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第六節 文武の師
磐城平家に後見人が置かれてから、一月程が経った。野山は、新緑が次第に濃さを増して来て居る。冬季には勢いを失って居た種々の草も、連日の温かい気候に因(よ)り、随分と成長が良い様である。
鵜沼昌直、木戸時国を師に戴き、馬術の訓練を続けて居た千勝は、その後一段と腕を上げて居た。今では城外に出て、北方の林原(林城)を駆け巡り、更(さら)には矢田川を渡り、東の大原に行く事も度々であった。
大原を南へ抜けると、漁村が点在する小名浜に至る。そこからは遠く、常陸国の大津岬まで見渡す事が出来た。
三人は暫(しば)し、馬を下りて草原に腰を下ろし、漁民の暮しや、海上を舞う鴎(かもめ)の姿等を眺めて居た。その間、昌直と時国の脳裏(のうり)には、この一月の間に起きた、政治上の動きが思い出された。
この春、任期を終えた陸奥守平忠頼は、常陸の平維茂(これしげ)を刺激せぬ様、仙道を通って、武蔵村岡へと還(かえ)って行った。一方で、その常陸平家当主維茂は重病の床(とこ)に在り、家中の統制が失われて居るとの事である。下手(へた)に近付けば、長年に渡る遺恨を持つ者より、忠頼の軍が襲撃を受ける怖れが有った。仍(よっ)て大事に至らぬ様、忠頼は安全な道を選んだのである。
陸奥守の交代よりも一足先に、政道の後任と成る常陸介が、既(すで)に茨城郡の府中に入って居た。下総の平忠常と、筑波郡の平維幹(これもと)の対立が続くこの不穏な地に、朝廷が和平を期待して送り込んだ人物は、平維時(これとき)であった。維時はかつて肥前守を務めた、故平維将(これまさ)の嫡子であり、貞盛の孫に当たる。本年上野介の任期を終えた維叙(これのぶ)や、伊勢国に勢力を伸ばしつつある維衡(これひら)、両名の甥(おい)である。
常総地方で溝を深める、忠常と繁盛流平氏の間を取り持ち得る人物として、朝廷は貞盛流平氏維時を選任した。維時はこの二十年近く、京に在って右衛門府等に仕え、太政官からの信任も厚い。又、常陸平氏の本家筋に当たり、且(か)つ忠常辺りからも怨(うら)みを買って居ない。朝廷は、維時の任期四年の間に、常総を完全に平穏と成す事を命じて居た。
常総介維時は、祖父貞盛がかつて治めた地に、大きな期待を抱いて居た。都での栄達を久しく望んで来た物であったが、叔父維衡が伊勢平氏を興し、左大臣道長から武士としての力を買われて居るのを見る度、己も坂東武者の末裔として、地方に武士団を持ちたいと考える様に成って居た。そして此度の常陸介任官は、正に絶好の機会であった。
維時は国府に入って間も無く、筑波郡より平維幹(これもと)を召し出し、一通の書状を手渡した。それは、常陸介より左衛門府に宛(あ)てた、推薦状であった。
当初、維幹は戸惑いを見せた物の、維時が下向前、京において既(すで)に、止事(やんごと)無き辺りと話が付いて居る事を告げると、素直に従う旨を回答した。維幹は、筑波の地頭を務め、常陸西南部に広がる、大規模な荘園を管理して居る。しかし荘官は非合法の物であり、支配権は有すれども、無位無官である。しかし今、維時が齎(もたら)したこの機に上洛すれば、六位の官職への任官は固いであろうと見た。維幹は所領を家臣に任せ、常陸介の勧めに従い、意気揚々と都へ上って行った。
維幹は上洛早々左衛門府へ赴き、維時の推薦状を提示した。すると、間も無く小除目(こじもく)が行われ、維幹は従六位下左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)に任官した。
