第十二節 邂逅(かいこう)の婚儀

 その後、三年の歳月が流れた。天慶八年(945)の朝政は、未だ寛明(ゆたあきら)天皇の下、関白藤原忠平が君臨していた。しかし先年、東西の大乱を平定して間も無いというのに、地方統治体制は瓦解(がかい)の危機を生じていた。各国で、国守が不当に高い税を掛け続けた為に、地方豪族が遂(つい)に堪(た)え兼ね、兵を集めて国守の徴収に抵抗する事件が起り始めたのである。又寺社においても、各々の寺田、神田からの収入源を確保する為には武力が必要と成り、兵として集めたならず者が、居座る様に成った。各地で治安が悪化し、朝廷の持てる兵力では、力に拠(よ)る解決は困難であった。帝(みかど)は心労が重なって健康を崩し、関白も難しい舵(かじ)取りを強(し)いられて居た。

 地方の乱れを他所(よそ)に、平安京の左京においては、優雅な貴族社会が展開され続けて居た。藤原忠文邸内にも、種々の草木が芽吹き、花が咲き誇り、風雅な景色が広がって居る。

 池の辺(ほとり)で、二人の男が立ち話をして居た。当主の藤原忠文と、分家の近藤忠宗である。忠文は齢(よわい)を重ね、身体の衰えが見て取れる様に成った。されど、精神は依然矍鑠(かくしゃく)として、深刻な様子で忠宗と話を続けて居る。そこへ一人の若者が近付いて来て、忠文の前で跪(ひざまず)いた。背丈は忠宗と同じ程有り、凛々(りり)しい顔付きをして居るが、顔色は些(いささ)か青白い。二人は若者の姿を認めると話を止め、若者に目を遣(や)った。若者は忠文に向かい、口を開く。
「御召(おめし)にござりまするか?」
「うむ。其方(そち)にそろそろ嫁を取らそうと思うてな。」
若者はそれを聞き、慌てて畏(かしこ)まった。
「某(それがし)は未だ十五にござりまする。それに官職も無ければ、所領も持たぬ身。妻を養う事等、到底適(かな)いませぬ。」
「其(そ)は問題無い。当家からの扶持(ふち)を倍にしてやる故。」
「其(そ)は誠に有難き事にござりまする。されど婿(むこ)が平将門の子と知りつつ、娘を嫁に遣(つか)わす者等居りましょうや?」
若者が不安気な表情で見上げると、忠文の横に立つ忠宗が、微笑(ほほえ)みながら答えた。
「ここに居りまするぞ、忠政殿。」
呆気(あっけ)に取られた様子で跪(ひざま)く忠政に、忠文も笑顔を浮かべて言う。
「忠宗の長女が、其方(そち)より一つ年下であるとか。其方の家臣には宗弘が居る故、姫も他家に嫁ぐよりは、寂しい思いをせずに済むであろう。又、この婚姻に因(よ)り、藤原式家と相馬平家の縁は、更(さら)に深まるであろう。」
式家に臣従する忠政に取って、忠文の言に逆らう術(すべ)は無い。忠政は謹(つつし)んで承諾の意を示し、忠文等の元を辞して、自室へと戻って行った。

 忠文の話を聞いて居る間は、忠政が式家縁の姫を妻に迎えるという事実のみしか認識に至らなかったが、庭園を歩きながら、ふと相手が近藤忠宗の長女であるという事に思いが至った。確か四年前、伊予の戦(いくさ)で深傷(ふかで)を負い、播磨の忠宗館に移された時、手当をしてくれた娘が居た。四年の歳月が、当時の苦しい体験を、何故(なぜ)か懐かしい記憶に変えて居た。あの時、苦しみに潰(つぶ)されそうに成って居た己(おのれ)に、温かい手で優しさを伝えてくれた娘が、忠宗の長女であったか如何(どう)かは覚えて居ない。只、彼(か)の一族から妻を迎えるのであれば、最良であろうと思われた。

