第十節 忠臣大村信澄

 郡内豪族を招聘(しょうへい)して執り行われた葬儀の後も、千勝の周囲には、これといった変化は起らなかった。相変わらず対屋(たいのや)を住居とし、母の側で暮して居た。

 しかし住吉御所内は、村岡、滝尻の兵が物々しく、各所を固めて居る。千勝には気が置けない家臣が居らず、仍(よっ)て斯(か)かる城中を、呑気(のんき)に散策する事も憚(はばか)られた。父が元気であった頃は、気兼ね無く御所内の彼方此方(あちこち)へ渡れたが、今と成っては、対屋(たいのや)に押し込められた様な気分である。

 千勝が対屋(たいのや)の柵に凭(よ)り掛り、野田の玉川を俯瞰(ふかん)して居ると、不意に肩を叩いて来る者が在った。
「磐城平家の当主が、覇気の無い顔をして。」
「姉上か。」
千勝は振り返って、万珠の顔を見た。
「姉上、玉川は平素、霊峰湯ノ岳の前景と成り、清らかな流れを湛(たた)えて居るというのに、何故(なにゆえ)突然干(ひ)上がり、又時には水害を齎(もたら)すのでしょうか?」
万珠は、弟が磐城の地勢に関心を示した事を、内心嬉しく感じつつも、沈着に答えた。
「昔、祖母(ばば)様から聞いた事が有ります。あの辺りは船尾よりの本流、岩ヶ岡よりの支流が合流する処故、長雨に因(よ)り増水すれば、その水勢は並の堤では防ぎ切れぬと。祖父(じじ)様がおわした頃、即(すなわち)ちもう五十年近くも前から、治水普請は続けられて居るとか。」
「ふうん、祖父(じじ)様も手を焼かれておわされたか。」
「祖父(じじ)様が初めて磐城に入部されし頃、府は滝尻に置かれて居たそうです。それをここへ遷(うつ)されたは、玉川の水運を得るのみ成らず、水害を頻発(ひんぱつ)させ、困窮に喘(あえ)ぐ民人(たみびと)の姿から、目を背(そむ)けられぬ様にする為であったと、聞いた事が有ります。」
確かに、本丸より西方を見下ろせば、水害を被(こうむ)った集落の様子が、一望の下に見渡せる。

 日に日に幼さが抜けて行く弟の表情を見詰めながら、万珠は頼もしく思う一方で、一抹(いちまつ)の寂しさも覚えて居た。
「千勝殿は、もう直ぐここを離れ、別の棟へと移るのですね。」
万珠は父を亡くし、今又弟が離れて行く事が、心細く感じられた。
「一町と離れて居りませぬ。直ぐそこではありませぬか。それよりも、父上が亡くなられた後、母上と祖母(ばば)様が力を落されて居られる御様子。姉上からも、元気を差し上げて下され。」
「はい。」
その後姉弟は黙ったまま、西方に聳(そび)える湯ノ岳を、暫(しば)し眺め続けて居た。

 ふと複数の者が、廊下を渡って来る足音が聞こえて来た。振り返ると、伯母花形御前の姿が見える。御前は、万珠と千勝がここへ歩み寄って来るのを認めると、足を止めて一礼した。

 姉弟は伯母の手前まで来ると、渡殿(わたどの)の下から辞儀をした。花形御前は笑顔でこれに応え、甥(おい)(めい)に告げる。
「今し方、御母上と祖母(ばば)様に御別れを告げて来た所です。妾(わらわ)はこれより、汐谷の御城へと戻りまするが、困った事が有れば何時(いつ)でも、この伯母を頼って下され。」
「はい。御心遣い、有難く存じまする。」
姉が答えて頭を下げるのを見て、千勝もそれに倣(なら)った。そして別れの言葉を交した後、花形御前は対屋(たいのや)を後にして行った。

 千勝は幼心にも、己と気心知れた家臣を、次々と御所より追放して来た村岡重頼に対し、畏怖の念を覚える様に成って居た。故に重頼が失脚しては安堵を覚え、復権しては残念に思って来た。しかしよくよく考えれば、重頼は義理にも伯父である。伯母と言葉を交した事で、村岡家も己に対し、悪い様にはするまいと思える様に成り、心が幾許(いくばく)か軽く成った気がした。

 その時、花形御前と入れ違いに、一人の郎党と思(おぼ)しき者が現れ、侍女に取次を頼んで居た。その初老の男は、直ぐに対屋(たいのや)へ入る事が許可され、侍女の案内を得て、回廊を渡って来る。

 男は程無く千勝等の姿を認めると、庭へ下りて来て膝(ひざ)を突いた。
「これは若君、並びに姫様。某(それがし)は滝尻御所に仕える橘清輔と申しまする。」
滝尻家の者と聞き、姉弟の顔は俄(にわか)に強張(こわば)った。滝尻家は村岡家と結託し、その郎党の多くは、磐城家中における勢力をより強固な物とする為、随処で暗躍して居る。その手が遂に対屋(たいのや)にまで及んだか、という気持に成った。

 滝尻家の郎党は、二人に笑顔を向けながら、話を続ける。
「某(それがし)はかつて、先々代政氏公の側に御仕え致し、直(じか)に治政に就(つ)いて、教授を受けた事もござり申した。本日は、主家より浴せし御恩に、僅(わず)かでも報いる事が出来ればと、信夫御前様並びに三春御前様に対し奉(たてまつ)り、重大なる報告を致しに罷(まか)り越した次第。若君や姫君にも、是非にも聞いて戴きたき話にござりまする。」
清輔という郎党の真剣な眼指しを受け、千勝は深く頷(うなず)いた。

 北の方と呼ばれて居た信夫御前は、夫を亡くした今、城主夫人の間を明け渡し、剃髪(ていはつ)して夫の御霊(みたま)を弔(とむら)うべく、準備を進めて居た。姑の三春御前よりも先に髪を落す事は、両御前に取って、心中の大きな翳(かげ)と成って居た。

 侍女より清輔の来訪を聞いた信夫御前は、姑(しゅうとめ)に自室への御越しを請(こ)うた。己が尼寺へ退去した後は、再びこの間を三春御前に使って戴き、幼き二人の行く末を託したかったからである。

 三春御前が到着して間も無く、清輔は万珠、千勝と共に姿を現した。そして入口に膝(ひざ)を突き、座礼を執る。
「滝尻の橘清輔にござりまする。この度、先君政道公御不幸の事、真に以(もっ)て無念の極みと存じ奉(たてまつ)りまする。」
奥に座す三春御前が、懐かしそうに清輔を呼ぶ。
「おお、清輔殿。久しいのう。さあ、上がられよ。」
「はっ。」
清輔は深く頭を下げた後、立ち上がって数歩進み出て、再び座礼を執った。万珠と千勝は、母御前の脇に腰を下ろす。

