第二十二節 三代の対立

 多賀城の冬は磐城郡に比べ、寒さが厳しく、又雪も深い。二十三年前、政氏が初めて京より奥州磐城に下向して迎えた冬は、慣れぬ寒さに辟易(へきえき)とした物であった。されども、磐城より更(さら)に四十里程北方に在る国府の寒さは、又格別であった。

 この冬、政氏は万一に備え、国府守備に就(つ)いて居る佐藤軍と江藤軍に、雪中軍事訓練を度々行わせた。もしも平維叙(これのぶ)が鎮守府将軍を兼ねる事態と成れば、維叙は胆沢(いさわ)の地にて、更(さら)に厳しい寒さに鍛えられた、鎮守府の兵を指揮下に置く事と成る。そう成れば、政氏は兵力の差から、国府からの撤退をも余儀無くされてしまう。

 政氏は出来得る限りの策を練り、方々に手を打った。人事を尽した後、暦(こよみ)は正暦二年(991)の新春へと移って行った。

 北国の遅い春の訪れを待って、陸奥国司の交代は行われる事と成った。国府多賀城には、次々と都からの使者が往来し、次期国守が平維叙(これのぶ)である事は、周知と成って行った。この頃、政氏は村岡忠重より、常陸国内の那賀郡、新治郡、白壁郡、筑波郡といった旧平繁盛領で、村々から徴兵が行われて居るとの報せを受けて居た。平貞盛の子等は生活拠点を都に置き、中央に接近して栄進を目指して居たので、実質常陸平家領を統治して居たのは、繁盛の子である兼忠、維幹(これもと)兄弟であった。此度も維幹が常陸に残り、兼忠が常陸兵を率いて、維叙の副将を務めるとの事である。

 やがて、平維叙(これのぶ)は奈古曽関(なこそのせき)を越え、菊多郡に入った。維叙軍の全貌(ぜんぼう)が明らかに成った時点で、村岡忠重は早馬を遣(つか)わし、その詳細を国府の政氏の元へと伝えた。

 多賀城政庁にて、忠重よりの書翰(しょかん)を受けた政氏は、その内容を聞いて驚愕(きょうがく)した。維叙(これのぶ)が常陸より伴い来(きた)る兵力は、実に四千に上るという。常陸を空にし、多額の財を投入して編成した大軍に、政氏は維叙の、並々成らぬ決意を感じた。

 政氏は直ちに武蔵の平忠頼の元へ使者を遣(つか)わし、常陸国境で牽制(けんせい)する行動を取る様に要請した。しかし忠頼は、上総介の任期を終えた後、次の官職に就(つ)くべく根回しをする為に上洛して居り、留守を任されて居た将常(まさつね)からは、忠頼の承認無しに兵は出せぬと回答された。一応将常は京へ、忠頼の指示を仰ぐべく使者を送ったが、村岡家中には寛和二年(986)、朝賊にされ掛けた苦い記憶から、牽制と雖(いえど)も、出兵を躊躇(ためら)う意見が強かった。磐城平家の使者は、あの時窮地を救った恩を忘れたかと、咽(のど)の先まで出掛かった。しかしそれを押し止(とど)めて、政氏に事の次第を伝えるべく、書状を認(したた)める他は無かった。

 結局、村岡家は頼みと成らず、常陸軍は悠々と磐城を通過して行った。政氏は政道に対し、常陸軍が郡内を通行する時は、下手に動かず、唯(ただ)静観する様に厳命して居り、政道はその命を守り通した。

 常陸軍は海道を北上して行くが、大軍が移動して居る割には、周辺の動揺は軽微で済んだ。村岡忠重が、事前に大軍の通行を海道五郡に通達し、国府並びに鎮守府の、大規模な編成であると、説明して居たからである。磐城判官は、国府に巣くう貪官汚吏(たんかんおり)を続々と処罰追放し、仍(よっ)て奥州諸郡の民は、国府より不正な徴収をされなく成った。以(もっ)て政氏は、奥州全土の民から信頼され、此度も不要な混乱を、容易に回避出来たのであった。

 やがて、平維叙(これのぶ)率いる常州軍四千は、多賀城にその姿を現した。大掾(だいじょう)政氏は南門を開き、周囲を掃(は)き清め、政庁まで兵を整列させて、恭(うやうや)しくこれを迎える。先ず、第一陣一千騎が入城し、続いて平兼忠率いる第二陣が入って来た。

 兼忠が政庁に着くと、そこには大掾(だいじょう)政氏以下、留任した少掾(しょうじょう)や目(もく)の面々が迎えて居た。兼忠は、政氏の前で下馬すると、馬を家臣に委(ゆだ)ねて歩み寄る。
「御久しゅうござるな。聞けば、陸奥大掾職を久しく務められて居るとか。」
「はっ。」
政氏は神妙に答える。二人が初めて会ったのは天延二年(974)、維叙(これのぶ)の父貞盛が陸奥守に任官した折、兼忠がこれに従軍して奥州に下向した時の事である。そして、貞盛が四年の任期を終えた後の天元三年(980)、兼忠は出羽介に任官して居た。位階も従五位上へと進み、それ等の背景に加えて、手勢四千騎の威容が、兼忠に政氏を見下す態度を取らせた。

 暫(しばら)くして、常陸軍四千騎全てが入城を果し、城内の兵は磐城軍一千騎と併せて、五千騎にも膨(ふく)れ上がった。しかし多賀城は、当時都人からは異民族の如く目されて居た。蝦夷(えみし)を統治する拠点である。有事の際は一万騎を収容出来る程に広大な城であったので、手狭観は少ない。

 やがて、国守維叙(これのぶ)が政庁へ姿を現すと、国府の官吏一同は礼を執って迎えた。政氏は挨拶をした後、国守以下を広間へと案内した。

 先ずは平維叙(これのぶ)を筆頭とする、国府新体制の顔合せである。上座に腰を下ろした維叙は、施政方針を述べ始めた。その内容は、常陸家家臣を除(のぞ)く多くの者を、大いに驚駭(きょうがく)せしめた。
「余が天朝より陸奥守を拝命した折、特に厳命された事が有る。其(そ)は先の陸奥守より受けた報告に依る物であるが、当国の政(まつりごと)は一判官(ほうがん)職に在る者に私され、守(かみ)の権威が蔑(ないがし)ろにされて居ると聞き及ぶ。そして本日、多賀城に入場して余は驚いた。其(そ)は判官の私兵が国府を占拠して居る様を、目(ま)の当りにしたからである。此(こ)は国家体制を崩壊せしむる事に繋(つな)がる。余は先ず、斯(か)かる異常な事態を回復させる事から始め様と考える。それが天朝に対し奉(たてまつ)る忠義であると、思われるからである。」
維叙の話が終った後、広間には暫(しば)し沈黙が続いた。進行役を務める筈(はず)であった政氏が、国守より非難された為、何も話せなく成ってしまったからである。

