第十一節 磐城を落ちる

 その頃、信夫御前等一行は、前原の間道を見付け、東の山間(やまあい)へと入って居た。暫(しばら)くは、林業等を生業(なりわい)とする者の民家がちらほら見えるだけであったが、仁井田川流域に出た辺りから、次第に農家が目立つ様に成って来た。近郷に住む者が多い為か、道も良く整備されて居る。普段山道を歩く事の無い女性達には、真に有難く感じられた。

 間も無く、左手に荘厳な山門が見えて来た。傍らには、「薬王寺」と刻まれた碑が建って居る。往古、徳一大師が北方に聳(そび)える八莖(やぐき)岳に薬師堂を安置した折、当山を開創して別当と成したと云う。母子は旅の無事、そして己の為に尽してくれる家臣達の無事を祈り、山門に向かって手を合わせた。

 その後、小湊(こみなと)という村落に出た処で、漸(ようや)く長友館が右手に認められる様に成った。この館は、かつて平政氏が江藤玄篤に託した、郡内北部の要衝である。今は二代目玄貞の代と成り、磐城平家の勢力を逢隈(阿武隈)川以南一円に拡大する功績を挙げて居る。

 ここまで来ればもう安心と、四人が胸を撫(な)で下ろしたのも束(つか)の間、千勝が遠目に不審な人影を発見した。よく見ると、武士の小隊である。
「皆、隠れて。兵が居りまする。」
千勝の声を受け、四人は一斉に木蔭(こかげ)へと走った。
「長友の兵ではないのですか?」
母御前の言に、千勝は訝(いぶか)しむ顔をして答える。
「長友の兵にしては、城の方を頻繁(ひんぱん)に気にして居る様に見えまする。」
母御前も、言われて見れば様子がおかしい事に気が付いた。

 千勝は意を決し、皆に告げる。
「私が、様子を見て参りまする。」
母御前は驚き、首を振った。
「成りませぬ。もし敵であったら、千勝殿の身が危うく成りまする。」
「いえ、敵味方を探らずに動く方が、更(さら)に危のうござりまする。皆は、ここを動かずに居て下され。」
「千勝。」
千勝は母の手を振り切って、木蔭より飛び出した。幸い、夏が近付く気候の下、草木は新緑を呈して生い茂って居る。千勝は身を屈(かが)めて草叢(くさむら)に身を潜(ひそ)めながら、次第に兵との距離を詰めて行った。

 やがて千勝の目には、俄(にわか)に信じ難い物が映(うつ)った。兵は、滝尻の旗を掲(かか)げて居たのである。千勝は顔を強張(こわば)らせながらも、静かに三人の元へと戻って行った。

 滝尻兵に悟られずに戻って来た千勝は、狼狽(ろうばい)しながらも、声を潜(ひそ)めて告げる。
「あれは、敵兵にござりました。」
「そうですか。」
母御前は、絶望に打ち拉(ひし)がれた顔に成った。しかし今、何より千勝が気掛かりであるのは、姉万珠の怪我である。間道に入った時、万珠は木の枝に右腕を引っ掛けて居た。衣(ころも)は破れ、血に染まって居る。

 姥竹(うばたけ)は万珠の身を案じ、母御前に申し上げる。
「奥方様、姫様の傷は早く、手当てをせねば、大事に至る怖れがござりまする。近くの民家や寺に、御移しした方が良いと存じまするが。」
母御前が頷(うなず)いたと同時に、不意に千勝が叫ぶ。
「追手じゃ!」
三人が千勝の指差す方を見遣(みや)ると、井口率いる騎馬隊が、後方より迫って来るのが見える。四人は無我夢中で走り、北東の丘へ逃れようとした。そして間も無く、「恵日寺」(えにちじ)と書かれた山門の前に出た。

 門は固く閉ざされ、辺りは静まり返って居る。その中、千勝は大声を上げて門を叩いた。
「磐城平家の者にござる。謀叛人が直ぐそこまで迫って居りまする。何卒(なにとぞ)御情けを賜(たまわ)り、御匿(かくま)い下さりませ。」
直後、背後より男の声が聞こえた。四人が驚いて振り向くと、樵(きこり)の形(なり)をした者が一人、立って居る。
「そこは尼寺でござる。縦(たと)え中へ入れて貰(もら)ったとしても、直ぐに下の兵が押し入って来る事は必定。此方(こちら)に御回り下され。」
そう言うと、樵(きこり)は山門から東へ走り出した。千勝母子等も言われるままに付いて行き、やがて境城の外れに建つ塔中(たっちゅう)へと案内された。

 林に囲まれ、鬱蒼(うっそう)たる観は有るが、外より目に付き難い事を思えば、寧(むし)ろ安堵感を覚えられる。その入口に、初老と思(おぼ)しき尼僧(にそう)が立って居た。
「磐城平家の御方と仰せにござりまする。」
そう言い残して、樵(きこり)(ふう)の男は、来た道を引き返して行った。
「では、御上がり下され。」
尼僧の勧めに従い、四人は寺中の一室へと案内された。

 腰を下ろした後、尼僧は物腰静かに、母御前に尋ねた。
「磐城平家の御方と承りましたが、長友館より落ちて来られた、御重臣の妻子の方ですか?」
母御前は真顔で答える。
「いえ。私は亡き平政道が妻。そしてこれなる二人はその遺児にて、侍女頭の姥竹と共に、大村信澄殿の助力を得て、住吉を脱出致しました。しかし、大村殿とは小高郷で逸(はぐ)れてしまい、我等四人、ここまで逃れて来たのでござりまする。」
「では、磐城平家の北の方様に若君様。」
尼僧は驚いた顔を呈した。そして四人に寛(くつろ)いで待つ様に告げ、部屋を後にして行った。

