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第二十八節 陸奥守急逝
やがて奥羽の地にも遅い雨季が訪れ、夏と成った。国府は磐城よりも遥か北方に位置する為、夏を比較的涼しく過ごせた事は、政氏の老体に取って幸いであった。短い北国の夏が終り、秋風が心地好く成って来た頃、磐城より国府へ、政氏宛(あて)の書翰(しょかん)が届けられて来た。
政庁に在って、書類の作成を行って居た政氏は、それを受け取ると、一時作業を中断した。そして自室へ入り、静かに腰を下ろした後、封を解いた。
ゆっくりと目を通して行く政氏の表情に、自然と笑みが零(こぼ)れて来る。書翰(しょかん)には、守山勝秋と大村信澄の軍勢が、遂に逢隈(阿武隈)の山賊を駆逐し終えたと、書かれて在った。その後、信澄は磐城へ兵を引き揚げ、勝秋は守山館に拠(よ)って、所領の開拓に着手し始めたという。これに因(よ)って、逢隈(阿武隈)山地は悉(ことごと)く、磐城家の勢力下に入った。それは即(すなわ)ち、海道と仙道を結ぶ交易路を、豪族の縄張を気にせずに、切り開ける様に成った事を意味する。政氏は住吉を拠点に、白河郡へ通じる鮫川沿いの御斎所(ごさいしょ)街道と、安積郡へ通じる夏井川沿いの磐城街道、両道の整備に力を入れる様、住吉の政道に書翰(しょかん)を認(したた)めた。
秋も深まりを見せると、冬の到来、そして年の瀬が近付いて来るのが、次第に寒風に因(よ)って、肌に感じ始める。それと共に、陸奥守藤原実方の任期満了も迫って居た。実方は左大臣藤原師尹(もろただ)の孫であり、母方の叔母は、藤原摂関家の長者、左大臣藤原道長の正室である。それに従四位上の身分で在りながら、相当官位従五位上の陸奥守に左遷され、更(さら)には最果ての地においてでさえ、地方豪族から己の所業を制され、大身の威厳を示せずに居る自身に歯噛(はが)みし、悔(くや)しい思いをして居た。
政氏は、久しく国庫回復の為に我慢を続けてくれた、国司の鬱憤(うっぷん)を晴らして上げ様と、陸奥介源重之の協力を得、八月十五日の観月の宴(うたげ)、九月九日の重陽の宴を、国府を挙げて催した。特に重陽の宴では、実方と重之が歌会にて、当今第一の歌人の才を示し、諸官吏を驚嘆せしめた。この日実方は、久し振りに心が晴れやかに成ったのか、笑顔が絶えず、掾(じょう)や目(もく)等に酒を振舞って居た。
霜月に入ると、奥羽は既(すで)に、深い雪の中に埋もれる。川の水も凍り付き、山野は一面真っ白と成って居た。天に太陽が輝いて居ようとも、空気は万物を凍(し)みさせる程に冷えて居た。
斯(か)かる日、政氏は政庁で火櫃(ひびつ)を以(もっ)て暖を取りながら、少掾、目等と共に、国政に関する評定を行って居た。陸奥国の定員は、大掾一名、少掾二名、大目一名、少目二名である。計六名が、本年の財政状況の資料を基に、来年の予定を立てて居た。
そこへ突如、国守実方の臣が現れ、政氏に一礼して告げた。
「申し上げまする。実方様が、磐城判官殿を御召(おめし)にござる。」
政氏は、他の官吏達と顔を見合わせた。
「何であろう?ともかく、国府(こう)の殿の御召じゃ。拝謁(はいえつ)して参る。話は先ず、貴殿方で詰めて置いてくれ。」
「承知致し申した。」
少掾の一人が答えると、政氏は黙って頷(うなず)き、案内を得て実方の元へと向かって行った。
国守の間にて、実方は介の源重之と共に、話をして居た。そこへ、実方家臣に通され、政氏が姿を現した。実方はそれを認めると、笑顔を湛(たた)えて手招きをする。
「よくぞ参った。近う。」
