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第十七節 姉弟の絆(きずな)
丹後国由良庄、由良浜の近くに在るに如意寺の本堂にて、一人の娘が静かに座して、合掌をして居る。その正面には本尊様がおわし、手前には一尺程の、小さな地蔵菩薩が置かれて在る。
寛仁四年(1020)の正月を迎え、暦(こよみ)の上では初春と成ったが、未だ未だ厳しい寒さが残って居た。娘は冷たい木の床の上に跣(はだし)で座して居るが、恰(あたか)も寒さを感じて居らぬが如き平静さである。歳の頃は十六。襤褸(ぼろ)を纏(まと)っては居るが、何処(どこ)か気品の有る相をして居る。
そこへ和尚が姿を現し、和(にこ)やかに声を掛ける。
「篠(しの)さん。御館への返書を認(したた)めましたぞ。」
娘はゆっくりと和尚の方へ向き直り、座礼を執る。
「和尚様、この度も本堂へ上がらせて戴き、誠に有難く存じまする。」
「いやいや、篠さん程に信心の篤(あつ)き方は珍しゅうございます。御仏に救済を求める者を御扶(たす)け致すが我が使命なれば、住持として当然の事。」
そう告げながら、和尚は篠という娘に書翰(しょかん)を納めた木箱を手渡した。篠は恭(うやうや)しくそれを受け取ると、和尚に辞儀をして、本堂を後にした。
如意寺を下りた篠は、暫(しば)し由良浜の北に広がる若狭湾を眺めながら、東へ向かって歩いて行く。北の海には未だ冬の気配が残り、厚い雲が海の色を灰色に染めて居た。
やがて由良川河口に至ると、篠は川の西岸に沿って、南へと進路を変える。この時篠はふと、三年前に初めてこの地へ来た時の事を思い出した。あの時、共に売られて来た弟とは離れ離れに成り、久しく会って居ない。唯(ただ)、無事に石浦で生き延びて居る事を願うばかりであった。
篠はこの三年間、石浦館に住む豪族三庄太夫の婢(ひ)として、真面目(まじめ)に汐汲(しおくみ)と糸紡(つむ)ぎの作業を熟(こな)して来た。又、言葉遣(づか)いや礼法も、石浦の館の者より秀(ひい)でて居たので、時折如意寺への使いを命じられる様に成ったのである。
それは、篠に取ってはこの上無い幸いであった。如意寺の本堂には、篠が由良へ来たばかりの時和尚に預けた、父祖伝来の地蔵菩薩が安置されて居る。それを拝む度に、生き別れた母や、故国磐城で平和に暮らして居た頃を思い出し、心が安らぐのであった。
ふと川端の木々に目を遣(や)ると、満作(まんさく)の花の黄色が綺麗に感じられた。山野には未だ残雪が多い為、黒白の景色が続いて居る。そこに彩(いろど)りを見付けられた事は、仄(ほの)かな喜びであった。
篠が石浦館に着くと、館の郎党に如意寺住職の書翰(しょかん)を渡し、その後は再び、糸を紡(つむ)ぐ作業が待って居た。
汐汲(しおくみ)組の小屋へ戻ろうとした時、何やら石浦の里が騒がしい事に気が付いた。通り掛かった婢(ひ)に、何事が起きたのか尋ねて見ると、如何(どう)やら柴刈り組の奴(ぬ)が脱走を試み、捕まって連れ戻されて来たとの事である。篠はよもや弟ではと案じ、焼印の刑が処される鍛冶(かじ)小屋へと走った。
篠が鍛冶小屋へ着いた時、丁度(ちょうど)脱走者が引っ立てられて来た所であった。その男の顔を見ると、六十を過ぎた老人の様である。篠は一先ず、弟でなかった事に安堵した。
やがて老人が小屋の中へ連れ込まれ、仰向(あおむ)けにされて四人の兵が手足を抑えると、鍛冶組の奴(ぬ)が郎党に、赤く熱された鉄の棒を渡そうとする。これを見た篠は、二年前にあわや焼印を押され掛けた時の恐怖を思い出し、思わず顔を背(そむ)けた。
しかし、郎党は棒を受け取らずに、傍らに佇(たたず)む少年の奴(ぬ)に促(うなが)す。
「忘路(わすれじ)、御主が行(や)れ。」
その声を聞いた篠は、驚いて再び小屋の中を覗(のぞ)いた。郎党の脇に立つ少年をよく見ると、確かに、久しく見える事の無かった弟に間違い無かった。篠は弟が無事に居てくれ得た事を嬉しく思い、俄(にわか)に目が潤(うる)んだ。
弟は、篠より二つ下の十四歳に成って居る。背丈(せたけ)も伸び、二年前の童子の面影(おもかげ)は大分無く成って居た。
鍛冶組の奴(ぬ)は、焼印用の鉄棒を忘路(わすれじ)に渡した。忘路はそれを受け取った物の、体が震え、足が竦(すく)んで居る様子である。
「出、出来ませぬ。」
忘路が声を震わせて答えると、郎党は怒鳴り返した。
「御主が、此奴(こやつ)と親しくして居った事は知れて居る。又、此奴(こやつ)が脱走した時、御主は近くに居たにも拘(かかわ)らず、我等に通報したのは別の者であった。もし御主がこの場で自ら焼印を押せぬのであれば、御主は脱走幇助の罪と見做(みな)し、同じく焼印の刑に処する。」
真っ赤に熱された鉄の棒を見て、忘路の心は震撼(しんかん)した。そして引き攣(つ)った顔をして老人の前へ進み、その額(ひたい)に棒の先を押し当てた。
