![]() |
![]() |
![]() |
第十六節 丹後国由良庄
それから八日間、万珠と医王丸はくたくたに疲れ果てながらも、各々に課せられた作業を、何とか熟(こな)して続けて居た。
しかし九日目の夕刻、何時(いつ)もの様に万珠が小萩と共に汐汲(しおくみ)から帰って来ると、何やら館の方が騒がしい。奴婢(ぬひ)達が遠巻きに眺めて居るのを認めた万珠と小萩も、何事が起きたのかと、人の群れに分け入って、様子を窺(うかが)おうとした。
人垣の隙間から万珠が見た光景は、実に驚愕(きょうがく)の物であった。三庄太夫の兵が奴(ぬ)を棒で叩いて居るのであるが、その奴(ぬ)は弟の医王丸であった。
万珠は咄嗟(とっさ)に人垣を抜け出て、弟を打ち据(す)える兵の足にしがみ付いた。
「御止め下さりませ!御止め下さりませ!」
万珠は大声で叫び続けたが、兵に蹴飛ばされてしまった。しかし蹴られた痛みを堪(こら)えながら、万珠は弟の前に這(は)って進み、楯と成った。そして毅然と、兵を見据(みす)えて質(ただ)す。
「この者は、私の弟にござりまする。弟が一体、何をし出かしたと言うのです?」
兵は棒を持つ手を下ろし、万珠に答える。
「其方(そち)の弟は、日に三荷(が)の柴を集めるという、太夫様の命を果せなんだ。故に石浦の法に則(のっと)り、棒打ちの刑に処して居る。まあ、坂を滑り落ち、足を痛めたは不幸であったがのう。」
医王丸の足を見ると、確かに袴(はかま)が破れ、血に染まって居る。万珠は兵の前に躙(にじ)り出て歎願した。
「では、代りに姉である私が罰を受けまする。私を御打ち下さりませ。」
「その様な法は無い。退(の)いて居れ。」
兵は万珠を突き飛ばすと、再び医王丸を打ち始めた。
「御願いでござりまする。弟が死んでしまいまする。」
万珠は狂った様に泣き叫んだ。
その時、棒を振(ふる)う兵の手を掴(つか)む者が在った。
「何奴(なにやつ)?」
兵は振り向いた直後、酷(ひど)く驚いた顔をして平伏した。
「これは、三郎様。」
そこに立って居たのは、三庄太夫の子、橋立三郎であった。三郎は周りを見回した後、兵に問う。
「何事か?」
兵は恐縮しながら答える。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。これなる奴(ぬ)が本日の日課を果せなんだ故に、太夫様が定められた法に則(のっと)り、処罰して居た所でござりまする。」
三郎は黙ったまま、医王丸の側へと歩み寄り、腰を下ろして、横たわる医王丸の身体を観察した。未だ十歳そこそこのあどけない少年が、棒で打ちのめされ、全身に痣(あざ)が出来て居る。俄(にわか)に、三郎の胸中に憐憫(れんびん)の情が湧(わ)いて来た。
ふと三郎は、医王丸が足に酷(ひど)い怪我(けが)をして居る事に気付いた。
「この者が日の務めを果せなんだは、足の怪我の所為(せい)だとは思わなんだか?」
兵はたどたどしい声で答える。
「それは承知して居り申した。されど定めにござりますれば。」
融通の利かぬ兵への苛(いら)立ちを抑えつつ、三郎は兵に歩み寄って耳打ちした。
「この者は、未だ新参小屋に居る者。即(すなわ)ち、父上が買われてから、未だ十日と経って居らぬ。それを定めに照らして処罰したと雖(いえど)も、買ったばかりの奴(ぬ)が働けなく成ったと有らば、父上は其方(そなた)を如何(いか)に思うであろうな。」
三郎の言葉に、兵は青ざめた。今まで子供の奴(ぬ)に罰を与えた事が無かった為、つい大人と同じ様に叩いてしまった。大人なれば少々痛みは引き摺(ず)るが、再び起きて、明日からは作業に戻れよう。されど、医王丸は体の小さな子供である。もしかすれば、骨の一本や二本は折れて居るかも知れなかった。
兵は三庄太夫の覚えが悪く成る事を恐れ、三郎に縋(すが)る様に相談する。
「三郎様の仰せの通りにござりまする。某(それがし)は、この奴(ぬ)を如何様(いかよう)に扱えば宜しいのでござりましょうか?」
「あの様子では、当分動く事も叶(かな)うまい。暫(しば)し作業から外し、怪我の回復に専念させよ。後程(のちほど)、打身(うちみ)に効く薬も届けさせるか。」
「御配慮、忝(かたじけの)うござりまする。早速その様に致しまする。」
斯(か)くして、兵は医王丸に暫(しば)し労働から外す旨を告げ、小屋で休む様に申し付けた。
しかし、医王丸は足の怪我に加え、全身を強く打ち据(す)えられた為に、動く事が出来ない。万珠は、肩を貸して小屋まで運ぼうとしたが、一人の力ではとても運べなかった。思案しつつも、万珠は頓(ひたすら)弟を、小屋まで引き摺(ず)って行く。
万珠の体が蹌踉(よろ)けた時、不意に強い力が二人を支えてくれた。よく見れば、助けてくれたのは小萩である。
「肩を貸すよりも、背負って遣(や)った方が、弟さんも楽でしょう。」
