第八節 封邑滝尻

 その日の夕刻、周辺の巡邏(じゅんら)に出て居た近藤宗弘が、手勢と共に館へと戻って来た。嫡男宗久も甲冑(かっちゅう)を身に纏(まと)い、堂々たる武者振りである。宗久は政房と歳も近く、近藤家の次代を担(にな)う武士と、政房も期待を掛けて居る。

 京以来の重臣が皆揃(そろ)った所で、政房は館内に設けられた政務用の広間に、信の置ける彼等だけを、先ず招集した。政房の目的は、磐城郡の情勢を知る事と、統括に諸問題を抱える菊多郡政を、誰に任せるかの選定である。

 先ず近藤宗弘から、磐城郡の地理の説明が成された。宗弘は自ら作成した、一間四方の大きな地図を広間中央に広げ、皆それを囲む様にして座った。

 磐城の歴史は古く、その設立は、陸奥国多賀城の建設よりも前である。大和朝廷が、奥羽越に勢力を伸ばして居た最中の養老二年(718)に、この地に陸奥国から独立した、石城国(いわきのくに)が設置された。その頃仙道にも、石背国(いわせのくに)が置かれた。しかしこれ等は、神亀三年(726)頃に陸奥国へ吸収され、石城国は磐城郡、菊多郡を含む、海道諸郡に分割された。磐城郡はその下に十二の郷が有り、古来夏井川河口付近南方の磐城郷に、郡衙(ぐんが)が置かれて居たという。

 宗弘の地図には、磐城郡内十二郷の位置が記されている。それ等の所在は、凡(おおよそ)次の通りであった。

  蒲津(がまつ)郷 釜戸川流域
  神城(かじろ)郷 小名浜、江名村周辺
  丸部(わにべ)郷 矢田川中下流域
  私(きさい)郷 湯本川下流
  飯野(いいの)郷 大根川(新川)下流域
  荒川(あらかわ)郷 飯野郷と丸部郷の中間
  小高(おだか)郷 飯野郷北方、夏井川流域
  磐城(いわき)郷 夏井川下流域南方
  片依(かたよせ)郷 夏井川下流域北方
  玉造(たまづくり)郷 仁井田川下流域
  白田(しろた)郷 浅見川下流域
  楢葉(ならは)郷 木戸川下流域北方
又、地図の下方には菊多五郷も記載されている。
  酒井(さかい)郷 奈古曽関(なこそのせき)北方
  河辺(かわべ)郷 鮫川下流域南方
  余部(あまりべ)郷 渋川下流域
  山田(やまだ)郷 鮫川下流域北方、山田川流域
  大野(おおの)郷 葛野(上遠野)川中流、下流域
その詳細な製図に、皆からは感嘆の声が漏(も)れる。

 政房は地図を眺めながら、忠重に磐城郡政上の問題点を尋ねた。忠重は唸(うな)りながら、暫(しば)し考えて居たが、やがて困った顔を呈し、政房を見詰める。
「では、特に重要であると思(おぼ)しき、二つの問題を申し上げまする。」
「うむ。」
政房の他、当地に着いたばかりの佐藤純利、江藤玄篤も、忠重の顔を覗(のぞ)き込む。忠重は畳(たた)んだ扇子(せんす)で、地図を指し示した。
「先ず一つはここ、飯野郷にござる。この地には荘園が在り、それが他の郷にも広がれば、殿の磐城統治は有名無実に帰す物と、危惧(きぐ)致し居る所にござりまする。」
「何と、ここでもか。」
流石(さすが)に政房も、落胆の色を隠せなかった。磐城においても、菊多と同様の問題を抱えて居たからである。
「更(さら)にもう一つの問題は、当家の兵力不足にござり申す。」
「何と?」
政房は意外な事に、顔を顰(しか)めた。
「何故(なにゆえ)じゃ?当家には村岡、近藤、斎藤が、坂東より凡(およ)そ五百騎を率いて参ったではないか。」
「はっ、確かに陸奥は未知なる土地にて、有事の際に備え、我等は旧領より兵を伴って参り申した。しかし平時において、久しく彼等を軍役に就かせる財政上の余裕は無く。故に開墾と集落作りを行い、彼等に生業(なりわい)を与えねば成りませぬ。兵力不足を言い換えれば、税収不足と申せましょう。」
忠重の説明を受けて、家臣達は溜息を漏らした。一方で、政房はじっと地図を見据えながら、考えを煮詰めて居た。

