第八節 小山田千本桜

 村岡方の報復の嵐が過ぎ去った頃、暦(こよみ)は弥生(三月)へと移ろい、野山には桜が咲き誇る候と成った。農民達は、先日この辺りで、危うく大戦(おおいくさ)が勃発する所であったにも拘(かかわ)らず、既(すで)に平穏さを取り戻し、農事に勤(いそ)しみ始めて居る。しかし、平政道の政(まつりごと)が乱れて以来、この辺りの景観は、すっかり様変りしてしまった。玉川の流れは氾濫(はんらん)を繰り返し、住吉より下流の地の多くが、川底へ沈んでしまった。やがて住吉は、大きな湾の最深部と成った。

 大型船に取っては通行の便が良い様であるが、一方でここ数年間、磐城郡は多くの田畑を失って居た。数多(あまた)の民が全てを投げ捨て、浮(う)かれ人(びと)と成る道を選ばざるを得ない事態である。それを防ぐべく、郡政を分担する四家は彼等を迎え入れ、急場凌(しの)ぎの食糧と農具を与えた上で、新田開発に着手させた。

 だが、浮かれ人は公民ではない。彼等は郡内北方の山間部へと流れ、自ずと公地ではない、荘園が拡大して行った。先代政氏が郡司と成って入部の時、既(すで)に荘園が土豪に因(よ)り、形成されては居た。しかしこれを、郡の威信を弱体化させる物であると断じた政氏は、善政を以(もっ)て荘園の民に、土地を公(おおやけ)に復する事を勧めた。

 政氏入部の折、好嶋(好間)川下流域には既(すで)に、中規模の荘園が在り、当地の本家は石清水八幡宮であった。政氏は八幡社や国司の圧政と戦い続け、当荘園の殆(ほとん)どを、公地に復帰させるに至った。この執念と方針は、自身が朝廷に叛(そむ)いて大乱を起した将門の孫であるが故、謂(いわ)れ無き不利益を被(こうむ)って来た少年期に、培(つちか)われた物であった。公に尽す事で、逆賊の孫という汚名を、払拭(ふっしょく)する必要が有ったのである。

 現今、磐城の地が政氏を失ってより、早十七年と成る。その精神は微妙に形を変え、四家の当主へと受け継がれて来た。今の四家当主は皆、政氏がかつて直々(じきじき)に育て上げた者達である。彼等は師より、民を国家の根幹と教えられ、その対応を疎(おろそ)かにしては成らぬと、諭(さと)されて来た。故に彼等は、民の暮しこそが第一義と考え、私領を増大させてでも、民の逃亡を防止すべく、手を打ったのであった。

 飯野郷内には公地を捨てた人々が集まり、日に日に私領は拡大して行った。そして四家の所領は悉(ことごと)く、抱える人口が増大するに至った。これは磐城南部と菊多を抑える村岡重頼に取って、大いなる脅威と成って行った。

 晴天の下で、千勝は本丸から、南方の湾と化した風景を眺めて居た。往古、武内宿禰(たけのうちのすくね)が当地へ東征の折、水陸通行の便が良いとして、海辺の地に陣を構え、その近くに海上交通の安全を祈願すべく、住吉大明神と八幡大菩薩を祀(まつ)ったという。武内宿禰が見た景色も、この様な物であったのかと思いながら、千勝は唯(ただ)、海を眺めて居た。文の師苔野を失い、武の師村岡重宗は去り、千勝は目標を見失って居た。誰もが崇(あが)める祖父政氏の如く、文武に長(た)けた武士に成りたいと志すも、そこへ導いてくれる師が、必要であったのである。

