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第十六節 黒沢家との縁談
年が明け、天禄二年(971)と成った。元旦から住吉館は、大勢の来訪客で賑(にぎ)わいを見せて居た。昨年は、政氏の兵力に恐れをなした豪族達が、多数傘下に入る事と成った。彼等が、来訪者の多くを占めて居る。一方で中には、広大な磐城郡を徐々に掌握して行く政氏に一目置き、誼(よしみ)を通じて置きたいと考える、近隣豪族も姿も在った。特に、昨年は新城住吉へ移ったばかりであるので、その御祝いも兼ねて、挨拶に来る者が多い様である。
肝心の政氏は歳末まで、玉川治水と三箱(さはこ)小名浜道開発の指揮を執って居た為、疲れが出て、自室に横になって居た。来賓の応対は、家臣達に任せてある。
汐谷より、新年の祝賀に登城した村岡忠重は、館の者から、政氏が過労の為に、新春の式典にも出席出来ない事を聞いた。その為に大層心配し、政氏に拝謁(はいえつ)を願い出た。政氏はそれを聞くと、家中一の重鎮が来てくれた事に安心感を覚え、寝所へ通す様にと伝えた。
やがて、政氏の居間に姿を現した忠重は、政氏の様子を見て仰天(ぎょうてん)した。政氏は寝衣(ねまき)を着たままであったので、その体格がよく見て取れた。昨年と比べて、著(いちじる)しく痩(や)せ衰えて居る。目は窪(くぼ)み、頬(ほお)も痩(こ)けて居た。忠重は汐谷城に在って、悉(つぶさ)に政氏の様子を聞いて居たので、内政に苦心して居る事は想像が付いた。そして忠重は又、年若い政氏の窶(やつ)れた様子を見て、齢(よわい)十六にして没した、先代忠政を思い出した。今、政氏に万一の事有らば、苦心して築き上げた磐城家が、断絶してしまう怖れが有る。
忠重は、政氏の側に腰を下ろして、その窶(やつ)れ顔を見詰める。そして、ぼそりと呟(つぶや)いた。
「どうやら、持駒が不足して居られる御様子にござりまするな。」
政氏は暫(しば)し黙りこくって居たが、やがて微(かす)かに頷(うなず)いた。忠重はそれを見て微笑を湛(たた)え、政氏に言上する。
「その事であれば、某(それがし)に考えがござり申す。桜が咲く頃までは、某(それがし)がここに在って、大村殿と共に政(まつりごと)を代行致しまする。故に殿は、緩(ゆる)りと休まれるが宜しゅうござり申そう。」
「しかし。」
政氏が言い掛けた所で、忠重は語気を強めて制した。
「御解りにござりまするか?もし殿の御身体に万一の事有らば、当家は所領を失い、磐城家は滅亡するのでござりまするぞ。」
忠重の気に圧(お)され、政氏は渋々忠重の言に従う旨を告げた。忠重は頷(うなず)くと、立ち上がって退出しようとした。しかしふと足を止め、言葉を付け加える。
「当家の主力は汐谷に残してござりますれば、菊多の守りは抜かりござらぬ。来月までは、某(それがし)が責任を持って二郡を守護致しまする故、殿には何の御懸念も成されませぬ様。」
そう言って、忠重は寝所を後にして行った。政氏は、己の体が言う事を聞かぬ事が、至極(しごく)無念に思えた。
年始の挨拶に訪れた者は皆、当主の政氏が姿を現さない為に、その安否を彼是(あれこれ)と憶測し、妙な噂(うわさ)が流れる様に成った。されど、年賀の式事に集結した、村岡、近藤、斎藤、江藤の諸氏が集う住吉は、やはり磐城一の勢力である。その後、政氏回復までの間、村岡忠重が政(まつりごと)を代行する事が伝えられ、豪族達は一様に安堵した様子であった。磐城家の副将格たる村岡家の武威は、坂東一円のみ成らず、北方磐城の地にも及んで居た為である。宴席の豪族達は、村岡忠重が付いて居れば、住吉、延(ひ)いては磐城に大事無しと、杞憂(きゆう)を捨てて、酒や料理を楽しみ始めた。その中に居た黒沢正住は、磐城家の様子を暫(しば)し窺(うかが)って居たが、やがて席を立って、忠重の元へと歩み寄った。
