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第九節 磐城の家督
同日夕刻、対屋(たいのや)入口に近藤宗昌の姿が在った。城内に押し寄せた多くの兵、加えて西方野田に布陣する村岡勢の姿は、否応(いやおう)無しに女子供をも、緊張の渦(うず)へと捲(ま)き込んで居た。宗昌の来訪を聞くと、信夫御前は直ちに、対屋(たいのや)入口へと向かった。
そこでは宗昌が独り、静かに控えて居る。やがて姥竹(うばたけ)を従え、早足で向かって来る御前の姿を認めると、宗昌はゆっくりと頭を下げた。
御前は宗昌の前まで来た物の、中々息が整わない。故に姥竹が、自身も息を切らせながらも、宗昌に尋ねた。
「外の様子は、如何(どう)なのです?」
宗昌は微(かす)かに震えながら、ゆっくりと頭を上げて答える。
「無念にござりまする。」
その目は、真っ赤であった。
「何が無念なのですか?」
御前は、取り乱した声で尋ねた。宗昌は言葉を探しながら、己が先程受けた報を、御前に伝える。
「今し方、滝尻より大村信澄の使いの者が戻り申した。その者の話に依れば、殿は鳥見野原にて何者かに襲われ、御落命の由(よし)。御遺骸(いがい)は今宵(こよい)、滝尻の兵に運ばれて、遍照院へ到着する手筈(てはず)との事にござりまする。」
御前は一瞬、宗昌が何を言って居るのか解(かい)せなかった。しかし、傍らで声を上げて嘆(なげ)く姥竹の姿を眺めて居る内に、次第に事態が認識されて来る。そして急に体の力が抜け、その場に倒れ込んでしまった。
咄嗟(とっさ)に宗昌が体を支えた為、大事は無かったが、御前は依然、虚(うつ)ろな目をして居た。
「大丈夫です。」
御前は姥竹にしがみつきながら、よろよろと立ち上がる。宗昌は御前の身を案じつつ、言上する。
「では、大村殿が戻り次第、再び御報告に参上仕(つかまつ)りまする。」
「宜しく御頼み申しまする。」
御前は一揖(いちゆう)すると、重い体を引き摺(ず)る様にして、奥の間へと戻って行った。
姥竹は信夫御前を一先ず休ませ、その後、政道の実母である三春御前の間を訪れた。辛(つら)い事ではあるが、三春御前に、宗昌の報告を伝えねば成らなかった。
齢(よわい)七十のその老婆は、筑前に流された夫の生死も判(わか)らぬ故、白髪も下ろせず、唯々(ただただ)夫の無事を祈って暮らして来た。そして、磐城平家の当主と成った長子政道を、最も頼みとして居たのである。
我が子の訃報に接した三春御前は、暫(しば)し惚(ほう)けた様子であったが、次第に気を取り戻し、姥竹に尋ねる。
「して、北の方はこれを御存知か?」
「はい。先程、近藤様より直(じか)に御報告を受けられ、力を落とされた御様子。今は自室にて、休まれておわしまする。」
「然(さ)もありなん。では二人の孫には、私の口から説明する事と致しましょう。万珠と千勝を、ここへ連れて来て下され。祖母(ばば)より大事な話が有ると。」
「はい。畏(かしこ)まりました。」
姥竹は深々と座礼を執ると、三春御前の元を辞した。そして万珠姫を探しつつ、三春御前の気丈さに感服して居た。
城の内外に多数の兵が犇(ひしめ)く、緊迫した事態の中、万珠と千勝は一室に籠(こも)り、五名程の侍女が側に控えて居た。姥竹は二人を捜(さが)し出すと、三春御前の御召(おめし)しを伝えた。
間も無く、万珠と千勝が姥竹に伴われ、三春御前の間に姿を現した。姥竹は入口に控え、姉弟は祖母の前に並んで、腰を下ろした。万珠も千勝も、祖母の顔に普段の穏和さが無く、寧(むし)ろ粛然たる気を感じ、自然と背筋が伸びて居た。三春御前は二人を交互に見据え、静かに口を開く。
「大事な御話です。心して聞きなさい。実は先程祖母(ばば)に齎(もたら)された報せに依れば、御父上が菊多より戻られる途中、何者かに襲われて、亡くなられたとの事です。」
二人は暫(しば)し、きょとんとした顔のままであった。やがて、千勝の口が動く。
「父上は、死んでしまわれたのですか?」
