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第七節 貞女苔野(こけの)
やがて年の瀬も過ぎ、新春が訪れた。長和五年(1016)正月、京では新帝の即位が行われた。先帝三条院は、度々内裏(だいり)が火事に見舞われた上、視力も減退し、遂(つい)には政務を執る気力を喪失してしまった。先帝が退位を表明した事で、皇太子敦成(あつひら)親王が践祚(せんそ)の儀を執り行った。新帝は未だ幼く、弱冠九歳であった。故に帝(みかど)を輔弼(ほひつ)するべく、摂政が置かれる事と成った。左大臣藤原道長は帝の外祖父として摂政を拝命し、ここに長徳元年(995)五月八日、道長の兄、関白藤原道兼薨去(こうきょ)以来二十一年、再び摂関の職が復活する事と成った。この時を以(もっ)て、道長の体制は盤石と成ったのである。
一方、奥州磐城郡住吉御所内においても、新年祝賀の儀が催されて居た。その折、苔野は郡司政道の側室として、初めて公(おおやけ)の場に臨(のぞ)んだ。その美貌は誰もが認める所であったが、詩歌の席では文才を遺憾無く発揮し、巧みな歌を詠(よ)み、諸臣を驚かせた。多くの家臣は、苔野を才色兼備と誉(ほ)め囃(はや)した。しかし中には、静かに苔野を観察して居る者も在った。
新年の行事が一通り済み、梅の花が野原を紅白に染め始めた頃、城主政道に折り入って、謁見(えっけん)を請(こ)う者が在った。執政村岡重頼である。後見役就任以来、重頼が直々(じきじき)に政道に対し面会を求めて来たのは、初めての事であった。政道は訝(いぶか)しがりながらも、その求めに応じ、本丸の旧政庁で会う事にした。
政道が広間に入ると、重頼一人が下座に控えて居た。その様子は、普段の泰然とした物ではなく、妙に緊張して居る様に窺(うかが)えた。
政道はゆっくりと上座に腰を据えると、のんびりとした声で話し掛けた。
「思えば、儂(わし)と其方(そなた)、二人だけで向き合ったは、何時(いつ)以来であったかのう。先代の政氏公と忠重殿は、度々大事を語り合ったそうじゃが。」
重頼は軽く頷(うなず)くのみで、返事をしない。どうやら此度の用件の事で、頭が一杯の様である。政道はやれやれという気持で、本題へと踏み込んた。
「して、此度の用向きは?」
政道に尋ねられて、漸(ようや)く重頼の口が動いた。
「実は、殿に達(たっ)て御願いの儀がござりまする。」
「ほう。重頼殿は儂(わし)の後見役なれば、願い出る事など有るまいに。」
「いえ、政(まつりごと)の話ではござりませぬ。」
重頼が中々胸中を明かさないので、政道は次第に焦(じ)れて来た。
「用が有るのであれば、率直に申せ。執政殿らしくも無い。」
政道に強く促(うなが)され、重頼は漸(ようや)く腹を据えた。
「実を申せば、苔野殿に惚(ほ)れ申した。我が妻に迎えとう存じまする。」
意外な申し出に、政道は当惑した。新年祝賀の席で、苔野は政道の側室である事を、正式に家臣へ公表した筈(はず)である。それを承知の上とすれば、重頼が主家を軽んじて居る事は、明白である。俄(にわか)に、政道は怒りを覚えた。
「それは無理な相談じゃ。執政殿の妻は我が姉上であろう。礼を失するとは思われぬか?」
重頼は、主家に対する非礼と成る事は、百も承知であった。その上で尚、己の心を抑え切れず、こうして願い出るに至ったのである。
重頼自身が抑え得なかった感情を、政道の言葉で鎮める事は、能(あた)わなかった。寧(むし)ろ、己より力の無い主君に、何故(なにゆえ)許しを請(こ)わねば成らぬのかという、重頼の心の奥底に封印されて居た気持が、突如として放たれた。
俄(にわか)に、重頼の表情が変わって行く。それは憤怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)であった。重頼が、己に対する怒りの念を顕(あらわ)にした時、政道の心は圧せられ、次第に弱気に成って行った。よくよく考えれば、今この館に残る者は皆、村岡に尾を振る者ばかりである。重頼が謀叛に及んだとて、身を挺(てい)して守ってくれる家臣は、怖らく居ないであろう。
重頼が後見役として権力を振って居られるのも、五ヶ月後の端陽までである。後見役の任期が切れた後は、再び評定の場において、後見役継続の可否が審議される事と成る。この時には磐城四家を味方に付け、村岡派を住吉より駆逐する積りである。それまでの忍従と考え、政道の心は折れた。
政道は、一つの条件を示した。
「執政殿がそれ程までに御執心なれば、御譲りする事に致そう。但(ただ)し、姉上の同意を得た上でじゃ。」
それを聞き、重頼の表情がぱっと晴れた。そして、政道に頭を下げて申し上げる。
「我儘(わがまま)を御聞き届け下さり、誠に有難く存じ奉(たてまつ)り申す。早速汐谷へ立ち寄り、花形御前の意向を聞いて参りまする。」
そう言い残すと、重頼は早足に小館(こだて)へと戻って行った。