 信夫御前が、入口に控える侍女に告げる。
「清輔殿は三代に仕える忠臣。心配は無用故、下がって居なさい。用が有る時は、姥竹(うばたけ)に呼びに行かせまする。」
侍女達は姥竹を残し、一礼して下がって行った。人払いが成された所で、清輔は懐より書状を取り出し、信夫御前の前へと差し出す。姥竹がそれを取り次ぎ、御前に手渡した。
「驚きになられましょうが、決して声を上げられませぬ様。」
清輔の言葉に頷(うなず)いた御前は、丁寧に書状を広げ、目を通し始めた。

 差出し人は、意外にも大村信澄であった。書状には、次の様に認(したた)められて在る。先日信澄の館に、鳥見野原より愛宕(あたご)族の長老が、若者一人を連れて現れた。その若者は、先君平政道が鳥見野原において討たれる一部始終を、目撃したと言うのである。その言に依れば、下手人は村岡家の郎党、井口小弥太と大山太郎、加えてその手下との事であった。その総勢は五十騎を数え、加えて事件の直後に、村岡の大軍が住吉の対岸まで繰り出されて来た事から、村岡当主重頼自身が逆心を起し、主家を滅さんと画策した事、ここにおいて明白と成れり。以上の如く書かれて在った。

 信夫御前は薄々、重頼の忠節に疑念を抱いては居た。だが、よもや主君を暗殺し、その混乱に乗じて住吉御所を陥(おとしい)れ、あわや千勝の身までもが危うかった事を知り、目の前が暗く成る思いに襲われた。しかし気を持ち直し、文の続きへと目を移す。

 住吉に留まって居ては、何時(いつ)村岡の魔手が千勝へ伸びて来るか分らず。村岡方に気取られぬ様、小勢を以(もっ)て住吉近くまで迎えに参上する故、今宵(こよい)の闇に紛(まぎ)れ、城を脱け出す事を、信澄は勧めて居た。

 唐突で、余りにも重大な内容を含むこの書状に、信夫御前は激しく当惑した。対屋(たいのや)から出るだけでも、人の目に付けば大変な事に成るというのに、況(ま)してや村岡重頼占領下の城内を通行し、城柵外へ出るという事は、粗(ほぼ)不可能な事である。とは言え、このまま城内に留まって居ても、千勝の身に危険が及ぶ事は、充分に考えられた。

 信夫御前は判断に迷い、書状を姑(しゅうとめ)に渡し、助言を請(こ)う事にした。三春御前は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せながら、その書状に目を通した後、それを膝元に広げ、千勝と万珠を呼んだ。二人は祖母の前に腰を下ろし、目の前に置かれた書状へ目を遣(や)る。

 三春御前は文面を指差し、二人の孫に告げる。
「よく覚えて置くが善(よ)い。ここに記されし三名が、即(すなわ)ち父上の仇(かたき)です。」
祖母の指の先には、村岡重頼、井口小弥太、大山太郎の名が記されて居る。千勝は憎悪の念を抱きながら、この三人の名を頭に刻み込んだ。

 父の無念に涙を湛(たた)え、全身を震わせる孫達から、清輔へ視線を移した三春御前は、声を潜(ひそ)めて尋ねる。
「其方(そなた)、信澄殿より何ぞ話を聞いて居らぬか?」
清輔も又、声が外へ漏れぬ様、押し殺して話を始めた。
「某(それがし)は今、滝尻御所の一将として、城内に手勢を留めて居りまする。本日、花形御前が汐谷へ御戻りになられ申したが、その侍女が御前の命を受け、帰りが遅れる事と成った為、某(それがし)の手の者が護送する命を受けた、という事に致しますれば。」
「成程(なるほど)。妾(わらわ)等女子(おなご)衆は市女笠(いちめがさ)を被(かぶ)れば、侍女に扮(ふん)して脱出も出来よう。しかし、千勝と万珠は如何(いかが)致す?」
「畏(おそ)れながら、葛籠(つづらこ)の大きな物を二つ用意致し申した。外に出るまでの間、その中にて御辛抱願いたく存じまする。」
「其方(そなた)は滝尻家の家臣。加えて村岡家の侍女を護送すると在らば、村岡の兵も警戒を緩(ゆる)めるであろう。」
加えて信澄方は、村岡重頼が丁度(ちょうど)住吉を留守にして居る事も掴(つか)んで居た。周到な信澄の手配に安心した三春御前は、信夫御前に笑顔を向けて告げる。
「其方(そなた)が政道殿の喪に服せるのは、暫(しば)し先の事に成りそうじゃ。」
信夫御前は緊迫した面持ちで頷(うなず)くと、橘清輔に対して畏(かしこ)まり、座礼を執った。
「千勝は磐城平家嫡流唯一の男子。その命を救わんとする橘殿の忠義を、切に有難く存じまする。」
清輔もこれに答え、深く静かに頭を下げた。

 引き続き清輔は、両御前と詳細に脱出の手筈(てはず)を確認した。それが済むと、清輔は一同に対し礼を執り、何事も無かったかの如き涼しい顔で、己の詰所へと引き揚げて行った。

 その日の夕餉(ゆうげ)は、住吉御所で取る最後の食事と成った。皆、久しくこの地で暮らして来た思い出を噛み締めて居るのか、将又(はたまた)命懸けの脱出行を前に緊張して居る為か、黙々と箸(はし)を動かして居た。

 食事が済むと、各々が平静を装(よそお)って自室へと戻り、侍女を下がらせて独り、床(とこ)に就(つ)いた。

 寅(とら)の刻、未だ闇夜に閉ざされて居るとは雖(いえど)も、初夏の候とあらば、日の出も間近である。千勝はこの夜、中々寝付けなかった所為(せい)か、朝方に成って漸(ようや)く、深い眠りの中に在った。

 ふと、揺(ゆ)すり起す者が居る事に気付いた。眠い目を擦(こす)りつつ、その者の姿を確認すると、姥竹であった。
「若君、そろそろ時刻にござりまする。」
千勝は昨日の事を思い出し、慌てて床(とこ)より起き上がると、急ぎ姥竹が差し出した旅の装束(しょうぞく)に着替えた。そして姥竹の案内を得て、対屋(たいのや)の出口近くに在る、納戸(なんど)として使って居る一室へと入って行った。