三春御前が深く頷(うなず)いたのを見て、万珠姫は俄(にわか)に噎(むせ)び始めた。姉の慟哭が伝播(でんぱ)し、千勝の目にも涙が溢(あふ)れ出した。
祖母は千勝に告げる。
「千勝殿が泣けるのは、ここに居る間だけです。今夜にも父上の御遺体が、遍照院へ到着されるとの事。法要が始まれば、千勝殿は跡取りとして、家臣衆目に晒(さら)される事でしょう。その時に、尚(なお)心が折れて居れば、家臣の中には千勝殿を侮(あんど)る者も、現れて参りまする。」
千勝殿の胸中は、哀しみと悔しさが混在して居た。家中の実権を奪われ、酒と遊びに憂(う)さを晴らす父の姿を見る事で、純粋な千勝の心は痛み続けて来た。しかし、かつて陸奥大掾(だいじょう)、常陸介として、海仙両道の諸豪族を束(たば)ねた勇姿を知るだけに、何(いず)れあの頃の父に戻ってくれる事を、頓(ひたすら)願い続けて来たのである。
千勝が目標とする人物、即(すなわ)ち嘗(かつ)ての父は、もう二度と戻る事は無い。それに気付いた時、千勝の心に、果てし無い空虚が広がった。
孫娘を胸に抱き、あやして居た三春御前は、父の訃報に接しながらも、僅(わず)かに涙を頬(ほお)に伝わせただけの孫子を見て、頼もしさを感じた。そして、千勝に告げる。
「千勝殿の母上は今、父上が亡くなられた事を聞き、力を落とされて居る。今後は千勝殿が、母上を護って差し上げるのですよ。」
「はい。」
千勝は毅然として答えた。
やがて陽が没し、戌(いぬ)の刻、住吉御所の物見櫓(やぐら)より、西方船尾の辺りに、煌々(こうこう)たる光の塊(かたまり)が確認されたとの報が入った。その時、千勝は祖母、母、姉と共に、対屋(たいのや)の一室に詰めて居た。侍女の伝令を受け、母御前は静かに告げる。
「では、参りましょう。」
祖母が頷(うなず)き、孫娘万珠の手を借りて立ち上がる。この時千勝は、先程から母の顔色が悪い事を気に掛けて居た。
対屋(たいのや)を出る時、姥竹を始めとし、侍女十余名が従った。更(さら)に表では、近藤軍の小隊が護衛を務めるべく、待機して居た。将は信夫御前の許しを得て、女子供の列の前後に兵を配備した。
本丸より大手門へ下って行く途中、通路の両側に、兵が整然と並んで居た。その静かな様からは物々しさが感じられず、寧(むし)ろ非常時の今に在って、頼もしい存在に感じられた。
千勝等が大手門に到着すると、佐藤純明が御出座(おでま)しを待って居た。一行が門前に到着すると、純明は恭(うやうや)しく一礼する。
「先刻、野田に布陣して居た村岡勢は、西の方へ消え去り申した。御安心下さりませ。」
信夫御前が頷(うなず)くと、純明は兵に開門を命じた。門が開くと同時に、近くに待機して居た部隊が一斉に走り出し、門外の両脇を固める。
兵の移動が終った所で、純明は御前達に言上する。
「では、門前にて殿を御待ち致しましょう。」
「はい。」
御前は、義母や子等と共に純明の導きに従い、表へと進んだ。
門外へ出ると、ざっと見て三方を五十余の兵が固めて居る。残る一方、西の彼方(かなた)からは、光が次第に近付いて来る。よく見れば、先頭を騎乗して進むのは、大村信澄と滝尻政之であった。そして後方には、百騎ばかりの兵が続いて居る。百の松明(たいまつ)は、夜空を明るく照らして居た。
信澄と政之は、大手門前で軍を止めると、下馬して信夫御前の前へ進み出で、片膝を突いた。そして厳(おごそ)かに、信澄が報告する。
「殿、只今御帰還遊ばされ申した。」
呆然(ぼうぜん)とする信夫御前に、政之が言葉を接ぐ。
「少々、殿の捜索に手間取り申した。宜しければこのまま、殿を遍照院まで御連れ致したく存じまするが。」
「では、その様に御願い致しまする。」
御前は、か細い声で答えた。
滝尻の一行は、再び政之の指示の下、移動を始めた。城壁の西側を伝い、城南の遍照院を目指す。御前の側に残った信澄は、列の中程を指差して申し上げる。
「彼所(あそこ)の棺(ひつぎ)の中に、殿はおわされまする。では、我等も参りましょう。」
御前は、眼を赤らめながら頷(うなず)いた後、子等に言い渡した。