維時は常陸介任官の折、左大臣に常総平定を誓う一方、一つの条件を出して居た。それは諍(いさか)いの身内側の当事者維幹を、一先ず所領から離して京へ送る故に、適当な位官を与えて欲しいという事であった。維幹が常陸を離れた上、府中の維茂が病床に在ると成ると、常陸平家の武士団は、本家筋の維時に従わざるを得なかった。こうして常陸国内を固めた維時は、愈々(いよいよ)下総千葉の忠常方に歩み寄り、常総和平への動きを見せ始めた。
昌直と時国が話す近隣諸国の動きを、千勝は漠然(ばくぜん)としか理解するに至らなかったが、真剣に耳を傾けて聞いて居た。しかし、常陸の話が尽きた所で、二人は再び黙ってしまった。千勝はふと、両人の様子が普段と違う事に気付いた。そして、両将の前に躙(にじ)り出て、首を傾げる。
「昌直も時国も、小名浜に着いてからは、暗い顔で話ばかりして居る。何時(いつ)もは徒口(むだぐち)を叩くなと、頓(ひたすら)武術に打ち込ませるのに。」
千勝に言われて、二人ははっとした。そして、見る見る内に無念の表情と成り、時国が掠(かす)れた声で話し始めた。
「実を申し上げますれば、我等が若君の指南を致すのも、本日限りと成り申した。」
意外な言葉に千勝は驚き、惚(ほう)けた顔と成って叫ぶ。
「謀(たばか)りを申すな!」
時国はつと顔を上げ、千勝を見詰めて話を始める。
「実を申せば、昨日の評定において、某(それがし)等を含む八名に、各々の所領へ引き揚げる様、命が下ったのでござりまする。」
「されば、私が父上に申し上げ、両名を守役として住吉に留まれる様、御願いして見よう。」
千勝は、政庁の事は何も知らされて居なかった。故に、事は父の胸三寸にて如何様(いかよう)にも成ると、単純に考えて居たのである。時国は苦衷(くちゅう)を呈して、千勝に告げる。
「政道様は現在、評定を取り仕切る事が出来ませぬ。これは故有って、前(さきの)陸奥守様の御意向に因(よ)る物にござりまする。」
その時、傍らの昌直が、不意に拳(こぶし)を地に打ち付けた。その形相(ぎょうそう)からは、激しい無念の感情が窺(うかが)える。
千勝は、何か手立ては無い物かと熟慮した。そして一つ、思い付いた事を口にした。
「確か、家臣の筆頭は村岡と申したな?では村岡に頼みに行くとしよう。」
そう言って千勝が立ち上がった刹那、時国が千勝の袖を掴(つか)んだ。驚いて千勝が振り向くと、時国はゆっくりと首を横に振った。
一体住吉の政(まつりごと)に何が有ったのか。千勝が戸惑いを覚えて居る時、傍らで怒りに震えて居た昌直が、漸(ようや)く落ち着きを取り戻した顔で、千勝に告げる。
「村岡殿と我等は、評定の場において、対立したのでござりまする。今の若君の御力では、此度の決定を覆(くつがえ)す事は叶(かな)いませぬ。されど磐城四家の御蔭にて、明年の端午の節会(せちえ)を催す頃、政道様の復権が可能と成り申した。我等はその時に備えて、所領を開墾し、力を付ける所存なれば、若君も後一年余、御所で御静かに御待ち下され。」
「如何(どう)しても一年余か?」
「はっ。」
千勝は悲しみを心の奥へ抑え込み、馬の元へ駆け出した。
「されど今日までは、二人共私の師じゃ。今日は心行くまで、各地を駆け巡ろうぞ。」
そう言って、ひらりと己の愛馬に飛び乗った千勝の姿を見て、二人の心は奮(ふる)い起(た)った。
「おおっ。」
両将は声を上げて各自の馬に跨(またが)り、千勝の後を追って駆け始めた。
先頭を行く千勝は、激しい揺れに耐えながら、全速力で馬を駆った。大原の野を疾駆する千勝の顔に、風が強くぶつかる。その衝撃は、千勝の目に溢(あふ)れた涙を、後方へと吹き飛ばした。
その頃、久慈川伝いに街道を、常州より奥州に入った一軍が在った。かつて、前(さきの)常陸介平政道に随行して常陸に入り、久慈郡佐竹の地において、豪族の所領境界の諍(いさか)いを調停して居た、小川平治の軍勢である。
