第十三節 中興の祖

 相馬家の者は、式家支族の息女嚢(のう)姫を温かく迎えた。そして、式家の長者藤原忠文が、未多武利(またふり)神社を厚く信仰して居た事から、家中では嚢姫を、杈椏(またふり)御前と呼ぶ様に成った。

 年が明け天慶九年(946)の春、杈椏御前は相馬家に一大慶事を齎(もたら)した。冬の寒さに体調を崩した様なので、侍女が薬師(くすし)に診せた所、懐妊の兆候である事が判(わか)った。

 この事は直ちに、藤原式家や村岡平家にも伝えられ、多くの贈物が相馬家に運ばれた。しかし当の相馬家では、然程(さほど)の賑(にぎ)やかさは無かった。当主の忠政が久しく風邪を拗(こじ)らせ、病の床(とこ)に在ったからである。

 忠政は妻の為と、又自身を隔離する為に、忠文に対して、小部屋を一時借りたいという旨の要望書を、純利に命じて届けさせた。忠文はこれを受けて、直ぐ様部屋を二つ用意させた。一方で忠文は、忠政の薬師(くすし)を居間に呼び、忠政の病状を尋ねようとした。

 やがて邸の者が、薬師を忠文の元へ連れて来ると、忠文は薬師一人を中に入れ、他の者には居間の簾(すだれ)を下ろして、下がる様に命じた。そして薬師を己の側に呼び、小声で尋ねる。
「忠政は長く病を患って居る様じゃが、流行病(はやりやまい)とは異なるのか?」
「はい。他所(よそ)への感染する力は、弱き物と推察致しまする。」
薬師も周囲に気を配り、小声で答えた。
「ほう、何故(なにゆえ)そうと解る?」
「畏(おそ)れながら、忠政様の病(やまい)の初期は、大した事の無い、多く見られる症状にござりました。されど、左肩の辺りに以前重傷を負われた痕(あと)が有り、それが故に身体の成長に支障を来(きた)し、病を一層重くして居る物と思われまする。」
「忠政の体は、斯様(かよう)なまでに弱って居ったのか?」
薬師の見立ては、忠文に取って意外な物であった。そして驚駭(きょうがい)の様相を呈すると共に、深い溜息を吐(つ)く。
「して、命に係るのか?」
「何と申し上げましょうか。例の左肩の傷痕は膿(うみ)が酷(ひど)く、手の施し様が有りませぬ。何とかしようと、様々な手を尽しましたが、何(いず)れも効果はござりませぬ。このままでは、持っても精々(せいぜい)今年一杯の御命。」
「其(そ)は真か?」
忠文は愕然(がくぜん)とし、暫(しば)し苦慮して居た。やがて薬師を忠政の元に戻すと、邸の者を呼び、相馬家家臣佐藤純利を呼んで参る様に命じた。

 程無く、純利が忠文の元へ姿を現した。純利は未だ十二の童子であったが、忠政や忠重の教育に因(よ)る物か、堂々とした態度で、礼儀作法も確(しっか)りとして居た。忠文はこれなら大丈夫であろうと断じ、話を進める。
「此度はその方に頼みが有る。」
「はっ、何なりと御申し付け下さりませ。」
純利は神妙に振舞いながらも、先程忠政の薬師が呼び出された直後なだけに、嫌な予感に駆られて居た。
「実はのう、その方の主君、忠政殿の病が久しく癒(い)えぬ故、未多武利(またふり)社の宮司に快復の祈祷を頼もうと思う。ここに儂(わし)の親書を認(したた)めて置いた故、届けてはくれぬか?」
「はい。承知仕(つかまつ)りました。」
そう答えて、純利は忠文の親書を押し戴くと、丁寧に一礼して、その場を辞して行った。

 純利は親書を懐(ふところ)に大事に仕舞い、邸を出て未多武利神社へ向かった。純利自身も忠政の身体の異常を目(ま)の当りにし、時折見せる薬師の苦い表情を見る度に、絶望感に嘖(さいな)まされて居た。しかし何とか恩人であり、主君でもあり、又兄の様に接してくれる忠政の恩義に、報いたいと考えて居た。純利は、漸(ようや)く己がして差し上げられる事を得て、気分が幾許(いくばく)か晴れるのを感じるも、心底には未だ燻(くす)ぶる物が残って居た。

 やがて未多武利(またふり)神社に到着した純利は、宮司への取次を請(こ)い、漸(ようや)く中へ通されて、宮司に忠文の親書を渡す事が出来た。宮司は忠文の頼みを快諾し、その旨を純利に告げた。その後、純利は祈祷の場を設けるのを手伝い、夕刻に成って邸へ戻って行った。

 純利は、忠文が使者に直属の家臣ではなく、相馬家の者を選んだ訳を考えて居た。やはり式家が直接依頼すれば、他家からは政敵実頼への調伏と邪推され兼ねず、加えて相馬家の者の方が、主君に係る事故に、よく考えて処理してくれる物と考えたのであろう。純利は邸へ戻ると、忠文には美(うま)く事が運んだとだけ報告し、相馬家の部屋へと戻って行った。忠文が純利の処理に満足した様子であったので、純利はほっと胸を撫(な)で下ろした。その後、純利は暫々(しばしば)未多武利(またふり)神社を詣でては、忠政の快復を願い、祈祷に加わった。