 中は真っ暗であったが、暗闇に慣れた千勝の目には、既(すで)に人が待って居る事が判(わか)った。よく見れば、祖母、母、姉と皆揃(そろ)い、千勝の到着が最後である。

 姥竹が納戸の入口に、周囲の警戒の為に残った。千勝が母御前の側に腰を下ろした所で、祖母が口を開く。
「皆、揃(そろ)いましたね。」
祖母の擦(かす)れた声に、母子は無言で頷(うなず)いた。三春御前もそれを受けて頷いた後、言葉を接ぐ。
「間も無く、橘家の兵が対屋(たいのや)に現れる手筈(てはず)と成って居まするが、我等が城を脱出致さば、村岡は忽(たちまち)ちに本性を顕(あらわ)し、主家の者と雖(いえど)も容赦無く、追討に及ぶ事でありましょう。皆、今より村岡は家臣に非(あら)ず。仇(かたき)と思い、追手にはよくよく注意をなされる様。」
母御前と姉が座礼を執るので、千勝もそれに倣(なら)い、頭を下げた。

 ふと千勝は、祖母だけが袴(はかま)を穿(は)かず、旅の仕度をして居ない事に気が付いた。
「祖母(ばば)様は、共に行かれぬのですか?」
三春御前は、柔和(にゅうわ)な微笑を湛(たた)えて返す。
「祖母は足腰が弱り、到底長旅が出来る身ではありませぬ。仍(よっ)て、侍女が橘兵の姿に気付いた折、巧(うま)く話を作って時を稼ぎ、皆を逃す手助けを致しまする。それに、政道殿の菩提も弔(とむら)って遣(や)らねば。」
「では、これにて御別れにござりまするか?」
悲愴な千勝の面持ちに、祖母はゆっくりと首を振る。
「祖母(ばば)は平政氏の妻。祖母(ばば)に手を掛ければ、政氏殿の時代を懐かしむ者達の心は皆、村岡より離れて行く事でしょう。村岡もそれを承知故、祖母(ばば)だけは残って居ても安全なのです。それよりも、千勝殿はこれから城を出て大村信澄殿を頼り、やがては磐城四家、信夫の政澄殿の支援を得て、村岡と戦う事と成りましょう。その戦(いくさ)に勝利した後、再びこの御城で、見(まみ)える事が叶(かな)うでしょう。」
幼少の千勝は、祖母の言葉で単純に納得して居た。その一方、傍らの信夫御前は、悲痛な面持ちで聞いて居た。

 確かに脱出行の際、年老いた三春御前を伴えば、急ぐ事も出来なく成り、追手に容易に追い付かれてしまうであろう。しかし、三春御前が村岡の元に残ると成ると、三春の黒沢正顕に取っては姉を、信夫の平政澄に取っては母を、質(しち)に取られる事と成る。その事が、信夫御前に取っては大きな不安と成って居た。

 やがて、入口に立つ姥竹が、小さな声を上げた。
「御越しになりました。では奥方様、共に参りましょう。」
「はい。」
信夫御前は返事をすると、市女笠(いちめがさ)と杖を持って立ち上がった。そして納戸(なんど)を出た後、対屋(たいのや)入口に立つ清輔の元へと進み、子供等の居場所を報せた。幸い、その場から見える処であったので、清輔は四人の兵に二つの葛籠(つづらこ)を持たせ、納戸へと向かわせた。一方で、清輔自身は二人の郎党を率い、信夫御前と姥竹を伴って、対屋(たいのや)を後にして行った。

 その後直ぐに、納戸(なんど)へ清輔の兵が入って来た。四人は部屋の中に二つの葛籠(つづらこ)を置くと、三春御前の脇に残った二人の子供に、小声で告げる。
「若君、姫様、早うこの中へ。」
千勝と万珠は緊張した顔で立ち上がり、葛籠(つづらこ)の中へ、身を屈めて横たわる。窮屈であったが、何とか納まる事が出来た。

 兵が蓋(ふた)を乗せ様とした時、祖母が千勝の側に膝(ひざ)を突き、紫色の絹(きぬ)の布で包んだ物を、そっと葛籠(つづらこ)の隙間、千勝の手に触れる所へ入れた。
「これは当家を守護し給(たも)う地蔵菩薩じゃ。大事に持って行きなされ。」
「はい。」
千勝が返事をした直後、蓋(ふた)が被(かぶ)せられた。祖母の優しい笑顔を最後に目にし、その後千勝の周りに光は届かなく成った。

 葛籠(つづらこ)に封がなされた後、兵はそれ等を担(かつ)ぎ上げ、廊下へと出た。その時、侍女の一人が直ぐ近くを歩いて居た。対屋(たいのや)に男が四人、侵入して居るのを目撃した女中は、驚きの余り、大声を上げ様とした。

 しかし、三春御前の姿も一緒に在る事に気付いた為、侍女は膝(ひざ)を突いて畏(かしこ)まり、恐る恐る何事か尋ね様とした。御前は泰然と進み出て、女中より先んじて口を開く。
「娘の花形に、贈物(おくりもの)を渡すのを忘れて居ました。故に滝尻殿の兵を借り、汐谷へ運ばせる所なのです。」
「然様(さよう)でござりましたか。」
しかしその女中は、三春御前が未だ陽も昇らぬ時刻に、対屋(たいのや)へ兵を入れた事を訝(いぶか)しんで居る様子である。
「ではその荷を、必ずや花形の元へ届けて下され。」
「はっ。」
四人の兵は一揖(いちゆう)した後、葛籠(つづらこ)を担(かつ)ぎながら、対屋(たいのや)を後にして行った。

 それを見送った後、三春御前は傍らに佇(たたず)む女中に声を掛けた。
「さて、次は花形からの贈物(おくりもの)を拝見せねば。其方(そなた)、丁度(ちょうど)良い所へ来てくれた。これより妾(わらわ)の間へ赴き、手伝って貰(もら)いたき事が有る。」
「はい。」
女中は気の進まぬ顔をしながらも、三春御前の命を受け、対屋(たいのや)の奥へと扈従(こじゅう)して行った。

 その後、橘勢が詰める西方の櫓(やぐら)に、侍女の恰好(かっこう)をした信夫御前と姥竹の姿が在り、間も無く二つの葛籠(つづらこ)も到着した。東方の空が、次第に藍色を帯び始めて居る。清輔は用意した輿(こし)に姥竹を乗せ、千勝と万珠を隠した葛籠(つづらこ)を、荷車に乗せて紐(ひも)で固定した後、部隊に出発の号令を下した。

 橘勢は整然と城山を下り、やがて大手門に達した所で、村岡兵に呼び止められた。
「止まれ。斯様(かよう)な闇の中、何処(いずこ)へ参る?」
部隊の先頭に居た清輔は、馬上から門衛に答える。
「我等は滝尻御所の兵。花形御前の命を受け、老女と荷を、汐谷へ護送する所でござる。」
村岡重頼の正室、花形御前の名を聞き、門衛達は些(いささ)かたじろいだ様子を見せた。しかし将と思(おぼ)しき者が進み出て、清輔に告げる。
「一応役目でござる。老女殿の御顔を確認したい。」
清輔は顎(あご)で家臣に促(うなが)し、輿(こし)の簾(すだれ)を上げさせる。篝火(かがりび)の明かりの中、姥竹の顔が浮かび上がった。

