづらこ)の中に収まり、家宝を手元に置いた。
「ここなれば、庄の者の目も届きますまい。狭い所ですが、ゆっくりと休まれよ。」
「御坊、忝(かたじけの)うござりまする。」
僧は笑みを湛(たた)えて見せた後、上に蓋(ふた)を被(かぶ)せた。医王丸は暗くて狭い葛籠(つづらこ)の中で、家宝を抱えてじっとして居た。この感覚は、かつて磐城の住吉御所を脱け出た時と、似た物である。医王丸は、最後に見た祖母の顔を思い出しながら、何時(いつ)しか深い眠りに就(つ)いて居た。

 その日和江の村人より、不審な少年が目撃されたとの報が、石浦に入った。これを受けて由良次郎は早速、石浦近辺に残る郎党を掻(か)き集める。そこへ丁度(ちょうど)、四郎率いる成合の兵が引き揚げて来た。次郎は四郎にも同行を求め、併せて百騎に及ぶ軍勢を引き連れ、和江へと向かった。

 とっぷりと日が暮れた和江の村を、百の松明(たいまつ)が耿々(こうこう)と照らして居る。由良と成合の兵は民家に押し入り、乱暴に人の隠れられそうな所を探して回る。甕(かめ)は割られ、床(ゆか)は破られ、民人(たみびと)は大いに難儀を蒙(こうむ)った。

 そうして居る内に、民人の一人が困り果てた挙句(あげく)、上流の延命寺山門に見慣れぬ若者の姿を見たと、兵に告げた。この報告を受けた次郎と四郎は、直ちに兵を纏(まと)め、和江谷川の更(さら)に上流を目指した。

 やがて延命寺の山門に到着した軍勢は、寺から脱け出る者が無き様、周囲を厳重に包囲した。そして、俄(にわか)に騒然と成り始めた院内に向かい、次郎が大声を発する。
「儂(わし)は三庄太夫が嫡男、由良次郎である。御尋ね致したき儀、これ有り。速やかに開門されたし!」
これを受けて、正門がゆっくりと開けられた。そして若い僧が、訝(いぶか)しむ顔で尋ねる。
「斯様(かよう)に大勢で、一体如何(いかが)されたのです?」
次郎は、僧の前に進み出て答える。
「当家の下人が一人、当山に逃げ込んだとの報せが有った。匿(かくま)い居るのであれば、さっさと引き渡すが良い。然(さ)もなくば、家捜(やさが)しを致すまで。」
「なれば、住持に相談して参りまする。少々御待ちを。」
「然様(さよう)に悠長な事は行(や)って居れぬ。」
次郎は刀を抜き、鋒(きっさき)を寺院に向けた。その合図を受けて、四郎を先頭に兵が寺域へと傾(なだ)れ込む。門を開けた若い僧は止め様とするも、突き飛ばされてしまった。

 濫入(らんにゅう)した兵は残る二門も開け、両翼を固めて居た兵達も寺に突入して来た。由良、成合の郎党は暴徒の如く、手当り次第塔中(たっちゅう)に押し入っては、屋内を荒らして回った。

 僧達はそれを目(ま)の当りにするも、百騎の兵を制止する事は能(あた)わず。只おろおろしながら、傍観する他は無かった。

 追手の捜索の手は遂(つい)に、医王丸が隠れる本堂にも及んだ。これを見て、医王丸を葛籠(つづらこ)に隠した初老の僧は一人、兵の前に立ち開(はだか)った。
「本尊様の御堂にございます。手荒な真似(まね)は御止め下され。」
初老の僧は、将と思(おぼ)しき四郎にしがみつき、必死に乱暴を止め様とした。
「ええい、煩(うるさ)い奴じゃ。」
四郎は逆上し、僧を蹴り飛ばした。それでも四郎の前を遮(さえぎ)ろうとするので、四郎の郎党は棒で老僧を滅多打ちにし、やがて老僧は動かなく成った。

 邪魔者が居なく成ったと、四郎の手下が本尊に近寄った時、本堂の入口から、天地を揺るがす様な声が響き渡った。
「喝!」
四郎も兵も驚き、動きを止めた。
「何者か?」
四郎の問いを受け、声の主たる別の老僧が本堂の中から姿を現し、鋭い目を向けながら答える。
「儂(わし)は当山の住職、観智と申す。御主(おぬし)等は?」
四郎が和尚の気迫に圧(お)され、たじろいで居る所へ、次郎の本隊が到着した。