二日後、重頼は再び住吉へ登城し、政道と大館本丸にて会見した。重頼は、懐から取り出した文を主君へ差し出すと、再び下座に控えた。政道は受け取った書状を開くと、丹念に文面を読み始めた。姉の筆蹟で書かれたその文には、夫の申し状に異存無しと書かれて在った。政道はこれを読み終えた後、暫(しば)し天を仰いだ。この間に政道は、苔野との別れを覚悟し、今日までの想い出を回想した。
やがて政道は、重頼に視線を向けて申し渡す。
「確かに姉上の文じゃ。では約束通り、苔野を執政殿の側室とする事、認めよう。儂(わし)はこの旨を当人に告げて参る故、小館にて待たれよ。」
「はっ。宜しく御願い申し上げまする。」
重頼は願望成就の嬉しさから、表情が緩(ゆる)むのを禁じ得ぬ様子で、大館(おおだて)を辞して行った。
一方、政道の心は痛んで居た。これより心ならずも、苔野を重頼の元へ遣(や)らねば成らない。それ以前に、当人に何と説明すれば良いのか、政道は深く思案しながら、対屋(たいのや)へと渡って行った。
政道が苔野の居間に入ると、当人は今し方まで読書をして居た様であったが、政道の足音が聞こえた為か、座礼を以(もっ)て迎えて居る。苔野は傍らの侍女に命じ、政道に茶を進上し様とした。しかし政道は、優しくそれを断り、侍女達を下がらせた。
二人だけが残った間は、暫(しば)し静閑(せいかん)であった。しかし、互いの胸中は、激しく揺れて居た。政道は依然、何(ど)の様に話を切り出すべきか悩んで居り、他方苔野は政道の表情から、何やら胸騒ぎを覚えて居た。
苔野の方からは、何も尋ねる事はしなかった。視線を夫より背(そむ)け、頓(ひたすら)その言葉を待つのみである。やがて、政道は彼是(あれこれ)考え続けても詮(せん)無き事と思うに至り、事実をそのまま伝え様と、腹を決めた。
「苔野、実は御事(おこと)に大事な話が有る。執政の村岡重頼が御事(おこと)を見初(みそ)め、側室に迎えたいと申して参った。」
悪い予感はして居た物の、それは苔野の予想を超えた話であった。驚く苔野の顔を見詰めながら、政道は悲痛な面持ちで話を続ける。
「儂(わし)はそれを聞いた時、主家を余りにも軽んずる無礼な申し出と、重頼を叱(しか)った。しかしそれに対し、彼奴(あやつ)は敢然と、儂(わし)を威嚇(いかく)して来たのじゃ。確かに、今やこの城を牛耳るは重頼にて、あれがその気に成れば、儂(わし)を幽閉して御事を略奪するは、容易(たやす)い事であろう。」
それを聞いた苔野は、涙を頬(ほお)に伝わせながらも、気丈さを装(よそお)って答える。
「殿の御心中、御察し申し上げまする。私は二夫に見えるを、節操無き不忠の者と考えて参りました。しかし此度、殿の御身辺に害が及ぶ事と成れば一大事。我が身を賭する事で、殿の御身(おんみ)が安泰と成るのであれば、本望にござりまする。」
政道は苔野の覚悟に心を打たれ、その身を抱き寄せた。
「済まぬ。端陽までの辛抱じゃ。重頼が後見役を解かれ、実権を失えば、必ず御事(おこと)を取り戻す。」
「御待ち致して居りまする。」
苔野は掠(かす)れた声で答えると、政道の胸に顔を埋(うず)め、止処(とめど)無く溢(あふ)れ出る涙を、必死に抑えて居た。
その日の夕刻、苔野は三春御前、信夫御前、そしてかつて世話役を務めた千勝に対し、別れの挨拶に訪れた。苔野は時折微笑を湛(たた)えては居たが、三春御前も信夫御前も、その奥底に秘められた悲しみを察し、心の中で同情した。しかし幼い千勝は、苔野が義母である事に違和感を覚えて居た為、それが拭(ぬぐ)われた事に、すっきりした心持であった。加えて、移る先も城内であると聞き、ならば何時(いつ)でも会う事が出来ると、安堵の表情を浮かべて居た。
挨拶が済むと、苔野は長年過ごした対屋(たいのや)を離れ、東方に聳(そび)える小館へと移って行った。苔野は時折目を閉じ、千勝の世話をして居た頃の、心の安寧を思い起して居た。
*
小館に移った苔野に、直ぐ様重頼より御召(おめし)しが有った。使者が苔野を重頼の間まで案内するべく、廊下を渡って居る最中、突然苔野は蹲(うずくま)ってしまった。心労が募(つの)り、体調を崩したのである。使いの者は慌てて人を呼び、一先ず苔野を一室へ移し、床(とこ)に就(つ)かせた。
間も無く、薬師(くすし)が診察に訪れた。微熱が有ったが、悪い病(やまい)ではなさそうである。しかし、暫(しば)し休ませた方が良いと告げ、薬を処方して行った。苔野は独り、新たに用意された間に臥すも、今後己を見舞うであろう心の苦痛が、忘れたくても頭から離れずに居た。
暫(しばら)く横になって居ると、少し身体が軽く成ったのを覚えた。そして心にもゆとりが生じ始めた時、ふと苔野は、自身が村岡重頼の元へ、挨拶に行く途中であった事を思い出した。慌てて起き上がり、辺りを見回したが、既(すで)に陽はとっぷりと暮れ、人影も無かった。
苔野はその後、如何様(いかよう)な事態に成ったか解らない。
「誰ぞ居りませぬか?」
幾度か人を呼べども、周囲はしんと静まり返ったままである。已(や)むなく苔野は床(とこ)を起ち、廊下へと出た。久しく、城内の対屋(やいのや)を離れる事は稀(まれ)であった上に、ここ小館は村岡派の根城の様な物で、重頼傘下の者以外が立ち入れる処ではなかった。苔野は無案内故に、館内を彷徨(ほうこう)する事と成った。