 自室へ通ずる渡り廊下を進むと、庭で忠重と三郎が、剣術の稽古をして居るのが見えた。忠重は既(すで)に立派な若武者に成長し、昨年に正七位上右衛門少尉(うえもんのしょうじょう)に任官して居た。洛中の警備に当たる毎日だが、この日は非番で、三郎に剣の指南をして居た。三郎は未だ十を幾許(いくばく)か過ぎたばかりなので、体格は忠重に比べると未だ未だ小さく、掛って行っても、容易に撥(は)ね返されてしまう。

 忠重はふと忠政の姿を認めると、木刀を納めて駆け寄った。
「殿、忠文様の御話とは、如何様(いかよう)な物に御座りましたか?」
「ああ、私と近藤家との、婚儀の話であった。」
忠政はさらりと言うと、再び己の部屋に向かって歩き始めた。忠重も三郎も、只呆然(ぼうぜん)と見送るのみであった。

 忠政は自室の前まで来たが、通り過ぎ、直ぐに先に在る納戸(なんど)の扉を開け、中に入って行った。中には大きな木箱が沢山積まれて在る。忠政はそれ等の中の、養父良文より拝領した武具を納めた箱の蓋(ふた)を開け、中を覗(のぞ)いた。兜(かぶと)を取り出すと、その下に、色褪(あ)せた紫色の袋が、一つ置かれて在る。中には、瀬戸内に出陣する折に、忠宗の娘に貰(もら)った護符が納めて在った。忠政はそっとその袋を懐に入れ、急いで木箱の蓋を閉める。その隣に在る鎧(よろい)の箱の中には、純友の子の衣服が隠して在り、露見すれば大問題と成るからである。

 慌てて蓋を閉め様としたので、近くの箱に打付(ぶつ)けてしまい、三寸程ずれてしまった。先ず己の武具の箱を元に戻した後、打付けた箱の位置を直そうとした。しかしふと何か気になって、その箱の蓋を開けて見た。中には、三郎と初めて会った洞窟で、三郎に急ぎ着換えさせた襤褸(ぼろ)の服が残されて居た。忠政は箱の中より取り出し、懐かしそうに眺めて居たが、ふと内側の袖の所に在る染みが目に留まった。怖らく褪(あ)せて居る故に、今まで気に留めた事は無かったのであろうが、よくよく見れば、文字が書かれて在る。忠政はこれを見てはっとした。
(これで、三郎の身を立ててやる事が出来るやも知れぬ。)
そう思った忠政は、辺りから未使用の箱を探し出し、埃(ほこり)を掃(はら)ってその服を納めた。そしてそれを脇に抱(かか)え、納戸を後にした。