 忠文は一方で、唐土(もろこし)の妙薬を探させて居た。しかし唐土の東北部を統一した契丹(きったん)が、華北への進攻を開始して居り、建国から十年しか経って居ない華北の王朝後晋は、早くも崩潰の兆しを見せて居た。故に混乱の渦中に在る唐土(もろこし)からは交易が途絶え、已(や)むなく高麗(こうらい)や国内から薬を取り寄せはしたが、何(いず)れも忠政の病を癒(いや)すには至らなかった。

 杈椏(またふり)御前と純利が、連日忠政の看病に当たって居たが、夏の暑さが厳しく成ると、忠政と御前の身体を気遣い、看病を遠慮する様に成った。御前は未だ京の気候に慣れないのか、健康を損ね勝ちで、忠政はその身を案じ続けて居た。そして薬師も、遂には御前に安静を請(こ)い、漸(ようや)く御前はそれを受け容(い)れた。忠政の身の回りの世話は、純利が一身に担(にな)い、忠政はその忠節に感謝すると共に、己の境涯を情け無く思った。純利は、忠政の左肩から背中に拡大して行く膿(うみ)を見る度に、悲嘆に暮れた。しかし、忠政の前では涙を見せまいと、噎(むせ)ぶのを堪(こら)えるのであった。

 やがて夏の暑さも終りを告げ、野山の樹木が錦色に染まり始めた頃、杈椏(またふり)御前は男子を出産した。久しい安静生活が御前の健康を回復させ、出産後も容態は安定して居た。生まれた子は元気に泣き叫び、周囲の者を安心させた。

 杈椏(またふり)御前男子出産の報は、直ちに侍女から、近くに詰めて居た村岡忠重に伝えられた。その場で忠重は大いに喜び、早速吉報を持って、忠政の寝所へと向かった。

 忠重が部屋へ入ると、忠政は床(とこ)の上に座ったまま、上体を純利に支えられて薬を飲んで居た。忠政は忠重の姿に気付くと、薬湯の入った碗を傍(そば)に置いた。秋に入って忠政の体は更(さら)に痩(や)せ衰え、人の力を借りなければ、立つ事も容易では無く成って居た。忠重は、忠政が斯様(かよう)に体を弱らせた原(もと)と成る傷を負った瞬間を見て居たので、忠政の弱った体を見る度に、あの時の事が悔やまれた。しかし此度は慶事を伝えに来た為、忠重の表情は明るかった。

 忠重は忠政の前へ歩み出ると、床(ゆか)に手を突いて座礼を執った。
「殿、御目出度(おめでとう)ござりまする。御嫡男、御誕生にござりまする。」
それを聞いて、忠政と純利は一瞬驚いた表情をした。そして、忠政は力無く微笑を浮かべただけであったが、純利は大いに喜び、忠政に祝いの言葉を申し上げた。忠重は更に報告を続ける。
「尚、御方様並びに若君、共に御健(すこ)やかに在らせられる由(よし)にござりまする。」
忠政は唯々(ただただ)、笑顔で頷(うなず)いて居た。そして忠重に告げる。
「其(そ)は何より。では、紙と筆を用意してくれぬか。」
忠重は承知し、直ぐに用意を整えた。
「では忠重が書いてくれ。私は手がよく動かぬ故。」
「承知仕(つかまつ)りました。では何を書きましょうや?」
「千勝」
忠重は筆に自信が無かったが、言われる通りに、丁寧に筆を滑らせた。そして、墨がある程度乾くのを待って、忠政の前に広げて見せた。
「うむ、それで良い。子の名前は千勝(ちかつ)じゃ。この先、有らゆる物に打ち勝って行ける様にな。それをお嚢(のう)の元へ届けてくれ。」
忠政は、忠重の字を満足気に眺めて言ったが、一方の忠重は、不安気な表情を湛(たた)えて居る。
「畏(おそ)れながら、相馬家は将門公、殿と二代に渡り、御嫡男の御名は小次郎であったと聞き及んでござりまする。されば、殿の御嫡男にも同じ御名を御授(さず)けになる方が、自然かと存じまする。」
忠重の提案を受けて、忠政は深い溜息を吐(つ)く。
「その名は不吉じゃ。二代に渡り、家は衰退の道を辿(たど)った。私は、この子の代には家を再興し、始祖良将公の昔に還(かえ)って欲しいと願う。」
そう言うと、忠政は酷(ひど)く咳(せ)き込み始めた。純利は慌てて背中を摩(さす)り、薬湯を差し出す。忠政はそれを飲むと、少し落ち着いた様子に成った。忠重は一礼して、忠政に申し上げる。
「殿の御考え、良う解り申した。ではこれより、御方様の元へ御届けに上がりまする。」
忠政は小さく頷(うなず)いた。忠重は紙を両手で慎重に持ったまま、礼を執って部屋を後にした。

