第十三節 信夫燃ゆ

 桜花(おうか)爛漫(らんまん)の候、ある日医王丸は、椿舘(つばきのたち)より西方に広がる信夫(しのぶ)の郷、そしてその先に聳(そび)え立つ吾妻(あづま)の連山を仰ぎ見て居た。山桜は至る所に咲き誇り、時折起る風に花弁を舞わせては、人々の心を和(なご)ませて居る。

 しかし、医王丸は桜を見る度、一年前の嫌な記憶が呼び起こされるのである。父政道は村岡重頼に誘われ、菊多へ桜狩に向かったが最後、生きて住吉に返って来る事は無かった。あれから多くの忠臣を失い、命辛々(からがら)村岡の元を逃れ、信夫まで落ちて来た。そしてこの地さえも、今や村岡の魔手が伸びて来て居る。

 医王丸はふと、庭を歩いて母の居間まで来た。しかし人影は無く、呼べども何の反応も無い。医王丸は静かに母の間に上がり、隅(すみ)に置かれた葛籠(つづらこ)を開けた。積まれた衣類の下を探ると、硬い物に手が当たり、そっと取り出した。それは祖母より託された磐城平家の家宝、放光王地蔵菩薩立像が納められた厨子である。医王丸は扉を閉じたまま、それを目の前に置き、手を合わせた。

 一年前までは磐城住吉に在って、父や祖母と共に平和な時を過ごして居た。そして信夫こそ安住の地と思ったのも束(つか)の間、村岡の軍は直ぐ南の安達郡まで軍を進めて来て居る。医王丸は、責めて信夫だけでも村岡の手から守られる様、地蔵菩薩に向かい御祈りした。

 家宝を再び葛籠(つづらこ)へ仕舞おうとして、包んで在った布を取り上げた時、一通の書状がポトリと落ちた。何であろうと気に掛かった医王丸は、それを手に取り、表裏を見た。刹那、医王丸は声も出ぬ程に驚いた。その書状には、大村信澄の名が認(したた)められて居たからである。

 俄(にわか)に、館内が慌(あわただ)しく成った様に感じられた。医王丸は急いで厨子と書状を包み、葛籠(つづらこ)へ戻した直後、母御前が慌てた様子で姿を現した。
「おお、医王丸。ここに居たのですか。丁度(ちょうど)良かった。これより政澄叔父上が出陣なされまする。母と共に、御見送りに参りましょう。」
「すると、村岡が再び攻めて参ったのですか?」
「はい。水原の陣より、援軍を請(こ)う急便が参りました。兵が集まり次第、出陣されるとの事です。」
愈々(いよいよ)、村岡は信夫制圧に乗り出して来た。医王丸は真顔と成って頷(うなず)くと、母と共に叔父政澄の元へ向かって行った。

 水原川対岸に現れた村岡勢は、主に磐瀬、安達、安積の三郡より徴兵された兵が大半であった。この時期、農民は田畑の作業が忙しく、徴兵するに当たっては、秋の収穫量に影響が及ぶ事を覚悟しなければ成らない。斯(か)かる折、仙道三郡は新たに村岡の勢力下に組み込まれたばかりである。三郡の民や豪族達は、自らの生活を犠牲にしてでも、村岡家に忠節を尽さねば成らぬ立場に在った。

 三郡の軍勢は、早々に信夫を制圧すれば、後は田畑に専念出来る旨を、村岡家から約束されて居た為、怒濤の勢いで攻め寄せて来た。水原の陣を守る松川勝宗は、遂(つい)には支え切れぬと判断し、陸羽街道を北へ撤退せざるを得なかった。

 信夫では、康保の役以来五十年、農繁期に大戦(おおいくさ)を経験した事が無い。故に政澄が至急軍勢を整え様にも、中々纏(まと)まった数が集まって来なかった。政澄は手遅れに成っては行かぬと考え、僅(わず)か二百の兵を率いて、援軍に向かう事を決したのである。