 次郎は本堂で何やら悶着(もんちゃく)が起きて居るのを見て、四郎に向かい叫んだ。
「何をして居る。僧には構わず、捜索を続けよ!」
観智和尚は、ギロリと次郎を睨(にら)んで問う。
「御主等は何者か?」
次郎は和尚を睨(にら)み返して答える。
「儂(わし)は当庄の領家が嫡男ぞ。無礼であろう。」
「ほう。領家の御嫡男が、如何(いか)なる国賊を追って、当山に入られた?」
「何を?」
次郎が言葉に詰まった所で、和尚は粛然と告げる。
「当山はかつて、当国の国分寺であり、山門には勅額を掲(かか)げて居る。今し方報せを受けたが、金字経文の御宸翰(しんかん)を納めた、七重の塔が荒らされて居る由(よし)。勅願の当山に押し入る以上、当方はその次第を、国守や総本山の東大寺へ報告せねば成らぬ。事の次第に因(よ)っては、国守が検校(けんぎょう)不行き届きの厳罰を受ける事も有り得る。さあ、訳を御答えあれ。さもなくば、早々に兵を退去させよ。」
観智和尚の威に圧倒され、次郎は返す言葉が無かった。御宸翰(しんかん)を郎党が汚(けが)す事が有っては、一大事である。
「全軍、直ぐに寺の外に出よ!」
四郎が大声で叫び、兵の指揮を執る。次郎は歯噛(はが)みしながら、無言のまま山門へと引き返して行った。

 由良、成合の軍勢が皆寺域の外に出ると、山門はゆっくりと閉じられた。その際、若い僧が次郎に告げた。
「当山に人を留める時には、住持の許可が要りまする。住持が知らぬと仰(おお)せられる以上、御尋ねの者は当山に居りませぬ。」
そう言い残して、重い音を立てて門を施錠(せじょう)した。

 次郎と四郎の手勢は、寺の外には出た物の、包囲を解く訳には行かなかった。中に脱走した奴(ぬ)が匿(かくま)われて居る可能性が、未だ拭(ぬぐ)えぬ為である。しかし、勅願の寺院へ無理に踏み込むと、事は丹後国の大事に発展する。かと言って素直に兵を退(ひ)き、奴(ぬ)を逃してしまっては、今後奴婢(ぬひ)の侮(あなど)りを受け、脱走を企(くわだ)てる者が相次ぐ怖れが有った。

 兄弟が打つ手を見出せず、兵を門外に留め置いて居る所へ、微(かす)かな低い声が聞こえて来た。声の主は、塀(へい)の内に居る様である。
「私は、当山の鍾楼守(しゅろうもり)にございます。あれは午(うま)の下刻でありましたか、十三程の童子が和江谷川を、上流に向かって行くのを見掛けました。その先の山道を辿(たど)れば、大川庄の西へ出る事が出来まする。」
「そうか、その道が有ったわ。」
次郎は手をポンと叩くと、全軍に下知した。
「小僧の足じゃ。未だ領内に居るに違い無い。これより和江谷の上流に入り、山狩を行う。」
下知を受けて、兵は寺院の囲みを解き、隊列を整えた。その折、次郎は四郎に告げる。
「其方(そなた)は大川庄へ向かい、山から不審な者が下りて来ぬか、監視を強めよ。」
「承知。」
四郎は馬を返すと、僅(わず)かな従者を引き連れて、由良川の方へ戻って行った。

 一方、次郎はある程度隊列が纏(まと)まると、先頭に立って軍を進発させた。百騎の移動はけたたましい音を立て、次第にその音は遠ざかって行った。

 軍勢が去った後、境内から鍾楼守(しゅろうもり)の声が漏れた。
「やれやれ、やっと行きよったわい。」
延命寺は再び、静寂を取り戻した。

 寺院の中では僧達が、暴徒と化した兵が荒らした、後片付けに追われて居た。忙(せわ)しなく僧が行き交(か)う中、本堂では観智和尚が、乱暴を受けた老僧の手当を行うとして居た。しかし老僧は、痛む身体を押して畏(かしこ)まり、和尚に申し上げる。
「住持、申し訳有りませぬ。私が人を匿(かくま)ったばかりに、斯様(かよう)な惨事を招いてしまいました。」
和尚は穏やかな顔で、首を横に振る。
「其方(そなた)の所為(せい)ではない。由良の者は何(ど)の道当山へ押し入ったであろうし、儂(わし)も其方(そなた)の行いを黙認して居った。」
「何と、住持は御存知に在されましたか。」
「うむ。其方(そなた)が本堂へ担(かつ)ぎ込むのを見て居った。して、その男を何処(いずこ)に隠した?」
「本尊様の脇に置かれた、葛籠(つづらこ)の中にござりまする。」
和尚はすっと立ち上がると、静かに本尊の傍(そば)へと進み、直ぐに見慣れぬ葛籠(つづらこ)を認めた。そして蓋(ふた)を開けると、中では少年が体を屈(かが)め、地蔵菩薩を胸に抱いて居る。急に蓋(ふた)が開けられ、医王丸が酷(ひど)く驚いた顔をしたので、和尚は優しく告げる。
「儂(わし)は、当山の住持を務める観知と申す。由良の者は、一旦外へ追い払った。」
医王丸はその声を聞き、先程四郎や次郎を制止したのが、和尚である事を知った。そして葛籠(つづらこ)から出て、深く座礼を執る。

 頭を上げた時、ふと和尚の先に、己を匿(かくま)ってくれた老僧の姿が見えた。顔や手に酷(ひど)い痣(あざ)や出血が見られる。
「御坊。」
医王丸は立ち上がろうとしたが、直ぐにふらついて、膝(ひざ)を突いた。そして老僧に向かい、涙を浮かべて頭を下げる。
「御坊、私の為に、申し訳ござりませぬ。」
老僧は、苦笑しながら首を振る。
「いえ、然(さ)したる事は有りませぬ。」
しかし、和尚は早急なる手当が必要であると見て、近くの僧を掴(つか)まえ、別室へ移す様に命じた。
「この者は私に任せよ、其方(そなた)の善行、決して無駄にはせぬ。」
老僧は頷(うなず)くと、他の僧の肩を借り、本堂を後にした。