断末魔の様な老人の絶叫が響き渡る。忘路(わすれじ)は、直ぐにでも鉄棒を投げ捨てたかった。しかしそうすれば、己にも禍(わざわい)が降り懸(かか)るという恐怖が、忘路に惨(むご)い行いを強(し)いた。
やがて老人は気を失った。そして老人の額に、一生消えぬ火傷(やけど)を負わせた所で、漸(ようや)く郎党から許しが出た。
「もう良いであろう。」
その声に救いを感じ、忘路はさっと鉄棒を離して、鍛冶組の奴(ぬ)へ渡した。
郎党は周囲に鋭い眼光を向けながら、忘路(わすれじ)に告げる。
「御主が、此奴(こやつ)に与(くみ)した訳ではない事は判(わか)った。しかし今後共、逃亡に係った者は如何(いか)なる者であれ、皆この爺(じじい)と同じ運命に成るぞ。」
そう言い放ち、郎党は兵を率いて、鍛冶小屋を去って行った。
それと同時に、野次馬達も散って行く。忘路(わすれじ)は涙を浮かべながら、老人を背負った。
「翁(おきな)、済まない、済まない。」
忘路に柴刈りを教えてくれ、長らく苦楽を共にして来た翁(おきな)に、自ら焼印を押したという事実。忘路の若い心は、己が助かりたいが為に、恩人を犠牲にしたという罪悪感に嘖(さいな)まれた。
涙を流しながら、翁(おきな)を柴刈り組の小屋へ運ぼうとする忘路(わすれじ)の行く手に、一人の娘が立って居た。忘路は相手を凝視した後、驚きの色を顕(あらわ)にした。
「姉上か?」
篠は忘路の前へ一歩、歩を進める。
「やはり医王丸なのですね。無事で良かった。」
「ここに来てから、その名は捨てました。忘路(わすれじ)と呼んで下され。」
篠は表情を翳(かげ)らせて告げる。
「貴方も、随分辛い思いをして来た様ですね。しかし、医王丸は磐城平家の惣領として、政澄叔父上が下された御名(おんな)。」
「その様な昔の事は忘れ申した。さあ、姉上も早う持場へ戻らねば、如何(いか)なる罰を受けるか判(わか)りませぬぞ。」
そう邪慳(じゃけん)に答え、忘路は久しく会う事の無かった姉の脇を、通り過ぎて行った。
篠は複雑な想いで、弟の後ろ姿を見送って居る。弟から、昔の様な純朴さが失われて居る風(ふう)に感じられた。しかしその分、自力で、逞(たくま)しく生き延びて居る様でもある。この時、篠の心の救いと成った物は、翁(おきな)を背負った時に見せた、弟の涙であった。弟が未だ人としての優しさを残してくれて居た事は、姉として、非常に嬉しく感じられた。
やがて糸紡(つむ)ぎ小屋に戻った篠は、己の糸縒車(いとよりぐるま)の前に座し、綿糸(めんし)を紡(つむ)ぎ始めた。ふと、隣で同じ作業をして居る、小萩が話し掛けて来る。
「篠さん、今年の小正月は、右大臣家の家司(けいし)の方が御見えになるんですって。」
「はい。只、姫様の具合が宜しくない為、如意寺に移って静養して戴くべく、許可を願い出た様です。」
「成程(なるほど)。今年の新春の宴(うたげ)が、例年に無くひっそりとして居たのは、姫様の御加減が悪かったからですか。」
「怖らくは。」
篠は糸縒車(いとよりぐるま)を回しながら、先刻弟が言った言葉を思い出した。弟医王丸は既(すで)に、石浦の奴(ぬ)、即(すなわ)ち忘路(わすれじ)の身から脱け出せぬ物と、諦(あきら)めて居る様子である。そして篠も又、万珠という父平政道より授かった名を、忘れ掛けて居る事に気付いた。
昨年の冬より、三庄太夫の末子小末(こずえ)姫が、重篤の病(やまい)に臥せって居た。薬師(くすし)の治療も効果は薄く、太夫はほとほと困り果てて居た。新年の宴(うたげ)も、娘の身体に障(さわ)らぬ様、鳴物(なりもの)を禁じた為に、静かな正月と成ったのである。
しかし小正月には、荘園の本家である閑院家より家司(けいし)が遣(つか)わされ、領家である三庄太夫の統治の様子を、視察に来るという。この時ばかりは、閑院家を盛大に持て成さねば成らない。已(や)むなく小末(こずえ)を如意寺に移し、静かな地で療養させる運びと成った。先程篠が如意寺へ遣われたのは、その許可を得る為であった。
石浦の館では、右大臣の家司(けいし)や、その従者が宿泊する部屋の掃除(そうじ)、調度品の準備等で大童(おおわらわ)と成って居た。斯(か)くして万全を期し、右大臣家の使者を迎える仕度が整えられた。
*
一月十四日の朝、右大臣家の早馬が石浦に入り、昼頃の到着を告げて来た。館内の者は、右大臣家の者を鄭重に持て成すべく、様々な山海の珍味を集め、その他にも進物(しんもつ)として、金や絹織物等を用意して居た。一方で奴婢(ぬひ)達は、三庄太夫の財力維持の為、この日も扱(こ)き使われるのである。
篠が属する汐汲(しおくみ)組は、数日前に冬期の糸紡(つむ)ぎの作業を終え、再び由良浜に出て居た。浮遊物を選(よ)り分けて潮水を桶(おけ)に汲み、それが一杯に成ると浜へ上がり、塩田へ撒(ま)く。