 已(や)むなく、少掾職の者が政氏に代り、進行役を務めようとした。当初、この後に大掾より、陸奥国が現在抱える諸問題や、財政の報告等を行う予定であった。だが場の緊迫した雰囲気を和(なご)ませる為、少掾は新国守就任を祝う宴(うたげ)に移る事を提案した。しかしそれを兼忠が遮(さえぎ)り、常陸側の意見を述べる。
「陸奥守様の兵は四千騎。当家が用意した兵糧だけでは、この軍団を長く維持出来ぬ故、ここは早急に軍議を開き、我が軍を国府軍に編入致したく存ずる。」
兼忠の要望を維叙が容(い)れた為、急遽(きゅうきょ)軍議を行う運びと成った。

 軍議において、兼忠が先ず主張した事は、常陸全軍を悉(ことごと)く、国府軍に編入するという内容であった。しかしこれでは、軍費が膨大に成ってしまう、と財務担当官が返すと、兼忠は政氏配下の一千騎を、国府軍から外す事を提案した。これには佐藤純明が躙(にじ)り出て、新たに着任したばかりの兵だけでは他の利を得ず、不安が残ると発言した。されど兼忠は、以前に当国赴任の経験が有る故、懸念は無用であると、これを斥(しりぞ)けた。

 今、城内に詰める兵の八割が、陸奥守直属の常陸軍である。軍議は力で兼忠に押し切られ、これまで国府軍の中核を成して来た磐城軍は、悉(ことごと)く解任を言い渡された。

 政氏は、今まで私心無く国政に参与して来ただけに、無念さは一入(ひとしお)であったが、已(や)むなく兼忠の要求に応じる事とした。

 その後、常陸兵を国府軍に編入する事が決議され、平兼忠を兵部の長官に任じ、軍議は閉幕した。然(しか)る後に、新国司の着任を祝う宴(うたげ)が催される運びと成った。その仕度中に、一騎の早馬が城内へ飛び込んで来た。使いの者は、門衛である江藤兵に書状を差し出し、それは政庁に控える将、江藤玄貞に届けられた。

 玄貞は差出し人を確かめた後、封を切って中を読み、再び畳(たた)み直した。そしてそれを持参し、政氏の元へ赴いて書状を渡す時、小声で書状の内容を伝えた。政氏はそれを聞いた後、直ぐに席を立って国司の前へ進み出で、座礼を執り言上する。
「国府(こう)の殿に申し上げまする。」
維叙(これのぶ)は訝(いぶか)し気な顔で応ずる。
「何じゃ?」
「只今信夫より急便が有り、前(さきの)信夫郡少領黒沢正住が重篤に陥(おちい)り、余命幾許(いくばく)も無いと伝えて参り申した。正住は長年信夫郡政を主導せし功労者故、某(それがし)はこれより信夫へ赴き、正住を見舞ってやりたいと存じまする。」 政氏の言葉を受け、維叙は兼忠を一瞥(いちべつ)した。そして兼忠が首を縦に振ったのを見て、維叙は許可を下した。政氏は感謝の言葉を申し上げると、佐藤、江藤の二将を連れて、政庁を後にして行った。

 政氏はこの時、半ば安堵の気持を抱いて居た。あの様な強圧的な軍議で、己の兵権を奪われた後、その人物を祝う宴(うたげ)には、到底平然と居座れる訳は無いからである。

政氏は両将に命じて、先程国府軍からの解任を宣言された、自軍一千騎を纏(まと)めさせ、早々に国府を発って行った。

 多賀城を出立した磐城軍は、海仙両道の分岐点に在る玉前の駅に到着した所で、軍を休める事とした。逢隈(阿武隈)山地に掛かろうとする、夕陽の残照を受けて輝く広大な河口を、政氏は静かに眺めて居た。やがて、佐藤純明と江藤玄貞が政氏の元に駆け寄り、純明が報告する。
「大殿に申し上げまする。我が軍は充分な兵糧を確保出来なかった故、このままでは明日にでも、蓄えは尽きてしまいまする。」
政氏はそれを聞くと、溜息を吐(つ)いて天を仰いだ。

 此度磐城軍一千騎は、急に任を解かれた上に、その補償も成されて居なかった。国守維叙(これのぶ)は朝廷より、躍進(やくしん)目覚しい磐城平家の勢力を削(そ)ぐ様に内意を受け、それを実行して居るだけの様に窺(うかが)える。されど副将兼忠は、先年父繁盛が、政氏の工作に因(よ)り失脚した事を知り、遺恨(いこん)を以(もっ)て政氏に対して居る事が厄介(やっかい)であった。

 政氏は、このまま全軍を率いて信夫に向かった場合、必ずや兵糧調達で問題が起る事を予測し、軍の大半を磐城へ帰す事に決めた。依然国守が何を仕掛けて来るか判らない今、軍を悉(ことごと)く解く事も危ぶまれたので、佐藤勢、江藤勢に直属の住吉兵を併せて百騎程に減らし、残りは海道から還(かえ)す事と成った。

 その夜の内に、仙道を行く者、海道を行く者とに隊が分けられた。そして翌朝の出立と共に、磐城軍の殆(ほとん)どが逢隈(阿武隈)川を渡り、磐城を目指した。一方、政氏の仙道本隊は少数精鋭で、仙道を西進し始めた。食糧は怖らく、篤借(あつかし)に至る頃には尽きてしまう。政氏は信夫へ使者を送り、伊達郷に百人分の食糧の手配を命じた。

 使者は先行して信夫椿舘へ到着し、平政澄以下重臣に、政氏本隊の窮状を報告した。松川正宗は直ちに郡の米蔵を開いて、百人分の簡易な軍中食を拵(こしら)えさせ、伊達郷へと輸送した。これに因(よ)り、政氏本隊は食糧問題を起す事無く、椿舘へ入る事が出来た。

 政氏が岳父正住の元へ辿(たど)り着いた時、正住の顔には既(すで)に、白い布が乗せられて在った。傍らでは、慟哭して居た三春御前が、政氏の到着に気付き、顔を両手で抑えて声を殺す。政氏はその様を見て、ぼそりと呟(つぶや)いた。
「そうか。旅立たれたか。」
政氏は岳父の枕元に歩み寄り、腰を下ろした。そして、正住の顔に掛けられた布をそっと捲(めく)り、最後の対面を果すと、間も無く布を戻して、静かに合掌した。