「これから、父上に会いに参ります。」
「はい。」
千勝と万珠は、気を込めて返事をした。心が折れまいとする気持と、少しでも母を力付けたいと思う心が、そうさせたのである。母御前は子の気持ちを察してか、強く足を踏み出し、香華院(こうげいん)へと向かい歩み出した。
間も無く、棺(ひつぎ)は遍照院内の一室へと運び込まれた。その間には既(すで)に明かりが灯(とも)され、そこへ信夫御前が、義母や子供達と共に、信澄に案内されて入って来た。
遺族等が静かに、棺(ひつぎ)の周りに腰を下ろした後、信澄が棺の蓋(ふた)をそっと開けた。中を覗(のぞ)くと、確かに父の顔をした男が、横になって居る。衣服は泥(どろ)で汚れ、喉(のど)元には矢で貫(つらぬ)かれた傷が有り、襟(えり)は褐色に染まって居た。又、衣服は未だに湿(しめ)って居る。
信澄は言う。
「殿の御遺骸(いがい)が発見された処は、襲撃を受けたと思(おぼ)しき地より、凡(およ)そ一町程丘を登った辺りにて、土民がのめし沢と呼んで居る沢の中へ、投げ棄(す)てられて居た由(よし)にござりまする。」
一同は耳を疑った。戦時とも成れば、一、二万の兵を動員する力を持つ磐城平家当主が、斯様(かよう)に酷(むご)い最期を遂げた事実を、受け止められずに居たのである。
のめし沢
千勝は、人の死に触れたのはこれが初めてであり、頭がぼんやりとしたまま唯(ただ)、父の遺体を見詰めて居た。それは、隣に座る姉の万珠も同様であった。そして、先程まで気丈に振舞って居た祖母は、いざ息子の遺体を目の前にした途端、手で顔を蓋(おお)い、涙声を発した。
「嘸(さぞ)や苦しかった事でしょう。春の沢水は凍(し)みますもの。」
姑(しゅうとめ)の嘆きを聞いた時、信夫御前の心は一気に折れた。信夫御前は棺(ひつぎ)にしがみつき、声を上げて泣き始めた。
「やはり、菊多へなぞ行かせるのではなかった。斯様(かよう)な事に成るのであれば。」
信夫御前の嘆きは尋常ではなかった。三春御前は嫁に、心行くまで泣かせて遣(や)りたいと思う気持も有ったが、如何(いかん)せん、ここには孫や家臣の目も有る。故に、廊下に控える姥竹を、そっと呼んだ。
「和尚よりもう一室を借り受け、そこで北の方を休ませなさい。」
姥竹は承知すると、直ぐに和尚の元へと向かった。
程無く戻って来た姥竹は、信夫御前に別室へ移る様に勧めた。しかし御前は棺(ひつぎ)の傍に泣き崩れたまま、立ち上がる気力を既(すで)に喪失してしまった様である。已(や)むなく姥竹は他の侍女を呼び、御前に肩を貸して、別間へと連れて行った。
母の嘆き声が次第に遠ざかる。千勝はじっと座したまま、母の哀しむ姿に心を痛めて居た。そして、今や母を支える事が、己の成すべき事であると感じつつも、十歳の童子にはこの先何が待って居るのか分らず、不安に駆られて居た。一方で、動乱の磐城を夫政氏と共に過ごし、古希を迎える歳に成った三春御前は、別の不安を抱いて居た。それは、幼い主を擁立した後、家中に諍(いさか)いが起る事である。
(再び動乱が起こらねば良いが。)
三春御前は合掌し、御仏(みほとけ)に祈った。又、夫政氏の罪が許され、再び磐城平家の指揮を執ってくれれば、孫の家督後も安心であるのにと、今更(いまさら)ながら、十七年前の事が悔やまれた。
*
翌日、陸奥四郡大領平政道の遺体は、荼毘(だび)に付された。集めた遺骨は壺に入れた後、蓋(ふた)をして木箱へと納められた。千勝はこの時、生前の父の顔を二度と見る事が出来なく成った事を知り、無性(むしょう)に哀しみが込み上げて来るのを覚えた。傍らでは、万珠が涙を袖で拭(ぬぐ)って居る。しかし千勝は、涙が溢(あふ)れるのを必死に堪(た)えた。主君が家臣の前でめそめそして居ては、侮(あなど)りを受けるという祖母の言葉を、胸に刻んで居たからである。
もう一つ、千勝の心を痛める物は、昨日から力を落としたままの、母の事であった。その悲嘆は殊(こと)の他深く、一夜明けた今でも、立ち上がる事が出来ない有様である。姥竹等が側で見て居てくれるので、大事は無いと思う。しかし千勝の心には、大きな翳(かげ)を落して居た。
