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第二十六節 下総小湊(こみなと)氏
数日の後、政氏は斎藤邦秀の手勢を伴い、住吉御所大手門に在った。見送りに出た政道と三大老に対し、政氏は念を押して、磐城郡政を託した。承知の意を示す顔触れに、家中の重鎮たる厳粛さが窺(うかが)える。それを感じた政氏は、安堵の表情を浮かべて、己の愛馬に跨(またが)った。そして出発の号令を下し、隊は続々と住吉御所を後にして行った。
政氏の軍は、先ずは浜街道に出るべく西に進路を採り、その後は海道沿いに北東を目指した。
(又暫(しばら)くは、この地に戻る事は無いであろう。)
そう思いながら政氏は、街道脇を流れる大根川(新川)の流れを眺めて居た。
やがて飯野平を過ぎ、赤沼川の辺まで来た時、突然政氏は全軍を止めた。先鋒隊から、何事が起きたのかと、邦秀が慌てて馬を駆って来る。政氏は駆け付けた邦秀に対し、指示を下す。
「これより北へ向かい、長友館へ入る。」
それを聞いた邦秀は、直ぐに政氏の真意を察した。怖らくは、病床に在るという江藤玄篤を、見舞いたいのであろう。邦秀は直ちに、軍の進路を北へと向けた。
この辺りは片依郷に属し、赤沼川、原高野川等が平地を横断し、周辺の水田を潤(うるお)して居る。既(すで)に粗方(あらかた)収穫を終えた様で、田には方々で藁塚(わらづか)が立って居た。飯野郷と片依郷、これ等夏井川流域に広がる穀倉地帯は、絹谷川の氾濫(はんらん)という問題を抱えつつも、磐城郡の大いなる財産であった。
街道から十余町北に進むと、西側は丘陵地と成る。そして、その丘の北東端に建てられたのが、江藤氏の拠点である長友館であった。万一郡北東部の楢葉郷、更(さら)には白田郷、玉造郷までもが敵に攻め落された場合、次はこの館に拠(よ)って、麓(ふもと)を流れる仁井田川を天然の外堀とし、戦う事と成る。
使者を先行させて居た為、長友館は城門を掃(は)き清め、威儀を正して主君を迎えた。政氏は迎えに出た城将に対し、犒(ねぎら)いの言葉を掛けた後、当主玄貞の所在を尋ねた。城将の申すには、磐城家の勢力を海道一円に広める為、行方(なめかた)郡、宇多郡まで出張って行ったと言う。確かに、逢隈(阿武隈)川以南が悉(ことごと)く磐城家の勢力下に入れば、国司も恐れを成し、政氏の国府における発言力は増すであろう。それは再び朝廷に、磐城家を警戒させる種と成る怖れも有ったが、かつての様に、国府の兵部にまで深く介入せねば、特に問題は起るまいと、政氏は考えた。
城将に案内され、今は隠居の身と成って居る玄篤の居間へ、政氏は通された。そこでは老人が一人、床(とこ)に臥して、外を眺めて居る。政氏は随行して来た邦秀に向かい、手勢の元へ戻り、よく纏(まと)めて置く様に命じた。又、案内を勤めた城将と、側に控える者にも、この場を外す様に告げた。
やがて周囲に人影が無く成り、静寂に包まれた。そして、政氏はゆっくりと進んで行く。程無く、足音に気付いた玄篤は、政氏の方を振り返った。
「大殿。」
玄篤は一声発しただけで、横たわったままであった。
「無礼を、御許し下さりませ。」
悲痛な面持ちである。政氏は玄篤が既(すで)に、動く体力すら喪失してしまった事を察した。
「気兼ね致すな。人払いを致した故、誰も見ては居らぬ。」
優しい口調で告げると、政氏は玄篤の傍らに腰を下ろした。
暫(しばら)く外の景色や、玄篤の様子を見た後、政氏は話を始めた。
「其方(そなた)の倅(せがれ)は名将じゃのう。内には田畑を実らせ、外には次々と所領を切り広げて居る。流石(さすが)は、将門公の副将を務めし者の一族じゃ。」
「畏(おそ)れ入り奉(たてまつ)りまする。御蔭でこの老骨は、この様に寝て居る事が出来まする。」
それを聞いて政氏は大いに笑い、玄貞の親孝行振りを称(たた)えた。