 昨年は数の上で優(まさ)って居た為、家臣団の間にも余裕を窺(うかが)う事が出来た。しかし大敗を喫した後、家臣達は皆切迫した様子で、諸々(もろもろ)の対応に追われて居る。

 出陣に際し、政澄は医王丸に告げた。
「我等が祖先将門公は、かつて数倍、数十倍の敵を相手に、幾度も勝利を収められた。儂(わし)も相馬武士の末裔(まつえい)。逆臣の群(む)れ等、一蹴して参る。御案じ召さるな。」
医王丸は子供心にも、言葉とは裏腹の、叔父の悲壮な覚悟を感じて居た。そして返す言葉が見付からず、只黙(もく)して頷(うなず)く事しか出来ない。政澄は微笑を湛(たた)え、僅(わず)かな兵と供に館を後にして行った。先の出陣の折には一千騎が集まった事を思い起せば、館内の誰もが、信夫平家の凋落(ちょうらく)を感じずには居られなかった。

 翌日、椿舘には負傷兵が続々と運ばれて来た。やや遅れて、政澄の本隊も引き返して来た。同行して居た松川勝宗は、直ちに館の者達に対し、籠城(ろうじょう)戦の仕度を命じた。

 館の者より負戦(まけいくさ)を聞いた母御前は、姥竹(うばたけ)に命じて、二人の子を急ぎ呼び寄せた。間も無く、万珠と医王丸が母御前の元へ姿を現し、その正面に並んで腰を下ろした。

 母の緊迫した顔と、館内の慌(あわただ)しさが、二人の子にも多くの事を伝えて居た。姉弟は子供ながらに、覚悟を固め始めて居たのである。

 二人の顔を見据えて居た母御前は、やがて粛々と話し始めた。
「先程報せが入り、政澄叔父上の軍は武運拙(つたな)く敗れ、館へ引き揚げて参りました。間も無く、村岡軍が館を取り囲み、最後の決戦が行われまする。これよりは政澄殿の指揮の下、我等も城兵達の御手伝いを致しましょう。」
「はい、母上。」
万珠と医王丸は、真摯(しんし)な面持ちで答えた。

 その時、城兵の叫び声が聞こえた。
「海道の軍が来たぞ!」
医王丸は咄嗟(とっさ)に立ち上がり、庭を駆けて城柵に至った。柵の隙間から西麓を見下ろすと、南方より長蛇(ちょうだ)の隊列を成した軍勢が、迫って居るのが見える。三春、滝尻の軍旗が目には行った時、一瞬郷土の懐かしい景色が脳裏(のうり)に浮かんだが、直ぐにそれ等が敵に回ったという現実に気付き、言い様の無い悲しみに駆られた。

 やがて、後陣に忘れ得ぬ軍旗を認めた。村岡家五枚笹の紋である。医王丸は父の仇(かたき)が近くまで来た事を知り、静かに闘志を燃やし始めて居た。

 村岡の軍は逢隈(阿武隈)川西岸に布陣し、一部は渡河をして、千手観音が安置される大蔵寺に入った様である。総勢は五千を優に超え、実に壮観であった。医王丸は、俄(にわか)に武者震いをして居た。

 ふと、姥竹の呼ぶ声が聞こえた。振り向いて見ると、医王丸を探しに来た様である。医王丸は、姥竹の元へ駆け寄って尋ねる。
「如何(いかが)致した?」
姥竹は漸(ようや)く探し出せた安堵感を呈し、息を切らせながらも伝える。
「只今、政澄様より御召(おなし)がござりました。直ぐに参りましょう。」
「うむ。」
医王丸は頷(うなず)くと、姥竹と共に屋内へ引き返して行った。

 再び母と姉の元に戻り、四人揃(そろ)って政澄の間へと向かった。許しを得て入ると、そこでは甲冑(かっちゅう)に身を包んだ三人の武者が、座って地図を眺めて居た。政澄の他、松川勝宗と重臣の大和田氏である。