少し歩いた所で、簾(すだれ)越しに明かりを見付ける事が出来た。灯(ひ)の脇には、二人の武士が膝を突き合わせて、何やら話をして居るのが見える。苔野は誰だか判(わか)らぬ男に、寝衣(ねまき)を纏(まと)ったまま尋ねる勇気は無かった。しかし、先程の部屋で横たわって居ても、不安が募(つの)るばかりである。苔野は先ず、二人の武士が何(ど)の様な男かを見定めるべく、明かりの灯(とも)った部屋へと忍び寄った。
静かな夜である。二人は小声で話をして居たが、部屋の外に居る苔野にも、その内容をはっきりと聴き取る事が出来た。そして次第に、苔野の顔は青ざめて行った。
「山田様、端陽を以(もっ)て、殿の後見役の任期が切れ申す。我等が殿の任期延長を願い出たとしても、次こそは四家が挙(こぞ)って登城に及び、再び政道様を復権させ、住吉の政(まつりごと)に介入して来るのではありますまいか?」
「うむ、其(そ)は充分考え得る事じゃ。故に郡内館主の下には、住吉より派遣せし目付を置き、これを牽制(けんせい)致そうと思う。」
「それでは、余計に四家に対し、警戒心を煽(あお)り立てる結果には成りますまいか?」
「四家には、一見愚鈍(ぐどん)とも思える者を送り込み、直ぐには監視の動きを見せず、油断を誘(さそ)う。その間に、各地に潜(ひそ)む我が手の者を、蜂起させる仕度を整える。目付が館の兵力、配置等を報せてくれれば、僅(わず)かな兵で、四家を足留め出来る。」
「しかし、そこまで事を大きくしては、仮に殿に再度後見役に御就任戴いたとしても、その後は村岡家と四家の、全面衝突に発展する事が危惧(きぐ)されまするが。」
「うむ。それに対し、既(すで)に滝尻御所を、当方へ引き込んで居る。村岡と滝尻両家が機先を制すれば、内乱に陥(おちい)った四家を討つは容易(たやす)き事。四家を滅ぼせば、後は怖れる者など居らぬ。滝尻御所を失脚させ、然(しか)る後に政道様、政澄様、千勝様が順に病死、事故死なされれば、愈々(いよいよ)我が殿が、磐城平氏の棟梁と成る番じゃ。さすれば儂(わし)は郡司に昇格し、井口殿にも郷長辺りの官職が与えられるであろう。」
これは明らか成る、謀叛の密議であった。苔野は恐ろしさに身が震えた。そしてふらふらと、元居た部屋へと戻って行った。
自室を能(よ)く見ると、未だ己の荷が箱に納められたままで、部屋の片隅に置かれて居る事に気付いた。苔野はその内の一つを開け、中から硯(すずり)、筆等を取り出し、厠(かわや)に行く振りをして、水差(みずさし)に手水(ちょうず)の水を汲(く)んだ。
俄(にわか)に、雲居に掛かって居た月が姿を現し、闇夜を明るく照らし出した。苔野は月の光を得て、一通の文を認(したた)めた。それが乾いた後、懐に納めた苔野は、静かに部屋を後にした。
小館も南方は断崖と成って居るが、東側へ回り込めば、少し傾斜がなだらかに成る。苔野は警備兵の隙(すき)を突いて柵を越え、急な坂を枝に掴(つか)まりながら、慎重に下りて行った。
やがて麓(ふもと)に下り立つと、そこには住吉重臣の屋敷が並んで居る。未だ起きて居る人も無く、苔野は静かに屋敷の間を通り抜け、程無く城の南麓、住吉山金剛寺へと至った。磐城平家香華院(こうげいん)の遍照院である。苔野は山門に立ち、懐から文を取り出して、辺りの石を拾って重しと成し、山門の前に置いた。そして合掌し、ゆっくりと一礼する。
「どうか、政道様、千勝様を御扶(たす)け下さりませ。」
そう唱(とな)えた後、再び一礼した苔野は、山門を辞して南へ向かい、館を離れて行った。
間も無く、前方に玉川が見えて来た。湯ノ岳の雪解け水を集め、水量が多く、流れも速い。苔野は一歩、川の水へ踏み込んだ。初春とは雖(いえど)も、水温はかなり低い。苔野の足は、俄(にわか)に感覚を失った。ふと天を仰ぐと、再び月が雲居より出て、淡い光を地上に注(そそ)いで居る。
苔野は、千勝が将来、立派に磐城平家の棟梁と成れるかを案じた。村岡の謀議を聞いてしまった以上、己が成し得る事はそれを暴(あば)き、未然に防ぐ事のみである。女性の身で在りながら、成すべき事を成した満足感を覚え、苔野は一歩、又一歩と、川へ入って行く。謀叛人の側妾(そくしょう)と成らず、節操を守った事で、苔野の口元は微(かす)かに綻(ほころ)んで居た。
その後、苔野の姿は闇夜、玉川の流れに消えて行った。
*
翌朝、遍照院の僧が山門の掃除をして居る時、書状らしき物が置かれて居るのを発見した。僧は何気無くそれを開き、文面に目を通した所、俄(にわか)に顔が青ざめて、寺内へ駆け戻って行った。
その書状は、直ぐに住持の元へ届けられた。住吉御所内で幾(いく)ら村岡氏の勢力が強まろうとも、遍照院は磐城平家の菩提所である。磐城平家を危地より救う為に、その書状を直ぐ様、大村信澄の屋敷へ送るべきであると、住持は判断した。
住持の命を受けて、山門で書状を発見した僧が、それを大村家へ届け出る事と成った。僧は直ぐに出立し、その日の昼には、蒲津郷の大村屋敷へ到着した。
