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第四節 派閥抗争
磐城郡住吉御所の本丸対屋(たいのや)では、十歳の万珠姫と八歳の千勝が、仲良く追い掛けっこをして遊んで居た。養育係を仰(おお)せ付かった侍女の小笹(こざさ)と苔野(こけの)も、姫と若君のやんちゃ振りには、殆(ほとほと)手を焼いて居る様である。
しかしここの所、万珠と千勝には、共通の心配事が有った。それは最近母が元気を失い、居間に引き籠(こも)る日が多く成った事である。そして、以前は大老三人が交互に挨拶の為、度々訪れた物であったが、今ではさっぱり、訪問者が途絶えて居た。それは幼心にも、何か不吉な影を落して居たのである。
そしてある日、住吉御所に伝令が駆け込んで来た。それから程無く、大村信澄が対屋(たいのや)を訪れ、信夫御前に拝謁(はいえつ)した。久方振りに姿を現した信澄は、酷(ひど)く窶(やつ)れた顔をして居たが、笑みを湛(たた)えて言上する。
「麗(うるわ)しき御尊顔を拝し、恭悦(きょうえつ)至極(しごく)に存じ奉(たてまつ)りまする。」
御前は信澄の窶(やつ)れ様を、気に掛けながら尋ねる。
「信澄殿の様子から察しまするに、何か吉報が有るのですね?」
「はっ。常陸介政道様、間も無く御帰還遊ばされる由(よし)にござりまする。」
「何と、其(そ)は真(まこと)ですか?」
庭で遊んで居た万珠と千勝の耳にも、信澄の声は聞こえた。姉弟は二年振りに父に会える事を知り、共に喜んだ。
御前は安堵の色を浮かべ、信澄に告げる。
「これで、再び住吉は平穏に成りますね。」
「はい。殿が御戻り下されば、当方の味方も増えましょう。さすれば、重頼奴(め)の専横を封じ、再び磐城平家の御威光を以(もっ)て、国を治める日が戻って参りましょう。」
御前が頷(うなず)くと、信澄に頭を下げた。
「昨今の村岡殿の振舞は、陸奥守忠頼様の養子である事を楯に取り、恰(あたか)も己が磐城、菊多の大領であるかの如き。これでは、磐城家中の和は崩れ、御家の為に成りませぬ。信澄殿、殿を御扶(たす)けし、再び当家が一枚岩の如き団結を取り戻せる様、宜しく頼みまする。」
「はっ、必ずや。」
信澄は深々と御前に平伏(ひれふ)すと、立ち上がって対屋(たいのや)を辞して行った。
信澄が去った後、万珠と千勝は母の元へ駆け寄った。
「母上、本当に父上が御戻りに成られるのですか?」
娘の問いに、母御前は優しく答える。
「既(すで)に御領内に入られたとの事。怖らくは、滝尻の辺りまで達して居るやも知れませぬ。」
母の言葉を聞き、二人は大いに喜びながら、庭へ駆け下りて行った。
そこへ、千勝付の侍女苔野が、困った顔をして御前の前に進み、申し上げた。
「畏(おそ)れながら、これより学問の時刻と相成りまする。」
母御前は苦笑して答える。
「殿が間も無く御帰還なされる。今日は仕方が有りますまい。」
「はい。」
苔野は承ると、再び千勝の元へと戻って行った。
母御前は、御所の西方に聳(そび)える磐城の神体山、湯ノ岳を見遣(みや)った。そして手を合わせ、今後の磐城の安寧を願った。
やがて住吉大手門に、常陸介政道の軍勢が凱旋して来た。城門には重臣達が主君を迎えるべく待機して居り、政道は堂々と入城を果した。その後、政道は共に帰国した鵜沼昌直、木戸時国を伴い、館に詰める重臣達を率いて、本丸政庁へ入った。
上座に腰を据えた政道は、先ず留守を預かった重臣達に、犒(ねぎら)いの言葉でも掛けて遣(や)ろうと思って居たが、ふと広間を見渡すと、顔触れと席次が、大きく変わって居る事に気が付いた。政道は訝(いぶか)しむ顔をして、正面に平伏する村岡重頼に尋ねる。
「重頼、三大老の内、盛国の姿が見当らぬが、如何(いかが)致した?」
重頼は、ゆっくりと顔を上げて答える。
「盛国殿は、管轄の白河郡内にて、豪族が所領を巡る諍(いさか)いを始めた為、仲裁に向かい申した。」
「しかしその諍(いさか)いは、盛国と浅川の間に生じたる物と聞く。盛国が片方の当事者である以上、仲裁を行うは無理であろう。」
「はっ。しかし浅川は、元々盛国殿の傘下に在った者。盛国殿が自力で解決出来ぬ様では、高野家は白河郡東部の豪族より、その威厳を一気に失墜し兼ねませぬ。やはり盛国殿自身が処理に当たられた方が、当人の為でもありましょう。」
重頼は淡々と答える。しかし政道は、浅川の背後で糸を引いて居るのは、重頼自身である事を知って居た。
高野盛国は、己(おの)が所領の危機なれば、急ぎ帰還したのであろう。しかし、盛国が自力で穏便に事を処するのは、困難である。住吉の大物の内、村岡重頼を調停に向かわせれば、怖らくは浅川有利に処理してしまうであろう。かと言って大村信澄を送れば、住吉は大老に因(よ)る合議制が崩壊し、重頼の力が益々(ますます)強まる事が懸念された。
帰国の挨拶を終えた後、政道は已(や)むなく、留守中に滝尻城主の座を追われて居た、橘清輔を召し出して、白河郡へ調停に遣(つか)わした。しかし清輔も既(すで)に、村岡一派に抗する気概を失って居り、調停は浅川有利の物と成ってしまった。多くの村を浅川に奪われた盛国は、その後磐城へは戻らず、浅川に対する防備を固め始めた。
これまで住吉御所は、強大な力を持つ村岡重頼に対し、高野盛国と大村信澄が手を組む事で、両陣営の拮抗が保たれて居た。しかし、盛国が所領の統治に専心せざるを得なく成った今、残された信澄が単独で村岡に対抗する事は、最早無謀とも言える事であった。
