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第五節 三春の郷
午(うま)の刻、陽は最も高い筈(はず)であるが、山深く入った相馬兵からは、鬱蒼(うっそう)と茂った樹木に遮(さえぎ)られ、恰(あたか)も夕方の様に暗く感じられる。その光景は、大敗を喫した政房の心境を顕(あらわ)して居るかの如くであった。
二時(ふたとき)程山中を彷徨(ほうこう)した。その間、先陣に居た村岡忠重、近藤宗弘が無事であった事が判(わか)り、政房は大いに安堵した。やがて相馬軍は森を抜け、開けた集落に出た。八島川という川が有り、村はその東南方に広がって居る。又、川の北岸には、城と思(おぼ)しき館も見受けられる。政房は先ず各部隊を川に西岸にて休ませ、一方でこの地の豪族に使者を派遣した。
相馬軍は此度の敗戦にて、戦力を大きく削(そ)がれて居た。一千騎を誇った軍勢が、今や三割を失い、生き残った者も殆(ほとん)どが負傷して居る。
やがて北方の山城より、二騎の武者が姿を現した。一人が大声で黒沢正住の家臣と名乗り、政房との面会を所望する。政房はそれに直ぐ様応じ、二人を本陣へと招いた。
程無く、二人は幕舎に姿を表し、政房の前面に置かれた床几(しょうぎ)に座した。正房と対面しても尚、礼を執らぬ二将に対して、横に座って居た純利が激昂し、席を立って睨(にら)め付ける。
「平政房公は、朝廷より正式に派遣されし押領使(おうりょうし)なるぞ。二人共、礼を執らぬとは何事か!」
しかし、純利の言にも二人は動じない。政房は先ず純利を鎮めさせた後、使者に向かい尋ねる。
「して、黒沢殿の用向きは?」
「はっ。政房様に、当家の館へ御越し願いたく存じまする。」
使者の言葉に、暫(しば)し相馬家の者は沈黙した。今は黒沢正住の助力が必要である一方、未知なる人物の元に赴く事は、大いに危険を伴うからである。
政房の傍らに座る忠重は、深傷(ふかで)を負いながらもこの席に臨(のぞ)んで居た。されど毅然たる態度を保ち、危険過ぎると断じて、政房に首を振って見せる。暫(しば)し考え続けた政房は、やがて使者を見据えつつも、穏やかに告げる。
「承知致した。今から参ろう。」
政房はゆっくりと立ち上がると、純利一人に供を命じ、傷を負った忠重と宗弘には、陣に残る様伝えた。忠重は立ち上がって諫(いさ)め様としたが、同時に激痛が体を走り、膝を突く。政房は忠重に穏和な目を向け、一言告げる。
「案ずるな。」
そして、呆気(あっけ)に取られた顔の忠重を後目(あとめ)に、純利を従えて幕舎を出て行く。純利は、その際に腰の太刀を掴(つか)んで見せ、主君は必ず護ると誓って見せた。
丸子郷の豪族、黒沢正住の館を、土民は三春城と呼んで居た。この辺りの気候は特殊で、梅、桃、桜が、同時に咲き誇る光景が見られる故である。しかし、雨季の今と成ってはそれ等も、緑の葉を茂らせるのみである。三春城は平沢という地に立つ、小高い山城であり、八島川を天然の堀とする。磐城街道の北方に位置し、周囲の見晴らしも良い。別称平沢館ともいう。
政房は純利と共にこの館に入り、山頂付近に在る棟に通された。そこには広間が在り、黒沢家の重臣が居並ぶ。しかし先程の使者の対応とは異なり、ここでは陸奥押領使として、鄭重に上座へと勧められた。政房は安堵しつつ席へ着く。純利も主君を守るべく、その傍らに座した。
上座から辺りを見渡して居ると、最も前方に座って居た四十路(よそじ)位の男が立ち上がり、政房の正面へ進み出て、座礼を執った。
「御初に御目に掛かり申す。某(それがし)は当地を所領と致す、黒沢正住と申しまする。」