 忠政は再び忠文に謁見する為に庭へと向かい、途中廊下で忠宗に遇(あ)った。そして忠文が既(すで)に自室へ戻った事を聞き、向きを変えて忠文の間へ向かう事にした。

 忠文の居間の外より拝謁を願い出ると、忠文からすんなりと、許しが下りた。室内には忠文一人しか居らず、忠政はこれなら話がし易いと思い、胸を撫(な)で下ろした。そして木箱を携(たずさ)え、忠文の前に歩み出て平伏する。忠文は不可思議な面持ちで、忠政の木箱を見詰める。
「此度は何の用ぞ?婚儀の話ではなさそうじゃが。」
「はっ。先程納戸の整理をして居りました所、斯様(かよう)な物を見付けました故、忠文様に御一瞥(いちべつ)賜りたく、持参致しましてござりまする。」
そう述べると忠政は、木箱を忠文の前へ運び、蓋(ふた)を開いた。中には小さな襤褸(ぼろ)が一着、納められて在る。忠文は怪訝(けげん)そうな顔で忠政を見る。
「何じゃこれは?」
「裾(すそ)の染みを、よく御覧下さりませ。」
忠政は更(さら)に頭を下げて申し上げた。忠文は渋々襤褸(ぼろ)を箱より取り出し、裾の染みを眺め始めた。やがて忠文の目が止まり、驚きの表情を浮かべる。忠文の視線の先には、大分掠(かす)れては居るが、「従五位下藤原」と書かれて在り、その先は染みで文字が消えてしまって居た。
「此(こ)は誰の物ぞ?」
忠文は幾分掠(かす)れた声で尋ねた。
「はっ。我が郎党三郎を、伊予にて純友が残党より救出せし折、三郎が着用して居た物にござりまする。」
「では三郎は、五位の位官を持つ藤原一遺族の子と言う訳か?」
「怖らくは。官吏であった父は賊に討たれ、未だ幼子であった三郎は連れ去られた物と存じまする。」
「ふむ。不便(ふびん)な話よのう。」
忠文の顔に同情の色が現れ始める。それを見た忠政は、愈々(いよいよ)本題を切り出した。
「畏(おそ)れ乍ら、御願の儀がござりまする。」
「何じゃ?」
普段、忠政が願い出る事など殆(ほとん)ど無いので、忠文は驚いた顔で忠政を見た。
「そろそろ三郎も、某(それがし)が元服した年に成りまする。故に某(それがし)が烏帽子親(えぼしおや)と成って、元服させたく存じまするが、素姓を知る手掛りがそれだけでは、藤原姓を名乗らせる事は憚(はばか)られまする。」
「確かに、摂政関白を輩出する北家は、各地の下位の者が同じ姓を名乗って居る事を、面白くは思って居られぬであろうからのう。しからば、其方(そち)には何ぞ考えが有るのか?」
「はっ。藤原一族である以上、家紋は藤紋にござりましょう。そして五位の位と申せば、衛門府や兵衛府においては佐(すけ)の身分にござりまする。よって、佐藤を姓にしてやりたいと存ずる次第にござりまする。」
忠文はふむと頷(うなず)いて、暫(しば)し考え込んで居たが、やがて微笑を湛(たた)えて答えた。
「其方(そち)は家臣思いな奴よ。そうしてやるが良かろう。」
忠文が許可を下した事に、忠政は深く感謝の意を申し上げた。そして三郎の衣を再び箱に納め、忠文の居間を辞して行った。

 忠政が箱を携え自室に戻ると、隣の庭では丁度(ちょうど)、忠重と三郎が武芸の稽古を終えた所であった。忠重は程良く疲れた様子であるが、三郎は激しく疲労し、膝を突いたまま立てないで居る。忠政は二人に向かい、汗を拭(ぬぐ)い暫(しばら)く休んだ後、居間に上がる様に告げた。忠重は直ぐに承知の旨を告げたが、三郎は息が上がり、声に成って居なかった。忠政は先に自室に入ると、箱を傍(そば)に置いて座り、懐から護符の袋を取り出して、眺めて居た。

 暫(しばら)くして、忠重と三郎が居間に入って来た。二人共漸(ようや)く息が整い、清々とした様子である。只、三郎は未だ疲労が残って居るのか、顳顬(こめかみ)の辺りから汗が流れ出て居る。二人は忠政の前に並んで座った。
「如何(どう)じゃ忠重、三郎の剣の程は?」
「先ず先ず努力の跡は見えまする。このまま精進を続ければ、戦場(いくさば)にて使える腕と成りましょう。」
「そうか。」
忠政は微笑を浮かべて答えると、先程納戸より持ち出した木箱を、三郎の前へ置いた。三郎の視線はその箱に向けられ、興味深そうな様子である。
「先刻見付けた物じゃ。開けて見るが良い。」
忠政の言葉を受け、三郎は先ず己の方へ箱を引き寄せた後、蓋を開けた。隣の忠重も、箱の中へ目をやる。そして、三郎の古い衣服を認めた。忠重は懐かしそうな顔をする。
「これは又、昔の物が見付かりましたな。」
しかし三郎は、これが何の服であるか覚えて居らぬ様で、首を捻(ひね)って不可思議そうな顔をして居る。そこで忠政が、一言加える。
「裾(すそ)の、染みの辺りを、よく見てみよ。」
言われた様に、三郎はその衣服を箱より取り上げ、忠重と共に目立つ染みの辺りを凝視した。やがて共に「従五位下藤原」の字を見付け、忠重は仰天した様子で三郎を見るも、当の三郎は未だ、納得が行かない様子であった。そして忠政が告げる。
「此(こ)は天慶四年(941)、私が御事(おこと)を拾いし折に、御事が着て居た物じゃ。御事の父御(ててご)の素姓を示す証拠として、忠文様にも認められた故、御事は藤原一族として、佐藤を姓とする事が許された。」
三郎は都に来て三年、西国の事は遠い昔と忘却して居たが、今の言葉でかつての記憶の糸が繋(つな)がり掛けたのか、何かを思い出そうとして居る様である。しかし忠政の声が、一旦それを遮(さえぎ)った。
「三郎も早、私が元服した時の歳に達した。姓も賜った事であるし、明日、私が烏帽子親と成って、御事の元服式を執り行う事とする。忠重、仕度を手伝ってくれぬか?」
忠重は承ると、忠政と共に立ち上がる。
「御事はここで暫(しば)し休んで居るが良い。」
忠政は三郎にそう告げると、忠重と共に居間を出て言った。後に残った三郎は独り、褪(あ)せた己の衣を掴(つか)み、眺めて居た。