海辺より塩田まで桶(おけ)を上げる作業は、腕にも腰にも応える。篠は腰を叩き、腕を回しながら、暫(しば)し浜の景色を眺めて居た。
ふと篠の目に、天橋立(あまのはしだて)の方より、大勢の行列が由良へ向かって来るのが見えた。丁度(ちょうど)小萩も塩田に塩水を撒(ま)いて居たので、篠は歩み寄って訊(き)いて見た。
「小萩姉さん、あの行列は何でしょう?」
小萩は腰を伸ばしながら、篠の指差す方を見る。
「ああ、あの旗は橋立の三郎様の物。怖らく、右大臣家の使者が石浦まで下向されるので、挨拶に向かわれるのでしょう。だけれども、それにしては、従者の数が多過ぎるみたい。」
暫(しばら)く、行列が浜の側を通り過ぎるのを眺めて居る内に、小萩は急に得心して頷(うなず)いた。
「判(わか)りました。一行の後方は成合四郎様の行列です。御兄弟揃(そろ)って、石浦の館に向かわれて居られるのでしょう。」
橋立と成合の一行は、多くの箱を運んで居る。怖らくあの中に納められて居る物は、右大臣家に献上される高価な品であろう。
この時篠は、裕福な者には高価な品を献じ、貧しい者には苦役を課すばかりで、財の分配を一切しない太夫の政(まつりごと)に、疑問を覚えて居た。しかし熟考する暇(ひま)も無く、篠は小萩に促(うなが)され、海へ戻って行った。
十四日から小正月の十五日、篠が由良浜で汐汲(しおくみ)をし、忘路(わすれじ)が由良ヶ岳で柴刈りをして居る間、館内からは絶えず、歌舞音曲(かぶおんぎょく)や人の笑い声が聞こえて来た。しかし、奴婢(ぬひ)達には何の関係も無い事である。皆黙々と、己の作業を熟(こな)して居た。
十五日の夕刻、汐汲組の婢(ひ)達がその日の作業を終えて石浦に戻ると、何時(いつ)もの様に小屋の中で体を横たえ、夕餉(ゆうげ)までの間に、その日の疲れを癒(いや)すのであった。篠も横になりながら、初めて目にした右大臣家来訪の事に関し、同僚達に話し掛けて見た。しかし、誰も話に応じて来る者は居ない。
右大臣家の家司(けいし)が荘園の視察に来るというのは、飽(あ)く迄(まで)立前である。実際は荘官より饗宴(きょうえん)を受け、貢物(みつぎもの)を持ち帰るだけである。仍(よっ)て右大臣家は、三庄太夫が如何(いか)なる政(まつりごと)を行って居るかまでは立ち入って来ない。奴婢(ぬひ)達は皆、自身が国家の政(まつりごと)より見捨てられた者と、諦(あきら)めて居る様子であった。
突然、汐汲組の木戸を開ける者が在った。婢(ひ)達が驚いて起き上がると、入口で石浦の兵が、大声で尋ねた。
「ここに、篠と申す者は居るか?」
何事が出来(しゅったい)したのか解らぬまま、篠は恐る恐る立ち上がった。
「御主か。三郎様が御呼びじゃ。付いて参れ。」
篠は何か不吉な予感に捕(とら)われながら、兵の後に付いて、小屋を出て行った。
外は既(すで)に夕日が由良ヶ岳に掛かり、残照が石浦の里に注(そそ)いで居た。兵の後に従い、館の裏手に回った所に、橋立三郎は立って居た。兵は篠を三郎の前へ連れて来ると、再び下知を受け、元の持場へと戻って行った。
辺りには人気(ひとけ)も無く、館の柵が夕陽を遮断(しゃだん)し、恰(あたか)も夕闇に包まれたが如き暗さである。しかし篠は、三郎が悲しい目を己に向けて居る事に気が付いた。
三郎は篠に言葉を掛ける時、ふと目を逸(そ)らした。
「其方(そち)に伝えるのは辛(つら)き事なのだが、数日後には言い渡される事故、事前に覚悟が出来て居ればと思うてのう。」
篠は、やはり良からぬ事が我が身に待ち受けて居たと確信し、恐怖の念に襲われ始めた。しかし三郎が言う様に、覚悟が出来て居れば、苦痛も幾分和(やわ)らぐのではと思い、勇気を出して三郎を見上げる。
「三郎様。私の身は、如何様(いかよう)に処されるのでござりましょう?」
三郎も篠の覚悟を受け止め、その気丈(きじょう)な顔を見詰めて答える。
「実は、其方(そち)は今月の内に、何処(いずこ)かの遊里へ売り渡される事に成った。」
篠は、同僚の中にも斯(か)かる運命を辿(たど)った者を見て来た。そして遂(つい)に、我が身にも降り懸(かか)ったかという、悲しい気持に駆られた。
しかし、篠の不幸の最たる物は、我が身の不遇ではなかった。篠は三郎の袖(そで)に縋(すが)り、哀願する。
「太夫様の命とあらば、致し方ござりませぬ。されど、私の唯一の心残りは、弟の事でござりまする。何卒(なにとぞ)弟の事を、宜しく御頼み申し上げまする。」
篠は涙ながらに訴えたが、三郎は憮然(ぶぜん)として、立ち尽したままであった。これは、弟の身にも何か有ると感じた篠は、三郎に強く懇願する。
「よもや、弟の身にも何か起きたのでござりましょうか?是非にも、御聞かせ願いとう存じまする。」
三郎は目を閉じ、天を仰いで嘆息した。