(しばら)くして、政房はふと口を開いた。
「各々には追って、政務を担当する地域を定める。そして、その地の適当なる処に館を構え、兵の集落は館の周辺に作れば良かろう。」
政房の案に対し、忠重が賛同の意見を述べる。
「成程(なるほど)。磐城郡の広大さは、相馬三郡をも凌(しの)ぎ兼ねぬ。郡司の眼が領内の隅々(すみずみ)まで行き届く様、譜代の臣に管轄区域を定め、郡司の政務を御輔(たす)けするは、実に結構な事と存じまする。」
それには、他の家臣達も同意を示した。

 一つの問題は解決の足掛りを得たが、続いて近藤宗弘が、新たな問題を提起する。
「畏(おそ)れ乍ら申し上げまする。此(こ)は、村岡殿が一つ目に挙げられし問題に係る物でござりまするが。当地の諸豪族の所領を荘園とせず、郡の下に留め置く為には、先ずは殿が、豪族の信望を得なければ成りませぬ。彼等は現今、領主と有力貴族を天秤に掛け、土地の寄進をするか否(いな)かを決めまする故。」
政房は、宗弘の心意を察し兼ねる様子で尋ねる。
「して、宗弘の申したき事とは?」
宗弘は政房の言葉を受け、尚も言い辛い様子であった。しかしやがて、意を決して政房を見詰め、言上する。
「真に申し上げ難き事にござりまするが。目下、郡内の豪族達が知りたき事は、殿の郡政方針の他、殿の氏素姓(うじすじょう)と、如何(いか)なる有力貴族との繋(つな)がりを持って居るか、という事にござりまする。」
それを聞いて、脇に座る斎藤邦泰も頷(うなず)き、言葉を接いだ。
「確かに。もしも新任郡司が有力貴族を介し、又武力を以(もっ)て、横暴なる国司から護ってくれる人物であるならば、郡司の下に居た方が良いと、考える者も有りましょうから。」
二人の言葉を、政房は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せながら聞いて居た。
「詰りは、私が逆賊平将門の嫡孫であり、軍功を挙げながらも、朝廷からは恩賞の名目で奥州へ流された者と聞けば、郡内豪族は悉(ことごと)く他の貴族へ所領を寄進し、本郡も公領を失ってしまうという事か。」
政房の悲痛な言葉に、重臣達は皆押し黙ってしまった。やがて、江藤玄篤が恐る恐る声を発した。
「確かに、殿には摂関家との深い繋がりはござり申さぬ。されど、今や東国一の武門の棟梁、平忠頼公の御一族なれば、豪族の信は得られる物と存じまする。」
玄篤の言葉には、誰も何も返さなかった。玄篤自身を含め皆、今の意見が主君に対する気休めである事を、悟って居たからである。それは又、政房も然(しか)りであった。政房は己の出自が郡政の足を引っ張って居る事実を、深く憂(うれ)えた。

 暫(しば)しの沈黙が続いた後、村岡忠重が一つの提案を示した。
「まあ、少なくとも、新郡司が郡政に前向きである所を、諸豪族に示して置いた方が良かろうと存ずる。五日後、郡内の主な豪族を招集し、殿の意気込みや為人(ひととなり)を見て貰(もら)おう。」
それに対して、佐藤純利が訝(いぶか)しむ顔で尋ねる。
「五日後とは又、早急ではござらぬか。地図を見れば、楢葉郷とこことは、郡の端と端。遠方の豪族には少々、時間的余裕が無い様に思えまするが。」
「うむ。それ等遠方の者には、我等も目が届き難い。それ故これを機に、彼等の殿に対する忠誠心も推し量ろうと思う。」
忠重の説明を受け、一同は納得した様子で頷(うなず)いた。