政道遺族が其々(それぞれ)に悲しみを抱いて居る間にも、住吉御所に入った重臣達は、法要の段取りに加え、今後の磐城平家の体制に就(つ)いて、評議して居た。
磐城平家の勢力範囲は広大である。亡君政道の実弟政澄は、仙道北部の信夫郡に在る。陸奥北端の地、津軽郡の郡司安倍政季も、名目上は磐城家臣である。先ずは磐城郡内の者のみを集めて法要を営み、後日中陰の法事に、郡外の者も参列願う事と決まった。
問題は、村岡重頼の扱いである。大村信澄や三家は、謀叛の疑いが有る人物故に、参列を拒(こば)もうと考えて居た。しかし、滝尻政之が諭(さと)して言う。
「村岡家は磐城入部以前より、主家の副将を務めて参った、大功の有る家にござる。主家の法要に呼ばねば、その家名に傷を付ける事と成り、我等との間に大きな溝が生ずる事と成り申そう。村岡家は磐城家中最大の勢力。迂闊(うかつ)な事を致さば、後々の為には成らぬと存ずる。」
村岡家は、先の苔野(こけの)入水(じゅすい)の際に謀叛の嫌疑が掛けられた物の、これは亡君政道の決断で、不問に付された。そして此度、村岡家は再び兵を挙げ、不審な動きが有ったと雖(いえど)も、その行動が叛心に因(よ)る物であるという証拠は無い。
信澄は熟慮の末、一つの提案を示した。
「滝尻御所は亡君の叔父君に在らせられるのに対し、村岡殿は義兄にござる。長幼の序に依り、親族の首席を滝尻御所、そして次席を村岡殿と致しましょう。又葬儀の最中、遍照院と住吉御所の警固は、滝尻と三家を併(あわ)せた四軍に、御願い致しとうござりまする。」
信澄の意見が、村岡を立て過ぎず、かと言って貶(おとし)める物でも無いと感じた諸将は、悉(ことごと)く賛同の意を示した。
結果、亡君の葬儀を取り仕切るのは、叔父の滝尻政之と決せられた。葬儀は、その後の家臣の力関係にも影響を与える、重大な場である。信澄は、如何(いか)なる手立てを尽しても、重頼にだけは取り仕切らせまいと、考えて居た。
数日後、磐城近隣の豪族だけを招聘(しょうへい)し、遍照院において、平政道の葬儀が盛大に執り行われた。遺族は北の方を始め、母三春御前、長女万珠姫の他、男子は嫡男千勝しか居ない。当然、千勝が磐城平家の三代目を家督する事と成るが、未だ十歳の若年という問題を抱えて居る。誰かが住吉に留まり、後見人を置かねば成らない。信澄は、絶対に重頼を後見人にしては成らぬと思い、政之と三家に強く同意を求め、既(すで)に了承を得て居た。
しかし重頼とこれを補佐する山田蔵人は、共に頭の切れる人物である。式の最中に如何(いか)なる手を打って来るか予想が付かず、信澄は和尚の読経を聞いて居る間さえ、気を抜く事は出来なかった。
やがて焼香も終り、和尚は退出して行った。その直後、遺族の席に座して居た千勝は、不意に近藤宗昌に呼ばれ、訳も解らぬまま、父の棺(ひつぎ)の前に敷かれた円座に腰を下ろした。目の前には、百を超す大人達が一様に、己を見詰めて居るので、千勝はそれ等の視線に気圧(けお)されそうに成った。
そして滝尻政之が、紫色の布で何かを包んで進み出で、千勝の前に膝(ひざ)を突くと、厳粛にそれを差し出した。脇に控えて居た宗昌がそれを受け取ると、包みを解き、中から二尺程の厨子が姿を見せた。宗昌はそれを千勝の前に置き、扉を開けると、中から黄金(こがね)色の光が放たれ、諸臣を照らした。
政之は千勝、更(さら)には後方に置かれた政道の亡骸(なきがら)に平伏し、申し上げる。
「亡君政道公より五代の祖、平高望公より伝わりし磐城平家の家宝、放光王地蔵菩薩を、今この場において、継嗣(けいし)千勝様へ御伝え致しまする。」
これを受け、広間に詰める百余の豪族達は、一斉に千勝に対して平伏した。
皆が頭を上げた後、千勝は困惑した顔で、正面の政之に告げる。
「大叔父上、私は未熟者にて、到底当主の役目は務まりませぬ。」
政之は、優しく笑みを湛(たた)えて返す。
「御心配召されるな。千勝殿が成人と成るまでの間は後見人を置き、政務を代行させ申す。」