 政澄に側へ来る様に言われ、母御前は一礼した後、三人を連れて政澄の隣に腰を下ろした。政澄は母御前に対し、椿舘周辺地図に描かれた東の小径(こみち)を、扇子の先で指して示す。
「此(こ)は、父政氏公が本城を改修された折、万一落城の憂(う)き目に遭(あ)った時の為に、大和田家に命じて造らせし、抜け道にござる。四人には今宵(こよい)、ここより城を出て、多賀城へ落ち延びて貰(もら)いたい。」
そして大和田が、深く頭を下げる。
「我が手勢を以(もっ)て、護衛を務めまする。我が祖父要人の造りし道なれば、夜道でも迷わず、伊達郷へ抜けられまする。」
信夫家の申し出に対し、磐城の四人は当惑した。そして医王丸が、政澄に胸中を述べる。
「村岡は我が父の仇(かたき)。それを目の前にして、逃げる等という卑怯(ひきょう)は出来ませぬ。」
若大将の言葉を聞いて、傍らの勝宗が爽(さわ)やかに笑った。
「流石(さす)は本家の御曹司。立派な御心構えにござりまする。されど、只御逃げ戴く訳ではござりませぬ。敵は五千余、味方は数百。斯(か)かる窮地を切り抜ける為には、本家惣領で在らせられる医王丸様より、陸奥守様に対し奉(たてまつ)り、村岡の非道を申し上げて戴きとう存じまする。最早国府の威光を以(もっ)て、村岡の軍勢を引き揚げさせる他に、信夫が生き延びる道は無いのでござりまする。」
そして政澄が、孝を求める言葉を加える。
「母上や姉上、姥(うば)殿を、安全な処へ避難させて遣(や)ってはくれませぬか。」
叔父達の勧めを受けて、医王丸は漸(ようや)く決心した。
「解り申した、多賀城へ赴き、陸奥守様の御支援を請(こ)うて参りまする。」
政澄も勝宗も、医王丸の返事を聞き、安堵の笑みを湛(たた)えて頷(うなず)いた。

 斯(か)くして医王丸ら四人は、大和田の護衛を得て、今夕館を脱出する事に決した。医王丸は、何としてでも生まれ故郷を仇に蹂躙(じゅうりん)させまいと、心に強く念じて居た。

 既(すで)に館の南麓、西麓、北麓は、村岡軍が逢隈(阿武隈)川の防備を討ち破り、時折空堀を越えては、城柵に肉薄して居た。しかし東方だけは山地が連なり、押し寄せたばかりの敵方も、おいそれと踏み込む事は出来ないで居る。

 酉(とり)の刻、夜の帳(とばり)に包まれ始めた頃、医王丸は母や姉、姥と共に旅の仕度を整え、東館の在る福見山へと移って居た。この曲輪(くるわ)の東側に、ひっそりと小さな門が存在する。かつて、大和田氏が政氏の命を受けて造ったという、抜け道の出入口である。

 母御前の兄勝宗は、本丸に在って指揮を執って居る為に、会う事は叶(かな)わないが、城主である政澄が、見送りに東館まで来てくれた。大和田兵二十名ばかりが整列し、出発の時を待つ中、母御前は義弟に別れの言葉を告げた。
「では、これより発ちまする。必ずや国府に訴え、村岡の軍を引き揚げさせる様に努めまする故、政澄殿には最後まで、御身(おんみ)を大事になさって下さりませ。未だ広大な伊達郷も、味方に残って居りますれば。」
「解ってござる。解ってござる。只、兄の仇(かたき)がここまで出張って来てくれたは、我が軍に取っては好都合の事。もう少し、この館に留まりて、様子を窺(うかが)う所存にござる。」
「そうですか。」
御前が言葉に詰まった所で、大和田が催促した。
「さあ、早く参りましょう。」
政澄も頷(うなず)き、出立を促(うなが)す。

 御前は政澄に対し、深く頭を下げた。
「長らく御世話に成りました。今度会う時まで、どうか御健(すこ)やかに。」
万珠と医王丸も母に倣(なら)って頭を下げると、政澄の手が二人の頭に優しく触れた。政澄は甥(おい)と姪(めい)の頭を撫(な)でながら、ぼそりと告げる。
「立派な大人に成り、兄の家名を再興させて下され。」
そして肩を掴(つか)み、大和田の方へ誘(いざな)った。

