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第二節 相馬の若武者
その後も、平安京では平和な時が流れて居た。帝(みかど)は文事政策の一環として、天徳三年(959)八月十六日、清涼殿にて闘詩を盛大に催した。しかし翌年、都にて福来病(お多福風邪)が流行し、多くの人々が亡くなった。朝政において中心的人物であった右大臣藤原師輔(もろすけ)も、この病(やまい)を得て薨去(こうきょ)した。帝はその後任に、師輔の従兄(いとこ)で、醍醐朝の左大臣時平の子、藤原顕忠(あきただ)を当てた。
朝政人事に動きが有った天徳四年(960)、坂東では平忠頼が見事に豪族を纏(まと)め、村岡平家の隆盛が続いて居た。しかし、忠頼自身は未だ三十に成ったばかりで位官が低く、一方で隣接する平貞盛や藤原秀郷は四位に叙され、国守を歴任して居た。その勢力は、依然忠頼に取って、油断の許されざる物であった。
その忠頼の本拠、武蔵国大里郡にて、鹿狩を行う一団が在った。林の中を勢子(せこ)が叫んで回り、一頭の鹿が草原に逃れて来る。そこに騎乗した若武者が、俊足で逃げる鹿を、見事騎射にて仕留めた。
若武者の元へ三騎、駆け付けて来る者が在る。若武者は彼等に告げる。
「今日一番の獲物(えもの)じゃ。今宵(こよい)の御膳に差し上げれば、忠頼様も御喜びになろう。」
近習の一人が、笑顔で若武者の横に付け、称(たた)えて申し上げる。
「流石(さすが)は千勝様。騎射の腕前は早、一人前でござる。」
「忠重殿、世辞は要らぬ。斯様(かよう)な腕の者、坂東にはごろごろして居る。」
「いや、千勝様は最早立派に、大将を務めるに能(あた)う腕前にござる。兄上が見れば、嘸(さぞ)や喜ばれる事でありましょう。」
「そうか。喜んで下さるか。」
千勝は嬉しそうな顔をすると、周囲の家臣に号令を下し、忠頼の館へ戻って行く。間も無く、林の中から数名の勢子(せこ)が姿を現し、千勝の隊に合流した。その日は獲物が多く、皆満足気な様子であった。
陽が沈もうとして居る。夕闇の中、相馬家の一行は館に到着した。出迎えた村岡家の者に獲物を見せると、その数の多さに響動(どよ)めきの声が上がった。相馬家の者が千勝の騎射の腕前を語ると、村岡家の者達は、最早一人前の坂東武者よと、称賛の声を掛けた。
その日の夕餉(ゆうげ)には、千勝等の狩った獲物が用いられ、鹿鍋が館の者に振舞われた。夏が過ぎ、冷やかな夜風が吹き始める葉月の候、皆舌鼓を打って味わって居る。広間では両家の一族重臣が集まって居り、千勝は左方筆頭の席に着いた。その隣に座る忠重が、中心と成って皆に狩の様子を語り、又主君の武勇を伝えて居た。忠頼は黙って汁を啜(すす)りながら、その話に聞き入って居る。一同は、久々に揃(そろ)って食べる御馳走を、話を楽しみつつ味わった。やがて忠重の話が一段落した所で、忠頼は千勝に尋ねる。
「千勝殿は、今年御幾つに成られた?」
「はい。十五と相成りました。」
忠頼は微笑を浮かべて頷(うなず)くと、視線を奥の忠重に移した。
「忠重、千勝殿は御事の目から見て、一人前の武士に成ったと言え様か?」
それまで笑顔で話して居た忠重は、兄の問いを受けて急に真顔と成り、厳粛に答える。
「はっ。弓馬の腕の他、普段の家臣の纏(まと)め様等、既(すで)に往時の忠政様と比べても、見劣りする物ではござりませぬ。」
「そうか。」
忠頼はゆっくりと頷(うなず)くと、視線を千勝に移す。
「そろそろ千勝殿を、元服させても良い頃じゃな。」
「御意(ぎょい)。」
忠重が恭(うやうや)しく答えた。それを受けて忠頼は、諸将を見渡して告げる。
「儂(わし)は近々上洛せねば成らぬ。よって千勝殿の元服の儀を明後日、執り行う事とする。烏帽子親(えぼしおや)は儂が務める。」
「はっ。」
村岡、相馬両家の臣は、一斉に平伏した。
急な事であったので、千勝は只狼狽(ろうばい)するのみであったが、忠重が躙(にじ)り寄って、その肩を叩いた。
「御目出度(おめでとう)ござる。元服の暁(あかつき)には、御母堂との再会も叶(かな)いましょうぞ。」
「うむ。」
千勝は忠重を見詰め、笑顔で頷(うなず)く。しかしその顔には、緊張の色が窺(うかが)えた。愈々(いよいよ)一人前と成って、母を迎えに行く望みが出て来た事で、千勝は喜びと共に不安も感じて居た。時の流れが、二人を何(ど)の様に変えたのか、知るのが恐かったのである。
二日後、忠頼の館内にて、千勝の元服式が執り行われた。千勝は前髪を落し、忠頼に烏帽子(えぼし)を被(かぶ)せられると、凛々(りり)しき若武者の姿と成った。千勝の亡父、忠政を彷彿(ほうふつ)とさせるその様に、忠政を知る者達は驚き、息が漏れる。そして忠頼は千勝に、「政房」(まさふさ)の名を送った。忠政の一字を与え、相馬家歴代の武勇に肖(あやか)る様、願ったのである。その想いは、政房の直臣である村岡忠重、近藤宗弘、佐藤純利も同じであった。
元服の儀は滞(とどこお)り無く終り、忠頼が退席しようとした時、慌(あわただ)しく広間に駆け付ける武者が在った。武者は、広間の入り口に着くと礼を執り、息を整える。忠頼は立ち止まり、怪訝(けげん)そうな面持ちで尋ねた。
「何事か?」
武者は呼吸が整わぬまま、途切れ勝ちの声で報告する。