 その頃、政道の居間には村岡重頼、滝尻政之両名の姿が在った。政道は重頼が齎(もたら)した報せを、驚きを隠せぬ顔で聞いて居た。
「其(そ)は真か?」
重頼はゆっくりと頷(うなず)いて答える。
「はっ。我が手の者の調べに因(よ)りますれば、常陸の平維茂(これしげ)殿、確かに昨冬、逝去なされた由(よし)にござりまする。」
政道は怪訝(けげん)な顔をして呟(つぶや)く。
「妙じゃ。なれば当家に使いの者を寄越して貰(もら)えれば、弔問(ちょうもん)の使者を遣(つか)わせられた物を。」
それに対し、政之が意見を述べる。
「聞く所に依れば、維茂殿の御子は嫡男の安忠殿を始め、皆若年との事にござる。大黒柱を失いし事を公にするは、憚(はばか)られたのでござりましょう。」
政道が頷(うなず)くと、再び重頼が報告を続けた。
「常陸では維茂殿が身罷(みまか)りし後、筑波の維幹(これもと)殿が嫡男、為幹(ためもと)殿を後見役とし、安忠殿が家督を継いだ由(よし)にござりまする。」
「ふむ。常陸も政(まつりごと)が一新されるのう。」
政道は常陸に対し、特に野心も警戒心も、抱いては居なかった。家中の実権を重頼に奪われて以来、次第に政(まつりごと)への情熱は喪失し、更(さら)には遊び呆(ほう)ける事で、憂(う)さを晴らして居たのであった。

 政道は次第につまらぬ顔を呈し、重頼に告げる。
「常陸への対応は、執政殿に任せる。して、もう一つの話とは?」
重頼は改めて畏(かしこ)まり、言上する。
「今年の春は暖かく、既(すで)に山桜も、盛りが近付いて居る様にござりまする。我が所領、菊多郡内には桜の名所が有り、殿におかれましては、桜狩に御出座(おでま)し戴きたく、お願い申し上げる次第にござりまする。」
「ほう、桜狩とは風流じゃのう。」
「若君も近々元服の御歳。御嫡男にも領内視察の意義がござれば、是非にも同道願いたく存じまする。」
しかし政道は顔を顰(しか)め、首を横に振る。
「あれは今、苔野を失った事で、心を痛めて居る。又その事で、幾許(いくばく)かは儂(わし)を恨んで居る様じゃ。今はそっとして置いて遣(や)ろう。」
「然様(さよう)にござりまするか。」
重頼は残念そうに答えた。

 桜狩の話に心が昂揚した政道は、一つの提案を示した。
「桜狩とは申せ、磐城平家当主が菊多を巡見するは、先代以来、幾久しく無かった事じゃ。菊多の豪族衆に儂(わし)の武威を示す為にも、軍勢を整えて参りたいと思う。」
それに対し、脇から滝尻政之が口を挟んだ。
「畏(おそ)れながら、警護の兵は我が手勢だけでは、不十分にござりましょうか?」
政道は笑顔で頷(うなず)き、言い放つ。
「大領直々(じきじき)に郡境を越えるとなれば、やはり三百は集めたい所じゃのう。」
これを、重頼は慌てて諫(いさ)めた。
「殿、田畑は今、農繁期にござりまする。徒(いたずら)に兵を募(つの)れば、民心は殿より離反し、無用な不安を煽(あお)る事と成りましょうぞ。」
確かに今、農民を徴兵する事には、大きな弊害が有った。落胆する政道に対し、政之が一つの案を述べる。
「住吉は昨今に至るまで、村岡殿を中心とする勢力と、大村殿を中心とする勢力が、久しく対立を続けて参り申した。この際に、殿の馬廻(うままわり)として、かつて大村派であった者を召し抱え、桜狩へ同行させれば、両者の溝を埋める事に繋(つな)がるかと存じまするが。これには執政殿も、賛同を示して下され申した。」
「おお、それは妙案じゃ。早速手配致せ。」
政道は再び上機嫌と成り、桜狩の話を詰めて行った。斯(か)くして、桜狩は五日後と決するに至った。

 磐城郡北部においては、農夫は田畑に勤(いそ)しみ、童(わらべ)は川に遊び、穏やかな天候の下、正に春日の遅々(ちち)たる風景が広がって居た。

 一方で玉川の辺(ほとり)、住吉御所では、大村派に属して失脚した武士達が、続々と軍装を整え、大手門の辺りへ集い始めて居た。彼等の表情は、一様に希望に満ちて居る。かつては磐城平家の評定衆にも連なりながら、政争に敗れ、地位を失った者達である。彼等に取って、再び主君警護の命が下った事は、大いなる喜びであった。