 愈々(いよいよ)抜け道の門が開かれ、先導の兵が何人か、一列の縦列と成って進み始めた。大和田が兵の中程に入る様に言うので、四人は早足で、大和田兵の列に加わろうとした。その時、万珠が何かに躓(つまず)き転倒した。政澄が夕闇の中、目を凝(こ)らして転んだ処を見ると、地表から躑躅(つつじ)の根が露出して居た。

 万珠は膝(ひざ)を打ち、苦痛の表情を浮かべる。直ぐに大和田の兵が応急手当を施し、擦傷(すりきず)の酷(ひど)い所には布を当てた後、兵の一人が姫を背負って、抜け道へと急ぐ。それを見て、医王丸に母御前、姥竹も、足下に気を配りながら急いだ。

 やがて、大和田兵が城を抜け出た後、その門は再び施錠された。そして政澄は、医王丸達の無事を祈った後、本丸へ戻るべく、踵(きびす)を返した。しかし、直ぐに歩を止めて立ち止まったので、不思議に思った郎党の一人が尋ねる。
「殿、如何(いかが)なされました?」
政澄は、先程万珠が躓(つまず)いた、躑躅(つつじ)の根を指差して命ずる。
「あれは、姫が逃れるのを妨げた。不吉故に切り落せ。」
兵の一人が直ちに斧を以(もっ)て切断すると、政澄は安堵した表情に成り、本丸へ戻って行った。その後、椿舘に躑躅(つつじ)の花が咲かなく成ったという。

 医王丸等は東の山中、暗闇の中をゆっくりと進んだ。山道だけに、夜の歩行は難しい。滑(すべ)り易い処等は、大和田兵の手に掴(つか)まりながら、慎重に下った。大和田は夜目が利き、真っ暗な中でも、目標を見落さずに、正確な道を選んで居る。

 やがて、俄(にわか)に景色が開け始めた。木々の隙間から、幽(かす)かな残照の中に浮かび上がる信夫山の手前に、逢隈(阿武隈)の流れが輝いて居た。しかし水面の非常な明るさは、残照に因(よ)る物でも、月明りに因(よ)る物でもなかった。

 敵兵の松明(たいまつ)の明りが、ここまで及んで居るのかと警戒しながら、一行は山道を北に向かって行く。そして突然、兵の一人が叫んだ。
「城が、燃えて居る!」
皆驚き、その者が指差す方へ目を遣(や)る。木々の間より西南方を望むと、確かに山が燃えて居た。

 辺りの地形から推察するに、炎上したのは、弁天山に築かれた西館である。椿山の本丸は、未だ火の手は上がって居ない。しかしあの様子では、落城は時間の問題であろう。

 呆然と座り込んでしまった母御前の元へ大和田が駆け寄り、膝を突いて言上する。
「実は我が主君より、御方様に言伝(ことづ)てがござりまする。殿は落城が必死である事を悟っておわされ、御方様や若君、姫君には、如何(いか)なる事態が起ろうとも、早まった事を御考えになられぬ様に、との仰せにござり申した。」
母御前は虚(うつ)ろな表情で答える。
「其(そ)は、薄々勘付いて居りました。しかし信夫滅亡の後、妾(わらわ)達は如何(どう)したら良いのでしょう?」
「先ずはこの先、伊達郷の篤借(あつかし)へ向かいまする。斯(こ)う成ってしまった以上、国府も村岡の力を恐れ、容易には支援をしてくれぬ物と存じまする。仍(よっ)て、出羽へ御連れ致しまする故、そこより海路京へ向かい、医王丸様直々(じきじき)に、検非違使(けびいし)庁へ訴え出て戴きとうござりまする。責めて政氏公の流刑が許される事が叶(かな)えば、必ずや磐城平家は再興されましょう。」
ふと、医王丸の心に希望の火が灯(とも)った。祖父は筑前で健在とは伝え聞く物の、自身が生まれる七年も前に流され、勿論(もちろん)会った事は無い。しかし以前、磐城の政(まつりごと)を嘆(なげ)いて居た老臣達より、南部奥州最大の勢力を築くに至った武勇伝を、度々聞かされた事が有る。故に祖父の復帰が叶(かな)えば、村岡と雖(いえど)も屈服するという話が、自然と信じられたのである。