そして政氏は玄篤と、積る話や思い出話を重ねた。玄篤の頬(ほお)の痩(こ)け具合から、これが今生の別れに成るのではという不安が、政氏の胸中に膨らんで居た。玄篤は横になったままで、楽しそうに話をして居たが、やがて疲れからか、激しく咳(せ)き込んだ。
政氏はその様子を見て、漸(ようや)く玄篤に無理をさせて居た事に気が付いた。そして、横向きに成った玄篤の背中を摩(さす)ってやり、申し訳無さそうな表情を湛(たた)えながら告げる。
「儂(わし)は、これより国府へ赴く。次は何時(いつ)戻るか分らぬが、そろそろ儂も隠居の歳じゃ。その後は純利も交(まじ)え、再び話をしようぞ。」
玄篤は噎(む)せながらも、頷(うなず)いて答えた。
やがて咳(せき)が治まった玄篤は、大きく呼吸した後、政氏の方へ向き直って口を開いた。
「大殿に、一生の御願いの儀がござりまする。」
「何じゃ、唐突に。何なりと申して見よ。」
政氏は笑顔で応じたが、玄篤は真顔で話を続ける。
「恵日寺の、如蔵尼(にょぞうに)様を御訪ね下され。そして、如蔵尼様の願いを叶(かな)えて下され。これが某(それがし)の、最後の御願いにござりまする。」
政氏は頷(うなず)いて答える。
「儂(わし)も叔母上には、久しく御会いして居らぬ。承知した。恵日寺へ寄って行くと致そう。」
「有難うござりまする。」
玄篤は未だ呼吸が荒い様子であったが、漸(ようや)く政氏に笑みを見せた。
政氏は安堵し、腰を上げる。
「又参る。」
そう言い残して立ち上がり、玄篤の元を去って行った。
*
再び近藤邦秀勢を纏(まと)めた政氏は、大手門を潜(くぐ)り、館を下りて行った。そして北方を東西に流れる仁井田川を渡れば、その先の丘の中腹に、恵日寺が在る。
政氏は、山門で部隊を止めて馬を下り、境内の様子を窺(うかが)った。すると、山門の裏で落葉を掃(は)き集めて居た僧が、外の物音に気付き、様子を見に現れた。僧は若く、突如として山門に出現した二十騎程の武士団と、己の前へ歩み寄る老年の将を目(ま)の当りにし、驚きの色を隠せない様子である。政氏は、不意に威圧してしまった事を済まなく思いつつ、僧に声を掛けた。
「某(それがし)は、陸奥大掾(だいじょう)平政氏と申しまする。当山に如蔵尼様はおわしましょうや?」
僧は慌てて返事をする。
「これは、郡司様でございましたか。如蔵尼様は山中にて、庵(いおり)を結んでおわしまする。宜しければ、拙僧が御案内致しまするが。」
「では、御願い致そう。」
それを聞いた邦秀は、政氏の元に供をするべく駆け寄った。しかし政氏は、片手を伸ばして制する。
「良い。儂(わし)が一人で参る。」
不安気な面持ちの邦秀を山門に残し、政氏は僧の案内を得て、境内へと入って行った。
山門を過ぎて少し坂を登ると、直ぐに本堂が見えた。そして僧は、本堂の脇に在る坂道へ進み、振り返って政氏に告げる。
「ここより先は、坂がきつうござりまする。呉々(くれぐれ)も御気を付け下さりませ。」
言われた通り、崖っ縁の急登は危険であり、息も切れる。そして漸(ようや)く坂を登り終えて、来た道を振り返ると、長友北部の平野が開けて居た。
(これは良き眺めじゃ。)
そう思ったのも束(つか)の間で、僧は更(さら)に林の中へ足を踏み入れて行った。政氏は、如蔵尼が何故、斯様(かよう)に険しき処を選んで住んで居るのか、疑問に思えてならなかった。如蔵尼を悲劇に陥(おとしい)れた天慶(てんぎょう)の乱より、既(すで)に五十七年の歳月が流れて居たにも拘(かかわ)らず。
林の中を進むと、やがて山中に開けて居る処へ出た。そこでは畑が耕され、数軒の荒屋(あばらや)が建って居る。二、三人の男が畑作業をして居たが、政氏の姿を認めると手を止め、不審な者を見る目付きで歩み寄って来る。その手には、鎌が握られて居た。僧は慌てて男達に告げる。