実方に勧められるまま、政氏は近間に腰を下ろすと、実方に平伏した。そして頭を上げ、実方に尋ねる。
「如何(いか)なる御用にござりましょうや?」
実方は、右手に持った扇子で頭の後ろを掻(か)き、ちらちらと傍らの重之に目を遣(や)った。やがて扇子を膝(ひざ)の上に下ろし、その端を左手で掴(つか)むと、実方は後ろめたそうに話し始める。
「実を申せば、余の任期は間も無く切れる。所が、陸奥守を拝命した折、帝(みかど)より陸奥の歌枕の地を見て来る様に命を受けながら、最近は何処(いずこ)へも出掛けて居らぬ。勅命を果す為に、在任中にもう一度、国内を見て回りたいのだが。」
実方は政氏に対し、低姿勢で頼んだ。逢隈(阿武隈)川以南の海仙両道一円が、悉(ことごと)く磐城家の傘下に入った事は、国司をも恐れさせた様である。
政氏は穏やかに答える。
「国府(こう)の殿が倹約遊ばされた御蔭にて、国庫は有事の際に備え得る程まで、回復致しました。仍(よっ)てこの後は勅命を果されまする様、御支援致す所存にござりまする。」
実方の表情が、俄(にわか)に明るく成った。
「おお、では国内を巡りに出ても、善(よ)いと申すか?」
「はっ。御望みの地を仰(おお)せ下さりませ。直ちに手配致しまする。」
実方は嬉しそうに頷(うなず)いた。
「うむ。では阿古耶(あこや)の松を見に参りたい。」
つと、政氏の表情が険しく成った。
「彼(か)の地は出羽国にござりますれば、吹雪の峠を越えねば成らぬやも知れませぬ。」
真剣な面持ちと成り、実方は答える。
「承知の上じゃ。しかし彼(か)の地は、予(かね)てより余が、一度は訪れて見たいと思って居た処なのじゃ。此度の機会を逃せば、怖らく二度と見る事は叶(かな)うまい。」
決意の強さを窺(うかが)い知った政氏は、一息吐(つ)いて言上する。
「承知仕(つかまつ)り申した。ではこれより巡行の手配を致しまするが、但(ただ)し御約束願いたき儀がござりまする。」
「何か?」
「某(それがし)の手勢を警固に御付け戴きとうござりまする。その将は久しく国府軍の武官を務めて居りまする故、些(いささ)か陸奥の気候に通じてござりまする。その者が、天候悪化の為に山越えが困難であると申した場合、何卒(なにとぞ)その言に御従い下さりまする様。」
実方は口元を綻(ほころ)ばせて答えた。
「承知した。余も命は惜しいからのう。」
そう言って、実方は傍らの重之と笑い合った。笑いが収まった後、重之は政氏に尋ねる。
「如何(どう)じゃ、政氏殿。最後位は共に旅を楽しみ、和歌の風雅を味わって見ては?」
政氏は礼を執って、辞退を申し上げた。
「有難き御言葉にござりまする。されど陸奥は広大故、某(それがし)の政務は山積致して居りますれば、やはり今は、国府を離れる訳には参りませぬ。」
「然様(さよう)か、其(そ)は残念じゃ。しかし貴殿はその歳で、よく息抜きもせずに体が持つのう。大した者じゃ。」
重之の言葉を受けて一揖(いちゆう)した後、政氏は再び実方に顔を向けて言上する。
「ではこれより、兵部の担当官に手配をしに参りまする故、これにて失礼致しまする。良き旅と成られる事を、御祈り申し上げまする。」
そう告げて座礼を執った後、政氏は国守の間を後にした。
その後、政氏は多賀城内に在る兵部へ足を運び、直参近藤宗昌他、国府軍の主たる将を集めた。そして国守の警固、出羽国村山郡衙(ぐんが)への通知、巡行計画の作成等を命じた。
数日後、巡行の用意は整い、天候も快晴であった。この日の卯(う)の刻、空は未だ漆黒の闇に覆(おお)われて居たが、実方、重之の一隊は、国府を出立して行く。