今一つ、政道を悩ませる要因は、滝尻の事である。村岡重頼が独断で、滝尻御所の主に返り咲かせた滝尻政之は、政道の母方の叔父に当り、一門衆に名を連ねる者である。かつて滝尻周辺で暴政を続けた為、結局は先代政氏の逆鱗(げきりん)に触れ、滝尻御所内に幽閉の刑に処された。その後政氏は筑前に流され、後を継いだ政道は、この件に手を付けずに居た。仍(よっ)て政之から見れば、政道に因(よ)り長きに渡り、不遇(ふぐう)の生活を送って居た所、村岡重頼に助け出された形と成る。
(恨んで居ろうな。)
政道は当初、旧友でもある政之が、幽閉から解かれた事に安堵を覚えたが、己に向けられる感情を想像すると、身震いがした。政道は叔父政之に会う勇気を持てず、政之を住吉に召す事は無かった。
朝餉(あさげ)と夕餉(ゆうげ)の時、政道は対屋(たいのや)へ渡り、妻子と共に食事を取った。万珠と千勝は、親子が揃(そろ)って膳を囲める事を、一入(ひとしお)喜んだ。しかし一方で、住吉帰城以来窶(やつ)れて行く父の姿に、不安も覚えて居た。
やがて、雨期が終りを告げる、最後の雷雨が磐城地方を襲った。雨は大甕(おおがめ)を引っ繰り返したかの如き激しさで、雷は次第に住吉へ近付いて来る。時折、けたたましい音を立て、落雷が起きた。玉川は見る見る増水し、御所の者は大勢、蓑笠(みのがさ)を纏(まと)って、見回りに出て居る様である。
斯(か)かる中、千勝は苔野に漢字を習い、「論語」を読んで居た。苔野は教え方が巧(たく)みで、千勝は学問に飽(あ)きる事は無かったが、この日ばかりは雷の轟音に、閉口して居た。
ふと政庁の方から、荒げた叫び声が聞こえて来た。又水害が発生したのかと、千勝は心を痛めた。
その頃、政庁に待機する政道の元に、驚愕(きょうがく)の報せが入って来た。堤(つつみ)の様子を見に行った大村信澄が、闇夜の中、農民に扮(ふん)した賊に襲われ、左肩を斬られたという。幸い、信澄は直ぐ様抜刀して応戦し、配下の兵も応援に駆け付けた為、軽傷で済んだとの事である。しかし、賊を討ち取る事が能(あた)わず、下手人を暴(あば)き出す事は困難であった。
この報を受けた時、政道の脳裏(のうり)に最初に過(よぎ)ったのは、村岡重頼であった。信澄が事故死すれば、磐城の政(まつりごと)は粗(ほぼ)、重頼の掌中に収まるからである。政道は供を連れ、直ちに城下に在る信澄の屋敷へ、見舞に向かった。
政道を迎えた信澄の姿は、平素と違わぬ様子であった。恭(うやうや)しく、主君を屋敷内へ案内する信澄の様子を見ると、一見大事には至って居ないが、左腕は当分上げられぬ様に見受けられる。此度は難を逃れ得た物の、次に襲われた時には、怖らく防ぐ事は困難であろう。政道は信澄の、何気無く垂らして居る左腕を見る度、その心を痛めずには居られなかった。
軈て客間に通された政道は、信澄と正対して上座に腰を下ろし、供の者は信澄の後方に控えた。
直ぐに信澄の内儀が姿を現し、政道に茶を差し出す。内儀が座礼を執って退室した後、政道は碗を手に取り、茶を啜(すす)った。
「美味(うま)いのう、これは。」
政道は至極(しごく)素直に、感想が口に出た。信澄は微笑を湛(たた)えて申し上げる。
「此(こ)は先日、唐土(もろこし)より取り寄せたる銘茶にござりまする。殿に献上仕(つかまつ)らんと思って居た矢先、殿が御越し下された故、御出し致し申した。」
「うむ。初めて味わう風味じゃが、実に円(まろ)やかじゃ。其方(そなた)は既(すで)に、唐土(もろこし)の商人に渡りを付けて居るのか?」
「いえ、此(こ)は筑前国博多津の商人を通じて、買った物にござりまする。未だ未だ大陸に関わる多くの情報を仕入れ、他の商人とも誼(よしみ)を深めませぬと、大陸との交易を成功させる事は叶(かな)いませぬ。」
「ほう。して、大陸の情勢は今、如何様(いかよう)に成って居る?」
「はっ。唐土(もろこし)では天徳四年(960)、周に代わって趙匡胤が大宋帝国を興して以来、早半世紀余。今は三代皇帝趙恒の代と成り、安定した国家を築きつつ在る様子にござりまする。」
「ほう。大唐帝国滅亡後、梁、唐、晋、漢、周と度々王朝が変わって来たが、漸(ようや)く宋に纏(まと)まるか。」
「又、朝鮮半島にござりまするが、新羅(しらぎ)、後百済(ごくだら)を滅ぼした北方の高麗(こうらい)王王建が、承平六年(936)に半島を統一して以来、既(すで)に王位は八代に渡り、今は王詢(おうじゅん)が治めてござりまする。」
「ふむ。朝鮮も安泰なれば、唐土(もろこし)と倭(やまと)を繋(つな)ぐ陸、海路は、共に発展するであろうな。」
「畏(おそ)れながら、宋、高麗両国を脅(おびや)かす勢力が、既(すで)に朝鮮北方に現れて居りまする。」
俄(にわか)に、政道の顔が険しく成った。唐土(もろこし)の漢民族が高い水準の文明を築き、大陸に帝国を築いて千二百年余。八百年前に晋朝が中原を異民族に征服され、以来二百五十年後に隋の文帝楊堅が現れるまで、統一王朝が現れなかった時代が有った事は聞いて居た。しかし現在、三代に渡り大陸を統治して居る大帝国を、脅(おびや)かす国が存在する等、俄(にわか)には信じられなかった。
「其(そ)は何処(いずこ)の国ぞ?」