平治は見事に調停を成し遂げ、佐竹の豪族の土地が平維茂より守られる形で、決着を見た。維茂方が当主の重病に因(よ)り、北方の地に構(かま)う余裕が無く成った隙に、平治は国府の将たる権限を以(もっ)て、有力豪族の不当な要求に屈せず、土地の調査を行った。そして農民が税を治めた先を、年代を遡(さかのぼ)って調査した所、佐竹方の所領であった事が明白と成った。平治は、常陸国府に保管されて居る土地所有者の名を、維茂より佐竹の豪族達に書き換え、更(さら)に豪族達には、土地の管理者である事を認める、証書を発行する運びと成った。しかしこの時、常陸介政道は磐城へ帰国して居り、連絡を取る事が叶(かな)わなかった。かと言って、己の名のみを記した所で、大した効力は発しない。已(や)むなく平治は、直属の主君である守山勝秋より許可を得て、証書に守山の名を記した。
仙道安積(あさか)郡を中心に、勢力を張る守山勝秋の名声は、遙か南方の久慈郡にまで及んで居た。勝秋は安積郡小川郷長に過ぎないが、武勇で知られて居り、又、磐城政道の義兄に当たる人物が認めてくれた事で、佐竹の豪族は大いに満足気な様子であった。
しかし間も無く、政道の常陸介解任の報せが、常陸大掾(だいじょう)より齎(もたら)され、平治は軍勢引き揚げの指示を、住吉御所へ仰いだ。しかしこれ又、何の音沙汰も無い。平治は仕方無く、佐竹を発って、守山館へ戻る事を決意した。出立前夜、佐竹庄の者はこれまでの平治の労を犒(ねぎら)い、小川勢に細(ささ)やかな宴(うたげ)を用意してくれた。
佐竹での出来事を思い出しながら、小川平治の軍勢は、祖国安積郡小川郷を目指して、北上を続けた。先ずは、白河郡内雄野駅で仙道に合流するのだが、その手前にて、平治は意外な光景を目(ま)の当りにした。高野駅周辺において、各地の村々が焼かれて居たのである。平治は驚き、家臣に命じて、この地で何が起ったのかを調べさせた。
やがて戻って来た兵の一人が、驚愕(きょうがく)の報せを齎(もたら)した。村を焼いたのは、浅川権太夫の兵であると言う。浅川氏は、ここより八里程北方に、拠点を置く豪族である。近年、磐城平家執政村岡重頼の推挙に因(よ)り、石川郷長に就任して居た。兵が報告するには、昨年より浅川氏と高野氏とが所領を巡り、度々兵を挙げる様に成った。そして浅川方が連戦連勝の末、遂には高野氏の拠点であるこの辺りにまで、戦火が及んで来たのだという。
平治は、俄(にわか)には信じられなかった。高野氏の長者盛国は、先年まで磐城平家大老を務め、家中第二の勢力を誇って居たからである。それが何故(なにゆえ)、石川郷内の一豪族に大敗を喫したのか。又、何故磐城平家は宗主として、この大乱を治めるべく動き出さぬのか。平治はとんと合点(がてん)が行かなかった。
ともあれ、敗者である高野盛国は何処(いずこ)かへ落ち延び、既(すで)に高野郷の豪族も粗方(あらかた)、浅川氏に服属した様である。平治は嫌な予感が頭から離れぬまま、高野郷内各地で焼き払われた村を目にし、暗澹(あんたん)たる思いで軍勢を進めて行った。
*
村岡重頼が磐城平家後見人と成った後、住吉御所には平穏な日々が続いて居た。重頼は政庁を小館(こだて)に移したままであったので、当主政道は本丸の大館(おおだて)に在って、重頼に気兼ね無く、のんびりと過ごして居た。しかし時折、村岡家執事山田蔵人が大館を訪れ、美しい娘達を連れて来ては、政道の腰元として仕えさせた。
次第に、政道は対屋(たいのや)の妻子や母の元に、顔を出さなく成った。本丸の政庁跡を占居して、蔵人が連れて来た女性達を侍(はべ)らせ、日夜派手に遊び呆(ほう)ける様に成ったのである。
その父の姿を、館内で千勝は度々目にして居た。そして、かつて三大老、四家を前に、厳然と構えて居た往時を思い起すと、自ずと涙が零(こぼ)れて来るのであった。
武芸の師を失った千勝は、独り馬場に出て、馬術の訓練を度々行った。馬具の付け方、手入れ等は、厩(うまや)の者から教わる事が出来る。しかし、馬を巧みに乗り熟(こな)す術(すべ)においては、師が居らねば、如何(どう)すれば合戦に役立つ様に成るのか、十歳の千勝には分り様も無かった。