今、己の命運を左右する男が目の前に居る事を知り、政房等は俄(にわか)に緊張の色を示した。しかし政房は、努めて堂々たる態度を取り、正住に告げる。
「この度は早速貴殿との対面が叶(かな)い、嬉しき限りじゃ。」
「然様(さよう)にござりましょうな。」
正住のしれっと返す態度に、純利は片足を立て、怒りを顕(あらわ)にした。
「己(おのれ)、畏(おそ)れ多くも朝廷より派遣されし将軍に対し、何たる無礼な態度。」
しかし、尚も黒沢家の一同は平然とした様子であり、正住は政房等に、諭(さと)す様に語り始めた。
「我等奥羽の民は、都人より俘囚(ふしゅう)と蔑(さげす)まれ、又受領(ずりょう)の横暴には、積年の恨みを募(つの)らせる者が多うござる。故に此度、蜂起に至った藍沢広行に同情の心を寄せ、その征討に余力する積りは些(いささ)かもござらぬ。」
正住が官軍に協力しない事を表明した為、政房主従の緊張は一層高まった。政房は平静を装い、正住に尋ねる。
「では、貴殿は何故、我等を当館へ招かれたのか。我が首を持参して、藍沢が軍に加わる為か?」
それを聞き、正住は大声で笑い出した。やがて膝(ひざ)を叩いて笑いを鎮めると、依然微笑を湛(たた)えたまま、政房の問いに答える。
「我等は只、平穏な暮しを望んで居るだけにござる。故に藍沢とも距離を置き、又政房殿とも争う積りはござらぬ。御見受けした所、貴殿の軍は当分戦える状態とは思えず。ここより東方に、磐城郡へ通じる街道がござる。案内を付ける故、そこへ落ちて行かれるが宜しかろう。」
「いえ、私は安達、安積(あさか)二郡の民を、この戦災より救うべく参った者。このままおめおめとは戻れませぬ。我が願いは唯(ただ)、この地において、当家の軍馬を休ませる許可を戴きたいだけにござる。」
「ほう。」
政房の言葉は、正住に取って意外な物であった。一つは奥州鎮撫に確固たる決意を持ち、もう一つは、窮地に立たされて居る筈(はず)のこの若武者が、己に助けを乞(こ)うて来なかったからである。正住は正房という武士に興味を抱き、取り敢(あ)えず、三春城南方の丘に軍を留める事を許可した。黒沢家の重臣は、本城の喉(のど)元に余所(よそ)の軍を入れる事を危惧(きぐ)したが、正住の顔には余裕が窺(うかが)えた。相馬軍には、黒沢氏を攻める力も、利点も無いと判断して居たからである。
話がまとまると、政房等は館を辞し、自軍へと戻って行った。相馬軍は正住に言われた通り、邑(ゆう)の東南方の外れに在る丘に陣を構え、兵馬を休ませる為に、陣屋等も築き始めた。しかしこの作業は、再び訪れた長雨に因(よ)り難航した。
来る日も来る日も、雨は降り続いた。政房は簡易に築いた陣屋にて、地蔵菩薩を眺めて居る。今思えば敗戦の折、この像が身代わりに成らなければ、今頃政房は矢傷を負い、命も危うかったかも知れない。又、長雨の到来がもう少し早ければ、逢隈(阿武隈)川を渡ってここまで逃れて来る事も叶(かな)わず、相馬軍は壊滅して居たであろう。政房は天佑の様な物を感じては、地蔵菩薩に手を合わせて居た。
その時、政房の元を訪れる者が有った。佐藤純利と、それに伴われて来た江沙弥(こうさみ)である。二人は政房の前で座礼を執り、先ず純利が口を開いた。
「申し上げまする。この江沙弥なる者が、殿に言上したき儀が有るとの事で、連れて参り申した。」
政房はゆっくりと体を江沙弥の方へ向けると、真顔と成った。
「其方(そなた)の助言の御蔭にて、一先ず窮地を脱する事が出来た。礼を申す。して、此度は又、良策でも浮かんだか?」
江沙弥は恭(うやうや)しく一礼すると、思う所を述べ始めた。