「はっ。延喜十六年(916)に耶律阿保機(やりつあぼき)が纏(まと)めた契丹(きったん)族が勢力を拡大させ、天暦元(947)年に遼国と号し、建てられた国でござりまする。今は六代耶律文珠奴が即位して居るとか。遼は正暦四年(993)、高麗に八十万の大軍を差し向けた事も有った由(よし)。高麗は北方に長城を築き、遼の侵攻に戦々恐々として居るとの事にござりまする。」
「八十万か。信じ難い数じゃ。それでは大宋国と雖(いえど)も、安泰ではないのう。」
「はっ。それ故当家は頓(ひたすら)情報を集め、交易の方針を定めて居る最中にござりまする。只、北方の安倍氏は既(すで)に大陸との交易に着手し、巨万の富を得て居るとも聞きますれば、些(いささ)か気持は焦(あせ)りまする。」
「安倍氏の領内では、莫大(ばくだい)な金を産出すると聞く。それに遅れを取るは、致し方有るまい。」
そう言うと、政道は飲み終えた茶碗を、膝元に置いた。
この時、政道の心は激しく憤慨して居た。大村信澄は磐城平家大老として、政道が常陸に赴任して居る間も、領内の治水対策に追われながら尚、磐城の更なる発展の為、新たな交易路を開くべく、大陸の情勢をも調べて居た。それに比べ、村岡重頼は陸奥守の一族である事を楯に野心を起し、又高野盛国は、己(おの)が所領を守る事にのみ必死に成って居る。政道の心の中では、重頼も盛国も大老職より罷免(ひめん)し、信澄を執政の座に据えて遣(や)りたかった。
しかし政道も、それが現実的でない事は、よくよく承知して居た。そして断腸の思いで、信澄に話を切り出した。
「実は其方(そなた)を、大老職より罷免(ひめん)致そうと思う。」
急な話に、信澄は狼狽(ろうばい)の色を隠せなかった。
「殿、某(それがし)は。」
政道は信澄の言を制し、己の存念を述べる。
「其方(そなた)が当家の為、今まで成して来た功績は、家中随一の物と存じて居る。又、交易網を拡張する為に、筑前博多津へ人を遣(つか)わせた事は、当国安楽寺におわされる、我が父の安否を気遣(きづか)っての事であろう。儂(わし)は其方(そなた)こそが、家中一の忠臣と思うが故に、其方には生きて居て貰(もら)いたいのじゃ。」
「されど殿、是式(これしき)の傷、某(それがし)には如何(どう)という程の物ではござりませぬ。直(じき)に癒(い)え申そう。」
信澄は己の左腕をぴしゃりと叩き、快活に笑って見せた。しかし、政道は尚も、沈痛な顔をしたままである。
「不埒(ふらち)者は、間を置かずに第二、第三の刺客を送って来るやも知れぬ。今其方(そなた)に万一の事有らば、磐城の家は近い内に、衰亡の危機に瀕(ひん)するであろう。頼む、この通りじゃ。」
政道は信澄の右手を確と掴(つか)み、頭を下げた。信澄は主君のその様を見て、慌てて答える。
「殿、御止め下され。」
その時、政道は信澄にだけ聞こえる様、小声で囁(ささや)いた。
「下手人は、村岡じゃ。」
信澄は、その言葉にはっとした。確かに、己が闇討に遭(あ)い斃(たお)れれば、最も都合が良いのは政敵村岡重頼であり、その後村岡家の、更(さら)なる暴走が懸念される。漸(ようや)く政道の胸中を察した信澄は、恭(うやうや)しく主君に平伏した。
「殿の御心遣い、有難く頂戴致しまする。」
政道は漸(ようよ)う信澄を納得させる事が叶(かな)い、安堵の表情を浮かべた。
やがて話を終えた政道は、御所へ戻るべく、信澄の屋敷を辞す事にした。供を纏(まと)めて帰城する政道を、信澄は自邸の門前まで、見送りに出た。
門を潜(くぐ)った政道は、その場に立ち止まって信澄の方へ振り返り、微笑を湛(たた)えて告げる。
「其方(そなた)に政(まつりごと)より外れて貰(もら)う事、明日の評定で正式に決すると思うが、其方を徒(ただ)遊ばせて置くには、惜しいのう。」
そう言い残すと、政道は再び信澄に背を向け、すたすたと歩いて行った。信澄は明日、大老解任の他にも何かが有ると見て、粛然としながら、遠ざかる主君の後ろ姿を見詰めて居た。
翌日は一転、快晴に成ると共に南の暖気が北上し、蒸し暑く成った。雨季が終り、夏季が到来したのである。倭(やまと)の中では比較的涼しい磐城の地においても、人々は急な暑さに閉口する。
巳(み)の刻、住吉御所本丸政庁において評定が有り、住吉の重臣達は挙(こぞ)って登城に及んだ。諸臣が居並ぶ中、政道が上座に座ると、先ず政道より、議題が提起された。
「本日、皆と第一に評議致したき事は、住吉の政(まつりごと)の仕組みに就(つ)いてである。」
意外な展開に、広間に響動(どよ)めきが起こったが、直ぐにそれは、最前列に座す村岡重頼の一喝に因(よ)り、掻(か)き消された。そして重頼は、静かに言上する。
「殿、続きを。」
政道は頷(うなず)き、昨日決意した旨を語り始めた。
「先代政氏公が磐城の政(まつりごと)を儂(わし)に預けられた時、政氏公は儂の補佐役として三大老の職を設けられ、爾来(じらい)今日に至って居る。しかるに高野盛国は己(おの)が所領を守る事に汲々(きゅうきゅう)とし、又大村信澄は負傷致し、暫(しば)しはその任に堪(た)える事能(あた)わず。仍(よっ)てこの両名を解任したいと思うが、如何(どう)か?」
暫(しば)し、広間は沈黙した。誰もが、迂闊(うかつ)に声を立てられずに居る。やがて村岡重頼が、遂(つい)にその静寂を破った。
「畏(おそ)れながら御尋ね致しまする。御両名を解任なされた後、誰を後任と思(おぼ)し召しにござりましょうや?」