忠重は、政氏の名代として式事を取り仕切って居たので、その段取りと、賓客の応対に追われて居た。そして漸(ようや)く一息吐(つ)いて、己の席へ戻った所、黒沢正住が此方(こちら)へ向かって来るのが見えた。黒沢氏とは、前(さき)の戦(いくさ)を共に戦った間柄であり、磐城街道沿い北西部に勢力を持つ豪族である。故に忠重は、鄭重に応対して置いた方が良いと考え、自ら正住の方へ、歩を進めて行った。
正住の前へ至ると、忠重は恭(うやうや)しく頭を下げた。
「此度は斯様(かよう)に遠方より御運びの段、恭悦(きょうえつ)至極(しごく)に存じ奉(たてまつ)りまする。」
正住は頷(うなず)いて答える。
「磐城家も、家中が良く纏(まと)まって居られる御様子にて、重畳(ちょうじょう)と存じまする。さて、少々昔の思い出話等を致したいのだが、廊下へ出られませぬか?」
態々(わざわざ)外に出るという事は、只の昔語りではないなと感じた忠重は、正住に従い、広間を出て行った。広間から大分離れて、辺りに人影が無い事を確認すると、正住は忠重に、声を潜(ひそ)めて尋ねる。
「政氏殿は、相当御悪いのでござるか?」
忠重は表情を変えずに、落ち着いて答える。
「いや、ここ一年の間、慣れぬ治政に全力を投じて来た為、疲れが出た様にござる。暫(しば)し休めば、御身体の方も回復されるとは存じまするが。」
「然様(さよう)に御座りまするか。されば、此度は政氏殿に会わずに、三春へ戻ると致しまする。村岡殿より、宜しく御伝え下され。」
「承知仕(つかまつ)り申した。」
すっと忠重が頭を下げると、正住もそれに応じて礼を執り、忠重の元を去って行く。その時、忠重の脳裏(のうり)に閃(ひらめ)く物が有り、突如、忠重は正住を呼び止めた。そして館内の自室へと案内し、そこで正住と密議を行った。
一方、政氏は寝所にて、頓(ひたすら)休養を取って居た。唯(ただ)救いであったのは、近藤宗弘、江藤玄篤、斎藤邦泰といった、信頼出来る家臣が見舞いに現れ、久々に顔を合わせる事が出来た事であった。しかし、斎藤純利だけが遠い信夫(しのぶ)の地に在り、会う事が叶(かな)わない。ここに純利が居れば、何(どれ)だけ心強いだろうと、政氏は感じて居た。
やがて一月が経つ頃、政氏の体調はすっかり回復して居た。体重も戻り、気力も取り戻した。薬師(くすし)の診察でも太鼓判を押されたので、政氏は遂(つい)に政務へ戻る事を決意した。
寝所を出て政庁へ向かう途中、城の柵から南西方を見渡して見た。田は苗(なえ)が植えられ、随所に山桜が咲き誇って居るのが見える。暖かい風を体に受けると、何時(いつ)の間にか春が訪れて居た事に気が付く。政氏の政庁へ赴く足取りは、俄(にわか)に軽く成って居た。
政氏の御越しが告げられると、重臣達は一斉に平伏した。そこへ政氏が入室して、上座に腰を下ろすと、重臣達はゆっくりと頭を上げて上座へ向き直り、忠重を筆頭に、再び礼を執った。
「御回復の段、祝着(しゅうちゃく)至極(しごく)に存じ奉(たてまつ)りまする。」
「うむ。皆には心配を掛け、又政(まつりごと)に遅滞を生じさせたる事、真に無念の極みであった。しかし、本日より政務に復帰する故、一同、宜しく頼むぞ。」