 やがて、体力を回復した杈椏(またふり)御前の元を、命名書を携(たずさ)えた忠重が訪れた。御前は未だ起き上る事が能(あた)わず、故に忠重が両手で書を広げて見せ、命名の由来を説明した。御前は黙ってそれを聞き、話が終ると、力の無い声で忠重に告げた。
「そうですか。殿はその様に仰せられましたか。して、殿の御加減は如何(いかが)なのです?」
「はい、本日は若君の御誕生を聞き、頗(すこぶ)る晴れやかな御様子にござり申した。」
「それを聞いて、私も安堵致しました。」
程無く、部屋に詰めて居た侍女が御前の体調を気遣い、忠重にそろそろ遠慮する様に伝えた。忠重ははっと気が付いた様子で、直ぐに御前に対し、退出を申し出る。
「では、殿より承りし言伝(ことづ)ては以上にござりまする。某(それがし)はこれにて失礼致しまするが、最後に重ねて、御慶び申し上げまする。」
忠重は深々と御前に頭を下げた。この時忠重は、忠政の命運が尽き掛けて居る今、相馬家存続の可能性を築いてくれた御前に、深い感謝の念を向けて居た。そして書を侍女に渡すと、立ち上がって部屋を出ようと踵(きびす)を返した。その時、御前がか細い声で忠重を呼び止めた。驚いて振り向く忠重に、御前は悲しげな表情で訴える。
「殿に、御身(おんみ)大切にと御伝え下され。」
忠重は、確(しか)と頷(うなず)いて答える。
「承知致しました。御方様も。」
そして、側に仕える侍女に言い渡す。
「御方様と若君を、宜しく頼むぞ。」
侍女等が承知したのを見て、忠重は部屋を出て行った。

 御前は忠政と薬師(くすし)に止められ、久しく忠政に会って居なかった。忠重や純利が時折伝えに来る言葉からは、次第に気力が失われて行く様子が伝わって来る。遂(つい)には、小次郎の名は不吉であるとまで言う様に成った。夫の命は早、尽き懸けて居るのではあるまいか?そういう不安が込み上げて来る。婚儀から僅(わず)か一年にして、杈椏(またふり)御前は不幸な別離を予感し始めて居た。

 やがて、心の動揺を鎮めるに至った御前は、隣の間に控える侍女を呼び、我が子を己の傍へ連れて来させた。赤児(あかご)は小さな身体を布で包まれ、侍女に抱かればがら、心地好さそうに眠って居る。
(夫はこの赤児に御家を託し、数多(あまた)の勝利を願ったとしても、未だこの子は、斯様(かよう)に大きな力を備えて居らぬ。この先十余年は、親が鍛えてやらねば成らぬというに。)
御前は夫の身を案じると共に、己が必ず我が子を護(まも)って見せると、強く決意を心に刻んで居た。

 その内、御前は心身共に、酷(ひど)く疲れを感じ始めた。されど、目の前に我が子の安らかな寝顔が在るのを見ると、次第に心の疲れが癒(い)えて行く気がした。そして知らぬ間に、深い眠りに就(つ)いて居た。

 秋の残照も消え去り、小雪を迎えると、時折都にも雪が舞い始めた。辺りの山並の頂は、白く染まって居る所も有る。冬至(とうじ)の頃には、麓(ふもと)の洛中までもが雪に覆(おお)われ、人々は再び、厳しい冬が訪れた事を感じて居た。

 左京の街の何(ど)の邸も、屋根と庭、全てが雪に因(よ)り白色に変わり、時折覗(のぞ)かせる太陽がそれ等を照らして、眩(まばゆ)い程に輝いて居る。藤原忠文邸には、その眩(まぶ)しさを遮(さえぎ)らんと、簾(すだれ)を下ろしたままの間が一つ在った。忠政が、外の明るさが体に堪(こた)えると言うので、佐藤純利が下ろして居たのである。

 純利は主君の為に、夜は病魔退散の祈祷に加わり、昼は看病に当たって居た。その疲れからか、些(いささ)か頬(ほお)が痩(こ)けて居る様であった。他方、看病を受けて居る忠政は、既(すで)に幽鬼の如く痩(や)せ衰えて居た。

 その日、純利が忠政の上体を起し、薬湯を飲ませて上げて居る時、忠政は突如として激しく噎(む)せ始め、そして多量の吐血(とけつ)が有った。純利が驚いて薬師(くすし)を呼びに行こうとすると、忠政は最後の力を振り絞って、純利の袴(はかま)の裾(すそ)を掴(つか)んだ。純利はそれに気付いて振り返ると、忠政は床(ゆか)に伏し、呼吸を荒げながらも、何かを伝え様として居た。

 純利は己の耳を忠政の口元に寄せ、忠政の掠(かす)れた声を聞いた。
「私は、最早これまでの様じゃ。」
忠政の言葉に純利は驚き、慌てて忠政の口元から離れる。純利は主君に励ましの言葉を掛け様としたが、忠政が咳(せ)き込みながらも、何かを必死に伝え様として居るのを見て、顔を顰(しか)めながらも、再び忠政の口元に耳を寄せる。
「千勝に、父より賜りし小太刀を授けたい。倉に行って、探して来てくれ。又、近くに私の鎧兜(よろいかぶと)を納めた箱が在る。その鎧の胴の裏に、私が御事(おこと)を伊予の小島で発見した時、御事が着用して居た衣服を隠して在る。只、この衣服は御事の素姓(すじょう)を明らかにすると共に、御事の身を危うくせし物。この事は、私一人の秘め事。だがこの後は、御事に委(ゆだ)ねると致そう。」
そう言い終えると、忠政は目を閉じ、苦悶の表情を浮かべ始めた。息も絶え絶えで、尋常ではない。純利は慌てて薬師(くすし)を呼びに行き、その足で忠政の命に従い、相馬家の倉へと向かった。