「うむ。儂(わし)もよくよく考えては見たのだが、磐城四家は地方の固めより動かせぬし、他に良き人物の推薦が無ければ、いっその事、大老職を廃止しようかとも思う。」
広間に詰める重臣達は、それを受けて黙考し始める者、周りと相談し始める者と、様々であった。
暫(しばら)くして、鵜沼昌直が政道に申し上げた。
「畏(おそ)れながら、殿に御尋ね致したき儀がござりまする。」
「何か?」
「殿は三大老の廃止後、如何(いか)なる仕組みを御考えにござりましょうや?」
諸臣の視線が、一斉に政道へ注がれる。政道は顎(あご)を掻(か)きながら少々思考した後、口を開いた。
「抑々(そもそも)、三大老制と申すは、先代政氏公が磐城を留守にされる折、若輩であった城代の儂(わし)を補佐するべく、設けられし物である。しかし、今や儂も四十じゃ。かつて政氏公が磐城におわされた頃と同様に、儂が磐城郡司として、直(じか)に政(まつりごと)を執ろうかと思う。」
そして一度息を吐(つ)き、正面に座す村岡重頼を見据えながら、話を接ぐ。
「されども、儂(わし)は現今常陸介の大命を帯びたる身。仍(よっ)て一先ず家中の重鎮でもあり、我が義兄でもある執政村岡重頼に、政(まつりごと)を預ける事と致す。儂(わし)は常陸介の任を終えた後、磐城の政(まつりごと)を掌管する。」
これを聞き、村岡派の臣は挙(こぞ)って賛同の意を示した。一方、反村岡派の者は、皆無念の表情を浮かべて居る。大勢を占める村岡派が政道の意見を支持し、村岡重頼は代行と雖(いえど)も、磐城平家惣領の権を手に入れた。政道は重頼の顔に不敵な笑みを見、俄(にわか)に不安感が募(つの)るのを覚えた。
政道は引き続き、話を続ける。
「残る二大老の処遇だが、高野盛国の失脚は、当人の責任が認められる故、代りの役職に宛(あ)てる事は特にせぬ。しかし大村信澄は、長年の功績も然(さ)る事ながら、此度の事には同情の余地もある。その才を惜しむ故、我が嫡子千勝の守役(もりやく)を命ずる。倅(せがれ)も早十歳に成る。今の内から、将来磐城平家当主たるに相応(ふさわ)しい教育を、施して置きたい故な。」
突然の話に、信澄は困惑の色を隠せなかった。動揺を抑えながら、信澄は政道の意図を探って居た。
守役といえば、次期主君の教育を任される訳であるから、真(まこと)に名誉な役目である。されど、現今の政(まつりごと)においては、特に何の権限も持たない。故に政道は、信澄を政(まつりごと)より一時離し、その身を護る一方で、後継ぎである千勝に近付け、後々信澄を軸とした体制に移行させる積りなのであろう。
信澄は平伏し、政道に恭(うやうや)しく言上する。
「過分の御言葉を賜(たまわ)り、恐縮に存じ奉(たてまつ)りまする。されど某(それがし)は、当分は左手が使えぬ身にて、武術や馬術を教え様にも、差障(さしさわ)りがござりまする。故に若君の御教育という大任は、到底今の某(それがし)に務まる物に非(あら)ざれば、謹んで御辞退申し上げる次第にござりまする。」
信澄は、住吉に在って村岡の監視下に置かれるよりも、寧(むし)ろ野に下って、磐城四家との連繋を密にした方が、主家の為に成ると判断したのであった。
しかし、政道の表情は暗かった。信澄の意図を察する事が出来ず、よもや見捨てられたのでは、という絶望感が生じて居たのである。政道は信澄の役を解き、所領へ帰る事を許可した。
評定を終えた政道は、ふらつく足取りで自室へ戻った。政道が常陸に居る間、信澄には反村岡派の精神的支柱と、住吉の監視という任を担(にな)って貰(もら)う積りであった。しかしそれが崩れた今、政道には村岡を抑えるに足る人物が見当たらない。斯様(かよう)な事態を予測し得なかった政道の胸中は、暗澹(あんたん)たる物であった。
*
その後、政道は自室に籠(こも)る事が多く成った。最も信頼を置いて居た大村信澄が去った事で、今後誰を頼りにすべきか、分からなく成ったのである。
家臣の鵜沼昌直と木戸時国は、斯(か)かる事態を大いに懸念して居た。任国常陸の政(まつりごと)が、疎(おろそ)かに成ってしまう事も然(さ)る事ながら、磐城平家の実験を悉(ことごと)く、村岡重頼に奪われる事を案じたのである。責めて、領内に大きな勢力を持つ、磐城四家との繋(つな)がりを深めるべく、領内巡察を兼ねて、四将に会いに行く事を、二人は具申した。しかし政道は精気無く応ずるのみで、中々腰を上げる気配は見られなかった。
政道は度々対屋(たいのや)を訪れ、母や妻と話をしたり、子の遊び相手を務める時が多く成った。千勝は、連日父と顔を合わせる事が出来るのを喜ぶ一方、以前と比べ、父の顔から覇気が失われて居る様に感じた。優しい父も嫌いではなかったが、かつて見た、家臣一同を統御する威厳が失われて居る事に、一抹(いちまつ)の寂しさも感じて居た。
重頼派が対抗勢力を次々と失脚させ始めた頃、政道に面会を求める者が有った。滝尻城主政之である。滝尻政之は政道の叔父に当たり、血縁で言えば、磐城平家一門衆の筆頭に居ても、おかしくない人物である。長い幽閉生活を強(し)いられて居たが、政道が常陸国府に赴任中、村岡重頼の独断で復権が叶(かな)った。普通に考えれば、恩の有る村岡の一派であり、逆に政道に対しては、久しく罰を与えられ続けて来た、憎悪を抱くべき相手である。
政道は、政之と対面する事が恐かった。若き頃は悪友として、良く遊んだ仲である。その懐かしき良き思い出が、政之と再会した時に壊れる事を恐れて居た。
