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第十四節 越後路
金山峠を下り、山間を金山川沿いに進んで行くと、やがて須川という大川に出た。ここからは、次第に平野部が目立つ様に成って来る。蔵王の連峰を東に望みつつ、頓(ひたすら)北を目指す事二日、一行は漸(ようや)く最上の駅家(うまや)に到着した。
この地は出羽国村上郡の首邑(しゅゆう)である。茂作は先ず四人を宿へ案内し、一人郡衙(ぐんが)へ出掛けて行った。宿で待つ間、四人は山越えで汚れた服から、もう一着携行して来た綺麗な服へと、着替えを済ませた。
一方で茂作は、郡衙に詰める知人の元を訪れ、陸奥国信夫(しのぶ)郡司平政澄の使いとして、一つの要求を提示して居た。
やがて、茂作は宿へと戻って来た。その時に医王丸等を驚かせたのは、茂作の後ろに、輿(こし)が四梃(ちょう)用意されて居た事である。茂作は大和田より、政澄名代の証書を渡されて居り、それを以(もっ)て村山郡衙に手配をさせたのであった。
茂作は御前の前へ進み出て、跪(ひざまず)いて言上する。
「御方様、輿(こし)の用意が整いましてござりまする。」
母御前は感謝の意を湛(たた)えて答える。
「助かりました。」
然して御前は輿(こし)へと向かい、犒(ねぎら)いの言葉を掛けた後、それに乗り込んだ。医王丸、万珠、姥竹(うばたけ)も、御前に続いて各々の輿に乗り、荷は二人の人足が宿より受け取った。
仕度が整うと、輿(こし)担ぎの一行は、更(さら)に北を目指して出発した。輿の中で御前は、己等に対し、磐城郡司の一族に相応(ふさわ)しい礼を以(もっ)て、遇する様に手配してくれた茂作に、深く頭を下げて居た。
一行を乗せた輿(こし)は街道を進み、やがて西へ逸(そ)れて最上の大河に出た。ここからは、流れに乗って船で下る。その方が早く国府に着く事が出来、又山賊に遭(あ)う心配も無いからである。四人に手を貸して舟に乗せ、又積荷も移し終えると、茂作は岸に立ったまま、母御前に恭(うやうや)しく申し上げる。
「御方様に、御願いの儀がござりまする。」
茂作が急に改まって言うので、御前は些(いささ)か驚きの色を示した。
「如何(いかが)したのです?」
「某(それがし)は、信夫を出てからこの方、大和田様や仲間達、又家族の事が心配でなりませんでした。ここまで来れば、皆様の御身(おんみ)も安泰でござりましょうし、これ以上、某(それがし)がして差し上げられる事はござりませぬ。この場にて信夫へ引き返す事、何卒(なにとぞ)御許し下さりませ。」
御前は寂しさを隠し切れぬ顔で、茂作に答える。
「其方(そなた)の友や家族を想う心、痛い程よく解りまする。これ以上、其方(そばた)を信夫より引き離す事は出来ませぬ。大和田殿や信夫の者の事、宜しく御頼み申します。」
「ははっ。」
茂作は路銀や平政澄の書状を御前に渡すと、深く頭(こうべ)を垂れた。そしてそのまま、舟は岸を離れて行った。
医王丸の周りには、再び母と姉、姥だけに成ってしまった。
村山、置賜(おきたま)地方はここ数日雨が無かったらしく、川の流れも緩(ゆる)やかである。四人は奥羽山脈を横断した疲れから、何時(いつ)しかうとうとと寝入ってしまった。その日は避翼(さるはね)に上陸して宿を取り、翌日には出羽国府へ到着する事が出来た。