「実は、忘路(わすれじ)の事を話す方が辛い。昨夜、右大臣家との宴(うたげ)の折に、父上が妹の病(やまい)に効く薬を、都より同行して参られた薬師(くすし)に尋ねられた。すると薬師は、古代天竺(てんじく)の名医耆婆(きば)が秘法と称し、八つの妹と七つ目に当たる者、即(すなわ)ち丙午(ひのえうま)、もしくは戊午(つちのえうま)の男子の生き肝を調薬し、処方すれば治ると答えた。父上は妹の病(やまい)を久しく案じて居られた故、早速肝を用意すると仰せであった。しかし、戊午の生れは未だ二歳の幼児。仍(よっ)て父上は、丙午生れの少年を奴(ぬ)の中から探す様に命ぜられ、運悪く、忘路(わすれじ)が丙午の生れである事を知られてしもうたのじゃ。」
「それで、弟は一体如何(どう)成るのでござりましょう?」
「右大臣家が都へ御戻りになられた後も、薬師(くすし)だけは逗留(とうりゅう)を続けるとの事。怖らくは二、三日の内に、山へ入った忘路(わすれじ)に兵を付け、隙(すき)を突いて襲う積りらしい。」
思い掛けぬ事に、篠は体から力が抜け、その場に膝(ひざ)を突いた。
三郎は篠を憐(あわ)れみ、優しく声を掛ける。
「流石(さすが)に此度の事は、儂(わし)の力では救って遣(や)れぬ。しかし、儂(わし)が叶(かな)え得る望みが有れば、遠慮無う申してくれ。」
篠は暫(しば)し悲嘆に暮れて居たが、やがて意を決した面持ちに成り、三郎を見上げた。
「三郎様に二つ、御願いの儀がござりまする。」
三郎は頷(うなず)いて答える。
「何なりと申せ。」
「では明日、私を弟の居る柴刈り組に入れて下さりませ。」
「そうか。忘路(わすれじ)と久しく離されて居った故、明日は一日、顔を合わせて来れば良い。落ち着いて話もしたいであろう。それ位の事はして遣(や)れる。して、もう一つの望みとは?」
篠は懐中より一枚の護符を取り出し、三郎に示した。
「これは初めて由良庄に来た時、如意寺の和尚様より戴いた物です。和尚様にはその後も、度々良くして下されました故、明日、御礼に伺(うかが)いたいのです。」
「然様(さよう)であったか。なれば、そうするが良かろう。由良の郎党には儂(わし)より、その旨伝えて置くと致そう。」
「有難うござりまする。この御恩は、生涯忘れは致しませぬ。」
篠は深く深く、三郎に頭を下げた。
三郎は苦笑しながら、夕照の中を館へ戻って行った。その後方で、篠は何時(いつ)までも頭を下げ続けて居る。そしてその胸には、大いなる決意が固まって居た。
*
翌十六日の朝、汐汲(しおくみ)組の小屋で朝餉(あさげ)を済ませたばかりの篠の元を、早速三郎の家臣が訪れた。そして書翰(しょかん)を一通、篠に手渡す。三郎の妹小末(こずえ)が、如意寺に世話に成って居るので、和尚宛(あて)に御礼が認(したた)められて居ると言う。篠は鄭重に、如意寺への遣(つか)いを承る旨を示した。そして三郎の臣は、汐汲組を監視する石浦の郎党に、篠を本日限り、別の組へ移す事を伝えた。
それを聞いて同僚の多くが、篠の身にこの先何が待って居るのか、察しが付いた。小萩もその一人であり、悲しい顔をして、篠に歩み寄る。
「篠さん。貴女まさか?」
篠は、無理に微笑(ほほえ)んで返す。
「皆さんとここに居られる日も、後数日と成りました。今日は御屋敷より御厚意を賜(たまわ)り、由良を離れる前に、弟の組で働かせて貰(もら)う事が叶(かな)いました。」
小萩は目頭を押える。
「折角(せっかく)、妹と思える人に逢えたというのに。」
「私は、姉と御慕(した)い出来る方に巡り合えて、とても幸せであったと思いまする。」
そう言い残し、篠は三郎の臣に促(うなが)され、小屋を後にして行った。
婢(ひ)の内、三庄太夫がここで働かせるよりも、遊里に売り飛ばした方が金に成ると判断した者は、次々と売られて行く。篠は由良へ来た時、十四の少女であった。しかしあれから三年、成長した篠を、高値で買い取るという者が現れたのであろう。
篠の代りには、再び人買いから買い取った婢(ひ)が入って来る。出会いと別れは頻繁(ひんぱん)であり、篠と小萩の様に親しみを深めてしまうと、別れは一層辛い物と成る。故に齢(よわい)を重ねた者程、他の婢(ひ)との間に距離を置く事を覚えてしまう。
汐汲(しおくみ)組に一足先んじて、篠は由良浜に着いた。明け方の浜には汐汲女達の姿は無く、閑散とした観が有る。それを横目に、篠は三郎の家臣と共に、如意寺の山門を潜(くぐ)って行った。
若い僧に取次を頼み、住持の間へ通された篠は、恭(うやうや)しく礼を執り、和尚の前へと進み出た。この辺りの所作が、余人を以(もっ)て代え難い、篠の長所である。
篠より書翰(しょかん)を受け取った和尚は、封を解いて書状を広げ、黙読した。やがて読み終えた和尚は、書状を畳(たた)みながら、篠の脇に控える三郎の臣に告げる。
「篠さんに少し用が有る。帰りには小僧を同道させる故、貴方は先に石浦へ御戻り下され。」