千勝は乗り慣れた馬に跨(またが)り、鵜沼昌直と木戸時国に教わって居た時の事を思い浮かべながら、馬を歩かせては止め、時には駆けたりして居た。村岡派で占められた館の者は、誰も千勝に構う者は居ない。唯(ただ)厩(うまや)の者だけが、目の前で城主の御曹司が怪我等せぬ様、肝を冷して居た。
晴天の下、千勝は汗だくに成って、弓馬の一人稽古を続けて居た。そろそろ止めにしようと思った時、馬場に二騎の若武者が入って来た。二人は縦列と成って疾風の如く千勝の脇を過ぎ去り、先程千勝が据(す)えた的を目掛けて、矢を放った。前方の武者の矢は的の中央に当たり、木の的は二つに割れてしまった。そして後方の武者が放った矢は、見事に的を固定する杭に命中した。
前方の武者は馬の速度を緩(ゆる)めて振り返ると、残念そうに告げる。
「折角(せっかく)的を割ったというに。」
後続の武者は、高らかに笑って返す。
「甘(あも)うござるぞ兄上。私の狙いは一寸以上は外れませぬ。」
二人は共に満足顔を湛(たた)えながら、ゆっくりと千勝の方へ近付いて来る。
やがて二人は、千勝の目の前で馬を止めた。よく見ると、この兄弟と思(おぼ)しき武者は共に、齢(よわい)二十をやや過ぎた位に思える。片方は全身日焼けし、真っ黒な肌をして居た。千勝は二人を交互に見据えながら問う。
「その方等は何者ぞ?」
兄弟はそれを受けて、顔を見合せて笑う。千勝が仏頂面と成ったので、弟が仕方無さそうに答えた。
「童子よ。人に名を問う時は、先ず己から名乗るのが作法。儂(わし)は汐谷城主村岡重頼が次男、六郎重宗じゃ。」
続いて、兄が名告る。
「儂は嫡男の五郎重常じゃ。」
「人は兄上の気性から、雷太郎と呼んで居り申すが。」
横から重宗が、兄をからかう様に付け加えた。
この五郎重常は、日頃菊多の山野を駆け巡り、山中で野宿をする事も度々であった。故に馬術においては、屈強で知られる村岡騎兵の中でも、随一の腕前と評されて居る。全身が真っ黒に焼けて居るのも、そうして身体を鍛えて来た証(あかし)であった。又、重常は野性味に溢(あふ)れた性格から、暫々(しばしば)大声で怒鳴り、人を凄(すさ)まじい膂力(りょりょく)を以(もっ)て打つので、人々は雷神の如く重常を恐れ、何時(いつ)しか雷太郎と呼ばれる様に成って居た。
重常は元服の折、前(さきの)陸奥守忠頼の意向に因(よ)り、忠頼の子である下総国千葉の忠常の偏諱(へんき)を賜(たまわ)って居た。齢(よわい)八十五の忠頼は、三子の内忠常に、陸奥村岡氏との繋(つな)がりが維持される事を、望んで居たのである。
兄弟の素姓が判明した所で、今度は千勝が名乗った。
「私は前(さきの)常陸介、平政道が嫡男、千勝じゃ。」
兄弟は意外な事を聞いた顔で、暫(しば)し千勝を観察して居た。やがて重宗が尋ねる。
「これはこれは、磐城平家の御曹司にござりましたか。されど、何故(なにゆえ)御独りで、弓馬の稽古をなされる?」
千勝は一瞬口籠(ごも)ったが、直ぐに寂し気な顔をして答えた。
「私の師は皆、住吉より去って行ってしもうた。故に私は、独力で訓練する他は無い。」
それを聞いた兄弟は、千勝の師が村岡派に属さぬ者であり、それ故に評定衆から外された事を悟った。
現況、兄弟に取って千勝に接近する事は、不利こそ生ずれども、利有る物ではなかった。しかし十歳そこそこの主家御曹司が、家臣の誰にも相手をされずに、一人稽古をする姿は、兄弟の目にも哀れに映った。
武士は農民と共に在り、という教えを、兄弟は父重頼より受けて来た。故に、汐谷城近隣の地を、兄弟は鍬(くわ)を持ち、農民と共に開墾する事も有った。豊作に成ると、農民と共に喜び、凶作の年は共に悲しんだ。凶作の時、農民は直ぐ様困窮に見舞われるが、城主の子は城の蓄えに因(よ)り、飢えに瀕(ひん)する事は無い。その事が兄弟には居た堪(たま)れず、以(もっ)て惻隠(そくいん)の情を涵養(かんよう)する原(もと)と成った。