そう言って、小萩はひょいと医王丸を背負い、小屋まで運んでくれた。
新参小屋の一隅(ひとすみ)に医王丸を下ろすと、小萩は直ぐに己の組へと戻って行った。
その後、新参小屋の点呼が行われた。医王丸は小屋の中で寝たままであったが、郎党は事情を知ってか、何も触れずに夕餉(ゆうげ)の仕度を命じた。
この日、万珠は弟の分を含めて二食分、夕餉(ゆうげ)を取りに行った。樏(わりご)と椀(わん)を二つずつ持参した為、給仕の者に怒鳴(どな)られた。
「奴(ぬ)の分際(ぶんざい)で自ら取りに来ぬとは、怪(け)しからぬ。」
万珠は已(や)むなく、一人分だけを受け取り、弟に遣(や)ろうと考えた。その時、事情を知る者が給仕の者に耳打ちした。そしてそれならば仕方が無いと、二人分を装(よそ)ってくれた。
小屋に帰ると、万珠は弟の体を起し、食べ易い様にして遣(や)った。夕餉(ゆうげ)の後、館から膏薬(こうやく)が送られて来た。万珠は丁寧に受け取ると、弟の上衣を脱がし、棒で打たれた痕(あと)、そして袴(はかま)を捲(まく)し上げ、坂より滑り落ちた時の傷痕(きずあと)に塗布(とふ)した。
「姉上、申し訳有りませぬ。」
不意に医王丸の声が聞こえた。万珠は首を横に振り、再び薬を塗り始める。医王丸は必死に涙が溢(あふ)れるのを堪(こら)え、嗚咽(おえつ)の声を押し殺して居た。
翌朝は、三庄太夫に買われてから十日目の朝である。朝餉(あさげ)を済ませた時分、新参小屋に二人の郎党が入って来た。
「篠(しの)と忘路(わすれじ)は居るか?」
急に大きな声を上げるので、新参の奴婢(ぬひ)達は怯(おび)えて居た。しかし万珠は、凛乎(りんこ)たる態度で答える。
「ここに居りまする。」
郎党は万珠と、傍に横たわる医王丸の姿を認めると、歩み寄って申し渡した。
「其方(そち)達は今日よりここを出て、其々(それぞれ)汐汲組と柴刈り組の小屋へ移る様。案内して遣(や)る故、直ぐに仕度をせよ。」
「それは、何卒(なにとぞ)御容赦を。」
「何を申す。奴婢(ぬひ)はここに来て十日を過ぎれば、新参小屋を明け、各組に移ると決まって居る。我儘(わがまま)は許されぬぞ。」
そう言って、無理遣(や)り二人を連れて行こうとするので、万珠は傍に隠して置いた柴刈りの為の鎌を手に取った。そして郎党達が一瞬怯(ひる)んだ隙に、刃を己の首に当てる。
「弟は、石浦の御館より療養の御許しを戴いた程、重い傷を負って居りまする。私の他には、手当てをする者が居りませぬ。私と引き裂かれた後、弟は間も無く死んでしまう事でしょう。死を覚悟で御願い申し上げまする。今暫(しばら)く、私達姉弟を同じ組に置いて下さりませ。」
万珠の気迫は凄(すさ)まじく、郎党が一歩でも近付けば、直ちに自害に及ぶ気配であった。
やがて、郎等の方が先に折れた。
「確かに、忘路がその有様では、柴刈り組に移した所で迷惑であろう。暫(しば)し待って居れ。」
そう告げて、郎等の一人は新参小屋を出て行った。万珠が早まらぬ様、監視の為に残ったもう一人の郎党は、部屋の隅(すみ)で事の成行きを見守って居る奴婢(ぬひ)達に怒鳴(どな)った。
「御主等は作業の始まる刻限であろう。とっとと行かぬか!」
新参小屋の奴婢(ぬひ)達は悉(ことごと)く、慌てふためき駆け出て行った。
その後四半時程、新参小屋には張り詰めた空気が漂(ただよ)って居た。万珠は覚悟を決めた顔で鎌を首に掛け、一方で郎党は万珠が自害に及ばぬ様、一定の距離を置いて居た。
そこへ、漸(ようや)く館の者が到着した。それと同時に、万珠を監視して居た郎党は、驚いた面持ちで平伏(ひれふ)す。新参小屋に姿を現したのは、三庄太夫の三男、橋立三郎であった。三郎は万珠に優しく微笑(ほほえ)み掛けると、ゆっくり)と歩み寄った。万珠は鎌を持ち手に力を込めるも、躊躇(ちゅうちょ)が生じて居た。昨夜、石浦の兵が弟を打つのを、止めてくれた人物だからである。
三郎は万珠の直ぐ手前に膝(ひざ)を突くと、穏やかな声で告げる。
「館内の儂(わし)の居間の側に、粗末な物置小屋が建って居る。父上より、そこなら二人を住まわせても良いとの許しを、得て参った。汚く手狭(てぜま)な処だが、姉弟離れ離れに成らずに済む。そこへ移るのは如何(どう)か?」
万珠は惚(ほう)けた顔でゆっくりと鎌を首より離し、静かに後方へ置いた。そして、三郎に向かって手を突いて、頭を下げる。
「有難うござりまする。この御恩は、生涯忘れは致しませぬ。」
「そうか。」
三郎は郎党に医王丸を背負わせ、物置き小屋へと案内する。万珠は急ぎ二人分の荷を纏(まと)め、三郎の後に付いて行った。