「村岡重武様の容態が、急変致し申した。薬師(くすし)も、余命幾許(いくばく)も無しと申して居りまする。」
武者の言葉に、一同は静まり返った。やがて忠頼は諸将を見渡し、相馬家の者と主立った臣に供を命じ、広間を後にした。供を命ぜられた者は、やや騒然と成って出立の準備に取り掛かったが、政房と忠重だけは、暫(しば)し呆然(ぼうぜん)と立ち尽した。
村岡重武は既(すで)に齢(よわい)八十を超え、心の臓を患(わずら)い、所領の武州村岡郷にて療養して居た。屋敷は忠頼の館から目と鼻の先である。相馬家の家宰は忠重に任せ、隠居の生活を送って居た。しかし忠頼の信頼厚く、暫々(しばしば)忠頼は悩み事が有ると、相談に訪れて居た。重武は村岡、相馬の両家に仕えたが、両家共に、二代に渡り信を得た。文武に秀で、久しく両家を扶(たす)けた故である。斯(か)かる功臣が失われ様として居る事に、忠頼と忠重の兄弟は、特に強い懸念を抱いた。政敵藤原秀郷や平貞盛が円熟味を増して居る中、重武の知恵は、必要不可欠の者であったからである。
忠頼が重臣や相馬家を率(ひき)い、重武の屋敷に到着すると、重武の郎党五名が、恭(うやうや)しく迎えに出た。忠頼以下は下馬し、彼等の元へ歩み寄ると、郎党達は静かに、屋敷内へと案内した。
重武の寝所へは、忠頼、忠重、政房の三名だけが入った。重武の、心底からの言葉を聞きたかった為である。床には、重武が横たわって居た。青ざめた顔をして、呼吸を荒げる様子に、かつて東西を駆け巡った猛将の面影(おもかげ)は無かった。傍(かたわ)らの薬師(くすし)が、忠頼等の到着をそっと告げると、重武は目を開き、顔を忠頼の方へ向けた。
「おお、忠頼様。」
そう言うと、重武は激しく噎(む)せた。その姿を見て、三人は沈痛な面持ちと成り、重武の傍らに、静かに腰を下ろした。
やがて重武の呼吸が落ち着くと、忠頼は穏和な表情を取り戻し、重武にそっと話し掛ける。
「未だ、身体が思わしくない様じゃのう。緩(ゆる)りと休み、必要な物が有らば、遠慮無く儂(わし)に申すが良い。」
「其(そ)は有難き御言葉。されど、某(それがし)が殿の御役に立てるのも、これまでやも知れませぬ。」
重武は力無く、笑みを浮かべて見せた。忠頼は慌てて返す。
「何を申す。其方(そなた)は歴戦の勇者。是式(これしき)の病(やまい)に負けはせぬ。」
「父上、御気を強く持たれませ。」
忠頼の横から、忠重も不安気な様子で話し掛ける。重武は忠重と、その横に座る政房の姿を認めると、一つ大きな息を吐(つ)き、三人を見渡した。
「某(それがし)が今から申し上げる事は、遺言として御聞き下され。」
重武の厳しい視線を受け、三人は固唾(かたず)を呑んで、老将の言葉を待った。そして重武は、か細い声であるが、凛(りん)とした様子で語り始める。
「先代良文公の功績に因(よ)り、村岡家は坂東随一の勢力と相成り申した。されども、その分当家を恐れる者も多く、特に隣接する藤原秀郷、平貞盛等は、隙有らば、当家を狙って来る事でござりましょう。」
重武の言葉に、忠頼は深く頷(うなず)いた。そして、それに対する策を求める表情を呈するので、重武は一息置き、再び話し始めた。
「天慶三年(940)、平将門公は何故、関八州を制圧する力を持ち得たのか。それは百姓の暮しを助けた為、更(さら)には人材が集まった故でござる。では何故、僅(わず)か数カ月で滅亡してしまったのか。其(そ)は政治的な策に弱く、貞盛等に因(よ)り、逆賊とされた為でござる。先代良文公はこれを教訓とし、民を慈(いつく)しみ、同時に朝廷内における勢力をも、拡大に努められたのでござりまする。」
忠頼は得心した様子で答える。
「確かに、搾取(さくしゅ)を行うも、善政を行い民を安じて収穫を増やすも、共に財力が増す。しかるに、久しく盤石なる体制を維持し得るのは、後者じゃ。前者では、危機に兵が集まらず、土壇場にて逃亡、寝返りの憂(う)き目に遭(あ)い兼ねぬ。」
「然様(さよう)。殿が若くして御家を継がれた後、守成を成し得たのは、それを御存知であった故にござりまする。されどそれだけでは、将門公の二の舞と成る怖れがござり申す。」
「では如何(いかが)せよと?」
忠頼は、身を重武の方に屈(かが)めて尋ねる。重武は、忠頼を見据えて話し始めた。
「良文公を見倣い、摂関家を敵とせぬ事にござりまする。藤原北家の長者、師輔(もろすけ)公亡き後、左大臣実頼公、後任の右大臣顕忠(あきただ)公、師輔公の弟御師尹(もろただ)公、御嫡男伊尹(これただ)公と勢力が分立し、強力な統率者が未だ現れて居りませぬ。殿はこれ等の中より、将来長者と成り得る人物を見抜き、他勢力よりも早く、宗主と仰がねば成りますまい。良文公はかつて忠平公の下、鎮守将軍として軍功を挙げ、常陸、下総、上総の太守と成られ、今日の勢力を築かれ申した。」
重武の言葉を受け、忠頼は腕組をして、考え込んでしまった。今までは、摂関家の傘下に入れば安泰であったのだが、現時点では誰が長者に台頭して来るか、予測がつかない。下手に接近して、その者が失脚したならば、共に衰退の道を辿(たど)る怖れも有る。考えあぐねる忠頼を見て、重武は言葉を接いだ。