 そして、最後に提起をしたのは政房であった。政房は重臣達を見渡しながら、己の案を述べる。
「当地の豪族と顔合せをした後、私は早々に郡内を視察に出たい。それに因(よ)って、誰を何処(いずこ)へ配置するかを決める。私は一刻も早く、郡政を掌握して置きたい。来年までには、信夫(しのぶ)と津軽の仕置もせねば成らぬ故な。」

政房の決意が籠(こ)められた言葉を受け、重臣一同は平伏した。

 翌日早朝、諸豪族の招集を命ずる使者が、次々と館を飛び出して行った。政房はこの地では余所(よそ)者であり、且(か)つ逆賊の末裔である。それを思うと、此度の顔合わせでは余程、郡司の威厳と信頼を示す事が出来ねば、後日必ずや、郡政に滞(とどこお)りが出るであろうと思われた。故に使者を見送る政房の顔付きも、自ずと険しく成る。政房には未だ、此度の顔合せを成功裏に終わらせる策は、見出せて居なかった。

 その日の昼下り、政房は居間から庭を眺め、今後の策を練って居た。そこへ江藤玄篤が、ふと姿を現した。玄篤は一礼して中へ入ると、政房の前へ進み出て、小声にて報告する。
「申し上げまする。如蔵尼(にょぞうに)様が、殿に御越し願いたいと仰(おお)せにござりまする。」
「何、叔母上が?」
政房は、何事かと思いながら立ち上がる。
「承知した。今から参ろうう。」
政房は小さな包みを一つ持ち、居間を出た。そして玄篤を伴い、如蔵尼の元へと向かって行った。

 政房等が訪ねると、如蔵尼は座礼を以(もっ)て迎えた。政房ははにかみながら、如蔵尼の前に座した。
「御手を御上げ下され。叔母上が甥(おい)に対し、斯様(かよう)に恭(うやうや)しくする必要はござりませぬ。」
如蔵尼はゆっくりと頭を上げると、政房を見詰めて言う。
「いえ、此(こ)は貴方を、相馬家の当主と見込んでの所作にござりまする。」
如蔵尼の眼光に、政房は一瞬たじろいだ。しかしその胸中には何か、秘めたる決意が有る事を察して、政房も又、真剣な眼指を向けた。

 ふと、如蔵尼は視線を空(くう)に移した。
「江藤殿より聞きました。妹は疾(と)うに身罷(みまか)って居た様ですね。」
「はっ。これが遺品の由(よし)にござりまする。」
政房は持参した包みを開き、中に包まれて居た、遺品の布を手渡した。如蔵尼はそれを隈(くま)無く見渡し、やがて胸に抱いた。
「おお、これは紛(まぎ)れも無く、我が母が妹に下されし物。そして、この安寿の刺繍。」
如蔵尼の身体は俄(にわか)に震え出し、目からは涙が溢(あふ)れ、頬(ほお)を伝った。そして涙を拭(ぬぐ)うと程無く、如蔵尼は再び毅然とした顔に戻った。
「思えば、妹は不便(ふびん)にござりました。幼くして独り、筑波山中の寺へ送られて。」
そして、如蔵尼は改めて座礼を執り、政房に申し出る。
「就(つ)きましては、政房殿に御願の儀がござりまする。」
「はて、何でござりましょう?」
如蔵尼の哀しき表情を受けて、政房は苦笑しながら首を傾(かし)げた。
「慧空和尚よりの文を読んで居りました所、和尚より、菊多郡小山田村に在る東福寺の住職に宛てた、紹介状が添えられて居りました。私はこれを持参して小山田に移り、妹の冥福を祈りとう存じまする。」
悲痛な如蔵尼の願いに、政房は優しい笑顔で答える。
「解り申した。浄土におわす叔母上も、必ずや喜んで下さる事と存じまする。小山田までは、この江藤玄篤に護衛を務めさせる事と致しましょう。」
政房の言葉を受け、玄篤は如蔵尼に一礼した。