 四半時程過ぎた後、先程の尼僧が戻って来て、礼を執った。
「当山の住持が参りました。」
母御前は、住持が直ぐに会ってくれる事を有難く思い、座礼を執って迎えた。

 住持は、齢(よわい)八十を超す老婆であった。顔中に深い皺(しわ)を刻んだ住持は、ぎろりと千勝を見据えて尋ねる。
「和子(わこ)殿、御年は幾つに成られた?」
「はい。十一にござりまする。」
千勝はどぎまぎしながら答えた。老婆の視線が、恐ろしく感じられた故である。
「さすれば、和子殿を尼寺の奥へ通しても、問題は有るまい。」
住持の声に、後ろに控える尼僧はすっと頷(うなず)いた。

 老婆は引き続き母御前に目を移し、嗄(しわが)れた声で尋ねる。
「住吉の北の方と仰せの様ですが、その証(あかし)はござりまするか?」
母御前は俄(にわか)に当惑したが、ふと思い出した様に己の荷を解き、中から一つの包みを差し出した。
「此(こ)は住吉に残られた義母が、脱出の折、千勝に託した物にござりまする。」
住持は、絹の布に包まれた中から厨子を取り出すと、扉を開けて中を覗(のぞ)いた。そしてそれをそっと床の上に置くと、手を合わせたまま、暫(しば)し念仏を唱えて居た。

 軈て住持が直り、再び厨子を紫色の布で包んで母御前に返した後、懐かしむ表情を湛(たた)えながら、老婆は告げる。
「此(こ)は宇多の帝(みかど)が、寛平二年(890)に高望公が上総へ下向遊ばされる折に下されし、放光王地蔵菩薩にござりまする。高望公はこの地蔵菩薩を下総国豊田の良将公に譲られ、次代の相馬将門公滅亡の後、二十七年の歳月を経て、嫡孫政氏殿に伝えられし物。即(すなわ)ち、千勝殿が桓武平家高望流の直系である事を、証明する物です。呉々(くれぐれ)も大事になさって下され。」
母御前は、神妙に頭を下げた。

 この時、御前の脳裏(のうり)には、一つの疑問が生じて居た。この住持は何故、斯様(かよう)に磐城平家の家宝に詳しいのか。
「御住職は一体?」
御前の声と同時に、部屋の入口に一人の武士らしき男が現れ、報告をする。
「火急の用にて失礼致しまする。今し方、村岡の兵が山門より押し入ろうとしましたので、当方の兵を以(もっ)て威嚇(いかく)し、追い払い申した。」
住持は男に告げる。
「小湊(こみなと)殿、此方(こちら)におわすは磐城平家北の方に姫君、そして若君じゃ。村岡軍に、御三方が当山に入るのを見られたのであれば、次は必ずや軍勢を繰り出して参りましょう。今の内に、兵を整えて置いて下され。」
「はっ。」
小湊という武士が座礼を執り、腰を上げた時、住持は言葉を接いだ。
「それと、案内人に一人、腕の立つ者を借して下され。四人を山楢葉へ逃がします。」
「承知仕(つかまつ)り申した。村岡方も、長友館攻めに多くの兵を割いて居る由(よし)。今宵(こよい)、大軍を以(もっ)て攻めて来る事は有りますまい。主家の方には一晩緩(ゆる)りと御休み戴き、明朝発たれるが宜しいかと存じまする。」
住持が頷(うなず)くのを見て、武士は寺中を後にして行った。

 その後、住持は四人に、裏山の断崖に建つ別棟へ、移る様に告げた。万一村岡勢が夜襲を懸けて来た時、直ぐに逃げる事が出来るからである。母御前は住持に従い、丘の上へ向かう事にした。

 四人が立ち上がった時、住持は万珠姫の片腕の衣が裂(さ)け、怪我をして居る事に気が付いた。住持は先ず四人を本堂脇の自室に入れ、姫が腕に負った傷の手当を行った。傷口を洗った後に膏薬(こうやく)を塗布(とふ)し、布を巻く。それを、住持自らが施してくれた。

 万珠も当初、この老婆に畏怖の念を抱いて居たが、次第にそれは消え去り、寧(むし)ろ温かみの様な物を感じ始めて居た。ふと、万珠は腕に巻いて貰(もら)った、色褪(あ)せて褐色と成った布に、「安寿」という文字が書かれて在る事に気が付いた。
「これは?」
姫の問いに、老婆は優しい笑みを湛(たた)えて答える。
「其(そ)は、我が妹の名。そしてその布は、昔政氏殿より受け取りし物。」
治療が済むと、住持は案内に尼僧を付け、本堂より見送った。

 四人の姿は次第に小さく成り、急峻(きゅうしゅん)な崖(がけ)をゆっくりと登って行く。その様を見届けながら、老婆の目から涙が伝った。
「もう七十六年も前、父を失い、母に連れられ、山野を彷徨(ほうこう)した幼児が在りました。あの悲劇が、今又繰り返され様とは。」
昔の事を思い出した後、住持は再び現実に視点を移した。長友落城後、村岡方は大軍を率いて、当山の捜索に当たるであろう。その時下手に抗(あらが)えば、戦(いくさ)と成って、当山の伽藍は灰燼(かいじん)に帰するやも知れない。住持は、深い皺(しわ)を更(さら)に深くして考えた。唯(ただ)、己の宝であった妹如春尼(にょしゅんに)の遺品を、万珠姫に託する事で、戦火を逸(まのが)れる事が叶(かな)う望みが出来た事は、兎角(とかく)嬉しかった。