「先ずは、御味方を増やしなされ。上総の御従兄(いとこ)弟公雅(きんまさ)殿、公連(きんつら)殿は、共に相馬家に繋(つな)がりし者。誼(よしみ)を深めれば、貞盛方よりも、殿の御味方と成る事でござりましょう。」
「相解った。上総家とも接触して見る事と致そう。」
忠頼が満足した表情を浮かべたのを見て、重武は安堵の息を吐(つ)いた。そして、視線を隣の忠重に移す。
「忠重、御事は主家の御曹司で在りながら、善(よ)くぞ儂の子として仕えてくれた。礼を申す。」
その言葉に、忠重は胸の奥を抉(えぐ)られる様な悲しみを覚えた。
「私に取って、坂東一の武勇を誇る名将を父に持ち得た事は、無上の喜びでござり申した。斯様(かよう)な御言葉は、無用にござりまする。」
「そうか。」
重武は一瞬口元を綻(ほころ)ばせたが、直ぐに表情を引き締めて、言葉を接ぐ。
「儂(わし)の後、村岡家の当主は御事じゃ。今は忠頼様の勢力が強い故、我が一族郎党もすんなりと服従致すであろう。しかし、万一忠頼様の力が衰えた時、家臣等は甥(おい)を擁立して御事を追い落し、隣国の藤原秀郷の元へ走るやも知れぬ。呉々(くれぐれ)も用心し、忠頼様を御輔(たす)けする様。」
「承知致し申した。」
忠重は深く、義父に一礼した。
そして重武は表情を和(やわ)らげ、政房に言葉を掛ける。
「千勝様、御立派に成長なされた。その御姿は、既(すで)に元服を済まされた様でござりまするな。」
「うむ。忠頼様に烏帽子親(えぼしおや)と成って戴(いただ)き、政房の名を頂戴致した。」
「其(そ)は御目出度(おめでとう)ござりまする。今後は家臣団を能(よ)く纏(まと)め、相馬家の再興を成し遂げて下され。」
「うむ。しかしその為には、未だ未だ重武の力が必要じゃ。早う良く成り、再び私を輔(たす)けてくれよ。」
政房の切なる頼みに、重武は只微(かす)かに笑みを浮かべるだけであった。
程無く、重武は再び噎(む)せ始め、苦悶の表情と成った。薬師(くすし)は忠頼等に、これ以上の相談は遠慮する様に求め、忠頼はそれに応じて、重武の元を辞す事にした。部屋を後にする時、忠重は義父に対して、深く辞儀をした。これが今生の別れに成るやも知れぬという思いから、今日まで己を鍛え、育ててくれた恩人に対し、感謝の念を示して置きたかったのである。やがて長い辞儀を終えると、忠重は兄と主君の後を追い、足早にて玄関へと向かった。忠重の目は赤く滲(にじ)んで居り、言い知れぬ悲しみを胸に抱いて居た。
庭で待たせて置いた近習と合流すると、忠頼等は馬に跨(またが)り、重武の屋敷を去って行った。陽は大分西へ傾きつつ在ったが、未だ朱色の光を放つには至って居ない。夏至(げし)を過ぎてから二月半程経って居たが、日は未だ短く成ってはいなかった。
忠頼は帰途、馬上にて周囲の黄金色に輝く田を眺めて居た。その顔は、先程の重武の言葉を噛み締め、思案して居る様である。やがて忠頼は馬を止め、後続の重臣達を振り返った。重臣達もそれを受け、皆馬を止める。
「如何(いかが)なされました?」
直ぐ後ろの忠重が尋ねた。
「儂(わし)は、上洛する。」
微(かす)かに重臣達は響動(どよ)めいたが、忠頼はそれを制して話を続ける。
「重武が申した様に、当家の安泰を図るには、やはり摂関家の後ろ楯が必要じゃ。それを得て、儂(わし)も父上の様に受領(ずりょう)に任じて戴き、地方における権威を持たねば成らぬ。今は帝が御親政遊ばされておわされるが、やがて再び、摂関家が国政の中心と成る日が参ろう。それまでに、誰が摂関家の長者と成り得るか、都に上りてよくよく見極めねば成らぬ。」
忠頼の言葉に、家臣達は成程と声を上げ、承服の意を示した。それを認めると、忠頼は視線を政房に向ける。
「政房殿、上洛の前に、御母堂を迎えに行かれるが善(よ)かろう。元服した其方(そなた)の姿を見れば、必ずや喜んで下さる事であろう。其方には都に屋敷を与える故、そこにて母上に孝行致すが善い。」
忠頼の言葉に、政房は一瞬我を失ったが、やがて慌てて、忠頼に礼を述べた。急に母との再会を許され、上洛後の住居の手配までもして戴く事は、望外の喜びであった。
忠頼は再び館へ向けて駒を進め、皆もそれに従い進発した。暫(しばら)くして、政房は脇に居る忠重に、小声で尋ねた。
「忠重殿、其方(そなた)は我が母の居場所を、存じて居るのか?」
「はっ、下総国相馬郡におわされると、兄上より聞き及んで居り申す。」
忠重は今まで黙って居た事を、申し訳無く思って居た様である。しかし政房の心はそれに気付かず、久しく別れて居た母を想って居た。
「相馬郡とは、かつて我が祖父の治めし地と聞いて居るが。」
「はい。殿が祖先の地にして、相馬家の大本にござり申す。元服を済ませた今、相馬家の正統な当主として、旧領の回復に御励み下され。」
忠重は真摯(しんし)な眼指で、政房を見据えて述べた。政房は改めて己の宿命を感じ、真顔と成って頷(うなず)いた。
陽はやがて西の方に傾き、朱色の光を帯び始めた。黄金色の田も赤みを増し、次第に輝きを失って行く。政房は、明日も良き天候に恵まれそうだと思いつつも、周囲を支配する光の翳(かげ)りに、言い様の無い不安を覚えて居た。
*