「食糧の保存が困難なこの時季、仙道を外れし我が軍に取って、糧道の確保は容易ではござりませぬ。このままでは、全軍撤退に及ぶか、もしくは黒沢家に、兵糧の援助を要請する他ござりませぬ。」
「うむ。双方とも、当面の重要な問題であるのう。して、何か他に良き方策が有ると申すか?」
「はっ。某(それがし)はこれより坂東へ立ち戻り、新たに相馬の旧臣を集め、兵糧をも調達して参りとうござりまする。就(つ)きましては、某(それがし)に一月の時と、十名の兵を御貸し下さりませ。」
江沙弥の眼は実に真剣である。政房はその奥底に信頼出来るものを感じ、許可を与えた。
「従者の選定は其方(そなた)に任せる。行って参るが良い。」
江沙弥は深く一礼すると、政房に対し粛々とした顔を見せ、静かに立ち上がって陣屋を出て行った。政房は、その後ろ姿を見ながら思った。
(これが見事成功する様であらば、還俗(げんぞく)させて、我が家臣に加えたき者よ。)
外では、雨が一層激しく降り注いて居た。政房は江沙弥の今後の苦労を想いながら、陣屋の傍らに咲く紫陽花(あじさい)の花に、目をやって居た。
やがて、三春の南の外れに陣屋を築き終え、漸(ようや)く兵場の落ち着ける場を得た政房は、最後にその端に祠(ほこら)を築かせ、母より預かりし地蔵菩薩を安置した。未だこの先には、数多(あまた)の困難が待ち受けて居る事が予想され、政房は御利益(ごりやく)に縋(すが)ろうとしたのである。
その後、政房は暫々(しばしば)平沢館へ招かれ、黒沢正住と対談する機会が有った。正住としては、政房という人物の為人(ひととなり)を見定め、今後の対応を決めて置きたかったのである。政房に取って、地理に長(た)けた黒沢勢は、是非にも味方の陣営に加えたい所である。よって、誼(よしみ)を深めて置いて損は無かった。
ある日、政房が平沢館に招かれた折、正住は政房の出自を尋ねた。
「政房殿は平姓を名乗られておわしまするが、一体何処(いずこ)の流れを汲(く)む御方にござりましょうや?」
この話は、都においては身に危険が及ぶ怖れが有る為に、これまで村岡五郎こと平良文の孫と名乗って来た。だが、ここは都から遠く離れた山中故に、政房は斯(か)かる危惧(きぐ)を捨てて、話す事が出来た。
「某(それがし)の父は従六位上平忠政と申し、かつては藤原純友の乱鎮定に加わりし将軍にござった。そして祖父の名は、平将門と申しまする。」
「何と。彼(か)の相馬平家は、一族悉(ことごと)く誅殺されたと聞き及んで居り申したが、その生き残りがおわされたとは。」
正住の、政房を見る目が一変した。奥州南部はかつて将門の勢力圏に近く、その伝承が残されて居る。在郷武士を朝廷の圧政より善(よ)く守護せし者、と伝えられて居たので、密かに崇拝する者も有った。正住もその一人であり、目付きが変わったのは、その為である。正住は対話の中から、政房の志を探(さぐ)って居た。その内、この人物なら百姓を守り、安寧なる世を構築してくれるのではないかと、思い始めて居た。
政房が自軍へ戻る折、正住は城門まで見送りに出た。そして別れ際(ぎわ)に、一つの提案を申し出た。
「政房殿、ここは山奥の邑(ゆう)なれば、山の珍味がたんとござる。南方より来られし相馬家の方々に、馳走致したいと存ずるが、如何(いかが)でござろうか?」
これは黒沢家から相馬軍への、兵糧援助の申し出であった。政房はにこりとすると、快諾の旨と礼を述べ、平沢館を下って行った。
正住はふと、雨が上がり、雲の切れ間から朱色の陽光が、燦然(さんぜん)と射し込んで居る事に気が付いた。その光は眼下の政房を照らし、その全身が燃え上がる焔(ほむら)の様に見える。正住はその光景に、相馬武士の熱き再興への、闘志の様な物を感じた。政房は朱色の光の中、悠然と自軍へ引き返して行った。