そして脇に座す宗昌に目を遣(や)り、尋ねる。
「後見人の件じゃが、誰が相応(ふさわ)しいかのう?」
「其(そ)は、御一門衆の筆頭格に在らせられる、滝尻御所が最も相応(ふさわ)しいと存じまする。」
宗昌は即答した。それを受けて、重臣の席の最前列に座す佐藤純明、斎藤邦秀が同意を唱え、更(さら)には後列の大村信澄も、それを後押しした。
葬儀に参列した者達は、現在滝尻、近藤、佐藤、斎藤の兵が、住吉を固めて居る事を承知して居る。我が身の安全を計るべく、滝尻政之を後見人に推す声が相次いだ。
大勢(たいせい)が決した所で、宗昌は諸豪族を鎮め、親族席に座す重頼夫妻に目を遣(や)った。花形御前は、弟の急な死を哀しみ、未だに袖で涙を拭(ぬぐ)って居る。一方で重頼は、先程から頓(ひたすら)、沈黙を保って居た。
宗昌は、重頼に対して問う。
「大方は滝尻御所を後見人に推してござるが、村岡殿の御存念や如何(いか)に?」
重頼は泰然と構えて返す。
「某(それがし)も異存はござらぬ。この後は汐谷へ引き揚げ、菊多郡政に専念し、外より主家を御扶(たす)けする事と致す。」
信澄に取っては、意外な回答であった。本心から、重頼は斯様(かよう)なまでに神妙な事を言って居るのか、量り兼ねて居た。宗昌は笑みを浮かべて、政之に告げる。
「村岡殿も賛同し、家中の主たる者は悉(ことごと)く、滝尻御所の後見人就任を望んで居り申す。是非とも御引き受け下さりまする様。」
政之は暫(しば)し沈黙して居たが、やがて意を決した面持ちと成り、千勝に正対して頭を下げた。
「御家中の推挙を受け、漸(ようや)く某(それがし)の決意も固まり申した。この上は、粉骨砕身、千勝様、延(ひ)いては磐城平家の御為(おんため)、持てる力の全てを注ぎ、如何(いか)なる難局をも乗り越えて参る所存にござりまする。」
千勝は安堵と困惑の双方を覚えながら、政之に言い渡す。
「大叔父上の輔(たす)けが有れば、心強うござりまする。宜しく御願い致しまする。」
「はっ。」
政之が千勝の言葉を受けた後、宗昌は諸臣に布告した。
「今、御家中の総意に対して、御主君千勝様の承認が得られ、滝尻御所が新たに幼君の後見役に補任され申した。就任式の日取りは、後日各々方に通達致し申す。」
家臣達は挙(こぞ)って、千勝と傍らに座す政之に向かい、頭を下げた。
諸臣が直った後、宗昌は重頼に告げる。
「磐城、菊多、信夫、津軽四郡大領の印は、現在村岡殿が御持ちと聞き及んで居りまする。以後は滝尻家が御預かり致しまする故、御返還を願いまする。」
重頼は顎鬚(あごひげ)を撫(な)でながら答える。
「承知した。只、某(それがし)は久しく後見役を務めて参った故、膨大なる重要書翰(しょかん)を保有してござる。それ等の一部は汐谷にござれば、滝尻殿の就任式までに住吉に集め、式の上で一度に引継を行いたく存ずる。」
宗昌は内心、四郡の印だけでも直ぐに返還して欲しいと思って居た。しかし、数日後に返すと公言した物を無理強(じ)いしては、無用に重頼の心証を損ねると判断し、宗昌は已(や)むなく同意する事とし、又政之もこれを了承した。
磐城平家新体制の骨格が定まった所で、引き続き、亡君政道遺骨の埋葬が行われる運びと成った。千勝は父の骨壺を確(しっか)りと抱き抱(かか)え、寺域の奥へと入って行く。その後方から、遺族や重臣達が、列を成して続いて来る。千勝の前を先導する和尚は、住吉御所南面の、断崖の麓(ふもと)まで来て足を止めた。目の前には、二つの塚が築かれて在る。
寺で働く男達が、それ等の塚に向かい合掌した後、その脇に穴を掘り始めた。和尚は千勝に説明する。
「ここには、千勝様の祖父に在らせられる政氏様がかつて、都より持ち来(きた)りし父君忠政公の御遺品と、御母堂の御遺骨を埋葬された処にござりまする。」
千勝は、城内の仏間で手を合わせる事は日課であったが、祖先の墓を目(ま)の当りにする事は、久しく無かった。
「私の祖先は、一体如何(いか)なる御方なのです?」