二日後、政房は家臣を率いて祖先の地、下総相馬へと向かった。天候は晴朗で、辺りの田畑では、農民が収穫作業に追われて居る。今年は戦(いくさ)も天災も無く、坂東は平穏であった。農民は豊作を喜び、嬉々として作物を刈り入れて居る。その光景に、政房は忠頼の治政が美(うま)く行って居る事を感じ、その手腕を頼もしく思う一方、何(いず)れは己も斯(か)く在りたいと願った。
案内を務めて呉れて居るのは、忠重の弟、忠光である。忠頼は相馬家に係る事故、信頼の置ける実弟に先導を任せた。忠光は幼少の頃より、忠頼と共に武州村岡に置かれ、協力して武蔵の所領を守って来た。又、此度の忠頼上洛の際には、忠光を武蔵の守りに残す事が、既(すで)に決定されて居る。
一行は太日川(江戸川)の渡しを越えて下総に入り、やがて手下海(手賀沼)の北方にて利根川の渡しに着いた。突如、村岡忠重が川の辺へ馬を進め、振り返って政房に告げる。
「御覧あれ。対岸はもう相馬郡。即(すなわ)ち、相馬家祖良将公、将門公の二代に渡り、かつては治められし土地にござる。」
忠重の言葉を受け、政房ばかりではなく、随行して居る近藤宗弘と佐藤純利も、対岸を凝視した。
彼方(かなた)に広がる相馬郡に加え、その北方に位置する猿島(さしま)、豊田(とよだ)を含めた三郡は、かつて政房の曾祖父良将が開発し、後に平国香、良兼、良正に奪われたのを、祖父将門が取り戻した地である。政房は暫(しば)し祖先に思いを馳(は)せた後、渡し場へと進み、利根川を渡った。
相馬の地を踏んだ後、一行は平忠光を先頭に、半里程東へ進み、内海(霞ケ浦)に出た。岸辺に出た処で忠光は馬を止め、政房に告げる。
「政房殿、ここは貴殿の祖父が、かつて下司(げす)に任じられし相馬御厨(そうまのみくりや)に近く、御母堂は彼(か)の小高き丘に在る寺にて、相馬家祖先の菩提を弔(とむら)っておわし申す。」
忠光が指差す先を見やると、水辺の丘陵に寺院が見える。愈々(いよいよ)母の住む処の側まで来た事を悟った政房は、顔を強張(こわば)らせ、ゆっくりと寺へ向かって進み始めた。家臣達も黙ったまま、後に続いて行く。
やがて山門に達すると、政房は馬を下りて寺域に入った。家臣達が挙(こぞ)って随行すると物々しいので、忠重は他の者を山門にて待たせ、自身は距離を置いて、政房を見守りに向かう。
寺域からは、幽(かす)かに紅色に染まり始めた紅葉(もみじ)を前景に、広大な内海(霞ヶ浦)を望む事が出来た。内海は、北は常陸国府に及ぶ程の広大な面積を誇り、よって対岸が霞(かす)んで見えない。この内海の中央に位置する浮島に、政房の伯父に当たる信田将国が居るのだが、忠重は忠頼と協議の上、未だ政房には告げて居ない。村岡平家の存亡に係る、秘事であったからである。
政房は境内をうろうろとさ迷う様に歩いて居たが、やがて寺の者に見咎(とが)められた。
「もし、当山に何ぞ御用にござりましょうか?」
政氏が慌てて振り向くと、声を掛けたのは、三十路(みそじ)程の尼僧(にそう)であった。政氏は激しく鼓動しながら、己の素姓を名乗る。
「私は千勝と申しまする。元服し、平忠頼様に従い、上洛する次第と成りました。よって、予(かね)てよりの約束通り、母を迎えに参りました。母は当山にて尼と成られたとの事。貴女は御存知在りませぬか?」
しかし、尼僧からの返事は無い。唯(ただ)、政房の顔を瞬(まばた)きもせず、見詰めて居る。政房は訝(いぶか)しく思ったが、やがて尼僧の口が開いた。
「おお、千勝。」
その口元は震えて居る。政房はそれを聞いて、はっとした。
「もしや、母上にござりまするか?」
尼僧は政房の前へ歩み寄り、震える声で答える。
「そうじゃ。」
政房は如何(どう)して良いか解らず、思わず片膝を突き、礼を執った。
「御迎えに参上致しました。京に屋敷を賜りました故、この後は共に過ごしましょうぞ。」
切なる孝道の念に心を打たれた母御前は、目頭を熱くしながらも、優しく子を抱き留めた。
「今まで御事を突き放して居た事、どうか許して給(たも)れ。」
母は嗚咽(おえつ)の様な声で、子に侘びる。政房は母の温(ぬく)もりを感じながら、幼少の頃、共に過ごした日々を追懐(ついかい)して居た。
やがて母は住持の元へ向かい、事の次第を説明した。住持は、忠頼より既(すで)に報せが来て居たらしく、驚いた様子も無い。寺を離れる許可が得られると、母御前は自らの、僅(わず)かな荷物を纏(まと)めた。そして、政房が伴って来た人夫に持たせたが、思ったより荷が少ない。しかし、一つだけ重い荷が有ったので、それは二人に担がせた。箱自体はそれ程大きくはない。政房は不思議に思って、母に尋ねる。
「母上、この箱は一体、何でござる?」
政房の問いに、母御前は悲し気な表情を湛(たた)えて答える。
「其(そ)は、地蔵菩薩です。私が忠頼殿の館を発った後、政房殿の祖父、将門公がかつておわした石井(いわい)の地を訪ねました。石井館は天慶(てんぎょう)の大乱の折に焼け落ち、既(すで)に跡形も無く成って居りました。しかし、その周辺にて朽ち掛けた祠(ほこら)を見付け、その中に倒れて在ったのが、この地蔵菩薩です。相馬家に所縁(ゆかり)の物と思い、ここまで遷(うつ)して参りました。」
政房は母の話から、祖父の代の大乱を偲(しの)び、又相馬家を大事にする母親に、当主として自然と頭が下がった。