 老僧が去るのを見届けた後、和尚は改めて、医王丸の方へ向き直った。
「さて、御前様の事じゃが、由良を脱けて何処(いずこ)へ参ろうとしたのか?」
医王丸は人買いに攫(さら)われて後、頓(ひたすら)に己の素姓を隠し続けて来た。しかしこの和尚は、三庄太夫の手の者より庇(かば)ってくれた、恩人である。自然と、素直な答えが口から出た。
「近江の、三井寺へ参ろうと考えて居りました。」
和尚は意外な顔をして、言葉を接ぐ。
「ほう。何故(なにゆえ)三井寺に?」
「我が伯父了円が、僧都(そうず)職を務めて居ると聞きました。元々は伯父を頼るべく、旅をして来たのでござりまする。」
「成程のう。旅の途中で攫(さら)われ、ここへ売られて来たという訳か。」
「はい。」
和尚は頷(うなず)くと、辺りで片付けに追われて居る僧に目を移し、声を掛ける。
「曇妙(どんみょう)殿。」
「はい。」
直ぐに中老の僧が返事をした。
「済まぬが、所用を頼まれては貰(もら)えまいか?丹波の、穴太(あなお)寺までなのじゃが。」
「承知致しました。」
「贈物(おくりもの)が有る故、力自慢の僧四人を連れ、その葛籠(つづらこ)で持って行って貰(もら)いたい。後程四人を選び、葛籠(つづらこ)を持って儂(わし)の居間へ来てくれ。」
「はい。では四名を集めて参りまする。」
曇妙という僧が出て行くと同時に、和尚も医王丸を連れて、己の居間へと向かって行った。

 住持の間へと通された医王丸は、只黙ったまま、部屋の隅(すみ)に座って居た。その間和尚は、穴太寺の住持宛(あて)に書状を認(したた)めて居た。

 やがて和尚が筆を置いた頃、曇妙が四名の立派な体躯(たいく)をした僧を伴い、和尚の元を訪れた。和尚は五人に向かい、此度の用向きが大きな危険を伴う事を、判(ことわ)って置いた。
「実は用というのは、そこに居る童子を、丹波の穴太寺まで連れて行って貰(もら)いたいのじゃ。しかしこの者は、三庄太夫殿に追われる身。そして近郷には、童子を捕えんが為、多くの兵が繰(く)り出されて居る。故に童子を葛籠(つづらこ)に入れ、穴太寺へ仏像を送ると称して行くが良かろう。」
しかし、和尚の策に曇妙は異論を唱(とな)えた。
「畏(おそ)れながら、斯(か)かる追手の犇(ひしめ)く物々しい中を行くよりも、数日待ち、熱(ほとぼり)が冷めた頃に出立した方が、安全かと存じまするが。」
和尚は、ゆっくりと首を横に振る。
「もう一つ。和江の村人に、当山へ童子が逃げ込んだと、通報した者が居るそうな。故に、由良の者は捜索を断念する前に今一度、当山に押し寄せて参るであろう。童子を逃がして遣る機会は、今を措(お)いて他に無い。」
それを聞き、曇妙は納得した様子で頭を下げた。
「解りました。では直ぐに出立致しまする。」
護衛を務める四人の僧はこれを受け、医王丸に葛籠(つづらこ)へ入る様に促(うなが)した。

 医王丸は先ず観智和尚に一礼し、次いで曇妙に座礼を執った後、家宝を包んだ襤褸(ぼろ)を抱えて、再び葛籠(つづらこ)の中へと入った。そして曇妙は、医王丸に水筒(すいとう)と握り飯を渡して告げる。
「これより、三庄太夫殿の追手が犇(ひしめ)く中を通行する。狭い中で苦しいであろうが、辛抱されよ。」
「はい。宜しく御願い致しまする。」
医王丸の眼指(まなざし)を受け、曇妙は頷(うなず)き、静かに蓋(ふた)を閉めて封をした。

 そして四人の僧が担(かつ)ぎ上げ、和尚の間を出て行く。その時、医王丸の耳に、和尚が唱(とな)える念仏が聞こえた。医王丸は些(いささ)か心が安らぐのを覚え、我が身を五人の僧に託する覚悟を固めた。

 山門を開ける音が聞こえたのが最後、暗闇の中で、医王丸は今、何処(どこ)に居るのか分らない。唯(ただ)言える事は、追手と何時(いつ)遭遇するか分からぬ処を進んで居る、という事だけである。

 葛籠(つづらこ)を担(かつ)ぐ僧達の、話声が聞こえる。
「対岸の中山を出て、建部(たけべ)山を越えまするか?それとも普段と同じく、大川庄を抜けまするか?」
「意表を突いて、由良から国府を目指す道もござりまするが、多少遠回りには成ってしまうかと。」
「まあ、三庄の兵は夜の捜索の為、松明(たいまつ)を耿々(こうこう)と灯(とも)して居る。手薄と思(おぼ)しき道を進もう。」
そして五人の僧は、再び沈黙した。