 医王丸は母に申し上げる。
「都へ参りましょう。そして先ずは、祖父(じじ)様の御赦免を願い出るのです。さすれば道は開けましょう。」
その声に、母御前は若き頃、未だ政道に嫁いだばかりの頃に度々目にした、義父の頼もしき姿が思い出された。

 母御前はゆっくりと立ち上がると、懐(ふところ)より一通の書状を取り出した。合戦が始まる前、母御前の間にて、医王丸が家宝の地蔵菩薩を拝んで居た折に見掛けた物である。しかし、差出人に大村信澄の名を認めただけで、その後母が戻って来た為に、中に目を通しては居なかった。

 遠く焔(ほむら)を上げる弁天山を眺めながら、母御前は話し始める。
「此(こ)は妾(わらわ)達が、磐城の小高郷にて村岡の追撃を受けし折、身を挺(てい)して逃してくれた元大老、大村信澄が別れの際、妾(わらわ)に渡した物です。大村はこの先、如何(いか)なる災難に遭(あ)おうとも、それを打開する策を授けてくれました。そしてこれには、信夫落城後の事にも触れて居りまする。越前の豪族、足羽(あすわ)十郎高保(たかやす)殿を頼り、その支援を得た上で、都へ向かう様にと。先ずは出羽に逃れ、然(しか)る後に北陸道を通り、越前へ向かう事に致しまする。」
大和田は、思わず手を叩いた。
「妙案にござる。磐城、信夫の物産は、長年足羽殿の所領へも輸送され、盛んに取引が行われて居り申した。その交易路は村岡に因(よ)り遮断(しゃだん)され、先方も迷惑を蒙(こうむ)って居り申そう。加えて、足羽殿は信義に厚い御方なれば、謀叛人と交易を再開させるよりも、医王丸様の支援に回ってくれる物と思われまする。」
城を包む紅蓮(ぐれん)の炎は、先程まで一同に絶望感を与えて居た物であったが、大村の案を聞き一転、希望の光を見るに至った。医王丸は、己を扶(たす)けてくれる者が、未だ三人も居る事を悟った。筑前に流された祖父政氏。越前の盟友足羽高保。そして今一人、母御前の兄は了円と称し、近江国の三井寺にて、今は僧都(そうず)を務めて居る事を、母より聞いて居た。

 この後、先ずは越前へ赴いて足羽高保の協力を取り付け、更(さら)には近江に入って三井寺の伯父の口添えを頼み、上洛して政氏の赦免を歎願する。一同の今後の方針は、大村の忠節に因(よ)り確立された。

 ふと、母御前は炎上する館に向かい、手を合わせた。それは怖らく、信夫の者に、無事落ち延びて欲しいという願いであったのであろう。一方で、傍らで母に倣(なら)って合掌する医王丸の胸中には、村岡に対する復讐(ふくしゅう)の炎が燃え上って居た。

 その後、一行は再び山道を北へ向かった。逢隈(阿武隈)川を左手に見つつも、信夫山は次第に南へと遠ざかって行く。やがて伊達郷へ入った所で、もう大丈夫であろうと、一行は山を下りた。

 逢隈(阿武隈)川に架かる大橋を渡ると、そこは伊達の駅家(うまや)である。しかしこの地にも早、村岡の先遣隊が到着し、随所に敵兵が駐屯して居た。村岡方は、その兵力の強大さを誇示するべく、堂々と篝火(かがりび)を焚(た)いて居た為、幸いにして此方(こちら)が先に気付く事が出来た。しかし既(すで)に宿営地の直ぐ側まで来て居たので、下手(へた)に動く事は出来なく成ってしまった。