一方、住吉御所内小館において、苔野失踪(しっそう)は大きな騒ぎと成って居た。重頼は顔を紅潮させて行方(ゆくえ)を捜(さが)させ、その日、本丸を除(のぞ)く全ての箇処を捜索したが、苔野の姿は何処(どこ)にも見当らなかった。
翌日は城下の屋敷や村々にも、捜索の手が及んだ。遍照院にも村岡兵が押し寄せ、主君政道の祖父、平忠政の位牌に敬意を払わぬ将兵の態度に、住持は村岡の逆心を確信した。結局、寺境の何処(どこ)にも女性の姿は無く、村岡兵は諦(あきら)めて、他の場所を捜すべく去って行った。手荒な捜索に因(よ)り、荒らされた本堂の片付けをしながら住持は、大村信澄が謀叛の芽を摘(つ)み取ってくれる事を、頓(ひたすら)に祈って居た。
小館に在って報告を待って居た重頼は、愈々(いよいよ)疑惑の目を、本丸へと向け始めた。本丸は苔野が久しく過ごして来た処であり、磐城平家が匿(かくま)って居る事は、充分に考えられる。
当初は、主家の領域に兵を入れる事は躊躇(ためら)われたが、他に隠れ場は無く、更(さら)には苔野が己を嫌って、政道の元に走った事を想像すると、次第に怒りが込み上げて来た。
次に捜索隊が戻り次第、本丸に兵を送り込む事を決意した矢先、伝令が重頼の元へ駆け込んで来た。
「申し上げまする。突如として現れた軍勢が、本城を包囲し始めて居りまする!」
「何と?」
重頼は驚き、急ぎ物見櫓(やぐら)へと駆け上がった。一瞬、重頼は我が目を疑ったが、確かに総勢五百近くの兵が、城の周囲に展開して居る。旗を見れば、大村信澄、佐藤純明、斎藤邦秀の三氏である。村岡兵の大半は遠く、玉川や矢田川を越えて、捜索の手を広げて居た。その隙(すき)を掻(か)い潜(くぐ)り、三氏の軍勢は一気に、住吉へ突入したのであった。
重頼は歯噛みした。殆(ほとん)どの兵を城外へ出してしまった為、城内には僅(わず)かばかりの兵しか残って居ない。こう成ると、重頼の頼みと成るは、本丸におわす主君政道である。重頼は小館を放棄し、手元の兵を大館に集めた。
大館の兵の配置を終えた重頼は、次に坂を上り、本丸を目指した。政庁跡の棟に入ると、そこでは政道が平素の身形(みなり)で、城下を見下ろして居る。
重頼の姿に気付いた政道は、おろおろした様子で尋ねる。
「執政殿、これは如何(いか)なる事じゃ?」
今の混乱した政道を、御(ぎょ)するのは容易(たやす)いと考えた重頼は、泰然として答えた。
「残念ながら、大村信澄が四家と与(くみ)し、謀叛に及んだ由(よし)にござりまする。」
政道はそれを聞き、村岡と大村の政争ではないかと考えたが、目下、重頼を不用意に叱咤(しった)する事は憚(はばか)られた。
「して、賊の数と城兵の数は?」
戦況如何(いかん)に因(よ)って政道は、大村方に身を寄せる事を考えて居た。しかし重頼に取って、この窮地を脱する為には、郡司政道を頂く事は必須である。政道の心を敵方に移らせぬ報告をする必要が、重頼には有った。
「敵の数は凡(およ)そ五百。味方は三百程居り申したが、殆(ほとん)どが近郷に巡邏(じゅんら)に出て居り、城内に残るは五十程にござりまする。」
「ほう、では五十対五百か。」
この報告を聞いた時、政道の表情に悲壮感は無かった。寧(むし)ろ、煙たい者を漸(ようや)く追い落とせるといった顔である。それに気付いた重頼は、更(さら)に言葉を接ぐ。
「然(さ)りながら、御心配には及びませぬ。城を包囲する賊は、城外に居る二百五十の味方とも対峙する為、全力を以(もっ)て城攻めを行う事は能(あた)いませぬ。又明日には、二千の軍勢が援軍に現れる事でありましょう。」
「二千じゃと?斯様(かよう)な大軍を、幾(いく)ら執政殿とて、一日では集められまい。」
しかし、重頼は自信に満ちた顔で答える。
「実を申さば昨日、白河郡東部において起りし反乱を、鎮定すべく派遣して居た軍勢が、折良く汐谷に凱旋してござりまする。留守中の防備の為、汐谷では兵を増強して居り、且(か)つ浅川殿を始め、白河郡の豪族達も報告に訪れて居りますれば、その総勢は二千に上りまする。それが到着致さば、賊兵等、一時(いっとき)の内に討ち破って御覧に入れ申す。」
政道はこれを機に、村岡軍が大村勢ばかりではなく、四家をも滅ぼしてしまう事を危惧した。四家が万全の体勢を整えて連携すれば、村岡をも凌(しの)ぐ兵が集まる。政道に取っては、重頼専横の歯止めと成る唯一の望みであり、又四家無くしては、端陽後の復権も不可能であった。政道は、村岡の増援が到着する前に、何とか事を治めねばと、考えを巡らせた。
ふと、一つの考えが思い付いた。
「儂(わし)は未だ、信澄等を賊兵と見做(みな)すは早計と考える。彼等に忠義の心が残って居れば、多少の危険を冒(おか)してでも、儂(わし)の呼掛けに応(こた)えるであろう。急ぎ書状を認(したた)める故、彼等の元へ送ってくれ。」
「はっ。」
畏(かしこ)まって頭を下げた重頼の顔は、薄笑いを浮かべて居た。
政道は急ぎ、机に向かって筆を執った。そして大村信澄、佐藤純明、斎藤邦秀の三名が、何故(なにゆえ)兵を以(もっ)て住吉へ押し寄せたのか、その真意を聞きたい故、将を一人、城へ寄越す事を望む旨を認(したた)め、重頼へ渡した。重頼はその書状を家臣に託し、城を包囲する軍へ遣(つか)わした。