 政氏はその後、信夫の重臣を集めて、葬儀の段取りに就(つ)いて話し合った。正住の子の内、時廉は京に在って、葬儀に参列する事は叶(かな)わない。三春城主黒沢正顕(まさあき)は、明日にでも到着するとの報せが入って居たが、滝尻政之は滝尻館守備の為、未だ磐城郡内に留まり居るという。政氏は斯(か)かる事情から已(や)むなく、兄弟順が下の正顕を、喪主として立てる事とした。

三日後、政氏は前信夫郡少領黒沢庄五郎政住の葬儀を、盛大に執り行った。正住の治政は信夫に安寧を齎(もたら)し、その分政氏は、磐城の開発に力を注ぐ事が出来た。故に彼(か)の地も、磐城家の本拠として、大いなる発展を遂げつつ在る。磐城信夫両郡は交易も盛んと成り、共栄の道を辿(たど)って来た。斯(か)かる事業の功労者故に、又奥州戦役の折に、自軍を救ってくれた盟友の為に、政氏は正住を手厚く葬(ほうむ)った。

 葬儀の後政氏は、喪主を務める為、椿舘に滞在して居た遺子正顕に会い、磐城黒沢両家の友好を確認し合った。正顕から見れば、偉大な父を失い、兄二人が自領を去った今、近隣の大勢力たる磐城判官から目を掛けて貰(もら)えた事は、とても有難い事であった。

 やがて正顕は、安積郡丸子郷へと戻って行ったが、政氏は引き続き七七日の法要の為、信夫に留まった。そして七七日が終った後も、政氏は信夫を動かなかった。常陸軍制圧下の国府に戻る事は、多大な危険を伴う。又、不用意に動かぬ事が最善の策であると、政氏は考えて居たからである。

 政氏は信夫に留まる間、郡政は平政澄、松川正宗、佐藤純利の三人に委(ゆだ)ね、特に口を挟む事はしなかった。この若き郡主と土豪、旧臣といった三人が、互いに良き影響を齎(もたら)し合い、郡政に作用する事を期待して居た故である。政氏は主に、佐藤純明や江藤玄貞を連れて、郡内の巡察に努め、治安を向上させる一方で、領内の良き所、悪(あ)しき所を両者に尋ね、領主としての教育も行った。

 秋に成ると、農民は収穫作業で忙しく成る。村人は、漸(ようや)く己の財と成る物を得る喜びを感じる一方、領主が税の徴収に来るという、気の重い時期でもある。

 国府では、急に四千もの兵を抱え、財政上の大きな支障と成って居た。国司維叙(これのぶ)と兼忠は、政氏を国府より追い出して、国政を手中に収めるまでは、思い通りに事が運んだ。しかし、磐城平家が磐城郡と信夫郡其々(それぞれ)において、三千ずつ兵を集める事が可能である事を考えると、本領より遠く離れた地で、兵を手放す事は躊躇(ためら)われた。国府の米蔵には、政氏が有事に備えた蓄えが有ったので、これを用いて大軍の維持に当てる一方、やはり民へも、法定以上の徴収を行わざるを得なかった。故に国司へ反感を抱く者は、次第にその数を増して行った。

 翌正暦三年(992)、国庫の備蓄米をも使い切った国府軍は、遂に各村々に兵を派遣し、より重い税を課して、徴収を始めた。法を破って行う故に、徴収と言うより略奪と呼ぶ方が相応(ふさわ)しい行為が、村々で繰り広げられた。陸奥の民は、平維叙(これのぶ)の暴政に怒りを募(つの)らせる一方、先年磐城判官が国政を掌管して居た頃を懐かしんだ。

 陸奥南方には磐城判官、北方には安倍一族が割拠して居り、これ等の地方には手が出せぬ分、国府軍の暴虐は国府周辺の宮城野に集中した。腹に据(す)え兼ねた一部の豪族達は、遂(つい)には兵を募(つの)り、国府軍から村を守る様に成った。陸奥国には俄(にわか)に、戦雲の兆しが見え始めて居た。

 次第に、国府軍と土豪勢力の小競(こぜ)り合いが、頻発する様に成った。時折、椿舘の政氏の元にも豪族達から、国守と対決する為の義兵を挙げる故、その盟主と成って欲しいという書状が届く様に成った。

 ある日、政氏は珍しく自ら、政庁に重臣達を召集した。そして陸奥国府や諸豪族より届けられた、国政の乱れを記した文書を回覧させた。皆が一通り読み終えた所で、政氏は諸将に意見を求める。
「斯様(かよう)に国府近辺では、豪族が兵を募(つの)って己(おの)が所領に配備し、不穏な情勢と成って居る様じゃ。皆はこれ等の書状を読み、如何(いか)に感じたか?」
その問いに、佐藤純明が先ず口を開く。
「畏(おそ)れながら、此度の騒動は陸奥守が、当家を国府軍より解任した後に起りし事にて、失政の責任は陸奥守にござりまする。このまま放置して置けば、動乱は更(さら)に拡大し、やがては四年前の尾張国司藤原元命(もとなが)の如く弾劾(だんがい)され、解任される事でありましょう。我等は只傍観し、維叙(これのぶ)の自滅を待つが上策と心得まする。」
他の重臣達も、殆(ほとん)どが純明と同じ考えであった。されど、老将純利だけは黙ったままである。政氏は純利に尋ねる。
「純利は如何(いか)に思う?」
主君から指名を受けた純利は、畏(かしこ)まって答える。
「畏(おそ)れながら、大殿に御尋ね申し上げまする。大殿の元に寄せられたる報せで、我等に御明かし出来る物は、これが全てにござりましょうや?」
純利は信夫郡中に在っては、先代より仕える唯一の旧臣である。此度の政氏の召集に対して、長年の経験から、僅かな違和感を覚えて居た。政氏は苦笑して答える。
「流石(さすが)は純利じゃ。実はもう一通、国府の親交ある人物より書状が参った。」
そう答えて、政氏は書状を懐より取り出すと、再び重臣達に回覧させた。

 それに目を通した者は、次々と顔色を変えて行く。その書状には国府において、平政氏を大掾(だいじょう)職より解任する事が、兼忠の発議に因(よ)り決せられたと書かれて在る。日付も未だ三日前の物であった。

