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第二十七節 信夫御前
国府に戻った政氏は、早々に陸奥守実方の元へ、挨拶に赴いたが、その態度は酷(ひど)く立腹した様子であった。介の源重之も、実方の方に立って、叱責(しっせき)して来た。
「我等が国事に勤(いそ)しんで居る間、大掾(だいじょう)の要職に在る身が、長く国府を留守にするとは何事ぞ。」
政氏は終始低頭、二人に詫び続けた。しかし内心では、己の留守中に国費を用いて、存分に遊べなかった事に因(よ)るはらいせならば、結構であると思って居た。
二人への挨拶が済んだ後、政氏は政庁に入り、留守中の帳簿や、重要書類の確認を行った。案の定、守と介は国務が山積して居た為に、遊ぶ暇(ひま)が無かった様である。御蔭で国府の各蔵は、政氏の留守中、殆(ほとん)ど浪費される事が無かった。
政氏は近くに控えて居た官吏に命じ、直ぐここへ、少掾(しょうじょう)と目(もく)を呼んで来る様に命じた。間も無く、彼等は揃(そろ)って政氏の元へ姿を現した。少掾が先頭と成り、政氏に礼を執る。
「よくぞ御戻り下さりました。」
政氏は笑顔で頷(うなず)く。
「皆も儂(わし)の留守中、よく務めを果してくれた。これで陸奥の国政も、当面は安泰であろう。」
目の一人が、脇から政氏に告げる。
「いやはや、国府(こう)の殿を宥(なだ)めるのには、骨が折れ申した。今日より大掾の殿に御戻り戴けた事は、実に心強き限りにござる。」
「うむ。もう既(すで)に骨を折って参った。」
政氏の言葉に、皆は高らかに笑った。
年の瀬も押し迫った頃、江藤玄貞より国府の政氏の元へ、相次いで二つの報が齎(もたら)された。第一報は、行方(なめかた)郡に続き宇多郡南部の豪族までもが、磐城家に臣従を申し出て来たとの事である。このまま順調に事が推移すれば、数年の内には逢隈(阿武隈)川以内の諸郡を、悉(ことごと)く傘下に置けるとの見通しも書かれて居た。磐城家の勢力が亘理(わたり)郡辺りにまで及べば、国府内における当家の発言力は益々(ますます)強まり、やがては国守を凌(しの)ぐ事も可能であろう。その時こそ、都人より蔑(さげす)まれ続けて来た、陸奥の民の楽土を築く事が叶(かな)う。それは又、天朝が真に海内統一を果した事に成ると、政氏は信じて居た。
その後、程無く届けられた第二報は、長友に係る事柄であった。玄貞が父玄篤より政氏の命を受け、恵日寺を大改築した上、新たに尼僧を住持とし、尼寺と成す事に決したという。陸奥国内より尼僧を招聘(しょうへい)し、従来居る僧には、近傍に築く塔頭(たっちゅう)に移って貰(もら)うとの事である。又、恵日寺北隣の林に移住する、小湊氏に宛(あて)がわれた村は、小湊村と改称された事が記されて在った。
全てが順調に運び、政氏の表情は綻(ほころ)んで居た。しかし、続きを読んで行く内に、その顔は次第に蒼白と成って行った。書翰(しょかん)には、江藤玄篤重病を得て、本日逝去と書かれて在った。政氏はそれを信じまいとして、心の平静を保とうとした。しかしその衝動は徐々に政氏の心を呑み込み、何時(いつ)しか独り、慟哭して居た。磐城家を興した功労者が、又一人この世を去ったのである。これで、磐城家を興した康保(こうほう)の役の折、政氏を支えた将で生き残って居るのは、佐藤純利だけに成ってしまった。その後暫(しばら)く、政氏は心に寂寞(じゃくまく)を帯び続けた。