出羽国府は庄内平野の東、飽海(あくみ)の駅家(うまや)より街道に沿って直ぐの処に置かれて居る。今までの逃避行は、磐城より常に案内人が付いて居てくれた為、諸々の事を手配して貰(もら)えたが、ここからは全て、四人で成さねば成らない。母御前は気丈に構え、国府の大門へと歩を進めた。
母御前が大門の前に立つと、門番兵二人が駆け寄って来た。
「何者か?」
女子供の四人連れである為、番兵は然程(さほど)警戒して居ない様である。
「私は、信夫郡司平政澄の義姉でござりまする。大事が有って、越前へ参る用がござりまする。当地には北陸道への交易の為、信夫平家が商用に使う船が繋(つな)がれて居ると聞きました。何卒(なにとぞ)、案内を願いたく存じまする。」
番兵は、女子供だけで、護衛兵の一人も付いて居ない事を怪しんだ。
「御前は、信夫の使いである証書を御持参なされておわされるか?」
「はい。」
御前は懐から、茂作より渡された書状を取り出して、番兵に差し出した。
番兵はそれに目を通したが、未だ合点(がてん)が行かぬ様子である。
「此(こ)は信夫の郡司殿が、大和田氏に宛(あ)てた物の様だが、その大和田殿は?」
「はい。急用が出来(しゅったい)し、信夫に留まる事と相成りました。故に、私共だけで参る事に成ったのでござりまする。」
母御前の話を聞き、番兵達は相談を始めた。
「何分にも信夫の事、我等だけで軽率に対応しては、事ですぞ。」
「そうじゃのう。」
番兵達は悩んだ挙句(あげく)、門を開ける事にした。
「水運の事は、掾(じょう)の殿が管轄されて居り申す。これより皆様方の御来訪を報告致しまする故、中にて御待ち下さりませ。」
番兵は急に鄭重な態度に変わり、国府内の一室へと案内した。
そこで待つ間、医王丸は疑問に思う所を母に尋ねた。
「母上、態々(わざわざ)国府へ赴き船を調達されるは、姉上や姥竹の足を気遣っての事にござりましょうか?」
「確かにそれも有ります。しかし第一の理由は、念珠関(ねずがせき)です。」
「念珠関?」
「往古、越後国を北方の蝦夷(えみし)より護る為に築かれた関で、越後との国境に在ります。徒(かち)で西を目指せば、必ずここを通らねば成りませぬ。そこで妾(わらわ)等の素姓を説明し、通行の許可を得るは、とても難しい事なのです。」
磐城の南、菊多の南端にも、同じ性質を持つ奈古曽関(なこそのせき)が在る。それ故に、母御前は関に係る知識を持ち得たのであった。母の説明を受け、医王丸は新しく得た知識を噛み締める様に、頷(うなず)いて居た。
待合の間で待つ事暫(しば)し、漸(ようや)く国府の者が姿を現した。
「掾(じょう)の殿、御越しにござりまする。」
それを聞き、四人は上座に向き直って、礼を執った。そこへ出羽掾(でわのじょう)が入室し、上座へゆっくりと腰を下ろす。
「楽にされよ。」
掾(じょう)の声を受け、四人は静かに頭を上げる。四人の顔を一通り眺めた所で、掾は話を始めた。
「貴女(あなた)方が越前へ行かれる事が、奥羽越の交易を更(さら)に盛んにする事に繋(つな)がるのであるならば、出羽国府としては、これを支援する考えでござる。されど信夫の船は先日、酒田津を発ったばかりなれば、丁度(ちょうど)西国へ向かう当国の輸送船が酒田に停泊して居りまする故、それに乗れる様、手配致し申そう。」
「はい、有難き御配慮と存じまする。」
母御前を先頭に、四人は深く頭を下げた。掾(じょう)は立ち上がると、微笑を湛(たた)えて告げる。