荷を山門に纏(まと)め、住持に別れと礼を述べると、政房は母と共に寺を後にした。外では忠重以下、家臣達が待って居る。政房の後を追った忠重は、政氏が母との再会を果したのを見て安堵し、山門に戻って居た。母御前は久しく離れて居た家臣達の前に進むと、今まで我が子を守り立ててくれた礼を述べた。皆厳粛にその言葉を受け止めて居たが、叔父に当たる近藤宗弘だけは、姪(めい)に向かい心配無用と、微笑(ほほえ)んで見せた。
一行はやがて山を下り、西へ向かって進んで行く。この日、政房は初めて失われし祖先の地を目(ま)の当りにした。今は忠頼の統治下に在り、民はその善政を慕(した)って居る様である。しかし祖先の事を偲(しの)べば、何(いず)れはこの地にて、忠頼の如く善(よ)き治政を、自ら行いたいという気持ちが沸(わ)き上がって来る。しかし政房が郡司と成る為には、未だ朝廷からの信用が足りない。かつて平良文が言った様に、軍功を挙げねば、所領を賜る事は難しいであろう。例えそれを成し得たとしても、その実は朝廷の体制下に置かれる事を前提としての、本領回復と成る。又、政房は相馬の地を踏み締めて、一つの事を考えた。かつて平良将、将門は、村岡家から独立し、自力で下総三郡を治めて居た。今己は村岡家の庇護の下に在る物の、何(いず)れ独立した勢力と成り、祖先の昔に倣(なら)いたいと思い始めて居た。
しかし、未だその時は来て居ない。政房は母を乗せた輿(こし)に目をやり、先ずは無事に母を迎えられた事を喜んだ。そして彼方(かなた)に流れる坂東太郎の勇姿を目に焼き付け、祖国の風を心に刻んで居た。
坂東を錦色に染めた葉は悉(ことごと)く舞い落ち、富士の高嶺(たかね)には雪が見られる様に成った。愈々(いよいよ)冬の到来である。その富士の南麓を、二百騎の一軍が進んで行く。大将は平忠頼であり、上洛の途上、駿河に入ったばかりの処であった。後軍には、平政房の姿も在る。政房は八年振りに母を伴い、生れ故郷の京に戻る事が叶(かな)って、無上の喜びを感じて居た。富士の冠雪を右手に見ながら、田子の浦の先には三保の松原が望める。政房は晩秋の穏やかな陽射しを受け、爽(さわ)やかな気分で旅を楽しんで居た。
忠頼の一行は東海道を西へ進み、十日を掛けて漸(ようや)く、平安京に到達した。京の朱雀大路に入ると、何やら様子がおかしい。人々が皆騒然として居る。忠頼は何か一大事が出来したのではと思い、家臣に情報収集を命じた。やがて家臣の一人が、市民より得た話を持ち帰り、忠頼に報告した。
「其(そ)は真か?」
その報せは、忠頼を大いに震撼させた。家臣の話に依れば、この数日、都に平将門の子孫が潜入し、災禍を齎(もたら)そうとして居るという噂(うわさ)が、流れて居る様であった。現に、将門直系の政房が今、入京した訳だが、偶然か、もしくは何者かに因(よ)る陰謀なのか。忠頼は不気味さを感じつつ、思案して見た。政房の存在は、余り知られる所ではないが、藤原式家と摂関家、加えて天慶の大乱において、亡父忠政と共に戦った者の一部には知られて居る。その辺りから情報を得たとすれば、平貞盛や藤原秀郷からの謀略とも考えられる。忠頼は老獪(ろうかい)な両将の存在を念頭に置きながら、先ずは京の自邸へと向かった。一方の政房等は、都の異変には気付きつつも、何も知らずに隊列を守って居た。
左京に在る村岡邸に到着すると、忠頼は直ぐに重臣を広間に集め、坂東より伴って来た二百騎の部屋の手配と、荷の置き場を通達した。政房は忠重を伴い、この会議に臨(のぞ)んで居た。その胸中では、何(ど)の様な屋敷が与えられるのか、わくわくして居た。しかし忠頼は政房に、今日は村岡邸内に泊まる様、言い渡した。政房は、直ぐに自分の屋敷に入れない事を残念がったが、未だ入居の準備が整って居ないのであろうと考え、大人しく従った。
相馬家の人数は依然少ない。政房の母御前が戻ってきたと雖(いえど)も、一方で坂東にて、重鎮である村岡重武を失って居る。残る直属の家臣は、村岡忠重、近藤宗弘、佐藤純利の三名だけである。故に、宛(あて)がう部屋の数も少なくて済んだ。唯(ただ)母御前だけは、忠頼奥方の部屋の方へと別れて行った。
それから数日の間、政房達は忠頼の邸に留め置かれたままであった。政房は中々落ち着く場所が得られず、不満が燻(くすぶ)り始めて居た。家臣達は、何かおかしいと感付き始めたが、忠重でさえも、忠頼からその訳を聞く事は能(あた)わなかった。
*
やがて山城国にも小雪が舞い始め、本格的な冬の寒さが訪れた。相馬家の者は母御前を除(のぞ)き、一室に集まって火鉢を囲んで居る。政房の隣で、純利が趺座(あぐら)を構(か)きながら、退屈そうに座って居た。
「ああ、何時(いつ)までここに留め置かれるのか。」
ふと漏れた純利の声に、宗弘も同感なのか、深い溜息を吐(つ)いて居る。政房は、新たに屋敷を与えられる筈(はず)であったのが、当てが外れた様子である。忠重は兄の思惑を量るも、何やら不吉な予感が胸を過(よぎ)って居た。
純利が暇を持て余し、宗弘を剣術の稽古に誘って庭へ出ようとした時、忠頼からの使いの者が現れた。漸(ようや)く忠頼からの御召(おめし)が有り、政房は単身、忠頼の居間へと赴いた。家臣達も漸く相馬家の屋敷に移れると思い、安堵の表情を浮かべて居た。