如蔵尼(瀧夜叉姫)の墓

 千勝等四人が崖の上の棟に入った頃、丁度(ちょうど)陽が沈もうとする時であった。案内を務めてくれた尼僧が去った後、直ぐに猟師の恰好(かっこう)をした若い男が尋ねて来た。
「私は皆様方の案内を仰せ付かった、長次郎と申しまする。今宵(こよい)は明日の山越えに備え、充分なる滋養を摂り、良く御休みになられまする様。」
そう言って、猪や川魚を用いた膳を用意してくれた。
「夕餉(ゆうげ)が済みましたら、膳は廊下にでも出して置いて下され。明朝、卯(う)の刻には発ちまする。では御緩(ゆる)りと。」
配膳を終えると、長次郎という若者は、静かに部屋を去って行った。

 早朝に住吉御所を脱出して以来、満足に朝餉(あさげ)も取って居ない。四人は寺院の厚意に感謝しつつ夕餉(ゆうげ)を戴き、その日は早く床(とこ)に就(つ)いた。皆、慣れぬ逃避行に、疲れ果てて居たのである。

 四人が深い眠りに就いて居る夜半、恵日寺の南の空が真っ赤に染まった。長友館が村岡、滝尻の軍に因(よ)り、遂(つい)に落されたのである。長友の丘からは朦々(もうもう)たる煙が上がり、時折風に乗って、境内にも灰が舞い込んで来た。

 翌朝卯(う)の刻、朝餉(あさげ)を掻(か)き込み、出立の仕度を整えた四人は、長次郎の呼び声で院を出た。東の空が白み始めて居るのを見ると同時に、何か鼻に焦(こ)げ臭い物を感じる。
「御方様、長友の御館が。」
姥竹の声に、他の三人は慌てて南方を望んだ。直後、その目に映った物は、無惨に焼け落ちた館の跡であった。

 呆然(ぼうぜん)と立ち竦(すく)む三人に、長次郎が声を掛ける。
「長友の館が落ちた以上、村岡勢は余勢を、この恵日寺へ向けて参りましょう。早々に御立ち退(の)き下さりませ。」
母御前は、意を決した面持ちで頷(うなず)く。
「解りました。案内を御願いします。」
長次郎は静かに、北方の林へ歩を進めた。

 母御前は千勝の手を確(しっか)りと掴(つか)み、長次郎の後を追う。姥竹も万珠の手を取って、その後に続いた。

 長次郎は林の中を東へ進み、やがて白岩川の西岸を北上して行った。それに付いて行く四人も、長友落城を目(ま)の当りにしたばかりだけに、歩く足が自然と速く成って居る。

 千勝等が恵日寺を発って半時後、井口小弥太が滝尻兵を加え、三百の軍を率いて、恵日寺山門へと到着した。井口は寺院の麓(ふもと)に軍勢を展開させた後、大声で叫んだ。
「儂(わし)は、郡司村岡重頼様が重臣、井口小弥太と申す。ここに昨日、女子供が逃げ込んだ事は知れて居る。神妙に当方へ差し出せば善(よ)し。然(さ)もなくば、当山も長友館の二の舞と成る。」
そう告げた後、井口は兵に火矢を番(つが)えさせた。

 直ぐに山門が開き、初老の尼僧が出て来た。
「御止め下され。ここは尼寺にて、殺生、殿方の立ち入りは、固く禁じられて居りまする。」
しかし井口はそれを無視し、側に控える将に突入を命じた。

 将は一隊を率いて駆け出し、山門に立ち開(はだか)る尼僧を突き飛ばした。しかし本堂まで駆け上がった所で、将兵の足が止まった。本堂の前で、顔に深い皺(しわ)が刻まれた老婆が、鋭い眼光で威圧して居たからである。

 後方より上がって来た井口が、兵を叱咤(しった)する。
「何をして居る。早う小倅(こせがれ)を探し出さぬか!」
その時、老婆は井口を睨(にら)み、声を発した。
「斯(か)かる乱暴を命ずる其方(そなた)は、何者じゃ?」
井口は高飛車な態度で答える。
「儂(わし)は郡司村岡重頼様が重臣じゃ。暴政の限りを尽した平政道を討ち、今、その妻子を探して居る。神妙に差し出さねば、逆賊の一味として、この寺を焼き払う事に成るぞ。」
しかし老婆は動ずる様子も無く、ぎょろぎょろした目で井口を見据えつつ答える。
「政道殿の失政は、後見人を務めし村岡殿にも責任が有る。又、村岡殿が郡司に成ったという詔勅は、未だ出されて居らぬ。」
井口は顔を紅潮させて怒鳴(どな)った。
「小賢(こざか)しい事を吐(ぬ)かす婆(ばば)あだ。構わぬ。寺を燃やし、小倅(こせがれ)を燻(いぶ)り出せ。」
老婆は眼光を兵に向け、これを怯(ひる)ませた隙を突いて、言葉を接いだ。
「当山は徳一大師の開創にして、又妾(わらわ)の代で中興を成し得たは、時の陸奥大掾(だいじょう)、平政氏殿の助力が有ったが故。当山を焼く事は即(すなわ)ち、徳一大師と政氏殿の行跡を否定する事。斯様(かよう)な所行に及べば、奥州における村岡氏の名は、一気に失墜するであろう。」
井口は怒りに震えたまま、両手で握って居た扇子を圧(へ)し折った。しかし、徳一開基の由緒有る寺を焼き、近隣の民人(たみびと)を敵に回す事は、出来得るならば避けたいという気持も起った。

 その時山門より、伝令が息を切らせながら駆け上がって来て、井口の前で膝(ひざ)を突いた。
「申し上げまする。西方の山道に、江藤家の旗を掲(かか)げ、輿(こし)を伴う一隊が居りまする。我が軍の手勢だけでは太刀打ち出来ず、御助勢を願いたく存じ上げまする。」
「何と、長友に匿(かくま)われて居ったのか。急ぎ奴等(やつら)を追うのじゃ。」
井口の命を受け、村岡兵は踵(きびす)を返し、江藤軍の残党掃討に向かった。井口は去り際(ぎわ)に、住持に対して、一言詫びを入れる。
「当方の勘違いにて、無礼を働き申した。許されよ。」
そう言い残して、井口は殿軍(しんがり)の兵と共に、境内より姿を消した。