男は多少戸惑いの色を見せたが、主君三郎と和尚の言には逆らえない。奴婢(ぬひ)の単独行動を許さぬという定めに触れるか案じたが、寺側が責任を持つと言うので、静かに退出して行った。
三庄太夫に係わる者が立ち去ったのを確認した上で、和尚は篠に告げる。
「貴女の事が、三郎殿の書状に書かれてありました。由良を去られるとの事故、そろそろ御返しする時が参りましたかな?」
「はい。父の形見を持って、この地を去りとうござりまする。」
「では、本堂へ参りましょう。」
「はい。」
和尚と篠は静かに腰を上げ、本堂へと渡って行った。
和尚が本尊の脇より、絹物に包まれた一体の仏像を取り出して来た。磐城平家家宝、放光王地蔵菩薩である。和尚より手渡された地蔵菩薩は、磐城を離れて四年経った今も、住吉に在った往時の輝きを失っては居なかった。和尚が、目を掛けてくれて居たのであろう。篠は嬉しさに涙が零(こぼ)れた。
篠は絹の布を和尚に返し、懐より襤褸(ぼろ)布を取り出して、丁寧に家宝を包(つつ)んだ。それは篠だけではなく、弟に取っても、延(ひ)いては遠国(おんごく)の母に取っても、最後の希望の光であった。
和尚は、篠が地蔵菩薩を抱えたのを見て、声を掛けた。
「もう、行ってしまわれるのか。」
「はい。この後も作業が残って居りますから。和尚様、当家の宝を長い間、大事に預かって戴き、何とも御礼の申し様もござりませぬ。」
篠は深く頭を下げ、謝意を示した。
「では、行かれるが良い。小僧を一人付ける故、山門で待って居なされ。」
「はい。」
和尚は、斯様(かよう)に溌溂(はつらつ)とした篠の顔を見たのは、初めてであった。そして、地蔵菩薩が篠の心を救済した物と信じ、和尚は責(せ)めてもの喜びを内に秘めつつ、小僧を呼びに本堂を出て行った。
やがて、和尚は小僧を一人連れ、山門で待つ篠の元へ姿を現した。篠は和尚に向かい、辞儀をする。
「怖らくは、これが御別れと成りましょう。久しく御厚情を賜(たまわ)りし事、永久(とわ)に忘れは致しませぬ。」
「うむ。篠さんも健(すこ)やかにな。」
篠は笑顔で頷(うなず)くと、小僧に声を掛ける。
「さあ、参りましょう。」
小僧は未だ年の頃十二の辺りである。篠には一瞬、由良に来たばかりの頃の、弟の姿が重なって見えた。
篠の後ろ姿を、和尚は暫(しばら)く見送って居た。そして、あの様に心優しい娘が弟と引き裂かれ、再び別の地へ売られて行く運命を、憐(あわ)れまずには居られなかった。
石浦へ戻った篠は、先ず誰も残って居ない汐汲組の小屋へと立ち寄った。
「ここで少し待って居て下さい。」
小僧を外で待たせた篠は、一人中へと入り、己の荷の前へ腰を下ろした。荷を解き、中から厨子(ずし)を取り出す。そして、如意寺から返して貰(もら)った地蔵菩薩を納めると、往時の格式が甦(よみがえ)った観が有る。篠は合掌した後、厨子の蓋(ふた)を閉じ、再び襤褸(ぼろ)布に包んだ。そして荷を整え直し、厨子を包んで、小僧の待つ表に出た。
次に向かうのは、石浦館である。その裏門に回り、館の者に三郎への報告を求める。三庄太夫の末娘を預かって貰(もら)って居る和尚からの使者であり、又小僧も伴って居たので、郎党は婢(ひ)の願い出と雖(いえど)も、疎(おろそ)かにする事は出来なかった。
間も無く、三郎が裏門に姿を現した。篠は膝(ひざ)を突いて報告する。
「三郎様の書翰(しょかん)、確かに和尚様へ御届けして参りました。」
「うむ、御苦労であった。」
三郎が隣の小僧に目を遣(や)ると、小僧は礼儀正しく答える。
「和尚様は橋立様の文(ふみ)を戴き、礼節の人なりと仰せにござりました。」
「そうか、それならば良かった。」
三郎は笑って答えると、小僧に幾許(いくばく)かの御布施(おふせ)を渡し、寺へ帰した。
小僧が去った後、三郎は側に控える直参の者に告げた。
「この娘は汐汲組の者なのだが、もう直(じき)余所(よそ)へ売られて行く。今日は弟との別れをさせて遣(や)りたいと思い、特別柴刈り組に入れる事と成った。由良の兄にも話はして有る故、案内して遣(や)ってくれ。」
「はっ。承知仕(つかまつ)り申した。」
橋立の郎党は承ると、篠に付いて来る様促(うなが)す。篠は三郎に深く辞儀をした後、郎党に付いて館を後にした。
柴刈り組の小屋に向かう途中、前を歩く郎党が振り向きもせず、篠に尋ねた。
「その手に抱える襤褸(ぼろ)は何か?」
篠は一瞬、心の臓が止まる思いであったが、平静さを装(よそお)って答える。
「はい。如意寺の御坊に柴刈りに出る旨を告げました所、御親切にも午餉(ひるげ)を弟の分も用意して下されました。その餉笥(かれいけ)でござりまする。」
郎党は少し沈黙した後、篠に告げる。
「其方(そち)は果報者じゃ。殿にも和尚にも、目を掛けて貰(もら)えてのう。」
「はい。」
篠は安堵の溜息を押し殺すと共に、改めて三郎に対する感謝の念を覚えた。
篠は確(しっか)りと、襤褸(ぼろ)の包みを抱いて居た。弟の元へ辿(たど)り着くまでに、三庄太夫方に見付かる訳には行かぬ、大事な物であった。