この年、朝廷太政官において、人事の変更が有った。昨年法皇狙撃、皇太后呪詛(じゅそ)等の罪に因(よ)り左遷されて居た藤原伊周(これちか)、隆家兄弟の帰洛が許される事と成った。そして隆家は、出雲権守より兵部卿に復帰したのである。兄弟は叔父道長に対し礼を述べ、謝罪をした。しかし太政官の他の要職は、悉(ことごと)く道長の息が掛かった公卿で占められ、二人の朝政における発言力は、最早皆無と成って居た。
*
年が明けて長徳四年(998)。南海より温かな春風が北国にも齎(もたら)され、残雪の多い高山の木々の梢(こずえ)も萌え始めた頃、住吉御所の大村信澄より、一通の書翰(しょかん)が主君政氏に届けられた。政庁に居た政氏はそれを受け取ると、早速目を通した。やがて、脇で資料を纏(まと)めて居た少掾が、それを読み終えたのを見届けた上で、尋ねて来た。
「吉報ですかな?」
「何故(なぜ)判る?」
「御顔を見れば。」
政氏ははっとして、表情を引き締めた。
「実は、愚息が元に、嫁が来る事と成り申した。仍(よっ)て来月、儂(わし)は再び磐城へ戻らねば。」
それを近くで聞いて居た目達は皆手を止め、政氏の側へ歩み寄って、祝いの言葉を掛けた。政氏は皆に礼を述べると、席を立って外へ出て行った。
国守と介に報告し、一時国府を離れる許可を得ると、政氏は自室へと戻り、国府軍より近藤宗昌と斎藤邦秀を呼んだ。間も無く姿を現し、礼を執る二将に対し、政氏は嫡子政道の婚儀の件を話した。二将共表情を明るくし、主君に祝福の言葉を送った。政氏は頷(うなず)くと、二人に己の存念を述べる。
「此度は、磐城に長居する必要も有るまい。塩竈の津より、海路にて向かおうと思う。仍(よっ)て此度は宗昌を警固の将に任じ、水軍を伴う事と致す。僅(わず)かな期間と成ろうが、その間邦秀は、国府の磐城軍を掌管せよ。」
「ははっ。」
両将は承服すると、直ちに政氏の元を後にした。そして宗昌は水軍の準備に、邦秀は国府軍の再編に、其々(それぞれ)取り掛かった。
その日、政氏は信夫郡椿舘の三春御前へ宛(あ)てた、文を認(したた)めた。政氏は久しく妻に会って居ない。前(さきの)信夫郡司、黒沢正住の高い名声を継承する為。又、国府内の醜(みにく)い政争に晒(さら)される事が無い様。そして、未熟な信夫郡司政澄を支える為。諸々の理由が有り、政氏は妻を信夫の地に留め続けて来た。しかし、磐城家の本拠は飽(あ)く迄(まで)住吉御所である。信夫の次子政澄が立派に成人した今、妻を居城以外の地に留める必要は無い。後数年も経てば、政氏は長子政道に家督を譲り、隠居の身と成るであろう。その後は、妻と共に住吉に在りて子の後見をしつつ、香華院(こうげいん)遍照寺に遷(うつ)した祖先の御霊(みたま)を、生有る限り、守り通さねば成らない。
政氏は三春御前に、婚儀参列の為に磐城へ向かう折は、家財道具も悉(ことごと)く運び出し、磐城に永住する心算にて赴く様に伝えた。
十日程を経て、政氏の元に齎(もたら)された返書には、三春御前より仰せに従うとの意が、認(したた)められて在った。政氏は満足気な表情を浮かべながら、嫡子の婚儀の日が待ち遠しく思えて、成らなかった。
やがて婚儀の日取りが五日後に迫った頃、政氏は漸(ようや)く政務を少掾、目等に引き継ぎ、近藤宗昌勢の護衛を得て、国府を発った。先ずは東へ針路を採り、塩竃の津へと向かう。そして、そこに停泊して居た近藤水軍の船へと乗り込み、出航した。護衛船二艘もこれに続く。
天は五月晴れで、波も比較的穏やかである。只、暖気を齎(もたら)す南風が、僅(わず)かに船足を鈍(にぶ)らせた。水夫(かこ)は、磐城郡小名浜の津へ着くまでは、天候が持つと予測した。それを聞いた政氏は安堵し、屋形の中でごろりと横に成った。暖かな海風が頬(ほお)を擽(くすぐ)り、心地好かった。