 半時程過ぎた頃、葛籠(つづらこ)の外が急に明るく成った。。医王丸は緊張の余り、体が硬直する。外から、どすの利いた男の声が聞こえて来た。
「この様な夜更(よふ)けに、一体何処(いずこ)へ向かわれる?」
曇妙がさらりと答える。
「我等は和江延命寺の僧。住職観智の命を受け、上方の寺院へ仏像を奉納しに向かう所にござりまする。」
「むう、何故(なにゆえ)斯様(かよう)な時刻に発つ?」
「先方からは仏事の日取りまでに、急ぎ送られよと、矢の催促にて。」
「送り先は?」
「京洛にござりまする。」
曇妙が説明した後、再び葛籠(つづらこ)担ぎが動き出し、医王丸がほっと安堵の息を吐(つ)いたのも束(つか)の間、直ぐに制止を受けた。
「待たれよ。実は我等、庄を脱け出た童(わっぱ)の奴(ぬ)を捜して居る。済まぬが、葛籠(つづらこ)の中を一応改めさせて貰(もら)おう。」
医王丸は驚きの余り、喉(のど)まで出掛かった声を、必死に抑えた。一方で、曇妙は涼しい顔で答える。
「御随意に。されどこの仏像は、摂政家へ献上される物。松明(たいまつ)の火の粉が飛んだりしては一大事故、よくよく注意なされる様。」
「何と、摂政家へ?」
「はい。それ故急な出立と成るも、夜間とは申せ、細心の注意を払ってござりまする。万一傷を付けて送ってしまっては、後日如何(いか)なるきつい取調べが待って居るか、分かった物ではありませぬ故。」
兵は慌てた声で返す。
「下ろさずとも良い。当方には係り無き事故、さっさと通られよ。」
「然様(さよう)にござりまするか。では。」
医王丸を乗せた葛籠(つづらこ)は、再び進み始めた。松明(たいまつ)の明かりが、次第に遠ざかって行く。医王丸は漸(ようや)く体中の力が抜け、長い息を吐(つ)いた。

 その後は、昼間の疲れと葛籠(つづらこ)の揺れの心地好さが相俟(ま)って、微睡(まどろみ)の中へと入って行った。

 あれから何(どれ)程の時が過ぎたのか、葛籠(つづらこ)の外は疾(と)うに陽が昇って居た。揺れを感じるので、今の所は無事に進んで居る様である。又、ガラガラと車輪の音が聞こえるので、如何(どう)やら荷車に乗って居る様であった。
(もしかしたら、既(すで)に山陰道へ出て居るのやも。)
医王丸は急に安心し、気楽に成って、暗闇の旅を楽しんだ。

 再び陽が暮れ掛かって来た時、荷車が急に右へ折れた気がした。それから暫(しばら)くして、荷車はピタリと止まった。そして、曇妙の声が聞こえる。
「我等、丹後国加佐郡和江の延命寺住職、観智の使いで参りました。当山御住職への御取次を、御願い申し上げまする。」
直ぐに僧が案内に出た様で、荷車は再びガラガラと、音を立てて進み始める。そして、門を閉める時の軋(きし)んだ音が響いた。

 程無く、葛籠(つづらこ)は担(かつ)いで運ばれた。廊下を渡る足音が暫(しば)し聞こえた後、葛籠(つづらこ)は下ろされ、漸(ようや)く封が解かれた。

 曇妙が蓋(ふた)を開けた時、意外にも辺りは暗かった。医王丸がゆっくりと起き上がって周囲を見渡すと、その部屋は木戸が閉められ、明かりが一つ灯(とも)って居るだけである。そして医王丸を運んで来た僧達が、整然と座って居る。
「ここは?」
呆然(ぼうぜん)とした顔で尋ねる医王丸に、曇妙が静かに答える。
「丹波国、穴太(あなお)寺です。間も無く住持様が御越しに成られまする故、脇に御控え下され。」
医王丸が言われるままに、曇妙の隣に座すと、残る四人の僧はさっと、葛籠(つづらこ)を部屋の隅(すみ)に整えた。