政氏は城門まで見送りに出た。別れ際(ぎわ)、実方は輿(こし)の簾(すだれ)を上げ、政氏に告げる。
「では、行って参る。留守を頼むぞ。」
「はっ。御無事に御帰り成されまする様。」
実方は頷(うなず)くと、再び簾(すだれ)を下ろして軍を進める。政氏は頭を下げて見送った。
夜明け前は、凍(い)て付く様な寒さである。国司の隊が全て多賀城を出た頃、東の空が漸(ようや)く白み始めた。城の西方を望むと、道が深雪(みゆき)に埋もれて居る為、軍の移動は大層ゆっくりである。
「あれは雪中行軍の訓練に成るのう。」
政氏はそう呟(つぶや)いた後、体を手で摩(さす)りながら、部下と共に城内へと戻って行った。
温かい朝餉(あさげ)を取った後、巳(み)の刻に政氏は政庁に入り、先ず兵部より提出された、国司の旅程を確認した。
目的地は、出羽国村山郡内の阿古耶(あこや)の松である。冬に入った今、採るべき道は当然、主要街道の他は無い。即(すなわ)ち多賀城を出た後、名取から西へ折れ、小野へ至る。ここまでは律令体制下、小路として整備されて来た道である。そして小野より先、蔵王連峰の北に位置する笹谷峠を越え、出羽国最上へと至る道は、中路として整備されて来た。もし天候に恵まれ、峠を越す事が出来たのであれば、峠より三里程西へ下り、馬見ヶ崎川沿いに平野部に出ると、直ぐ左手に聳(そび)える千歳山の麓(ふもと)が、目的地である。そこには、一つの伝説が有った。
凡(およ)そ三百年前、信夫郡司藤原豊充に阿古耶(あこや)姫という娘が居た。ある夜、姫が琴を奏(かな)でて居ると、何処(いずこ)からか、笛の音(ね)が聞こえて来た。姫は手を止めて庭を見ると、笛を吹く若者の姿が在った。若者は名取左衛門太郎と名乗り、それから毎夜、姫の元へ姿を現した。姫もこの若者に、心惹(ひ)かれる様に成った。しかしある夜、若者は姫に己の素姓を明かした。出羽国最上は浦の平清水に生える、老松の精霊なりと。そう言い残し、若者は姫の元を去って行った。そして再び、その若者が姫を訪ねる事は無かった。
間も無く、名取川が氾濫(はんらん)した。村人は橋の架け替えが難航した為、已(や)むなく卜者(ぼくしゃ)の占いに縋(すが)った。それに依ると、出羽国平清水の老松を用いれば、再び橋が流される事は無いとの、御託宣(たくせん)が有った。村人は大勢で彼(か)の地に赴き、老松を認めると、それを切り倒した。しかし、倒木は大人数で押せども、びくともしない。弱った村人は、村長(むらおさ)をして、再び御託宣を仰(あお)いだ。すると今度は、陸奥国信夫郡の阿古耶姫が参れば、木は動くであろう、という御告げを受けた。村長は直ぐに信夫へ赴き、御託宣の通り、姫を平清水へ連れて来る事が出来た。姫は、あの若者が宿る老松が切り倒されて居るのを見ると、木に縋(すが)って泣き伏した。
やがて、村人が倒木を押して見ると、今度はすんなりと動く様に成った。村人は老松を名取川まで運び、無事に橋を架ける事が出来た。
一方、姫は老松を偲(しの)び、切株(きりかぶ)の側に若松を植えた。そしてその地に庵(いおり)を結び、老松の霊を弔(とむら)い続けた。後年その辺りは、松林に成って行ったという。
阿古耶姫が、彼(か)の地で詠(よ)んだ一首が伝わる。
消えし世の 跡問う松の 末かけて 名のみ千歳の 秋の月影
この伝説の地を実際に訪れ、阿古耶姫の歌を吟味する事が、此度実方の目的である。政氏は、国司が秋の月影を見る事が叶(かな)わぬは残念と感じつつ、財務の報告書に目を移した。
*