翌日夕刻、近藤水軍三艘は、小名浜の津へ無事に入港を果した。接岸後、護衛兵が周囲を固める中を上陸した政氏は、船荷を下ろし、運送するのを一部隊に任せ、宗昌以下主立つ者等を率いて、小名浜道を北西へと進んだ。津から住吉御所までの道程(みちのり)は、凡(およ)そ一里である。政氏は農事に勤(いそ)しむ民の様子等を観察しながら、駒を進めて行った。
大原辺りで、政氏は到着を伝える使者を送った。その後矢田川を渡り、住吉御所の大手門に到着すると、城門は開かれ、辺りは掃(は)き清められて在った。両脇には衛兵が整列し、入口には城主政道が三大老と共に、政氏の到着を出迎えて居た。
政氏は馬を進め、四人の前へ出る。
「留守中、御苦労であった。式の仕度は、順調に整って居るか?」
これには、三大老より一歩前に出た、政道が答える。
「はっ。松川殿も姫を伴い、又母上の警固をされて、二日前に到着してござりますれば、後は然(さ)したる憂(うれ)いはござりませぬ。母上には、本丸南端の一角を御用意致しました故、父上も先ずはそこにて、緩(ゆる)りと御休み下され。」
「然様(さよう)か。なれば安堵致した。」
そう告げると、政氏は手勢と共に、城内へと入って行った。
政氏は入城して驚いた。昨年来た時とは異なり、城内が随分整然として居るのである。思い起せば、小名浜から住吉に至る間に見た民の様子も、以前より暮しにゆとりが生じて居た様であった。政氏は、やはり三大老を置いた事は賢明であったと感じ、本丸へと登って行った。
本丸の南端からは、磐城家香華院遍照寺を俯瞰(ふかん)出来る他、その先には住吉明神、玉川流域を眺望出来る。御所奥方の間として用意された一角に、政氏が足を踏み入れると、直ぐに三春御前が迎えに現れ、政氏の前で座礼を執った。
「御帰りなされませ。」
政氏は黙然と頷(うなず)き、佩刀(はいとう)を御前に託した。直ぐには掛ける言葉が見付からず、そのまま御前の間へと入って行った。
腰を下ろした政氏は、外に広がる玉川と、島倉の丘を眺めながら呟(つぶや)いた。
「磐城へ、帰って来たのじゃな。」
何気無い言葉であった。政氏の刀と上着の衣(きぬ)を仕舞って来た御前は、夫の前に座してそれに応じる。
「暫(しばら)くは御緩(ゆる)りとなされませ。漸(ようや)く、国政の重責から解放されたのですから。」
「うむ。婚儀まではのんびりと致すか。その前に、其方(そなた)が見た信夫の様子等を、聞かせて貰(もら)いたいのう。」
「政(まつりごと)は、政澄殿と松川殿がよく治めて居ると思いまする。私は黒沢正住の娘故、信夫に赴いたばかりの頃は、暫々(しばしば)父を慕(した)う者達より、揉(も)め事の仲裁を歎願されもしました。されど、今では政澄殿も成長し、松川殿が支えてくれて居りますれば、斯様(かよう)な訴えは、私の元に届かなく成りました。」
政氏は安堵の息を吐(つ)くと共に、笑みを浮かべた。
「然様(さよう)か。婚儀が終れば、松川正宗は磐城本家の一族。一層、信夫郡政に力を注いでくれるであろう。そうじゃ、もう一人の要、佐藤純利は達者にして居るか?」
御前の表情が、俄(にわか)に翳(かげ)った。
「はい。それが、実は昨年の暮れより病(やまい)を得て、床(とこ)に臥せって居りまする。」
「何と、純利までもが?」
磐城四家家祖最後の一人が、病に臥した事を聞き、政氏は大きな衝撃を受けた。
「命に係る病か?」
「私が見舞った折には、留守を案じられぬ様にと、床(とこ)の中から笑顔で見送って下されましたが。」