*
軍使の派遣に因(よ)り、包囲軍の動きが、次第に静かに成って行った。そして半時の後、軍使は一人将を伴い、城へ帰還して来た。よく見れば、その将は大村信澄である。反乱軍の総大将と目されて居た人物が、単身登城に及んだ事に、城兵の誰もが驚いて居た。
政道は、信澄が直々(じきじき)に話し合いに臨(のぞ)む事を聞き、これで此度の混乱を、早期に収束出来ると喜んだ。やがて、本丸で久方振りに信澄と対面した政道は、笑顔で迎えた。
「善(よ)くぞ参った。先ずは掛けられよ。」
信澄は敵地に等しい中に在って、少しも物怖じした様子を見せず、堂々たる武者振りであった。
信澄は政道の正面に座し、恭(うやうや)しく一礼すると、傍らの重頼を一瞥(いちべつ)した後、口を開いた。
「この度は、心ならずも城下に兵を進め、殿の御心を騒がせ奉(たてまつ)りし段、誠に申し訳ござりませぬ。」
政道は頷(うなず)いて答える。
「其方(そなた)の手勢の他、高坂や三沢の兵も加わって居るとの事。そして儂(わし)の呼掛けに応じ、其方(そなた)は斯(か)かる緊迫した局面の中、単身登城に及んでくれた。何ぞ、確たる理由が有っての事と推察される。兵を挙げた訳を、聞かせてはくれまいか。」
「はっ。」
信澄は返事をしてゆっくりと頭を上げると、懐より一通の書状を取り出し、政道へ差し出した。側に控えて居た家臣の一人がそれを受け取り、政道へと渡す。政道は書状を広げ、暫(しば)し読み耽(ふけ)った。
俄(にわか)に政道の形相(ぎょうそう)は険しく成り、書状を持つ手はわなわなと震え始めた。やがて書状を読み終えた政道は、重頼を見据えて尋ねる。
「執政殿の兵は、近郷の巡邏(じゅんら)に出て居たと聞いたが、実は苔野の捜索に出して居たのであろう?」
真実を衝(つ)かれた重頼は、狼狽(ろうばい)の色を隠せず、沈黙してしまった。政道は一息吐(つ)いた後、言葉を加える。
「苔野は、玉川に入水(じゅすい)致した。」
重頼は大きな衝撃を受けて、愕然(がくぜん)とした面持ちを呈した。意中の女性を己(おの)が妻に迎えたその日に、自害されてしまったのである。
政道は、更(さら)に目付きを鋭くして尋ねる。
「何故(なにゆえ)苔野が入水に及んだか、心当たりは有るまいか?」
力を落した声で、重頼は答える。
「怖らくは、某(それがし)を嫌って居たのでござりましょう。」
「然(さ)に非(あら)ず。苔野は昨夜、執政殿の手の者が、儂(わし)の暗殺を企(くわだ)てて居るのを聞いたそうな。そして、謀叛人の側妾(そくしょう)に身を落す位ならばと、館を脱出し、命を賭して外の者に伝えたと書かれて在る。」
それを聞いた重頼の胸中から、苔野への未練の情が一気に吹き飛んだ。同時に重頼は、思い掛けずも自身が追い詰められて居る事に気が付いた。己に謀叛の嫌疑が掛けられた以上、大村方が住吉を力攻めにし、己を討ち取ったとしても、大義名分が立つ。又、信澄が単身登城に及んだ訳は、政道に苔野の遺書を読ませる事の他にも、もう一つの意図が考えられた。ここで信澄が村岡方の手で討たれれば、外の兵は弔(とむら)い合戦として、更(さら)に士気が揚がる事であろう。
重頼は、疾(と)うに失脚した大村信澄と、今更(いまさら)相討ちに成るのも馬鹿らしく思えた。そして必死に策を巡らし、やがて一つの案に思い至った。重頼は政道に向かい、言上する。
「我が家臣に、斯様(かよう)な不心得者が居った事は、真に某(それがし)の不徳の致す所にござりまする。早急に逆心を抱く者を暴(あば)き出し、処罰させねば成りませぬ。されども主筋である某(それがし)がそれを成すは、適切ではありますまい。かと申して、大村殿の手に委(ゆだ)ねる事も、かつての政争の遺恨を思えば、疑念が生じ兼ねませぬ。仍(よっ)て、中立に事を処理する為には、滝尻御所に取調べを頼むが適当と存じまする。滝尻御所の兵を当御所に入れ、調査をさせては如何(いかが)にござりましょう?」
その意見に政道も同意し様とした刹那、大村信澄が重頼を見据え、威圧的な大声を発した。
「これ以上、御主の小賢(こざか)しい弁に、耳を傾けては居られぬわ。昨年、前(さきの)国守を抱き込み、殿の権威を剥奪せし事、これだけでも充分謀叛と称すに値する。此度の件も、御主が黒幕である事は、誰の目から見ても明らか。御主に僅(わず)かでも忠義の心有らば、主家に御迷惑が及ぶ事を憚(はばか)り、正々堂々、城を出て合戦に及ぶべし。」
「面白い。身に覚えの無き事なれど、挑まれた以上は受けて立たねば、村岡武士の名折れじゃ。」
重頼が自信満々の面持ちで立ち上がったのを見て、政道は一つの不安に駆られた。それは、汐谷と浅川の連合軍二千騎が、既(すで)に近くまで来て居るのではないかという事である。
「双方、落ち着け!」
政道は咄嗟(とっさ)に、大村、村岡両名を制した。
「幾ら城外と雖(いえど)も、郡衙(ぐんが)の目と鼻の先で、当家の重臣同士が合戦に及ぶ事を、主君として見逃がす訳には行かぬ。」
それには、信澄が困り顔で反論した。