 静かに待つ事暫(しば)し、廊下を渡って来る足音が聞こえてくる。そして、簾(すだれ)を避けて入って来たのは、二人の僧を従えた、住持と思(おぼ)しき老僧であった。

 曇妙等五人が一斉に頭を下げるので、医王丸も倣(なら)って平伏した。老僧と、供の初老の僧は、静かに前へと進み、腰を下ろす。そして答礼として、ゆっくりと頭を下げた。

 老僧は延命寺から来た六名を見渡した後、粛然とした声で話し始めた。
「観智和尚からの書状は、拝読致しました。その童子を、三井寺へ案内して欲しいとの申し出にござりますな。」
住持の目が、医王丸に向けられた。曇妙は畏(かしこ)まって答える。
「仰せの通り、この者が申すには、三井寺の了円僧都(そうず)が甥(おい)に当たるとか。」
「解りました。当山の僧に案内させましょう。」
「それともう一つ、御伝えすべき事が。」
曇妙の顔が、俄(にわか)に険しく成った。
「如何(どう)やら、由良より付けられて参った様にござりまする。理の通じ難き者達なれば、この先御迷惑を御懸けするやも知れませぬ。」
「ほう。斯様(かよう)に遠くまで、遥々(はるばる)参られたか。しかし、余程の手練(てだれ)か人数を擁しなければ、後ろの四人には歯が立つまいのう。」
それを聞いて、四人の内の一人が、はっとした顔で口を開いた。
「畏(おそ)れ乍ら昨日、由良に赴いて居た右大臣家の一行が、帰京された由(よし)。もし由良の兵が護衛を買って出たならば、丹後に兵を進めて居るやも知れませぬ。」
隣の僧も、相槌(あいづち)を打って言葉を接ぐ。
「確かに。我等は裏道より先を越して参りましたが、そろそろ右大臣家一行は、近くまで来て居るやも知れませぬ。」
その時若い僧が一人、慌てて駆け込んで来た。
「住持様、大変でござりまする。丹後国由良の三庄太夫と申す者の兵が二十騎ばかり、山門に押し掛けてござりまする。」
「何と。」
驚く住持の前に、曇妙が進み出る。
「私に一計がござりまする。仏像を一体御借り戴き、裏門へ案内して下さりませ。兵を引き付けて見せまする。」
「解りました。」
住持の言葉を受けて即座に、住持の供の一人と、延命寺の僧五人が立ち上がった。そして葛籠(つづらこ)を担(かつ)ぎ、足早に去って行った。

 推測通り、延命寺の僧を付けて来た由良の郎党が、右大臣家の護衛を仰せ付かって直ぐ近くまで来て居た味方へ通報し、その小隊が穴太寺まで駆け付けて来たのであった。故に、確たる証(あかし)が有るかの如く、執拗(しつよう)である。強く開門を求める由良の兵に対し、穴太寺は固く山門を閉ざし、兵の濫入(らんにゅう)を防いで居た。

 やがて痺(しび)れを切らした兵の中には、門を打ち破って突入しようと言い出す者が現れ始めた。辺りは夕闇が覆(おお)い始める。将が愈々(いよいよ)突入を考え始めた時、兵の一人が叫んだ。
「裏から脱け出る者が居るぞ!」
その指差す先を見ると、松明(たいまつ)の明かりが西方の犬飼川に沿って、南へ走り去って行く。
「追え!」
将が号令を下すと同時に、二十騎は一斉に、松明(たいまつ)を追って走り始めた。

 松明(たいまつ)も必死に成って走って居たが、如何(いかん)せん重い葛籠(つづらこ)を担(かつ)いで居る為、徐々に両者の距離は狭(せば)まって来る。そして遂(つい)に、追い付かれてしまった。
「止まれ、止まれ!」
将の大声が響き渡った時には、五人の僧は由良勢の包囲に落ちて居た。五人は直ぐに、神妙に立ち止まった。

 曇妙が訝(いぶか)し気に尋ねる。
「我等は旅の僧。此(こ)は一体何事にござりまする?」
由良の兵が一斉に、僧達に槍を向ける中、将が一歩進み出て答える。
「当家の下人を、延命寺が逃がしたとの報せを受けた。その葛籠(つづらこ)の中が怪しい故、改めさせて貰(もら)おう。」
「此(こ)は、摂政家への献上の品にござりまするぞ。」
その言葉に兵がたじろいだのを見て、将は鼓舞(こぶ)すべく言い放つ。
「先程寺院より逃げ去りしは、後ろめたさが有る証(あかし)なり。構わぬ。葛籠(つづらこ)の中を改めよ。」
兵は下知を受け、じりじりと包囲を狭(せば)める。

 遂に曇妙は観念した様子で、他の四人に葛籠(つづらこ)を下ろす様に告げた。四人はそっと草地の上に葛籠を置き、封を解いて蓋(ふた)を開けた。

 兵が僧を押し退(の)けて中を覗(のぞ)くと、何か大きな物が布に包まれて居る。兵の一人が布を捲(めく)ると、中には二尺余の仏像が包まれて居た。狼狽(ろうばい)する将に曇妙は歩み寄り、そっと囁(ささや)く。
「軍勢が追跡して来れば、賊の濫妨(らんぼう)を考え、逃げも致しまする。さて、斯(か)かる不祥事、先方へは何と申し上げた物か?」
将は脂汗を流しながら振り返り、号令を下す。
「下人は未だ穴太寺の中に居るやも知れぬ。取って返せ!」
兵は直ちに応じ、二十騎総勢は瞬(またた)く間に、寺院へと引き返して行った。

 由良の兵が穴太寺を目掛けて駆けて居る時、二人の人影が曽我谷川伝いに、山陰道へ向かって歩いて行くのが見えた。もしかしたら、脱け出た下人やも知れぬと思い、一隊は人影を追った。
「そこの者、待たれい!」
将の呼掛けに、二人は歩みを止めて振り向いた。直ぐに二十騎の松明(たいまつ)が、二人を鮮明に照らし出す。よく見れば一人は初老、もう一人は少年で、共に僧形(そうぎょう)をして居る。