 門衛の将はかつて、本丸政庁において信夫御前の顔を直(じか)に見た事が有る、村岡家の郎党である。重頼より、磐城平家の者が御所を脱し、他家に走る事の無き様、厳命を受けて居た。そして目の前に映(うつ)るのは、御前よりも十歳以上年長と思わせる、全くの別人であった。

 花形御前の老女ともなると、下手に機嫌を損ねる様な事が有らば、後々如何(いか)なる禍(わざわい)が降り注ぐか、判(わか)った物ではない。門衛の将は老女に一礼した後、清輔に通行を許可した。清輔が、滝尻家の郎党であった事も幸いした。村岡氏が実質住吉を占拠する今、滝尻は住吉、汐谷に挟まれる位置に在る為、滝尻政之は村岡氏に従属せざるを得ない。故に門衛も、滝尻の者であらば、村岡に諍(いさか)う気概は無いであろうと思い込んで居た。

 直ぐに大手門が開かれ、橘勢二十騎は輿(こし)と荷駄を伴い、住吉御所を出て西へと折れて行く。信夫御前は老女の御供を装い、輿の脇で、市女笠(いちめがさ)を深く被(かぶ)って居た。目元より下の顔を篝火(かがりび)に照らされ続けた御前は、何時(いつ)己の素姓が露顕するかと、心の臓が口から飛び出そうな心地が続いた。そして城門を潜(くぐ)った後、漸(ようや)く斯(か)かる緊張感から解放される事が出来た。橘勢は松明(たいまつ)を翳(かざ)しながら、西へと進んで行く。そして間も無く、東の空が白み始めた。

 清輔は野田まで来た所で、松明(たいまつ)の火を消す様に命じた。そして道を北に逸(そ)れて、山裾(すそ)へと入って行く。この時、清輔の部隊に気付いた者が居た。大村信澄の監視を続けて居た、村岡重頼の手の者である。

 橘勢が、野田村の北の外れに鎮座する社(やしろ)に入ると、境内には既(すで)に、五十騎程の武者が待機して居た。橘の旗を立てた一隊が到着すると、主立つ将が迎えに出て来る。その中央に居るのは、大村信澄であった。

 清輔は信澄に一礼すると、直ぐに家臣に命じた。
「若君と姫様を、早う外へ。」
「はっ。」
橘の兵は社(やしろ)まで担(かつ)いで来た葛籠(つづらこ)をそっと下ろすと、手早く縄を解き、蓋(ふた)を開けた。

 漸(ようや)く、狭い葛籠(つづらこ)の中から出る事が出来た千勝は、祖母より託された包みを抱き、立ち上がった。兵の一人が藁履(わらぐつ)を差し出したので、それを履(は)いて辺りを見渡すと、母に姥竹、そして姉万珠の姿が見える。千勝は安堵し、大きく息を吐(つ)いた。

 その時、大村信澄が千勝の前へ進み出て、膝を突いて恭(うやうや)しく礼を執った。
「御所脱出の折は、狭い中を善(よ)くぞ御辛抱下され申した。この後は、安全なる処へ御遷(うつ)し致しまする故、何卒(なにとぞ)御安心の程を。」
千勝は信澄の真摯(しんし)な表情を受け、安心して答える。
「其方(そなた)は大村信澄と申したな。祖父(じじ)様は其方(そなた)を、家中一の忠臣と評したそうな。斯(か)かる危地に駆け付けてくれた事、真に頼もしく思うぞ。」
「勿体(もったい)無き御言葉にござりまする。」
信澄は再び千勝に一礼した後、立ち上がって、信夫御前と橘清輔の方を振り返った。
「夜明けも近い故、早々に出立致しまする。ここより丘陵の裾野(すその)に沿って東へ、岩出を経て林原(林城)へ出た後、矢田川西岸を北上し、最も近い、佐藤殿の三沢館へ入りまする。」
「解りました。御願い致しまする。」
御前が答えると、橘清輔も頷(うなず)いて見せた。信澄は清輔に後軍へ入って貰(もら)う事を決めた後、一つしか無い輿(こし)に、御前と姫を乗せた。姥竹は徒(かち)にて随行し、千勝は信澄と同じ馬に乗る事を勧められた。

 その時千勝は、輿(こし)に乗った母の元へ駆け付け、懐に抱いて居た紫色の包みを差し出した。
「これは別れ際、祖母(ばば)様より託されし物にござりまする。馬上の揺れで毀(こわ)してしまうのは勿体(もったい)無き故、母上に御持ち願えませぬか?」
母御前はその絹製の包みを見て、中身が凡(おおよそ)察せられた。
「では、これは母が大事に持って居りましょう。千勝殿は早う馬へ。」
「はい。」
千勝は包みを母へ手渡すと、再び走って、信澄の馬へ飛び乗った。

 その後ろに信澄も跨(またが)った所で、信澄は全軍に進発を号令した。大村、橘軍併せて七十騎が、未明の林道を進み始める。その時、闇に紛(まぎ)れて住吉へ走る人影が在った。

 朝ぼらけの前後、鶏(にわとり)は時を告げ、農家では朝粥(あさがゆ)の仕度の為、彼方此方(あちこと)より煙が立ち始める。

 千勝は夜明けの頃に城外に居る等、滅多に無い経験であるので、好奇心からきょろきょろと、周囲を見渡して居た。やがて林原(林城)禅長寺の門前を過ぎ、前軍が矢田川に達した時、中軍の千勝は、周囲の景色に違和感を覚え始めた。

 右手、南西を指差し、千勝は声を上げた。
「御城に、煙が!」
信澄は、千勝が示す方へ目を遣(や)ると、俄(にわか)に表情を強張(こわば)らせて叫んだ。
「敵じゃ!騎馬隊が来るぞ。全軍、半里先の飯田まで走れ。」
信澄の号令を受け、全軍は走り出した。しかし、住吉方面に朦々(もうもう)と巻き上がる土煙は、次第にその距離を縮めて来る。村岡勢の姿をはっきり捉(とら)える事は出来ないが、千勝を護る部隊の二、三倍では、怖らく聞かぬであろう。
(捕まれば殺される。)
そう確信して居た千勝は、村岡騎兵の馬蹄の響きが迫るに連れて、顔が青ざめて行った。