「ふむ。気掛かりじゃのう。」
政氏が純利の身を案じて居ると、侍女が部屋の隅(すみ)に現れ、言上する。
「只今、松川正宗様、御子息と共に本丸広間へ御越しに成り、謁見(えっけん)を願い出て居りまする。」
「直ぐ参る。」
そう告げて立ち上がろうとした時、政氏は蹌踉(よろ)めいた。御前は咄嗟(とっさ)に夫の体を支え、事無きを得た。政氏は大きく息を吐(つ)き、御前に笑みを見せる。
「旅の疲れが、些(いささ)か残って居った様じゃ。されど、もう大丈夫ぞ。」
御前がそっと手を放すと、政氏は再び歩き始め、御前の間を後にして行った。
広間に政氏が入ると、下座には正宗が、二人の子を両脇に従え、座礼を執って居た。政氏は上座に腰を下ろすと、懐かしそうに、正宗に語り掛けた。
「久しいのう、松川殿。妻より聞いた。郡司政澄をよく輔(たす)け、見事に信夫を治めて居るとか。」
「御誉(ほ)めに与(あずか)り、恐縮にござりまする。全ては、磐城判官様の御威徳に因(よ)る物にござりまする。」
「謙遜せずとも善(よ)い。処で、後ろに控える二人の若者は、其方(そなた)の子か。」
「はっ。此度御曹司政道様の元に輿(こし)入れする姫の兄に当たる、某(それがし)の長子勝宗と、次子勝秋にござりまする。」
父の紹介を得て、兄弟は再び座礼を執った。政氏は笑顔で頷(うなず)き、視線を正宗へ戻す。
「ふふ、又一段と逞(たくま)しゅう成った様じゃな。所で、其方(そなた)の留守中、信夫の守りは万全であろうか?」
「はっ、実はその件に関し、御願いの儀がござりまする。当家の手勢は、姫の輿入れに万一の事が無き様、悉(ことごと)く当御所まで、警固の為に伴って参り申した。仍(よっ)て郡司政澄様の元には、信の置ける兵は少なく、故に磐城様より暫(しば)しの間、一軍を御借り致したく、御願いに上がった次第にござりまする。」
「ふむ、確かに安積(あさか)の黒沢家や、白河の高野家も出払って居る今、仙道は手薄と成って居る。承知した。磐城家は宗主として、仙道諸郡の安寧の為にも、兵を出す事に致そう。」
「有難き御言葉にござりまする。」
正宗は安堵の表情で平伏する。しかし政氏は、依然思案顔で話を接いだ。
「兵は、一先ず三百ならば、直ぐに用意出来よう。しかし、主な家臣は悉(ことごと)く式に参列する故、将が居らぬ。如何(いかが)した物か?」
政氏は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せながら、熟考を続けた。それを見た松川勝秋が、父の後ろより一歩躙(にじ)り寄って言上する。
「畏(おそ)れ乍ら申し上げまする。僭越(せんえつ)なれど、某(それがし)、些(いささ)か武芸の腕には覚えの有る者にて、斯(か)かる大任を熱望する次第にござりまする。」
つと、政氏の目が勝秋を見据えた。勝秋は頭(こうべ)を低く垂れて居たが、燃える様な眼光を政氏に向けて居る。
(此(こ)は中々面白そうな人物じゃ。)
政氏がそう思った時、正面の正宗が勝秋を叱咤(しった)した。
「慮外者奴(め)が、汝(うぬ)の如き未熟者に、務まる事ではないわ。」
父の勘気を蒙(こうむ)りながらも尚、勝秋は気迫を保ち続けて居る。
突然政氏は高らかに笑い、正宗に告げた。
「よいよい。其方(そなた)の子息は、中々剛毅な様じゃ。それも又、武士には必要な気質。宜しい、勝秋殿に任せて見る事にしようぞ。」
それを聞いた勝秋は、再度政氏に平伏した。傍らで、父正宗が苦い表情をして呟(つぶや)いた。