 倉の鍵を開けて中に入ると、多くの木箱等が山積みにされて居る。しかし忠政の武具は、中央正面に分かり易く置いて在るので、小太刀を直ぐに発見する事が出来た。そして、直ぐ左脇の大きな箱の紐(ひも)を解き、蓋(ふた)を開ける。すると、中には忠政の鎧(よろい)が納められて在る。純利は言われた通り、胴の内側を探って見ると、布が、胴に張り付く様に納められて在るのに気が付いた。それを取り出してよくよく見ると、古いが上質の、童子の衣であった。これに秘められた物とは何なのかを探る為、純利は暗い倉の中で、眼を凝らして見詰める。そして、藤の紋様と、襟(えり)の裏地に「藤原純友子重太丸」と書かれて在るのを見付けた。
(私の父の名は、藤原純友というのか。しかし、これが私の身を危うくするとは一体?)
純利は戦乱を経て、幼き頃の記憶を失って居た。それ故、藤原純友が如何(いか)なる人物か解らず、己の名純利が、純友に由来する事だけを、漠然と感じた。しかし、主君忠政が警告した事が気に懸かる。

 ふと純利は、忠政の病(やまい)が悪化して居た事を思い出した。慌ててその衣を懐に入れると、再び忠政の鎧を納めた箱を元に戻し、小太刀を手に取って、急いで忠政の元へと戻って行った。

 純利が忠政の寝所へと戻ると、忠政は薬師(くすし)の処方を受け、落ち着いた呼吸を取り戻し、眠って居た。純利はほっと胸を撫(な)で下ろし、小太刀を携(たずさ)えて、忠政の枕元に腰を下ろした。

 程無く杈椏(またふり)御前が、未だ回復し切って居ない体を侍女に支えられ、夫の急変を案じて現れた。御前は、この一月で急に窶(やつ)れてしまった夫の姿を目(ま)の当たりにし、急に泣き崩れた。御前の嘆き様は一入(ひとしお)ではなく、純利はその惨(むご)い光景に、思わず眼を背けた。

 やがて忠重も、主君危篤の報を受け、急ぎ駆け付けて来た。そして、御前が忠政の傍(そば)で泣き崩れて居るのを見て驚駭(きょうがい)し、薬師(くすし)に強い口調で尋ねる。
「殿の御容態は、一体如何(どう)成って居るのじゃ?正直に申して下され。」
薬師は苦い顔をし、俯(うつむ)いて小声で答える。
「持って、後半月でござりましょう。」
忠重は、それを聞いて急に力が抜け、その場に座り込んでしまった。表情は深い失望を越え、惚(ほう)けた様に成って居る。

 絶望に囚(とら)われて居る二人を見た純利も、更(さら)に深い悲しみが込み上げて来るのを感じ、それに負けじと歯を食い縛(しば)る。そして小太刀を手にし、御前の前へと進んだ。御前はそれに気付き、涙を袖(そで)で拭(ぬぐ)い、純利と向かい合う。純利は御前に忠政の小太刀を捧(ささ)げ、落着きを保って申し上げる。
「これは殿が坂東より京へ上がられる折、将門公より下されし小太刀にござりまする。先程殿は、これを若君に授けたいと仰(おお)せになっておわされました。故に今、御方様に御渡し致しまする。」
純利は小太刀を差し出し、御前は震える手でそれを受け取った。
「確かに御預かり致しました。千勝は私が責任を持って、この太刀を持つに相応(ふさわ)しい武士に育てまする。」
御前は一度、その小太刀を夫に向けて捧(ささ)げると、侍女の手を借りて立ち上がる。そして名残(なごり)惜しそうに、部屋を出て行った。

 やがて忠政の容態は、暫(しば)し小康を得た様なので、忠重は薬師(くすし)に向かい、別室で休んで居る様に告げた。薬師は幾分疲れた様子で忠重に一礼し、自室へと戻って行った。

 忠政の側には、忠重と純利の二人だけが残った。時折屋根に積った雪が、けたたましい音を立てて下ちる。しかし、二人は黙って忠政を見続けるばかりで、静かな時が過ぎて行った。

 ふと、純利が忠重に尋ねた。
「忠重殿は、藤原純友なる人物を御存じ有るか?」
忠重はゆっくりと、体を純利の方へ向けた。それを見て純利も、正対するべく向きを変える。そして忠重は、淡々と話し始めた。
「そうか。御主は未だ若年であった故、覚えて居らなんだか。天慶三(940)年からその翌年に架けて、瀬戸内一円を荒らした賊徒よ。朝廷は凶賊追捕使(ついぶし)を派遣し、我等も殿に従い、官軍として出陣した。天慶四(941)年には純友が処刑され、又残党も悉(ことごと)く討ち取られ、漸(ようや)く今の平和が訪れたのじゃ。」
純利は愕然(がくぜん)とした。己が父と信じた人物が、朝敵として討たれたという。そして、忠政が忠告した危険を理解する事も出来た。又、忠政が己を救ってくれた訳が、同じ境遇に置かれて居る故に、同情を覚えたのであろうと理解するに至り、次第に目頭が熱く成って来る。

 忠重は哀し気な眼をしながら、話を続ける。
「思えばあの時の戦(いくさ)が、殿と私の初陣であった。憎きは賊将豊田利光。緒戦で殿は斯(か)かる事態を招く大怪我をなされ、その後この私も、危うく討たれる所であった。」
そして忠重は左袖を捲(まく)り、左腕を見せた。長く斬られた痕(あと)が有り、純利は絶句した。
「幸い殿に救い出され、村岡軍に合流する事が出来た。その後残党狩りに伊予へ出陣した折、殿は利光を発見して自ら仇を討たれ、捕われて居た御主を救い出されたのじゃ。」
話を終えると、忠重は再び豊田利光に憎悪の念を向け、拳を握ってわなわなと震え出した。