 飯田村の北部は、丘が川岸近くまで延びて居り、隘路(あいろ)と成って居る。信澄はここに殿軍(しんがり)を残し、時を稼いて居る間に、千勝母子を三沢の館へ避難させ様と考えた。

 信澄が行軍を止め、この地に後備えを残そうとした時、後軍より一騎の武者が駆けて来るのが見えた。よく見れば、橘清輔である。

 清輔は信澄の脇で馬を止めると、沈着たる様子で告げる。
「信澄殿、ここは我等橘勢が引き受ける。若殿方を、無事に三沢へ御連れして欲しい。」
清輔の覚悟を決めた顔と、その後方に迫り来(きた)る村岡の騎兵部隊を同時に見た信澄は、思わず清輔の手を掴(つか)んだ。
「清輔殿、若君方の御無事は、この命に替えても約束致す。」
清輔は笑顔で信澄の手を強く握り返した後、ゆっくりと手を離し、再び後軍へ馬を返して行った。
(惜しい男よ。)
信澄は、橘勢が時を稼いでくれる事を信じ、大声で兵に告げる。
「橘勢がここで敵を食い止めてくれる。その間、我等は残り半里の行程を、三沢まで一気に駆け抜ける。」
大村勢は気勢を上げ、北へ向かう足を急がせた。

 一方輿(こし)の中では、万珠姫が母御前を、不安気な面持ちで見上げて居た。
「母上、何故(なぜ)泣くのですか?」
御前は袖で涙を拭(ぬぐ)いながら、唯(ただ)首を横に振るばかりである。母御前は、我が身や子等を救い出してくれた忠臣の、確実な死を予感して居たのであった。

 間も無く谷田川の支流、三沢川に達した大村勢は、河畔(かはん)に沿って、西へ向きを変えた。ここまで来ると、愈々(いよいよ)三沢館が遠望出来る様に成る。兵の士気は高まり、行軍の速度も些(いささ)か増した様であった。

 その時、館より法螺(ほら)の音が響き渡り、武装した武者が凡(およ)そ百騎、飛び出して来た。先頭を駆ける武者は、佐藤純明である。純明は馬上から信澄に一礼しただけで、そのまま駆け抜けて行ってしまった。百騎の武者は殆(ほとん)どが純明の後に続いたが、後続の五騎ばかりは本隊を離れ、信澄の前に馬を止めた。そして先頭の若武者が一礼し、口を開く。
「某(それがし)は佐藤純明が嫡男、純高にござりまする。父は村岡の軍が所領内に入った事を受け、迎え討つべく出陣致し申した。皆様方には早う館へと入られ、御休息下さりまする様。」
「おお、純明殿自ら御出陣とは、心強き限りにござる。では、御館まで案内して戴こう。」
「はっ。」
純高は返事をすると馬を返し、大村勢の先頭に入って駒を進めた。

 三沢館を目の前にして、純高は信澄の脇に馬を寄せた。
「父の言葉にござりまする。三沢館は他の館よりも守りが弱く、又住吉に近過ぎまする。半時程、時を稼いで居る間に休息を取られ、成るべく早く高坂へ向かわれる様に、との事にござる。
「確かに。では、仰せの通りに致すとしよう。」
信澄と同じ馬に乗る千勝は、二人の会話を聞いて、次第に心細く成るのを感じた。村岡の軍勢は強く、己が再び住吉に戻れる時は、もう来ないのではないかと思えた。

 大村勢が館へ入ると、館内の一隅(ひとすみ)が兵営として空(あ)けられ、兵をゆっくりと休ませる仕度が成されて居た。信澄は佐藤家の言葉に甘え、郎党をそこで休ませる一方、御前や千勝達には別室を宛(あて)がおうとした。

信澄の勧めを受け、御前は溜息を吐(つ)く。
「そうですね。ここは敵に近すぎまする。では、半時後に高坂へ向かいましょう。しかし今は主家と雖(いえど)も、妾(わらわ)達を厚遇する必要は有りませぬ。呉子の如く兵と苦労を共に出来ねば、やがては主家の威光も衰え兼ねませぬ。」
信澄は御前に深く頭を下げると、その場を辞して行った。その後女子供は、兵営に隣接する狭い一室に入って、そこで身体を横たえた。

 半時も経たぬ内に、大村勢は慌しく出発の準備を整え始めた。その間、三沢館には次々と、重い傷を負った佐藤家の兵が、運び込まれて来る。

 佐藤勢が村岡騎兵を相手に、苦戦を強(し)いられて居る事を察した信澄は、早急に主家をより安全な処へ逃がすと共に、佐藤勢には館へ退(ひ)いて貰(もら)って、戦う方が良いと考えた。

 出立の仕度が粗方(あらかた)整った頃合いを見て、信澄は屏風(びょうぶ)で仕切られた、隣の間へ声を掛けた。
「御方様。」
信澄の声を受け、信夫御前が返答する。
「出立ですか?」
「はっ。」
「解りました。直ぐに参りまする。」
御前と姥竹は、寝入ってしまった万珠と千勝を揺(ゆ)すり起すと、衣服の乱れを直して遣(や)った後、手を曳(ひ)いて庭へ出た。

 信澄は四人の前に進み出て膝を突き、言上する。
「佐藤殿より、輿(こし)を一梃(ちょう)借り受けました故、若君と姫様に御使い戴きとう存じまする。」
千勝は姥竹の方を振り向いて答える。
「私も磐城武士の端くれ。輿(こし)よりも馬の方が良い。それには、姥竹に乗って貰(もら)おう。」
確かに姥竹は初老であり、足腰も他の兵達と比べれば、抜きん出て弱い。千勝は、長年面当を見てくれた老女が落伍せぬ様、配慮したのであった。しかし姥竹が、一人で輿(こし)に乗るは畏(おそ)れ多いと固辞するので、万珠姫と同乗するという事で、漸(ようや)く納得した。

 大村勢は隊列を整えると、直ぐに軍を進発させた。その時、佐藤純高が信澄の元へ、慌てて駆け寄って来るのが見えた。信澄は一旦軍を止め、純高を待った。

 純高は信澄の傍で馬を下りると、悲痛な面持ちで報告する。
「只今入った報せに依れば、橘清輔殿以下二十騎、悉(ことごと)く討死の由(よし)。」
信澄の直ぐ前に座って居た千勝は、純高の報告に言葉を失った。信澄は険しい表情と成って頷(うなず)くと、純高に告げる。
「怖らく、御父上も苦戦なされて居られる筈(はず)。我等は高坂へと向かい、斎藤殿の援兵を請(こ)うて参る故、御父上には直ぐに館へ御戻り下される様、御伝え下され。」
「はっ。御無事に高坂へ入られる事を、御祈り申し上げまする。」
そう言い残すと、純高は再び己の愛馬に跨(またが)った。そして三騎の郎党を率い、東方矢田川の辺(ほとり)で敵を食い止めて居る、父の元へと駆けて行った。