「それに乗れば、越前三国の湊(みなと)に寄港致し申す。海上の安全を御祈り致す。」
「有難き事にござりまする。掾(じょう)の殿の御厚恩は、必ずや信夫の政澄に伝えまする。」
掾(じょう)は頷(うなず)くと、一揖(いちゆう)して退出して行った。
この時医王丸は、物事が美(うま)く運んだ喜びよりも、一国の掾(じょう)がいとも簡単に動いてくれる信夫の力に、驚きを覚えて居た。そして医王丸自身は、その本家の当主である。かつて祖父政氏が、奥州五十四郡の太守と評された事を耳にしては居たが、此度の出羽掾の対応を見て合点(がてん)が行った。それに比べ、政氏の嫡孫である我が身の無力さを思うと、無念さに体が震えて来るのであった。
出羽掾の協力が得られた四人は、国府の兵の護衛を得て、小舟で酒田津へ赴き、そこから大型の輸送船へと乗り換えた。
この船は出羽守の命を受け、膨大な物資を積み込んで居り、越前角賀(つぬが)の湊(みなと)に寄港し、京へ輸送する予定である。途中、三国の辺りで下船させて貰(もら)える事は、出羽掾の特別な計らいに因(よ)る物であった。
屋形の中は荷が山と積まれて在ったが、四人は僅(わず)かな隙間を見付け、そこに腰を下ろした。
御前は一つ溜息を吐(つ)くと、漸(ようや)く緊張が取れ、安らいだ面持ちに成り、三人に告げる。
「これで、越前の足羽(あすわ)殿の元へ行く事が出来まする。足羽殿と近江の兄上の協力が得られれば、義父上様の御赦免、延(ひ)いては村岡への懲罰が成されるでしょう。義父(ちち)上様を奉じ、村岡が追放されれば、妾(わらわ)達は再び、磐城の地で平穏に暮らせまする。」
御前の言葉に因(よ)り、三人は将来の希望を再確認する事が出来た。そして希望は、船内の窮屈さを忘れさせてくれた。
間も無く、荷の積み込みと、船員の乗船が完了し、船は酒田津を離れ始めた。船は南へ針路を採り、北西に浮かぶ飛島が、次第に遠ざかって行く。この時、最上川の河口も雄大に見えたが、何より医王丸の心を震わせた物は、庄内平野の北方に聳(そび)え立つ、鳥海山の威容であった。西の海辺にその裾野(すその)を広げる独立峰は、出羽富士の異名を持つ。未だ冠雪を続ける稜線は、その形を青天にくっきりと浮かび上がらせ、実に壮麗な姿である。医王丸は、この佳景が遠退(の)いて行く事を惜しんで居た。
暫(しば)し進むと、水夫(かこ)達の声が聞こえて来た。
「漸(ようや)く念珠関(ねずがせき)じゃ。」
「荷の積み込みに時を取られ過ぎた。今宵は磐舟(いわふね)に停泊だべ。」
医王丸は左舷に移り、東の陸を望んだ。海岸には平地が一町も無く、直ぐ奥は丘陵地と成って居る。成程(なるほど)、これなら僅(わず)かな兵を以(もっ)て、出羽と越後を繋(つな)ぐ街道を、容易に封鎖出来る。医王丸は、菊多に在る奈古曽関(なこそのせき)すら見た事が無い。往古、奥羽の蝦夷(えみし)より吾妻(あづま)や北越を堅守すべく倭(やまと)の王朝が築いた関を見るのは、これが初めてであった。医王丸は今に成って、母が出羽国府を訪ねた事は、正しかったと思えた。羽越を繋(つな)ぐ真面(まとも)な道は、海岸沿いにしか無い。もしあの関で通行の許可を願い出て居れば、我等の素姓から、旅の目的まで質(ただ)され、面倒な事に成って居たかも知れなかった。
不意に、医王丸の肩を叩く者が居た。振り向いて見れば、船頭の姿が在る。その男は、西を指差して告げる。
「東にも陸は在るが、西にも陸は見えるぞ。」