 純利は、これを読んだ上で答える。
「成程(なるほど)。此(こ)は忌々(ゆゆ)しき事態でござりまするな。されど大殿は、これを逆手(さかて)に一計を案じて居られる御様子。」
政氏は頷(うなず)いた後、重臣達に告げる。
「陸奥守は今や、追い詰められし立場に在る。しかしその対抗勢力が、当家を擁立する動きを見せて居る以上、国守は当家に鉾先(ほこさき)を向けて来る怖れが出て参った。大乱が勃発すれば、当家が煽動した物と、京に報告される怖れも有る。愈々(いよいよ)事は、座して見て居るだけでは、我が身を危うく為る所まで至った様じゃ。」
誰もが政氏の言葉を、固唾(かたず)(つ)を呑んで聞いて居た。政氏は引き続き、己の存念に就いて述べ始める。
「当家と常陸平家との対立は、今を遡(さかのぼ)る事六十年近くも昔の承平五年(935)、常州大串にて、我が祖父将門公が源護(まもる)と合戦に及びし時、平国香殿が源家に与(くみ)した為、石田館に追い詰めて自害させし事が発端である。爾来(じらい)両家は、共に高望公を祖とする同族で在りながら、和解には至らず。康保四年(967)に当家が磐城に府を置いてより、狭間に位置する菊多の地は、久しく緊迫した情勢が続いて居る。」
政氏は信夫の豪族に、両家三代に渡る溝を説明した。事の起りは、将門と国香の対立である。今の磐城家当主、政氏は将門の孫であり、国府の維叙(これのぶ)、兼忠は国香の孫である。政氏は言葉を続ける。
「儂(わし)は陸奥守が追い詰められし今、両家の誼(よしみ)を深め、永年に渡る対立を終結させる、好機であると考える。その実現の為、儂は国府へ赴き、維叙と兼忠に会(お)うて参ろうと思う。」
政氏の説に、家臣達の中から響動(どよ)めきが起きた。

 江藤玄貞は前へ躙(にじ)り出て、政氏に訴える。
「大殿、国府は今や虎口。維叙(これのぶ)の虜(とりこ)と成り、御命さえ危うく成る怖れがござりまする。」
多くの者がこれに同意し、主君に再考を請(こ)う。しかし政氏は、片手を翳(かざ)して家臣を制し、鎮まるのを待って話を接いだ。
「確かに危険は有る。しかし維叙、兼忠が揃(そろ)って苦境に立たされて居る今、常陸と同盟し、菊多磐城二郡を安住の地とするには、又と無い好機。盟約が成れば、両郡の兵備を縮小させ、より内政に力を入れる事が出来る。そして両郡が豊かに成れば、交易相手の本郡にも、その恩恵が及ぶ事と成ろう。」
政氏の、決死の覚悟で事に臨(のぞ)み、所領四郡の為に尽さんとする気迫が家臣達を圧倒し、場内は政氏の話が終ると共に、静まり返った。最早、誰も政氏を止める者は居なかった。やがて、佐藤純利が緩と前へ躙(にじ)り出て、主君に言上する。
「流石(さすが)は相馬武士の末裔。遖(あっぱれ)なる心意気でござる。さればこの老骨、共に国府へと乗り込み、殿の楯と成りましょうぞ。」
純利の言を受けて、その脇に控える佐藤純明と江藤玄貞は、互いに向かい合って頷(うなず)いた。そして純利の脇に躙(にじ)り寄り、純明が言上する。
「大殿に御願いの儀がござりまする。佐藤、江藤が手勢二百騎。多賀城まで御供致したく存じまする。さすれば、陸奥守が卑怯(ひきょう)を働いた時、大殿の御命だけは護り通して見せまする。」
二人の純粋な忠誠心を聞いて、政氏はすっと歩み寄り、三人の前で膝を突いた。然して表情を和ませ、語り掛ける。
「磐城四家は皆、二代に渡りて忠臣なり。儂(わし)は今の言葉を嬉しく思う。多賀城まで、警固を務めよ。」
「ははっ。」
政氏は命を受け、二人の若武者は平伏した。その時、純利は我が子の態度に、微(かす)かに顔を綻(ほころ)ばせて居た。

 そして政氏は、平政澄と松川正宗に言い渡す。
「其方(そなた)等には本郡の政(まつりごと)を委(ゆだ)ねるが、困りし事が有らば、安積(あさか)の黒沢正顕か、磐城の平政道を頼るが良い。又、儂(わし)の交渉が失敗し、陸奥に動乱が起きた時には、常陸と同盟を結ぶ、下野の藤原文脩(ふみのぶ)が介入して来るやも知れぬ。南方への警戒も、怠(おこた)り無き様。」
「はっ。承知仕(つかまつ)り申した。」
政澄と正宗は、返事と共に平伏した。

 翌日、政氏は再び信夫の重臣を、広間に召集した。万一に備え、昨晩認(したた)めた遺言状を、公表して置く為である。それに依れば、政氏の死後は長子政道が家督を相続し、四郡を統轄する事。又、次子政澄には信夫郡を任せる事、と書かれて在った。政氏は、信夫の重臣悉(ことごと)くに確認させた後、それを磐城出身の者に命じて、住吉館の政道の元へと送った。

 そして明くる日の早朝、佐藤勢、江藤勢併せて二百騎は、出発の準備を整えて居た。多くの重臣が椿舘の大手門まで見送りに出て居り、主君政氏の無事の帰還を願う声が、方々から聞こえて来る。

 政氏は出陣に際し、三春御前に言葉を掛ける。
「此度は生還を期せぬ故、万一の覚悟はして置く様に。しかし磐城には政道が居り、ここ信夫には政澄が居る。又、其方(そなた)の父上を慕(した)う者も本郡には多く、其方に取って信夫は安住の地であろう。」
「はい。」
御前は悲愴な面持ちではあるが、磐城判官の妻として、気丈に振舞おうと努めて居る様子が窺(うかが)える。それが却(かえ)って、政氏には痛々しく感じられた。

 次に政氏は、御前の隣に立つ政澄に告げる。
「母上を宜しく頼む。又、信夫の政(まつりごと)は目下、松川を頼りとして居るが、何(いず)れは其方(そなた)が多くの人材を登用し、より良い仕組みを築いて行かねば成らぬ。」
「ははっ。御任せ下さりませ。」
政澄の真摯(しんし)な顔を見て、政氏は些(いささ)かの安堵感を覚え、微笑を湛(たた)えた。そして、妻子の元を離れて己の馬に飛び乗り、隊列の中へと入って行った。