先ず二人が立ち寄ったのは、道具小屋である。郎党はここに残って在った籠(かご)と鎌(かま)を、篠に渡す。篠はそれ等を受け取ると、籠の中に鎌と襤褸(ぼろ)を入れて背負った。
そして郎党は、篠を連れて由良ヶ岳へと向かう。麓(ふもと)には、奴(ぬ)が脱走した時に備え、由良の兵の詰所(つめしょ)が在る。三郎の家臣はそこを訪れ、頭(かしら)たる人物に面会を願い出た。
柴刈り組や樵(きこり)組等、林業に就(つ)いて居る者を監督して居るのは、由良次郎の重臣である。その男は、右大臣家を招いた宴(うたげ)に加われず、奴(ぬ)の監視を仰せ付かり、頗(すこぶ)る機嫌が悪かった。三郎の臣が事情を説明し、篠を山へ入れる許可を請(こ)うも、男は不敵に言い放つ。
「三郎様にも困った物じゃ。山には山の定めが有る。荒くれが多い奴(ぬ)の中で、果して満足に作業が出来ようか。早よう浜へ戻った方が、賢明やも知れぬぞ。」
大声で笑いながら、犬を追い払う様な仕種(しぐさ)をする重臣に対し、篠は手を突いて懇願する。
「今日を逃しては、この後弟と会う事は叶(かな)いませぬ。何卒(なにとぞ)御願い申し上げまする。」
飽(あ)く迄(まで)退(ひ)く気配を見せぬ篠に対し、重臣は遂(つい)に折れ、面倒な顔をしながらも言い渡した。
「まあ、三郎様の御顔も立てねば成らぬのう。なれば、髪を切り男の形(なり)をした上で、入山を許可して進ぜよう。」
三郎の郎党は慌てて答える。
「この婢(ひ)は遊里へ売られる者。斯様(かよう)な事をしては、太夫様より御叱(しか)りを受けましょう。」
その言葉が終るや否(いな)や、何の躊躇(ためら)いも無く、篠が鎌で己(おの)が髪を切り落した。腰の辺りまで有った髪は、背中の中程まで短く成り、首の後ろで結って居た紐(ひも)を解くと、篠は童子の様な頭に成った。そして俯(うつむ)いたまま、三郎の臣に告げる。
「御心配には及びませぬ。此度の件の責は、私一人が負いまする。」
次郎の重臣は、この篠の態度に度肝を抜かれた様子であった。
「其方(そち)の覚悟の程、確(しか)と承った。では約束通り、山へ案内して遣(つか)わそう。」
そう言って、脇に詰めて居た兵に向かい、篠を忘路(わすれじ)の元へ送り届ける様に命じた。
三郎の郎党と次郎の重臣に辞儀をして、篠は詰所(つめしょ)を出た。由良の郎党の後に続き、頓(ひたすら)山道を登って行く。砂浜を歩き慣れて居る篠も、上り坂には息を切らせた。
ある程度山に踏み込むと、次第に作業をして居る奴(ぬ)の姿が目に付き始める。郎党は彼等から柴刈り組の居場所を聞き、更(さら)に山深くへ入って行った。
柴刈り組の作業場は、藪(やぶ)が大分刈り取られて居り、視界は幾分開けて来た。その向こうに、黙々と作業をする老人の姿が見える。郎党が歩み寄り、声を掛けて振り向いたその額には、焼印の痕(あと)がくっきりと残って居た。この時篠は、弟が焼印を押した翁(おきな)である事を思い出した。
汗だくに成った顔を拭(ぬぐ)う翁(おきな)に、郎党は問い掛ける。
「この辺りに、忘路(わすれじ)と申す奴(ぬ)は居らぬか?」
「ああ、忘路ならば、向こうの方で作業をして居りまする。」
翁(おきな)の指差す藪(やぶ)の隙間から、柴刈りをする若者の姿が見えた。
篠は郎党に向かい、礼を述べる。
「ここまで案内下さり、有難うござりまする。漸(ようや)く、弟を見付ける事が出来ました。」
「然様(さよう)か、なれば儂(わし)はこれで引き返すが。唯(ただ)一言申して置く。慣れぬ作業とは申せ、一荷(か)も持ち帰れぬ様では、やはり罰は免(まのが)れまい。精々(せいぜい)励む事じゃ。」
「はい。」
篠が素直に返事をすると、郎等は踵(きびす)を返し、山を下って行った。
翁(おきな)は、一人残った篠を訝(いぶか)しく見て居る。女子(おなご)の様であるが、髪を短く切り、柴刈りの道具を持参して居る。
柴刈り組の作業域は広く、一人の作業位置からは一、二人しか認める事が出来ない。今、忘路(わすれじ)が見える位置に居るのは、この翁(おきな)のみである。
篠は翁(おきな)に歩み寄り、一礼する。
「先日、弟が翁(おきな)に焼印を押したる段、姉として御詫び申し上げまする。」
翁(おきな)は得心した顔で返す。
「ああ、忘路(わすれじ)に姉が居るとは聞いて居ったが、貴女(あなた)がそうかね。この事なら心配は要らぬ。忘路を怨(うら)む筋では無いからのう。今でも仲良うやっとるよ。」
額の火傷(やけど)の痕(あと)を指差し、翁(おきな)は笑って見せた。
翁(おきな)は篠が忘路(わすれじ)の姉と解ると、凡(おおよそ)の事情は察した様である。
「忘路(わすれじ)に、別れを言いに来たのかね?」
「はい。今月の内には、何処(いずこ)へと売られて行く身にござりますれば。」
大きく溜息を吐(つ)いて、翁(おきな)は篠に背を向ける。