 それと同時に、大村勢も館を出て、西の山間(やまあい)へと入って行く。人里も見当たらぬ山の中であるのだが、不思議と一本の道が整備されて居る事に気付いた。千勝がきょろきょろと辺りの景色を見て居るので、直ぐ後ろに跨(またが)る信澄は、一つの話をした。
「先々代の政氏公は、武力を以(もっ)て磐城を制圧された折、郡中央の要として、佐藤氏を住吉近くに配され申した。佐藤氏は、郡内の何処(いずこ)において反乱が起きても、直ぐに兵を送れる様、間道も整備して居た由(よし)。此(こ)はその一つにて、水野谷を経て浜街道に通じ、私(きさい)郷の首邑(しゅゆう)三箱(さはこ)へ出られまする。」
「ふうん。」
千勝は何気無い声で返した。しかし心の中では、祖父の代に多くの有為な人材が居た事に、感心の念と羨望(せんぼう)を覚えて居た。

 この時信澄の胸中には、一つの不安が有った。三箱(さはこ)は浜街道と御斎所(ごさいしょ)街道への脇道が合流する、郡内でも有数の大規模を誇る町である。故に治安対策の目的も有り、滝尻家が兵を駐屯させて居た。橘清輔の隊を失った今、大村勢は僅(わず)かに五十騎。三箱の兵の動向次第では、更(さら)なる犠牲が予想された。

 水野谷に入ると民家が目立つ様に成り、やがて浜街道に出た。そこから十町程北へ向かうと、愈々(いよいよ)町の中へと入る。

 信澄がここで不思議に思った事は、街を巡回する兵の姿が見当たらぬ事であった。やがて街を抜けた先の傾城(けいじょう)に至った時、隘路(あいろ)を一隊が封鎖して居る事に気が付いた。

 軍勢の旗印は滝尻家の物である。それが飯野郷へ抜ける者を監視して居るのは、明らかに村岡氏の意向を受けし物と推察出来る。信澄は矢軍(やいくさ)が起らぬ様、二町隔(へだ)てて軍を止め、郎党の一人に白旗を持たせ、通交の許しを得るべく、軍使として派遣した。

 軍使は単騎、滝尻の陣へ赴いた。暫(しば)し話し合いが続いた後、軍使は馬を返し、自軍へと引き返して来た。
「如何(いかが)であった?」
軍使を務めた郎党は、無表情に首を横に振った。
「駄目でござる。御主君千勝様の御通りと告げたにも拘(かかわ)らず、滝尻御所の許可が得られねば、何人(なんぴと)たりとも通す訳には行かぬと。そして滝尻御所の許可を得る故、暫(しば)し待たれよとの事でござった。」
信澄は、滝尻勢を睨(にら)め付けながら呟(つぶや)く。
「成程(なるほど)。政之殿も家中より、清輔殿という忠臣を出してしもうた故、重頼の信頼回復に躍起(やっき)に成って居ると見える。」
将の一人が、信澄の脇へ進み出て具申する。
「このまま待って居れば、怖らく脇道の長倉方面より援軍が現れ、我等は南北より挟み討ちに遭(あ)いまするぞ。今なれば、兵力は互角。」
信澄は頷(うなず)くと、兵にゆっくり前進する様に命じた。

 滝尻の陣との距離が、次第に狭まって来る。正面の兵が此方(こちら)に矢を番(つが)えたのを見て、千勝の心臓は俄(にわか)に高鳴った。そして不安気に信澄を振り返ると、信澄は泰然と構えたまま囁(ささや)く。
「手綱に確(しか)と掴(つか)まり、身を低くして下され。」
千勝が信澄に言われた通り、馬にしがみつく様に身を伏せた時、正面の陣との距離は、一町より縮まって居た。

 突如、信澄は抜刀し、大声で叫んだ。
「全軍、突撃!」
大村勢は鬨(とき)の声を上げ、滝尻の陣を目掛けて駆け出した。その気勢に驚いた滝尻軍は、数人が矢を放った物の、多くは左右に散開した。この隙(すき)を突いて、大村方の騎兵は敵陣中央を切り崩し、その間に御前達の乗る輿(こし)を通過させ、無時に傾城の陣を抜ける事が出来た。その先は隘路(あいろ)が続く為、僅(わず)かな兵で滝尻勢の追撃を食い止める事が出来る。滝尻兵は武芸に劣り、大村家郎党の放つ強弓の前に、後込(しりご)みして近付く事が出来なかった。

 漸(ようや)く堀坂(ほっさか)を過ぎると、愈々(いよいよ)斎藤邦秀の治める飯野郷である。信澄は郎党一騎を先行させ、高坂館に千勝母子を迎える仕度を整えて貰(もら)おうと考えた。

 そして藤棚(ふじだな)を過ぎ、愈々(いよいよ)平地が目立つ様に成って来た処で、使者に出した郎党が引き返して来た。
「申し上げまする。大根川(新川)は水嵩(みずかさ)を増し、橋を悉(ことごと)く流してござりまする。これでは、対岸の高坂館には入れませぬ。」
信澄はその報告に顔を顰(しか)めつつ、道を外れて、大根川(新川)の岸辺に沿って進み始めた。

 確かに、大根川(新川)を渡す橋は全て流されて居た。馬術に長(た)けた兵だけであれば、何とか渡河出来るかも知れないが、今は輿(こし)に乗った御前や姫も居る。信澄は高坂入りを諦(あきら)め、飯野平へと進んで行った。

 小島(おじま)村の近くまで来た時、修復したばかりの橋が、流されずに架かって居るのが見えた。大村勢は少人数ずつ、慎重に橋を渡り、やがては全軍が、橋を渡り終える事が出来た。この時郎党の一人が、信澄に進言した。
「この橋を残して置いては、村岡方の追撃に使われるやも知れませぬ。今の内に、落して置いては?」
信澄もその意見に賛同し様とした時、近くに置かれた輿(こし)の簾(すだれ)を上げ、信夫御前が信澄に告げた。
「この橋は、民の暮しに欠かせぬ物と存じまする。もしこれを落せば、磐城平家は近隣の民より怨まれる事と成りましょう。出来得る事なら。」
御前の言葉を受けて、信澄は周囲を見渡した。滝尻の兵が追って来る様子も無く、近郷は悉(ことごと)く平穏である。信澄は御前の意に沿う旨を告げると、軍に再び進発を命じた。赤目崎物見丘(あかめがさきものみがおか)を東へ迂回(うかい)し、夏井川を渡って石森山の南麓へ出ようとしたのである。浜街道を東進し、片依(かたよせ)郷北方の長友館へ、千勝を無事に入れる事が出来れば、村岡重頼に対する反撃の大勢が取れると、信澄は考えた。