今その情を、兄弟は千勝へと向けて居た。己(おの)が家の野心の為に、大人達が政治的な配慮から、力を失った主家の嫡男を蔑(ないがし)ろにして居るのである。しかも、その子は未だ童子であるにも拘(かかわ)らず。
重常は腹を決め、千勝に告げた。
「よし、儂(わし)が御曹司に、弓馬の指南をして進ぜよう。」
弟の重宗も、兄と同じ気持に成って居た。そして、兄に助言をする。
「兄上は村岡家嫡男として、他にやるべき事が御有りでござろう。ここは某(それがし)に御任せあれ。」
「何、儂(わし)とて時に余裕が無い訳ではないぞ。」
「いえ、兄上の御気性では、御曹司相手に指南がちと、荒く成り過ぎましょう。」
確かに、十歳の童子相手だからといって、手加減の出来る重常では無かった。重常は無言で頷(うなず)くと、弟を残して馬場を去って行った。重宗は心中で、村岡家の今後の方針上、兄と千勝とを接近させる事は、好ましくないと考えて居たのであった。
重宗は馬を千勝の方へ向き直すと、温和な表情で告げる。
「宜しければ、某(それがし)が弓馬の道を御指南仕(つかまつ)るが?」
先程の騎射を見て、その腕前に疑いの余地は無い。千勝は優し気な重宗の表情に安堵し、馬上で頭を下げた。
「御願い致す。」
そして千勝は、村岡重宗を師に戴き、再び武芸を習う事が叶(かな)った。
新たな師重宗の武術は、平良文流と村岡流を、祖父忠重の代に融合させた、斬新且(か)つ極めて実戦的な物であった。重宗の指南は厳しかったが、千勝は音(ね)を上げなかった。自身が何(いず)れは磐城一の武士と成り、その姿を見せる事で、変わり果てた父の心身に、かつての精悍(せいかん)さを取り戻す為の一石を、投じたかったのである。
やがて家中の者は、重宗が千勝に武芸を教授して居る事に気付き始めた。しかし此度は、鵜沼や木戸の時と異なり、これを妨(さまた)げる者は現れなかった。村岡派から見れば、磐城平家の嫡男が村岡家の者を師とする事は、寧(むし)ろ好ましい事と考えた故である。
一方で千勝は、学問の修業を怠(おこた)る事は無かった。唐土(もろこし)において学問の神と崇(あが)められる、千五百年以上も昔の人物、孔子が記した「論語」を読み終え、侍女苔野(こけの)の指導の下、孔子の弟子等が記した「礼記」(らいき)へと、段階を進めて居た。
学問は、人の上に立って組織を纏(まと)めるに当たり、組織を強化し、下層の者の心を掴(つか)む法を学ぶ物である。加えて一個人として、万民の住み良い社会を構築する為の、心の有り様を悟る事を目的とした物であった。千勝は何時(いつ)の日か、年寄達が挙(こぞ)って崇敬する、今は筑前におわすと聞く祖父政氏公の如き、立派な武士に成る事を志して居た。
苔野は、千勝が学問をする事の目的に気付き、日々真剣さを増して行く様子を見て、心底より、嬉しく思って居た。
*
千勝は文の苔野、武の村岡重宗という師を得、昼夜その若い心身に、多くの物を詰め込んで行った。千勝に取っては苦しいながらも、充実した日々を過ごして居た。
錦秋(きんしゅう)の候が過ぎ、愈々(いよいよ)北方の寒気団が、奥羽の地に伸(の)し掛かって来た初冬の頃、政道は久方振りに対屋(たいのや)へ顔を出し、母や妻子と共に、夕餉(ゆうげ)の膳を囲む事が有った。
政道はその折、千勝の体躯(たいく)が見違える程、逞(たくま)しく成って居る事に気が付いた。
「千勝は又、随分とがっしりした体付きに成って来たのう。」
信夫御前は、息子の頑張りに夫が気付いてくれた事を嬉しく思い、言葉を添える。
「村岡殿の御次男、重宗殿が近頃、千勝に弓馬の道を、手解(てほど)きして下さって居るとの事にござりまする。」