「此方(こちら)におわす御方は、御領主政氏様です。無礼が有っては成りませぬ。」
それを聞いた男達は、直ぐにその場に鎌を置き、政氏に平伏した。中々忠義心の厚い男達の様である。しかし、彼等が何故(なにゆえ)この山中で農耕に勤(いそ)しんで居るのか。政氏の疑問は増すばかりであった。
耕地の外れに古びた庵(いおり)が、日中にも拘(かかわ)らず陽の当らぬ処で、ひっそりと建って居た。僧はそこへ政氏を案内すると、諸用が有ると言って、寺域へと引き返して行った。僧は早足で再び林の中へ入って行き、男達も雑草の刈取りを再開して居た。周囲には静寂が訪れ、耳を澄まして聞こえる物は、鳥の囀(さえず)りと、風に揺れる木々の擦(こす)れる音だけと成った。
いや、庵(いおり)の中からも、鑿(のみ)で木材を削(けず)る音が聞こえて来る。政氏はそっと、入口の簾(すだれ)越しに声を掛けた。
「政氏にござりまする。」
俄(にわか)に、庵の中からの音が途絶えた。暫(しばら)くして、老女の声が返って来る。
「御入り下され。」
政氏は簾(すだれ)を上げ、薄暗い庵の中へと、足を踏み入れた。
庵(いおり)の造りは粗末であったが、中は掃除(そうじ)がきちんと成されて居る。狭(せま)い一間の入口に、政氏は如蔵尼に勧められるまま、腰を下ろした。
「叔母上、御久しゅうござりまする。」
政氏は座礼を執って挨拶をした。正面に座る如蔵尼も、笑顔で応じる。
「政氏殿も息災の御様子、何よりです。此度は斯様(かよう)な険しき道を辿(たど)って、この老婆を訪ねて下された事、誠に嬉しく存じまする。」
「確かに険しゅうござった。叔母上はあの道を、日々往来なされておわしまするのか?」
「はい。今は住持が病(やまい)に臥されておわしますれば、この老婆が耶麻の慧日寺にて習得した物を以(もっ)て、寺院の運営を多少なりとも扶(たす)けて居りまする。」
「されば、何故(なにゆえ)斯様(かよう)な山中深くに住まわれる?寺域内の屋敷に御移りなされれば、何(どれ)程便利か知れませぬぞ。あの道は、叔母上には危のうござる。」
如蔵尼は、些(いささ)か悲し気な面持ちと成った。
「妾(わらわ)は、世に出られぬ身にござりますれば。」
「天慶の乱にござりまするか。しかし、あれは疾(と)うに昔の事。」
「政氏殿は生まれる前であった為、よくは存ぜぬと思いまする。あの時、我が母、兄、妹が、如何(いか)に悲惨な逃避行を続けたか。又、父将門が、何(どれ)程朝廷を脅(おびや)かしたのかを。」
確かに、天慶の乱を語れる者は、最早如蔵尼以上に年長の、極(ごく)僅(わず)かな者だけに成ってしまった。しかしそれ故に政氏は、叔母を世に出しても大丈夫であろうと考えて居た。
「叔母上の仰(おお)せ、御尤(もっと)もにござりまする。しかし某(それがし)は万民救済の為、叔母上の叡智をより活かして戴きたいのでござりまする。某(それがし)、当山の伽藍を大規模に普請し、又仏門を志す者を集めますれば、叔母上にはその住持を務め、耶麻に劣らぬ仏教聖地を築いて戴きとう、御願申し上げまする。」
そう述べると、政氏は如蔵尼に平伏した。
如蔵尼は、政氏の申し出がとても嬉しかった。一生を日影で過ごさねば成らぬと思って居たのを、陽の当たる場所へ誘(いざな)ってくれるのである。不意に、涙が目より零(こぼ)れ落ちそうに成ったが、如蔵尼はそれを辛(かろ)うじて抑え、毅然として甥(おい)に告げた。
「政氏殿の御心尽し、誠に嬉しき限りにて、感謝の言葉も有りませぬ。但(ただ)し、政氏殿には隙(すき)が有りまする。よもや、海仙両道に勢力を拡大し、陸奥大掾の官職に在るが為に、油断が生じては居りますまいか?妾(わらわ)の見た所、磐城郡内には未だ、政氏殿の統治を快く思わぬ者が居りまする。それ等の者が妾(わらわ)の生い立ちを知り、朝廷に告げる様な事が有らば、折角(せっかく)政氏殿が築き上げた磐城の御家も、無事では済まされますまい。」