 如蔵尼は慧空和尚の文に因(よ)り、己自身が未だ反逆者の娘とされて居り、忠政、政房二代の功績を以(もっ)て名誉を回復したと雖(いえど)も、他の一族には一切、恩赦が下されて居ない事を報された。故に政房が、如蔵尼を養って居る事が朝廷に聞こえれば、政房までも窮地に陥(おちいる)る怖れが有ると、慧空和尚は警告したのである。如蔵尼自身も、折角(せっかく)(おい)が再興した父の家を、己の為に潰(つい)えさせる事は本意ではない。故に政房に累(るい)を及ぼさぬ様、滝尻を離れる事を申し出たのである。政房も、如蔵尼を匿(かくま)う事には、幾許(いくばく)かの懸念が有った。そこへ叔母側から退去の申し出を受け、多少の安堵感を覚えた。しかし一方で、漸(ようや)く巡り合えた一族の者と、再び離れねば成らぬ事に、深い悲しみを感じて居た。

 己の申し出が受け容(い)れられて、如蔵尼はほっと安堵の息を吐(つ)いた。そして居間の奥に置かれた箱から、一尺程の包みを取り出した。そしてそれを持って再び政房の前に座し、包みを己の膝(ひざ)の前に置いた。政房が何であろうと思いながら、それを見遣(みや)ると、如蔵尼は粛々とした声で語り始める。
「此(こ)は、私が東福寺へ送られた時、我が母、即(すなわ)ち政房殿の祖母が、私に託した物です。どうぞ御開け下され。」
政房はそれが何であるのか、丸で見当が付かなかったが、恐る恐る包みを解いて見た。すると中には、一通の文と、厨子(ずし)が包まれて居た。厨子を開けると、中には黄金(こがね)色の地蔵菩薩が納められて居た。又文書は色褪(あ)せ、相当古い物の様に思われる。
「叔母上、これは?」
政房は、それが非常に貴重な物である事は察せられた。故にこれ以上触れるのが憚(はばか)られ、如蔵尼に尋ねる他無かったのである。如蔵尼は政房を見据え、静かに話し始めた。
「あの頃は私も幼く、これが何であるかは解りませんでした。やがて時が経ち、漸(ようや)く文字や世間の事が理解出来る様に成り始めた頃、孤独の寂しさに堪(た)えられぬ日に、母より受け継ぎし物を見詰め、悲しさを紛(まぎ)らわせ様としました。その時、そこに在る由緒書に目を通し、漸(ようや)く何故(なにゆえ)母が、これを私に託したかが解りました。」
そう語った後、如蔵尼の視線は、地蔵菩薩へと移る。それを見て、政房の目も自ずと、地蔵菩薩へ向けられた。
「これをよく見れば、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、右手は真顔の印を結んで居るのが分かりますね。此(こ)は人間道を救済する六地蔵の一つにて、放光王地蔵菩薩と称しまする。かつて百済国(くだらのくに)より倭(やまと)に齎(もたら)され、やがて我等が祖、高見王の手に渡り、王の持仏と成りました。そして王が薨去(こうきょ)なされた後は、嫡子で在られた高望公に伝わり、更(さら)に高望公から良将公に伝承され、仍(よっ)て相馬平家の家宝と成ったのでござりまする。」
「やはり、斯様(かよう)に大切な物でござりましたか。」
政房の体は、微(かす)かに震えて居た。後方に控える玄篤も、固唾(かたず)を呑んで見守って居る。如蔵尼は、地蔵菩薩を納めた厨子を丁寧に持ち上げると、それを政房の方へ差し出して告げる。
「今思えば、母は何時(いつ)の日か、子孫が相馬家を再興するその時まで、私にこの家宝を守って貰(もら)いたかったのでしょう。そして今、政房殿は父祖の代を凌(しの)ぐ広大な所領を得、見事に悲願を達成するに至りました。此(こ)は貴方が桓武天皇の貴種である事を示す、大事な家宝です。呉々(くれぐれ)も大切にし、子孫へ伝えて下さりませ。」
如蔵尼の言葉を受けて、政房は家宝を押し戴いた。受け取った厨子の扉を開けて、再び地蔵菩薩を拝もうとすると、金色(こんじき)の光が政房の顔へ反射し、真に神々(こうごう)しき様であった。