*
逢隈(阿武隈)の山中では、数日豪雨が続いたかと思うと、再び炎暑が訪れた。幾(いく)ら山地と雖(いえど)も、南方からの暖風と、灼熱(しゃくねつ)の太陽に晒(さら)されては、多くの兵が茹(う)だって居た。
間も無く、江沙弥が約束した一月が経とうとして居る。政房は今日も陣の外れに在る、地蔵菩薩を安置した祠(ほこら)を訪れ様として居た。しかし突如として、地鳴りと思(おぼ)しき轟音が鳴り響いたかと思うと、陣の端の土砂が崩れ落ち、地蔵菩薩は祠(ほこら)ごと、土砂の中へと呑み込まれて行った。
突然の事に政房は唖然(あぜん)としたが、直ぐに近くの者に、捲(ま)き込まれた数名の兵を救助する様、下知した。やがて、数人の死傷者が出て居る事が報告され、故人の友は、その突然の死を嘆(なげ)いた。更(さら)には、この不幸が凶事の予兆であるという噂(うわさ)が陣中に広がり、兵の士気は次第に衰えて行った。
被災者の救助が完了すると、政房は次に、土砂に埋もれた地蔵菩薩の発掘を命じた。しかし一日経てど、二日経てども、それが発見される事は無かった。
そして三日目の朝、土砂を掘る兵の一人が、東方の磐城海道より、数百の軍勢が接近して来るのを確認した。その報は直ちに本陣に伝えられ、相馬軍は俄(にわか)に、緊張に包まれた。磐城郡の豪族達までもが、藍沢勢に与(くみ)したと在らば、絶体絶命の危機に陥るからである。
程無く、政房の陣に軍使が派遣されて来た。その使者が江沙弥であった為、政房は安堵を覚えると共に、歓喜した。政房は直ぐに江沙弥を己の元へ呼び、これまでに至る仔細を尋ね様とした。久しく坂東に赴いて居た江沙弥を前に、政房は大層上機嫌である。
「善(よ)くぞ戻った。あれは其方(そなた)が集めて参った軍勢か?」
「はっ。相馬家旧臣と、某(それがし)と旧知なる者二百騎、加えて、常陸国信太郡の信田将国様が、御家中の斎藤邦泰殿を大将に、三百騎を派遣して下さり申した。増援は併せて五百騎にござりまする。」
眼下に展開した軍勢が、相馬家の援軍であると判(わか)ると、相馬軍の士気は一気に高揚した。政房は援軍を陣屋に入れる様、江沙弥に指示を下し、一方でこれを領主の黒沢正住に伝え、安堵させ様と計った。
やがて五百の軍勢が、政房が布陣する丘へと上って来た。政房は重臣を従え、援軍の将に礼を以(もっ)て応じるべく、待ち受けて居る。そこへ、軍の先頭を進む四十路(よそじ)過ぎの武将が、本陣の前で馬を下り、歩み寄って来た。その泰然とした姿に、政房は真(まこと)の兵(つわもの)であると感じた。
その武将は政房の前で立ち止まると、恭(うやうや)しく一礼する。
「某(それがし)は、常陸信太は浮島の領主信田将国が家臣、斎藤邦泰と申しまする。此度は主命を帯び、助太刀に参上仕(つかまつ)った次第。歴戦の兵(つわもの)を多数引き連れて参った故に、必ずや御役に立てる物と存じまする。」
「其(そ)は有難し。私は信田殿との面識がござりませぬのに、斯(か)かる大規模なる援軍、誠に以(もっ)て感謝の言葉も見当たりませぬ。」
政房の言葉に、斎藤邦泰は微笑を湛(たた)えて答える。
「政房様は未だ、御存知有りませなんだか。信田家は平忠頼様の傘下に在り、又主君将国様は、政房様の実の伯父君にござる。」
「伯父、にござるか?」
「然様(さよう)。将国様は将門公の御長男にて、将門公亡き後は、村岡平家に匿(かくま)われてござり申した。今は未だ世に出る事が叶(かな)わぬ故、此度相馬家再興の望みの有る政房様を支援致す様、信田家にて決せられたのでござりまする。」