言われるまま、医王丸は右舷へと移った。そして最初に目に入った物のは、一つの島であった。医王丸がつまらぬ表情を浮かべたので、船頭は笑って言葉を接いだ。
「粟(あわ)島ではない。もっと先に在るであろう。」
西の空は、俄(にわか)に天候が崩れ始めた様子である。どんよりと黒い雲が立ち籠(こ)め、暗く成って居る。医王丸はよくよく海原を見渡して居ると、ふと、彼方に陸が浮かんで居る事に気付いた。
「あれは、韓国(からくに)にござるか?」
「いや、韓国(からくに)はずっと西。和子(わこ)が目指す越前よりも、遥かに先じゃ。あれは、越後の沖に浮かぶ佐渡ヶ島じゃ。」
「あれが佐渡国。」
話に聞いた事は有った。直(じか)に見れば、本州から離れた島で一国を成すだけ有り、広大な島である。医王丸は生まれて初めて見る景色ばかりで、胸がときめいて居た。
やがて日が暮れて来た。その日は一気に越後の蒲原津(かんばらのつ)まで進み、その地に停泊する事と成った。船が接岸した後、船頭が屋形で休んで居た、四人の元へ姿を現した。
「今宵(こよい)は陸の宿を手配致しまする故、一先ず下船して下され。水夫(かこ)に案内をさせまする。」
「解りました。直ちに下りまする。」
母御前が答えると、四人は水夫(かこ)の手を借り、湊町に上陸した。船に暫(しばら)く乗って居た為、未だ揺られて居る感じがする。
船頭は緊迫した面持ちで、水夫(かこ)達に采配を振って居た。その様子を医王丸は、只大変だなと眺めて居た。やがて水夫(かこ)の一人が、宿の手配が付いた事を報せて来たので、己の荷を担ぎ、母達と共に宿へと向かって行った。
*
その夜、俄(にわか)に風が強まったかと思うと、突然の暴風雨が越後を見舞った。医王丸が泊まった宿も、突風が吹く度に、柱がギシギシと軋(きし)む。磐城の冬に訪れる空(から)っ風にも劣らぬ猛威に、医王丸は体を硬直させ、一夜を凌(しの)いだ。
翌朝、嵐が去った湊町の様相は一変して居た。随所で倒壊した家屋が目立ち、信濃川は氾濫(はんらん)して居る。町は、一夜にして破壊されて居たのであった。
宿は信濃川の西岸に在り、湊とは大河を挟み、隔絶(かくぜつ)されてしまった。母御前以下四人は、宿を出て被災地を眺め、暫(しば)し呆然(ぼうぜん)とする他は無かった。
やがて、今後如何(いか)にすべきか、御前と姥竹が相談を始めた時、傍らで万珠が沖を指差した。
「大河の中、舟を漕(こ)いで、此方(こちら)に向かって来る者が居りまする。」
御前達も、万珠が示す方を振り返った。朝日に照らされ輝く水面を進んで来る男は、よくよく見れば、昨夜、宿へ案内してくれた出羽の水夫(かこ)であった。医王丸は水際(みずぎわ)まで駆け、水夫(かこ)に向かい、大きく手を振った。
水夫(かこ)は信濃川西岸に小舟を漕(こ)ぎ着けると、陸に上がり、医王丸に一揖(いちゆう)した。医王丸の後を追う様に、他の三人も水辺に下りて来た。
御前は水夫(かこ)の前に辿(たど)り着くと、不安気に尋ねる。
「昨夜は酷(ひど)い嵐でしたが、船の方は大事有りませぬか?」
水夫は表情を翳(かげ)らせて答える。
「船頭より、信夫御前様への言伝(ことづ)てにござりまする。昨夜の嵐に因(よ)り、当国の船も被害を受け申した。仍(よっ)てこれ以上の航行は不可能にて、出羽国府へこの旨を報告する使者を遣(つか)わしまする。信夫御前様以下には、使者の舟に同乗され、一先ず出羽へ戻られる事を御勧め致す次第にござりまする。」