 如蔵尼は、二十七年間抱えて来た責任を果し、ほっと肩の荷が下りた様子である。政房は家宝を大事に包み終えると、叔母の今日までの功績に感謝し、玄篤と共に深く頭を下げた。そして一言、別れの言葉を述べる。
「今後は緩(ゆる)りと、相馬家の行く末を見守って下さりませ。」
そして政房は立ち上がり、家宝を持って叔母の元を辞して行った。

 政房が立ち去った後、如蔵尼の手元には、相馬家家宝放光王地蔵菩薩の代りに、妹如春尼の遺品である布が残された。それを眺めながら、妹の歳を数えて見た。すると、今生きて居たら、未だ三十過ぎの若さである事に気付く。それを思うと再び妹が哀れに思われ、既(すで)に過去の事と成った天慶(てんぎょう)の乱を、呪(のろ)う気持が起って来る。そして、それを密かに圧(お)し殺すと、如蔵尼は玄篤に笑顔を見せる。
「御苦労を御掛けしますが、宜しく御頼み申しまする。」
そう言って、すっと頭を下げる如蔵尼を見て、既(すで)に知徳優れたる高僧の風格が有ると、玄篤には感じられた。玄篤は平伏し、無事に小山田へ送り届ける旨を、如蔵尼に申し上げた。

 翌日早朝、未だ陽の昇らぬ内に、江藤玄篤は領内の巡視の名目で、滝尻の館を出た。玄篤に従う兵二十騎は皆、相馬以来の旧臣である。巡視隊の中には、不要と思われる輿(こし)が在り、隊と共に館を後にして行ったが、誰も黙して、その事には触れない。一隊は御巡検道を南へ進み、やがて闇の中へと消えて行った。

 程無く、陽が東の彼方(かなた)より昇り始め、滝尻の館を照らし出した。政房は起床後、着替えを済ませて朝餉(あさげ)を取った。そして午前の政務に就く前に、村岡忠重を居間へと呼び、如蔵尼を菊多の寺院に移した旨を告げた。それを聞いて忠重は、大いに安堵した様子であった。

 その日の夕刻、陽が西方の山並に掛かる頃に、玄篤が手勢を率い、滝尻館へと帰還して来た。玄篤は直ちに正房への面会を請(こ)い、間も無く政房からの許しを受けた。政房の間において対面に及ぶと、玄篤は平素と変わらぬ様子で報告する。
「本日の、菊多郡巡視の件を御報告致しまする。郡内の治安に関しては、特に問題はござりませぬ。但(ただ)し、殿より御預かり為た輿(こし)を一梃、巡視の途中で置き忘れてしまい申した。誠に申し訳ござりませぬ。」
玄篤の報告を受け政房は、如蔵尼が誰の目にも留まらずに、小山田東福寺へ入った事を理解した。そして安堵の表情を浮かべると共に、玄篤に申し渡す。
「斯(か)かる小事は気に懸けるに及ばず。只(ただ)其方(そなた)は、今日まで久しく領内の警固に当たってくれた。その労に報いるべく、館内に更(さら)に一室を与える。」
政房は、如蔵尼が館内から急に消えた事が広まらぬ様、その部屋を玄篤に任せ、館の者が自然と如蔵尼の事を忘れるのを、待とうとしたのである。玄篤はそれを理解し、有難く拝領する旨を政房に申し上げた。