 しかし、失脚した者の全てが、これに応じた訳ではなかった。先の騒動で、主君の器量に疑問を感じた者は、未だ手に鍬(くわ)を持ち、己(おの)が農地を耕して居た。

 本丸対屋(たいのや)に居た千勝は、再び兵が城下に集まり始めた事に気付き、不安を感じて、母の元へと向かった。

 母御前の居間に入ると、そこには姉の万珠も居た。姉も又、城下の様子を母に尋ねに来て居たのである。千勝は母の前で座礼を執った後、口を開いた。
「母上、大手門の辺りに、百を超す兵が集まって居る様にござりまするが。」
母御前は微笑を湛(たた)え、千勝に告げる。
「今、万珠にも教えた所なのですが、本日父上が桜狩に、菊多へ向かわれる事は聞いて居ますね。その警護の兵が、集まって来たとの事です。」
母の言葉を聞き、千勝は安堵した。そしてその場を辞し、表へ出て、再び城下の軍勢に目を遣(や)った。

 やがて当主政道が、大手門にその姿を現した。軍兵は一斉に列を整え、厳粛に主君を迎えて居る。政道とその重臣は軍を掌握すると、二列縦列と成って、軍勢を進発させた。

 流石(さすが)に、元は磐城武士団であった者達である。軍は規律正しく、威容を誇って南進して行った。千勝はその様子を見て、かつて常陸介に任官した頃の父の精鋭部隊が、彷彿(ほうふつ)として蘇(よみがえ)った様に感じられた。

 政道の一行は菊多を目指すべく、先ずは御巡検道へ出様としたが、先の水害の被害に因(よ)り橋は流され、浅瀬も増水から消失して居た。

 已(や)むなく政道は、軍を更(さら)に上流へと向け、船尾において浜街道へと至った。その為、一行は滝尻を経由せず、真っ直ぐに汐谷城を目指す事と成った。

 やがて汐谷に到着した政道は、先行して桜狩の仕度を整えて居た、城主村岡重頼より、鄭重に迎えられた。その日の晩は、城中においてゆっくりと旅の疲れを癒(いや)し、翌日の桜狩に備えた。

 明朝は、桜狩には絶好の晴天であった。政道の軍勢に新たに加わったのは、重頼以下僅(わず)かな手勢と、酒宴に彩(いろど)りを加える為の女中達であった。政道は訝(いぶか)し気に、重頼に尋ねる。
「護衛の兵は、それだけで良いのか?」
重頼は磊落(らいらく)に、笑って答える。
「折角(せっかく)の花見の席に、物々しい者達は要りませぬ。万一の時は、殿の兵に御縋(すが)り致しまする。」
それを聞いた政道は、余程彼(か)の地の治安に自身が有るのであろうと思い、気軽に汐谷城を進発した。

 汐谷城より西方一里余、鮫川北岸、山田郷の南端に、小山田という村が在った。案内役の重頼は、ここから北方の台地へと登って行く。途中、東福寺と記された標(しるべ)が目に留まったが、重頼は更(さら)に上へと登って行った。

 かつて、先代政氏が磐城に入部した折、その叔母如蔵尼(にょぞうに)をここへ匿(かくま)った事等、政道や重頼以下、誰も知る者は居ない。

 間も無く、境内北側の平地に出ると、そこには無数の桜が咲き誇り、地面には花弁が敷かれ、桜色に染まって居た。
「何とも見事な。」
政道が感嘆の声を漏らすと、脇に控える村岡重頼が言上する。
「この地は菊多郡内随一の桜の名所にて、小山田千本桜と申しまする。」
「うむうむ。」
政道は、浮世離れした風流な光景を観賞しながら、散策を始める。

 その間、村岡家の者は敷物を広げ、膳の仕度を急いで居た。やがて用意が整うと、政道は宴(うたげ)の席へと着き、重頼の采配で酒が振舞われた。女中達は華やかな衣装を身に纏(まと)って踊り、宴(うたげ)に興を添えた。



 

小山田東福寺

 政道は、日頃の憂(う)さが一気に晴れた心地で、桜見物を楽しんだ。又その家臣達も、政道の馬廻(うままわり)として復帰出来た喜びも手伝って、酒が随分と進んで居る様である。政道は大変満足し、かつての政争、苔野の惨劇等は、遠い過去の物と思える様に成った。そして両家の先代、村岡忠重が磐城政氏を支えた如く、重頼も己に対し、忠義を尽す気持を表して居るのであろうと感じられた。