 翌日夕刻、三郎の元服式が、忠文邸内の一室にて行われた。忠重が声を掛けてくれたらしく、近藤忠宗や、藤原忠文の嫡子滋望(しげもち)も参列した。

 前髪を落し、束帯(そくたい)を身にまとい、成人の姿と成って平伏する三郎を前に、忠政は主君として名を与え、紙に記(しる)して顕(あらわ)した。それには、「純利」と書かれて在る。忠政はその由来を、出逢った頃の三郎が、純粋で利発そうな童子であったからと説明し、三郎は有難く頂戴する旨(むね)を申し上げた。そして、忠重が大声で唱える。
「佐藤三郎純利。」
それを受けて滋望が頷(うなず)く。
「うむ。響きは立派であるのう。」
皆は同調し、笑い声が起った。その中で三郎だけが、照れ臭(くさ)そうに頭を掻(か)いて居た。

 その後、細(ささ)やかながら酒宴の席が設けられた。忠重が中心と成って場を盛り上げ、滋望も楽しそうに酒を呷(あお)って居る。ふと、忠宗が忠政の横に現れ、空(から)に成った忠政の盃に酒を注(そそ)ぐ。そして笑顔を向けて、語り始めた。
「かつては御大将で在られたが、もう直ぐ婿(むこ)殿でござるな。忠文様は初秋にでも、婚儀を挙げたいと思(おぼ)し召しの様でござるが。まあ末永く御願い致す。娘は宗弘に懐いて居った故、偶(たま)には会わせてやって下され。」
忠政は承知した旨を返して、盃を呷(あお)った。そしてこの後は、己にも大事が控えて居る事を思い出し、不意に溜息が漏れた。

 三郎は緊張も大分解(ほぐ)れ、宴(うたげ)を楽しみ始めた様である。他の者も興が乗り、酒で顔を赤らめ、歌や踊りを始めて居る。忠政はそっと厠(かわや)に立ち、広間を出た。冬の間、昔の傷跡が疼(うず)いて居たが、漸(ようや)く温かく成って来たこの頃も尚(なお)、痛みが続いて居た。今宵(こよい)は月が雲隠れして居る為、廊下が大層暗く感じられる。忠政は溜息を吐(つ)くと、再び厠へ向かい、歩き始めた。

 未だ残暑厳しき文月の都では、彼方此方(あちこち)で蝉(せみ)がけたたましい程に鳴き、僅(わず)かな余命を一気に燃焼して居るかの如くである。炎天下、大路に人影は少ない。多くの者は日陰と成る壁際(ぎわ)を選んで進み、樹木の蔭で一時の休息を取る者も在る。又賀茂川では、遊泳を楽しむ童子の姿も見られた。

 斯(か)かる折、左京の大路を十名程の一団が、輿(こし)を伴い進んで行く。一行は藤原忠文邸の前で止まり、一人が門衛に取り成しを頼む。その間に輿が下ろされ、乗って居た者が御簾(みす)を潜(くぐ)って出て来た。現われたのは一人の姫御前(ひめごぜ)で、京は初めてらしく、物珍しそうに、辺りをきょろきょろ見渡して居る。やがて邸の内より案内の者が現れ、姫御前以下従者の者は、導かれる儘に中へ入って行った。