 初老の僧が、些(いささ)か驚いた面持ちで問う。
「我等は穴太寺に用を済ませ、引き返す所。先程から軍勢が辺りを行き来して居りまするが、何か一大事が出来(しゅったい)したのでござりましょうや?」
兵達は少年の僧を見たが、誰も医王丸の顔を知らない。僧の形(なり)をして居る所を見ると、怖らくは別人であろうと思われた。既(すで)に、延命寺と穴太寺に迷惑を掛けて居る上に、別の寺院まで捲(ま)き込んでは面当だと考え、将は再び、穴太寺へと進路を変えた。

 二人の僧は軍勢が去って行くのを見て安堵し、再び山陰道へ向けて、夜道を歩いて行った。

 やがて山陰道に至ると、初老の僧が小僧に話し掛けた。
「得度(とくど)なされた気分は如何(いかが)かな?」
「はあ、何の覚悟も固めぬ上の事故、何やら不思議な気持が致しまする。」
「ふむ。されどその形(なり)では、流石(さすが)に誰もが別人と見紛(みまご)うであろうのう。」
「先程は、心の臓が押し潰(つぶ)される思いにござりました。」
二人の僧は、穴太寺の僧と医王丸であった。曇妙等が退出した後、医王丸は住持の勧めで直ちに剃髪(ていはつ)し、法衣(ほうえ)を戴いた。そして追手が曇妙の方へ向かった隙(すき)に、正門より出て来たのである。

 初春の夜は、未だ冷え込みが厳しい。律令小路に指定された街道とはいえ、土は次第に凍(こお)り始め、歩くのが困難な所も在る。だが歩き続ける内に、体は暖まった。

 しかし医王丸には、後ろ髪引かれる思いが有った。己に係った為に、由良の兵が穴太寺を荒らす事をするのでは、という心配であった。それを見透(みす)かす様に、前を歩く僧が告げる。
「穴太寺は、丹後の一豪族の尖兵(せんぺい)如きに如何(どう)(こ)うされる程、落魄(おちぶ)れた寺ではござらぬ。貴方が境域に居らぬ以上、何の心配も要りますまい。それよりも、右大臣家の一行に追い付かれる方が、更(さら)に面倒やも知れませぬ。後三里も歩けば、平安の都が見えて来る事でしょう。今暫(しば)し、気張られよ。」
「平安の都。」
思えば、医王丸に取っては初の上洛である。夜道、医王丸は噂(うわさ)に聞く、華やかな風景を思い描いて居た。

 老ノ坂峠を越え、中山に下りて来ると、愈々(いよいよ)京の都に近付いた故か、民家が多く成って来る。桂川を渡ると、間も無く平安京の城壁に至る。しかし王城の西の外壁は、長年補修が施された様子も無く、無残にも朽ち果てて居た。大きく開いた穴を潜(くぐ)って中へ入ると、眼前に最初に映(うつ)った物は、荒屋(あばらや)の立ち並ぶ、殺伐とした風景であった。
「これが京の都。」
医王丸は廃墟(はいきょ)を目(ま)の当りにして、思わず呟(つぶや)いた。
「この辺りは庶人の住む右京。直ぐそこに、八条大路がござる。参りまするぞ。」
案内を務めてくれる僧は、京の地理に明るいらしく、迷いも無く進んで行く。医王丸も遅れじと、早足に老僧を追った。

 闇夜の右京の街は不気味であり、荒屋(あばらや)の中から何時(いつ)、物の怪(け)が出て来てもおかしくない雰囲気である。

 老僧は、大路の脇に建つ荒屋(あばらや)の一つの前で歩みを止め、中の様子を窺(うかが)った。
「さて、居られるかのう。」
そう呟(つぶや)きながら、静かに入口の前に立つ。
「御坊、おわされるか?」
老僧の呼掛けにも、中からは反応が無い。
「おかしいのう。入りまするぞ。」
老僧が荒屋(あばらや)の中へ入って行くので、医王丸もそれに続く。

 夜道を歩いて来た為、暗闇に直ぐ目が慣れた。荒屋(あばらや)の中はがらりとして居て、人の気配は無い。
「儂(わし)の旧知が塒(ねぐら)にして居ったのじゃが、布教の旅にでも出られたかな。」
そう言って老僧は、埃(ほこり)っぽい家屋の中にごろりと横たわった。
「ふう、強行軍は老体に応えるわい。御主も遠慮せずに、横になるが良い。旅は明日も続く故な。ああ、そこの筵(むしろ)を取ってくれぬか。木床(きどこ)は冷えるでのう。」
「はあ。」
医王丸は傍らに置かれた筵(むしろ)を取り、一つを老僧に渡し、もう一つは自身が包(くる)まって、横に成った。

 京も初春とはいえ、夜間は冷え込みが厳しい。医王丸は寒さに震えた。

 ふと、老僧が医王丸に語り掛けた。
「右京に入ってしまえば、丹後からの追手も捜(さが)し様が有るまい。御主は明日、三井寺を訪れれば、道が開けるのであろう。最後の辛抱と思(おぼ)されよ。」
「はい。」
医王丸が返事をして程無く、老僧は早くも鼾(いびき)を掻(か)き始めて居た。医王丸は丸めたばかりの頭が寒く、布を被(かぶ)って、その夜を凌(しの)いだ。