 宴(うたげ)は未(ひつじ)の刻まで続けられた。政道の兵達は、ここ暫(しばら)く酒とは縁の無い暮しを送って来た為、幾人かは既(すで)に酔いが回り、歩行も困難と成り始めて居る。

 政道は頃合と見て宴(うたげ)を打ち切り、帰城の命を下した。後片付けは村岡家の者に任せ、重頼のみが随行し、政道の部隊は汐谷城へ引き揚げる事と成った。

 兵の殆(ほとん)どが、久々の酒に顔を赤らめ、行軍は遅々(ちち)とした物であった。しかし汐谷までは然程(さほど)距離も無かった為、未だ陽の高い内に、城へ着く事が出来た。

 重頼は城兵に開門を命じたが、その横から政道が告げる。
「我等はこのまま、滝尻まで引き揚げる。」
重頼は、意外な顔をして尋ねる。
「御休みになっては行かれませぬので?」
「うむ。兵達の酔いも大分醒(さ)めて来た様であるし、陽の在る内に、滝尻まで戻れるであろう。」
政道は桜狩に来る途中、水害の為に迂廻(うかい)路を採って来た。本来は滝尻を経由する予定であったので、そこで滝尻に使いの者を送るべきであったが、その使者だけが宴(うたげ)に加われぬは哀れと思い、滝尻には何の通達もして居なかったのである。滝尻では軍勢通行の予告を受けながら、その姿が見当たらぬ為、心配して居る事も考えられる。政道は早く滝尻を安心させて遣(や)るべく、帰路を急ぐ事にしたのであった。

 政道は別れ際(ぎわ)、満足気な表情を湛(たた)え、重頼に告げた。
「本日の桜狩は、真に有意義であった。住吉の者も、汐谷の者の親切心に触れ、大いに誼(よしみ)を深める事が出来た様じゃ。斯(か)かる事を今後も催し、磐城平家を一枚岩にして行きたいのう。」
「御意(ぎょい)。本日は殿や住吉の郎党方に満足して戴き、某(それがし)、無上の喜びと存じ上げまする。」
政道は頷(うなず)き、馬を返しながら別れを述べる。
「菊多の平穏を見て、執政殿の手腕には、改めて感服致した。その腕、やはり住吉には欠かせぬ物じゃ。儂(わし)は先に御所へ戻る故、後日再び見(まみ)え様ぞ。」
重頼は恭(うやうや)しく一礼して、言葉を返す。
「では、道中御気を付け下され。滝尻へは、当家より使者を遣(つか)わして置きまする。郎党方は皆、未だ少々酔いが残って居られるやも知れませぬ故。」
「うむ、済まぬのう。」
政道の言を受けて重頼は、一行を迎えに出て来た側近の井口小弥太に命じ、滝尻に今宵(こよい)住吉勢が駐屯する事を告げるべく、御巡検道を先行させた。政道等は次第に遠ざかる、駒を駆る井口の背を見ながら、再び軍を北へ進めて行った。

 御巡検道の坂を登って行くと、やがて高台の地に至り、村落が目に付き始める。この辺りは、先代政氏が相馬の旧臣である愛宕(あたご)族を招聘(しょうへい)し、今では磐城製鉄産業の、中核と成って居る地である。そして周辺の高台は、鳥見野原と称される。

 陽は次第に西の方へ傾き、空は朱色に染まり始めた。日没までに何とか、黒須野までは下りたいと考えて居た政道は、休息も満足に取らせず、先を急いで居た。

姥ヶ岳

 俄(にわか)に一陣の旋風が起り、軍の足を鈍(にぶ)らせたかと思うと、途端に無風と成った。政道が空模様を見るべく天を仰いだ刹那、風を切って政道の首元に飛来する物が有った。
「がっ。」
政道は低い呻(うめ)き声を上げたかと思うと、そのまま馬から転げ落ちた。兵が慌てて政道の側へ駆け寄ろうとした時、突如として四方より、鬨(とき)の声が上がった。そして草叢(くさむら)より無数の兵が姿を現し、政道の隊へと突撃して来た。