 その二日後、忠文邸では婚儀が執り行われた。六位の家の者同士とはいえ、式は割にしめやかである。その訳は、恩赦が下されたとは雖(いえど)も、新郎忠政は朝賊平将門の実子である。忠文と繋(つな)がりの深い公家でさえ、式への出席を憚(はばか)って居る。未だに他所(よそ)から差別が有る事を認識し、忠政は深く落ち込んで居た。そして、その様な身上の者の元に嫁いで来てくれた姫に、甚(はなは)だなる感謝の念を覚え、一方で己(おの)が為に、彼(か)の身を犠牲にしてしまうのではという不安感に駆られて居た。

 花嫁御寮の衣服を纏(まと)い、綺麗に化粧をして忠政の隣に座る新婦は、二日前に播磨より到着した、忠宗の姫御前であった。旅の疲れも見せず、落着きを払って式に臨(のぞ)んで居る。

 参列者も少なく、式は簡素にして、早々に終った。主な理由は、式を主催した忠文が体調の不良を訴え、中座してしまった事である。皆高齢の忠文を慮(おもんばか)り、派手に騒ぐ事を止めてしまった。故に参列者の興は冷めて行く。主立った儀式は終えて居たので、良文が式典を巧く締め括(くく)ってくれた。先ず新郎と新婦から退出を促されたので、忠政は式の疲れから溜息を吐(つ)き、式場を後にした。

 新郎の控えの間にて、普段の衣服に着替え終えると、忠政は漸(ようや)く式が終わった安堵感から、横になろうとした。しかしその時、来訪者が有った。それが良文だと聞き、忠政は慌てて起き上がり、座礼を以(もっ)て迎えた。

 部屋に入って来た良文は笑顔を湛(たた)え、無事に婚儀が済んだ事の喜びを伝えた。忠政は鄭重(ていちょう)に礼を述べると、側に居た純利に命じ、良文の為に肘(ひじ)掛けを用意させた。良文はそれに凭(もた)れると、暫(しばら)く忠政の身形(みなり)を眺めて居たが、やがてその口を開いた。
「其方(そなた)、痩(や)せたのではないか?」
良文は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せ、甚(いた)く危惧して居る様子である。確かに他の同年の者と比べても、頬(ほお)は痩(こ)け、血色も悪い。しかし忠政はさして気にも留めず、さらりと返す。
「今年の夏は暑かった故、幾分健康を損(そこ)ねた様にござりまする。されど涼やかな秋の候が到来致さば、立ち所に癒(い)えましょう。御心配戴き、忝(かたじけの)うござりまする。」
忠政の言葉に多少なりとも安心したのか、良文は軽く頷(うなず)いた。そして別の話を切り出す。
「近藤宗弘殿が新婦親族として婚儀に参列すべく、数日前に都へ戻られた。それ故既(すで)に聞き及びの事やも知れぬが、儂(わし)の元に相模の重武より今朝方届けられし報せに依れば、相州にて密かに組織した相馬軍の数は、実に二百に及ぶとの由(よし)。相馬の旗を掲(はた)げ、相模国府軍に加わったとの事じゃ。」
「何と、彼(あれ)から三月程で二百も?」
忠政は謀(たばか)られて居るのではと思いつつも、顔には歓喜の表情が浮かんで居る。
「これにて相馬軍の中核は形成された。後は式家との繋(つな)がりを深め、有事の折には遠征軍に加われる様にして置かねばの。」
「はい。心得てござりまする。」
「先ずは、近藤家の姫御を大事に致すが良い。それが最も心配なのじゃが。」
「はあ。」
忠政は気の無い返事で応じた。物心が付いて間も無く、父母の元を離れた。故に妻夫(めおと)という物が解らないままである。今日より相馬家の者が一人加わった訳であるが、忠政は家臣が加わった時とは異なり、強い不安を抱(いだ)いて居た。良文は忠政の心境を察して居たが、忠政の気質なれば、大きな問題は無かろうと考え、特に助言もせずに、その場を辞そうと腰を上げた。