 やがて軍勢は、法螺貝(ほらがい)の合図を受け、馬紋と九曜紋の旗をはためかせながら、整然と行進し始めた。そして大手門を潜(くぐ)り、長蛇の列は仙道を北へ向かって行く。西方の吾妻連峰の上空は、次第に曇天と成り、南方からの生温い風が、春の嵐を予感させた。

 僅(わず)か百騎の手勢を率い、政氏は仙道を通って蔵王の東麓を抜け、玉前(たまさき)にて海道へ出た。更(さら)に北上し、名取を過ぎると、愈々(いよいよ)国府多賀城も近い。政氏に随行する屈強の武者達は、四千の国府軍とこれより対峙する事を考えると、自ずと表情が強張(こわば)り始めて居た。今、政氏に従う佐藤、江藤の精兵は、長年磐城平家と苦楽を共にして来た忠臣である。それを思うと、政氏は安堵感から、泰然と駒を進める事が出来た。

 やがて名取川を渡り、国府とは目と鼻の先に位置する栖屋(すねや)に至った時、磐城軍の前に、数多(あまた)の軍勢が展開して居るのが見えた。国府軍が迎撃に出た物と思った磐城軍に、一瞬緊張が走った。しかしよくよく見れば、国府軍とは服装が異なる。
「陸奥守の兵ではない。鎮(しず)まれ。」
政氏の声を受け、騒(ざわ)ついて居た磐城軍は、再び平静を取り戻した。

 政氏は一旦進軍を止め、国府近辺に布陣する者達の正体を掴(つか)むべく、斥候(せっこう)を放とうとした。しかしその時、各陣より数名の武士が、馬を駆って此方(こちら)へ向かって来るのが見えた。自軍へ向かって来る武者は大した数では無く、怖らくは使者であろう。政氏は街道脇に陣を布(し)き、様子を見る事にした。

 暫(しばら)くして、使者と思(おぼ)しき武者達は、磐城軍の手前で馬を下り、歩み寄って来た。前軍の将佐藤純明は、彼等の前に立ち開(はだか)って尋ねる。
「我等は磐城判官が軍勢なり。其方(そなた)等は何者ぞ?」
純明の質を受け、武者達は一斉に跪(ひざまず)いた。
そして、最も前に居る者が答える。
「我等は、国府周辺に所領を持つ豪族にござりまする。陸奥守の暴政に堪(た)え兼ねて居た所、最後の望みである判官様が、国府へ御戻りに成られると聞き及び、兵を率いて御味方と成るべく、馳(は)せ参じた次第にござりまする。判官様に宜しく、御取り成しの程を。」
それを聞いた純明は、礼を欠かぬ様に気を払った。
「然様(さよう)であったか。では大殿へ取り次いで参る故、暫(しば)し待たれよ。」
豪族達が神妙に承(うけたまわ)るのを見て、純明は早足に、本隊へ向かって行った。

 純明から報告を受けた政氏は、急ぎ豪族達の待つ前軍へと向かった。やがて、豪族達の前に政氏が姿を見せると、豪族は悉(ことごと)く座礼を執った。政氏は彼等に楽にする様告げた後、周辺の情勢を尋ねた。
「今、国府周辺には多くの軍勢が展開して居る様じゃが、併せて何(ど)れ程の兵が集まって居るのか?」
それに対し、前方に控える豪族の一人が答える。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。一時程前は、ざっと見て二千騎は集まってござり申した。只、今も磐城判官様を慕(した)う豪族達が、続々と駆け付けて居りますれば、今後何(ど)れ程の兵が集まるか、見当が付きませぬ。」
この時、政氏の胸中には一つの不安が過(よぎ)った。これだけの大軍の総大将に己が祭り上げられ、勝手に各豪族の手勢が国府を攻撃する様な事態に陥(おちい)れば、磐城家は朝敵と成ってしまうであろう。しかし、逆に交渉をする上で、これ程の大軍が国府を威圧してくれれば、事はより有利に運べる様に成る。

 政氏は豪族達に告げる。
「儂(わし)も皆と同様、国政を憂(うれ)い、多賀城へ向かう途上であった。これより儂は国府に入り、国司維叙(これのぶ)殿を諫(いさ)めて参る。その間、貴殿方は我が将の指揮下に入り、国府に睨(にら)みを利かせて貰(もら)いたい。」
豪族達は挙(こぞ)って政氏に平伏し、承服の意を示した。政氏は臨時に佐藤純明を総大将に任じ、城の南西に展開させて、街道を封鎖した。又、江藤玄貞を副大将に任じて北西に置き、鎮守府との連絡路を断った。そして集結して来る豪族達を、次々と両軍の指揮下に組み入れた。

 翌日払暁(ふつぎょう)政氏は、近隣豪族が加わり、一千騎以上に膨れ上がった佐藤勢を率いて、多賀城へ進軍した。東海から昇る太陽が軍勢を照らす一方で、西方蔵王連峰には雨雲が掛かり、雨天が予測された。

 佐藤軍が国府の西南半里に至った処で、国府軍が布陣し、防備を固めて居るのが見えた。政氏が傍らの純利に告げる。
「あの旗は平兼忠が手勢。数は五百程であろうか。丁度(ちょうど)良い。陸奥守が元へ、案内を頼むとしようぞ。」
「はっ。」
純利は返事をすると、軍使である事を示す旗を受け取り、高く掲(かか)げた。政氏は軍を離れる際、磐城軍を託した佐藤純明に、言葉を残した。
「万一、我等が維叙(これのぶ)の手に掛かろうとも、弔(とむら)い合戦をしては成らぬ。豪族達に国司の悪逆を証言させ、摂政の邸へ解文(げぶみ)を送り、維叙の処罰を願い出よ。この時は、多少の兵を伴いて騒いだ方が、効果は有ろう。」
「ははっ。後の事は、万事御任せ下さりませ。大殿の無事の御帰還を、願って居りまする。」
「うむ。」
又、政氏に随行する純利も、去り際に声を掛ける。
「其方(そなた)は一時とは申せ、大殿の代りに磐城家の総大将を務める身。磐城家の名を穢(けが)す振舞の無き様。」
「父上の御懸念には及びませぬ。磐城四家は、二代目と成った今でも武勇に優(すぐ)れたる事を、奥州諸侯へ示して御覧に入れまする。」
「うむ。その意気じゃ。」
そして主君と父が、二騎で国府軍へ向かって行くのを、純明は軍の最前にて、頭(こうべ)を垂れながら見送った。政氏に取っては、磐城平家を盤石な物にする為の、命を賭した大勝負であった。