「殿、今ここで謀叛の芽を摘(つ)んで置かねば、後々の禍根と成りましょうぞ。」
しかし政道は、信澄の声を聞き入れる事は無かった。もしも重頼本隊が城の囲みを突破し、城外の友軍と合流すれば、後は汐谷より村岡の増援が到着次第、大村、佐藤、斎藤の連合軍は、撃破されるであろう。端陽の復権を前に、これ等の臣を失う事は、政道に取って、重頼に対抗する駒を失う事と成る。政道は信澄自身の為にも、今両者が矛(ほこ)を交える事態を、避けたいと考えたのである。
信澄は、遍照院の僧より苔野の文を受け取って以来、今まで密かに築き上げて来た反村岡勢力を以(もっ)て、一気に村岡派を駆逐する為、僅(わず)かな時の間に、最良と思える策を練り上げた。その結果、苔野入水当日の巳(み)の刻に、住吉御所へ急行し得る者のみを厳選し、村岡打倒の檄文を発した。住吉に駐屯する村岡兵は三百に上る為、少なくとも五百の兵を以(もっ)て奇襲を仕掛ける事が、唯一勝利への道であった。
斯(か)くして選(よ)りすぐった五百の軍勢を以(もっ)て、東西より押し寄せて見ると、意外にも村岡兵は、城外に分散して居た。大村連合軍はこれ等を各個撃破し、一気に住吉御所を包囲する事が出来たのである。
信澄が一日で、五百をもの大軍を集める事が出来た訳は、佐藤純明、斎藤邦秀といった、有力豪族の忠節に因(よ)る物に加え、此度こそ郡司政道自身が、逆臣の討伐を命ぜられたと、反村岡派の者達に触れ回った為である。故に信澄は、村岡兵を主君政道より離し、これを撃滅する積りであった。しかし、政道自身が停戦に動き出したと聞けば、多くの兵の意気が削(そ)がれる。そして彼等は二度と、急の召集に応じてくれなく成るであろう事が推測された。
千載一遇の好機を逃しては、後々磐城平家に不幸を招く事と成る。そう考えた信澄は、必死に主君の翻意(ほんい)を嘆願した。しかし政道から為て見れば、更(さら)に二千もの増援兵が駆け付けて、城下に血みどろの惨状を呈するよりも、叔父政之を介入させ、両軍を牽制(けんせい)させつつ、平和裡に事を治める方が好ましかった。
政道は信澄の嘆願を斥(しりぞ)け、滝尻へ使者を送る事とした。更(さら)に信澄を陣へ帰し、攻撃を一切禁止する命を下した上で、城外に布陣する村岡勢にも、その場での待機を命ずる使者を遣(つか)わした。
これを以(もっ)て、城外で対峙する両軍は、先に手を出した方が不忠の汚名を蒙(こうむ)る事と成り、互いに迂闊(うかつ)には動けなく成った。この様子を本丸より確認した政道は、重頼を召し出だして命ずる。
「戦(いくさ)は一先ず、収束に向かって居る。最早執政殿の、増援二千騎も必要あるまい。却(かえ)って和睦の妨げと成る怖れが有る故、汐谷へ引き返させる様、使者を送ってはくれぬか?」
「成程(なるほど)、御尤(もっと)もなる仰せ。直ぐに手配を致しましょう。」
重頼はすんなりと承服すると、本丸の一角に仮設した本陣へ戻って行った。
程無く城門が開かれ、村岡重常が二騎の従者を従え、南方の御巡検道を目指した。重常等は、住吉から丘陵地の死角と成る富岡村の南端で、援軍二百騎ばかりと合流し、そのまま共に、汐谷へと引き揚げて行った。
この時、村岡軍の主力は未だ、浅川権太夫の白河東部制圧の援軍として、逢隈(阿武隈)山中に在った。重頼のはったりは功を奏し、村岡家に損の無い様、見事に政道を動かすに至ったのである。重頼が使者に嫡男重常を態々(わざわざ)送った訳は、この後も予断を許さぬ事態が続くであろうと考え、我が身の万一に備えて、嗣子(しし)を本城汐谷へ退(ひ)かせる為であった。
住吉城下の緊迫した情勢が鎮静化したのは、翌日の事であった。滝尻御所政之が手勢二百を整え、玉川を渡って、その姿を住吉に現した。滝尻勢は静かに両陣営の間を通過し、大手門より住吉御所内へと入城して行った。
間も無く、城に籠(こも)って居た村岡兵五十名が城を出て、城外の味方の陣へと合流した。一方で、大村方の陣には滝尻政之の使者が訪れ、両軍和睦の為、登城を促(うなが)した。
使者の口上を聞いた時、信澄の陣に集まって居た将は、挙(こぞ)って不満の意を顕(あらわ)にした。
「我等は殿の御命が、謀叛人の手に因(よ)り危うくなれておわされると聞き、急ぎ馳せ参じたる者。それが何故(なにゆえ)、和睦という話に成るのか?」
ここに集う者達は皆、苔野が我が身を賭してまで、主君を救わんと為る忠節心に心を打たれ、共鳴して駆け付けてくれた、言わば政道の最後の忠臣である。彼等からして見れば、ここで滝尻御所の勧めに従い、和議に応ずる事は、逆賊と和するに等しかった。
又、村岡方と和睦に応ずる上で、別に大きな不安も有った。それは、斯様(かよう)にまで重頼自身を追い詰めた以上、軍を解いた後に、必ずや報復を受けるであろうという懸念である。大半の者が、後々村岡の手に掛かり屠(ほふ)られる位なら、今この場で合戦に及び、一太刀でも浴びせて置きたいと考えて居た。そして信澄自身、今重頼を討って置かねば、後日必ずや、主家に禍(わざわい)が及ぶ事を確信して居た。
そして信澄は葛藤の末に、一つの決断を下した。