十日を過ぎても、国司の一行は多賀城へ引き返しては来なかった。政氏の隣で、書翰(しょかん)の確認をして居た少掾の一人が、ぽつりと呟(つぶや)いた。
「ここ数日、晴天が続いた事であるし、無事に峠を越しましたかのう。」
政氏もふと、その事が気に掛かった。
「そうじゃのう。」
何気無く返事をした後、二人は再び黙々と作業を続けた。
その直後、斎藤邦秀が早足で入室して来た。そして政氏の前に跪(ひざまず)くと、一通の書状を差し出した。
「信夫の政澄様より、大殿に書状が送られて参りましてござりまする。」
政氏は一旦手を止め、ゆっくりとその手を伸ばして、書状を受け取った。そしてその場に書状を広げ、読み始める。
やがて、政氏の表情が俄(にわか)に強張(こわば)って行く。文の途中で、書状を慌てて畳(たた)みながら、政氏は邦秀に告げた。
「部屋に戻って読み直す。其方(そなた)も付いて参れ。」自室へと戻った政氏は、腰を下ろすと、次子政澄より発せられた書状を、再び読み始めた。表情は依然として、険しいままである。傍らに控える邦秀は、信夫で大事が出来(しゅったい)したのかと、気を揉(も)んで居た。
漸(ようや)く書状を読み終えた政氏は、力無くそれを膝(ひざ)の上に置き、深く溜息を吐(つ)いた。
「如何(いかが)なされました?」
邦秀が尋ねると、政氏は惚(ほう)けた様子で答える。
「佐藤純利が、二日前に身罷(みまか)ったそうじゃ。政澄より、葬儀の指示を請(こ)うて参った。」
邦秀も、老臣の訃報に戸惑いを感じた。
「では、何(ど)の様に取り計らいましょう?」
「国守が御戻りになるまで、儂(わし)は国府を動く事は出来ぬ。追って、政道や佐藤純明らと共に、磐城家を挙げて盛大な葬儀を執り行う故、先ずは椿舘において、鄭重に弔(とむら)って置く様。そう、信夫と磐城に通達してくれ。」
「はっ。畏(かしこ)まり申した。」
一礼して、邦秀は政氏の元を辞して行った。
部屋に独り残った政氏は、只静かに座って居た。外は燦々(さんさん)と陽光が射(さ)し、鵯(ひよどり)が虫か木の実か、冬の僅(わず)かな食糧を求めて飛び回って居る。
思い起せば、現在逢隈(阿武隈)川東南部七郡に強大な勢力を誇る磐城平家、その礎(いしずえ)を築いたのは、平政氏、村岡忠重、近藤宗弘、佐藤純利、斎藤邦泰、江藤玄篤の六人の力に因(よ)る物であった。康保(こうほう)の役から磐城入部後の動乱、様々な困難を、五人の忠臣が政氏を支える事で、乗り越えて来た。しかしあれより三十年の月日が流れ、彼等は次々と居なく成ってしまった。遂(つい)に純利をも失った事で、政氏は滝尻入城時以来の忠臣を、悉(ことごと)く失った事に成る。それを思うと、政氏は次第に体が重く成るのを覚え、何時(いつ)しか体を横たえて居た。再び立ち上がる気力は起らず、唯(ただ)ぼんやり、庭に雪を被(かぶ)った如く咲き誇る山茶花(さざんか)と、その梢(こずえ)を揺らす鵯(ひよどり)を、眺めて居るのみであった。
陸奥国府には、従八位下の位を持つ医師と、その部下である医生十人が配置されて居る。政氏はその後も暫(しばら)く起き上がる事が出来ず、心配した邦秀は、医師が国司に随行して留守の為、残った医生を、直ちに政氏の元へ遣(つか)わした。
やがて診察を終え、部屋を出て来る医生に、廊下で待機して居た邦秀は、落ち着かぬ様子で尋ねた。
「大殿の御容態は、如何(いかが)にござりましたか?」
今、政氏の身に万一の事有らば、磐城平家のみ成らず、陸奥国府も大黒柱を失う事と成る。その目は必死であった。
医生は穏やかに答える。