 しかし突然、郎党の叫び声が響いた。
「村岡兵だ!」
信澄は南方を見渡すと、大根川(新川)の南、谷川瀬の方向に、夥(おびただ)しい土煙が上がって居るのが見えた。目を凝(こ)らして見ると、確かに村岡騎兵の様である。三沢より矢田川沿いに北上し、荒川郷を経由して来た物と推察された。
「これは行かん。全軍、進路を西へ取れ!」
信澄は急遽(きゅうきょ)部隊を反転させ、夏井川北岸を西に向かって進み始めた。浜街道沿いに長友へ向かっては、片依郷の平原で追い付かれ、村岡勢に殲滅(せんめつ)させられるだけであろう。信澄は、まだ磐城街道沿いの方が守りに易いと考え、北進を決意したのであった。

 大村勢は石森山を右手に仰ぎつつ、夏井川北岸を西進し、やがて磐城街道に至った。この街道は西の夏井川、東の山地に挟まれた間を走り、暫(しばら)く進めば小高郷、更(さら)に進めば安積(あさか)郡の小野郷に通じて居る。信澄はいざ村岡の追手に追い付かれた時は、川を渡るなり、山に籠(こも)るなりして、少しでも敵を足留めする策を考えて居た。

 大村勢は、些(いささ)か強行軍で北を目指した。飯野平において村岡勢の威容を見て以来、早く長友館に入らねばという、焦(あせ)りが生じて居た。

 住吉御所を出て、既(すで)に六、七里は落ちて来たであろうか。味方の兵の疲労が目立ち始め、小休止も已(や)むなしと思った時、延喜式内小社の一つ、二俣神社が見えて来た。信澄は休むに丁度(ちょうど)良いと思い、境内に入ろうと考えた。その時、後方より叫び声が聞こえた。
「村岡勢が現れたぞ!」
蛇行する道を進んで来た為、敵軍の接近に気付かなかった事は、信澄の不覚であった。

 窮地に陥った大村勢の将信澄は、ここに至って乱れず、先ずは千勝と共に馬を下り、御前の乗る輿(こし)へと駆け寄った。御前は周囲の慌しさに気付き、輿を下ろさせて、表へ出る。姥竹も御前に倣(なら)い、姫と共に輿を下りた。

 信澄は御前の前に膝を突き、言上する。
「遂(つい)に、村岡勢に追い付かれてしまい申した。斯(か)く成る上は、我等が賊を食い止めて居る間、出来得るだけ遠くへ御逃げ下され。」
「しかし、逃げると言うても何処(いずこ)へ?」
御前は困惑して尋ねた。
「一つ先の集落前原より、東方の山間(やまあい)を抜け、長友館に至る間道がござりまする。それと、これを。」
信澄は懐より、汗の染み込んだ書状を差し出した。御前が戸惑いながらもそれを受け取ると、信澄は笑顔で一礼した。
「では、御無事に長友まで、御着つきになられまする様。」
そう言い残すと、信澄は再び馬へ飛び乗り、郎党達に号令を下す。

 見る見る内に、村岡騎兵は砂塵を捲(ま)き上げ、怒濤の勢いで押し寄せて来る。姥竹は御前の袖(そで)を引いて言上する。
「ここは大村殿の言に従い、若君と姫様を連れて、急ぎ落ち延びましょう。」
御前ははっとして頷(うなず)くと、千勝の手を曳(ひ)き、北へと向かった。姥竹も万珠の手を曳き、御前の後へ続いた。

 次第に、村岡勢の全容が見えて来た。兵力は凡(およ)そ二百騎。大村勢の四倍である。更(さら)に、その中央に井口小弥太の姿が認められた。
「皆、敵の将井口は、先君政道公を闇討ちした張本人ぞ。今こそ、御主君の仇(かたき)を討とうではないか。」
大村勢に、鬨(とき)の声が上がった。信澄が集めた武者は、磐城平家の忠臣ばかりである。士気は大いに揚がった。
「弓隊、構え。」
信澄の号令を受け、十名程が前列に走り、矢を番(つが)える。
「放て!」
号令と共に放たれた矢は、井口勢の先頭を駆ける武者に命中し、三名ばかりが馬より転げ落ちた。続いて二の矢が射掛けられ、三の矢を番(つが)えた所で、信澄は弓兵を後方へ下がらせた。
「突撃!」
信澄の叫び声と同時に騎兵が飛び出し、歩兵がその後に続く。両軍は喚声(かんせい)を上げ、激しくぶつかった。

 大村軍は、磐城家最強と言われる村岡騎馬隊に対し、怯(ひる)まずに奮戦した。敵方の将が、先君政道を手に掛けた人物と知り、弔(とむら)い合戦と成った故である。しかし大村方は、満足に休む間も無く移動を続けて来た為、既(すで)に体力を消耗し尽して居た。一人、又一人と討たれて行く。

 井口小弥太は多勢の有利を活かすべく、小隊を左右に展開し、包囲する作戦に出た。信澄はこれに対し、一騎たりとも後方へ突破されては、幼君千勝の身が危ないと考え、自軍も左右に展開させ、足留めする布陣に移った。

 大村方は寡勢(かぜい)にも拘(かかわ)らず、軍を細長く延ばした為、敵の猛攻の前に力尽き、討死する者が相次いだ。信澄は修羅に入り、敵兵を数多(あまた)斬り伏せたが、突然、村岡兵は信澄から距離を置き始めた。

 信澄は荒い呼吸を整えつつ、様子を窺(うかが)う。朦々(もうもう)と巻き上がった砂煙(すなけむり)が次第に晴れ出した時、信澄は既(すで)に味方が二騎しか残って居ない事に気が付いた。

 そして、信澄の正面に井口小弥太が姿を現した。それを認めた信澄は、落ち着き払った様子で告げる。
「其方(そち)は陪臣(ばいしん)の身に在りながら、何故(なにゆえ)元大老たる儂(わし)の前で下馬せぬ。村岡家からは既(すで)に、礼すらも失われたか?」
井口は信澄の言に、怒りを顕(あらわ)にして返す。
「間も無く朝廷より、重頼様を四郡大領に補する大命が下される。さすれば、儂(わし)は新たな郡司家の大老と成る。無位無官の者を前に下馬する必要等、有ろう筈(はず)も無い。」
信澄は井口の雑言(ぞうごん)を、只黙って聞いて居た。千勝等を、出来得る限り遠くへ逃がす為である。