 翌朝は薄暗い内に老僧に起され、未だ疲れの取れ切って居ない体を無理に起し、荷を纏(まと)めて荒屋(あばらや)を後にした。

 既(すで)に右京の街も、彼方此方(あちこち)で炊事の煙が上がって居る。それを横目に、老僧は晴れ晴れとした顔である。
「昨夜は火付け盗賊が出ず、平穏であった。御主は運が良いのう。」
医王丸は俄(にわか)に、驚愕(きょうがく)の相を呈した。
「天子様のおわす京の都に、賊等が居るのですか?」
老僧は「カカカ」と笑う。
「周りを見よ。この廃(すた)れた庶人の街には、在世の希望を見失う者が多々居る。中には当然、当代の政(まつりごと)への反発から、盗賊に身を落す者が出て来る。我ら仏僧は、彼等の心を救済し、世を不穏に陥(おとしい)れる種を取り除(のぞ)くのが務めじゃ。御主も得度(とくど)した以上は、三井寺で確(しか)と修行し、多くの民衆を救うべく努められるが善(よ)い。」
「はあ。」
何気無く返事をした医王丸は、やがて目の前に、都の正門たる羅城門が見えて来た事に気付いた。

 かつて四代の祖将門は、時の左大臣藤原忠平に仕え、瀧口の衛士(えじ)と成った。曾祖父忠政は参議藤原忠文に仕え、祖父政氏はこの京の地で検非違使(けびいし)に逮捕され、筑前へ配流に成ったと聞く。

 己の祖先も又、同じ道を辿(たど)って居たのであろうかと感慨に耽(ふけ)りながら、医王丸は羅城門に差し掛かった。しかし王城の正門は、期待とは大きく懸け離れた物であった。久しく補修もされずに荒れ果て、無宿の民の塒(ねぐら)と成って居た。中には、生きて居るのか死んで居るのか、判(わか)らぬ者も在る。医王丸は笠を深く被(かぶ)り、未明の京を後にした。

 その後、穴太寺の僧と医王丸は、東海道を一路東へと向かった。鴨川を渡り、山科川を渡ると、やがて山城、近江両国の境に至る。律令中路の東海道も、ここより暫(しば)し山道と成る。大谷、逢坂(おうさか)と越えた後、次第に視界が開け、巨大な内海が姿を見せ始める。

 医王丸は呆然(ぼうぜん)としながら、穴太の僧に尋ねる。
「御坊、あの海は?」
「ああ、あれは琵琶湖と申す。近江国の中央に在る、海内でも随一の大きさと言われる湖じゃ。国名の由来が良く解るであろう。」
「はい。」
医王丸は唯(ただ)、巨大な湖を擁する壮観に心を奪われながら、坂を下って行った。

 近江国(おうみのくに)は首都を戴く山城国の東隣に在り、琵琶湖の南端、勢多(せた)を国府とする。国府の西方には、湖から溢(あふ)れ出た水が勢多川と成り南へ流れ、山城国に入った所で宇治川と名称が変わる。

 天智朝の二年(663)、百済(くだら)王子豊璋を救援すべく、倭(やまと)は水軍を派遣するも、新羅(しらぎ)に与(くみ)する唐の水軍に大敗した。既(すで)に国王不在と成って居た百済は、これに因(よ)って完全に新羅に平定される事と成った。所謂(いわゆる)白村江の戦である。時の帝(みかど)は、唐、新羅の連合軍が、余勢を駆って攻め来る事を危惧(きぐ)し、琵琶湖の西畔に大津宮(おおつのみや)を建造した。天智朝の六年(667)に遷都し、次代の天武天皇が即位するまでの六年間、大津は倭(やまと)の首都であった。

 その後、大津は水運の街として発展を続けた。越前国角賀(つぬが)の湊(みなと)から愛発関(あらちのせき)を越えて近江に入り、琵琶湖の北端塩津より水運を以(もっ)て大津へ運び、後は陸路京へ送るという物流路が確立された。又、若狭国小浜からも街道が琵琶湖北西の勝野津へ延びる為、大津は越前、若狭の二路を経て、北方の海へ通じて居ると言える。故に羽州から山陰に至る北方諸国が、京へ物資を送る際、大津は輸送路の要と成る位置に在った。

 賑(にぎ)わいを見せる大津の街を北へ進むと、やがて西方の高台に、荘厳な寺院が見え始めた。
「あれが三井寺じゃ。園城寺とも称すがのう。」
老僧の言葉を聞き、医王丸は唾(つば)を呑み込んだ。愈々(いよいよ)、磐城家再興の第一歩を踏み出す時が来るのである。医王丸は、背に負った荷に包んで在る、家宝の地蔵菩薩に祈る気持で、胸の高鳴りを抑えようと努めた。