 良文が戻ると言うので、忠政は見送りの為に、共に部屋を出た。丁度(ちょうど)その時、宗弘が忠政の元へ現われた。
「宗弘、義父(ちち)上より聞いた。相模では頑張ってくれた様じゃのう。」
宗弘は良文の言った通り、二日前に京へ戻って居た。されど直前に姫御前も入京して居たので、忠政は坂東の詳細な報告も受けぬまま、宗弘を近藤忠宗の元へ寄こして居た。
「有難き御言葉にござりまする。また昨日は姪(めい)のお嚢(のう)と対面する事が叶(かな)い、重ねて御礼申し上げまする。」
お嚢という姫御前の名が、ふと忠政の記憶に引っ掛かった。
「して、私に何ぞ用か?」
「はっ、兄上が殿に、部屋まで御越し願いたいとの事にござりまする。」
「そうか。されど今から義父(ちち)上が御帰り故、暫(しば)し待たれたる様伝えてくれぬか?」
宗弘が忠政の事を承知し様とした時、良文がそれを制した。
「忠政よ、儂(わし)の見送りには及ばぬ。近藤家へ出向いてやるが良かろう。」
忠政は良文の言に従い、その場で辞儀をすると、宗弘の後に付いて、忠宗の間へと向かった。

 宗弘に通され、忠政は一揖(いちゆう)してから忠宗の居間へ足を踏み入れた。すると、中には忠宗の他に、一人の女性が座って居る事に気が付いた。それを気に掛けながら、忠政は忠宗の前に腰を下ろして挨拶をした。忠宗は長女の婚儀が済み、やや疲れた様子である。
「忠政殿、我が娘を宜しくお願い申す。瀬戸内にて大功を挙げし勇将が婿(むこ)と成り、嬉しき限りにござる。忠政殿には我が弟も世話に成って居りますれば、娘共々、幾久しく御願い申し上げまする。」
「いえ、私こそ式家の御威光が無ければ何も出来ぬ身にて、某(それがし)の方こそ宜しく御願い申し上げまする。」
そして忠宗は、側に座る女性を紹介した。やはり先程の花嫁御寮であった。姫御前も普段の衣服に着替え、化粧も薄くして居るので、忠政はそれまで、花嫁と断ずる事が出来ないで居た。忠宗の紹介の後、姫御前が丁寧に挨拶をするので、忠政は慌てて不器用な礼をして返した。

 その時、忠政の懐より護符を納めた袋が落ちた。忠政が動揺してそれに気付かないで居るので、姫御前が忠政の前に進み出て、それを拾った。忠政に返そうとしたが、ふと姫御前は袋の上の、褪(あ)せた「播磨國」の文字に気が付いた。そして、懐かしそうに袋を見詰めて居る。
「今も、身に付けて居て下さったのですね。」
そう言うと、姫御前はおかしそうにくすくすと笑ったが、忠政に向けた顔は、心底嬉しそうであった。忠政は驚きを覚えつつ、姫御前を懐かしそうに見て、声が震える。
「おお、やはりあの時の姫であったか。」
二人が言葉を交わし、過去を思い出した事を察した忠宗は、弟を伴い、嬉々とした顔でその場を辞して行った。

 二人だけにされると、忠政は再び言葉に詰まった。姫御前も俯(うつむ)いたまま、何も話さない。思えば、二人は以前に幾度か会っただけで、その後四年も会って居ない。最後に会ったのは、西国の戦(いくさ)が平定された後、京に戻る途中に近藤館へ寄った時以来であった。しかも、一言も言葉を交す事は無かった。