「ははっ。」
家臣達は挙(こぞ)って頭を下げた。
そして先ず、政氏が忠重に告げる。
「忠重殿。」
「はっ。」
「御事は私が休んで居る間、政を代行し、よく郡内安定に尽してくれた。目下の懸案を私が引き継いだ後、汐谷へ戻り、緩(ゆる)りと休まれよ。」
「ははっ。有難き御言葉にござりまする。されど某(それがし)には、殿が回復召された今、もう一つ成すべき事がござりまする。」
政氏はきょとんとして尋ねる。
「ほう、何か大事が出来(しゅったい)したか?」
「はい。磐城家の一大事、即(すなわ)ち殿の御婚儀の件にござりまする。」
他の家臣達はそれを聞き、一様に響動(どよ)めいた。政氏は些(いささ)か不機嫌な面持ちと成り、忠重に重ねて尋ねる。
「其(そ)は忠重殿の一存か?」
「はっ。磐城家繁栄の為、これに優(まさ)る物無しと存ずる次第にござりまする。」
「相手は何処(いずこ)の姫か?」
「然(しか)らば申し上げまする。当家は南に平貞盛、そして其の西方には藤原千常という、強敵を抱えてござりまする。仍(よっ)て当然、北方の豪族とは誼(よしみ)を深め、挟み討ちを受ける事の無き様、手を打って置かねば成りませぬ。そこで当家とも所縁(ゆかり)が有る、磐城街道の北西、安積(あさか)郡丸子郷平沢館の黒沢庄五郎正住殿と手を結べば、北方の守りは盤石に成る物と存じまする。故に、黒沢殿の御息女を推薦する次第にござりまする。」
忠重の意見を聞き、大村信興もそれに賛同する。
「某(それがし)も良き話かと存じまする。黒沢殿が親類と成れば、信夫(しのぶ)へ出る道が確保されまする。」
二人の説明を受け、家臣の大多数が賛成の意を表明した。政氏は暫(しばら)く考え込んで居たが、やがてその口を開いた。
「皆がそれで良いと申すのなら、然様(さよう)に致そう。この件は、忠重殿に任せる。」
「ははっ。既(すで)に先方の意向も承り、殿が望まれるのであれば、特に異存は無いとの仰(おお)せにござり申した。されば、吉報を御待ち下さりませ。」
政氏は頷(うなず)いて承知した物の、内心は未だ納得し切れて居ない所が有った。己の知らぬ所で話が進行して居た所為(せい)であろうが、自身に取っての大事であり、心の整理が付かない状態であった。一方で、黒沢正住という人物を思い起して見ると、かつて自軍の窮地を救い、共に戦ってくれた兵(つわもの)というだけではなく、所領の統治も見事であった。あの時は一時の戦友と思って居た人物が、この先は岳父に成るのかと思うと、縁とは不思議な物であると、熟(つくづく)感じた。
*
更(さら)に一月が経ち、愈々(いよいよ)黒沢正住が三春を発ち、姫を伴い磐城へ向かったとの報が入った。住吉では館内を清め、万全を期して黒沢家の到着を待った。そして翌日、黒沢家は遂に住吉館の西方に、その姿を現した。
相馬家は、政氏を先頭に大手門前まで出迎え、礼を尽して黒沢家を待った。一行の先頭に居た正住は、磐城家の前で馬を下り、政氏の前へ歩み出て一礼した。
「御久しゅうござりまする。」
「はい。以前、信夫(しのぶ)へ赴く途中に、立ち寄った以来にござりまする。」
「はっ。あの時よりも、政氏殿は随分と成長なされた御様子。御領内の様子を拝見し、然様(さよう)に感じられ申した。」
「これは、名君たる黒沢殿から御誉(ほ)めに与(あずか)るとは、恭悦(きょうえつ)にござりまする。」
二人は和(にこ)やかに挨拶を交した後、共に館内へと入って行く。姫御を乗せた輿(こし)を担ぐ一隊も、それに続いて入城して行った。