されど、政之の方から態々(わざわざ)会いに来てくれて居る。重頼と会談した序(つい)でかも知れないが、ここで無下に面会を拒(こば)めば、両者の間の溝は、一生埋める事が出来ない様に思えた。政道は取次の者に対し、政之を通す様に伝えた。
程無く、政之が政道の前に姿を現した。そして、政道の前へ進み出て、座礼を執る。十余年振りに見える叔父は、大分頭に白い物が混じっては居たが、ふっくらとした体形で、血色も良い。その様を見て、政道は安堵の息を漏らした。
「叔父上、御久しゅうござる。久しき間、父が下した罪を許す事が能(あた)わず、申し訳無き仕儀と存じまする。」
ゆっくりと頭を上げた政之は、邪気の無い笑顔を向けて答える。
「何を仰(おお)せられる。某(それがし)を陥(おとしい)れんとする一派を斥(しりぞ)け、漸(ようや)く滝尻城主に復帰が叶(かな)ったは、殿と村岡殿の御蔭と聞き及んで居りまする。その事には、深く御礼(おんれい)申し上げまする。」
政之に己を憎む気持が無いと感じた政道は、漸(ようや)く肩の力を抜く事が出来た。
「某(それがし)、叔父上の斯様(かよう)に元気な姿を見て、安堵致し申した。」
「ああ、前(さきの)城主清輔が、殊(こと)の他鄭重に扱ってくれてのう。城外には出られぬ物の、所望する事は粗方(あらかた)聞き届けてくれた故、何不自由の無き日々でござった。それ故、下手に城主等を務めて居る時よりも、気ままに過ごす事が出来申した。清輔からは、政道殿の御配慮と聞き及んで居り申す。重ねて御礼申し上げまする。」
政道は橘清輔に、斯(か)かる下知を下した覚えは無かった。怖らくは、清輔が後々の事を考え、政之が恨みを抱かぬ様、気を利かせてくれて居たのであろう。
政道は、今まで政之に対し抱いて居た心の壁が、次第に崩れて行くのを感じた。旧友であり一族でもある政之との話は、政道の疲れた心を和(なご)ませた。
話題を三つ四つ経た後、政之は政道の顔をふと見詰めた。
「そう言えば、政道殿の頬(ほお)は大分痩(こ)けて居りまするのう。政道殿は磐城平家に取って大事な御身(おんみ)なれば、御自愛なされよ。」
「とは申しても、磐城、常陸と、気苦労が多くてのう。」
政之から受けた言葉を、政道は素直に、嬉しく感じた。政之は少し考えた後、一つの提案をした。
「成程(なるほど)、常陸介程の大身とも成れば、気苦労も並大抵ではござりますまい。しかし、このまま根(こん)を詰めて政(まつりごと)に没頭し続ければ、何(いず)れは政道殿の御身体を害する原(もと)と成りましょう。何事も身体が健(すこ)やかであってこそ、成し得るのでござる。そこで、滝尻へ巡察に参りませぬか?」
「叔父上の、所領の検分にござるか?」
「其(そ)は立前。政道殿には、長年に渡る政務の疲れを癒(いや)して戴きたく存じ、滝尻の館に暫(しば)し逗留(とうりゅう)なされる事を御勧め致す。彼所(あそこ)なれば住吉と異なり、政(まつりごと)から離れて緩(ゆる)りと過ごせまする。」
此度の、大村解任の件で疲れ果てて居た政道に取って、この叔父からの申し出は、旱魃(かんばつ)後の降雨の如く、心に沁(し)みて有り難き物に感じられた。政道は縋(すが)る様に、政之の勧めに応じた。
翌日、政道は住吉兵十騎ばかりを伴い、南西一里程の処に在る、滝尻御所へと入った。滝尻は、先代平政氏が磐城を賜(たまわ)った折、最初に府を置いた、由緒の有る土地である。南方の堀の役目を成す釜戸川は、船の接岸と、積荷の揚げ卸しが容易と成る様、良く整備されて居た。滝尻は住吉と同様、大規模な水上輸送が可能であり、多くの交易船が出入りをして居る。故に滝尻には富が集まり、その財力は磐城郡政に多大な影響を及ぼす程であった。
前(さきの)滝尻城主橘清輔は、この財を以(もっ)て滝尻を始め、御巡検道沿線の村の発展の為に費やし、滝尻を住吉に劣らぬ邑(ゆう)と成した。しかし復権した政之は、この財力を再び、己の為に用い始めた。されど、清輔が貯(たくわ)えた銭は莫大(ばくだい)な額であり、滝尻の財政は当面、安泰であると思われて居る。
滝尻御所へ到着した政道の元へ、程無く政之が迎えに姿を現した。その後方から、前(さきの)城主橘清輔も随行して来る。清輔は滝尻城代を長く務めた功績に因(よ)り、今では滝尻家執事の地位に在った。
政之は政道の前へ歩み寄ると、満面の笑みを湛(たた)えて告げる。
「これは、よくぞ御越し下された。先ずは上がられ、御休み下され。」
「はい。そうさせて貰(もら)いまする。」
政之は館の者に対し、馬を厩(うまや)へ繋(つな)ぎ、政道の佩刀(はいとう)を預かる様に命じた。又清輔には、政道従者の応対と巡察の手配を命じ、別間へと案内させた。そして、政道は政之の案内を得て、城内奥の広間へと通って行った。
政道の滝尻逗留は長引き、一ヶ月を過ぎても未だ戻らなかった。一応住吉の者には、滝尻領の視察と報せて置いた為、特にそれを不審に思う者は居なかった。滝尻領内には、御巡検道の他、御斎所(ごさいしょ)街道へ延びる道も走り、沿線には数多(あまた)の村が存在する。更(さら)には釜戸川の水上交易、南方鳥見野原の製鉄業、窯業(ようぎょう)等、全てを見て回れば、一月位は優(ゆう)に要する故である。
後で報告書を提出出来る様、従者は清輔に付いて回り、滝尻周辺を日々巡って居た。しかし、政道自身は政之と共に滝尻御所へ留まり、連日遊び続けて居たのである。政道は浮世(うきよ)の苦労を忘れ、何時(いつ)しか永久に、今の時を過ごして居たいと思う様に成って居た。