「全く、娘の婚儀だけで気疲れして居るのに、御主が又面倒を申す故、胃が痛う成ったわ。」
勝秋は平然として返す。
「まあ御覧あれ。婚儀の間、仙道からは不穏な報せが一つも届かぬ様、役目を果して見せまする。」
正宗は、主君の前で大言と思(おぼ)しき言葉を吐く勝秋に対し、絶えず肝を冷して居る様子であった。政氏は一郡を見事に治める人物を、斯様(かよう)に困らせる勝秋という若武者に、大いに関心を抱いて居た。
政氏は直ちに文書を認(したた)め、松川勝秋を仙道派遣軍の総大将に任命した。この軍には、松川正宗が護衛に率いて来た手勢も加わり、五百騎に数が膨れ上がった。これにて磐城、松川の混成軍と成ってしまった為、政氏は副大将に滝尻の橘清輔を任じ、勝秋と磐城兵の橋渡しを命じた。仙道諸郡の豪族は悉(ことごと)く出払い、手薄と成って居る。この隙(すき)を衝(つ)いて賊が跳梁(ちょうりょう)を始めぬ様、勝秋の軍勢は準備が整うと、直ちに住吉御所を発った。そして夏井川に沿って、磐城街道を西へ向かった。
*
勝秋出陣の二日後、住吉御所では予定通り、平政道と松川正宗息女の婚儀が、盛大に執り行われた。式事の責任者である大村信澄の他、前列には執政村岡重頼、高野盛国と、三大老が居並ぶ。その後方には、近藤宗久、斎藤邦衡、佐藤純明、江藤玄貞と、磐城四家が続く。更(さら)には政氏の義弟で、滝尻御所を預かる滝尻政之、隣郡平沢館の黒沢正顕兄弟の姿も在る。磐城と信夫の間を所領とする豪族も多数参列し、御所内の一棟は、莫大(ばくだい)な量の贈物(おくりもの)に埋め尽された。
磐城判官家中は、信夫郡司平政澄を除(のぞ)き、悉(ことごと)く住吉御所に集まって居た。その顔触れを見ると、政氏が動かす事の出来る兵力は、優に一万を超えると見込まれた。かつて祖父平将門が坂東一円を制圧した頃、従えて居た兵力は八千騎であったという。政氏は改めて、自身の興した磐城家が、祖父の代を凌(しの)いだ事を感じ、感慨無量であった。
一方で、仙道に残る主な軍は、平政澄の信夫軍と、松川勝秋の遊軍だけである。他は当主不在の為、万一変事が起きた時には、当然統率力と、主力兵を欠く事に成る。その事が、政氏にはやはり不安の種と成って居た。
やがて祝言(しゅうげん)は無事に終った。大村信澄は多数の賓客の応対に疲れた様子で、婚儀の終了を政氏に報告した。参列者には其々(それぞれ)、御所内外の屋敷を手配したので、そこへ引き揚げて行ったと言う。政氏は犒(ねぎら)いの言葉を掛けて信澄を退出させた後、自身も疲れを感じながら、本丸の自室へと戻って行った。
その日は晴天で、眩(まばゆ)い月光が地上を照らして居る。半時程休んだ後、政氏は三春御前と共に、嫡男政道に伴われて来た松川の姫と対面した。
姫が政氏夫妻に恭(うやうや)しく顔を下げた時、丁度(ちょうど)月明かりに照らされる位置と成り、髪や肌、着物の刺繍等が神々(こうごう)しく輝いた。姫は未だ十を過ぎたばかりの、あどけなさが残る少女であった。されども、顔立ちを見ると器量好く、又聡明さが感じ取られた。
姫が挨拶を述べた後、政氏は姫に優しく言葉を掛けた。
「よくぞ遥々(はるばる)、磐城まで参られた。見れば、中々賢そうな姫君じゃ。政道は未だ至らなき処が多い故、御事(おこと)の様な姫御に来て貰(もら)い、儂(わし)も漸(ようや)く安堵致した。」
「滅相もござりませぬ。」
姫は初めて見える岳父の前で、嫋(たお)やかに謙遜した。
続いて、三春御前からも声が掛けられた。
「妾(わらわ)も、仙道近くの安積郡内より嫁いで参りましたが、磐城の地は温暖で、又海の珍味にも恵まれて居りまする。必ずや、姫に取っても暮し良き処と成りましょう。」