三郎は石浦の北西、宮津湾の最深部にして、阿蘇海を北に望む、妙見山の山裾に居館を構えて居る。彼(か)の地から丹後国府までは、水上を細長い陸地が橋の様に続いて居る。通称「天橋立」(あまのはしだて)と呼ばれ、風光明媚な土地である。三郎は橋立の地頭職を、父三庄太夫より任されて居るが、その地で集めた税は右大臣家献上用とされつつも、先ずは石浦に運び、三庄太夫の財に纏(まと)められる。その任の為に、石浦館内には三郎の住居も用意されて居た。とは言え、石浦滞在時に使うだけの仮の宿である。館内でも、隅(すみ)に位置する間が宛(あて)がわれて居た。貴人の間とは大分隔(へだ)てて居る為に、粗末な物置等も在り、幸運にも太夫の許しを得て、そこに姉弟二人で住む事が出来る様に成った。
万珠は小屋の隙間に筵(むしろ)を敷き、そこに郎党が医王丸を下ろした。三郎は、郎党に別の用を申し付けてこの場を去らせた後、小屋の中に入って、医王丸の脇に腰を下ろした。そして、ゆっくりと頭を下げる。
「昨夜は当方の兵に非が有った。済まぬ。」
その様に、医王丸も万珠も驚きの色を顕(あらわ)にした。強欲な三庄太夫と、嫡男由良次郎の姿を見て来ただけに、三郎の優しさは意外な物であった。
「三郎様は何故(なにゆえ)、私達に優しくして下さるのですか?」
ふと医王丸が、横たわりながら尋ねた。三郎は空(くう)を見詰める様な顔で、ぼそりと話し始める。
「儂(わし)には昔、太郎と申す兄が居った。太郎兄は当家の長男として、父上が跡継ぎに期待されておわした。兄上が長じて、父上が所領の一部の管理を任せて見ると、奴婢(ぬひ)を労(いたわ)り、他の所領より少ない税しか納めない。父上は怒り、兄上に奴婢(ぬひ)を酷使して、作物を増産させる様に命じたが、兄上は一行に従う様子を見せなかった。遂に父上は激怒し、兄上の所領を召し上げ、その後太郎兄は出奔(しゅっぽん)してしまわれた。」
そして三郎は、医王丸を優しく見詰める。
「其方(そち)達は未だ幼少の身に在りながら、ここまで力を合わせて、苦境を乗り越えて来たのであろう。なればこれから先も、必ずや二人で困難を越えて行けるであろう。」
そう言い残し、三郎は小屋を去って行った。その後ろ姿を、万珠は頭を下げて見送った。
やがて三郎が見えなく成ると、万珠は荷を入れる為、小屋の整理を始めた。姉弟の生活の場を整えながら、万珠は弟に話をする。
「太郎様という御方は、随分と情の有る御人柄であった様ですね。又、三郎様はその様な太郎様の姿を見て育ち、甚(いた)く尊敬されて居られる御様子。しかし、太郎様が太夫様に逆らい出奔(しゅっぽん)する事態と成り、兄弟が離別する憂(う)き目に遭(あ)われた事を、随分と悩まれて居られる様です。」
医王丸は暫(しば)し、磐城に居た頃に学んだ事を思い出して居た。母や祖母の他、苔野(こけの)、大村、鵜沼に木戸等は皆、祖父平政氏を称(たた)えて居た。それは身内や家臣であるからというだけでは無く、祖父の成し得た逢隈(阿武隈)制圧の偉業に加え、政(まつりごと)に対する理念が立派な物であると、認められた故であろう。
祖父の理念は、高祖父良将公が実践された、民の繁栄を武士が扶(たす)け、海内の安寧に寄与するという考えが根幹と成って居た。そして、郎党や民人の信を得る為、自ら鍬(くわ)を手に取り、田畑を拓(ひら)かれたと聞く。
その後、磐城平家は滅亡した。原因は父政道が、相馬以来の精神から外れた政(まつりごと)を続けた所為(せい)であると思って来た。しかし今医王丸は、祖父政氏とは相反する理念を持った三庄太夫が、丹後の地に多くの所領を得て、栄えて居る様を目にして居る。医王丸は正と不正、善と悪の判断に迷いが生じ始めて居た。そして、三郎が尊敬する太郎の考えが正しいのか、三庄太夫が正しいのかさえ判(わか)らなく成って居た。唯(ただ)実感される事は、家が滅んでしまえば、その妻子には不幸が待って居るという事である。
万珠がある程度小屋の整理を済ませると、今度は弟の服を脱がして、膏薬(こうやく)を塗ってくれた。
「私は、これから汐汲(しおくみ)に行かなくては成りませぬ。貴方は静養を許されて居るのだから、ゆっくりと休んで居なさい。」
そう言って、薬を塗り終えると、万珠は再び弟に服を着せる。そして、急いで外へ駆けて行った。
独り物置小屋に残った医王丸は、その時、姉の背中の大きさを感じて居た。磐城の住吉御所に居た頃、姉は常陸介の姫として育てられた。大村信澄の手引で磐城を落ちた後、姉は姥竹(うばたけ)の後を只付いて来るのみで、体力も己より劣って居るかに見えた。
しかし今、姉は婢(ひ)に落されながらも、懸命に我が身を護(まも)ってくれる。何時(いつ)の間に、姉はあの様に強く成ったのか。医王丸は姉万珠の急な成長の原因が判(わか)らず、唯々(ただただ)感服するのみであった。
*
万珠は汐汲(しおくみ)の作業に勤(いそし)む傍ら、石浦に戻っては、弟の傷の手当てに努めた。その甲斐(かい)有ってか、医王丸の怪我(けが)は見る見る内に快方に向かい、半月の後には、再び柴刈りに出られる様に成った。それを見て、万珠は大いに安心した。医王丸の怪我の治りがもう少し遅ければ、三庄太夫が何らかの処分を下す怖れが有ったからである。