政房は唯(ただ)立ち尽すのみであった。相馬の直系は最早、己の他には平忠頼室しか残されて居らぬ物と思って居たからである。やがて政房は真顔と成り、邦泰の手を取る。
「一族の扶(たす)け程心強い物は無し。我等は貴殿の援軍に心から感謝致す。」
そう告げて、鄭重に陣中へと案内した。
陣屋への途次、政房の後に付いて行く邦泰に、話し掛ける者が在った。邦泰がその方を振り向くと、俄(にわか)に懐かしそうな顔を呈する。
「忠重様。随分と逞(たくま)しゅう成られた。御目に掛かるのは、良文公の館以来でござりましたか。」
「ふふ、邦泰も一廉(ひとかど)の武士と成ったのう。かつて平良文公の麾下(きか)、最強を誇ったのは先代重武公であり、それに追随して居たのは、斎藤邦貞殿であった。しかし今貴殿が率いし軍勢は、かつての斎藤勢よりも更(さら)に、精強さを増している様子。所で、邦貞殿や兄御の邦親殿は御健勝か?」
「はっ。今も浮島に在り、信田家の素姓を平繁盛に悟られぬ様、努めてござりまする。」
「其(そ)は上々。ともあれ、我等が代に成っても共に馬を並べる事が叶(かな)うは、真に嬉しき事。互いに励もうぞ。」
「はっ。」
政房の背後より、忠重と邦泰の談笑が聞こえて居た。成程(なるほど)、信田家の家臣であれば当然、宗主である村岡家との所縁(ゆかり)も深い筈(はず)である。政房は眼前に在る斎藤勢の頼もしさに加え、未だ見ぬ伯父将国の、己への援助を嬉しく思った。
先の敗戦において、負傷した兵の多くは傷が癒(い)え、相馬勢は今や一千を数える規模にまで増大して居た。斎藤勢を麾下に収めた政房は、数を増した軍議の席に、江沙弥を呼んだ。陣屋の中央にて跪(ひざまず)く江沙弥を横目に、政房は居並ぶ諸将に告げる。
「これなる僧兵は江沙弥と申す。先の負け戦の折には的確なる進言を成し、又此度は斎藤殿の軍勢を含め、五百に及ぶ兵を集めて参った。私はその功績に報いんが為、この者を将に取り立てようと思う。江沙弥は、我が祖父将門公の副将を務めた藤原玄茂(くろしげ)の甥(おい)なれば、その血筋においても、何ら問題は無き物と存ずる。皆は如何(いかが)思う?」
重臣達は隣の者と相談を始め、軍議の場はやや騒然と成った。やがて、最初に意見を述べたのは佐藤純利であった。
「某(それがし)は奥州に着いてより、常に殿の側近くに居った故、江沙弥殿の姿は暫々(しばしば)見受ける事がござった。その働き、着想は見事な物で、必ずや殿の扶(たす)けと成る者と存じまする。」
それに続き、近藤宗弘も賛同の意を述べる。
「確かに純利の申す通り。加えて相馬武士の末裔と在らば、その忠義の程も頷(うなず)けまする。」
二人の論を受け、諸将は賛成に傾いた。最後に政房は、今まで沈黙を保って居た、忠重の意見を確認し様とした所、忠重は俄(にわか)に立ち上がり、江沙弥の元へ歩み寄った。そして、鋭い眼指を向けて尋ねる。
「もしその方が重臣の列に加わる事を望むのであらば、当然今よりも、責任と苦労が増す事は覚悟せねば成らぬ。其(そ)は承知の上か?」
江沙弥は暫(しば)し黙したままであったが、やがてその口をゆっくりと開いた。
「某(それがし)は幼少の頃、凄惨(せいさん)な戦場(いくさば)を逃げ惑い、漸(ようや)く常陸国東福寺に預けられ、生き永らえる事が出来たのでござりまする。故に今は僧形(そうぎょう)をして居りまするが、父祖の家を再興し、旧主に仕える事が我が願いにて、その為の覚悟も出来て居る積りにござりまする。」
そう言い終えると、江沙弥は真剣な顔付きで忠重を見上げる。忠重は深く頷(うなず)くと、己の席へと戻って行った。