 清和天皇の即位が有った天安二年(858)、比叡山延暦寺の真言学頭円珍(えんちん)が、大唐帝国の都長安に在る青龍寺での修業を終え、五年振りの帰国を果たした。翌貞観元年(859)、請来(しょうらい)した経典等を宮中へ献上した後、帰国の途上で、海上に出現した新羅(しんら)明神の導きを得て、円珍は大津に唐坊を造ったという。貞観八年(866)、三井寺は延暦寺の別院と成り、円珍は別当職に就(つ)いた。二年後には天台五世座主に任ぜられ、その後二十四年に渡り、天台密教の繁栄に寄与し、宮中においては真言宗を凌(しの)ぐ勢力を築き上げた。

 又、天台宗からは源信(げんしん)という僧も輩出した。花山天皇の永観二年(984)に執筆を開始し、半年を経て翌寛和元年(985)、「往生(おうじょう)要集」三巻を書き上げた。これは多数の仏典より極楽往生の手引を示す物であり、末法の世に脅(おび)える貴族達に、忽(たちま)ち受け容(い)れられた。浄土信仰の流行を促(うなが)し、倭(やまと)独自の来迎(らいごう)図や六道(りくどう)絵を生む切っ掛けと成る。その源信は、医王丸が三庄太夫の元に売られた寛仁元年(1017)、念仏結社の民人(たみびと)達に見守られ、七十六歳の往生を遂げて居た。

 三井寺中院の大門は、別称仁王門ともいう。穴太寺の老僧は門前に立ち、医王丸に告げる。
「ここが三井寺の正門じゃ。其方(そなた)の運も、この地において開ける事を願って居る。」
「御坊、丹波より態々(わざわざ)の道案内、並びに由良の追手に因(よ)り御迷惑を御掛けしたる段、誠に以(もっ)て、申し上ぐべき言葉も見当たりませぬ。」
粛々と頭(こうべ)を垂れる医王丸に、老僧は快闊(かいかつ)に笑いながら、その肩を叩く。
「何の何の、京の直ぐ西から、直ぐ東へ出て参っただけの事。礼には及ばぬ。儂(わし)はこれより京へ立ち戻り、旧知を訪ねに参る。小僧、元気でのう。」
「御坊も、御達者で。住持様に、宜しく御伝え下さりまする様。」
「うむ。」
老僧は確(しか)と頷(うなず)くと、独り三井寺を下りて行った。

 医王丸は穴太寺の僧を見送った後、振り返って仁王門を叩いた。
「御免(ごめん)。私は陸奥国より参りし、千勝(ちかつ)と申しまする。」
間も無く、若い僧が門を開け、外の様子を窺(うかが)った。そして医王丸の姿を認め、訝(いぶか)しんで居る面持ちである。
「貴方は僧形(そうぎょう)をなさって居るのに、何故(なにゆえ)俗名(ぞくみょう)を名乗られる?」
「実を申せば、奥州にて出来(しゅったい)した一大事を、朝廷へ報告すべく上洛したのでござりまするが、止事(やんごと)無き御方への御取り成しを頼むべく、我が伯父を頼って来たのでござりまする。俗名を伝えて戴ければ、伯父は直ぐに判(わか)る物と存じまする故。」
「貴方の伯父上とは?」
「了円と申しまする。僧都(そうず)職に在ると聞き及んで居りまするが。」
「確かに、当山の僧都におわしまする。では、貴方が僧都の甥(おい)である事を証明する物は、持参して居られましょうか?」
「されば、これを御覧戴ければ。当家の家宝にござりまする。」
そう言って医王丸は、背に負った荷の中より、襤褸(ぼろ)布に包まれた厨子(ずし)を取り出し、布を外して僧へ渡した。

 扉を開け、中を見遣(みや)れば、確かに荘厳なる地蔵菩薩像が納められて居る。先方が言う通り、了円僧都(そうず)が見えれば、何か判(わか)るやも知れぬと思われた。しかし僧は、気の毒そうな眼指(まなざし)を向けて答える。
「遠路遥々(はるばる)御越しになられた貴僧には、真に申し上げ難き事ですが、僧都(そうず)は今、勧進(かんじん)の為に坂東へ下向なされておわしまする。」
医王丸の表情が、俄(にわか)に翳(かげ)った。
「何と、何時(いつ)御戻りになられるかは、御存知ありませぬか?」
僧は首を横に振る。
「何しろ遠国(おんごく)での布教。一月(ひとつき)や二月(ふたつき)で御戻りになられるとも思われませぬ。」
医王丸は呆然(ぼうぜん)としたまま厨子を受け取った物の、暫(しば)しその場に立ち尽す他は無かった。

 三井寺の僧も同情を覚えて居る様であるが、して上げられる事は無い。
「では、私は作務(さむ)が有りますので。」
そう告げて医王丸に一礼すると、僧は再び門を閉ざした。

 ここに、医王丸が三井寺の協力を得て、祖父政氏の赦免を実現し、政氏を総大将に村岡重頼を討伐するという構想は崩れた。医王丸は尚も放心した様子で、家宝を荷に仕舞い終えると、とぼとぼと三井寺を下りて行った。

 眼下に広がる広大な湖は、曇天(どんてん)の為に灰色を呈して居る。初春と雖(いえど)も、この日の風は依然冷たく、医王丸は法衣(ほうえ)に顔を埋(うず)めながら、大津の湊(みなと)町へと下りて行った。

 医王丸の心から、導(しるべ)が完全に失われてしまったのである。

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