その日、黒沢家には館内の一角を宛(あて)がい、旅の疲れを取る為に緩(ゆる)りと休んで貰(もら)う様、手配が成された。そして翌日、婚儀が粛々と執り行われた。式場と成った広間の両側には、磐城家と黒沢家の家臣が其々(それぞれ)居並ぶ。譜代の磐城家臣と黒沢家臣の間では、既(すで)に見知った顔も多く、一部には和(なご)やかな雰囲気も漂(ただよ)って居た。
儀式が一通り終ると、新郎新婦が退場する手筈(てはず)であったが、政氏は上座に腰を据えたまま動かない。進行役の忠重が訝(いぶか)しがって、政氏に退出を促(うなが)すも、政氏はそれを遮(さえぎ)り、広間を見渡して口を開いた。
「本日は無事に婚儀を終え、当家と黒沢家は親類と相成った。これにて逢隈(阿武隈)山地南部は、戦(いくさ)の無い、平和な地と成るであろう。又、磐城と安積(あさか)の間にて交易が盛んに成れば、両家の繁栄に取って、有益なる物と存ずる次第にござる。」
姫御の側に座す黒沢正住が、それに答える。
「婿殿の御言葉は、誠に有難し。当家には海がござらぬ故、塩等を磐城の浜より安定して得られれば、幸いにござる。その代り、信夫郡との往来の為に、仙道へ出る道の確保は、某(それがし)が責任を持って致し申そう。」
両家の提案に、双方の重臣達は満足気な表情を湛(たた)えて居る。しかし、その和(なご)やかな空気を打破するが如く、政氏は話を接ぐ。
「いや、舅(しゅうと)殿には他に、御願いしたき儀がござりまする。」
俄(にわか)に、黒沢家には緊張が走った。そして政氏が何を要求して来るのか、身構えて居る。政氏も真剣な顔付きと成り、正住に話し始めた。
「実は舅(しゅうと)殿には、信夫郡司の職を御願い致したいのでござる。」
突然の提案に、一同は騒(ざわ)つき始めた。姻戚関係を結んだばかりの者に一郡を託するとは、普通は到底考えられぬからである。仍(よっ)て正住も、常識を鑑(かんが)みて辞退を申し出た。
「婿(むこ)殿の、某(それがし)を信頼して下さる気持は、有難く存じまする。しかし某(それがし)は、やはり他家の者にて、政(まつりごと)は信の置ける御家中に、御任せになられた方が善(よ)いと存じまする。」
しかし政氏は、確固とした意志を示す。
「某(それがし)は、磐城に参るまで所領を持たぬ身にて、治政に関しては全く疎(うと)うござる。今まで成して来た政(まつりごと)の根幹は、以前に三春で見た、民の平穏に暮らす光景にて。某(それがし)は未だそれを成すには至らず、歯痒(はがゆ)い思いをしてござり申す。当家の所領には飛地が在り、目下当地へ、数少なき譜代の臣を配置して居りまする。故に、広大な磐城の地をよく治めるには将卒が不足し、手を焼いてござりまする。しかし、舅(しゅうと)殿が信夫を治めてくれるのであれば、当家は全力を挙げて磐城を治める事が出来、両郡の民に取っても幸いであると存じまする。」
政氏の熱意を感じた正住は、唸(うな)りながら考え込んでしまった。正住の脳裏(のうり)には、これは政氏一人の考えであって、家臣の賛同を得て居ないのでは、という懸念が有った。
ふと、忠重が正住に尋ねる。
「彼所(あそこ)におわせらるるは、正住殿の御子息に候はずや。」
黒沢家の列の筆頭に座すのは、未だ元服も済ませて居ない少年であった。正住は苦笑を呈して答える。
「あれは我が次子の小滝丸と申し、姫の弟に当たりまする。」