 こうして、恵日寺は戦火を免(まのが)れる事が出来た。しかし、住持の表情は曇ったままである。傍らの尼僧が、住持の気持ちを推し量って申し上げる。
「この辺りの山野には、精通したる小湊殿の事。心配には及びますまい。必ずや村岡の兵を撒(ま)き、無事に戻って来られる事でしょう。」
住持は黙って頷(うなず)き、幾分心が安らいだ様であった。

 小湊氏は、長年恵日寺住持に従い、寺院周辺の守護を務めてくれた。住持は天を仰ぎ、その無事を祈った。

 一方、恵日寺を無事に脱出した千勝一行は、頓(ひたすら)山中を北上して居た。途中大久川を渡り、更(さら)に一里半程を歩いた所で、再び川に出た。この時、姥竹が突然顔を顰(しか)め、長次郎に尋ねる。
「長次郎殿、此(こ)はよもや、浅見川ではありますまいか?」
「はい。然様(さよう)でござりまするが。」
長次郎は何気無く返したが、姥竹は力が抜けた様に膝を突き、俄(にわか)に涙が溢(あふ)れ出て来た。

 御前は驚き、姥竹に尋ねる。
「姥竹、一体如何(いかが)したというのです?」
姥竹は周囲の山河を見渡し、噎(むせ)びながら答える。
「申し訳ござりませぬ。私事を申し上げまするが、私はここ白田郷の、浅見村の生まれにござりまする。幼き日の事を思い出し、つい目頭が熱く成ってしまいました。」
「そう言えば、姥竹は江藤殿の推挙に因(よ)り、御館へ上がったのでしたね。」
「はい、楢葉の殿に目を掛けて戴かねば、今日の私は在りませんでした。」
村岡軍は千勝等を追い、遂(つい)には江藤家支配下の長友館を、落城せしむるに至った。こう成った以上、村岡と江藤の両家は、総力を挙げて合戦に及ぶであろう。しかし、戦力の差は歴然であり、姥竹は故郷や、恩人の居館であった楢葉館が、戦火を蒙(こうむ)る不安を抱いて居た。

 御前は姥竹に同情の念を覚えつつ、長次郎に申し出た。
「長次郎殿、ここ等で休息を取りたいのですが。」
「解り申した。ここまで来れば一安心故、木蔭にて休む事と致しましょう。」
そう答えて、長次郎は手頃な休息場を探し、御前達を誘(いざな)った。

 久しく山道を歩き、漸(ようや)く腰を下ろした御前は、娘の髪に付いた葉を払い落して遣(や)りながら、長次郎に言葉を掛けた。
「長次郎殿に一つ、御尋ねしたき事が有るですが。」
「はて、何でござりましょうか?」
「恵日寺の住持を務める御方、一体如何(いか)なる御人なのでござりましょうや?」
長次郎の表情が、途端に険しく成った。
「此(こ)は秘中の秘。本来誰にも御話する事は許されないのでござりまするが、貴女方は磐城平家の御方故、特別に御話し致しましょう。」
「御願い致しまする。」
「住持様は、如蔵尼(にょぞうに)様と称されておわしまする。如蔵尼様は、実を申せば平将門公の姫君におわされまする。相馬家滅亡後、時の常陸介村岡良文公に匿(かくま)われ、後に政氏公磐城入部の折、共に磐城に入られたのでござりまする。その後、政氏公は叔母に当たられる如蔵尼様を大切にされ、恵日寺の住持に推されたのでござりまする。」
御前は、暫(しば)し絶句した。八十年近くも昔、夫の祖先に当たる平将門が、坂東一円に乱を起した事は伝え聞いて居た。しかし岳父政氏が、常陸に潜伏して居た将門の娘を探し出し、磐城へ移して居た等、夢想だにしなかった。

 ふと、傍らの万珠が長次郎に尋ねる。
「住持様が私の腕を手当して下された時、この腕に巻いてくれた布は、妹君の形見だと仰せでした。妹君は、如何(いかが)されたのですか?」
長次郎は、首の後ろを掻(か)きながら答える。
「私は若輩者故、先代の主君より聞いた話に成るのですが、如蔵尼様の妹御に在らせられる如春尼様は、政氏公の使者が迎えに行った時、既(すで)に亡くなって居られたとの事。故に、使者は如春尼様が生前使用されて居た手巾(しゅきん)を譲り受け、政氏公より如蔵尼様に渡されし物と承って居り申す。端に書かれし安寿の文字は、如春尼様の御若き頃の御名(おんな)であったそうにござりまする。」
長次郎の話を聞き、母御前と万珠は心を痛めた。斯様(かよう)に大事な物を万珠に託したという事は、己等を匿(かくま)った咎(とが)を、村岡より受ける覚悟をして居たに相違無い。如蔵尼は、我が身を危険に晒(さら)してまで、甥(おい)政氏が再興した父の家を護らんと務めたのである。それを想うと、自然と母子は恵日寺の在る南の方へ、頭が下がった。

 一行は更(さら)に山道を北上した。やがて木戸川を渡った先で、長次郎は郭公山の奥深くへ道を採った。この辺りは江藤氏の居城楢葉館に近い分、村岡勢が攻め寄せて来た場合、斥候(せっこう)に遭遇する危険が有った。長次郎は近々戦場(いくさば)と化す楢葉の邑(ゆう)より、出来るだけ離れて置きたいと考えたのである。