 やがて井口の話は、先主政道に触れた。
「抑々(そもそも)、今日の磐城平家の禍(わざわい)を招いたのは、先代政道の悪政に因(よ)る物なり。己一人の栄華を望む暴君より、民を救済した功績を天朝に認められ、村岡家は新たに本郡の主と成られる。故にこれは、謀叛に非(あら)ず。」
井口は腹の虫が大分治まって来た様子で、笑みを湛(たた)えて申し渡す。
「貴殿には、あの小倅(こせがれ)の追捕(ついぶ)に協力して貰(もら)いたい。首尾良く小倅(こせがれ)を重頼様に差し出した暁(あかつき)には、其方(そなた)の立場を保障して遣(や)らぬでもない。」
信澄は黙々と井口の言を聞いて居たが、呆(あき)れ顔でこれに答える。
「村岡重頼はこの農繁期に、兵を募(つの)って主君を討たんとして居る。民を苦しめ、磐城の家を押領し、果ては主殺しをも目論(もくろ)む。これを逆心という事も知らぬとは、処置無しじゃのう。」
話を終えると同時に、信澄は鐙(あぶみ)を蹴り、井口を目掛けて突進した。郎党二人もこれに続く。

 井口は慌てて後方へ退(しりぞ)き、その前方を兵が固める。信澄等の勢いは凄(すさ)まじく、忽(たちま)ち四、五人を斬り倒した。井口は信澄の気迫に怯(おび)え、弓兵に命ずる。
「弓で射殺せ。」
直ぐに弓兵は、信澄以下三騎を目掛けて、無数の矢を放つ。雨霰(あられ)の如く降り注ぐ矢を浴びて、三人は馬上より転落した。

 井口が漸(ようや)く安心して前に出て来た所、大村信澄が身体の彼方此方(あちこち)に矢を受けながらも、ゆっくりと立ち上がった。井口は驚いて叫ぶ。
「もっと射掛けよ!」
弓兵十数名が、何本も何本も、信澄目掛けて矢を放つ。信澄は全身針鼠(はりねずみ)の如くに成り、衣(ころも)は鮮血に染まった。それでも尚、信澄は目を見開き、井口の前に立ち開(はだか)って居る。

 やがて矢を射掛ける者は居なく成り、兵の一人が怖る怖る、信澄に近付いた。そして槍で突くと、その身体はどっと倒れた。

 大村方五十騎は総勢討死。しかし寡兵(かへい)ながらも、精強で知られる村岡兵に対し、それ以上の犠牲を出させて居た。心有る村岡武士は、大村兵の強さと厚い忠誠心に、心の底から尊敬の念を抱いた。

 井口は漸(ようや)く胸を撫(な)で下ろし、信澄の遺骸(いがい)を見下ろしながら呟(つぶや)く。
「全く梃摺(てこず)らせおって。殿が鷹野(たかの)に出でたる隙(すき)を見計らい、小倅(こせがれ)を擁立せんと目論(もくろ)むとは、恐ろしき男じゃ。」
そして、側に控える兵に命ずる。
「大村の首を刎(は)ねよ。長年殿に楯(たて)突いて来た男じゃ。その首を見れば、殿は大いに喜ばれようぞ。」
兵は一礼し、遺骸(いがい)の側へと歩み寄る。

 その時、井口の元に各隊の将が、報告に駆け付けて来た。
「申し上げまする。当方は六十名が討死の他、四十名が重傷にて、引き続き追跡に移れるのは、百騎ばかりにござりまする。」
井口は予想外の痛手に歯噛みした物の、直ぐに落ち着き払い、諸将に告げる。
「最早、小倅(こせがれ)の側には若干(じゃっかん)の供しか居るまい。追跡は百騎で充分。四十名の負傷者は住吉に引き揚げ、傷の手当を受けるが良かろう。その折、大村が首を殿に献上致す様。」
(さら)に井口は、郎党の一人に申し渡した。
「滝尻の兵が、飯野平辺りまで来て居る筈(はず)。兵の一部を割き、当方の負傷者搬送に宛(あ)てる様伝えよ。又、残りの兵は直ぐ様長友館を攻め落す様。」
「はっ。」
郎党は一礼すると馬を返し、南方の飯野平を目指し、駒を走らせて行った。

 井口は騎乗し、兵を整えると、再び磐城街道を北上し始めた。
「大村の所為(せい)で大分遅れを取ったわ。者共、急げ!」
百騎の武者はこれに応じ、一斉に駒を駆った。

 やがて村岡の一隊は、下小川の村落へと辿(たど)り着いた。ここより先は、夏井川が街道の直ぐ側まで迫る様に成る。この時、安積郡方面より歩いて来る旅の者の姿が在ったので、井口はその者の前へ立ち開(はだか)った。急に武士団に道を遮(さえぎ)られた男は、恐怖で顔を引き攣(つ)らせて居る。井口は睨(にら)み付けながら、男に声を掛けた。
「何もせぬ。但(ただ)し、正直に話してくれればだが。」
「何をでござりましょうか?」
「其方(そなた)、小野郷より街道伝いに参ったな?」
「はい。」
「途中、武家の若君と姫を伴った一行を、見掛けなんだか?」
男は暫(しば)し記憶を呼び起して居る様子であったが、やがてきっぱりと申し上げた。
「小野よりここに至るまでの間、確かに武家の御曹司や、姫君の如き衣服を纏(まと)った御方は、見掛けませんでした。しかし、この先には小高郷の首邑(しゅゆう)が在り、そこでは通行人も多い為、確たる自信はござりませぬ。」
「むう。」
井口が唸(うな)った後、旅の男は思い付いた様に話し出した。
「御探しの方は、長友方面へ向かわれたのではありますまいか?二俣社の手前より、長友へ抜ける道が在ると聞いた事がござりまする。」
「何と、其(そ)は真か?」
「以前、小高郷の宿にて、相部屋と成った男より伝え聞いた話にござりまする。」
井口はぱっと表情を明るくすると、銭の入った袋を、男の足元へ放った。
「驚かせて済まなんだ。気を付けて旅を続けられよ。」
井口の指示を受け、兵が道を空ける。男は何が何だか解せぬ様子で、飯野平方面へと去って行った。

 男の話を聞いた所、千勝等の逃亡先は二つ考えられた。一つは、小高郷内の豪族館に匿(かくま)われて居る事。もう一つは、間道を抜けて、山越えで長友へ向かった事である。

 小高郷に入ってしまえば、女子供が通れる道は、安積郡へと延びる、磐城街道の他は無い。その他の山道を通れば、忽(たちま)ち山賊の餌食(えじき)と成ってしまうであろう。仍(よっ)て井口は、二十騎を割いて、小高郷より先の街道を封鎖させる一方で、自身は残りの八十騎を率い、長友へ通じる間道を探すべく、南へ引き返す事にした。

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