 政道が住吉より伴って来た女中達は、悲鳴を上げて逃げ惑(まど)い、隊列は瞬(またた)く間に崩れた。動揺が広がった兵達は、大将が倒れた今、ばらばらと成って戦う他は無かった。又、多くの兵は酒が抜け切って居らず、満足に刀を振う事も出来ない。

 政道を襲撃した一団は、郎党、女中を問わず、悉(ことごと)くを殺戮(さつりく)した。政道の部隊が全滅した後、将と思(おぼ)しき男二人が政道の死を確認すると、一人はそのまま、滝尻方面へと馬を飛ばして行った。

 惨劇が終ると、賊は直ぐ下を流れる、渚川の上流に当たる小川で、刃の血を洗い落した。

 程無く陽が落ち、鮮血に染められた鳥見野の台地も、次第に夕闇に包まれて来る。賊の一団は隊列を整えると、汐谷方面へと去って行った。彼等が去った後、惨劇の地より僅(わず)かに離れた草叢(くさむら)が、微(かす)かに揺れた。やがて月が輝き始め、数多(あまた)の骸(むくろ)を青白く照らし出した。

太刀洗川

 翌日卯(う)の刻、漸(ようや)く朝日が顔を覗(のぞ)かせ始めた頃、住吉城下に五十騎ばかりの軍勢が、姿を現した。城兵は、主君の第一陣が戻って来たのであろうと思って居たが、近付いて来る内に、それが大村信澄の軍である事が、旗印より判明した。無断で押し掛けて来た軍勢に、住吉御所内には緊張が走り、城門は固く閉ざされた。

 間も無く、将である大村信澄が単騎進み出て、城内の者に大声で告げた。
「某(それがし)は前(さきの)磐城家大老、大村信澄にござる。玉川対岸に村岡勢の大軍が突如姿を現した故、住吉に一大事有りと思い、急ぎ駆け付けた次第にござる。開門!」
住吉御所には僅(わず)かな兵しか残って居らず、重臣が不在のまま、守将は已(や)むなく本丸を訪れ、信夫御前の指示を仰ごうと考えた。

 対屋(たいのや)からも、城下に押し寄せた大村勢の姿を、窺(うかが)う事が出来た。子供達は、再び城外が物々しく成った事に、不安を抱いて居る様であったが、母御前は寧(むし)ろ、大村信澄が真っ先に駆け付けてくれた事に、安堵して居た。それよりも明け方、急に対岸に現れた村岡勢の方が、母御前の目には不気味に映った。

 直ぐに守将が対屋(たいのや)を訪れ、信夫御前への謁見(えっけん)を願い出た。御前は取次の侍女に対し、政庁跡の広間で会う旨を告げた後、一旦子供達の間へと戻った。脅(おび)えの色が見える子等に対し、母御前は優しく説く。
「今し方、城下に駆け付けた大村殿は、御祖父(おじい)様も信を置かれた忠臣。心配には及びませぬ。」
そして二人の頭を撫(な)でながら、側に控える侍女を見詰める。
「子等を頼みまする。」
侍女達が頷(うなず)いたのを見て、御前はすっと立ち上がった。

 そこへ、急ぎ足で渡って来る者が在った。侍女頭の姥竹(うばたけ)である。姥竹は軽く息を切らせながら、御前の前に膝(ひざ)を突く。
「御供致しまする。」
御前は微笑(ほほえ)み、後に付いて来る様申し渡した。

 信夫御前と姥竹が広間に入ると、守将は礼もそこそこに、緊迫した面持ちで言上する。
「北の方様、只今城下に。」
守将の言葉が詰った所で、御前は粛然と口を開いた。
「存じて居りまする。外の大村勢の事でござりましょう。」
「はっ。目下、御所に詰める兵は僅(わず)かに二十ばかり。このままでは。」
「其方(そなた)の心配は良く解ります。されど私には、大村殿に逆意無き物と存じまする。」
「えっ、其(そ)は何故(なにゆえ)にござりましょうや?」
「先の騒動の折に大村殿は、対立する村岡殿の兵が犇(ひしめ)く中、単身堂々と登城に及ばれました。此(こ)は心に疾(やま)しい事が無い証(あかし)です。加えて、軍を撤収する折も、その後齎(もたら)される己(おの)が身の不幸を承知の上で、神妙に殿の命に従われました。此(こ)は忠義の証(あかし)です。」
守将が朧(おぼろ)げながらも納得した様子であったので、御前はやや語気を強めて申し渡した。
「責任は私が負いまする。城門を開き、大村勢を迎え入れなされ。そして信澄殿には、妾(わらわ)が詳しい事情を聞きたい故、この場へ御連れする様に。」
守将は畏(かしこ)まって承知の意を示すと、辞儀をして下がって行った。