「はい。」
姑(しゅうとめ)より和(にこ)やかに言葉を掛けられ、姫の表情からは漸(ようや)く硬さが取れた様子であった。
それから四半時程、親子夫妻は言葉を交した。しかし夜も更(ふ)けて来たので、やがて政道は、自室へ戻る旨を父母に告げた。それを受けて姫も、義父母に今後幾(いく)久しい御指導を願い出、再び座礼を執って、政道と共に辞して行った。
二人が居間より見えなく成ると、政氏は傍らの御前に語り掛けた。
「あの姫を、如何(どう)見た?」
「はい。言葉遣いは申し分なく、知性も感じられました。又あの若さで、芯の強さも秘めて居る様にござりまする。」
政氏は御前の言葉を噛み締め、幾度か頷(うなず)く。
「確かに、後日あれは賢母と成ろう。我が孫を良く教育し、導く素質は有る。しかし、政道より十二も年下じゃ。先ずは其方(そなた)が義母として、姫を良く導いて欲しい。」
「承知致しました。」
御前は静かに答えた。
政氏は式事の疲れが出て、その場に横になって呟(つぶや)いた。
「これで後は嫡男を上げれば、政道も一人前の武家の棟梁じゃ。さすれば、儂(わし)は漸(ようや)く隠居出来る。しかし、姫は未だ童女故、後五年は待たねば成らぬか。その間、政道が大掾職を継げる様、国政という物を教えて置かねば成らぬ。磐城郡政は大老に任せ、来年には政道を国府に入れるか。」
磐城家の行く末を案じ続ける政氏を、傍らの御前は頼もしく眺めて居た。やがて月が昇り、その光は次第に、政氏の顔を照らし始める。政氏の髪と髭(ひげ)に混じる白い線状の部位が、一際(ひときわ)光彩を放って居る様であった。
翌日、婚儀に参列した者の殆(ほとん)どは、其々(それぞれ)の所領へと引き揚げて行った。その列は長蛇を成し、磐城家の婚儀を知らぬ者は、恰(あたか)も奥羽に大変事が出来(しゅったい)したかと思う程であった。されど、多くの者は武装して居なかった為、要らぬ混乱は起らなかった。
多くの豪族が去った住吉御所に、松川父子だけが、未だ留まって居た。次子勝秋が、仙道警備の任を終えて戻って来るのを、頓(ひたすら)待って居たのである。
*
婚儀より十日余りが過ぎた頃、漸(ようや)く勝秋率いる軍勢が、住吉御所へと帰還して来た。松川勝秋と橘清輔の両将は、直ちに本丸へと足を運び、政氏の元へ報告に赴いた。
御所の者に通され、鎧(よろい)の擦(こす)れる音を響かせながら、両将は政氏の待つ政庁広間へと、姿を現した。この場には、磐城三大老と松川正宗、勝宗父子も同席して居る。
両将は広間の中央で座礼を執り、総大将勝秋が先ず、政氏に言上する。
「只今戻りましてござりまする。」
「うむ、大儀であった。して、仙道の様子は如何(どう)であった?特に変わった事は無かったか?」
「はっ。さしたる事はござりませぬが、山賊が現れました故、これを退治して参り申した。」
「ほう、山賊とな?」
政氏等は意外そうな表情を浮かべた。勝秋は尚も淡々と報告を続ける。
「我が軍は仙道一円に睨(にら)みを利かせるべく、先ずは磐城街道を西進し、安積郷に達した所、山賊の一団が、村を襲って居る場に出会(でくわ)し申した。軍を繰り出してこれを蹴散らした後、村人に尋ねると、近頃白河郡を追われて来た山賊団が、最近は磐瀬、安積に出没する様に成ったとの事にござり申した。故に軍を近隣の小川郷、磐瀬郷に向け、賊の根城を幾つか潰(つぶ)して参った次第にござりまする。」
それを聞いた三大老は、顔を見合わせた後に、代表して村岡重頼が、政氏に言上する。