「大掾(だいじょう)様は気の病(やまい)にござる。聞けば、大きく御心を揺るがす出来事が有ったとか。その他は、あの御歳にしては健(すこ)やかなる御身体にて、御心配には及びませぬ。御政務は、暫(しばら)く少掾様に代行して戴き、緩(ゆる)りと休まれれば、直(じき)に快復なされる事でござりましょう。」
それを聞いて邦秀は漸(ようや)く安堵し、鄭重に医生を見送った。
三日程が過ぎ、政氏は漸(ようや)く起き上がる事が出来る様に成った。早速床(とこ)を上げて、寝衣(ねまき)から束帯(そくたい)に着替える様を見た邦秀は、慌てて政氏に言上した。
「大殿、御無理をなされては、御身体に障(さわ)りまする。」
政氏は快活に笑って答える。
「いや、暫(しばら)く休んだ御蔭で、すっかり良く成った。そろそろ国府(こう)の殿が戻られる頃じゃ。その時、国政に遅滞が生じて居ては、実方様に何を言われるか判(わか)らぬ。」
そう告げて、着替えが済むと、政氏は政庁へと出向いて行った。邦秀はやはり不安が拭(ぬぐ)えず、主君の後を付いて行った。
二人が政庁の目の前まで来た時、南門よりけたたましい馬蹄の音が聞こえて来た。見れば早馬が、二人の従者を遥か後方に引き離したまま、急いで政庁へ駆け込んで来る。よくよく見れば、早馬は近藤宗昌であった。邦秀は大声で叫ぶ。
「宗昌殿!」
その声を聞いた宗昌は、直ぐに二人の姿を認め、政氏の元へ馬を駆った。
間も無く、政氏の前で下馬した宗昌は、呼吸が荒く、声が出せない。そこで邦秀が、和(にこ)やかに尋ねた。
「陸奥守様の、御戻りにござりましょうや?」
宗昌は唯(ただ)、政氏を見詰めながら、呼吸を整えて居る。その表情は、切迫した物であった。
漸(ようや)く落ち着いた宗昌は、未だ少し息を切らせながら報告する。
「一大事にござりまする。昨日、即(すなわ)ち十二月十二日、陸奥守藤原実方様、御逝去。」
政氏は一瞬、我が耳を疑った。
「如何(どう)いう事か、詳しく申せ。」
宗昌は、一部始終を話し始めた。
*
国府出立後、国司の一行は先ず、小野の駅に入った。幸い翌日は、朝から快晴であり、一気に笹谷峠を越えた。笹谷峠には、歌枕の名所として知られる有耶無耶(うやむや)の関が在る。関を抜けた後、深雪(みゆき)を掻(か)き分けて踏破し、漸(ようや)く最上に到着した頃には、既(すで)に日は暮れ掛かって居た。
翌日、最上の邑(ゆう)の東南に位置する千歳山を目指し、麓(ふもと)より少し登った処で、阿古耶(あこや)の松を見付けた。実方と重之は、長年訪れて見たいと思い続けて居た処に立ち、感激一入(ひとしお)の様であった。雪山にて、松林への類焼に気を付けながら暖を取り、二人は往古の伝説に思いを馳せながら、何首か和歌を詠み合って居た。
それから暫(しばら)くは晴天に恵まれず、最上の駅に逗留(とうりゅう)を余儀無くされた。数日後に漸(ようや)く訪れた晴天を突いて、再び笹谷峠に踏み入った。街道には更(さら)に深く雪が積り、行軍は遅々(ちち)とした物に成らざるを得なかったが、如何(どう)にか日没までに、小野の駅に戻る事が出来た。
翌日、即(すなわ)ち十二日。実方は、阿古耶姫の慕(した)った老松が橋と成った名取にて、川伝いを眺めて回った。名取郡笠島村(名取市愛島笠島)に差し掛かった時、擦れ違いの村人が、前軍の将宗昌に対し、恐る恐る声を掛けた。
「申(も)し、この先には道祖神がおわし、馬上にて横切れば、祟(たた)りが有ると言われて居りまする。どうか、馬を下りて御通り下さいまし。」
「ほう。御忠告忝(かたじけな)い。」
宗昌が素直に答えると、村人は笑顔で一揖(いちゆう)し、立ち去って行った。