如蔵尼は心底、甥(おい)の身を案じて居た。
しかし政氏も又、叔母に扶(たす)けを成したいと願って居た。如蔵尼の菊多移住。その後の恵日寺への移転。何(いず)れも江藤玄篤が、相馬以来の信の置ける極(ごく)限られた家臣と共に、秘密裡に行った事である。これは偏(ひとえ)に、叔母を逆賊の娘という立場から、解放する為であった。政氏は如蔵尼の気持を受け止めつつも、民衆救済の為、恵日寺の住持に就く事を懇願した。民を救わんとする意思は、如蔵尼も強く抱いて居た。やがて漸(ようや)く折れた如蔵尼は、寺院の総意が得られれば、住持を代行する役に就(つ)いても良いと承諾した。政氏は叔母に礼を申し上げた後、直ぐに立ち戻って、江藤氏に恵日寺増築の普請を命じ様とした。
ふと、政氏は江藤玄篤の言葉を思い出した。そして如蔵尼に尋ねる。
「そう言えば、某(それがし)がここへ参ったは、玄篤より叔母上の願いを聞き届ける様、頼まれた故でござった。叔母上、何ぞ御困りの事でもござりまするのか?」
如蔵尼は微笑を湛(たた)える。
「政氏殿、ここへ来る途中、草刈り等をして居る男達を、見掛けませんでしたか?」
「三人程見掛けましたが、彼等が何か?」
「あの者達は玄篤殿を通じて、菊多東福寺近くより移住して参りました。そして彼等の棟梁は、かつて父の命を受け、石井館(いわいのやかた)より逃亡する妾(わらわ)等一族の警固を務め、村岡の大叔父の元まで守り通してくれた、小湊(こみなと)家の末裔なのです。」
「何と、あの者等も、相馬武士の流れを汲(く)む者達であったか。」
政氏は仰天すると共に、彼等が先程、己に対して執った行動に合点が行った。政氏が頷(うなず)くのを見ながら、如蔵尼は話を続ける。
「妾(わらわ)の望みは唯(ただ)一つ。かつて妾を救ってくれた者の子孫達の身を、再び立ててやっては下さらぬか?」
叔母の懇願する眼指を受けて、政氏は真顔と成って尋ねた。
「あの者達の、今の生業(なりわい)は?」
「妾(わらわ)が遁世(とんせい)する、この辺りの林を切り開き、僅(わず)かな畑を耕して居りまする。その一方で、妾と寺院の警固も勤めてくれまする。」
「成程(なるほど)。あの者達が忠義に厚い事は、某(それがし)も感じて居り申した。しかし某(それがし)は今、国府へ赴く途中にござる。もし重臣に取り立て、住吉に置いたとしても、某(それがし)の留守中に他の家臣と悶着(もんちゃく)を起せば、不幸に繋(つな)がりましょう。されば、先ず江藤家の下に入り、実績を挙げさせ、某(それがし)が再び磐城へ戻った後、重臣に取りて立てるのが宜しいかと存じまするが。」
如蔵尼は深く頷(うなず)いた。その目には涙が溢(あふ)れて居る。
「御配慮、忝(かたじけな)く存じまする。これにて冥府におわす父上も、安堵して下さる事でありましょう。」
如蔵尼の願いを聞き届ける事が出来、政氏はほっと胸を撫(な)で下ろすと同時に、国府へ同道する家臣を、待たせたままにして置いた事を思い出した。そして座礼を執り、如蔵尼に別れを告げる。
「では、某(それがし)はこれにて失礼致しまする。あの者達の長(おさ)には、江藤家に命じて近隣の村を与えようと存じまする。さすれば、今後も叔母上を警固する事も叶(かな)い申そう。」
そう言うと、政氏は腰を上げて庵(いおり)を出た。如蔵尼も見送りの為、共に外へ出る。
政氏は辺りを見渡した。しかし目に入るのは、依然草刈りに精を出す、三人の男だけであった。如蔵尼が後方より、そっと政氏に囁(ささや)く。
「彼等の他、この山中には二十名程の男が居りまする。族長は十余名を率い、今は高倉山へ狩猟に入って居りまする。是非、政氏殿に引き合わせたかったのでござりまするが。」