「大殿に申し上げまする。その賊の規模から察しまするに、我等が白河郡東部において討伐せし賊の、残党かと存じまする。」
政氏は頷(うなず)き、続いて橘清輔に尋ねた。
「副大将清輔、其方(そち)の判断では、現状兵力を以(もっ)てすれば、山賊団の壊滅は可能か?」
清輔は即答する。
「はっ。総大将勝秋様は、知勇兼備の名将にござりまする。先の討伐の折も、見事に賊を攪乱(かくらん)され、仍(よっ)て味方には、殆(ほとん)ど被害もござりませぬ。某(それがし)は、勝秋様に任せれば、程無く鎮圧される物と存じまする。」
「ほう、其(そ)は頼もしい。」
政氏は微笑を浮かべると、大村信澄に奥州南部の地図を持って来る様、指示した。
やがて広間に戻って来た信澄は、政氏の前に大地図を広げた。そして政氏に招かれ、諸将は地図の側へと進み、再び腰を下ろした。
政氏は扇を手に取り、地図の中央を指して告げる。
「ここ安積郡小川郷は、割拠する小豪族が最近、当家に臣従を申し出て来た処じゃ。此度跳梁(ちょうりょう)した、賊の根城にも近い。勝秋には、この地を所領として与える。賊を掃討し、臣従して間も無い豪族達を、確(しか)と抑えよ。」
「ははっ。」
勝秋は嬉々とした顔で答えた。
再び地図に見入った政氏は、次に大村信澄に命じる。
「北方からのみ攻め立てては、再び賊共が、白河郡へ戻って来るやも知れぬ。信澄、其方(そなた)は白河郡へ兵を出し、南より攻めよ。これを機に、逢隈(阿武隈)山中に潜(ひそ)む山賊団を、一掃致す。」
「承知仕(つかまつ)り申した。」
信澄は深々と頭を下げた。
二日後、松川一族と橘清輔の手勢は一隊と成り、磐城街道を仙道に向かい、進軍して行った。途中、逢隈(阿武隈)川の辺(ほとり)で仙道に至った時、軍は二つに分かれた。
松川正宗は次子勝秋を呼び、己の太刀を手渡して告げる。
「其方(そなた)は今より、一家を立てるに至った。儂(わし)は喜びに堪(た)えぬ。しかし、政氏様が其方(そなた)に下した命は、決して生易しい物ではない。努々(ゆめゆめ)軽率な行動は慎み、賜りし所領を豊かにする様、励むのだぞ。」
勝秋は父より拝領した太刀を、両手で翳(かざ)しながら答える。
「御言葉、確(しか)と胸に刻み申した。この後は父上の太刀を見る度、今の戒(いまし)めを思い起しまする。それでは父上、兄上、この場にて御別れにござる。」
然う言うと勝秋は馬を返し、副大将清輔に命じて、磐城軍を南へと向けた。
正宗は暫(しば)し次子の軍勢を見送って居たが、やがて長子勝宗と共に馬を返し、手勢を率いて北方へと還(かえ)って行った。
松川勝秋率いる磐城軍は、安積郡の首邑(しゅゆう)安積郷を南下した後、間も無く街道を東へと逸(そ)れた。磐瀬郡に入る手間で、逢隈(阿武隈)川支流の谷田川沿いを東へ進むと、やがて小川郷に至る。勝秋は先ずこの地を制圧する為、谷田川の東岸に陣を布(し)き、守山の丘に館の建造を始めた。磐城軍の旗を掲(かか)げ、又平政氏の命令書を持って居た為、郷内の小豪族は皆、静かに勝秋勢の動きを見守った。
やがて落成した守山館に入った勝秋は、本拠の地名守山を姓とした。守山勝秋は民心を得る為、先ずは村に出没して悪さを働く山賊を退治すべく、兵を出動させた。
それとは別に、政氏の命を受けた大村信澄も、白河郡長田郷へ兵を進めて居た。長年仙道の民を煩(わずら)わせ続けた山賊団を殲滅(せんめつ)すれば、磐城平家の懿徳(いとく)は仙道南部へ及ぶ。信澄は磐城家の更(さら)なる繁栄の為、必勝の策を模索して居た。