橋立三郎は、正に医王丸の命の恩人であった。三郎が物置小屋を貸して姉弟を住まわせなければ、医王丸は満足な手当も受けられず、今も怪我に苦しんで居たであろう。又、新参の奴(ぬ)が半月も休む事が許されたのは、事件の現場に居合わせた三郎の口から、三庄太夫へ報告が行き、医王丸を療養させた方が、結果的に損害が少ないという三郎の説得に、太夫が同意した故である。
万珠と医王丸は、三郎を恩人として感謝の念を抱(いだ)き、石浦館に在って、唯一心の許せる人であると思い始めて居た。
しかし不運な事に、万珠と医王丸は三郎の下には置かれなかった。三庄太夫の嫡男と認められ、太夫の支配する三庄の内、由良庄の管理を任されて居る、次郎の奴婢(ぬひ)とされて居る。故に、三郎が姉弟に情けを掛け様にも、次郎の権利を侵(おか)す事は出来なかった。
次郎と三郎には、その下に四郎という弟が居る。四郎は丹後国府の北に広がる、成合庄の支配を任されて居る。かつて三庄太夫が閑院藤原家の後ろ楯を得て、由良、神崎、大川三庄の支配を固めた後も、更(さら)に近隣の公領に食指を動かして居た。国府の南北に在って、国司の暴政に悩まされて居た橋立、成合二庄の良民に接触し、土地を閑院家に寄進させ、実質三庄太夫が支配する荘園と成るに至った。そして太夫は、二庄の支配に三郎と四郎を宛(あ)てたのである。
これに因(よ)り、丹後国府は南北を、三庄太夫の荘園に挟まれる形と成った。国府は太夫を恐れて憚(はばか)る様に成り、太夫は丹後国府からの自治独立権を獲得するに至った。主家閑院家の昇進も有り、太夫は誰憚(はばか)る事無く奴隷社会を築き、五庄で産する富を思いのままに扱った。
成合四郎の下には、更(さら)に小末(こずえ)という妹が居た。太夫の溺愛(できあい)する末娘であるが、病弱の為に、表へ出る事も稀(まれ)である。況(ま)して、奴婢(ぬひ)がその姿を見掛ける事は、先ず無かった。
万珠と医王丸は、斯(か)かる三庄太夫家に、奴婢(ぬひ)として仕える事と成った。石浦に来て一月も経つと、更(さら)に苛酷(かこく)な待遇が待って居た。強風や高波の日にですら、日々の務めを果さなければ、容赦無く夕餉(ゆうげ)を抜かれる罰が下されるのである。これは怠慢な奴婢(ぬひ)に対する懲罰の一環(いっかん)であったが、育ち盛りの万珠と医王丸には、殊(こと)の外(ほか)応えた。
夏や秋は未だ増しであったが、晩秋とも成ると、寒さが一層厳しく成る。姉弟は瘦(や)せ衰え、その日の務めを全うする為の体力を喪失し、食べ物に在り付けないという悪循環に陥(おちい)り始めた。それでも、何とか務めを果せた方が、持ち帰った食糧を分けて、飢(う)えを凌(しの)いで居たが、ある寒さの厳しい冬の日、遂(つい)に二人共、食べ物を得られぬ日が有った。
姉弟は小屋の中で体を寄せ合い、筵(むしろ)に包まって、寒さに堪(た)えて居た。しかし空腹は、寒さに堪(た)える力をも奪いつつ在った。
万珠はふと、己の荷から襤褸(ぼろ)の包みを取り出し、中に包まれて居た厨子を手に取った。医王丸はそれを見ると、不意に故郷磐城が懐かしく感じられた。今は謀反人村岡重頼に征服され、戻れば命が危ない地にも拘(かかわ)らず。
(磐城に帰り、故国で死にたい。)
医王丸の口からその言葉が出ようとした時、万珠は厨子(ずし)を正面に置き、手を合わせた。
そして、万珠は合掌しながら医王丸に告げる。
「家宝の地蔵菩薩は、三庄太夫に奪い取られぬ為、実は近くに隠して在りまする。仍(よっ)て御祈りすれば、願いは必ずや通じる事でしょう。」
「然様(さよう)にござりましたか。」
医王丸は家宝が未だ姉の掌中に在ると聞き、大いに安堵した。そして安らいだ心で、姉弟を御守り下さる様、御願いをした。
二人が厨子に向かって御祈りをして居る時、突然、小屋の外から男の声が聞こえた。
「篠(しの)、忘路(わすれじ)、居るか?」
万珠は慌てて厨子を襤褸(ぼろ)布に包み、立ち上がって小屋の木戸を開けた。
「はい。」
万珠が小屋より顔を出すと、目の前には館の郎党が湯気を立てた鍋を持ち、傍らには三郎が立って居た。三郎は普段の穏和な面持ちで、万珠に告げる。
「実は、当家で用意した夕餉(ゆうげ)が食べ切れぬでな、捨てるのも勿体(もったい)無い故、二人に食べて貰(もら)おうと持って参った。」
「まあ、其(そ)は誠に有難き事にござりまする。」
表の遣(や)り取りを聞いて、中から医王丸も姿を現した。
館に焚(た)かれた篝火(かがりび)が、姉弟の姿を照らし出す。初めて石浦に来たばかりの時も、大分痩(や)せて居るという印象を受けたが、今見る二人の姿は、更(さら)に悲惨な物であった。目は窪(くぼ)み、頬(ほお)は痩(こ)け、腕や足も骨と皮ばかりと思える程に細かった。
三郎は姉弟の痩(や)せた肩を掴(つか)み、心を熱くして訴える。