 政氏と純利が兼忠の陣へ近付くと、前衛の兵が矢を番(つが)え、此方(こちら)を狙って居る。
「暫(しばら)く、暫く。大掾(だいじょう)平政氏でござる。陸奥守様に御目通りを願いたい。」
政氏はそう叫びながら、兼忠軍の正面で馬を止めた。すると直ぐに、十名程の兵が、政氏等を取り囲んだ。

 間も無く、軍の中から兼忠が、側近を従えて現れた。
「政氏殿、久し振りでござるな。されど、貴殿は既(すで)に大掾職を解任され、只の郡司に過ぎぬ身と成られた事は、存じ上げて居られるか?」
兼忠は不敵な笑みを湛(たた)え、政氏を見据える。一方の政氏は、馬上に在って毅然としたまま、兼忠に告げる。
「されば、郡司として申し上げる。今、多賀城西方には三千を超える兵が集まり、国府へ押し寄せ様としてござる。幸い大事に至る前に、当家の者にてこれを制する事が叶(かな)い、某(それがし)が解決策を呈する為に、罷(まか)り越した次第。至急、陸奥守様に御目通りを。」
政氏の真剣な言葉に対し、兼忠は蔑(さげす)んだ目で政氏を見ながら、家臣に命ずる。
「当方は四千の軍勢を擁して居る。烏合(うごう)の衆が三千ばかり集まった所で、恐るるに足らず。此奴(こやつ)等も賊に加担する一味故、牢にでも繋(つな)いで置け。」
兼忠の命を受けた兵は、二人を馬より下ろし、城内の牢獄へ引っ立て様とした。

 その時、兼忠の元に使者が駆け付け、周辺の情勢を報告した。それを受け、兼忠の顔色が俄(にわか)に変わって行った。使者の報告では、本日新たに、志太、黒川、名取方面より武士団が現れ、多賀城周辺の抵抗勢力は、六千騎に増加したとの事であった。兼忠はこれを受けて、漸(ようや)く事態を重く見、政氏主従を鄭重に政庁へ連れて行く事にした。

 兼忠は、その場の守りを家臣に任せ、僅(わず)かな護衛と共に政氏主従を案内し、南門より城内へ入った。城内は、新たに大軍が押し寄せて来た報が齎(もたら)されてか、伝令が頻繁に行き交(か)い、各所で部隊の配置換えが行われ、騒然たる様相を呈して居た。

 政庁では、陸奥守平維叙(これのぶ)が数名の、直属の将を集めて軍議を開き、宛(さなが)ら帷幄(いあく)の如き情景であった。そこへ兼忠と共に、政氏主従が乗り込んで来た。

 維叙(これのぶ)の家臣はその殆(ほとん)どが、磐城平家を敵視し続け、漸(ようや)く失脚させる事に成功したばかりであったので、兼忠がその当人を連れて来た事に、大いに驚いて居た。実は維叙以下、先代貞盛に係る者達は、磐城平家に対して、強い怨恨(えんこん)を抱くまでには至って居ない。しかし、兼忠を中心とする常陸土着の者には、先代繁盛を失脚させられた遺恨(いこん)が、根強く残って居た。それを慮(おもんばか)ると、余程の大事が出来(しゅったい)したと、維叙等は察した。

 兼忠は、政氏と純利を伴い、維叙(これのぶ)の前へ進み出て礼を執った。そして先ず、兼忠が口を開く。
「申し上げまする。信夫郡司平政氏殿が先程現れ、陸奥守様に言上致したき儀が有るとの由(よし)にござりまする。」
「ほう。」
維叙は幾分動揺を顕(あらわ)にしたまま、政氏に顔を向けた。政氏は一礼すると、泰然と構えたまま座し、維叙を見据えて告げる。
「御願いの儀がござり申す。国府が抱える兵を、一千まで御減らし下さりませ。さすれば、出費が大幅に削減され、財政の収支を好転させる事が出来まする。以(もっ)て、諸豪族に伸(の)し掛かる重税を撤廃する事が叶(かな)い、今の非常事態を回避する事が出来まする。」
しかし維叙の回答は、政氏の提案を一蹴する物であった。
「それは成らぬ。僅(わず)か一千騎では、この広大な陸奥国を守り切れぬ。」
政氏は尚も食い下がる。
「陸奥北部には鎮守府が在り、鎮守府将軍が大軍を常駐させて、守りを固めてござり申す。又、南部は朝威が行き届いて居り、長年乱も起らず、平穏にござりまする。故に、目下国府に大軍を置くは、国政の為に成らず。徒(いたずら)に豪族を刺激するのみにて、某(それがし)は唯(ただ)陸奥の安寧の為に、陸奥守様の御再考を請(こ)い奉(たてまつ)る次第にござりまする。」
そう言うと、政氏は深々と頭を下げた。

 依然、維叙(これのぶ)は聞く耳を持たぬ様子で、政氏から目を逸(そ)らして居る。政氏自身、今までの言葉だけでは、維叙は動かぬであろうと思って居た。国府に大軍を常駐させて置く理由は、民から略奪を行い、逆う者には武力で鎮圧するという目的もあったであろう。されど最大の理由は、もし政氏が磐城、信夫より叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)した時、海仙両道は封鎖され、本領常陸への退路を断たれてしまう事を恐れた為と、政氏は考えて居た。

 政氏はゆっくりと頭を上げると、脇に控える兼忠を一瞥(いちべつ)して尋ねる。
「では、別に御尋ねしたき儀がござりまする。かつて、平国香公が御拓きに成られた常陸の御所領を、現今実質統治しておわすのは、兼忠殿と御聞き致し申した。これに間違いござりますまいか?」
維叙(これのぶ)は兼忠に目をやった後、頷(うなず)いた。それを見て政氏は、体を兼忠の方へ向き変え、一つの提案を述べ始めた。
「当家は、常陸家との同盟を望んで居りまする。この儀、如何(いかが)にござりましょうや?」
突飛(とっぴ)な発言に、常陸家の者達は一様に驚きの色を顕(あらわ)にした。そして、俄(にわか)に政庁内は騒(ざわ)つき始める。

 兼忠は、政氏をよくよく観察した。磐城平家が追い詰められた際の、窮余(きゅうよ)の策であるならば、磐城平家を隷属(れいぞく)させる事が望ましい。しかし目下、政氏は城外に、三千の豪族連合を掌握して居る。加えて、都に解文(げぶみ)を送られては、尾張の藤原元命(もとなが)の先例に倣(なら)い、国司解任の憂(う)き目に遭(あ)う怖れも、充分に考え得る。しかし政氏はそれをせず、公然と敵対する国府軍の中へ、我が身の危険を承知で乗り込んで来た。兼忠は、政氏の真意を探(さぐ)る必要有りと考えた。