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婚儀から半月が過ぎた頃、磐城郡は然(さ)したる騒動も無く穏やかであり、姫も住吉御所内にて、健(すこ)やかに過ごして居た。姫は信夫御前と呼ばれる様に成り、その気立ての良さから、多くの臣に慕(した)われた。政氏は斯(か)かる城内の様子から、もう己が居らずとも心配は有るまいと断じ、近藤宗昌に多賀城へ出立の仕度を命じた。
二日後、宗昌より政氏に、衛兵、兵船、兵糧の仕度が整った旨の報告が有った。政氏は先ず政道と三大老を居間へ召し出し、又暫(しばら)く国府に戻る事を伝え、留守中の郡政に怠(おこた)りの無い様、言い渡した。然(しか)る後、政氏は三大老を下がらせ、代わって三春御前と信夫御前を呼んだ。
間も無く、二人は揃(そろ)って政氏の元へ姿を現した。信夫御前は姑(しゅうとめ)より一歩下がって座り、共に礼を執る。政氏は先程の三大老と同様、これより国府に向けて出立する旨を伝えた。
三春御前は静かに受け止め、穏やかに告げる。
「承知致しました。留守の事は御気に懸けませぬ様。」
御前の声は、政氏に幾許(いくばく)かの安堵感を与えた。政氏は頷(うなず)くと、次に信夫御前へ目を向けた。
「政道は郡主としてここに留まる故、安心されよ。これより夏に入るが、磐城は信夫に比べ、冬は暖かいと雖(いえど)も、その分夏が暑い訳ではない。寧(むし)ろ信夫より過ごし易いやも知れぬ。されど、身体には充分留意する様に。」
「御心遣い、有難く存じまする。」
信夫御前は、優しく接してくれる岳父が去ってしまうと聞き、些(いささ)か表情を翳(かげ)らせて居た。
最後に政氏は、隣に座る嫡子政道を見据えた。その気迫に、政道はたじろぐ。
「儂(わし)は今日まで、奥州南部に勢力を広げて参った。一方で津軽郡大領の官職を以(もっ)て、奥州北部に強大な勢力を築きつつ在る、安倍一族と誼(よしみ)を深め、その内情を密かに探(さぐ)って居った。更(さら)には大掾職を拝命し、陸奥国政の中枢にも入り、奥州全土の政(まつりごと)を正し、真の倭(やまと)統一と、海内安寧の為に奔走して参った。」
そこまで述べると、政氏は一息吐(つ)いた。
「しかし、儂(わし)はもう年じゃ。これからは其方(そなた)の時代と成る。儂は己が成して来た事業を、其方(そなた)に継いで貰(もら)いたい。仍(よっ)て、その最初の段階として、来年辺りより、国府の官職へ其方(そなた)を推挙致そうと思うが、如何(どう)か?」
政道は急な話に困惑して居た様子であったが、やがて意を決して口を開いた。
「某(それがし)は父上の如き才智も、豊富な経験も備えて居りませぬ。しかし某(それがし)も、父上に僅(わず)かでも肖(あやか)りたいと思う心は、持って居る積りにござりまする。磐城判官の二世は暗愚であったと、言われる事の無き様に、宜しく御指導下さりまする様、御願い申し上げまする。」
そう言って、政道は深く頭を下げた。政氏はその様子を見て、己が政(まつりごと)に勤(いそ)しみ、功を挙げる程、政道には後継者としての重圧と成って居る事を察した。しかし、我が子に楽をさせたが為に道を誤り、磐城家を衰退させては、多くの者を苦しませる事と成る。幸い、政道は危なげながらも、精進する気持は有る。政氏は未だ隠居は出来ぬと感じつつ、政道の肩に手を置き、頷(うなず)いて見せた。
その日、政氏は近藤宗昌の手勢と共に、小名浜の津へと向かった。人馬、物資が全て船に乗せられると、間も無く三艘の大型の船が、船団を組んで沖へと出航して行った。政氏は船上で、磐城の地を名残(なごり)惜しそうに眺めて居た。