千勝の問いに、和尚は一瞬言葉を詰まらせた。その時後方から、祖母三春御前の声が聞こえた。
「政之殿、千勝が手を痺(しび)らせ、遺骨を落してしまう様な事が有っては成りませぬ。代わって持って上げなされ。」
「はっ。」
政之が手を差し伸べてくれたので、そっと骨壺を納めた箱を手渡すと、千勝の両手は一気に軽く成った。
三春御前は千勝の前へと歩み、粛然と話を始めた。
「千勝殿も今や磐城平家の当主。我が夫政氏殿は未だ還(かえ)らぬ身故、この祖母より、当家の系譜を御話し致しましょう。」
厳かな祖母の態度に、千勝は気を引き締めた。他の家臣も私語を慎み、静寂の中で三春御前は滔々(とうとう)と語り出す。
「人皇五十代桓武帝が第五皇子は葛原(かずらわら)親王と称され、親王の嫡子が高見王、そして王の嫡子が坂東平氏の祖、上総介高望公にござりまする。高望公の三子良将公は下総に所領を広げ、相馬平家の祖と成られました。しかし良将公亡き後、その跡を継いだ将門公は、所領を巡って常陸本家、上総、水守(みもり)の一族と戦(いくさ)を繰り返し、遂には敵に与(くみ)した国府を占領するに至りました。将門公はその後、坂東八州の国府を悉(ことごと)く制圧した物の、下野藤原氏の秀郷殿、常陸平家の貞盛殿、常陸介嫡子藤原為憲殿等が、連合して攻め寄せて参りました。将門公は僅(わず)かな兵を率いて迎え討たんとするも、敵の矢を浴びて御落命。相馬家はここに滅びたのでござりまする。」
千勝は祖母の話を、じっと聞いて居た。
「祖母(ばば)様、その後、我が祖先は何(ど)の様にして、今日の繁栄を築かれたのですか?」
「将門公は国府を落した為、反逆者を討つ名目で、征東大将軍藤原忠文卿が、坂東に派遣されて参りました。将門公の弟君や重臣が悉(ことごと)く討たれて行く中、奥方と御子は行方知れずと成りました。唯(ただ)二人を除(のぞ)いては。」
「御二人は、生き存(なが)らえる事が出来たのですか?」
「はい。一人は長女で、当時村岡平家の御嫡男で在られた、平忠頼殿の元へ嫁がれて居りました。村岡平家の太祖良文公は、智勇兼備の武士。嫁に入られた相馬家の姫を、最後まで守り抜かれました。」
「して、もう一方(ひとかた)は。」
「御次男忠政公です。幸い天慶(てんぎょう)の大乱が勃発する前に、征東大将軍の邸に住まわれ、学問を志しておわしました。されど、坂東の大乱に因(よ)りその身が危うく成ると、良文公、忠文卿の御支援を受け、瀬戸内の乱鎮定の為、出陣する事が叶(かな)いました。そして見事武功を挙げられた忠政公は、朝廷より特赦を賜(たまわ)り、又位官を授けられるに至ったのでござりまする。次代の政氏公は五十年前、奥州の大乱を平定した功に因(よ)り四郡を賜り、磐城を本拠として開発に励み、本日の勢力を築かれました。そしてここ遍照院を香華院(こうげいん)と定め、父母の御霊(みたま)をこの地に祀(まつ)ったのでござりまする。」
千勝は曾祖父忠政の塚を見詰めながら、祖先の話を聞いて居た。千勝が物心付いて初めて磐城の地を踏んだ時、父政道は既(すで)に逢隈(阿武隈)一円に大勢力を誇る、武士団の棟梁であった。しかしその繁栄が、目の前の塚に眠る曾祖父と、未だ見ぬ筑前の祖父に因(よ)り築かれた物と聞き、千勝は改めて、祖先への畏敬の念を深めた。
やがて曾祖父の塚の隣に掘られた穴へ、政道の骨壺は納められ、その後塚が築かれた。和尚が経を読み始めると、磐城平家主従は挙(こぞ)って合掌をする。その最中、千勝は近くから嗚咽(おえつ)が聞こえて来る事に気が付いた。耳を澄ませば、それは祖母の声であった。先程までは気丈に振舞って居た三春御前も、息子の御霊(みたま)が塚へ移された事で、寂しさ、哀しみが堰(せき)を切った様に、心の中に溢(あふ)れたのであろう。哀しむ老母の姿を見て、周りの者は皆、同情に堪(た)えぬ面持ちであった。
*