三人は憮然(ぶぜん)とした面持ちに成った。折角(せっかく)越後まで来たというのに、再び出羽へ戻されては、草臥(くたびれ)儲(もう)けである。加えて、少しでも村岡の近くに戻される事に、恐怖心が呼び起される。そして御前は、笑顔を湛(たた)えて答える。
「船頭殿の御配慮に、感謝致しまする。されども、私達は越前への旅を急がねば成りませぬ。ここからは北陸道を徒(かち)にて参りまする故、船頭殿には宜しく御伝え下され。」
「はっ。」
水夫(かこ)は御前の言葉を承ると、一礼して、再び舟に飛び乗った。そして水浸(びた)しと成った蒲原津(かんばらのつ)へ向かい、舟を漕(こ)ぎ出して行った。
御前は水夫(かこ)を見送った後、振り返って医王丸、万珠、姥竹に対し、真顔で言い渡す。
「思わぬ所で、出羽の支援が途絶(とだ)えてしまいました。されど、このまま北陸道を西へ進めば、やがては越前足羽に至り、その先には京師が在りまする。皆で力を合わせ、磐城家再興の為に努めましょう。」
「はい。」
姥竹と万珠は、揃(そろ)って返事をした。そして居王丸は、心の内を吐露(とろ)する。
「憎き父上の仇(かたき)、村岡重頼。彼奴(あやつ)を討つまでは、父上も浮かばれますまい。この後、如何(いか)なる困難が待ち構えて居ようとも、必ずや乗り越えて見せまする。」
医王丸と行動を共にする三人の女性は、この幼き流浪(るろう)の当主の決意を聞き、頼もしく感じて居た。しかし村岡を討つとなれば、当然伯母の花形御前や、従兄(いとこ)の五郎重常、六郎重宗を敵に回さねば成らない。母御前は一族内訌(ないこう)の複雑さに、心が痛むのを覚えた。
意気軒昂(けんこう)、四人は自力で越前を目指し、歩を進めた。しかし、次第にそれが一方(ひとかた)成らぬ事である事を、思い知らされる事と成った。先ず、幾日も歩き続けど、中々越中国へ辿(たど)り着かなかった。
越後は広大である。蒲原津(かんばらのつ)より街道は海を離れ、内陸を通る様に成る。やがて越後国の一宮(いちのみや)、弥彦社の東を過ぎ、伊神(これかみ)の駅家(うまや)から再び海辺へと出る。直ぐ南の渡部(わたりべ)からは、佐渡や越中の船が行き来して居た。
ここを過ぎると、蒲原(かんばら)郡を出て古志(こし)郡に入り、大家(おおやけ)の駅家(うまや)へ至る。その先は三島(みしま)郡内で、多岐と三嶋、二つの駅家(うまや)を経る。
この辺りからは次第に佐渡ヶ島が遠ざかり、愈々(いよいよ)国府を擁する上越地方、頸城(くびき)郡へと入る。佐味庄を過ぎると、やがて関川の辺(ほとり)に、大きな邑(ゆう)が形成されて居るのが見えた。関川下流には、越後国府、国分寺、水門の駅家(うまや)等が集中し、正に越後国の中心を形成して居る。
一日街道を歩き通した四人は、既(すで)にくたくたに疲れ果てて居た。そして町を見た途端、今日はきちんとした宿で休めるという安心感が生ずると共に、疲労が加速的に全身を襲うのであった。
特に、万珠の疲弊(ひへい)は顕著(けんちょ)であった。館の女性は普段、徒(かち)で遠出をする事は先ず無い。姥竹は磐城郡白田郷で育った幼少期に、ある程度身体を鍛(きた)えて居り、又母御前は齢(よわい)二十九と、体力的には充実した歳である。されども、万珠は未だ少女故に体力的に劣り、弟の医王丸にも遅れを取って居た。