 純利は漸(ようやく)く天慶(てんぎょう)の乱における、相馬軍の顛末(いぇんまつ)を理解する事が出来た。一方で、新たな疑問も生じた。豊田利光なる者が、真に忠重が言う様な相馬家の仇であるとすれば、主君は何故(なにゆえ)我が名に、敵将に通じる利の字を当てたのか。その日から、純利は暫々(しばしば)考え込む様に成った。

 翌日昼、忠政は意識を取り戻すに至り、周りの者を安堵させた。暫(しばら)く容態が安定した日々が続き、純利が薬師(くすし)と共に、終日忠政の側に付いて居た。

 小寒を過ぎ、師走が近付く頃、都に暖かな風が吹き、陽気も穏やかな日が有った。忠政は特に気分が良い様子で、寝所の簾(すだれ)を開けさせ、純利に靠(もた)れながら、庭の雪景色を眺めて居た。そして快い面持ちで、純利に話をして居る。
「今年は帝(みかど)が御病気故に退位され、成明(なりあきら)親王が即位されたとか。我が家も兄上が健在なれば、家臣も如何許(いかばか)りか心強かろうに。千勝は未だ生まれたばかりであるしのう。」
「何の、村岡家も近藤家も某(それがし)も、皆忠政様を慕(した)いて従いし者。主君は殿以外に考えられませぬ。」
「そうか。」
忠政は力無い笑顔を浮かべた。ふと、純利は辺りを見渡し、人影が無い事を確認してから口を開いた。
「殿に御尋ねしたき儀がござりまする。」
純利の顔には緊張の色が濃く顕(あらわ)れて居るが、忠政はそれに気付かず、さらりと返す。
「何じゃ?」
「某(それがし)の名純利の、利の字の由来にござりまする。」
忠政は一瞬驚きの色を示したが、直ぐに嬉しそうな顔を湛(たた)えた。
「そうか。気付いてしもうたか。」
純利がきょとんとして居る横で、忠政は語り始めた。
「御事の父の忠臣より一字を戴いた。豊田利光。武略に優れた武士にして、主家の崩壊後は独り小島の洞穴に逃れ、御曹子を護って居った。敵ながら、最期はその子を私に託し、忠節を貫かれた。即(すなわ)ち、御事の恩人である。御事はあの時幼かった故、やはり覚えて居らなんだか。」
「某(それがし)が殿より頂戴致した名、漸(ようやく)く合点が行き申した。」
純利の心は激しく震えて居た。その震動は、純利の手から忠政の肩に伝わり、そして心に届く。
「私が良文様より忠政の名を戴いた時、相馬家の将の字を敢(あ)えて避け、政の字を充てた。当時は父将門の乱が平定されたばかりにて、我が身も危うかったのじゃ。良文様の御配慮にて助かる事が出来たが、あの時は家伝の名を戴けぬ事を、内心嘆(なげ)いて居った。御事には父の一字を伝え、又真の忠臣が居った事を示す事が出来た。その名、大事にしてくれ。」
「はっ、必ずや。」
純利はここに来て、失われて居た出自の真実、忠政の心中に秘められ続けて来た思いを知る事が出来た。心は無上に晴れ渡り、陽光を浴びる雪原の如く輝いて居た。その日は静かで穏やかな時を、二人は共有する事が出来た。

 翌日は打って変わり、強い寒波が押し寄せ、京の町は吹雪に見舞われた。大路を往き来する人の数は少なかったが、洛外より雪を被(かぶ)った一行が現れ、左京の藤原忠文邸を目指して居た。先頭を進むのは、村岡重武と近藤宗弘の二将で、主君忠政危篤の報を受けて、上洛に及んだのであった。任地の相模では警固の兵が多数必要である為、伴いし兵は僅(わず)かに十騎ばかりであった。しかし皆鍛えられ、逞(たくま)しい体躯(たいく)をして居る。一行は吹雪の中、漸(ようや)く忠文邸に到着すると、門衛に通されて、邸内へ入って行った。

 二将は案内された控えの間にて、雪に塗(まみ)れた衣服を脱ぎ、持参した乾いた衣服に着替えた。そして三名の郎党を伴い、忠政の寝所へと向かった。

 部屋の前に着くと、縁側で忠重が惚(ほう)けた顔をして、天を仰いで居たので、重武は何事か有ったのかと、心を焦(あせ)らせた。

 忠重が重武等の到着に気付くと、哀しい眼をして、声を荒げて告げる。
「義父(ちち)上、早う殿に御目通りを。」
重武はその徒事(ただごと)では無い様子に驚き、急ぎ寝所の中へ踏み込んだ。中では中央に敷かれた床(とこ)に、忠政が息も絶え絶えの様子で臥して居る。傍には薬師(くすし)の他、枕元には赤児を抱いた杈椏(またふり)御前と純利が、そして少し離れた所に、忠文と良文が座って居る。