 郭公山北方の山間(やまあい)を、西へ向かい踏み入ってから、何里進んだか分らない。山道故に幾度も休息を取りつつ、頓(ひたすら)長次郎に付いて行った。長次郎は山に入って間も無く、江藤家の旗を掲(かか)げて進んだ。聞けば、この辺りの山賊は、江藤家の者だと知ると、手が出せないのだという。

 長次郎が萩塚山、鬼太郎山を確認した後、下り坂が続く様に成った。然し鬱林(うつりん)の中、日没が一層早く感じられる。四人が山中の野宿を覚悟し始めた時、麓(ふもと)に川と集落が見え始めた。

 四人は村に出た事で、大いに安堵を覚えた。長次郎は川を指差して説明する。
「此(こ)は木戸川の上流。そしてここはもう、山楢葉にござりまする。」
山楢葉は磐城郡楢葉郷に属すも、楢葉館からは山を幾つも隔(へだ)て、郡内で最も辺境の地とされて来た。しかし、村を四方に延びる山道は、磐城郡小高郷の他、安積郡小野郷、芳賀郷へも通じて居る。村岡重頼の魔手より逃れるには、恰好(かっこう)の地であった。

 一行は木戸川に沿って北へ向かうと、間も無く西岸に江藤氏が支配する館が見えて来た。長次郎は振り返り、四人に真顔で告げる。
「一つ、御願いの儀がござりまする。館内では磐城平家の御方としてではなく、小湊家の者として御振舞い願いとうござりまする。この地には未だ、郡内の擾乱(じょうらん)は伝わって居らぬでしょうから、無用な混乱を防ぐ為にござりまする。御立ち寄りの用向きは、小野の知人を訪ねる等と仰せられ下されれば、宜しいでしょう。」
「解りました。長次郎の言に従いましょう。」
御前が応ずると、姥竹と二人の子も承知の意を示した。長次郎は笑みを見せ、再び館へ向かい、歩いて行った。

 長次郎は山楢葉の武士にも顔が利き、女子供四人の宿泊に、意外な程すんなりと応じてくれた。小湊家の者というだけで鄭重なる持て成しを受けたので、御前は、小湊氏は江藤家中において、余程有力な郎党なのであろうと感じた。

 その日は満足の行く食事が取れ、館内の客間にて休む事が出来た。床(とこ)の中で御前は、小湊家の忠義と、長次郎の気配りに、感謝の念を深めた。他方、恵日寺の僧や大村信澄、橘清輔に磐城四家と、自身等を逃がす為に手を尽してくれた者達が、今如何(どう)して居るかが心配された。

 翌朝、一行は早々に山楢葉の館を発つ事にした。
「小野へは未だ山道が続きまする故、御気を付け下され。」
館主の別れの言葉を受け、御前は笑顔で返す。
「昨夜は過分なる御持て成し、感謝致しまする。この御好意は、当家に戻りし後、必ずや主(あるじ)に伝えまする。」
館主と御前が互いに辞儀を交した後、長次郎を先頭とする一行は、北西へ向かい出立した。

 暫(しばら)く木戸川に沿い、村落の中を通って行ったが、やがて川と共に道も分岐した。西南方より、支流の小白井川が流れ込んで居る。その川に沿って南下すれば、夏井川、磐城海道に至る。

 しかし磐城街道は、大村信澄が千勝母子を連れて逃走した道である。当然村岡方は、磐城街道を重点的に捜索して居るであろう。長次郎は迷わず、歩を木戸川上流へと進めた。

 前谷地という村落に入った時、千勝は西南方に高い峰を見付けた。長次郎に聞くと、それには大滝根という名が付けられて居た。千勝は愈々(いよいよ)、磐城郡界の端に近付いて来た事を感じた。

 やがて山道は木戸川を離れ、尖盛という山の裾野(すその)を、南から西へと回り込む様に延びて居る。程無く長次郎が足を止め、振り向いて四人に告げる。
「この尖盛は、磐城郡楢葉郷と、安積郡芳賀郷の境にござりまする。即(すなわ)ち、これより磐城郡を出る事に成りまする。」
千勝は只頓(ひたすら)、村岡重頼の追手から逃れるべく山道を歩いて来たが、いざ磐城郡外まで落ちる事を告げられると、無性に寂しさが募(つの)った。苔野(こけの)に学問を学び、鵜沼昌直や木戸時国からは武芸を学んだ。しかし今、磐城平家当主と成った己は本領を失い、側に在る武士は唯(ただ)一人しか居ない。千勝は、かつて海仙両道の武士団の棟梁であった祖父政氏に対し、申し訳無い気持で一杯であった。
「私は必ず還(かえ)って来る。」
そう呟(つぶや)いた後、千勝は長次郎に、先を急ぐ様促(うなが)した。

 道は一旦桧山川に出るも、やがて西に逸(そ)れた。更(さら)に進むと、今度は大滝根という川に出た。これは、仙道を貫流する逢隈(阿武隈)川の支流の一つと、長次郎は説明した。川沿いに北上して行くと、大滝根川はその幅を増し、やがて比較的整備された道に出た。長次郎の説明に依れば、この道は安積郡丸子郷から芳賀郷を経て、標葉(しめは)郡標葉郷を結ぶ主要道なのだという。

 千勝は、斯(か)かる逢隈(阿武隈)の山中にも、整備された道が在る事を嬉しく思った。そして幾分軽く成った足取りで、長次郎に付いて更(さら)に西を目指した。

 その日、日没までに芳賀郷の首邑(しゅゆう)に入る事が出来た。邑(ゆう)は大滝根川が大きく湾曲し、川幅も広く成って居る処に形成されて居る。

 ここでも長次郎は、地元豪族の館を訪ね、江藤家郎党の妻子が、三春黒沢家中の実家を訪れる途中であると説明して居た。そして幾許(いくばく)かの銭を渡し、今宵(こよい)も館内で夕餉(ゆうげ)と寝床に在り付ける手配をしてくれた。