妻の言葉を聞き、政道は不興(ふきょう)な顔と成った。息子の教育にまで勝手に踏み込んで来た事が、面白くなかったのである。
父の不機嫌を払拭(ふっしょく)するべく、万珠姫は父に、弟の話を加えた。
「父上、弟は学問にも励んで居る様にござりまする。師の苔野は住吉一の学者なれど、弟の呑込みの速さには驚いて居りました。」
「ほう、ここには斯様(かよう)に賢き侍女が居るのか?」
政道の問いに、信夫御前が答える。
「苔野は童女の頃より、暇(ひま)を見付けては読書をして居りました。未だ歳は二十そこそこにござりまするが、あの学識に及ぶ者は、そうは居りますまい。その苔野を驚嘆させて居るのですから、千勝は余程頑張って居るのでしょう。」
妻の話を聞いた政道は無言で頷(うなず)き、然して千勝を見据える。
「何と、千勝は学問も出来るのか。如何程(いかほど)の物か、明日見物させて貰(もら)おう。」
千勝は、母や姉が己を褒めるのを聞いて、こそばゆく感じて居た。しかし、父が明日、自身の頑張りを見てくれると言う。千勝は俄(にわか)に嬉しさが込み上げて来て、笑顔で父に申し上げる。
「父上、是非(ぜひ)。」
政道は確(しか)と頷(うなず)いた。
翌日巳(み)の刻、寒たい北風が外には吹き寄せて居たが、対屋(たいのや)の一室では、父政道の視線を背に受けた千勝が、熱く成って朗読をして居た。五経の一つ、「礼記」(らいき)の大学篇である。
天子より以(もっ)て庶人に至るまで、壱に是(これ)皆身を脩(おさ)むるを以(もっ)て本と為(な)す。其(そ)の本乱れて末治まる者は否(あら)ず。其(そ)の厚かる所き者薄くして、其(そ)の薄かる所き者厚きは、未だ之(これ)有らざる也(なり)。此(これ)を本を知ると謂(い)い、此(これ)を知の至(きわ)まりと謂(い)う也(なり)。
千勝が滔々(とうとう)と読み終えると、苔野が笑顔で告げる。
「はい、よく読めました。では、若君はこの文意を、何(ど)の様に御捉(とら)えになりまするか?」
千勝は、苔野の笑顔が苦手であった。この顔を見る時、己の頭を最大限に働かせなくては成らぬからである。
「天子様より民人(たみびと)まで、同様に我が身を修める事が本(もと)にござります。本を疎(おろそ)かにしながら、末が治まる事は無し。」
「末とは、何でござりまする?」
突如、苔野の問いが切り込んで来る。千勝は暫(しば)し言葉に詰まりながらも、何とか答えを模索した。
「末とは、民人の事でござりましょうか?」
「確かに、民人も含まれまする。そして、国衙(こくが)や郡衙、果ては内裏(だいり)における官吏の中で、下位の者も指しまする。即(すなわ)ち、天下国家にござりまする。」
苔野より続きの解説を促(うなが)され、千勝は再びたどたどしく話し始めた。
「力を注ぐ可(べ)き所を疎(おろそ)かにしながら、疎かでも善(よ)い所が立派に出来る事は無し。我が身を修める可(べ)く努める者を、本(もと)を知る者と謂(い)い、知の極みと申しまする。」
苔野は笑みを崩さぬまま頷(うなず)いた。これは、千勝の解釈が合格点であった証(あかし)である。
千勝がほっと胸を撫(な)で下ろした直後、政道が苔野に声を掛けた。
「その書物は、幾度も読まれて大分よれよれと成って居る。侍女殿は、かなりの読書人の様じゃのう。」
城主に尋ねられ、苔野は緊張した面持ちで答える。
「いえ、これ等は先君政氏公が残されし物を、三春御前様と北の方様の許可を得て、御借りした次第にござりまする。」
言われて見れば、政道が未だ若い頃、父が時折、これ等の書物を読んで居た事が思い出された。
名君と家臣領民より謳(うた)われる、磐城平家の祖政氏は、政(まつりごと)において壁に衝き当った時、度々先人の叡智に肖(あやか)ろうと努めて居た。そして今政道は、父の残した書の一節を、我が子の口より聞き、反省する点が頻(しき)りであった。確かに政道は、己を修めるべく務めては来なかった。それに因(よ)り、政氏が築き上げた家臣団の団結心に隙(すき)が生じ、今日(こんにち)の禍(わざわい)を招いたのではあるまいか、とも思えた。