 重武は一礼すると、忠政の元へ駆け寄り、荒げた声で到着を告げた。幾度か呼び掛けると、虚(うつ)ろな表情の忠政から、返事が有った。
「おお、重武。良く来てくれた。」
「某(それがし)だけではござりませぬ。宗弘殿と、将門公以来の家臣を三名連れて参り申した。」
重武は、衰弱した忠政の姿に心を痛めつつも、無理に穏やかな顔をして申し上げた。重武の背後に複数の人影を認めると、忠政も苦しみながら、無理に笑顔を浮かべた。
「相馬家も、着実に再興の道を辿(たど)って居るのじゃな。」
「然様(さよう)にござりまする。殿が出陣するとあらば、坂東では既(すで)に五百を超える兵を集められるに至って居り申す。後は、殿が快復されるだけにござりまする。」
重武の励ましの言葉に、忠政は力無く頷(うなず)くと、急に激しく噎(む)せ返り、大量に吐血した。純利が慌てて布で血を拭き取ると、忠政は最後の力を振り絞って、言葉を発した。
「重武と宗弘に、最期の頼みが有る。私の死後も力を合わせてお嚢(のう)を助け、嫡子千勝を守り立てて欲しい。」
重武は悲しい顔で忠政の手を握ると、震える声で答えた。
「重武は残る生涯、相馬家に忠節を尽す所存にござりまする。」
重武の脇から、宗弘も声を荒げる。
「某(それがし)も同じく、相馬家再興に努めまする。」
忠政は一瞬笑みを浮かべたかと思うと、突然体を仰(の)け反らせ、直後、力無く横たわった。薬師(くすし)は忠政の手から重武の手を退(ひ)かせ、手首を親指で圧さえると、やがてその手を蒲団の中に仕舞い、忠政に向かって合掌した。

 相馬平家当主忠政は、満十七歳の若さにして逝去した。十一歳で刀を取って西に向かい、兇賊追討の先陣を切り、千に迫る軍勢を集めながら、家の再興、母兄妹の救出という夢を叶(かな)えられぬまま、逝(い)ってしまった。忠文と良文はその人物を惜しみ、静かに合掌する。又、相馬家中の者は一斉に、亡君に向かい平伏した。皆、生前の勇姿を心に浮かべ、敬意を表する。そして重武は続いて、杈椏(またふり)御前の腕に抱かれた、未だ満一歳の千勝に頭を下げた。これは藤原式家と村岡平氏に対して、引き続き忠政の子に忠誠を誓う事を示す形と成り、他の家臣も皆、これに倣(なら)った。

 忠文はこの光景を見て、嬉しそうに良文に話す。
「忠政は、武門の棟梁に相応(ふさわ)しい武士であった。若年にありながら、ようもこれ程までに、家中を纏(まと)め上げた物よ。」
「誠に。これならば今後は千勝を立て、今までと同様に支援するに当たり、問題は無き物と存じまする。」
「うむ。では千勝は我が邸内にて、忠政と同様に養育すると致そう。」
忠文の言葉に因(よ)り、主君を失った相馬家から消滅の危機が遠ざかった。千勝を抱いたまま、御前は思わず頭が下がった。忠文は優しく頷(うなず)いて、腰を上げて退出し様としたが、体がふらついて思う様に歩けない。邸の者が体を支えて漸(ようや)く歩く事が出来、部屋を後にして行った。

 式家当主忠文は早、七十四歳の高齢である。早く相馬家を再興させ、その精強なる軍団を配下に置き、式家の力が強まる事を期待して居た。しかるに、そが遠退(とおの)いてしまった事で、心に大きな打撃を受けた。式家からは久しく、三位を輩出して居ない。このまま忠文が斃(たお)れれば、次の滋望(しげもち)の代には太政官における発言力も失い、式家は更に衰退の道を辿(たど)って行く事が予想された。

 東西の大乱以後、天下は依然として安寧を得られずに居た。地方では、国守の搾取(さくしゅ)に愛想(あいそ)を尽かした豪族や寺社が、各々の所領を守る為に武力を持ち始めた。昨年には、世の不安を憂(うれ)いた人々が、疫神志多羅(しだら)神の神輿(みこし)を担(かつ)いで摂津国諸郡を回った後、都の西南に在る山崎郷に到着し、そこに諸国から大群衆が押し寄せるという騒ぎが有った。

 大乱の起る日は決して遠くはなく、その時には式家を通じ、相馬軍を遣(つか)わし鎮定する。斯(か)かる構想は忠政の死に因(よ)り、後十五年は実現出来ぬ物と成った。二十一歳の親王が今年、天皇に即位したばかりで、藤原北家の勢力拡大が予想される中、北家の長者忠平は、既(すで)に六十七歳に成って居る。その後継者として最も有力なのは、忠平の長男であり、忠文の政敵でもある実頼であった。北家と式家、このままでは次の代には、その力の差は取返しが付かぬ程開いてしまう。忠文に取って相馬家の兵力は、正に切札であった。斯(か)かる悩みが昂(こう)じてか、忠文は近頃、頻繁に体の不調を訴える様に成った。