 今来た道、川の南岸も、新たに増援の兵が向かって来る。暫(しば)し待てども、事態が好転するとはとても思えなかった。

 やがて、大和田が意を決した面持ちで、母御前に申し出た。
「我等はこれより、敵陣へ奇襲を懸けまする。その隙(すき)に北の山裾(やますそ)へ抜けて戴ければ、出羽へ通ずる道がござりまする故、皆様方には其方(そちら)へ駆け込まれて下さりまする様。我等は囮(おとり)として、そのまま篤借(あつかし)へ向かいまする。」
家臣を囮(おとり)とする事は躊躇(ためら)われるが、かと言ってこのまま座して居ても、悉(ことごと)く敵の虜(とりこ)と成るだけである。御前は腹を決め、こくりと頷(うなず)いた。

 大和田は伊達の地理に明るい兵を一人選び、四人の嚮導(きょうどう)役を命じた。母御前が医王丸を、姥竹が万珠の手を確(しっか)りと握った所で、大和田兵はすっと立ち上がり、四人を中央にして、整然と歩き始めた。

 営所の中へ入ると、程無く三名の兵が駆け寄って来て、槍を向けて尋ねる。
「待たれい。貴殿方は何処(いずこ)の兵か?」
「信夫の兵じゃ。」
そう答えると同時に、大和田は兵に斬り掛かった。大和田勢二十名は鬨(とき)の声を上げ、四人を護りつつも、不意を突かれた敵兵を蹴散らし、見事兵営を北へ抜ける事が出来た。

 それから敵の追手より逃れる為、必死に半里は駆けた。やがて普蔵川という小川を渡った処で、大和田は御前に告げる。
「どうか、御無事で。」
同時に大和田は兵を止め、川を正面に横隊の列を執らせた。

 案内役を任された兵は、足を止め掛けた御前の背を押し、そのまま北へ向け、頓(ひたすら)に走らせる。五人が後方に去って行くのを感じて、安堵したのも束(つか)の間。月明りに甲冑(かっちゅう)を光らせつつ、追手が続々と押し寄せて来た。大和田兵は矢を射掛け、足留めを試みると、敵も矢戦(やいくさ)を挑んで来た。辺りに障壁と成る物が無い以上、多勢に無勢の不利が有る。大和田は敵兵の注意を充分此方(こちら)に向けたと判断すると、川伝いに東へ逃走を開始した。それを受けて、敵兵は大和田勢の追撃に移った。

 その間、五人は全力で駆け、北の峠を目指して居た。小坂という村落を抜けると、愈々(いよいよ)上り坂に成る。五人は追手を撒(ま)いた事に気付くと、歩く速度を緩(ゆる)めて、重い足取りで坂を上り始めた。

 皆、敵に捕われる事への恐怖心から、疲労困憊(こんぱい)にも拘(かかわ)らず、黙々と山道を進んで行く。やがて小坂峠を越え、戸沢に沿って道を下り、半里近く下った所で、小さな集落が見えて来た。

 何処(いずこ)も寝静まって居る様であった。案内役の兵が言うには、峠より北は刈田(かった)郡と成り、磐城村岡の勢力圏の外と成る。一行は村の外れに古びた御堂を見付け、そこで夜露(よつゆ)を凌(しの)いだ。

 翌朝、昨日の疲れも取り切れぬまま、戸沢に沿って熊鷹山東麓を回り込み、入山沢を渡って本流の白石川へ出た。この辺りには幾つかの村落が在り、川には橋が架けられて居た。それを渡ると、道が東西に分岐して居る。東へ白石川沿いに進めば、間も無く柴田の駅家(うまや)に出るという。柴田に出てしまえば、後は律令制中路として整備された道を通って、出羽国府へ到る事が出来る。しかし大道に出る以上、篤借(あつかし)より村岡軍が北進して居た場合、鉢(はち)合わせと成る危険を伴う。

 結局母御前は、西の道を進む事に決めた。この道は、白石川に沿ってその上流、奥羽山脈の奥地へ延びて居る。厳しい山道である事は予想されるが、村岡の兵が犇(ひしめ)く処よりは、安全であろうと考えられる。御前は医王丸の手を繋(つな)ぎ、西へ向けて歩き始めた。