政氏二十五歳に対し、嫁御はやや年下であったので、姉弟は十程歳が離れて居る様である。忠重は小滝丸をまじまじと見詰めながら、正住に一つの提案を示した。
「如何(いかが)にござろう。奥方様も、見ず知らずのこの地に参られたばかりにて、大層御心細い筈(はず)。そこで弟君に暫(しば)し、この地に御逗留戴いては?」
一同は話を聞き、忠重の真意を察した。信夫を託する代りに人質を取れば、磐城家の者も納得するであろうと考えたのである。
正住は再び黙考した。黒沢家の重臣達も、姫と次子を差し出す代りに、一郡の主たる地位を得られるのであれば、強(あなが)ち悪い話ではないと考えた。やがて正住は、政氏に座礼を執って口を開く。
「では、村岡殿が提案なされた様に、倅(せがれ)を政氏様に託し、養育の程を御頼み申し上げまする。そして某(それがし)は信夫へ赴き、婿(むこ)殿の所領を責任を持って御預かりし、御信任に報いたく存じまする。」
言葉上、政氏が黒沢家の子息を養育する代りに、正住が磐城家領信夫郡の政(まつりごと)を扶(たす)ける形と成った。その結果、磐城家は本拠磐城郡の政(まつりごと)を安定させるべく、信夫に派遣して居た譜代の功臣、佐藤純利を磐城に迎えて、兵力の増強を図る事が出来る。一方の黒沢家は、信夫郡司の地位を以て、信夫から本拠安積(あさか)に至る、仙道三郡への勢力拡大を目論(もくろ)んで居た。
続いて信夫(しのぶ)における、税収の取り分の相談に入った。この際に政氏が、信夫の民より納められし税は、信夫の民の為に用うべしとの意見を述べ、信夫の政(まつりごと)は粗(ほぼ)完全に、黒沢家へ移る事と成った。政氏のこの提案には、忠重を始めとする、多くの磐城家家臣が難色を示したが、政氏はそれを制して話を続ける。
「これまで提示して来た条件では、某(それがし)が先帝冷泉(れいぜい)院より委(ゆだ)ねられし郡政を、某(それがし)の責任で果たしたとは申せず。此(こ)は主上に対する不忠と、取られ兼ねませぬ。仍(よっ)て信夫郡少領の地位は、黒沢家の世襲とせず、正住殿、もしくは某(それがし)に万一の事有らば、直ちに黒沢家は官職を辞し、政(まつりごと)を当家に奉還せしむる事と致しとうござる。」
政氏の示した条件に、正住は微笑を湛(たた)え、更(さら)に条件を提案する。
「では、黒沢家の政(まつりごと)に因(よ)り乱が生じたる時は、磐城家の御意向を以(もっ)て、某(それがし)を解任出来る事。されど、某(それがし)の政策が馴染(なじ)むまでの三年間は、この限りに非(あら)ざる事を、付け加えとうござりまする。」
そう述べて、正住は政氏を見据えた。それに対し、政氏は深く頷(うなず)いて答える。
「殊勝な御心掛けにござる。」
正住は政氏に因(よ)り、信夫支配が恒久的に成らない様に釘(くぎ)を刺された。この条件が無ければ、磐城家家臣の賛同が得られないと思われたからである。又、正住も簡単に解任される立場であれば、黒沢家家臣から不満が噴出する事が懸念されたので、最低でも三年の統治権を得て置いたのである。
ここに両家は利害が一致し、誓文(せいもん)を交すに至った。これを以(もっ)て、信夫郡の実質的な統治権は、黒沢正住に移譲されたのである。政氏は漸(ようや)く目的を達する事が出来、天を仰いで大きく息を吐(つ)いた。そして政氏は、本日自身の婚儀を執り行い、隣には嫁御が座って居るのを思い出した。政氏は婚儀の最中に、政(まつりごと)の話をして中断させてしまった事を済まなく思い、嫁御に詫びの言葉を掛けた。嫁御は唯(ただ)黙って頷(うなず)くだけであったので、政氏はその手を取って立ち上がり、嫁御を控えの間まで導いてやった。その時に館の者に言伝(ことづ)てを頼み、後の宴(うたげ)は忠重に任せる事とした。そして己は居間へと戻り、大の字と成って寝そべった。