 国司の傍(そば)らから、兼忠は政氏を見据え、解(げ)せぬ点を質(ただ)す。
「磐城家は、当家との盟約を望むと申されるが、両家が末永く誼(よしみ)を保つには、それなりの証(あかし)が要る。貴殿の姫は既(すで)に他家へ嫁がれたと聞くが、婚姻無くば何を以(もっ)て証(あかし)とするのか。よもや我が姫を、御嫡男に遣(よこ)せと申されるのではあるまいな?」
政氏は、真剣な眼指を兼忠に向けて答える。
「確かに婚姻は、一つの証(あかし)とも成りましょう。されど、承平の頃相馬将門は、伯父であり、又岳父でもある上総良兼殿に攻められ申した。仍(よっ)て某(それがし)は、より実の有る証(あかし)を進呈致したく存じまする。」
「ほう、それは何か?」
兼忠のみならず、維叙(これのぶ)一門までもが、政氏に注目する。政氏は彼等の視線を横目に、ゆっくりと話し始める。
「当家の所領は、磐城、菊多、信夫、津軽と、奥州四郡に及んでござりまする。故に、山の物から海の物、北の物から南の物と、奥州にて産する有らゆる物産が、交易を以(もっ)て四郡に加え、近隣諸郡にも運ばれてござり申す。そしてそれ等は、豪族から民に渡って、自領では産出する事能(あた)わぬ物の売買が盛んと成り、多くの富を享受致して居りまする。某(それがし)が望む事は、兼忠殿の常陸領にもこの交易網に加わって戴き、共栄の体制を築き上げる事でござる。」
政氏の提案に、兼忠の他、常陸家の者は悉(ことごと)く沈黙してしまった。陸奥に大乱の兆しが有り、国司解任の淵に在る維叙に取って、戦乱を回避し、且(か)つ富貴を望む道を見出せた今、藁(わら)にも縋(すが)る心境と成って居た。それを察した政氏は、更(さら)に言葉を接ぐ。
「菊多、多珂の国境を、商人が頻繁に出入りする様に成れば、互いに相方の軍の動きを察し易く成り、以(もっ)て警備兵を減らし、国境における要らぬ衝突を防げまする。又、互いに戦(いくさ)と成れば、当然交易網は寸断され、富の流入は途絶え、双方に損害が及ぶ結果と成り申す。これに優(まさ)る盟約の証(あかし)が、果してござりましょうや?」
政氏の気迫籠(こも)る言葉に、兼忠はたじろいだ様子であった。

 その後ろで、二人のやり取りを黙って見て居た維叙(これのぶ)は、不意に政氏に言葉を掛けた。
「今、国府の外には多くの豪族が兵を集め、その鉾先(ほこさき)を我等に向けて居る。政氏殿には、斯(か)かる危機を乗り切る策は御有りか?」
維叙が折れて来た事を感じた政氏は、正対して、自信を持って告げる。
「先に申し上げた通り、国府軍の削減、税の軽減を御約束戴ければ、某(それがし)が命を賭して、これを鎮(しず)めて御覧に入れまする。」
政氏の言に維叙は頷(うなず)き、傍らの兼忠に諮(はか)る。
「磐城家との同盟が成れば、常陸領は村岡忠頼と対峙するに及んだ折、背後を脅(おびや)かされずに済む。磐城殿の申し出は、当家に取っても大いに有益であると思うのだが。」
ここに至って兼忠は遂(つい)に、承諾する旨を告げた。将門、国香以来の怨恨(えんこん)は、孫の政氏、兼忠に因(よ)って、遂に融解する事と成ったのである。政氏の背後で老将佐藤純利は、大きく息を吐(つ)いた後、天を仰いだ。

 磐城、常陸両家は、互いに誓約書を認(したた)め、血判(けっぱん)を押した。これを見届けた陸奥守維叙(これのぶ)は、政氏を大掾(だいじょう)に復帰させ、財政再建を任せる事とした。

 政氏は晴れて判官職を取り戻し、先ずは城外に展開する豪族達を解散させるべく、佐藤純明の陣へと戻って行った。

 南門より接近する二騎の武者が、政氏と純利であると本陣に報告された時、大将佐藤純明は大いに喜んだ。そして陣の最前線へ移り、主君と父を迎えた。

 政氏主従が佐藤勢の陣へ到着すると、政氏は直ぐに純明の姿を見付け、馬を降りて歩み寄る。純明以下の主立った将は、跪(ひざまず)いてこれを迎えた。
「無事なる御帰還、恭悦(きょうえつ)至極(しごく)に存じ奉(たてまつ)りまする。」
純明の言葉に政氏は笑顔を見せ、そして佐藤勢に告げる。
「御苦労である。先程陸奥守等と会談に及び、上首尾であった。磐城と常陸、両家の対立は解消され、同盟を結ぶに至った。」
(なか)ば実現は困難であると思って居た純明は、大いに驚き、暫(しばら)く言葉を失って居たが、やがて大きな声を上げた。
「御目出度(おめでと)うござりまする。」
純明も又、奈古曽(なこそ)方面の平穏が、磐城菊多の治政上、最も難しい課題であると考えて居た。それを今、政氏が成し遂げて来たと聞き、主君に対して、心の底から敬意を抱いた。

 政氏は、純明の肩に手を置いて告げる。
「未だ、直面する問題を解決し終えた訳では無い。国府に押し寄せた豪族達を、鎮(しず)めねば成らぬ。主立つ者を、ここへ集めてくれ。儂(わし)が話を致す。」
「はっ。」
純明は立ち上がると、急ぎ江藤軍へ使者を送り、豪族の代表者に召集を呼び掛けた。一方で家臣に命じ、自軍に合流した豪族達を、本陣へと呼び寄せた。