 標高が上って来ると、山の装(よそお)いは次第に、冬の景観と成って来る。随所に残雪が積り、五人の行く手を遮(さえぎ)る。雪上を滑(すべ)らぬ様慎重に進むが、体力は著(いちじる)しく消耗させられた。加えて、冷気が体温を容赦なく奪って行く。医王丸と万珠は唇(くちびる)を紫色にし、歯をカチカチと震わせながらも、黙々と山道を登って行った。

 奥羽山脈の奥地と雖(いえど)も、白石川流域には、林業等を生業(なりわい)とする者達の小さな集落が、彼方此方(あちこち)に散在して居る。子供達の体力を心配した大和田の郎党は、ここまで来れば無用であろうと、鎧(よろい)を脱いで草叢(くさむら)に隠した。そして平素の恰好(かっこう)と成り、近くの民家へ宿を借りに行った。幸い逢隈(阿武隈)大乱の噂(うわさ)は、未だここには及んで居なかった。民人(たみびと)は、二人の子供の疲れ果てた様子を不便(ふびん)に思い、快く家の中へ入れてくれた。

 その晩、五人は農民夫婦より、粥(かゆ)を振舞って貰(もら)った。具は近くの山の物を用いて居る様で、凍(こご)える五人の体を芯(しん)から温めた。御蔭でゆっくりと休む事が出来、一行は翌朝、感謝の念を込めて幾許(いくばく)かの銭を渡し、村を発った。

 医王丸は、信夫椿舘の落城と、追手からの逃亡生活に因(よ)り、心からゆとりを失って居た。しかし、此度人情の温かみに触れ、心も幾らか安らぎ、潤(うるお)いを取り戻せた気がした。

 ふと、医王丸は案内役の郎党に声を掛けた。
「もう二日以上も共に旅をして居るというに、未だ名を聞いて居りませぬ。是非とも御聞かせ願えまいか?」
急な話に郎党は驚き、照れた笑顔を浮かべる。
「名乗る程の者ではござりませぬが、茂作と申しまする。」
「貴殿は出羽への道に詳しい様だが、何故(なにゆえ)か?」
「はい。磐城平家の所領には、北は飛地の津軽もござりまする。当郡の少領を政氏公以来任されて居る津軽安倍氏とは、長年信夫とも安定した交易を続けて参り、某(それがし)も信夫からの派遣団に随行し、幾度か出羽を通った事がござりまする。故に大和田様より、斯(か)かる御役目を仰せ付かったのでござりましょう。」
「そうであったか。」
医王丸は幼心にも、暗澹(あんたん)たる気持に成った。祖父が築いた信夫と津軽の繋(つな)がりが、遂に村岡の手に因(よ)り、断ち切られた事を知った故である。今後、奥州は如何(どう)成って行くのか。それは逢隈(阿武隈)周辺に住む者達の、共通の思いであった。

 やがて、道は二つに分岐した。西は二井宿峠を越え、置賜(おきたま)郡へ入る道である。ここで茂作は、沢沿いに北へ延びる道を採った。更(さら)に上り坂を歩く事半里余、一行は金山峠に至った。ここより先は、出羽国村山郡と成る。即(すなわ)ち、陸奥、出羽両国の境であった。出羽には陸奥とは別の国府が在る為、村岡が国境を越えて、軍を派遣して来る事は考え難い。故に一行には、遂に村岡の魔の手から完全に逃れ得たという安堵感が広がって居た。一方で、医王丸には別の感情も起って居た。それは、磐城平家の当主が、遂には陸奥を追われるという、無念の想いであった。

 北の寒気が未だ居座る北方の山脈は、空気が澄み、嶺々がくっきりとその形状を現して居た。山裾(やますそ)は新緑に萌え、春の息吹(いぶき)を感じさせ始めて居る。医王丸は南方奥州の山並を暫(しば)し眺めた後、北へ向かい、峠を下って行った。

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