 一方、村岡平家の当主良文は、忠政の枕元に座り、悲愴な顔をして居る。そして白い布を掛けられた忠政の顔を見詰め、呟(つぶや)いて居た。
「この者を養子にした時の事が、ついこの間の如く思い起されるのう。漸(ようや)くここまで成長する事が出来たというに。もう少しで、前(さき)に奥州戦役の恩賞として賜った将門殿の遺領、相馬郡を与え、一族と共に、相馬の民を救ってやる事も叶(かな)えられた物を。」
良文は、無念の表情を滲(にじ)ませて居た。相馬家の者もそれを聞いて、悲嘆に暮れて居た。
「昨日は頗(すこぶ)る気分が良いと聞いて居ったのに。今日に成って何故急に。」
重武は、忠重に尋ねる様に呟(つぶや)いた。
「儂(わし)等は京に到着したばかり故、都の様子が良く解らぬ。殿に遺言等有れば、聞かせてはくれぬか?」
忠重がそれに答え様とした時、脇から純利が躙(にじ)り出て申し上げる。
「畏(おそ)れながら、私は久しく殿の御世話を致すべく、側に居りました故、私から申し上げたく存じまする。」
純利の申し出に忠重も同意したので、重武は純利に説明を頼んだ。純利は畏(かしこ)まって話を始める。
「殿は暖かであった昨日こそ、気分良く過ごされておわしましたが、今朝方の急な冷え込みに体調を崩され、再び吐血も有り申した。薬師(くすし)を呼びに行こうとした所、殿に袖(そで)を掴(つか)まれ、そして譫言(うわごと)の様に、斯(こ)う仰せられました。相馬を名乗るは大きな禍(わざわい)なり。我が子孫には、村岡を名告らせた方が良い。斯様(かよう)に仰せられた後に御倒れに成り、御二方がここに到着されるまでは意識も定かではなく、苦しみ続けられた御様子でござり申した。」
純利の話を聞いた後、暫(しば)し皆は口を噤(つぐ)み、室内はしんと静まり返った。やがて、重武がぼそりと呟(つぶや)く。
「やはり殿は、将門公の御子であるが故に受ける弾圧に、苦しみ続けておわされたか。」
そして家中の者に向かい声を強め、意見を述べる。
「殿は御自身の苦しみを千勝様へも伝えぬ様、相馬氏を名乗らぬ様に御遺言なされた。確かに承平、天慶の乱の熱は、未だ覚めやらぬ。当分の間は、殿の御意志を尊重致して、村岡平氏を名乗る事を望む一方、坂東では相馬の氏を慕(した)いて、兵が集まって居る事も事実。坂東では相馬の旗を掲(かか)げ、都にては村岡の旗を掲げて、雌伏するが上策と心得るが、御一同の御考えや如何に?」
重武の言に対し、先ず良文が口を開いた。
「京にて千勝殿が村岡平家の旗を掲げる事、儂(わし)に異存は無い。」
それを受けて、次に宗弘が意見を述べる。
「京には未だ、相馬軍の再建を恐れる、隠然たる勢力がござり申す。かつて対立せし経基王然(しか)り。又、殿を庇護して下された忠文様の政敵、藤原実頼卿も同じでありましょう。良文様の御許しが得られた以上、重武殿の申されし事、至極尤(もっと)もと存じまする。」
続いて、忠重も賛同の意を示す。
「現今、太政官に君臨するは藤原忠平様でござりまするが、もう御歳故に近い将来、長子実頼卿の時代が参りましょう。その時、式家との関係を保ちながら、且(か)つ摂関家に睨(にら)まれぬ様、摂関家とも繋(つな)がりを持つ父上の下に在る事を、表明した方が安全やも知れませぬ。」
四人の意見が一致した事を、互いに目で確認している最中、元服したばかりの純利も、意見を具申した。
「村岡家の旗を拝借すれども、我等が主君は、これより千勝様にござりまする。相馬家再興の為に我等が集いし事、決して忘れては成りませぬ。」
純利の顔には純粋で、強い決意を秘めた様子が窺(うかが)える。良文は微笑し、その態度を誉(ほ)めた。
「中々遖(あっぱれ)な物言いじゃ。斯(か)かる忠臣を持ち、忠政も泉下で喜んで居ろう。」
そして良文は、眼前に斃(たお)れる忠政を見詰めて言う。
「忠政は忠臣を集め、西国にて挙げたる軍功を以(もっ)て、朝廷より子孫に及ぶ恩赦を賜り、千勝に多大な遺産を残した。二十年後には相馬軍を率いる大将と成り、相馬の民を案ずる日が参るであろう。さすれば忠政こそが、相馬家中興の祖と言う事が出来よう。」
それを受けて、重武が良文の前に進み出る。
「相馬家は依然、京に千勝様在り、又坂東には精鋭を擁して居りまする。後は我々相馬家家臣団が必ずや、再興に漕(こ)ぎ着けて見せまする。」
良文は重武を見詰め、大きく頷(うなず)いた。重武は永らく村岡平家に仕(つか)え、良文の元にて数多(あまた)の軍功を重ねた勇将である。故に良文とは、深い絆で結ばれた戦友でもあった。その良文が最も信を置く宿老が、村岡平家を離れ、相馬家に完全に移る事を、ここに表明した。良文は寂し気な眼をして居たが、それに対して重武は、深く頭を下げるばかりであった。

 村岡平家の所領は相模、武蔵、下総、常陸の四国に跨(またが)り、当主は受領(ずりょう)の地位を得て居る。嫡男忠頼が未だ若い事を除(のぞ)けば、衰退の要素は先ず見当たらない。一方の相馬平家は、主を失い、嫡男は生まれたばかりで、依然所領は失われたままである。良文は、かつて関八州を席捲(せっけん)した相馬武士団を再建し、混迷の続く坂東に平和を齎(もたら)す事を夢見続けて居たが、その構想は今や瓦解の危機に在る。重武が相馬の臣と成る事を告げたのは、良文の胸中を察し得た、彼形(なり)の忠誠の顕(あらわ)れであった。良文はそれを察し、漸(ようや)く頷(うなず)いた。

 満十六にして後家と成ってしまった杈椏(またふり)御前は、赤児を抱え、悲愴な顔で家臣に向かい、遺された子を宜しく頼むばかりであった。叔父の宗弘が承知の旨を告げ、御前と赤児共々、別室へ連れて行った。