政道は姿勢を正し、苔野に正対して告げる。
「侍女殿、これからも千勝の事、宜しく御頼み申す。又、儂(わし)にも時折、書を読み聞かせて貰(もら)いたいのだが。」
政道の申し出を受け、苔野は畏(かしこ)まって承知の旨を申し上げた。
その後も半時程、苔野の学問は続けられた。千勝は頭を使い通しで辟易(へきえき)として居たが、政道は興味深気に、始終苔野を見詰めて居た。
それから暫々(しばしば)、苔野は政道の元へ召し出される様に成った。千勝は、父も学問を以(もっ)て、己を磨こうと努力し始めたと思い、嬉しく感じて居た。しかし、自身の世話役を取られてしまった事は、少々寂しくも感じられた。
千勝の世話役が、その務めを疎(おろそ)かにせざるを得なく成った事は、やがて弟を気遣う万珠の口より、北の方信夫御前の耳へと達した。母は娘に対し、心配は無用と告げて戻した物の、その対策に暫(しば)し思案した。
嫡子千勝の事も大事だが、夫政道を苔野が立ち直らせてくれるのであれば、大いに結構な事である。誰か苔野を補佐する者を臨時に置けば、事は解決する物と思われた。
やがて信夫御前は、侍女頭の老女と、長女万珠付の侍女、小笹(こざさ)を召し出した。二人は直ぐに御前の間に現れ、平伏した。
御前は二人に、楽にする様告げると、先ず老女に尋ねる。
「先頃姥(うば)殿より、侍女頭辞任の申し出が有りましたが、妾(わらわ)は後任を誰にすべきか、今日まで悩んで参りました。そして、最も相応(ふさわ)しきはこの小笹であると、考えるに至りました。姥殿は如何(いかが)思われる?」
老女は傍らの小笹を一瞥(いちべつ)した後、御前に対し、畏(かしこ)まって答える。
「御方様の思(おぼ)し召しに同じく、私も小笹の人柄なれば、対屋(たいのや)を万事任せ得る物と存じまする。私は既(すで)に齢(よわい)七十。御先代政氏公が、当地に入部された頃より仕えて参りましたが、最早足腰が衰え、任に耐え兼ねる身体と成りました。一方で小笹は四十歳。心身共に健康であり、教養も備えて居りますれば、最適の後任者と存じまする。」
老女が己を御前に推挙するのを聞き、小笹は俄(にわか)に当惑した。そして、老女に申し上げる。
「私は、白田郷の片田舎にて育った者。本城の侍女頭を務めるには、到底不相応の身にござりまする。」
小笹の言葉に、老女は不興な面持ちで答える。
「其方(そなた)がここへ来たばかりの頃の事等、疾(と)うに忘れてしもうたわ。されどこの数年の間、其方(そなた)が如何様(いかよう)に仕えて来たかは、良く記憶して居る。その限りでは、充分侍女頭を務め得る筈(はず)じゃ。」
老女にこうまで言われては、飽(あ)く迄(まで)辞退するは卑怯(ひきょう)であり、又不忠に当たると、小笹は考えた。そして御前に対し、畏(かしこ)まって答える。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。私は不肖(ふしょう)の身なれど、北の方様より浴せし長年の御恩に報いんが為、如何(いか)なる御指示にも従う所存にござりまする。」
小笹は、白田郷浅見川の辺に生まれた、農民の子である。幼き頃より才智に秀(ひい)で、時の領主江藤玄篤が、三春御前に推挙してくれた事で、住吉館の侍女に登用された。やがて磐城平家は政道の代と成り、その妻信夫御前が対屋(たいのや)を取り仕切る様に成ると、信夫御前に目を掛けて貰(もら)い、万珠姫の世話役、侍女頭の補佐を任されるに至った。それに大恩を感じて居る事を知る老女は、安心して小笹を、己(おの)が後任に推挙出来たのである。
信夫御前は、小笹の言葉に笑顔で頷(うなず)いた。