 その日の晩も、四人はゆっくりと体を休める事が出来、翌朝は朝餉(あさげ)を戴く事が出来た。この日の出立は緩(ゆる)りとした物と成り、御前はそれが何故(なにゆえ)か、道中長次郎に尋ねた。

 長次郎が答えた理由は二つ有り、一つは目的地である三春まで、後僅(わず)かに三里である事。もう一つは、三春館主黒沢正顕が、千勝の祖母である三春御前の弟で在る一方で、村岡の謀反に左袒(さたん)した滝尻政之の実弟でもある為、四人を保護してくれるかは判(わか)らない事。故に、黒沢家が滝尻家の意向に沿う動きを見せれば、その後は丸子郷を抜け、一気に信夫(しのぶ)を目指す事と成る。最悪の事態に備え、体力を充分に回復して貰(もら)う必要が有ったと、長次郎は説明した。

 未だ陽の高い内に、一行は丸子郷の首邑(しゅゆう)、三春に入る事が出来た。しかし、先ずは千勝等を館に入れて大丈夫か如何(どう)か、下調べをせねば成らない。長次郎は平沢館より丘一つ隔(へだ)てた東南方の集落に、一先ず四人を留める事とした。

 長次郎は清水の宿に千勝等を置いた後、単身館へと向かった。そして日も暮れ掛かった頃、長次郎は宿へと戻って来た。そして懐より包みを取り出し、御前の前に差し出す。御前が包みを解くと、中には一通の書状と、三寸ばかりの木馬が納められて居た。

 この木馬は三春駒(みはるごま)と呼ばれ、一つの伝説が有る。延暦十四年(795)、坂上田村麻呂は時の桓武帝より奥州征伐の勅命を拝し、出陣の前に延鎮上人の元を訪れた。この僧は、三年後に京の清水寺を開創する人物である。延鎮上人は、五体の仏像を彫(ほ)った残りの木材で、百匹の小さな木馬を彫り、坂上将軍の御守りとして贈呈した。坂上将軍はこれを具足櫃(ぐそくびつ)に納めて出陣し、やがて大多鬼根山の巌窟(がんくつ)を塒(ねぐら)とする大多鬼丸率いる山賊を討伐すべく、三春の地に陣を布(し)いた。しかし山賊には地の利が有り、坂上軍は兵糧の欠乏も生じ、大いに苦戦を強いられる事と成った。その折、突如と為て百匹の野馬が坂上軍の前に現れ、田村麻呂将軍は歩兵百人を騎上させ、そのまま賊の陣へ突入させた所、賊軍は一気に潰走し、無事に三春近隣を平定するに至った。その後、野馬百匹は何処(いずこ)へか走り去ってしまったが、同時に、具足櫃に納めて居た木馬百匹も、姿を消して居た。

 その噂(うわさ)は近隣の村々へと広まった。そして、三春の北西に在る高柴村で、杵阿弥(きねあみ)という村人が、戦(いくさ)が有った翌日、全身に汗を掻(か)いた様に濡れた木馬を拾って居た。杵阿弥は先の戦(いくさ)の話を聞くと、大多鬼丸を討伐した折に現れた野馬は、この木馬が姿を変えて、坂上将軍を救ったのであろうと考え、自ら残り九十九体の木馬を彫(ほ)り上げた。

 村人も杵阿弥を真似(まね)て木馬を彫った所、悪い病(わまい)を患った子供は症状が軽くなり、三粒の豆を木馬に捧げて拝むと、子宝に恵まれるといった御利益(ごりやく)が有った。三春近郷の村では、子供を健やかに育てる木馬として、子育木馬と呼ぶ様に成ったという。

 母御前は、平沢館主より送られて来た、小さな木馬を手に取り、千勝と万珠の無事を祈る気持を察した。しかし、木馬に添えられて居た書状に目を通した時、御前は嬉しい様な、困った様な、複雑な表情を呈した。
「如何(いかが)なされました?」
姥竹が緊迫した顔で問うのに対し、御前は静かに書状を畳(たた)みながら答える。
「黒沢殿御自身は、磐城の大乱を聞いたばかりで、驚いて居られる様子。そして我等の無事を知り、安堵して居るとの事です。」
「それは良うござりました。黒沢家が味方なれば、真に心強き限りと存じまする。」
「されどじゃ。住吉の義母上様が村岡の命に因(よ)り、実家である三春に、本日到着された由(よし)。故に館内には、護衛を務めて来た滝尻兵が多数居り、表立って御扶(たす)け出来ぬとも書かれて在る。」
それを聞いた万珠は、目を輝かせて言った。
「では、御祖母(ばば)様は御無事だったのですね。」
母御前は頷(うなず)きつつも、表情を曇らせたままである。
「はい。御祖母(ばば)様は御無事です。されど、滝尻兵が平沢館内に入って居ると成ると、最早この地も危険です。早々に立ち退(の)きましょう。」
そう告げると、御前は書状の中の一枚を取り出し、長次郎に差し出した。
「これは、三春より守山への地図です。黒沢殿は、我が兄の館へ逃れる事を、勧めて居られるのでしょう。」
「はっ。」
長次郎は地図を押し戴き、じっくりと目を通した後、立ち上がった。
「では、夜陰に乗じて三春を抜けまする。皆様方、御仕度を。」
四人は急ぎ己の荷を手に取り、慌(あわただ)しく出発の用意を整え始めた。