「貴女(あなた)も柴を刈りに来たのじゃろう。儂(わし)は別の所へ移る故、ここは任せる。」
「有難う存じまする。」
篠は去り行く翁(おきな)の背に向かい、その配慮に謝意を示すべく頭を下げた。
*
翁が去った後、山の奥には忘路(わすれじ)と篠(しの)だけが残された。篠が弟の側へ進む時、小枝を踏む音が鳴った。それを聞いた忘路は、柴を刈る手を止めずに口を開く。
「翁(おきな)、もう一荷(か)分を刈り終えたのか?」
しかし、返って来たのは翁(おきな)の声ではなかった。
「私です。」
懐かしい声に、忘路(わすれじ)の手は止まった。そして腰を伸ばし、声の主を振り返る。
「姉上、如何(どう)してここに?それにその髪は?」
篠は微笑を湛(たた)えて、弟に告げる。
「貴方も健(すこ)やかな様で何よりです。今日ここへ参りました訳は、貴方に時が来た事を知らせる為です。」
忘路(わすれじ)は突然髪を切った姉が現れた事で、動揺を覚えたままであった。篠は真剣な眼指(まなざし)で弟を見詰め、話を続ける。
「翁(おきな)に離れた所へ移って貰(もら)い、今、私達を見て居る者は居りませぬ。又、石浦では右大臣家を持て成す小正月の宴(うたげ)が深夜にまで及び、奴婢(ぬひ)の監視に当たる郎党の数も減って居りまする。」
忘路(わすれじ)ははっとした顔で、篠に質(ただ)す。
「すると姉上は、直ちにこの地を脱(ぬ)けろと仰せられるのですか?」
「そうです。」
篠の鋭い視線を受けて、忘路(わすれじ)は激しく戸惑った。
「急に斯様(かよう)な事を言われても、覚悟が固まりませぬ。」
篠は弟に懇願する表情に成り、尚も強く訴える。
「決心が遅れれば、それだけ追手との距離が詰まる事に成りまする。医王丸。」
懐かしい名に、一瞬忘路(わすれじ)の心は揺さ振られた。しかしいざ返事をしようとした時、ふと翁(おきな)に焼印を押した時の恐怖が甦(よみがえ)って来た。
「出、出来ませぬ。」
忘路(わすれじ)は力が抜けた様に、その場に膝(ひざ)を突いてしまった。
篠は天を仰ぎ、嘆息する。その目からは、涙が零(こぼ)れ落ちて居た。
「もしも私が男ならば、自らこの地を脱して、越後で別れた母上を探し、父上の仇(かたき)村岡重頼を討ちに向かえるというのに。女子(おなご)の身に生まれた事が無念で成りませぬ。」
そう言った後、己の籠(かご)から襤褸(ぼろ)布の包みを取り出し、中に包まれて居た厨子(ずし)を手に取って、その蓋(ふた)を開けた。中には陽の光を受け、眩(まばゆ)いばかりに輝く放光王地蔵菩薩が納められて居る。
「姉上、それは。」
篠は弟に、厨子を良く見せながら告げる。
「住吉御所脱出の折、御祖母(ばば)様が貴方に託した家宝です。これが有れば京において、貴方が磐城郡司平政道の嫡子である事を示せるのです。」
地蔵菩薩を見詰めて居る内に、忘路(わすれじ)は越後で攫(さら)われた母の身が案じられ、又、磐城平家を乗っ取った村岡重頼への怨(うら)みが、思い出されて来た。
忘路(わすれじ)の心から次第に動揺が消え去り、真顔と成って篠を見上げる。
「姉上、漸(ようや)く腹を決めました。三庄太夫の元を脱し、磐城平家の再興に向かいまする。」
篠は忘路(わすれじ)を見詰めて返す。
「その言葉、母上が聞かれたら、嘸(さぞ)や喜ばれる事でありましょう。しかしここを脱けた後、如何様(いかよう)にして磐城の家名を回復させるのです?」
「それは。」
忘路(わすれじ)は言葉に詰まった。急な事なので、直ちに策は浮かんで来ない。しかし篠は年長であった分、母が北陸道を西に進んだ訳を覚えて居た。又、如意寺を訪れた折も、この日の為に、僧から必要な情報を集めるべく努めていた。
「では、一つ道を示しましょう。由良川に沿って上流を目指せば、やがて山陰道に至ります。それを南へ進めば、行き着く先は京洛です。しかし、貴方が先ず訪れるべきは、更(さら)に東海道を東へ、近江国の琵琶湖という内海の手前に在る、三井寺です。その寺は由緒有る寺院で、僧都(そうず)を務められて居る了円という御方は、母上の兄に当たります。仍(よっ)て、貴方は了円伯父上に素姓を明かし、京の止事(やんごと)無き辺りへの紹介を頼み、祖父政氏公の御赦免を嘆願するのが、最も早道と成る事でしょう。」
姉の示した策に、忘路(わすれじ)は刮目(かつもく)させられる思いであった。これならば、事は成就(じょうじゅ)するやも知れぬと、忘路の心には勇気が涌(わ)いて来た。
「姉上、では直ちに参りましょう。」
逸(はや)る弟の気持を落ち着かせる様に、篠は静かに首を振った。
「医王丸、貴方が無事丹後を脱け出す事が、この姉の、唯(ただ)一つの願いです。されば私は囮(おとり)と成り、三庄太夫が手先の目を引き付け、貴方が逃げる為の最後の手助けを致しまする。」
忘路は驚き、姉の右手を掴(つか)んだ。