やがて、忠頼の間に到着した政房の目に入ったのは、忠頼と、その傍らに座る忠頼の妻であった。政房は部屋の中へ通されると、二人に礼を執ったが、忠頼の内室とは初対面であると思い、些(いささ)か気を遣(つか)った。されど、内室の方は政房に対し、優しく話し掛ける。
「久しく会わぬ内に、大きく成りましたね。本に小次郎殿に、良う似て居りまする。」
この方は何故我が父を存じて居るのか、と政房は訝(いぶか)し気な顔をした。それを見て、忠頼はおかしそうに笑いながら告げる。
「政房殿、ここに居る相馬御前は、御事の父の姉、即(すなわ)ち御事の伯母上じゃ。覚えて居らぬかな?」
それを聞いて、政房は幼少の砌(みぎり)、見知らぬ坂東の地において、優しく接してくれた伯母を思い出した。程無く、御前は京へ移った為、久方振りの対面である。相馬御前はにこりと笑みを見せた。
「私は久しく、実家の衰亡を悲しく思って居りました。しかし未だ、貴方という再興の望みが有る事を認め、とても嬉しく思います。私と貴方とは、伯母と甥(おい)の間柄。何なりと遠慮無う申して下され。」
「はっ。有難く存じまする。」
政房は御前に対して平伏し、礼を述べた。相馬平家の親類は殆(ほとん)ど残って居ないので、父方の伯母が忠頼の正室に成って居た事は非常に頼もしく、又嬉しかった。
忠頼は二人の様子を微笑(ほほえ)ましく見て居たが、やがて此度の本題を切り出す時、その表情は険しく成って居た。忠頼が妻と政房との話を遮(さえぎ)った時、政房は忠頼の様子の変化に気付き、畏(かしこ)まった。そして忠頼は、重い口調で話し始める。
「此度、御事を呼んだは外でも無い。以前御事に告げて居た、都に屋敷を与えるという話だが、実現出来ぬ事と相成った。」
その言葉に政房は己の耳を疑い、そして酷(ひど)く落胆した。何故(なぜ)かと問う政房の眼を受けて、忠頼は声を潜(ひそ)めて話し出す。
「実は今都に、平将門の子孫が潜入し、禍(わざわい)を齎(もたら)すという噂(うわさ)が流れて居る。」
これには政房だけでなく、相馬御前も背筋が寒く成る思いがした。忠頼は話を続ける。
「噂の出所は判らぬが、政房殿の事を知り、我等を陥(おとしい)れんとする者が居る様じゃ。故に、政房殿にはより安全な処、藤原式家に移って戴く。」
話を聞いて、政房は忠頼の勧めに従う他には無かった。政房を陥れ様とする人物は、少なくとも坂東における政房等の動きを掴(つか)み、具(つぶさ)に都へ情報を送れる人物であろう。その勢力は決して小さいとは言えず、忠頼は念の為、政房を村岡家から離そうと考えたのである。噂の出所がもし、平貞盛や藤原秀郷であれば、噂を利用して、未だ将門の影に怯える摂関家を動かし、村岡家を潰(つぶ)しに来る怖れが有る。忠頼は、政房を衰退しつつ在る藤原式家に預ける事で、朝廷の相馬家への恐怖心を軽減させ様と考えた。一方の式家長者藤原滋望(しげもち)は、依然従五位上の位に留まって居る。かつて征東、征西大将軍を歴任し、正四位上に叙された先代、忠文の時の勢力を取り戻そうと、滋望は日々思案して居た。そしてじり貧の今の状況を打破すべく、村岡家との誼(よしみ)を深める為、多少の危険は伴うが、政房を預かって欲しいという要求を飲んだのであった。
忠頼に承諾の旨を伝えると、政房は辞儀をして、己の居間へと戻って行った。式家の邸は、政房に取っては生まれ故郷でもあり、懐かしい思いも有る。されど、六歳の頃に坂東へ下った為、当主滋望という人物を良く覚えて居ない。その事が、政房に取っては少々不安の種であった。
部屋に戻ると、政房は家臣達に忠頼の話を告げた。皆、納得した様な、残念がる様な顔をして居るが、式家の邸に戻る事に就いては同意した。先ずは、不気味な陰謀を回避する事が先決だからである。
翌日、正房と母御前、そして忠重、宗弘、純利の家臣三名は、藤原滋望の邸へと移って行った。忠頼邸を出た時、政房はふと、忠頼の邸が他の貴族よりも質素であると感じた。この屋敷は先代良文が建てた物だが、貴種で在り、又鎮守将軍として大功を立てた者の邸にも拘(かかわ)らず、他の同じ位の者の邸に比べれば、豪奢(ごうしゃ)さは全く無い。それは領国で搾取(さくしゅ)を行わず、善政に務めし者の在り方であると、政房は故人良文の偉大さを偲(しの)んだ。
やがて藤原滋望の邸に到着し、宗弘が門衛に、相馬家の到着を告げた。中に入る様に告げられたので、庭に入ると、邸の者が現れて、邸内の一室へと案内した。部屋から、初冬の紅葉を終えた殺風景な庭と、青く澄んだ空を眺めて居ると、やがて滋望からの御召(おめし)が有った。政房と一族の宗弘だけが呼ばれたので、二人はすっと立ち上がり、邸の者の後に付いて、滋望が待つ広間へと向かった。途中、政房は不安気な表情で宗弘を見たが、宗弘は心配無用と言わんばかりに笑顔で返したので、政房は落着きを取り戻し、堂々と歩み始めた。
広間では滋望以下、十名程の近習が座って居た。二人は広間の入口に着くと、座して礼を執った。そして宗弘が、奥の滋望にも充分に届く、大きな声で告げる。
「政房殿以下、相馬家の者、只今到着致し申した。滋望様には御変り無く、何よりと存じまする。」
「うむ、先ずは中へ入られよ。」