五日後、磐城郡内の豪族は粗方(あらかた)住吉御所へ詰め掛け、南隣の遍照院において、先君平政道の葬儀が盛大に執り行われた。式を取り仕切るのは、四家の支持を受けた滝尻政之である。この日は、久しく海道北方に在った江藤玄貞も、住吉に入って葬儀に参列して居た。名君政氏が直々(じきじき)に育てた、四家の当主が整然と並ぶ様に、郡内の諸豪族は、幼君を戴く事に成ったと雖(いえど)も、未だ磐城平家は盤石なりと噂(うわさ)し合った。
法要の儀も終りに差し掛った頃、館の者が一人、慌てた様子で広間の隅(すみ)を通り、滝尻政之に対して何かを耳打ちした。政之は顔を顰(しか)めつつ幾度か頷(うなず)き、やがてその者は政之より指示を受け、再び広間を出て行った。
間も無く和尚の読経が終わり、寺院の者が退出した後、政之はその場に詰める豪族達に向かって告げる。
「今し方、陸奥国府より弔問(ちょうもん)の使者が到着したとの報せを受け申した。これより御使者を御迎え致す故、方々にはもそっと隅へ詰めて貰(もら)い、中央を空(あ)けて戴きたい。」
豪族達が政之の指示に従い、席を隅へずらし始めると、今度は千勝に政之の視線が移った。
「千勝殿、上座は国府の御使者に御譲りせねば成りませぬ。彼方(あちら)へ御移り下され。」
千勝は頷(うなず)くと、立ち上がって、下座の首座へと進んで行く。その折、後方より政之のぼやきが耳に入った。
「国府からの弔問は、中陰の時に御越し戴くとの返答を受けて居たが、何故(なにゆえ)急に。」
国府の使者に失礼の無き様、上座を広く空けた為、郡内参列者の席は大層窮屈と成ってしまった。
暫(しばら)くして、国府より遣(つか)わされて来た弔問の使者の一行が、先程の磐城家臣の案内を得て、式場広間へと入って来た。磐城の者達が平伏する中、使者は静かに奥へと進んで行く。位牌の前で一礼し、焼香をして、ゆっくりと手を合わせる。
南無阿弥陀仏を幾度か唱えた後、使者は振り返って、先程まで千勝が座って居た処へ腰を下ろした。そして、政之が磐城平家を代表して言上する。
「遠路遥々(はるばる)御越し下さり、誠に畏(おそ)れ多き事にござりまする。泉下におわす先君も、嘸(さぞ)や御喜びの事でありましょう。当家を代表し、御礼(おんれい)申し上げまする。」
使者は首を幾度か縦に振った後、政之に言葉を掛けた。
「磐城殿は陸奥大掾(だいじょう)、常陸介を歴任され、奥州南部の平定に久しく尽力して参られた。真に、得難き人物でござった。此度の事は、陸奥国に取っても、大いなる不幸にござる。」
そして使者は、政之の周辺をきょろきょろと見回して尋ねる。
「して、政道殿の跡を継がれるのは、何方(どなた)でござろう?」
これを聞いて政之は、隣に座す千勝の背中を、ぽんと叩いた。千勝は慌てて座礼を執る。
「平政道が嫡男、千勝にござりまする。」
国府の使者は千勝を見て、目を細めた。
「成程(なるほど)、政道殿の御歳を考えれば、御子も未だ幼い筈(はず)。熟々(つくづく)、政道殿の死が惜しまれ申す。しかし不幸中の幸い、磐城平家には村岡殿という豪傑が居る故、その後見を得られれば、御家も一安心でござろう。」
使者の言葉を受け、近藤宗昌が一歩躙(にじ)り出て言上する。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。先君逝去の後、当家において評議を開き、千勝様の後見役には滝尻政之様が、家中の信を得て就任され申した。これには、村岡家も賛同してござりまする。」
使者は宗昌の言を聞き、首を捻(ひね)った。
「はてさて、昨年、政道殿の後見役に村岡殿を宛(あ)てる事、国府の命として、磐城平家は了承なされた筈(はず)。村岡殿の義父忠頼殿は、従四位下に叙せられし大身故に、国府は漸(ようや)く磐城平家を信じ得、四郡大領の印をそのまま託したのでござる。村岡殿以外の者が後見役に就(つ)くのであれば、ちと面倒な事に成りまするな。」
俄(にわか)に、磐城平家の豪族達は騒(ざわ)つき始めた。近藤宗昌が国府の使者の手前、皆を鎮め様とした時、一人の武士が立ち上がった。かつての磐城平家大老、高野盛国に取って代り、白河郡東部に台頭して来た、浅川権太夫である。