 間も無く城門が開かれ、大村勢は整然と入城して来た。信澄は取り敢(あ)えず兵を城門近くに留め、二人の郎党を引き連れて、御前の待つ本丸へ登って行った。

 やがて信澄が、御前の待つ間に姿を見せると、三間下側に腰を下ろし、恭(うやうや)しく頭を下げた。
「御久しゅうござりまする。」
御前は頷(うなず)いた後、言葉を返す。
「殿は今、菊多へ桜狩に行っておわしまする故、妾(わらわ)が代わって、大村殿の話を伺(うかが)いまする。」
(にわか)に信澄の胸中には、不吉な予感が過(よぎ)った。
「実は、滝尻には友が一人居りまして、その者が今朝方、夜も明けぬ内に、当家に使いを寄越(よこ)したのでござりまする。その者が申すには、闇の中、村岡勢が大挙して、滝尻を北に向かって居ると。」
御前は、不安を隠せぬ面持ちで頷(うなず)く。
「はい。先程、玉川の対岸にその姿を現しました。しかし、増水の為に御巡検道は遮断(しゃだん)され、今は浜街道の方へ迂廻(うかい)して居るそうな。」
「天佑にござる。夜の闇に紛(まぎ)れ、無断で御所に押し寄せる等、謀叛以外の何物でもござりませぬ。幸い、玉川がこれを防いでくれた御蔭にて、援軍が間に合いそうでござる。」
「大村殿の御味方は、他にも居られまするのか?」
「はっ。三沢の佐藤純明殿、高坂の斎藤邦秀殿、豊間の近藤宗昌殿、間も無く御所へ馳せ参ずる事でありましょう。」
それを聞いた御前の顔は、ぱっと明るく成った。
「三家が、大村殿を支援してくれるのですか?」
「はい。以前より、密に連絡を取り合って居り申した。加えて江藤玄貞殿にも、後詰として、長友館まで御戻り戴いて居りまする。」
皆、先君政氏が、自ら育て上げし者達であった。御前は漸(ようや)く安堵の表情を呈し、信澄に告げる。
「今は殿が御不在故、其方(そなた)だけが頼りです。殿が御戻りになられるまでの間、御所の警固を御頼みします。」
「はっ。命に替えましても、北の方様と若君姫君は、護り通して見せまする。」
信澄は粛々と座礼を執った後、本丸を後にして行った。大手門に留まる自軍へと戻り、城内の兵権を掌握する為である。

 信澄が城内の配置替えを行っている最中、佐藤勢、斎藤勢が相次いで、御所の東西より姿を現した。続いて近藤水軍の船団も、玉川を遡上して来た。

 水軍は川辺に留まり、他の軍は続々と住吉御所へ入城して来た。三家各々が率いて来た手勢は、概(おおむね)百前後であり、併せて凡(およ)そ三百の援軍が到着した事が判(わか)った。春半ば、この時期は正に農繁期であり、農民を徴兵すれば、農事が滞(とどこお)るだけでは済まず、深い怨みを買う事と成る。故に、三家は農閑期に集められる兵力の一、二割程しか、連れて来る事は出来なかった。

 しかし、彼等は主君の側に仕え、平時より武芸の鍛錬を行う者達である。数少なしと雖(いえど)も、各家の精鋭部隊であった。

 信澄は三家を快く迎え、本丸へと案内した。三家は信夫御前に拝謁(はいえつ)し、磐城平家への忠誠を誓った。御前は四人を前にして、泰然と述べる。
「四将が住吉の変事を聞き付け、急ぎ馳せ参ぜし事は、真の忠節の現れと存じまする。妾(わらわ)は皆を信じ、再び対屋(たいのや)へ戻る事と致しまする故、ここ政庁跡の広間は、本営として御使い下され。臨時に、大村信澄殿を城将に任命します。他の三方は副将として、大村殿を扶(たす)けて給(たも)れ。」
「ははっ。」
四将は一斉に平伏した。御前は深く頷(うなず)くと、静かに広間を立ち退(の)いて行った。