滋望の許しを得て、二人は広間の中央まで進み出て、再び座礼を執る。政房は顔を上げると、滋望の顔を観察した。初老だが、坂東武者の様な猛々しさは無い。滋望も又、政房を見据えて居る。以前、政房の父忠政とは、邸内にて良く顔を合わせ、親交を深めた仲である。その、かつて瀬戸内の大戦(おおいくさ)にて大功を立てた勇将と、将来は両家の興隆を約束し合った物であった。しかし彼は既(すで)に亡く、その子供が目の前で控えて居る。政房とは、あの父の如き頼みと成る人物なのか、滋望も鋭い目をして観察して居た。されど程無く、未だ十四歳の若蔵に、徒(いたずら)に恐れられる事も無いと思い至り、優しい表情を浮かべて見せた。それを見て政房も幾分、肩の力を抜く事が出来た。
周囲が静まる中、滋望が先ず政房に話し掛ける。
「其方(そなた)を見るのは久し振りじゃ。実に八年振りであろうか。大きゅう成った。もう武芸は嗜(たしな)まれて居るのか?」
「はっ。坂東にて村岡家の豪の者達に、散々扱(しご)かれて参りました。」
ほう、と滋望は意外な顔をしたが、直ぐに再び笑みを浮かべる。
「其方の武芸の腕、是非にも見てみたい物じゃのう。」
滋望の言葉を受けて、式家近習の者達も、不敵な笑みを政房に向ける。斯(こ)う成っては、政房もその腕を見せねば成らず、滋望に一礼して庭へ出た。そして弓と、矢を一本拝借すると、上衣を開(はだ)き、空を眺めた。その時政房は、以前良文より伝え聞いた話を思い出した。祖父将門は、十六歳の時に壮丁(そうてい)として上洛し、時の左大臣、藤原忠平の御前にて見事、弓で飛ぶ鳥を落したという。丁度(ちょうど)、空には雉鳩(きじばと)が一羽飛来して居る。あれを狙うか如何(どう)かと、政房は悩んだ。祖父がそれを成し遂げたのは、今の己より二歳も年長の時で、更(さら)に弓の素質は、誰もが認める所であったという。止(や)め様か、と思いもしたが、見方を変えれば、祖父は左大臣の前にて成し遂げ、己は高々五位の一貴族の前に過ぎない、とも思えた。祖父の胆力に肖(あやか)りたい。そう思った政房は、自然と空を舞う雉鳩(きじばと)に向けて、弓を番(つが)えて居た。
滋望等は政房の動きが良く見える様、縁側まで出て来た。その側では宗弘が、はらはらしながら見詰めて居る。十人余の視線を浴びながら、政房は祖先の勇姿を想像し、又坂東の景色を回想した。そうする事で、胸中に燻(くすぶ)ぶる不安を払拭(ふっしょく)し、無心と成って精一杯引いた弦(つる)から指を離し、矢を放った。
矢は見る見る内に雉鳩(きじばと)に迫り、やがて一体と成って、一町先の庭の内に落下した。政房は駆け寄って、射られた雉鳩を抱き上げて見たが、矢は羽を射抜いたのみで、大きな怪我には至って居ない様である。踠(もが)く力から、未だ飛ぶ力が残って居る様子が窺(うかが)えたので、政房は翼から矢を抜き取り、再び大空へと帰してやった。
雉鳩(きじばと)が遥か遠くへ飛び去ったのを見届けると、政房は無言のまま滋望の前へ歩み出て、片膝を突いて礼を執った。その姿を見た滋望は、驚いた表情で政房を見下ろして居る。
「何とも見事な腕前よ。それに惻隠(そくいん)の情も備えて居る。流石(さすが)は忠政殿の子じゃ。」
そう告げると、滋望は広間の中へと戻って行き、近習達もその後を追う。政房が開(はだ)けた衣服を整えて居ると、宗弘が政房の元へ歩み寄って来て、跪(ひざまず)いた。
「鮮やかにござり申した。某(それがし)は今まで、殿の弓術の腕が、斯様(かよう)に上達なされて居たとは、存じませなんだ。」
宗弘が敬意を持って見上げる若武者の顔には、重い緊張感が窺(うかが)えた。
「全ては、将門公の御加護に因(よ)る物やも知れぬ。今では、この有様じゃ。」
政房は両手を開き、宗弘の前へ伸ばして見せる。その手は激しく汗ばみ、震えて居た。政房の歳では、斯様(かよう)に緊張するのは已(や)むを得ぬが、その中で、見事に己の持つ技量を存分に発揮するのは、並大抵の事ではない。宗弘はこの若い主君が、大した胆力の持ち主である事を感じ、同時に相馬武士の勇猛さの、片鱗(へんりん)を見た気がした。
再び政房は広間に上がり、滋望の前に座した。そして滋望の己を見る目が、先程と違って居る様に思えた。先程は挑戦的で、品定めをして居る様な感じであったが、今では温和な表情に変わっている。訝(いぶか)しがる政房に、滋望は笑顔を湛(たた)えて告げる。
「良い物を見せて貰(もら)った。類(たぐい)稀(まれ)なる武芸の才、唯(ただ)感心するのみじゃ。」
「畏(おそ)れ多き御言葉にござりまする。」
急な滋望の態度の変化に、政房は戸惑いつつも答えた。それを受けて頷(うなず)き、滋望は話を続ける。
「相馬家の如き剛の者が当家に参られるとは、何とも心強い。これからは、良き盟友と成って戴きたい物じゃ。」
滋望は先の政房の弓を見て、心技共に優れた教育を受け、将来大きな人物となる基盤が、既(すで)に築かれて居ると感じた。その配下には、村岡重武が坂東に遺(のこ)した精鋭二百騎と、一門の近藤水軍百騎が居るが、この器量なれば、それ等を見事統率出来るやも知れぬと感じた。加えて坂東には、依然相馬家を慕(した)う武士が五百名以上、在野に潜(ひそ)んで居り、それを併せれば、相馬家は一大勢力と成り得る。式家がその上に君臨すれば、かつての栄華を取り戻せるのではないかと、その様な事を考えながら、滋望は政房を見詰めて居た。