「由良の兄上は父上に似て、奴婢(ぬひ)の扱いが荒い。其方(そち)達は多くの苦労を経て来たと思うが、希望だけは無くさぬ様にな。」
そして、郎党に鍋を小屋の中へ運ばせると、再び館の奥へと戻って行った。
姉弟は小屋の前で、三郎に頭を下げて見送った後、小屋に入って鍋の側に座った。久しく見る事の無かった、熱々の粥(かゆ)である。
その日の晩、二人は腹を満たし、体を内から温めて休む事が出来た。眠りに就(つ)く前、同じ筵(むしろ)に包(くる)まりながら、医王丸は万珠に言った。
「家宝地蔵菩薩の御利益(ごりやく)、斯様(かよう)に早く現れるとは、思いませなんだ。」
万珠は首を振って答える。
「祖先が宇多の帝(みかど)より賜(たまわ)りし、有難い菩薩様です。必ずや貴方の身を護(まも)り通すでしょう。」
医王丸は安心した笑顔を浮かべて、間も無く寝入ってしまった。万珠も、地蔵菩薩と橋立三郎に感謝の念を抱(いだ)きながら、やがて眠りの中へと入って行った。
その翌日から、姉弟の食事が抜かれた日には、必ず三郎より差入れが入る様に成った。半月も経った頃には、万珠も医王丸も大分体力を取り戻し、再び日々の務めを果せるまでに回復して居た。
折しも冬の候である。務めを果せずに夕餉(ゆうげ)を抜かれた奴婢(ぬひ)は、悉(ことごと)く体力を失い、冬の厳しい寒さに命を散らせて行く。由良ヶ岳で元気に柴を刈る医王丸の姿を見て、誰もが不思議に感じた。そしてある日、柴刈り組みの男の一人が尋ねた。
「忘路(わすれじ)よ。御主は少し前まで飯を抜かれて窶(やつ)れ果てて居たのに、如何(どう)行(や)って元気に成ったんだ?」
医王丸は笑いながら答える。
「当家の守護神に必死に御祈りを続けた所、次第に元気を取り戻す事が叶(かな)いました。」
「へえ。有難い神様もおわされる物じゃのう。」
樵(きこり)組の一人が言う。
「この童部(わらわべ)の姉も、近頃元気に成ったと聞く。やはり、相当霊験(れいげん)灼(あらたか)なる神様が付いて居られる様じゃ。」
「ほう、己(おら)も肖(あやか)りたい物じゃ。」
柴刈り仲間や樵(きこり)組の者達は、暫(しば)し医王丸の驚くべき復帰の理由を彼是(あれこれ)話して居たが、やがて黙々と、己(おの)が作業に専念し始めた。
丹後も冬の寒さは厳しい。特に由良庄で働く者は、北方の海より吹き付ける強い寒風に晒(さら)される。奴婢(ぬひ)達は暖かい衣服も蒲団(ふとん)も無く、日々凍(こご)えながら、作業に追われる事と成る。当然、冬は最も多く奴婢(ぬひ)の過労、もしくは病死者が出る季節であった。万珠と医王丸は幾度と無く、力尽き、病(やまい)に蝕(むしば)まれて、由良ヶ岳へ捨てられて行く人々の姿を目にした。
(幾(いく)ら懸命に働けども、動けなく成れば山へ捨てられ、命を虚(むな)しくするだけである。)
ぐったりした奴婢(ぬひ)が山へ担(かつ)がれて行く度、その様な気持が起る。
奴婢(ぬひ)の中には、このままでは何(いず)れ殺されると思い、体力が残って居る内に脱走を考える者が出て来る。三庄太夫は三百の手勢を以(もっ)て、奴婢(ぬひ)達を厳重に監視させ、脱走に失敗して連れ戻される者には、額(ひたい)に焼印を押すという惨(むご)い刑を課した。恐怖心を与える事で、奴婢(ぬひ)に脱走の気を消沈させる方針を続けて居る。
されども由良の厳冬は、その驚怖心を凌駕(りょうが)した。死を近くに感じる様に成れば、焼印の恐怖所ではなく成る。連日、由良庄には脱走者が出た事を告げる、木板を叩く音が鳴り響いた。そして必ず、その日の夕刻には石浦の集落より、焼印を押された者の絶叫が谺(こだま)した。
ある日の夜、夕餉(ゆうげ)を終えた姉弟は、隙間風の吹き込む物置小屋で、筵(むしろ)に包(くる)まりながら、互いに体を寄せて居た。その夜の冷え込みは厳しく、二人は凍(こご)えながら歯をカチカチと鳴らして居る。
中々寝付く事が出来ない医王丸は、ふと思い出した事を万珠に尋ねた。
「姉上、当家の家宝である地蔵菩薩、一体何処(いずこ)に隠されたのですか?」
万珠は振り向いて、医王丸を見据(みす)えながら答える。
「あれは将来、貴方が磐城政道の嫡子である事を証明する為の、大切な物です。時が来るまで、三庄太夫の手の届かぬ所に、預かって貰(もら)って居ります。」
「姉上は将来の為と仰(おお)せになりますが、私達はこのままでは、一生由良の奴婢(ぬひ)にござりまする。」
「はい。しかし何が有っても、貴方には、この地を脱出して貰(もら)わねば。そして、佐渡におわされる母上を、助け出さねば成りませぬ。」
「佐渡の母上か。今も無事に過ごされて居られるのでしょうか?何(いず)れ私達三人が再会する日が、切望されまする。」
「希望を持ち続けなさい。必ずや私が、貴方をこの地より逃がして差し上げまする。その日が来たら、」