その様子を見届けた上で、政房は諸将に対し、申し渡しす。
「江沙弥の願い、叶(かな)えてやる事と致す。江沙弥には、自ら率いて参った二百騎を任せ、将に任ずる。又、還俗(げんぞく)を望んで居る故に、武士の名を与える。父祖の藤原の姓を名乗らせる事は出来ぬが、法号から一字を取り、江藤の姓を与える。又、かつての当主、玄茂殿の後継者として、玄篤(くろあつ)の名を与える。」
江沙弥は政房の前に歩み出て、膝(ひざ)を突いた。
「ははっ。必ずやこの先の戦(いくさ)にて、御恩に報いる働きをして御覧に入れまする。」
江沙弥改め江藤玄篤は、恭(うやうや)しく頭を下げる。その時、一滴の涙が頬(ほお)を伝って居た。
政房はここにおいて、新たな人材を得られた事に満足する一方、反撃の態勢が整ったと断じ、二日後に出陣する事を決めた。そして平沢館へ使者を送り、この旨を告げると共に、今までの援助に対する感謝の気持を伝え様とした。
その日の夕刻、平沢館より使者が帰還した。早々に政房の元へ通され、黒沢正住よりの返事を報告する。その報は意外にも、政房を狂喜させる物であった。使者の言に依れば、黒沢氏も出兵する故に、二日程出発を遅らせて欲しいとの事である。地理に明るい者を必要として居た政房は、直ぐ様承知する事とした。又、政房に取ってはこの地での滞在を延ばす事に因(よ)り、埋没した地蔵菩薩を探し出す可能性が増した事も、利点の一つであった。
斯(か)くして二日後、灼熱(しゃくねつ)の太陽が照り付ける中、相馬軍千五百騎は勢揃いをして、黒沢軍を御待ち受けて居た。しかし本隊の政房は、騎上で浮かない顔をして居る。この奥州の山中にて、相馬所縁(ゆかり)の地蔵菩薩を失ってしまったからである。土砂崩れの範囲は殊(こと)の外広く、又兵も出陣に備えて休ませねば成らぬ為、大規模な発掘作業を行う事は出来なかった。政房は只、手を合せて拝む他無かった。
巳(み)の刻、平沢館より軍勢が出て来るのが見えた。その列はやがて相馬軍の眼前に達し、中より黒沢正住が駒を進めて来る。それを受けて政房も重臣を伴い、両軍の中央にて対面に及んだ。正住は政房の前に出て、笑顔を見せる。
「この一ヶ月、某(それがし)は政房殿の為人(ひととなり)を見て参り申したが、負戦(まけいくさ)の苦境に陥(おちい)りながらも、五百もの増援を得られた事で、政房殿には武士を率いる徳が備わって居る事を、確認致し申した。就(つ)きましては、某(それがし)も斯(か)かる将軍の下にて、共に泰平の為に戦いたく存じまする。ここには五百近くの兵が居りますれば、何卒(なにとぞ)御役立て下さりませ。」
政房も正住に対し、笑みを呈して答える。
「貴殿の御心、嬉しく存じまする。又、地理に明るき黒沢殿が加わるは、真に心強き事。共に逆賊を平らげ、奥州南部に安寧を齎(もたら)すべく努めましょうぞ。」
相馬軍はここに丸子郷黒沢勢の助力を得、その兵力は千五百程に成った。経験、知識、新たな味方を得た軍は実に威風を醸(かも)し、整然と隊列を組んで西進を始めた。磐城街道の西端にして仙道にぶつかる処。そこはかつての敗北の地であり、此度は反撃に移る為の舞台であった。
黒沢勢は先ず斥候(せっこう)を放ち、仙道の様子を探らせた。それから得られた情報に依れば、意外にも、官軍が安積郡を守り通して居たという。賊軍は相馬軍に大打撃を与えたと雖(いえど)も、一方でかなりの犠牲を払って居た様である。又、安積の官軍に、暫(しばら)くは反攻の余力無しと見た賊軍は、安積方面の一部隊を、信夫(しのぶ)方面に充(あ)てて居た。