「儂(わし)も諸将と同じく、逆臣を討つは、今を措(お)いて他には無しと考える。されど、儂(わし)は先日登城の折、殿御自身より和睦を勧められた。即(すなわ)ち、此(こ)は主命である。儂(わし)には、殿の御意向に逆らう事は出来ぬ。」
磐城政道の命とあっては、誰もそれ以上、徹底抗戦を唱(とな)える事は出来なかった。主命に逆らってまで逆臣と戦う事が、忠が不忠か解らなく成った故である。
信澄は高坂軍、三沢軍とも共議をした結果、主命なれば已(や)むを得ず、という結論に至った。信澄は包囲軍を代表して再び登上し、磐城政道、滝尻政之両名が見守る中、村岡重頼と和睦の誓紙を交した。
この結果、大村方は兵を解散し、村岡方は住吉常駐の兵を汐谷城へ引き揚げさせ、これに代わって滝尻兵が、住吉の警備に就(つ)く事と決まった。両陣営には滝尻方より監察役が派遣され、両軍は同時に撤退、解散がなされた。
大村信澄は僅(わず)かな郎党を率いて所領へ帰る折、一度振り返って、住吉御所を見詰めた。御所に詰める兵は、村岡配下から滝尻配下と替わったが、依然として政(まつりごと)の実権は、住吉に残る事が許された後見人、村岡重頼の掌中に在る。信澄は、此度の騒動の発端と成った、側室苔野の死が無に帰した事を、この上無く残念に思った。そして彼女が入水したという玉川の流れに向かい、静かに頭を下げた。
*
その日の夕刻、政道は叔父の政之を、家臣としては特例に、対屋(たいのや)へ入れた。そして、実の姉である三春御前と、久方振りに対面させた後、己(おの)が妻子もそこへ呼び寄せ、城外の騒動が完全に治まった事を告げた。対屋(たいのや)の女子供等は皆、眼下に広がる物々しい軍勢の姿に脅(おび)えて居た為、漸(ようや)く胸を撫(な)で下ろす事が出来た。
やがて日没を迎えると、めでたく戦(いくさ)が回避された事を祝い、滝尻の者が中心と成って、宴(うたげ)を催した。万珠と千勝の姉弟は、子供故に侍女と共に寝所へと向かったが、母御前は政道の希望も有り、列席する事と成った。
宴席の場において、滝尻政之に次ぐ席に、村岡重頼の姿を認めた時、母御前はその視線の冷たさを感じ、思わず体が震えた。その冷やかなる目は、実は御前では無く、隣に座す政道に向けられた物であった。混乱が治まり、冷静に成って見ると、重頼は己が思い焦(こ)がれた女性が、己に謀叛の嫌疑を掛けた上で自害に及んだ事実を、よくよく考えた。そして、苔野が自身を陥(おとしい)れ様とした事に対する怨み以上に、政道に対して節操を守った事に対し、激しい嫉妬心が生じて居たのである。重頼は静かに杯を呷(あお)りながら、政道に対する憎悪の念を、増幅させて居た。
翌日、平静を取り戻した住吉御所の馬場では、千勝が再び馬術の訓練を始めるべく、馬具を取り付け、軽く走り回って居た。しかし幾ら待てども、師である六郎重宗は姿を現さない。
千勝は、先の騒動で何かあったのではと危惧し、厩(うまや)の者に尋ねて見た。しかしその者も判(わか)らず、誰かに聞いて参りますと言って、馬場を走り去って行った。
待つ事暫(しば)し、漸(ようや)く厩(うまや)の者は、息を切らせながら駆け戻って来た。千勝はその姿を認めると、馬を走らせ、その男の前へ駆け寄った。厩番の男は息も整わぬまま、千勝に報告する。
「滝尻の御方に聞いて参りました。村岡方は御当主重頼様と執事山田様麾下(きか)の、僅(わず)かな郎党を残して、悉(ことごと)く菊多へ退去された為、怖らくは汐谷城に戻られた筈(はず)、との事にござりました。」
「そうであったか。忝(かたじけな)い。」
千勝は再び馬を駆り、馬場の中央へと進んで行った。そして南西の空を仰ぎながら、ぼそりと呟(つぶや)いた。
「そろそろ、騎射を学びたかったに。」
千勝は暫(しば)し馬場を駆け回って居たが、やがて興が醒(さ)め、厩番の者に己(おの)が馬を託して、本丸へと引き揚げて行った。
武術の師が居らずとも、千勝には学問の師が居る。千勝は本丸におわす父の元を訪れ、村岡家へ嫁いだ苔野に会う許しを得ようとした。
政道は自室に侍女を多数侍(はべ)らせ、遊興に耽(ふけ)って居た。政道は広間の端に千勝の姿を認めると、大声で呼び掛ける。
「おお、千勝か。其方(そなた)もここへ来て遊ばぬか。」
千勝は一礼すると、父の前へ歩み出た。そして御前にて、座礼を執る。
「父上に御願いの儀が有り、罷(まか)り越しました。」
政道は興味深そうに千勝を見詰め、尋ねる。
「ほう、何じゃ?」
「苔野に会いとうござりまする。」
千勝は何気無く頼んだ。しかしその言葉は、政道の心に暗い翳(かげ)を落した。その反動で政道は、陽気を装(よそお)って答える。
「それは無理じゃ。苔野はもうこの館に居らぬ故な。」
千勝は残念そうな顔をしつつも、重ねて尋ねる。
「では、汐谷へ行ってしまったのですか?」
「いや、玉川の底じゃ。重頼に嫁するのは嫌だと見え、小館に移ったその日の夜に館を脱出し、玉川に身を投じたそうじゃ。」
父の話す事が、千勝には俄(にわか)に理解出来なかった。
「然様(さよう)にござりましたか。」
そう答えると、千勝はふらりと立ち上がり、惚(ほう)けた表情のまま、父の元を去って行った。