 長次郎達が宿の外へ出た時、目に映(うつ)った物は、夕闇に浮かぶ、百に近い松明(たいまつ)の列であった。それは真っ直ぐ此方(こちら)へと延び、先鋒は既(すで)に二町の距離に迫って居る。
「仕舞った!滝尻方に我等の所在が漏れて居ったか。」
長次郎は調達したばかりの松明を、その場に投げ捨てて、四人に告げる。
「滝尻の追手にござる。裏山へ御逃げ下され。早く!」
母御前と姥竹は突然の事に狼狽(ろうばい)しながらも、其々(それぞれ)千勝と万珠の手を曳(ひ)き、南の山を目指して駆け出した。

 折しも運悪く、月明りが眩(まばゆ)い程に地上を照らして居た。滝尻の兵は宵(よい)の内、山を目指して疾走する怪しき人影を捉(とら)え、追跡を始めた。
「そこの者、待て!」
追手の声を後方に聞いた時、千勝等は生きた心地がしなかった。捕まれば、その場で斬られる怖れが有る。

 五人が村を抜け、裏山に続く林の入口に差し掛かった時、突如として千勝の脇を、飛来して来た物が有った。月明りの下、それが矢である事は直ぐに判(わか)った。

 女達は驚怖の余り、声も出ない。只闇雲(やみくも)に裏山を駆け上がって行く。長次郎が先導し、歩けそうな所を、藪(やぶ)を掻(か)き分け進んで行った。しかし、踏み分けられた藪が目印と成り、追手は千勝達との距離を、次第に縮めて行く。母御前も姥竹も、手を繋(つな)いだままでは山道の歩行が困難と成り、五人は一列と成って進んだ。千勝は武士として、その最後尾に付いた。

 後少しで、月の光も届かぬ鬱林(うつりん)に到着しようとした時、滝尻兵は逃がすまじと、一斉に矢を射掛けて来た。その多くが手前の木に突き刺さるも、一本の矢が千勝の足を貫いた。幸い、矢は袴(はかま)を破っただけであったが、千勝は足を取られて転倒した。そして直後、もう一本の矢が、千勝の頭を目掛けて飛んで来た。しかし矢は、目の前でカツンという音を立てて弾(はじ)かれた。千勝はそのまま這(は)って鬱林の中へと転がり込み、母に手を曳(ひ)かれて、闇の中へと消えて行った。

 その後、直ぐに滝尻の兵が、矢が刺さった処に到着した。しかしそこに残されて居た物は、千切(ちぎ)れ布を貫いた矢と、鉄製の地蔵菩薩であった。

 老兵の一人が語る。
「かつて陸奥押領使(おうりょうし)で在られた平政氏公が、藍沢権太郎の軍に敗れて三春に落ち延びた折、この丘で相馬伝来の守り本尊を無くされたそうな。もしこの地蔵菩薩がそれなれば、磐城平家の者に御加護が下されたのであろう。」
それを聞いた別の兵が、怯(おび)えた様子で言う。
「磐城判官様の守り本尊に楯突くなんて罰当たりな事、儂(おれ)には出来ね。」
隣の兵も頷(うなず)いて応ずる。
「確かに、ここは闇の中に見失った事にして、引き揚げるべ。」
「んだな。」
兵達の意見は一致し、地蔵菩薩に向かい合掌した後、山を下りて行った。

天澤寺(磐城平家の身代り地蔵尊が安置されている)

 暫(しばら)くして、追手を振り切った事を確認した長次郎は、比較的柔らかい、纏(まと)まった草地を見付け、四人に休む様勧めた。女子供は既(すで)に体力を使い果した様子で、草地に倒れ込む様に横に成った。皆、息が上って居る。

 その時、長次郎は涼しい顔をして言った。
「三春の館より、大分南へ逃れる事が出来申した。もう安心故、今日はここでゆっくりと御休み下され。」
千勝は既(すで)に微睡の中に在り、長次郎の健脚に感心つつ、夢の中へと入って行った。

 翌朝、千勝が揺(ゆ)すり起された時、空は白み始め、足元が見える様に成って居た。目を擦(こす)ってよく見ると、千勝を起したのは母御前である。
「千勝、起きなさい。空が明るく成る前に、出来るだけ三春から離れまする。」
昨日の恐怖を思い出した千勝は、慌てて己の荷を背負った。

 長次郎は日の出の方角から南の方角を知り、山中の悪路を進んで行く。そして二時(ふたとき)程経った頃、目の前に幅の広い川が見え始めた。長次郎は付近の農家に立ち寄って聞き込み、御前に報告する。
「申し上げまする。この川は大滝根川にござりまする。黒沢様より戴いた地図に依りますれば、これに沿って下流へ向かえば、間も無く守山様の所領に入り申す。」
「そうですか。其(そ)は上々。」
御前は力無く、微笑(ほほえ)んで返した。

 早朝より長時間山道を歩き続け、女子供は激しく疲弊して居た。長次郎は川の辺(ほとり)で四人を休ませ、昨夜宿で調達した握り飯を差し出すと、川へ水を汲(く)みに行った。千勝は漸(ようや)く腹に物を入れる事が出来、少しは体力が回復した様に感じられた。

 四半時程休んだ後、一行は再び歩き始めた。早く黒沢領を離れ、母御前の兄の所領に入りたかったからである。御前の実兄守山勝秋は、安積郡小川郷を所領とし、谷田川河畔(かはん)の丘に館を築いて、本拠として居た。

 やがて大滝根川は、北方へ大きく湾曲した。長次郎は地図を確認し、ここより川を離れて、南西の山間(やまあい)へと入って行く。その折、笑顔で四人に告げる。
「ここからはもう、守山様の御所領にござりまする。」
それを聞いた御前の顔が、ぱっと明るくなった。
「そうですか。兄上の。」
四人は住吉御所を出て以来、今程安心した時は無かった。その後は気持ちが急(せ)く事も無く、度々休息を取りながら、ゆっくりと南を目指した。