 不意に忠政は、姫御前の手が己の方へ伸びて居るのに気が付いた。よく見れば、護符を納めた袋を返そうと、それを差し出して居る。婚儀の時は泰然として見えた姫御前が、今は不安に満ちた顔をして居た。忠政は前に忠宗から、姫御前は播磨を出るのが初めてであると聞いて居た。加えて夫と成る人物とは、四年振りの再会である。気心が知れて居るのは、播州より伴った数人の侍女と、叔父の宗弘だけである。袋を受け取った忠政は、次第に姫御前を気の毒に思い始め、先ずは何か言葉を掛けて遣ろうと思うも、それが中々思い浮かばない。姫御前には何(いず)れ聞かねば成らぬ事が有ったが、それはもう少し時を経てから尋ねるべきか迷って居た。しかし、言葉に詰まって居た忠政の口は、不意にそれを尋ね始めて居た。
「御父上より、私の身の上は、既に聞き及んで居りましょうや?」
「はい。」
姫御前は小さな声で答えた。
「私は、天慶二年(939)に朝廷へ叛旗を翻した平将門の子。その翌年、官軍の下に西海の賊を打ち、父に纏(まつ)わる罪は許された物の、未だに多くの者が、私を逆賊の子と見て居る。貴女(あなた)はそれも御存じで、私の元へ嫁いで下されたのか?」
姫御前は、俯(うつむ)いて居た顔をゆっくりと上げて忠政を見たが、その時、姫御前の頬(ほお)を一筋の涙が伝った。
「幾年経っても変わらないのですね。貴方は可哀想な方。十一で御家の為に戦(いくさ)に出られて、酷(ひど)い矢傷を負われて居られました。そして今は、その傷が心にも及んでおわされる。」
姫御前は涙が止まらなく成り、袖で顔を覆(おお)った。又、言われた方の忠政も、優しき人と接する事が出来た嬉しさと、己の身上を再認識して起る悔しさが心の中で交錯し、胸が苦しく成るのを覚える。忠政は心の揺れを抑え様と、力一杯袴(はかま)を握り締めた。やがて落着きを取り戻し始めた姫御前は、最後の涙を拭(ぬぐ)って告げる。
「貴方の変わらぬ物がもう一つ。御解りにござりますか?」
姫御前は無理に明るく、笑顔を作った。突然の質問に、忠政はたじろいで返す。
「いや、解らぬ。」
「其(そ)は仁の心。四年前、忠政様は御自分が負傷されながらも、御家来の身の方を案じて居られました。そしてもう一つ、叔父上は御家の為に、重い役目に就(つ)いて居ると聞き及びました。されど、私の為に東国より呼び戻して下されたとの事。誠に有難き事と存じまする。」
「貴女に喜んで貰(もら)えて良かった。宗弘の役には、今は別の者を当てて居る。二、三日は心置きなく、故国の話や昔話等、されるが良かろう。」
「有難き御配慮、嬉しく存じまする。そう言えば私は未だ、先程の忠政様の問いに答え切っては居りませぬ。」 「ほう、御聞かせ願えまするか?」
「私は父の命で忠政様に嫁ぎましたが、此(こ)は私の意志でもござりまする。相馬家当主を支え、御家の再興の為に、励む覚悟は出来て居りまする。よって、叔父上を無為にここへ留め置くには及びませぬ。何卒(なにとぞ)、新たな御役目を御与え下さりまする様。」
姫御前は毅然として答えた。忠政は姫御前への尊敬の念を深め、又斯(か)かる姫を己の元へ寄こして呉れた忠宗に、感謝の念を覚えた。そして、姫御前に笑顔で告げる。
「成程、貴方は義の人なり。目下当家に取って最も重要な役目は、前(さき)に宗弘に任せて居た事。姫の言に甘え、宗弘を前の役目に戻すと致そう。」
忠政の言葉を受け、姫御前は深く礼を執った。そして、再び顔を上げて申し上げる。
「播磨より参りました嚢(のう)と申しまする。幾久しく御導きの程を。」
「そう言えば、貴女の御名(おんな)はお嚢殿でござったな。私の方こそ、宜しゅう申し上げまする。」
忠政も嚢姫に礼をして返した。

 忠政はふと立ち上がり、部屋の簾(すだれ)を上げた。遠く、嵯峨野の彼方(かなた)には陽が傾き、鮮明なる朱色の光を大地に注(そそ)いで居る。又、涼やかな西風が吹き、昼間の熱気を追いやって居た。
「西方より、爽(さわ)やかな風が参ったか。」
そう呟(つぶや)くと、忠政は再び嚢姫の前に腰を下ろした。その日、二人の居る部屋からは、暫(しばら)く笑い声が聞こえて居た。

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