 政房は、館内から叔母が居なくなった事を寂しく思ったが、領内に留まって居ると考える事で、自ずと寂しさを吹き飛ばす事が出来た。

 館内で如蔵尼の存在を知って居たのは、政房と玄篤の他、忠重と数名の兵、侍女だけである。如蔵尼の事は何時(いつ)の間にか、館の者の記憶から消えて行った。

 やがて、郡司と郡内豪族との顔合わせの日が訪れた。予(かね)てよりの通達通り、多くの豪族の長者達が、巳(み)の刻には滝尻に到着して居た。中には早朝からの長距離の移動で疲れ、うつらうつらして居る者も在った。されど多くの者は、新たな郡司に興味を向け、彼是(されこれ)と様々な噂(うわさ)話が飛び交って居た。

 午(うま)の刻、愈々(いよいよ)族長だけが館の者の案内を受け、続々と政庁広間へと入って行く。広間には涼やかな秋風が通り、穏やかな陽光と共に、気候的には快適な条件が整って居た。

 族長達が静かに控える中、郡司の入室を告げる声が広間に響き渡った。豪族達が平伏した後、政房が早足で現れ、上座へどかりと腰を下ろした。
「面(おもて)を上げよ。」
政房の声を受け、族長達は一斉に頭を上げる。

 途端に、涼やかな広間に熱気が立ち籠(こ)め始めた。族長達は政房が如何様(いかよう)な人物か、磐城郡政を掌(つかさど)るに足る人物か、諸豪族を纏(まと)め得る力が有るか如何(どう)か、鋭い視線を以(もっ)て観察して居る。

 政房も又、ここが郡政掌握の明暗が分かれる時である事を承知し、威圧される事の無き様、気合を込めて居た。幾(いく)ら朝廷が陸奥四郡の大領に任じたとは雖(いえど)も、当地の豪族との主従関係を築かなければ、何(いず)れ郡司を解任された時、勢力を悉(ことごと)く失ってしまう。武門の棟梁たるには最小限、配下豪族に忠誠を誓わせる指導力が必要であると、政房は考えて居た。加えて、郡内の荘園化を如何(どう)対処するかも、郡司の重大な懸案であった。

 先ず、政房は己の紹介をした。
「私は此度、磐城、菊多、信夫、津軽四郡の大領に就任した、平政房と申す。府は当面、ここ滝尻に置く事と致した。遠方から参られた方には、誠に御足労を掛け申した。本日は本拠磐城と、隣郡菊多の方々と、今後の郡政に就いて語ろうと考えた次第にござる。」
政房が一息吐(つ)く間、広間は物音一つしなかった。豪族達は静かに、政房という人物を見定め様として居る。この静寂は自然と、政房の心に重圧と成って行った。政房は気圧(けお)される前に、次の言葉を接いだ。
「先ず、飯野郷より来られた方は居りまするか?」
政房の問いに応じて、三名が挙手をする。
「では、貴殿方に御尋ねしたい。飯野郷好嶋の辺りは荘園が発達し、当地の荘官と成って国府の支配から外れ、税制上の庇護を受けて居る者が多いと聞く。貴殿方はこの現状を如何(いかが)御考えか?聞かせて戴きたい。」
飯野の豪族三名は政房の問いを受け、俄(にわか)に緊張が走った様である。やがて、中央付近に座る男が、先頭を切って答えた。
「確かに、郡司様が仰(おお)せになられた様に、有力貴族へ土地を寄進致さば、不輸不入の権を得られ、我等は国司より、不当に高い税を求められずに済みまする。故に多くの者がこの先、荘官と成る道を採る物と存じまする。其(そ)は郡司様が今後、何も手を打たれねばでござりまするが。」
「ほう。では私に豪族達の所領安堵と、国府の苛政(かせい)より護ってやれる力が有らば、当家に名簿(みょうぶ)を差し出し、家臣に加わっても良いという事か?」
「御意(ぎょい)。」
磐城の豪族達には、財産や立場を護って欲しいとの願望の他、近年東国各地で起きて居る紛争からの脱却も又、郡司に望みたき事であった。その点では先月政房が、藍沢広行率いし数千にも上る反乱軍を、僅(わず)か二月(ふたつき)で鎮圧したという事実は、ここ磐城にも聞こえ、近隣豪族に頼もしき印象を与えて居た。