その時突然、物置小屋の木戸が蹴り開けられた。
不意の物音に驚いた姉弟は、慌てて起き上がり、そっと入口を見遣(みや)る。そこに立って居たのは、成合四郎と二人の従者であった。四郎はつかつかと医王丸の前に進み出て、その胸座(むなぐら)を掴(つか)んだ。
「汝(なんじ)等、今脱走の企(くわだ)てをして居ったな。」
四郎は従者に命じ、恐怖に怯(おび)える姉弟を引っ立てさせ、館内へと連行した。
*
万珠と医王丸が連れて行かれた先は、三庄太夫の居間であった。部屋の中央には囲炉裏(いろり)が焚(た)かれて暖かい。太夫はその端に座し、傍らでは重臣が炭を焼(く)べて居た。
そこへ四郎が、従者に姉弟を捕えさせたまま、得意顔で乗り込んで来た。太夫の脇には、由良次郎も居る。次郎は己の奴婢(ぬひ)を引っ立てて来た四郎に不快感を覚え、質(ただ)した。
「四郎、斯様(かよう)な処に奴婢(ぬひ)を連れて来て、一体何事ぞ?」
四郎は微笑を湛(たた)えたまま、どかりと腰を下ろし、太夫に一礼した。
「いやはや、先程我が居間へ立ち戻ろうとした所、物置小屋より人の声が聞こえて来るので、不審に思い、耳を澄ませて話を聞いて居り申した。すると驚くべき事に、脱走の謀議であったのでござりまする。某(それがし)は直ちに小屋へと踏み込み、二人を召し捕って参った次第にござりまする。」
三庄太夫の目が、ギロリと由良次郎に向けられる。
「此奴(こやつ)等は、確か其方(そなた)に預けた奴婢(ぬひ)であったのう。如何(どう)する積りじゃ?」
父の厳しい視線を受け、次郎は冷汗が額に滲(にじ)むのを覚えた。そして、姉弟の前に歩を進めて叫ぶ。
「脱走を企(くわだ)てた者が如何(いか)なる罰を受けるか、存じて居ろう。焼印の刑に処す故、鍛冶(かじ)小屋へ参れ!」
石浦の郎党に引き起され、表へ連れ出される姉弟の顔は、恐怖に引き攣(つ)って居た。しかしその時、恐怖心を押し退(の)けて、万珠が叫ぶ。
「脱走を弟に唆(そそのか)したのは私です。弟は何も悪くありませぬ。何卒(なにとぞ)、弟だけは御許し下さりませ!」
それを聞いた太夫は、郎党を止めさせた上で、四郎へ顔を向けた。四郎は思い出した様な顔で言う。
「そう言えば、姉の方が一方的に、脱走を嗾(けしか)けて居った様じゃのう。」
四郎の言葉に太夫は頷(うなず)くと、二人を捕まえて居る郎党に命じる。
「姉の方だけを、囲炉裏端(いろりばた)へ連れて参れ。」
命を受けた郎党が、万珠の腕と肩を掴(つか)んだまま、太夫の前へと引き立てて、跪(ひざまず)かせる。
太夫は万珠の顔を覗(のぞ)き込みながら、呟(つぶや)く様に告げる。
「其方(そち)には確か、篠(しの)という名を付けたのであったな。身を挺(てい)してまで弟を庇(かば)おうとするとは、中々見上げた心意気じゃのう。」
万珠は黙ったまま、俯(うつむ)いて居た。太夫は鉄の棒で囲炉裏(いろり)の灰を穿(ほじく)りながら、話を続ける。
「しかしじゃ、掟(おきて)は守らねば成らぬ。さもなくば、他の奴婢(ぬひ)に示しがつかぬからのう。其方(そち)には特別、儂(わし)自らが焼印を押して進ぜよう。」
そう言うと太夫は、囲炉裏(いろり)の火に熱されて、赤く成った鉄の棒を取り出した。
「仰向(あおむ)けにして抑えよ。」
太夫の命で、万珠は仰向けに倒され、手足を動かせぬ様に強く掴(つか)まれた。頭上には、太夫が無表情のまま立ち、熱く成った鉄棒を、万珠の額に翳(かざ)して居る。
「姉上。」
弟の声が、遠くの方から聞こえた気がした。
この時万珠の懐には、如意寺の和尚より戴いた護府が入って居た。それを思い出した万珠は、如意寺に安置されて居る、磐城平家伝来の地蔵菩薩に対し奉(たてまつ)り、心の中で手を合わせて居た。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
万珠は心を静めるべく、小声で念仏を唱(とな)え始めた。
「惜(お)しい事じゃ。後数年で、遊里に高く売れたというに。」
鉄棒は、ゆっくりと万珠の額に近付けられた。
突如、大声が太夫の間に響き渡った。
「暫(しばら)く、暫く!」
声の主は、橋立三郎であった。三郎はドカドカと足音を立てながら、太夫の前へと進み出る。
「父上、此(こ)は一体、如何(いか)なる事にござりまする?」
「実はのう、篠(しの)が忘路(わすれじ)に脱走を勧めて居った故、罰を与える所なのじゃ。」
三郎は足元に抑え付けられて居る万珠を見て、膝(ひざ)を突いて質(ただ)した。
「其方(そち)は、何処(いずこ)において捕まった?由良浜か、それとも由良ヶ岳か?」
万珠は首を振って答える。
「いいえ、住処(すみか)として御借りして居る、物置小屋の中にござりまする。愚痴(ぐち)を溢(こぼ)して居た所、四郎様に聞かれてしまいました。」
三郎はそれを聞いてほっと溜息を吐(つ)くと、立ち上がって三庄太夫に言上する。