残念そうな表情を湛(たた)え、如蔵尼は最も近くで作業をして居た、男の元へ歩み寄った。声を掛けられた男は手を止め、跪(ひざまず)いて如蔵尼の話を聞いて居る。
やがて話が終ると、男は立ち上がり、政氏の方へ歩み寄って来た。そして政氏の前で、再び片膝を突く。
「先程は、将門公の御嫡孫とは露(つゆ)知らず、御無礼を致し申した。又、我が殿に所領を下さるとの事。唯々(ただただ)有難く、御礼(おんれい)申し上げまする。」
「よい、よい。儂(わし)の方こそ、その方等の忠節を有難く思う。これからも、叔母上を御守りしてくれ。」
「ははっ。」
政氏は平伏する男を立ち上がらせると、寺までの案内を頼んだ。そして、如蔵尼の方を振り返って告げる。
「叔母上、御達者で。寺院再興の事、呉々(くれぐれ)も宜しく御願い申し上げまする。」
政氏の言葉に、如蔵尼は合掌して応じた。安堵を覚えた政氏は、案内を得て急ぎ、家臣を待たせて居る恵日寺山門へと向かった。
*
林を抜け、坂を下りると、直ぐに境内に着いた。そこで政氏は、案内を務めてくれた者に礼を述べて帰した。再び山門へと向かいながら、天を見上げた政氏は、大分陽が高く昇って居る事に気が付いた。
境内を抜ける途中、本堂の脇で政氏は、先程如蔵尼の元まで案内してくれた僧を認めた。政氏が歩み寄ると、向こうも気付いたらしく、辞儀をして居る。僧の前へ進み出た政氏は、笑みを湛(たた)えて告げる。
「先程は忝(かたじけな)い。更(さら)に頼み事を申して悪いが、紙と筆を貸して下さらぬか?」
「解りました。では、御上がり下さりませ。」
そう答えると、僧は寺院内の一室へと案内した。そこには文机(ふづくえ)が在り、硯(すずり)箱が乗って居る。
「少々御待ちを。」
僧は早足で隣の間へと入って行き、紙を何枚か用意してくれた。
机に向かった政氏は、先ず墨を擦(す)り、紙を机の上に置いて、筆を執った。その内容は、江藤玄貞と平政道に宛(あ)てられた、命令書であった。玄貞には、如蔵尼を守護する武士団に、恵日寺周辺の村を所領として与える事を。そして政道、玄貞の両者に、恵日寺伽藍の建造を命じる物であった。相馬の旧臣小湊氏に与えられた村は、恵日寺西方僅(わず)かに五町の処である。ここに将門以来の忠臣を配すれば、北方の守りは一層強固に成ると考えた。
やがて墨が乾くと、政氏は書状に封をして、それを懐に収めて立ち上がった。廊下に出ると、庭を掃(は)く僧の姿が見えたので、政氏は礼を述べた後、山門へと向かった。
漸(ようや)く寺院を出て、家臣との合流を果した政氏は、先ず二人の兵に書状を渡し、其々(それぞれ)長友館と住吉御所へと遣(つか)わした。そして山門で待機して居た一軍は、漸(ようや)く寺から進発し始めた。
この辺りの地理は無案内であったので、政氏は来た道を再び戻ろうとした。しかし待機中に、斎藤邦秀が付近の村民より聞いた情報に依れば、ここより真東に進むと、境川の上流に出るので、後は川伝いに進めば、玉造郷の邑(ゆう)にて、街道に至ると言う。確かに目的地は北であるのに、一里も南へ戻るのは無駄である。政氏は邦秀が得た情報を信じ、東へと進路を取った。
仁井田川の流れは、次第に南へと逸(そ)れて行った。そして政氏の隊は、川子田という村落から山間部へと入って行く。この道は村人が使うのみで、街道としては整備されて居ない。仍(よっ)て道は険しく、輜重(しちょう)隊は荷車を押すのに難儀した。しかし十町と行かず、境川に出た。間も無く田戸の村落が見え、その後の川伝いの道は、比較的行通が容易であった。
やがて河口、玉造郷の中核である太夫坂村へと到着した。ここで道は、浜街道と再び合流する。恵日寺近くで聞いた村民の話は、真であった。政氏は邦秀に告げる。
「万一、北方より玉造郷が危機に陥(おちい)った時、この道は奇襲に使えるのう。」
「確かに、これは思わぬ収穫でござり申した。」
両将は笑いながら、浜街道を北へと進んで行った。