気が付くと、千勝は対屋(たいのや)の、自室へ戻って来て居た。少し前まで、ここで日々苔野と顔を合わせて居た時の事が、未だ鮮明に思い起される。千勝はふと、机の上に置かれた。苔野より渡されし「大学」の書に目を通し、呟(つぶや)いた。
「難解じゃのう。苔野に教えて貰(もら)わねば。」
しかし次第に、千勝の心の中では、苔野の死という物を認識し始めて居た。千勝の目からは俄(にわか)に涙が溢(あふ)れ、頬(ほお)を伝って落ち、書を湿(しめ)らせた。
程無く、千勝の部屋から慟哭(どうこく)が聞こえて来た。千勝に取って、物心が付いたばかりの信夫時代以来、久しく側に在るのは、母と苔野だけであった。その一方と永劫(えいごう)、会う事が叶(かな)わなく成ったのである。
千勝の嘆きは、母御前の元まで聞こえて来た。その時、万珠が弟を心配して、母の元を訪れた。母御前は娘に苔野の死を報せた上で、暫(しば)し弟をそっとして置く様に告げた。万珠は頷(うなず)きながらも、やはり苔野の事は衝撃であったらしく、目を赤らませ、時折袖で、涙を拭(ぬぐ)って居た。
千勝は床(ゆか)に臥したまま、何時(いつ)しか涙は止まって居た。そして、脳が次第に働く様に成って来る。
以前、苔野が父の妻と成り、千勝の義母と成った時には、大いに当惑した物であった。その後、村岡重頼に請(こ)われて、再度嫁(とつ)ぐ事が決められた事を知った時には、又前の様に接する事が出来ると、単純に喜んだ。しかし今思えば、己は苔野の苦悩を全く理解せず、最後の対面をして居た。千勝は学問の師に対して礼を欠いたと、酷(ひど)く己の心を愧(は)じた。
更(さら)に後悔を続けて居る内に、やがて村岡重頼に対する怨(うら)みが募あ(つの)って来た。小供の千勝に対して大人達は、先の騒動の発端が、村岡の叛心(ほんしん)を、苔野が暴(あば)いた事であるとは伝えて居ない。仍(よっ)て千勝は単純に、苔野の自害の原因は、重頼の心に在ると判断した。そして俄(にわか)に、重頼を苔野の仇(かたき)と思い込み始めたのである。
しかし、実際に謀叛の密議を凝(こ)らして居たのは、村岡家執事山田蔵人や、側近の井口小弥太等であった。重頼自身は、磐城平家当主に等しい権力を、手中に収めた事で満足して居たのだが、家臣等はそれ以上の物を望んで居た。即(すなわ)ち、磐城平家を亡き者とし、政道の地位を重頼に継承させる事である。政道も重頼も、共に桓武平氏の祖、高望の子孫である。それが、村岡家中の名分であった。しかし当の重頼は、中々首を縦に振らない。幼き頃より、父忠重が主家政氏に忠義を尽し、磐城近隣を開拓する姿を見て来て居り、己も斯(か)く在りたいと思う気持が有った為である。
されど、磐城、村岡両家が代替わりした後、重頼の心には次第に疑問が生じて来た。重頼自身は先代の志を継ぎ、阪東武者の気質が失われぬ様、武芸の鍛錬と所領の開発に勤(いそし)んで来た。しかし、一方で主君政道は、郡内に生じた天災の復旧や、それを被(こうむ)る民の救済を二の次とし、住吉館を御所と称される程、豪奢(ごうしゃ)な物として行った。それを見た重頼は、磐城平家は最早、武士の棟梁ではないと思う心が、次第に生じて居たのである。
それを敏感に感じ取って居たのが、山田や井口等であった。彼等は度々重頼に対し、磐城制圧の決意を促(うなが)して来た。これまでは何気無しに撥(は)ね除(の)けて来た重頼であったが、此度の件で遂に、苔野という女性を巡り、主君政道に対する嫉妬心が芽生(めば)えるに至った。山田、井口の両名は、重頼の心の隙(すき)を見付け、巧みに翻意(ほんい)を促(うなが)すのであった。
一方、解散した大村軍は、自壊の道を辿(たど)って居た。大村信澄の見事な策に因(よ)り、逆臣の証拠が挙がった村岡重頼を、住吉城内に追い詰め、後一歩で成敗する所までは良かった。しかし最後にそれを妨げたのは、事も有ろうに主君政道であった。重頼を救う一方で、忠義の為に挙兵に及んだ大村方を、窮地へと追い込む解決法を政道が採った事に因(よ)り、此度の義挙に加わった者の心は、大きく揺れた。村岡方は兵を菊多へ退去させたと雖(いえど)も、替わって兵を住吉へ入れた滝尻家とは、当主政之復権の折に手助けして以来、誼(よしみ)は深い。故に、重頼の後見役の任もそのままである為、政(まつりごと)の実権は未だ、敵対した村岡方が握って居た。
そして大村方が恐れて居た通り、村岡方に因(よ)る報復が始まった。先ず、義挙に加わりし者は粗方(あらかた)、登城差止めを命ぜられた。加えて、有らぬ罪を以て所領召し上げ、中には極刑に処される者も現れ始めた。大村方に与(くみ)した者の中からは、山中へ逃亡する者、出家に及ぶ者が相次いだ。しかし大村信澄だけは、登城差止め以外、何の咎(とが)めも受けなかった。これは、信澄一人を特別扱いする事で、反村岡派の心が信澄に集まるのを、防ぐ策であった。
こうして、政道は忠臣の多くを失った。後に残った物は、村岡の権威に諂(へつら)う者と、重頼の妬(ねた)みであった。しかし政道は、叔父滝尻政之を村岡重頼と拮抗させる事で、磐城平家の安泰が計れる物と信じて居た。