*
その頃、住吉御所対屋(たいのや)にて、侍女苔野の元に一通の文が届けられて居た。差出し人は、元大老の大村信澄である。それに依れば、若君千勝には、そろそろ武家の棟梁として不可欠である、武術、馬術の鍛錬を始めるべき時期に至って居ると、書かれて在る。しかし一方で、村岡重頼の息が掛かった者を師と致さば、必ずや後年、磐城平家の威光に翳(かげ)りが出る事も忠告して居た。そこで差し当り、住吉城内において待ち惚(ぼう)けを食わされて居る、鵜沼昌直と木戸時国を推挙する旨が書かれて在った。両将は、常陸介の任務を扶(たす)ける使命を帯びて居り、磐城に一時帰国して居る間、何の役目も無く、待機を強いられて居る。信澄の助言に得心した苔野は、直ぐ様その文を携えて、信夫御前の元へと向かった。
苔野は御前の間を訪れ、信澄の文を御前に差し出した。やがてそれを読み終えた御前は、嘆息(たんそく)を漏らした。
「大村殿の如き忠臣に去られ、殿も嘸(さぞ)や御嘆(なげ)きの事でありましょう。」
そう呟(つぶや)いた後、御前は苔野に目を移し、指示を与えた。
「妾(わらわ)も大村殿の意見に賛成です。苔野、これより両名の元へ赴き、千勝の教育を頼んで来なさい。」
「承知致しました。」
御前に一礼した後、苔野は静かに立ち上がり、本丸を去って行った。そして二将が詰める東の小館(こだて)の丘へと、渡って行ったのである。
小館の一室では、鵜沼昌直が腕組みし、隣に座す木戸時国相手にぼやいて居た。
「殿は一体、何時(いつ)御戻りになられるのか。御領内を重視されるのも結構だが、今は折角(せっかく)常陸介と成られた好機。任期内に責めて多珂郡、出来得れば久慈郡辺りまで勢力を伸ばせれば、本領菊多は盤石の地と成るというに。」
時国も頷(うなず)いて応ずる。
「確かに。しかし、もしこのまま国府を空(から)とする期間が長引けば、当然殿の常陸における影響力は低下し、延(ひ)いては再び、維幹(これもと)殿と忠常殿の境界が、不穏と成り兼ねぬ。」
「うむ。さすれば朝廷からの覚えはめでたからず。そう成らぬ事を祈るのみじゃ。」
二人は常陸国府の役に就(つ)いて居る為、磐城郡の職を兼帯する訳にも行かず、住吉に在って無為の日々を過ごし、連日愚痴(ぐち)を零(こぼ)す他は無かった。
突然、二人の耳に女性の声が入って来た。
「失礼致しまする。」
そう言って苔野は、廊下で座礼を執る。
「何用かな?」
時国が尋ねると、苔野は頭を上げ、口を開いた。
「私は若君付きの侍女で、苔野と申しまする。実は御二方に御願の儀が有り、罷(まか)り越しました。」
「ほう、何でござろう?」
暇(ひま)を持て余して居た昌直の目は、俄(にわか)に輝き始めた。
苔野は、粛然と語り始める。
「実は、御館様は若君にそろそろ、弓馬の稽古を始められる事を望んでおわしまする。そして其の任を、大村様に望まれておわされたのですが、折悪く大村様が負傷なされ、酷(ひど)く御心を痛めて御出ででした。」
昌直は頷(うなず)いて述べる。
「確かに。あれを機に、殿が重き心労を負われし事、我等も薄々勘付いては居った。」
「はい。その後、御館様の口より、若君の守役に関る言葉は無く成り、御方様は若君の事を、甚(はなは)だ案じておわしまする。そして御方様は、常陸に戻るまでの間だけでも、御二方に若君の教育を頼めぬ物かと、仰(おお)せにござりました。」
この時、二人は初めて、苔野が信夫御前より遣(つか)わされた使者である事を悟った。そして、慌てて姿勢を正して礼を執り、時国が申し上げる。
「御方様の御心中、御察し申し上げまする。我等は非才の身なれど、全力を以(もっ)て御方様の御意に沿うべく、努めとうござりまする。」
そして、両将は苔野に頭を下げた。
苔野は安堵し、微笑(ほほえ)んで告げる。
「御二方の忠節、嬉しく思いまする。只、私よりもう一つ、御願いがござりまする。」
「はて、何でござろう?」
昌直が尋ねた。
「この儀、私が個人的に御二方に依頼した事にして貰(もら)いたいのです。御気付きかも知れませぬが、御家中は大村様の失脚後、村岡様の影響力が一段と強まって居り、要職は悉(ことごと)く、村岡様の一派に占められてしまいました。今後、若君の守役にも介入して来るやも知れませぬ。その時、御方様と村岡家が衝突する事の無い様に、致したいのです。」
それを聞いた時国は、呆然(ぼうぜん)とした顔で返した。
「貴女(あなた)は見上げた御方じゃ。その勇気、甚(いた)く感服仕(つかまつ)った。」
そして、隣で意気込んだ顔をして居る昌直が、言葉を接ぐ。
「我等は、村岡殿の今の勢いに乗ずる者でも、怯(ひる)む者でもござらぬ。磐城武士として、先君政氏様以来蒙(こうむ)りし御恩に報いんが為、政道様に忠義を尽さんと志す者にござる。仍(よっ)て御懸念は無用。持てるだけの力を尽し、若君に弓馬の道を御教え仕(つかまつ)る。」
昌直の言に、時国も深く頷(うなず)いた。
両将の覚悟を聞いた苔野は、粛々たる口調で告げる。
「流石(さすが)は大村様の推挙なされた人物。真の忠臣と感じ入りました。これより、若君を対屋(たいのや)の外へ御連れ致しまする故、御二方には大館まで、御越し願いたく存じまする。」
「承知致し申した。」
二将と苔野は、互いに座礼を執る。そして、一足先に苔野は、対屋(たいのや)へと戻って行った。