久しく万珠の世話役を務めて来た姥竹は、姫が辛苦を押して歩く姿に心を痛め、足を止めた。
「御待ち下さりませ。」
その声に他の三人は足を止め、母御前が疲れた顔で尋ねる。
「如何(いかが)したのですか?」
「はい。国府周辺には町が広がり、宿を歩き回りて探すは難儀な事と存じまする。私が浜へ下りて、凡(おおよ)その処を尋ねて参りまする故、皆様方にはこの辺りで御待ち戴き、脚を御休め下さりまする様。」
「おお、助かりまする。では妾(わらわ)達はここで待って居りまする故、宿の在り処(か)を聞いて来て給(たも)れ。」
「はい。」
姥竹は一揖(いちゆう)すると、重い足を無理に動かし、浜へと下りて行った。
母子達は道端(みちばた)に置かれた石に腰を下ろし、やれやれと言いながら、ぱんぱんに張った脚を叩く。そして一方で、浜に下りた姥竹の方へ目を遣(や)った。
夕陽が、越後の海を黄金(こがね)色に照らして居た。間も無く日が暮れる。皆、早く宿に入りたいという気持が強まって居た。姥竹は、汐汲(しおくみ)の女が引き揚げて来る所に声を掛け、道を尋ねて居る。暫(しば)し話を聞いた後、姥竹は砂浜に足を取られながらも、急ぎ御前達の元へ駆け上がって来た。
三人は立ち上がって姥竹を迎えた。御前が犒(ねぎら)いの言葉を掛ける。
「其方(そなた)も疲れた事でしょう。ゆっくり息を整えてから、宿へ向かう事に致しましょう。」
所が、姥竹は大きく首を横に振り、呼吸を荒げながら話し始める。
「御方様、一大事にござりまする。受領(ずりょう)の御触れに因(よ)り頸城(くびき)郡内では、余所(よそ)者に宿を貸しては成らぬ事に成って居るそうにござりまする。」
「何ですって?」
母御前は驚きの声を上げた後、今宵(こよい)の夜露(よつゆ)を如何(どう)凌(しの)ぐか考えねば成らなかった。
そこへ、先程姥竹が尋ねた汐汲(しおくみ)の女が上って来て、同情心から心を掛けて来た。
「もし、幼子二人を連れての旅でございますか?」
「はい。しかし何故(なにゆえ)当地では、宿貸しを禁じて居るのでござりましょうか?」
合点(がてん)が行かぬ点を、母御前が尋ねた。
「聞いた話では、この辺りに悪人が出るとか。詳しい事は、この先の荒川に架かる応化(おうげ)橋の手前に高札(こうさつ)が立って居り、それに書かれて居る様でございます。文字が読めるのであれば、それを御覧になられれば良いと存じますが。」
そして、汐汲の女は万珠と医王丸に視線を移す。
「こんな草臥(くたび)れた様子で、可哀相(かわいそう)に。そうじゃ。応化橋の下に、妙高の御山の方より切り出した材木が置かれて在ります。後程(のちほど)私が藁筵(わらむしろ)を持って参ります故、それを御敷き下され。置かれた材木が屋根や壁の役を成しますれば、少々の風や冷えは凌(しの)げるでしょう。」
御前は、深く頭を下げて答礼した。
「見知らずの者に対し、斯(か)かる御厚情。誠に以(もっ)て御礼の申し様もござりませぬ。」
汐汲の女は掌(てのひら)を左右に振る。
「いえいえ、相身(あいみ)互いにございます。我が家にも童(わらべ)が居りますれば。では後程(のちほど)に。」
そう言い残し、汐汲女は颯爽(さっそう)と去って行った。
「では、その応化橋まで参りましょうか。」
御前の言葉に他の三人は頷(うなず)き、再び街道を西へ向かい、歩いて行った。