「父上、石浦の法では、作業中に持場を許可も無く離れる事、もしくは夜間、石浦の村より出る事を脱走と定めてござりまする。物置小屋の中で呟(つぶや)いて居た愚痴(ぐち)のみで罰を与えては、却(かえ)って法は破られ、他の奴婢(ぬひ)達にも要らぬ動揺が走りましょう。」
「まあ、確かにのう。」
太夫は顎鬚(あごひげ)を撫(な)でながら、鉄の棒を囲炉裏(いろり)の中へ戻した。
「さて次郎、御主に預けた奴婢(ぬひ)じゃ。この件、如何(いか)に解決致す?」
由良次郎は暫(しば)し考えに耽(ふけ)った。此度の事件の発端を起した四郎、理を唱えて別の解決策へと導く三郎、二人の弟の視線が次郎に注(そそ)がれる。
苦慮の末、次郎は断を下した。
「此度の件、原(もと)を質(ただ)せば、篠(しの)と忘路(わすれじ)の我儘(わがまま)を聞き入れ、特別扱いをした所に行き着く。仍(よっ)て両名は直ちに物置小屋を退去し、各々が本来入るべき所、即(すなわ)ち汐汲組、柴刈り組の小屋へと移る様に。こう成れば、姉が弟に脱走を唆(そそのか)す事も出来まい。」
その意見に太夫は黙って頷(うなず)き、三郎も四郎も、特に異論を唱(とな)える事は無かった。
それを確認した上で、次郎は郎党達に命じ、姉弟を一旦物置小屋へ帰させた。万珠も医王丸も、一先ず焼印の刑を免(まのが)れた事に安堵した物の、この後二人は引き裂かれ、遂(つい)に独りに成ってしまう事を悲しんだ。
物置小屋に戻った姉弟は、各々の僅(わず)かな荷を纏(まと)めた。家宝を納めて居た厨子(ずし)は万珠が預かる事で、医王丸には異存が無かった。地蔵菩薩の在(あ)り処(か)を知るのは、姉のみであるからである。
荷を担(かつ)いで小屋を出ると、姉弟は其々(それぞれ)石浦兵二人ずつに同行され、同僚が住む小屋へ向かう事と成った。
月は雲居に隠れ、館の篝火(かがりび)のみが辺りを照らして居る。程無く、奴(ぬ)と婢(ひ)の居住区の境に着いた。ここで別れてしまえば、後は同じ石浦に在るとは雖(いえど)も、何時(いつ)再会出来るか判(わか)らない。ともすれば、今生の別れに成るやも知れない。医王丸はぼそりと呟(つぶや)いた。
「姉上、御元気で。」
万珠も弟に別れの言葉を掛け様としたが、声が出なかった。医王丸はここでは、忘路(わすれじ)という名である。しかし別れの時、弟をその名で呼びたくはなかった。
弟は、闇夜の中へと消えて行く。万珠はその場を離れ難く、叶(かな)う事ならば弟の後を追いたかった。しかし直ぐに、石浦の兵が万珠の腕を強く掴(つか)み、汐汲組の小屋へと連れて行った。
万珠が小屋に入ると、突然後ろに居た兵が突き飛ばした。万珠は小屋の中程に倒れ込み、近くに居た汐汲(しおくみ)女が驚いて飛び上がった。
「その女は脱走を企(くわだ)てた不埒(ふらち)者じゃ。其方(そち)達で良く監視し置く様。念の為に申して置くが、その女が脱けた時、其方(そち)達にも監督不行き届きの罰が及ぶぞ。」
兵はそう言い放つと、荒く戸を閉めて去って行った。
それを見届けた後、万珠を抱き起してくれる者が在った。万珠に汐汲(しおくみ)を教えた小萩である。小萩は万珠の顔を見て、安心した表情を浮かべた。
「良かった。焼印はされずに済んだ様ですね。」
万珠は小萩の笑顔を見た途端(とたん)、堰(せき)を切った様に止処(とめど)無く、涙が溢(あふ)れ出した。焼印の恐怖、弟との別離。今し方体験した二つの出来事が一つの衝動と成り、万珠の心を激しく揺さ振った。小萩は泣き噦(じゃく)る万珠を抱き留め、優しく頭を撫(な)でる。
「あれだけかわいがって居た弟さんと引き離されて、嘸(さぞ)や御辛い事でしょうね。今は、思い切り泣きなさい。」
他の汐汲女達が、遠巻きに万珠を見詰めて居る。小萩は同僚達に静かに告げた。
「篠さんの事は、私が責任を持って面倒を見ます。皆さんは、先に御休み下さい。」
小萩が真顔で言うので、他の婢(ひ)達はぼそぼそと呟(つぶや)きながらも、各自の筵(むしろ)に包(くる)まった。
その後暫(しばら)く、万珠は小萩の懐(ふところ)で泣いて居た。しかしその内に、悲しみに代わって、小萩の温(ぬく)もりを感じる様に成って行った。
一方で、医王丸は柴刈り組小屋の隅(すみ)に独り、横たわって居た。真っ暗な天井を仰(あお)ぎながら心に浮かぶのは、姉と離れ離れに成ってしまった事で、遂(つい)に身の回りから、磐城所縁(ゆかり)の者を悉(ことごと)く失ったという悲しさである。
(村岡重頼が野心を起さなければ、母上も姉上も、住吉御所で平和に暮らせた物を。)
医王丸はここに至り、村岡重頼を更(さら)に憎(にく)んだ。執政が奥州海仙両道に君臨し、その主君が丹後の奴(ぬ)に落ちて居るという現実を見詰める度、医王丸の心は激しく痛んだ。
ふと、柴刈り組の翁(おきな)が側に腰を下ろし、医王丸に尋ねた。