 一時(いっとき)近くが経ち、政氏の本陣には、挙兵に及んだ豪族の首長達が、悉(ことごと)く終結した。政氏は彼等を前に、先ず国司が違法な税の徴収を以後、行わない事を約束した旨を伝えた。豪族達は半信半疑の様子で、辺りの者と意見を交し、俄(にわか)に騒(ざわ)つき始めたので、政氏はそれを鎮(しず)め、言葉を接いだ。
「一度だけ、国司に機会を与えたい。この先一年間、国政を観察し続け、もしこれまでの如く、暴政を繰り返す様な事が有らば、共に上洛して摂政に解文(げぶみ)を差し出し、国司の厳重なる処罰を求め様ではないか。」
豪族達を見渡すと、現国司に対して寛大過ぎると、不満の様子を表して居る者が居る。政氏は全員を納得させる為に、更(さら)に話を続ける。
「我等には今や、国司更迭(こうてつ)を実現させ得る力が有る。そして、現国司平維叙(これのぶ)殿は我等の力を恐れ、今までの悪行を改める事を約束してくれた。徒(いたずら)に騒動を起して国司を更迭させた所で、新任の国司が同じ愚を犯す様で在らば、此度の苦労は皆水泡に帰してしまう。ここは後一年ばかり、現国司の政(まつりごと)を静観する事が、奥州安寧への最良の道と存ずる。」
豪族達は再び辺りの者と相談をし、暫(しばら)くして声が上がり始めた。
「異論無し。」
それは雪崩(なだれ)の如く周囲に広がり、遂(つい)には全ての豪族が賛同を示した。ここに至り、豪族達は政氏の解散命令に素直に従い、次々と自軍へと戻って行った。そして手勢を纏(まと)めると、続々と国府近傍より撤兵を開始し、長蛇の列を成して陸続と、己(おの)が所領へ引き揚げて行った。

 漸(ようや)く国府近辺より、磐城軍を除(のぞ)いた悉(ことごと)くが姿を消すと、政氏は佐藤、江藤の二百騎を率い、国府へと入城して行った。

 陸奥守維叙(これのぶ)は、国政に不満を抱き群集した大軍を、政氏が説得のみで解散させたと聞き、大いに驚いた。しかし政氏の報告に依れば、豪族が大人しく政(まつりごと)を見て居るのは一年限りと聞き、胆(きも)を冷した。維叙は、大掾(だいじょう)政氏に国政を統轄(とうかつ)させ、国府軍の将兼忠は、已(や)むなくその下に置かれる事と成った。

 政氏は先ず、軍費の節約の為、国府軍を一千まで減らす事とした。仍(よっ)て、多くの常陸兵が帰国する事と成った。この時兼忠は、磐城兵二百も帰国の準備を進めて居る事を知った。兼忠は慌てて、政庁内の政氏の元へと走った。

 息を切らして入室して来た兼忠の姿に気付いた政氏は、筆を置いて兼忠の方へ向き直った。
「如何(いかが)なされましたかな?」
涼しい顔で尋ねる政氏に、兼忠は息を荒げて尋ね返す。
「判官殿の手勢が、悉(ことごと)く帰国の準備をして居る様でござるが、此(こ)は如何(いか)なる事にござろうか?」
「ああ、国府軍を定めし人数まで、減らす為でござる。」
政氏はさらりと答えた。兼忠は尚も訝(いぶか)しがる。
「はて、それでは判官殿の手勢が全軍、国府より退去してしまいまするが。」
「はい。」
平然と構える政氏を見下ろしながら、兼忠はこの時漸(ようや)く、その意図を察した。此度、政氏の提案を容(い)れ、国府軍は常陸兵千騎を残し、他は常州へ引き上げる事と成った。仍(よっ)て、磐城軍を国府に残しては、筋が通らぬと考えての事であろう。

 しかし、常陸の者から見れば、磐城判官は長きに渡り対立を続け、又先年は兼忠の父、繁盛を失脚させた張本人として、仇敵(きゅうてき)と見做(みな)されて来た。今、磐城軍が国府を立ち退(の)けば、一部の常陸兵が、政氏に危害を加える怖れが有る。さう成れば、折角(せっかく)締結にまで漕(こ)ぎ着けた同盟は無に帰し、両家が再び敵対してしまう事は、容易に想像が付いた。

 兼忠は、更(さら)に数十名の兵を常陸へ送り帰す故に、政氏に警固の兵を持つ様勧めたが、政氏は財政の負荷に成ると言い、中々首を縦に振らない。常陸兵が政氏に危害を加えれば、当然両家は戦(いくさ)と成り、奥州は此度こそ大乱に成ると諭(さと)され、政氏は漸(ようや)く兼忠の勧めに従った。

 此度の奥州再下向に臨(のぞ)んだ頃、兼忠は父を失脚させられた恨みを抱きつつ、国府に乗り込んで来た。しかし今、己を捨ててまで天下に尽そうとする政氏の実直さに触れ、かつての怨恨(えんこん)は融解し、次第に敬意を抱く様に成って居た。

 政氏は、兼忠の口添えに因(よ)り、陸奥守維叙(これのぶ)より手勢五十騎の駐留を命ぜられた。先ず佐藤純利を信夫の政澄の元へ戻し、次いで主(あるじ)不在の磐城郡三沢館へ、佐藤純明を還す事とした。政氏の元には、江藤玄貞が手勢五十騎と共に残り、他は純明と共に、磐城へ帰還する運びと成った。この時政氏は、純明と玄貞の両若武者が、初めて国府に伴なった頃よりも、精悍(せいかん)な顔付きに成って居る事に気付き、その成長を内心喜んだ。

 国府軍の数が大幅に削減され、毎月の支出もこれに伴い、減少に転じた。国府は漸(ようや)く、過重の税を搾(しぼ)り取らずに、財政を立て直す見通しが付いた。この状況を維持する為には、磐城と常陸との同盟が、確固たる物で無ければ成らない。幸い国府においては、政氏と維叙(これのぶ)、兼忠が親しく接する様に成ったので、特に問題は無い。しかし、自国を任せて居る者同士の関係には、尚も不安が残った。

 政氏と兼忠が話し合った結果、二人の連署にて認められし書翰(しょかん)を、磐城領を預かる平政道、常陸領を預かる平維幹(これもと)の双方へ送った。そして奈古曽(なこそ)近辺からの兵の撤収と、両国交易路の早期構築を命じた。

 磐城、常陸両国の民に取っては、領主の和睦は僥倖(ぎょうこう)であった。陸奥常陸の国境より物々しい武士の姿が消えると、商人達の往来は、次第に頻繁に成って行った。商人は相手国で産し、自国には無い珍しい物を見付けては、売買の商談に移り、それ等を自国に広める役割を果した。特に磐城で産する鉄器や陶器、塩は、買い求める者が多く、その物流は、両家に大いなる富を齎(もたら)した。

 この影響も有り、陸奥国府の財政は、順調に再建して行った。国府の兵に厳しい規律を定めた事も有り、国府軍に因(よ)る略奪は粗(ほぼ)無く成り、国政に不平を抱いて居た豪族達の動きも、漸(ようや)く平穏さを取り戻すに至った。その陰で豪族達は、やはり頼みと成るのは磐城判官であると感じ、政氏の声望は揺ぎ無い物と成って居た。

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