少し行くと、関川河口で合流する保倉川が、東西に流れて居る。これを渡った直ぐ先に、信州との国境近く、妙高の水を集めた大河関川が南北に流れ、越後国府東方の天然の堀の役を成して居る。その流れは時に激しく、人々は荒川とも呼んだ。
北陸道に沿って荒川を渡るには、応化(おうげ)橋を渡る事と成る。この橋の袂(たもと)に、先程の汐汲(しおくみ)女が言った通り、高札(こうさつ)が立って居る。
四人は、高札の前で足を止め、そこに書かれた内容に目を通す。それに依れば、この近辺には、人買いを働く賊が出没して居るとの事。頸城(くびき)郡内においては、賊の跳梁(ちょうりょう)を抑える為、余所(よそ)者に宿を貸す事を禁ずる旨が書かれて在った。
傍らの姥竹が、顔を顰(しか)めて呟(つぶや)く。
「国府は頸城(くびき)団を擁して居ると聞きましたが、兵を出して追っ払えば済む事ではありませぬか。斯様(かよう)な事では、宿に泊まれぬ者の身が余計に、賊に晒(さら)されるだけにござりまする。」
「斯様(かよう)な物騒な処は、早々に抜けたい物ですね。」
万珠が姥竹に相槌(あいづち)を打つ様に、言葉を加えた。
陽は殆(ほとん)ど没し、次第に夜の闇が辺りを覆(おお)いつつ在る。母御前が橋の下に目を移すと、確かに材木置場と成って居た。ここ数日は雨が少なかったのか、川の水嵩(みずかさ)は低く、下に降りても安全な様である。
姥竹を先頭に、四人は川原まで降りて来た。既(すで)に夕暮と成った所為(せい)か、材木置場の辺りに人影は無い。四人は周辺を散策すると、やがて石垣に、材木が並べて掛けて在るのを見付けた。
医王丸はその場に駆け寄り、身を伏せて下の隙間(すきま)へと入って行く。そして奥から抜け出て来ると、嬉しそうに皆に告げた。
「ここなれば、四人が横たわるに充分な広さがござりまする。」
「では、今宵(こよい)の宿はここに取りましょうか。」
他に仕様も無く、四人は材木の陰に荷を下ろし始めた。
暫(しばら)く材木の上に腰を下ろし、疲れた足を休めて居た所、ふと残照の中、川原へ下りて来る人影が目に留まった。よく見れば、先程の汐汲(しおくみ)女である。脇に藁筵(わらむしろ)を抱えながら、村人が洗濯の為に上り下りする道を選び、軽快な足取りで下りて来る。そして直ぐに、姥竹が大きく手を振って居るのを見付け、四人の元へと向かって来た。
汐汲(しおくみ)女は側の材木の上に藁筵(わらむしろ)を下ろすと、和(にこ)やかに告げる。
「この様な物しか貸して差し上げられませぬが、御使い下さい。早朝は冷えます故、和子(わこ)達に風邪を引かせぬ様、少しは役には立つでしょう。明朝出立の折には、ここに置いたままにして下され。私も汐汲に参ります故、その時に持ち帰りまする。」
母御前は頓(ひたすら)に、感謝の意を述べた。
「誠に以(もっ)て、謝意を表する言葉も見当たりませぬ。何か御礼をして差し上げたいのですが。」
「先刻も申した様に、情けは人の為ならず、にございます。」
そう言って笑って見せると、汐汲(しおくみ)女は再び軽い身の熟(こな)しを見せ、暗夜の中へと消えて行った。
「この辺りの方は、情けが深い様ですね。」
「はい。」
御前の言葉に姥竹が相槌(あいづち)を打った所で、四人は協力して、材木の下に借りた筵(むしろ)を広げ、寝所(ねどこ)を整え始めた。
そして、四人並んで床(とこ)に就(つ)くと、やはり筵(むしろ)の温かさが有難く感じられる。皆、先程の汐汲(しおくみ)女に感謝の念を覚えつつ、やがて深い眠りへと落ちて行った。