 やがて良文も、再度忠政の亡骸(なきがら)に合掌すると、部屋を出て行った。廊下を歩きながら良文は、体が蹌踉(よろ)めくのを覚え、咄嗟(とっさ)に近くの柱に手を突いた。
(私は息子を失い、更(さら)には忠臣をも手放してしもうた。)
良文は失った物の大きさに心を痛めながら、ふと足を止め、庭の雪景色に目をやった。春から秋に架けて種々の草花が様々な彩りを見せる庭も、冬の間は白色に包まれて居る。相馬家も今は厳冬の直中か、と思いながら空を見上げると、雪が再び舞い始めて来た。突如として冷たい風が吹き荒れ、良文は手足が凍(こご)える様に感じた。
(冬は未だ続く。萌え出づる春までは、今暫(しばら)く待たねば成るまい。)
良文は意を強くすると、再び粉雪吹き込む廊下を歩き始め、邸の奥へと消えて行った。

 その年の瀬は寒さが厳しく、式家の長者忠文も風邪を拗(こじ)らせ、寝込んでしまった。やがて年が明け、天慶十年(947)と成った。春が過ぎ、新緑の候を終えると、愈々(いよいよ)梅雨入りが迫って来る。斯(か)かる折の四月二十二日、昨年の新帝即位を受けて、天暦(てんりゃく)元年と改元された。帝(みかど)は太政官の人事として、関白を務める太政大臣藤原忠平を留任させた。そして左大臣に忠平の長男実頼を昇進させ、右大臣にはこれ又忠平の子、次男の師輔(もろすけ)を当てた。藤原忠平は親子で太政官の上位三職を独占し、藤原北家の地位は盤石の物と成った。天慶の初めの頃、太政官では当時三位の大納言実頼と、四位の参議忠文とで、政争を繰り広げた物であった。しかしその後、忠文は民部卿の職を得たに留まり、一方の実頼は、父に次ぐ太政官第二位の地位を得た。その力の差は、今では比べ様も無い程広がってしまった。かつて東西の大乱では、自ら軍勢を率いて鎮定に向い、実頼には及ぶべくも無い程に、朝廷に貢献した事を自負する忠文には、到底容認し難い事であった。

 やがて雨季に入り、一月程で猛暑が訪れた。その気候の移り変わりに因(よ)る物か、忠文は体を壊し、気苦労も相俟(あいま)って、明日をも知れぬ重篤に陥(おちい)った。忠文は枕元に嫡子滋望(しげもち)の他、弟の忠舒(ただのぶ)、忠家、忠衡(ただひら)を呼び、一族団結して、式家が衰退の道を辿(たど)らぬ様に託した。忠文が身罷(みまか)れば、式家で最も地位が高い者は、忠舒の従五位上大蔵大輔と成り、太政官における発言力は一気に失墜する。忠文が滋望に遺してやれる物には、相馬家の兵力も有るが、その棟梁は未だ一歳である。それでも、式家の切札として大事に養う様、滋望には強く説いた。滋望は父を安心させる為にも、素直にその旨を承知した。

 数日後、忠文は死出の旅に出た。享年七十五歳の往生である。弔問に訪れた平良文は、嫡子滋望に今後も変わらぬ友好を約束し、式家の者を安心させた。それは同時に、相馬家の者をも安堵させるに繋(つな)がった。

 その後間も無く、左大臣藤原実頼の娘も病に臥し、身罷(みまか)った。実頼と忠文の対立を知る者は、これを忠文の怨霊の所為(せい)であると噂(うわさ)した。

 やがて時代は大きく動こうとして居た。天暦三年(949)、関白太政大臣藤原忠平が薨(こう)ずると、帝(みかど)は新たな関白を任命しなかった。即(すなわ)ち、親政の始まりである。そして帝が最も重用したのは、右大臣藤原師輔(もろすけ)であった。この時、忠平の子で太政官に勢力を持って居たのは、師輔の他に、兄の左大臣実頼と、弟の参議師尹(もろただ)であった。三人共娘を帝の妃(きさき)に入内(じゅだい)させて居たが、師輔の娘だけが親王を産んで居た。権力を独占した藤原北家は、内部で勢力争いを激化させ、朝廷内における派閥抗争も激しさを増した。貴族は己の地位を高める為に財を蓄え、政(まつりごと)は腐敗の程度を増して行く。その影響は地方にも波及し、各地で財を巡る紛争が頻発した。親政は、当初から多くの問題を抱えて出発した。

 春日影(はるひかげ)の下、若草を踏み締めて都を出る一隊が在った。旗の紋は五枚笹であり、五十騎ばかりの数であったが、個々が鍛え上げられた屈強さを見せ、一軍を成した隊列は、威容を誇って居る。その中心に居るのは平良文で、坂東が不穏な情勢と成って居るとの報せを受け、本領を守るべく、帰国の途次に在った。

 良文が辺りの野山に目をやると、至る所に春の息吹が満ちて居る。その眩(まばゆ)い光景に、良文は思わず溜息が漏れた。世は春の様相を呈すれど、民心未だ穏やか成らず。そう呟(つぶや)くと良文は、自軍の笹紋に目を移した。
(今や我が軍勢こそが、治世最後の砦と成ろう。友軍相馬家も、今は同じ旗を掲(かか)げ、雌伏の時を過ごして居る。何(いず)れは良将公の馬紋を掲げて、再興の時を迎える時が来るであろうか?)
良文は胸中に不安を秘めながら、本領相模へ向かい進んで行く。一隊が過ぎた後、一羽の雲雀(ひばり)が飛翔し、青天の高みへ消えて行った。

第一章 完

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