再び東へ街道を進み、名取の邑(ゆう)を目指して居ると、道端(みちばた)に道祖神が鎮座して居るのが見えた。宗昌は、騎乗して居る者は全員下馬する様に通達し、道祖神の前を進んで行った。しかしこの時、実方と重之の二人は迷信であると笑い、騎乗したまま通過して行った。
暫(しばら)く進み、宗昌がそろそろ馬に乗せても善(よ)かろうと思い、行軍を止め様とした時、後方よりけたたましい馬の嘶(いなな)きが聞こえた。それに続き、兵が慌てた様子で騒ぎ始める。
「如何(いかが)致した?」
宗昌が大声で問うと、間も無く後方より兵が駆け寄って来て、報告した。
「宗昌殿、突然陸奥守様の馬が暴れ出し、落馬なされましてござりまする。」
「何?」
宗昌が急ぎ後軍へ向かうと、一匹の暴れ馬を、兵が必死に宥(なだ)めて居た。そして、源重之の叫び声が聞こえて来る方へ向かうと、藤原実方が目を瞑(つむ)ったまま、路上に横たわって居た。宗昌は兵を掻(か)き分け、実方の元へ駆け寄った。重之は悲愴な顔で、宗昌を見上げる。
「実方中将が。」
その声は、涙に曇(くも)って居た。
険しい顔付で、宗昌は兵に命じた。
「近くの民家に、陸奥守様をそっと御運びせよ。」
兵は急ぎ、旗の上に実方の身体をそっと乗せ、四人が隅(すみ)を掴(つか)んで、民家へと運び込んだ。住民は驚いた様子であったが、宗昌が事情を話し、迷惑料として金子を渡すと、安堵した様子であった。
同行して居た医師は、直ぐに手当を施そうとしたが、最早成す術(すべ)は無かった。脳や臓器を損傷して居た様で、実方は間も無く息を引き取った。暫(しばら)く重之の慟哭(どうこく)する声が、屋内に響き渡って居た。
やがて、重之の感情が落着きを取り戻すのを待って、宗昌は言上した。
「重之様、陸奥守様が急死なされし事は、国府の一大事。某(それがし)は急ぎ多賀城へ駆け戻り、報告を致したく存じまする。」
重之は力無い声で答えた。
「うむ。そうせよ。」
宗昌は更(さら)に言葉を接ぐ。
「兵は重之様の元へ残して置きまする故、実方様の埋葬を御願致しまする。」
重之が頷(うなず)いたのを見て、宗昌は一礼すると民家を出た。そして馬に跨(またが)り、二騎の従者を伴って、多賀城へ向けて駆けて行った。
*
宗昌の話は以上であった。政氏と邦秀には思い掛け無い話であり、俄(にわか)に信じ難い事であった。実方の遺骸(いがい)は、既(すで)に名取の地に埋葬されて居る筈(はず)なので、己の目で確認する事は叶(かな)わない。しかし宗昌が早馬にて、こうして駆け付けて来た以上、やはり事実なのであろう。政氏は早急に、朝廷へ報告する必要が有ると考えた。しかし、近く陸奥介源重之も、国府へ帰還して来るであろうから、その指示を得た上で、動いた方が良いと判断した。
政氏は邦秀に、直ぐに少掾二名を自室へ連れて来る様に命じた。邦秀は承知して、急ぎ政庁へと駆けて行った。又、政氏は宗昌に告げる。
「其方(そなた)も長旅や、此度の一大事で疲れたであろう。この先、再び働いて貰(もら)う事に成る故、今はゆっくり休んで置くが良い。」
「はっ。」
跪(ひざまず)く宗昌を余所(よそ)目に、政氏は早足で自室へと戻って行った。
やがて、己の居間に二人の少掾を呼び寄せた政氏は、陸奥守急死の報を伝えた。規模の大きな蝦夷(えみし)に因(よ)る反乱が、度々起きて来た陸奥において、現職の国守が急逝するという事は、かつて無い異常事態であった。政氏は二人に、万一に備えた心懸けをして置く事と、陸奥介重之が戻るまでは、平静に政務を熟(こな)す様、指示した。