その後を追い掛ける様に、昌直と時国は本丸へと向かった。二人の顔は、先程まで腐って居たのが嘘(うそ)の様に、実に晴れ晴れとして居た。
*
この時対屋(たいのや)では、千勝が姉の万珠と共に、漸(ようや)く母の躾(しつけ)より解放されて伸びをしながら、これから何をして遊ぶか考えて居る所であった。
千勝は、母より貴人と接する時の作法を学び、侍女苔野からは論語、史学等の学問を学んで居た。習い事の時間は、子供の千勝に取っては苦痛の時であった。されども母や苔野からは、己へ向けられし愛情も感じられる故、渋々ながら、怠(なま)けずに学び続けて居たのである。そして習い事の後に、姉万珠が遊び相手と成ってくれる事で、千勝は憂(う)さを晴らす事が出来た。
しかしこの日、鞠(まり)を抱えて庭に下りた千勝の前に待って居たのは、静かに膝を突いて居る苔野であった。普段と様子が異なるので、千勝は恐る恐る歩み寄った。
「苔野も鞠(まり)で遊ばぬか?」
苔野は、差し出された鞠を黙って受け取った。そして立ち上がると、千勝を追って庭へ出て来た万珠の、隣に立つ小笹に、それを手渡した。
そして苔野は、再び千勝の前へ進み出て告げる。
「若君、これより城下へ御出で下さりませ。」
「えっ、外に出られるのか?」
「はい。」
驚く千勝に対し、苔野は微笑を湛(たた)えて返した。苔野の笑顔には微(かす)かな翳(かげ)りが含まれて居たが、外に出られる喜びに覆(おお)われた千勝の心は、それに気付かなかった。苔野は千勝を連れ、対屋(たいのや)の渡り廊下を進んで行った。
やがて、北の方と政庁の境と成る一室に、千勝は苔野に付いて、入って行った。そこには、二人の武士が控えて居た。鵜沼昌直と木戸時国である。二人は千勝の姿を認めると、深々と頭を下げた。
呆然(ぼうぜん)とする千勝の隣で、苔野が膝を突き、千勝に申し上げる。
「住吉直参の臣、鵜沼次郎昌直殿と、楢葉郷江藤玄貞様の臣、木戸三郎時国殿にござりまする。御二方は、御殿様と共に常陸の国政に当たられる身なれば、何(いず)れは御殿様と共に、常陸へ戻らねば成りませぬ。しかしそれまでの間、若君が立派な磐城平家の跡継ぎと成られる様、武術を指南して下されまする。」
千勝は、初対面の二人から新しき事を習う事に、些(いささ)かの不安を覚えた。しかし、城外に出られる事と、新たな物に触れられるという好奇心が勝り、二人の武術指導を受ける事に同意した。只、普段は側に付いて居てくれる苔野が離れて行くと、次第に心細さが募(つの)って行った。
馬場は、山城の麓(ふもと)のなだらかな処に在ったが、城壁の内であり、即(すなわ)ち城内に設けられし物であった。千勝は城外に出られぬ事を多少は残念に思ったが、ここも初めて見る所であるので、興味津津(しんしん)の顔をして居る。
先ず時国が、己と昌直の愛馬を曳(ひ)いて来た。そして昌直に手綱を託した後、鞍(くら)や鐙(あぶみ)等は付けてあったので、ひらりと馬に飛び乗った。
「若君、先ずは馬術を御教え致しまする故、某(それがし)の動きをよく見て置いて下され。」
そう言うと時国は、然(さ)りげ無しに馬を歩ませ始めた。それを眺めて居る千勝の脇で、昌直が声を掛ける。
「若君、武士の棟梁たる者は、少なくとも馬を自在に操れねば成りませぬ。先ずは時国殿が成す如く、馬をゆっくりと進める所から始めましょうぞ。」
千勝は頷(うなず)くと、昌直の馬に近寄った。己より倍も背丈が有る様な馬を前に、千勝は幾分後込(しりご)みしたが、昌直から手綱を受け取ると、やがて意を決して、鐙(あぶみ)に足を掛け様と試みる。だが、身の丈(たけ)が低い為、中々足が届かない。加えて、馬が千勝を警戒する素振りを見せるので、更(さら)に困難と成った。
千勝は先ず、昌直の馬に気を許して貰(もら)う所から、始めねば成らなかった。昌直の愛馬は気性が大人しく、千勝が撫(な)でてやり、餌(えさ)を与えたりして居る内に、直ぐに懐(なつ)いた様子であった。
漸(ようや)く、千勝が乗っても大丈夫であろうと判断した昌直は、千勝を抱き上げて、鐙(あぶみ)に足を掛けられる様に補助した。慣れぬ動作であったが、何とか千勝は鞍(くら)へ攀(よ)じ上る事が出来た。
千勝が騎乗した後、昌直は鐙(あぶみ)の位置を調節し、愈々(いよいよ)駒を進める事と成った。時国が手綱の捌(さば)き方、鐙(あぶみ)の蹴り方等の手本を見せてくれたが、いざ千勝が試みても、馬は中々言う事を聞いてはくれない。
幾度か休息を挟みながら、訓練は続けられた。陽も大分西方へ傾き、苔野に学門を習う時刻と成った。
「若君、今日はこの辺にして、本丸へ戻る事に致しましょう。」
昌直の勧めに、千勝は無念の表情を浮かべた。そして半ば諦めの心が生じ、馬の首筋を撫(な)でながら、優しく囁(ささや)く。
「御主は、少しも私の言う事を聞いてはくれぬのう。私が好きではないのか?」
そして時国に告げる。
「今一度だけ、手本を見せてくれ。それを試みて、本日の訓練は仕舞と致す。」
「はっ。承知仕(つかまつ)り申した。では。」
千勝の頼みを受けて、時国は再び馬を歩ませた。最後の試み故に、観察する千勝の目は、これまでで最も真剣である。時国の手足の動きの他、体の重心移動にまで注意を及ばせた。
やがて時国の手本が終ると、愈々(いよいよ)千勝は、本日最後の訓練を行った。此度は手足の動きの他、重心移動も見様見真似(まね)で試みた。しかし依然、馬は動く様子を見せない。