翌々日、黒沢正住は姫と次子を住吉へ残し、三春へと戻って行った。姫は親と離れ離れに成ってしまったが、弟と気の許せる侍女が側に残ってくれたので、寂しさに堪(た)え兼ねる事は無かった様である。
政氏が妻を娶(めと)ったばかりの頃は、生活上慣れぬ事が多く、戸惑いの連続であった。姫は三春より嫁いで来たので、館内では三春御前と呼ばれる様に成った。御前は大人しいが、良く気が付く人で、政氏の生活を陰で扶(たす)けた。政氏は、口数が少ない妻との意思疎通を図る為に、義弟と成った小滝丸を良く側に居いた。そして己の時間が許す時には、学問や武術を指南してやった。小滝丸も実に素直な性格で、政氏が教授した物をよく吸収して行った。兄弟姉妹が居ない政氏に取って、小滝丸は実の弟の様に、いとおしく感じられた。
*
一月(ひとつき)後、住吉館西方より、五十人余の一隊が現れた。その内二十騎ばかりは武者であり、他はその家族の様である。報せを受けた政氏は、大館本丸の柵より西方を見下ろし、一隊の姿を確認した。遠目には旗の紋様等、良くは確認出来ない。政氏は三名の警固を伴い、大手の方へ下って行った。
やがて、一隊の掲(かか)げて居る旗に描かれて居るのが、佐藤純利の藤紋である事が確認された。そして隊を率いて居るのは、実に四年振りに見る佐藤純利であった。先日、住吉には純利より、郡政の引継ぎを完了し、直参と共に磐城へ帰還する旨が報されて居たので、住吉館に詰める古参の臣には、純利の帰還が待ち望まれていた。
政氏は、大手門を出て純利を待った。他にも重臣十名程が、政氏と共に城外へ出て来た。純利はそれに気付いたのか、隊を止めて、単騎で政氏の元へ駆け寄って来た。そして馬を下り、政氏の前に平伏する。
「御久しゅうござりまする。再び殿のおわす磐城の地へ戻る事が出来、無上の喜びにござりまする。」
「うむ。しかし其方(そなた)は頬(ほお)が痩(こ)けたのう。信夫の政(まつりごと)を今まで無難に熟(こな)し、役目大儀であった。」
政氏は、かつては筋肉隆々として居た純利の体躯(たいく)が、痩(や)せ衰えて居るのに気付き、悲愴たる面持ちと成った。しかしそれを察した純利は、笑顔を作って己の家臣団を指差し、言上する。
「殿、御覧あれ。あの者等はこの四年間、某(それがし)の手足と成って尽し、やがては主従の契(ちぎ)りを交して、某(それがし)と共に磐城へ移る事を望んで参った者達にござりまする。今後は彼等を率いて、殿の磐城統治の一助を成したいと存じまする。」
「ほう、皆中々の面(つら)構えじゃ。信夫では、幾度も豪族達の争いに介入し、実戦を積んで参ったのであろうな。」
確かに兵達は、皆逞(たくま)しい体格を持つ他に、顔や手等に傷跡を残す者が多く、強い鋭気が感じられる。そして純利の指揮の下、見事に統率が取れて居た。政氏はこれまでの純利の努力を偲(しの)び、笑顔を湛(たた)えて館内へと迎え入れた。