翌日、源重之率いる軍旅が、多賀城へ帰還して来た。報せを受けた主な官吏は、政庁前に出迎え、政氏が前列中央で待ち受けて居る。やがて源重之が、前列に進み出て下馬したが、その顔色は優(すぐ)れなかった。
「御還(かえ)りなされませ。」
政氏は一礼して迎えると、政庁広間へ案内しようとした。そこで現今の国府最高位の者として、至急の処置を発令して貰(もら)いたかったのである。
しかし、重之は精気の無い顔で、政氏にそっと告げた。
「儂(わし)は今、気分が悪い。済まぬが、暫(しば)し休ませてくれ。」
重之はふらふらとした足取りで、自室へ引き揚げ様とする。重之も既(すで)に高齢である。万一の事が有っては成らぬと政氏は考え、その日はゆっくりと休ませる事にした。
翌日巳(み)の刻、諸官吏が続々と登庁して来た。しかし政庁内の何処(どこ)にも、重之の姿は見当たらなかった。政氏の机の脇には、国守へ提出すべき書翰(しょかん)が山積みと成って居たが、午前中は黙々と、己の仕事を熟(こな)して行った。
やがて正午を過ぎた頃、愈々(いよいよ)掾(じょう)三人が集まって、介の動向を不審に思って居た処へ、重之より三人を召集する使者が遣(つか)わされて来た。大掾政氏と少掾二名は、使者の案内を得て、一先ず重之の居間へと向かった。
そこでは、重之が床(とこ)に臥して居た。三人はその様を見て驚き、重之の元へ歩み寄って、腰を下ろした。三人を一瞥(いちべつ)した重之は、再び天井を眺めると、力無い声で話し始めた。
「陸奥守不在の今、次官(すけ)である儂(わし)が率先し、対処せねば成らぬ時である。しかし今、如何(どう)にも起き上がる事が出来ぬ。そこで三方に、頼みが有る。」
政氏は重之を見詰めながら尋ねる。
「何でござりましょう?」
重之は大きく息を吐(つ)くと、再び口を開いた。
「先ず、守は逝去、介は病(やまい)に臥せって居る現状を都へ報せ、新たに守と介を任じ、赴任にして戴く様に奏上せよ、又その間、国政は大掾政氏殿に預ける。少掾の殿はよく補佐をしてくれ。」
「ははっ。」
三人は平伏し、これを承った。重之は天井に顔を向けながら、そっと目を閉じる。
「話は以上じゃ。儂(わし)は疲れた故、休む。」
三人は一礼し、静かに重之の間を退出して行った。
廻廊を渡りながら、少掾の一人が二人に語り掛ける。
「大変な事に成りましたな。我等三人が、本来は国守や介が行う、国政の重大事項の決定をも任され様とは。」
もう一人の少掾も、これに頷(うなず)く。
「確かに。これでは暫定とは申せ、政氏殿が守、我等が介の様な物ぞ。」
政氏は政庁へ向けて歩を進めながら、後に続く二人に告げる。
「ともかく、未曾有の一大事じゃ。儂(わし)はこれより、朝廷への上奏書を認(したた)める故、政庁の事は両人に任せる。」
「畏(かしこ)まり申した。」
取り敢(あ)えず当面の役割を話した所で、三人は道を別った。少掾達は政庁へ向かい、政氏は自室へと引き揚げて行った。
居間へ戻った政氏は、直ぐに書翰(しょかん)を認(したた)め始めた。近藤宗昌より聞いた、国守急死の経緯(いきさつ)に加え、早期に後任者を赴任させる事を請(こ)う内容であった。政氏は、書き上げた後に陸奥大掾の印を押し、黒漆(こくしつ)の箱に収めた。そして政庁へ赴き、早馬に託して、京へ上奏書を発した。
その後、掾(じょう)の政務は多忙を極め、目(もく)にも、本来掾が行うべき仕事を分配せざるを得なかった。特に陸奥国は、未だ日高見(北上)川流域以北に、国府の力の及ばぬ処が多々在り、政務もより煩雑(はんざつ)であった。こうして国府は慌(あわただ)しい中、年の瀬を迎える事と成った。