仙道へ出た相馬軍は、その圧倒的な兵力を以(もっ)て一気に、賊軍の防御線である五百川を突破した。無勢の賊軍は立ち所に潰走を始め、相馬軍は先の大敗が嘘の様な大勝利で、反攻の口火を切る事が出来た。相馬軍の士気は否応無しに上がり、一気に賊の拠点が在る安達郡に傾(なだ)れ込んだ。
賊軍の主力は水原川を境に、信夫の官軍と向かい合って居た為、安達郡の府である安達郷は、瞬(またた)く間に相馬軍の手に落ちた。相馬軍は更(さら)に北上を開始し、信夫軍と賊軍を挟み討ちにしようと目論(もくろ)んだ。されど賊軍は、街道沿いに在る入野郷を放棄し、逢隈(阿武隈)山中へ逃げ込んで、佐戸郷を最後の拠点とした。藍沢広行の本領である会津郡へ逃げられれば、広大な会津地方一円を捲(ま)き込む大事と成る所であった。相馬軍は巧みに賊軍を、東方へと追い込む事に成功した。
一先ず賊を山中へ追いやった相馬軍は、入野郷にて信夫軍との合流を果した。これに因(よ)り、仙道は朝廷の下に回復され、再び陸奥国府多賀城から下野への、往来、輸送が可能と成った。
信夫軍は一千に満たない兵力であったので、相馬武士を核に、黒沢勢、安積、白河の両軍団を加えて、二千騎以上に膨らんだ相馬軍の威容を目(ま)の当たりにした時は、流石(さすが)に驚きを隠せぬ様子であった。
その信夫軍から、二人の将が政房の本陣を訪ねて来た。都の暮しよりも、奥州の山野に親しんで居る様な、立派な体躯(たいく)の男達である。二人は相馬軍本陣の幕営に入ると、政房に勧められ、正面の床几(しょうぎ)に座った。そして礼を執った後、一人が政房に話を始める。
「某(それがし)は信夫郡の者にて、大波朝信と申しまする。この度は信夫郡司の命を帯び、逆賊討伐の指揮を執って居り申す。本日は賊徒を東方の山中へ追いやりし事、祝着(しゅうちゃく)の極みと存じまする。」
続いて、もう一人の武将も、政房に挨拶をする。
「某(それがし)は信夫軍の副将を務める、大和田要人と申しまする。押領使殿が斯(か)かる大軍を率いて来られし事は、真に心強き限りにござりまする。」
政房に取っても、信夫軍と合流出来た事は、非常に心強い事であった。政房は笑顔を見せながら、両人に告げる。
「御二方、今まで賊将藍沢を、よくぞ足留めして下された。御蔭で我等は敵の主力とぶつかる事無く、ここまで辿(たど)り着く事が出来申した。今後我等は賊誅滅(ちゅうめつ)の為、逢隈(阿武隈)山系に入り申すが、是非にも貴殿殿の御助勢を戴きたい。」
政房の依頼に、大波朝信は即答した。
「押領使殿に仰(おお)せられるまでも無く、我等はその所存にござる。我が軍は藍沢本隊と久しく戦って参った故、必ずや御役に立って御覧に入れ申す。」
大波朝信の言葉を受け、政房は席を立って、二人の元へ歩み寄った。そして、二人の手を取って告げる。
「信夫軍の助勢が得られれば、この戦(いくさ)は間も無く片が付き申そう。さすれば、奥州に再び平和が訪れ申す。」
朝信等も、確(しか)と政房の手を握り返した。二人共政房と同じく、陸奥の安寧を心より願って居た。
政房はここにおいて、官軍三千騎の総大将と成った。しかしその表情には、僅(わず)かに翳(かげ)りが窺(うかが)える。政房の胸中では、仄(ほの)かな葛藤が生じ始めて居た。賊将藍沢広行、未だ見ぬ人物であるが、奥州の豪族で、彼に同情を寄せる者は多い。怖らくは、受領(ずりょう)の暴政に堪(た)え兼ね、苦しむ民の代表として、立ち上がった者であろう。己が彼を討ち滅ぼせば、奥州の民は再び塗炭の苦しみを味わい、新たな火種を残す結果と成ってしまうのではあるまいか。政房は夕闇が深まる中、西方に浮き上がる安達太良(あだたら)の稜線をぼんやりと眺めながら、考えに耽(ふけ)って居た。