「行けませぬ。姉上を犠牲にして、一人逃げる事など出来ませぬ。」
篠は弟の手を振り解(ほど)いて、叱(しか)る様に諭(さと)す。
「貴方が私の身を案じてくれる事は、とても嬉しく思います。されど、姉の事は小事、磐城の家の事は大事と心得なさい。先ずは大事を成し、然(しか)る後に小事を考えるべきです。」
忘路(わすれじ)が悲しい顔をするので、篠は軽く笑みを浮かべて、言葉を接いだ。
「私は捕えられたとて、命を失う事も、焼印を押される事も有りませぬ。三庄太夫は私を、何処(いずこ)かの遊里に売ろうとして居る様子。今、私に重い刑を課すれば、私を買い取る者も無く成り、太夫は損をする事に成りまする。」
そう言うと、篠は二人分の籠(かご)と鎌を、藪(やぶ)の中へと隠した。脱走が発覚するのを、少しでも遅らせる為である。只、樏(わりご)だけは忘路に携帯させた。
最後に篠は、襤褸(ぼろ)布に包んで居た家宝を、忘路(わすれじ)に差し出した。忘路は膝を突いて恭(うやうや)しく押し戴くと、すっと立ち上がって、姉に申し上げる。
「今日まで家宝を守り通して戴き、有難く存じまする。」
「全ては、由良浜に在る如意寺の、和尚の御厚意に因(よ)る物。さあ、御行きなさい。」
しかし忘路(わすれじ)は、中々一歩を踏み出せない。篠は苦笑して告げる。
「私も、隙(すき)を見付けてここを脱け出で、京へ参りまする。貴方が磐城の家を再興した暁(あかつき)には、再会も叶(かな)う事でしょう。」
それを聞いて、漸(ようや)く忘路(わすれじ)の足は進み始めた。弟の姿が見えなく成って暫(しば)し後、篠も又山を下り始めた。
それから四半時程が過ぎた頃、早くも木板を叩くけたたましい音が、由良ヶ岳に谺(こだま)した。その合図は狼煙(のろし)の如く三庄に伝わり、各庄の兵は脱走者の追跡を始める。木板を叩く間隔には、郎党しか知らぬ決まりが有る。此度の音は、由良ヶ岳と二人を示す叩き方であった。
これを受けて、由良の兵は由良ヶ岳の山狩(やまがり)を始める。一方で大川の兵は、南へ逃げて来る者が居ないか監視を強め、神崎の兵は由良川東岸の厳戒を開始した。この包囲網の前に、今まで数多(あまた)の奴婢(ぬひ)が脱走に失敗し、焼印の刑に処されて来たのである。
弟が未だ由良庄を出て居ないと判断した篠は、足を止めて大きく息を吸い、蒼天を仰いだ。大空は果てし無く広がり、東方へ羽搏(はば)たく隼(はやぶさ)の姿が在る。篠はにこりと微笑(ほほえ)み、由良ヶ岳を東に向かい、下りて行った。
由良川の辺まで下りて来ると、既(すで)に両岸に、三庄太夫の兵の姿が在った。篠は木の陰に隠れながら、南へと向かう。藪(やぶ)の中を進む為に、時折頬(ほお)や腕が切れた。
支流和江谷川が合流する処まで来ると、大川庄の兵の叫ぶ声が聞こえた。
「今、奴婢(ぬひ)の姿が見えたぞ。和江に兵を集めろ!」
篠は、弟が逃げられず、未だこの辺りに潜(ひそ)んで居るのではと思った。もしそうだとすれば、弟の身が危(あや)うい。突如、篠は藪(やぶ)の中から出て河原を駆け、氷の如く冷たい由良川へと足を踏み入れた。
その姿は、直ちに大川兵に発見された。
「居たぞ。川を渡ろうとして居る。」
由良川を泳ぐ篠からは体温が一気に奪われ、感覚の無く成った手足で、何とか水を掻(か)いた。早く渡り終えねば、水流は篠を石浦へ押し戻してしまう。篠は辛(かろ)うじて、東岸へ泳ぎ着く事が出来た。
河原へ上がると、濡れた着物は重く、体は暑さ寒さの感覚が失われて居る。意識がぼやける中で辺りを見渡すと、西岸の大川兵は渡河を躊躇(ためら)って居る様であったが、北からは神崎兵が迫って来て居た。篠は反射的に、南へ向かい駆け出した。
暫(しばら)く走ると、やがて正面からも追手が駆けて来るのが見えた。こう成ると、篠の逃げる先は東しか無い。その先には、建部(たけべ)山が聳(そび)え立って居る。
篠は建部山の山中へ逃げ込んだ。しかし三庄太夫の追手は、徐々にその距離を詰めて来る。道無き道を這(は)い上がり、やがて視界の広けた岩場へ上がった後、篠の先に見えた物は、行き場の無い崖(がけ)であった。真下を見下ろすと、常緑樹の森が広がって居る。
追手が直ぐ下にまで迫って居るのを見た篠は、崖(がけ)の縁(ふち)に立ち、観念した様に合掌し、目を閉じた。
「医王丸が、無事に逃げられまする様。」
一言呟(つぶや)いた直後、篠の体は前方へと傾き、崖(がけ)の下に広がる森の中へと消えて行った。
追手が下に回り込み、森の中を捜索した所、崖(がけ)の下には大きな沼が在った。その水面(みなも)には、篠が所持して居た「安寿」の布が漂(ただよ)って居る。それを見付けたのは、橋立の兵であった。兵は主君三郎に事の顛末(てんまつ)を報告すべく、その布を拾い上げて、石浦へと戻って行った。
寛仁四年(1020)一月十六日、元常陸介平政道の長女に生まれた万珠姫は、ここに十六年の生涯を閉じた。