「先刻御主を連れて来た兵は、御主が危うく脱走を試みる所であったと言って居たが、真(まこと)の事か?」
医王丸は翁(おきな)から顔を背(そむ)けて答える。
「私は石浦の地理も判(わか)らず、越後より売られて参った者。脱け出した所で身寄りも無い。只、今の暮しは嫌じゃとぼやいて居たのを、館の者に聞かれてしまったまでの事。」
「然様(さよう)か。それならば今後は気を付けるのじゃな。」
そして翁(おきな)は、医王丸の耳元にそっと顔と近付け、周囲に聞こえぬ様囁(ささや)いた。
「御主は幼い。今石浦を脱けても、立ち所に追手に捕まってしまうじゃろう。追手は周辺の野山を知り尽し、強靭な身体を持って居る。ここから逃げたいのであれば、成長するのを待て。後三年もすれば、御主の身体も大人と同じ程に育つであろう。それまでは体に気を付け、大人しくして置く事じゃ。」
それだけ告げると翁(おきな)は体を起し、笑いながら話を接いだ。
「儂(わし)みたく年を取り過ぎた者は、足腰も弱って、到底脱走など考えもしなく成るがのう。」
翁(おきな)の言葉を聞いて、医王丸は万珠の真意に気付いた。万珠は隙(すき)を見て医王丸を逃がすと言って居たが、それは今日明日の話ではない。医王丸が大人に劣らぬ脚力を備え、山道を駆け抜けられる様に成るのを待っての話である。家宝の地蔵菩薩を隠したのも、数年待つ間に失われぬ為の配慮であろう。
漸(ようや)く万珠の言動に得心した医王丸は、離れてしまった姉の身を案じつつ、筵(むしろ)を被(かぶ)って眠りに就(つ)いた。
翌朝、医王丸は柴刈り組の者達と共に朝餉(あさげ)を貰(もら)いに行き、その折に山へ入る時に携行する、午餉(ひるげ)を納めた樏(わりご)を受け取ろうとした。しかし給仕の者は笑って答える。
「小童(こわっぱ)、今日からは冬の作業じゃ。山へは入らぬ。」
側に居た翁(おきな)も、医王丸に告げる。
「我等は今日より里に留まり、藁(わら)を打たねば成らぬ。」
医王丸の新たな務めは、藁(わら)製品を作る前に、先ず藁を打ち叩いて、柔らかくする作業であった。
万珠の属する汐汲組も浜の作業を終え、糸を紡(つむ)ぐ作業に追われる様に成った。万珠は当初、中々上手(うま)く紡ぐ事が出来なかったが、しかし小萩が親切に教えてくれるので、次第に骨(こつ)を掴(つか)んで行った。
冬の間、万珠と医王丸は同じ石浦の内に在って、其々(それぞれ)の務めを果して居た。しかし屋内の作業の為、別の組との接点は殆(ほとん)ど無い。姉弟は同じ里に居て顔を合わせる事が無いまま、長い月日が過ぎて行った。
この年、宮中にも幾(いく)つかの動きが有った。先ず、四月二十三日に改元が行われ、長和六年(1017)は寛仁(かんにん)元年と改められた。その前の月、三月に藤原道長が左大臣を辞し、代わって右大臣顕光(あきみつ)と内大臣公季(きんすえ)が其々(それぞれ)昇進する運びと成った。又、道長は摂政の職と氏長者(うじのちょうじゃ)も、嫡子頼通に譲ってしまった。新たに左大臣を拝命した堀河藤原家顕光は、娘延子(えんし)を東宮敦明(あつあきら)親王に嫁がせ、既(すで)に敦貞(あつさだ)親王を儲(もう)けて居る。このまま東宮が即位する日が来れば、堀河家は帝(みかど)の外戚として、強い発言力を持てる筈(はず)であった。
五月、三条院が崩御。父であり、強力な後ろ楯を失った敦明親王は八月、皇太子の辞退を願い出てしまった。道長はこれを受理し、代わって小一条院の称号を与えた。准太上天皇と成った上に、道長の娘寛子(かんし)を娶(めと)る事と成り、敦明親王は道長に付いた方が有益と考えたのか、妻延子と子敦貞親王を捨て、寛子の元へ去ってしまった。ここに、左大臣顕光が藤原摂関家の長者と成る夢は潰(つい)えた。夫に去られた延子は、失意の内に病没したという。この件を受け、顕光は一夜にして白髪と成り、道長を怨(うら)んで蘆屋道満に呪詛(じゅそ)をさせたという記録が残る。
十二月、道長は太政大臣に就任し、位人臣を極めた。しかし程無く辞任し、摂政頼通の後継体制を盤石な物とする事に専心する。
翌寛仁二年(1018)三月、道長は三女威子(いし)を十一歳の帝(みかど)の女御(にょうご)に入内(じゅだい)させ、十月十六日には中宮へ立后させた。一条院には長女彰子(しょうし)、三条院には次女妍子(けんし)、そして今上天皇には三女威子を后(きさき)とした。一家より三后を立てたは未曾有(みぞう)の事である。
この日、道長の邸にて、立后祝賀の宴(うたげ)が盛大に催された。諸公卿が列席する中で、道長は即興で一首の歌を詠(よ)んだ。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思へば
万珠と医王丸が、丹後の三庄太夫の下で奴婢(ぬひ)として酷使されて居る頃、都では藤原摂関家が、かつて無い栄華を誇(ほこ)って居た。