 しかし、相馬家が磐城に勢力を築くと困るのが、常陸国水守(みもり)の平繁盛である。繁盛は磐城において政房の名声を失墜させるべく、手の者を送り込んで居た。政房が逆賊平将門の嫡孫であり、摂関家からも警戒されて居る人物である等と、触れて回らせて居たのである。故に、この事は広く磐城の豪族の知る所と成り、郡司に付き従う事に二の足を踏ませる、大きな要因と成って居た。

 政房は、己の出自が既(すで)に郡内豪族に知れ渡って居る事を、近藤宗弘の報せに依り承知して居た。そこで江藤玄篤を呼び、そっと耳打ちした。玄篤は承服の意を示すと、静かに広間を後にして行った。

 程無く、玄篤は一尺程の包みを持ち、広間へと戻って来た。そして政房の前へ進み出ると、恭(うやうや)しくそそれを差し出す。政房は確(しっか)りと受け取ると、その包みを解き始めた。そして、中に包まれて居た厨子(ずし)を取り出すと、扉を開き、皆に見える様に、それを脇に置いた。外から入る弱い光が、厨子の中の物を照らすと、それは眩(まばゆ)い金色(こんじき)の光を放った。

 俄(にわか)に広間は響動(どよ)めき出した。その中で政房は、よく通る声で豪族達に告げる。
「此(こ)は当家の家宝、放光王地蔵菩薩である。未だ当家が平姓を賜る以前、高見王より伝来せし物なり。その後、家祖高望公はこれを我が曾祖父良将公に伝えた。良将公は放光王地蔵菩薩の如き御方で、自ら鍬(くわ)を持って農民の為に、農地を切り開かれたそうじゃ。次の将門公の代にて滅亡の憂(う)き目に遭(あ)うも、私は再び相馬家旧臣と、一族である村岡平家の武力を以(もっ)て、四郡の主と成る事が叶(かな)った。今後は相馬家祖良将公に倣(なら)い、新たな所領の開発に着手し、領民を安寧に導くであろう。篤(とく)と見て置くが良い。」
そう言うと、政房は家宝の前に座り、合掌した。そして厨子の扉を閉めると、広間中に拡散して居た金色の光は消失し、元の薄暗さを取り戻して行く。
「私から諸侯に申すべき事は以上である。」
毅然とした様子で言い放った政房は、家宝を再び布に包むと、それを持って退室して行った。

 豪族達は、恰(あたか)も浄土から戻って来た様な心地で呆然(ぼうぜん)とし、退出する政房の後ろ姿を眺めるのみである。やがて村岡忠重より参列者に、宴席に移る様告げられ、皆は政房に意見する事も無く、指示された棟へと移って行った。

 一方、政房は疲労を顕(あらわ)にして、居間へと戻って居た。そこへ佐藤純利と近藤宗弘が、君主の様子を窺(うかが)いに現れた。二人は政房の前に座して礼を執ると、先ず純利が口を開く。
「此度の顔合せ、某(それがし)は上々であったと存じまする。豪族達の誰もが、己の権力を維持増大させる為には、目の上の瘤(こぶ)と成り兼ねぬ殿に対し、釘(くぎ)を刺す事は能(あた)いませなんだ。」
純利は、政房の方が役者が上であったと、満足気な表情を浮かべる。宗弘も又同じ気持で、純利の言に頷(うなず)いて居た。