(これまでか。)
千勝の体の硬直が和(やわ)らいだ刹那、馬はゆっくりと体を揺らし、歩行を始めた。
突然の事であったので、千勝は暫(しば)し呆然(ぼうぜん)としたままであったが、やがて我に返り、事前に習って居た静止の法を施すと、馬は俄(にわか)に歩を止め、再び停止した。
千勝は嬉々とした顔を浮かべ、後方から追い付いて来た昌直に頼む。
「何かを掴(つか)めた様な気がする。本日は日暮まで馬場で訓練を行う故、学問は中止致すと、苔野に伝えて来てはくれぬか?」
昌直は弱り顔と成りながらも、若君が馬術を好きに成ってくれた事を、嬉しく感じて居る様である。そして時国の顔を見上げ、如何(どう)した物か尋ねた。時国は迷った末、昌直に告げる。
「確かに若君が仰(おお)せの通り、骨(こつ)を掴(つか)み掛けて居る所で中断するは、何とも勿体(もったい)無き事じゃ。責任は某(それがし)も連帯する故、貴殿より侍女殿に、報告申し上げてはくれまいか?」
「相解った。」
昌直は確(しか)と頷(うなず)くと、本丸へ報告に向かった。
そして千勝は、馬術の訓練を再開した。しかし馬は、再び言う事を聞かなく成った。千勝は先程成功した時の感覚を思い起し、幾度か馬を撫(な)でて、言う事を聞く様に頼んだ。そして陽が逢隈(阿武隈)の山並に沈み始めた頃に、千勝は漸(ようや)く、乗馬の歩行を習得するに至った。
その日、千勝は満足顔で、本丸へ引き揚げる事が出来た。しかし対屋(たいのや)の入口で、苔野が出迎えに来て居るのを認めた時、ふと千勝は後ろめたさを感じた。馬に乗る事が出来た嬉しさで忘れて居たが、その分、苔野の学問の時間を削(けず)って居た事を、今思い出したのである。
千勝が恐る恐る苔野の元へ歩み寄ると、苔野は座礼を以(もっ)て迎え、そして千勝を見据えて尋ねた。
「若君、本日の首尾は如何(いかが)にござりましたか?」
「うむ。馬に乗って、歩ませる事が出来た。」
「其(そ)は良うござりました。」
苔野は立ち上がり、千勝を対屋(たいのや)まで送りに来た、昌直、時国の両名に一揖(いちゆう)すると、千勝を引き受け、対屋(たいのや)の奥へと戻って行った。
途上、千勝は申し訳無さ気に、苔野に告げた。
「明日からは、きちんと学問を致す。」
苔野は微笑(ほほえ)んで答える。
「私は、若君が武芸に興味を抱かれた事を、嬉しく思って居りまする。そして、これからも学問を続けられる御意志を承り、これ又嬉しき事と存じまする。されど、私が最も嬉しく感じたは、本日若君が直向(ひたむ)きに事を成され、身に付けられた物が御有りに成った事です。」
千勝は苔野の笑顔に安堵する一方で、苔野の真意を感じ取った。苔野は「論語」を教授する時も、その文意だけではなく、著者孔丘仲尼の生きた時代背景等も説明し、その文が如何(いか)なる経験を踏まえて成立した物か、解り易く説明してくれる。苔野は、学問を成す事を重視して居たのではなく、真剣に学ぶ意志こそ重要であると考えて居た事に、他の分野に触れる事で、千勝は初めて気が付いた。そして明日から、もう少し真剣に学問に取り組んで見ようかとも、考えて居た。
その後、祖母や母、姉と共に夕餉(ゆうげ)の膳を囲んだ千勝は、興奮気味に馬術の体験談を語った。女性達は皆、馬に跨(またが)った経験が無いので、千勝の話を珍しそうに聞いてくれた。得意に熱弁を振う千勝は、次第に臀部(でんぶ)に痛みを感じ始めて居た。
翌日、千勝は慣れぬ馬術の訓練に因(よ)り、激しい尻の痛みに見舞われた。暫(しば)し千勝は馬術に対して及び腰と成ったが、昌直と時国は他にも、剣術、弓術、柔術等、武士の子として教える事は山程有った。
連日、千勝は体の何処(どこ)かしらかが痛んだ。幾度も挫(くじ)けそうに成った千勝を支えたのは、母の激励と、学問の師苔野の労(いたわ)りであった。そして千勝の体躯(たいく)は、次第に若武者の逞(たくま)しさが窺(うかが)える様に成って行った。剣術も柔術も、未だ未だ昌直や時国には敵(かな)わぬ物の、体力だけなら徐々に迫って居た。弓術も次第に腕を上げ、馬術は幾度も転落の打身を味わいながらも、漸(ようや)く駆ける事が出来始めた。
城内では、次第に武芸の腕を上げる千勝への関心が、高まって居た。そして村岡重頼の重臣達は、住吉の武士が御曹司千勝に期待を掛ける様を、苦々(にがにが)しく見て居た。
体力を付けた千勝は、漸(ようや)く身を入れて、学問に励む余力を得た。やがて「論語」を読み終えた千勝に、苔野は新たな書物を用意した。当初は孟軻子車の「孟子」七編を考えて居たが、住吉御所の書庫にて発見した、五経の一「礼記」(らいき)の内、特に「大学」と「中庸」を選んだ。
苔野はその二冊を渡す折、千勝に告げた。
「これ等は、かつての磐城判官政氏様が読まれた物です。大学を纏(まと)めた曾参子與は孔子の弟子であり、中庸を記した孔伋子思は孔子の孫です。これより後は、孔子の次の世代の学者が纏(まと)め上げた、第二、第三の階梯に入りまする。これ等二書を経て孟子に至る頃には、若君も成人なされ、私の務めも終わりまする。」
その言葉に、千勝は一抹(いちまつ)の寂しさを覚えた。しかし目の前に置かれた書を手に取り、パラパラと捲(めく)って見ると、読み終えるのは当分先に成る事が予想された。そして些(いささ)かの安堵を感じると同時に、その難解さに辟易(へきえき)した。