「それを聞いて安心しました。では、小笹に侍女頭を頼みまする。万珠の世話は其方(そなた)の下に居る二人に任せ、其方(そなた)は妾(わらわ)の側に在って、対屋(たいのや)を取り仕切って貰(もら)いまする。」
「はい、承知致しました。」
「就(つ)きましては、其方(そなた)に姥竹(うばたけ)の名を与えまする。笹竹が長じ、久しく寒に堪(た)え抜いて、大竹に成長したという意です。」
「何と、有難く頂戴致しまする。」
重要な任を与えられ、心を新たにした姥竹の目は、輝いて居た。
姥竹は久しく侍女頭の補佐を務めて来たので、今更(いまさら)老女が諭(さと)す事は無い。老女はやがて、信夫御前に長年世話に成った礼を申し上げると、御前の間を辞して行った。
そして姥竹と二人、居間に残った信夫御前は、一つの頼み事を話し始めた。
「実は、ここ一月(ひとつき)程の事なのですが、千勝の世話役苔野が、殿の命で度々召し出され、学問の講義をして居りまする。しかし、その為に千勝の世話が行き届かず、最近は幾らか疲れた顔をして居る様子。其方(そなた)、苔野の身辺に気を配り、巧(うま)く取り計らってはくれませぬか。」
苔野の事は、実は姥竹自身、最近様子がおかしいと、気になって居た。
「解りました。御任せ下さりませ。」
そう言って、姥竹は侍女の間へと戻って言った。
信夫御前は頼もしい味方を得て、些(いささ)か安堵した。姥竹が目を光らせてくれれば、大事に至る事は有るまいと、信じて居たのである。
しかし、時は既(すで)に遅きに失して居た。数日の後、政道は苔野を伴い、対屋(たいのや)の母、三春御前の元を訪れた。その後、信夫御前の元に驚愕(きょうがく)の報せが、姥竹を通じて齎(もたら)されたのである。
翌朝千勝は、朝餉(あさげ)の前に木刀を持ち、庭で素振りをして居た。昨日、村岡重宗より習った柄(つか)の握りを、忘れない為である。この日も寒気が磐城まで南下し、初冬の寒さに身が凍(こご)えた。しかし百本程木剣を振って居る内に、身体が次第に温まって来るのを覚えた。
その時ふと廊下を、鮮やかな彩りの衣(ころも)を纏(まと)い、渡って行く女性の姿が見えた。後方に侍女二人を従えて居るので、千勝は母御前であると思い込み、挨拶をすべく駆け寄った。
しかし間も無く、千勝は意外な光景に足を止めた。その女性は母御前ではなく、苔野であった。苔野も庭に立つ千勝の姿に気付き、足を止めた。そして腰を下ろし、座礼を執る。
千勝は再び、苔野の元へ駆け寄って尋ねた。
「苔野、その装(よそお)いは?」
それに答えたのは、苔野の後方に控える、侍女の一人であった。
「苔野様は昨日を以(も)ちまして、御館様の側室に上がられました。即(すなわ)ち、千勝様の義母に在らせられまする。」
侍女の言葉に声を失った千勝に対し、苔野は悲し気な面持ちで告げる。
「若君、申し訳ござりませぬ。もう、若君に学問を教授差し上げる事は、叶(かな)わなく成りました。」
苔野は再度一礼すると、立ち上がって、静かに千勝の元を去って行った。その姿に、かつての凛然(りんぜん)とした面影(おもかげ)は無かった。苔野自身、我が身に降り懸かった急激な変化に、戸惑いを禁じ得ぬ様子である。
この日の朝餉(あさげ)に、父政道の姿は無かった。千勝の他に姉の万珠、そして母信夫御前と祖母三春御前の四人で、膳を囲んで居た。世話役であった苔野を失った千勝は、大いに衝撃を受けて居た。一方で、隣に座す万珠も、仏頂面(づら)をしながら、黙々と箸(はし)を動かして居る。万珠も、長年の世話役姥竹が侍女頭に昇進した為、千勝同様に、信の置ける侍女と引き離されて居たのである。
その後暫(しば)し、対屋(たいのや)は喪(も)に服するが如く、沈んだ空気に包まれた。唯(ただ)一箇処、政道が側室苔野の為に用意した間を除(のぞ)いては。政道は連日、苔野の元で過ごす様に成った。