 日没が迫り、空が朱色に染まり始めた頃、一行は漸(ようや)く谷田川東岸の、山中という処まで下りて来た。そこから南方の丘を仰ぎ見ると、夕陽に照らされた守山館が見える。四人は無事に生き延びられた事を実感し、ゆっくりと大手門へ進んで行った。

 しかし、千勝等は大手門の衛兵に呼び止められ、中々入城の許しが得られなかった。長次郎が事情を説明するも、磐城の地で大乱が起り、政道の妻子が命辛々(からがら)逃げて来た事を、俄(にわか)には信用して貰(もら)えなかったのである。城主勝秋や、信夫以来の重臣に取り次いで欲しいと頼むも、門衛は五人の汚れた身形(みなり)から、全く相手にしてはくれない。

 五人が困り果てて居た時、武士の一隊が帰城して来た。将が開門を命じ様とした時、門の脇に佇(たたず)む五人に目を遣(や)った。将は怪訝(けげん)そうな面持ちで馬を下りると、五人の方へ歩み寄って来る。

 泥(どろ)に塗(まみ)れた御前は、一歩進み出て、将の顔を見詰める。
「貴方は、小川平治殿ではござりませぬか?常陸介と成られた、殿の警固を務めて居られた。」
平治は、己の目が信じられぬ様子で答える。
「北の方様。何と御労(いた)わしい。」
平治は郎党達に、休息の間の手配と、夕餉(ゆうげ)の仕度をする様に命じた。兵も門衛も、磐城平家の妻子がここまで落ち延びて来た事を、未だに信じ兼ねて居る様子である。されど、平治が確信を持って言う以上、その指示に素直に従った。

 平治は、急ぎ城主の元へ報告に赴かねば成らぬと言い残し、一礼すると、本丸へ駆け上がって行った。千勝等五名は、郎党の案内を得て、城内の客間へと通された。

 その後、磐城平家の者には風呂と夕餉(ゆうげ)が振舞われ、新しい衣服も支給された。旅の汚れを落し、おいしい食事で腹を満たして人心地が付いた時、客間を訪れる者が在った。
「御寛(くつろ)ぎ中、失礼致しまする。主(あるじ)が参りましてござりまする。」
(すだれ)越しに聞こえたのは、平治の声であった。御前は姿勢を正して答える。
「御通しして下され。」
御前の許しを得て、平治が簾(すだれ)を上げる。そして中へ入って来たのは、城主の守山勝秋であった。
「兄上。」
不意に、御前の口から声が漏れた。磐城で大村信澄と別れて以来、心より信用し、頼れる者が居なかったのである。御前は、三春で襲撃を受けた悍(おぞ)ましき記憶が、未だ鮮明なのも手伝い、緊張の糸が切れ、その場に伏して泣き出した。

 勝秋は、御前の肩を掴(つか)んで告げる。
「やはり、村岡重頼謀反の噂(うわさ)は真であったか。それにしても、よく幼子二人を連れ、ここまで無事に落ち延びて来られた。この後は兄や信夫の政澄様が磐城平家を御護りする故、もう安心にござる。」
御前は兄の袖(そで)に縋(すが)り、噎(むせ)び声で請(こ)う。
「何卒(なにとぞ)、千勝と万珠の事、宜しくお頼み申し上げまする。」
傍に座って居た千勝は、母がこれまで何(どれ)程己を守る為に腐心して居たかを知り、感謝の念から目頭が熱く成った。

 そして勝秋は、御前の肩をポンポンと叩き、笑顔で答える。
「案ずるな。二人の和子(わこ)は、政澄様から見れば可愛い甥御(おいご)と姪御(めいご)じゃ。政澄様には未だ御子がおわさぬ故、我が子の如く大事にされるであろう。明日は一日体を休め、明後日、この兄自ら信夫へ御送り致しましょう。」
「御願い致しまする。」
御前の心が幾分落ち着いて来た様なので、勝秋はほっとして立ち上がり、後ろに控える姥竹に告げる。
「明日は、皆様には確(しっか)りと御静養戴き、信夫への旅へ備えて戴きとうござる。」
「承知仕(つかまつ)りました。」
姥竹が丁寧に頭を下げると、勝秋も四人に対して恭(うやうや)しく礼を執り、平治と共に客間を辞して行った。

 翌日、客間で寛(くつろ)いで居た四人の元へ、来客が在った。恵日寺よりここ守山まで嚮導(きょうどう)を務めてくれた、小湊の長次郎である。

 長次郎は客間の入口で座礼を執り、御前に申し上げる。
「某(それがし)が主(あるじ)より仰せ付かった任務は、一先(ひとまず)終了致しましたので、これより磐城へ立ち帰りまする。」
御前は、寂し気な面持ちで返す。
「そうですか。長次郎殿が居らねば、我等四人は今頃、村岡の虜(とりこ)と成って居た事でしょう。御礼の言葉も見当りませぬ。」
長次郎は恐縮した様子で、苦笑を湛(たた)えた。しかし、直ぐに真顔に戻って言上する。
「この後、海道の村岡と、仙道の政澄様との間に、大戦(おおいくさ)が勃発する事でありましょう。御方様も、暫(しば)しは心休まらぬ日々が続くと存じまする。しかし、我等を含め多くの磐城武士は、千勝様が磐城郡司として御帰還なされる日を、心待ちに致して居りまする。」
「小湊家の忠節、嬉しく思いまする。」
長次郎と御前は、互いに頭を下げて、各々敬意と感謝を示した。

 そして、長次郎は守山館を去って行った。この時御前は、磐城より付き従ってくれた者が、遂(つい)に姥竹唯(ただ)一人に成ってしまった事を、殊(こと)の他寂しく感じた。

第十節←  →第十二節

第三章(上) 目次

海道伝説 トップ

トップ


/