その後は暫(しばら)く、佐藤家を住吉館内に置き、政氏は純利から信夫の情勢等を聞いた。信夫はかつて戦役を共に戦い、見知った顔は多い。しかしやはり、国司、豪族、民の間には、利権が絡(から)む問題が頻発(ひんぱつ)して居た。故に、郡司としてそれに介入せざるを得ず、兵力を持たぬ態(なり)にも、それ等を巧(うま)く調停して、何とか平和は保たれて来た。しかし話を巧く纏(まと)めるには、味方の豪族を増やさねば成らず、そして苦心の末に、漸(ようや)く郡司直系の軍団を編成するに至った。兵力を持つ事に因(よ)って、大きな勢力を持つ豪族間の争いの際にも、話がし易く成った結果、信夫の地には争乱が起る事は無かったと言う。郡司交代の折、その兵力は、純利の両腕であった大波朝信と、大和田要人に託して来たので、暫(しばら)くの間は、大きな問題は起こらぬであろう。純利は政氏にそう報告した。
政氏は説明する純利の顔を見ながら、未だに以前の実直さを失って居ない事を察した。そして、純利に従い遥々(はるばる)磐城にまで移って来た家臣達は、皆純利の人柄に惹(ひ)かれた者達であり、その忠誠心は高いと、政氏は見た。
その頃依然、政氏を悩ませる最大の問題は、玉川の治水であり、政氏は頻繁に作業場を訪れては、その様子を検分した。そして時には、自ら泥塗(どろまみ)れと成り、土砂や石の運搬作業に加わった。
ある日、その様子を目撃した純利は、仰天(ぎょうてん)しながら政氏の元へ駆け寄った。
「殿、何を成されておわしまする?」
政氏は純利の姿に気付くと、土砂を積んだ畚(もっこ)を担ぎながら答えた。
「この玉川はのう、郡内の中央を貫流する川なのだが、時には乾上(ひあ)がり、又時には洪水を引き起す、悩みの種なのじゃ。」
「しかし、何故(なにゆえ)殿が御(おん)自ら?」
「偶(たま)には肉体労働も有益じゃ。民と苦楽を共有出来、又武門の棟梁として、最低限必要な膂力(りょりょく)を維持出来る。」
純利は返す言葉が見当らず、暫(しば)しその場に立ち尽して居たが、やがて己も鋤(すき)を手に取り、土砂の除去作業に加わった。それを見た政氏は、直ぐに純利の元へ駆け寄り、止める様に告げた。
「其方(そなた)は未だ、疲れが充分取れて居らぬ。館に戻って休んで居れ。」
「しかし、殿御自ら労働を成されておわされるのに、某(それがし)一人が休んで居る訳には参りませぬ。」
「いや、其方(そなた)には、充分に休養を取って置いて貰(もら)わねば困るのじゃ。実は郡内の中心部、矢田川流域には、未だに私の言う事を聞かぬ勢力が在る。仍(よっ)て彼(か)の地に館を築き、斯(か)かる豪族共を威圧すべく、三沢という地を抑えた。今は未だ築城中であるが、矢田川流域を制圧し、又各地方へ遊撃的な支援が出来る地故に、信の置ける其方に任せたいのじゃ。此は、磐城郡を完全に掌握する為の最後の手故、其方(そなた)には万全の態勢で臨(のぞ)んで貰(もら)いたい。」
純利は、頭を下げて答える。
「殿に斯様(かよう)な考えが御有りとは、存じませなんだ。仰(おお)せに従い、住吉館へ戻る事と致しまする。」
そう告げると、純利は馬に跨(またが)り、従者と共に去って行った。
住吉へ向かう純利の表情は、実に晴れ晴れとして居た。一つは、己に本郡の中央を抑えるという大役が待って居る事に、喜びを感じたのである。そしてもう一つは、主君政氏の努力に因(よ)り、民からの信を得られて居る様子が、先程の作業場にて、強く感じられた事が嬉しかった。
純利が館に着いた頃、俄(にわか)に黒雲が空に立ち籠(こ)め、やがて激しい雨と雷を齎(もたら)した。純利は野田に残った主君の身と、治水作業への影響を懸念した。されど、この雷雲は間も無く去り、太陽が再び顔を出すと、南方より暖流が運ばれ、漸(ようや)く雨季は終った。そして蝉(せみ)の鳴き声が、夏の到来を告げて居た。