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やがて長徳五年(999)睦月(一月)と、年が改まった。陸奥国府では現状を鑑(かんが)み、新春祝賀を公式には執り行わなかった。国司が亡くなり、未だ半月である。国府は忌中(きちゅう)であったので、官吏達は個人的に細(ささ)やかな宴(うたげ)を催すだけで、しめやかな正月と成った。
小正月も終り、宮城野の梅の蕾(つぼみ)が愈々(いよいよ)開花を迎え様として居る頃、奥州の深雪(みゆき)を踏み分けて、勅使の一行が多賀城に到着した。報せを受けた政氏は、直ぐに政庁の外へ迎えに出た。そして勅使に挨拶をすると、自ら広間への案内を務めた。この時、政氏は近くの官吏に命じ、掾と目を全員、広間へ集めさせた。
間も無く、陸奥国府は政庁広間に勅使を迎えた。勅使の入室と共に、控えて居た掾、目が揃(そろ)って平伏する。勅使は上座へと進み、政氏は国府の代表者として、下座の前列中央に畏(かしこ)まる。
一同が静まり返った所で、勅使は勅書を広げ、陸奥国府に布告した。
「勅命である。一つ、陸奥介源重之は、心身の快復を待って帰京し、それまでは静養致す事。一つ、陸奥少掾は互いに協力し、次の国司が赴任するまでの間、その職務を代行する事。一つ、陸奥大掾は速やかに上洛に及び、前(さきの)陸奥守急逝に関わる仔細を、朝廷に報告致す事。」
朝命は主にこの三ヶ条であった。国府代表一同は平伏し、承服の意を示した。勅書の日付は長徳のままであったが、去る十三日、長保(ちょうほう)に改元が成されて居た。
勅命を伝え終えた使者は、勅書を畳(たた)みながら、漸(ようや)く任務を果した安堵の表情を浮かべた。政氏は少掾に、勅使一行を休息の間へ案内し、持て成しの仕度をする様に命じた。そして政氏自身は勅命に従い、直ちに上洛の準備を始める旨を勅使に伝え、広間を辞して行った。立ち去る際、政氏は少掾二人の肩を叩き、後事を託すと告げた。二人は戸惑いながらも、頷(うなず)いて見せた。
政氏の居間の近くには、磐城平家家臣の居室が手配されて在る。仍(よっ)て待機して居た近藤宗昌は、政氏が召し出すと、直ぐに姿を現した。宗昌が政氏の前で座礼を執ると、政氏は直ぐ様話を切り出した。
「急ぎ上洛する事と成った。仍(よっ)て、再び近藤水軍を借りる事と致す。此度は畿内まで行って貰(もら)いたい。」
それを聞いた宗昌は、慌てて言上する。
「御待ち下され。この季節、海道には激しい乾っ風が、頻繁に吹き荒れ申す。故に、海路を採るは無理にござりまする。」
言われて見て、政氏は住吉御所で冬を越した時の、度々荒れ狂う突風を思い起した。確かにあれを海上で食らっては、大型船と雖(いえど)も難破する危険は高かった。
已(や)むなく、政氏は陸路を採る事に決めた。しかし冬の陸路には、雪という障害が在る。京へ向かう為に採り得る進路として、三道が有る。その内、北陸道と東山道は悉(ことごと)く深雪(みゆき)に埋もれ、通行は困難を極める。残る東海道は比較的温暖であり、雪も少ない。政氏は東海道を採って上洛する事に決し、宗昌と邦秀、両名の手勢に出動の準備を命じた。宗昌は承ると、早足で国府軍営に居る、邦秀の元へ向かった。
翌日、百騎の軍勢一カ月分の兵糧を掻(か)き集め、磐城軍は早急に国府を進発した。宮城野は雪に覆(おお)われ、時折風雪が磐城兵に吹き付ける。雪上の歩行は滑(すべ)る為、土の上の様には行かない。磐城軍の行軍は、遅々(ちち)として進まず、激しく疲弊させた。