「磐城平家に取って、四郡大領の印は全てに優先される、家祖政氏公以来の宝でござる。その返還を求められる可能性を残してまで、滝尻様を後見役とする事もござりますまい。」
菊多郡より駆け付けた豪族や、磐城軍南西部の豪族達は、村岡氏や浅川氏の影響を強く受ける。彼等の中から、次第に後見役の人選を見直す声が起り始めた。
式場内では、徐々に浅川に共鳴する者の声が強まり、騒然として来た。政之は詮(せん)無き表情で立ち上がり、大声を発する。
「国府御使者の御前じゃ。静まれ!」
その気迫に、俄(にわか)に豪族達は口を噤(つぐ)んだ。広間が再び静まり返った所で、政之は再び腰を下ろし、国府の使者に言上する。
「確かに、端陽までは村岡殿が後見役を務めると、大掾(だいじょう)様の御前にて取り決められし事は、確かでござる。故に某(それがし)は、今は後見役を村岡殿に託し、皐月(五月)に入った後再び、諸臣の意見を問う所存でござりまする。」
使者は深く頷(うなず)く。
「うむ。その様にされるのであらば、国府は何の異存もござらぬ。千勝殿には御先代政道殿の遺領を、悉(ことごと)く任せられる事でありましょう。」
国府使者の言を受け、政之は重頼に正対して告げる。
「国府の御信任、及び郡内豪族の信が真に厚きは、実に村岡殿である事が判(わか)り申した。某(それがし)はここに後見役の任を辞退し、村岡殿に留任して戴く事を、御願い申し上げまする。」
重頼はゆっくりと頭を下げ、厳粛に返答する。
「承知致し申した。斯(か)く成る上は、謹んで御受け致し申そう。」
磐城郡南部、及び菊多の豪族達は、これを聞いて皆、重頼に向かい平伏した。
国府の使者は安堵の表情で、席を立った。そして重頼は家臣を呼び、国府使者一行の持て成しを命じた。
一方で、前列に居並ぶ四家は皆、無念の表情を隠し切れぬ様子であった。
「謀(はか)られた。」
千勝の耳に、傍らに座す宗昌の声が、微(かす)かに聞こえた。家中が分裂して居た事は、父が存命であった頃より、薄々は感じて居た。己はこれから対屋(たいのや)を離れ、当主の間に移らねば成らない。そして、家臣の勢力争いの渦(うず)に呑み込まれて行く事を考えると、自ずと身震いがするのであった。
*
陸奥国府上より派遣された弔問(ちょうもん)の使者が容喙(ようかい)した事に因(よ)り、磐城家中の実権は再び、村岡重頼の掌中に帰した。国府の命とあらば、神妙にこれに従わねば成らない。四家は皆、歯噛みして悔やんだ。平忠頼退官後も、重頼が依然として、国府の要人と通じて居た事が、誤算であったからである。
そして、四家を更(さら)に苛(いら)立たせたのは、その後の滝尻政之の動向である。政之は四家が劣勢に立ったと見るや、再び四家に担(かつ)がれる事を敬遠し、徐々に村岡方へ接近する動きを見せて居る。四家は政之を頼むに足らずと断じ、元大老大村信澄の復権を、目論(もくろ)み始めて居た。
葬儀は政之に代わり、急遽(きゅうきょ)重頼が取り仕切る事と成った。準備を整えた政之が協力した上に、重頼の妻花形御前が亡君政道の姉として、諸臣を纏(まと)める事に尽力した。その為、葬儀を無事に済ませる事が出来た。
国府の使者は、村岡家の手厚い持て成しを受け、上機嫌で多賀城へ引き揚げて行った。又、参列した豪族達も、帰りの仕度が出来次第、続々と住吉御所を後にして行く。
最後まで御所内に軍を駐屯させて居た四家も、重頼からの退去の命に、渋々従わざるを得なかった。旗頭として本丸の守りに就(つ)いて居る滝尻勢が、隠然と村岡寄りに動いて居る為である。四家は迂闊(うかつ)な事をして、新主千勝の身に万一の事が有っては成らぬと考えた。そして、大人しく兵を纏(まと)め、各々の所領へと引き揚げて行った。
再び、住吉御所に静けさが戻った。その後、千勝が城主の間へ移るのは、喪が明ける卯月(四月)の中旬と決まった。丁度(ちょうど)、次の後見役が選任される頃である。それまで、本丸は滝尻軍に整備が任された。重頼は、自身が直ぐには本丸に入らず、四家に靡(なび)く豪族達の、要らぬ反感を買う事を避けたのである。