 次に、宗弘が政房に尋ねる。
「今、豪族達には別棟において宴席を設け、持て成しを致して居りまする。殿も御臨席となり、何ぞ豪族達へ申し付ける事はござりませぬか?」
政房は深く溜息を吐(つ)き、疲れた声で答える。
「これ以上は蛇足と成る怖れが有る。私は他に政務が山積して居る故、純利、賓客への応対は忠重に任せると伝えて参れ。」
純利は命を受けて一礼すると、直ぐ様政房の元を辞して行った。

 二人だけに成ると、政房は宗弘に相談を持ち掛けた。
「私は今年中に、磐城郡内を巡察して置きたい。しかし、冬将軍の到来も間も無くじゃ。最も適した順路を、其方(そなた)に調べて貰(もら)いたいのだが。」
その要請には、流石(さすが)に宗弘も腕組をし、考え込んでしまった。

 暫(しば)し沈黙した後、宗弘は一度頷(うなず)くと、政房に言上する。
「某(それがし)は未だ、主要街道の沿線のみを把握したばかりにござり申す。浜街道、御齋所街道、磐城街道、加えて三坂、片浜、小名浜の諸道のみであれば、案内出来申す。しかし、少なくとも精鋭五十騎を護衛に付け、館内にも二百は、兵を待機させて置かねば成りますまい。何しろ、未だ把握し切れて居らぬ土地故。」
政房は首を横に振り、宗弘を見据える。
「此度の顔合せに就いてだが、私は一時でも豪族達が、所領を寄進して荘園と成す流れを止め、郡政を見極め様とする動きが起れば、成功であると考えて居る。詰りは、政務の端緒において支持を得られれば、豪族達が様子見に回る可能性は高まり、郡内荘園の拡大を遅らせる事が出来る。」
政房は一呼吸置き、真剣な顔付きに成って、話を接ぐ。
「本日稼げた時は、精々(せいぜい)一年。来春には新政策に着手し、秋までにそれが実を結ばねば、豪族達は次々と私に愛想(あいそ)を尽かすであろう。そうさせぬ為にも、今年中に郡内を巡察し、冬の内に新政策を練り上げて置かねば成らぬ。故に、巡察に二百五十騎も動員する様では、豪族達は私の臆病を笑い、加えて兵事に多額の費用を掛ける事で、早くも私を見限る者が現れるやも知れぬ。故に供は二十騎。館の警固は普段の三十名で良い。」
政房の心中を漸(ようや)く察する事が出来た宗弘は、主君に深く頭を下げる。
「承知致し申した。では明後日の朝には、全ての準備が整う様、手配致しまする。」
「うむ。頼んだぞ。」
政房は宗弘に微笑(ほほえ)んで見せた。

 やがて政房の間を辞した宗弘は、巡察の仕度の為、政庁へと向かった。その途次、陽が傾いて薄暗く成りつつある廊下を、宗弘は黙考しながら歩いて居る。その脳裏(のうり)に浮かぶのは、先程の政房の姿であった。
(私はこの地に来て以来、地形、豪族の人物とその勢力、加えて有事の際の備えに関する調査に没頭し、今後の治政の在り方を考慮する余裕が無かった。しかし主君は既(すで)にここ一年の策を錬(ね)られ、我が努力をも有用に成さって下さる。)
主君がよく纏(まと)めてくれれば、家臣は与えられた任務に没入する事が出来る。その点で、宗弘は主君に恵まれた事を感じた。しかし一方で、額の辺りに冷たい汗が流れて居た。
(未だ二十歳を過ぎたばかりの若さであるのに、末恐ろしい。)
斯様(かよう)な事を考えながら、やがて宗弘は政庁内に置かれた兵部へ入り、家臣の中から担当者を選任した。そして明後日の、巡察時護衛兵の手配に加え、行程を明日までに決定すべく、手元に集めた地理の資料に、目を通し始めた。

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