その後、滋望は相馬家に礼を以(もっ)て対した。政房の人物を気に入った故である。式家の邸は古いが、かつては正二位左大臣緒嗣(おつぐ)を輩出した家だけ有って、広大である。相馬家の五人には其々(それぞれ)居間が与えられ、何不自由無い生活を送る事が出来る様に成った。
数日後、政房は母の様子を伺いに訪れた。母の居間に入ろうとした時、政房の目に映ったのは、一尺程の高さの銅像を部屋の隅に置き、それを拝(おが)む母の姿であった。以前下総相馬に母を迎えに行った折、母が祖父の地石井(いわい)より持ち帰った地蔵菩薩とは、あれであったのであろう。
政房はふと考えた。母が地蔵菩薩に祈るのは、怖らくは相馬家と政房の為であろう。昔、平良文は相馬家再興の策として、かつて先代忠政が成した様に、武士団を統率して、朝敵を討伐する事を示した。二十年前の東西大乱の後、大規模な反乱は未だ起きていない。しかし今の、貴族に因(よ)る搾取(さくしゅ)と弾圧の政(まつりごと)から、地方では何時(いつ)反乱が起きても不思議ではない、不穏な情勢であると、村岡家から聞かされて居る。出陣の機会は、今日、明日にでも訪れるかも知れない。されど、都にて安穏な日々に溺(おぼ)れて居ては、悲願を達成する力を削(そ)ぐ事に繋(つな)がる。母の悲願は、怖らく政房に因(よ)る相馬家の再興であろう。そう考えた政房は、坂東に居た頃の日々を思い起し、やがてその足は滋望の元へと向かって居た。
政房は与えられた部屋の内、母の居間を除いて悉(ことごと)く返還し、新たに四人が住める広い部屋が与えられる様、滋望に願い出た。個室の返還を願い出た政房を、滋望は奇妙な様子で見て居たが、政房の口元には微(かす)かに笑みが有った。政房は都での贅沢(ぜいたく)な暮しに慣れ、武士の心を失うのを恐れたのである。
政房は返還すると申し出た居間に戻ると、家臣を集め、個室を開け渡す旨を告げた。皆、急な事なので呆気(あっけ)に取られて居たが、その中で最初に口を開いたのは、宗弘であった。
「殿は、式家に遠慮なされたのか?」
「いや、そういう訳ではない。」
続いて、純利が口を開く。
「殿には欲が無さ過ぎまする。」
それに対して、政房は首を横に振った。
「そうでも無いぞ。私には相馬家再興の野望が有る故な。」
一瞬、部屋の中が静まり返った。そして、忠重が嬉しそうな表情を浮かべる。
「何とも有難き事よ。殿は、我等との絆が最も大切であると仰(おお)せ下さる。」
宗弘と純利ははっとして、政房に平伏する。政房が個室を徒(ただ)召し上げたのではなく、忠頼の元に居た時の様に、主従が心を許し合える関係の構築に、努めて居ることが解ったからである。しかし政房は内心、彼等に済まない気持も有った。宗弘は播磨に百騎を従える豪族で、式家の分家筋である。又、忠重は平忠頼の実弟であり、二百の兵を擁し、更(さら)には正七位上右衛門少尉(うえもんのしょうじょう)の身分である。斯(か)かる勢力を持った武士が、客分として相部屋の生活をする等、貴族社会では考えられぬ事であった。されど政房は、武士の気概を維持せんと、この手段を選んだ。
相馬家家臣の中では、宗弘だけに妻子が有り、京の近藤忠宗邸に預けられたままであった。滋望は離れ離れでは辛かろうと思い、邸内に宗弘妻子の部屋を都合(つごう)してやった。若い政房は、未だ家族を持つ者への心配りが分からなかった。政房が己の思慮の足りなさを侘びると、宗弘は笑って答える。
「主君が家臣に対し、素直に気持ちを述べられる事は、家臣団を結成して行く上で真に大事な物と存じまする。その為に殿が採られた方針は、正しいと申せましょう。殿は未だ御若い故、戸惑う事が多かろうと存じまするが、斯様(かよう)な時こそ、信頼出来る家臣に御相談下され。今の様に精進(しょうじん)を続ける殿の御姿を見た家臣は、必ずや殿の御為(おんため)に、助言を致す事でござりましょう。これが武士の心でござる。」
その言葉に、政房は安堵を覚える一方、己が独断で成した事の愚かさに恥じ入った。
(祖父将門が健在なれば、今の私を如何(どう)評価されるであろうか?)
政房は暗澹(あんたん)たる気分が抜けぬまま、放心の態(てい)で邸の廊下を渡って行く。
政房は、深く己を顧(かえり)みて居た。武芸こそは坂東にて鍛えられた分、都の公家が感心する程度の技は、身に付ける事が出来た。されど相馬家を再興させるには、未だ未だ至らぬ所が数多(あまた)有った。一つは先程の様に、家臣の暮しに配慮が行き渡らぬ事。又、今の政房は無位無官にて、国家体制に係る権力は皆無である事。更(さら)には良文の遺言に沿い、反乱討伐に出陣したにせよ、軍略を備えて居ない故に、己の指揮にて勝ちを収める事は、及ぶべきも無い事、等が頭に浮かんだ。
その後、政房はふらりと母の居間を訪れたが、そこに母の姿は無かった。夕日が強く、部屋の奥まで照らして居る。ふと政房は、一体の地蔵菩薩が、赤く照らされて居るのを認めた。これが相馬の地に遺(のこ)されて在った物か、と思いながら、政房の足は奥へと進んで行く。そして、一尺程の銅製の地蔵菩薩を前に、政房は腰を下ろして手を合わせた。
(何卒(なにとぞ)我に、相馬家再興の力を御授(さず)け下さりませ。)
政房は切(せつ)に願う。その姿は夕日に包まれ、心の内に秘めたる決意の燃えるが如く、真紅に染まって居た。