 俄(にわか)に、住吉城内の動きが慌しく成った。村岡勢到着の前に、急ぎ各所の配置を終えねば成らぬからである。特に、常駐の滝尻兵を、要所から外して置く必要が有った。滝尻家は、村岡家と繋(つな)がりが有る為である。

 斯(か)くして巳(み)の刻、村岡勢は浅瀬を見付けられず、結局は浜街道より回り込んで、野田村に姿を現した。この時既(すで)に、城中には夥(おびただ)しい数の旗が立てられて居た。其々(それぞれ)に四将の紋が描かれて居る。遠目に見ると、恰(あたか)も千を遥かに超す軍勢が、駐屯して居る様に見える。村岡勢の動きは鈍(にぶ)り、道を外れて北側の、丘の麓(ふもと)に布陣した。

 一時程が経った。村岡の陣より武将が一騎、従者一人を従えて発し、城へ向かって来る。やがて大手門の前で馬を止めると、大声で叫んだ。
「某(それがし)は村岡重頼様が家臣、山田蔵人でござる。一大事が出来(しゅったい)した故、急ぎ軍勢を整え、馳せ参じた次第。」
これを受けて、城内の将の一人が尋ねた。
「一大事とは何か?」
山田蔵人は駒を小刻みに反転させながら、息を大きく吸った後、答えた。
「鳥見野原において昨夕、滝尻への帰途に在った政道様の一行が、何者かに襲撃され申した。一行は全滅の由(よし)。我等は御所にも賊が押し寄せては一大事と、急ぎ駆け付けて参ったのでござる。」
「何と、其(そ)は真(まこと)か?」
(にわか)に、城兵の間に動揺が起った。

 その時信澄が、大手門脇の櫓(やぐら)まで下りて来て、城門前に立つ山田蔵人に告げる。
「住吉は、我等が信夫御前の命を奉じて固め居る故、御懸念には及ばぬ。それよりも殿の御遺骸(いがい)は、今何処(いずこ)にござる?」
「当家の者が探し出し、滝尻御所に安置してござる。」
「相(あい)解った。儂(わし)が滝尻へ赴く故に、案内を御願い致す。」
「承知仕(つかまつ)った。」
そして信澄は、蔵人に暫(しば)し待つ様に告げ、再び本丸へ登って行った。

 本丸に置かれた本陣において、信澄は先程の蔵人の言を、三家に諮(はか)った。そこで真っ先に、邦秀が意見した。
「此(こ)は怖らく、主たる将を一人でも消して置きたいと考える、村岡方の奸計でござろう。況(ま)してや、当方の大将たる大村殿自らが赴かれる等、論外でござる。」
これには、近藤、佐藤の両将も頷(うなず)いて見せる。信澄は三氏に目を遣(や)った後、一息吐(つ)いてから話し始めた。
「御三方の御考えは、至極(しごく)(もっと)もにござる。されど、殿が菊多へ赴かれたまま、未だ還(かえ)らぬ事も事実なれば、容易に無視出来る物でもござらぬ。山田の申した事が、偽(いつわ)りであれば良し。されど殿の御身(おんみ)に、本当に万一の事が生じて居た場合、頑(かたく)なに山田の言を斥(しりぞ)けては、我等が不忠の汚名を着せられる怖れもござる。」
信澄の意見に、他の三将は沈黙してしまった。確かに、主君が昨夜の内に身罷(みまか)って居たのだとすれば、早急に住吉へ遺体を移し、法要を営まねば成らない。

 三将に我が意が届いた事を感じた信澄は、再びその胸中を述べ始める。
「事は殿の生死に係る事。やはり儂(わし)自ら、この目で確かめねば成らぬ。その間住吉の守将は、一門衆たる近藤殿に御願いしたい。」
宗昌は信澄の意を察し、深く頷(うなず)いた。
「承知。」
又、佐藤、斎藤の両氏も、共に賛意を表した。

 信澄は、三氏の同意を得ると直ぐに立ち上がり、老兵一人を従者に伴って、大手門を出た。そして山田蔵人の案内を得て、その姿は村岡の陣へ消えて行った。

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