第十一節 論功行賞

 天慶五年(942)が明けると、京の大路は例年に無い賑(にぎ)わいを見せて居た。多くの貴族や町人は、親戚友人を訪ねては、新年の海内(かいだい)安寧を祝っている。一方で、昨年の戦役に出陣した武官達は、近々下される恩賞の為に、有力貴族への進物(しんもつ)や挨拶に追われていた。特に最高の権力を握る関白藤原忠平の邸には、多くの来訪客が有り、また莫大な贈物が運び込まれていた。

 平良文は関白に送る進物の内、常陸国信太郡にて、忠政の兄信田将国が捕獲した馬二頭を、平忠政の名で送った。忠政が藤原忠文の邸で養われて居る以上、忠文の政敵藤原実頼が、関白である父を通じ、忠政へ恩賞が下されるのを妨げる怖れが有った。又、将門に遺恨を持つ経基王が、これに与(くみ)する不安も有る。いくら無位無官で所領を持たないとはいえ、関白への進物無しでは、恩赦すら得られない可能性も有った。

 月日が経ち、山城国内からも雪が消えた。梅が散り始め、やがて桃の季節と成った。正月以来、朝廷は論功行賞に忙殺されて居たが、弥生(3月)に入った頃、漸(ようや)く主立った将に恩賞が下され始めた。伊予警固使として藤原純友の首級を挙げた橘遠保は、伊予国宇和郡を賜り、又凶賊追捕使として官軍の総大将を務めた小野好古は、太政官の左中弁に昇進した。

 やがて、征西大将軍を務めた藤原忠文の元にも、朝廷より御召(おめし)の使者が有り、忠文は牛車(ぎっしゃ)に乗って宮中へ向かった。忠政は邸の正門まで見送りに出たが、その胸中には不安が渦(うず)巻いて居た。京に凱旋してから四月も経ち、他の将が次々と恩賞に与(あずか)って居るのに、己(おのれ)の元には未だ何の音沙汰も無い。忠文が戻れば、何かしらの報せが入るかも知れないが、そう思うと、一層緊張が高まる。邸の者も、今日で当主の命運が分かれる事を感じ、言葉を発する者は少なかった。

 その日の夕刻、忠文が邸へ戻って来た事を聞き、忠政は急いで迎えに出た。庭に下りると、忠文は牛車を下りて母屋に向かう所であった。忠文の向こうに、陽が沈もうとして居るのが見える。故に逆光と成って、忠文の表情までは窺(うかが)えない。只、忠文の歩む姿に、精気は感じられなかった。忠政は道を開けると、言葉を掛けて良い物か判(わか)らず、立ち尽すのみであった。その前を忠文が、忠政の姿に気付かぬ様子で、ゆっくりと過ぎて行く。そして、後ろから近藤忠宗が来るのを認めた忠政は、小走りに駆け寄った。忠宗も忠政に気付き、歩みを止めた。忠政が忠宗の前で立ち止まると、忠宗は首を振って告げる。
「忠文様は此度、民部卿に任官遊ばされ申した。」
忠政はその言葉だけでは、事態が良く飲み込めなかったが、再度尋ねる前に忠宗に誘われ、共に邸内へ入って行った。

 忠文は此度の行賞で、従三位(じゅさんみ)中納言への昇進を望んで居た所、本日行われた除目(じもく)では、民部卿への任官が通告されただけであった。忠文が伝(つて)を通じて経緯(いきさつ)を調べた所、やはり政敵実頼が関白へ、征西大将軍には軍功無く、昇進の必要無しと、働き掛けて居た事が判(わか)った。しかし他の貴族から、高齢を押して東西へ二度下向した老将に対し、軍功が少ないと雖(いえど)も、此度も恩賞無しでは余りにも酷である、との声が上がった。結果、関白忠平はその意見も酌(く)んで、昇進させずに官職を与える事とした。忠文はそれを聞いて実頼への憎悪を深め、又落胆して帰って来たのであった。

 もしも中納言に昇進出来たならば、朝議における式家の発言力は高まり、嫡子滋望(しげもち)の代も四位までは望めたであろう。式家の家臣達も内心は失望しつつ、翌日の夕刻に忠文の民部卿任官を祝う宴席が、邸内にて設けられた。これは、関白を筆頭とする北家の不興を今以上買わぬ為、神妙に朝命に服する態度を示す狙いが有った。除目(じもく)の後速やかに行う事で、出席者が少ないのを日程調整不首尾の所為(せい)とし、更(さら)には僅(わず)かな出席者の中から、今後も信頼して付き合える人物を見出すという意向も含んで居た。

その日の宴(うたげ)は、かつて忠文が参議に昇進した時とは比べ様も無い程、小規模な物であった。来賓も、式家の家臣も、民部卿忠文も、皆笑顔を湛(たた)えて居るが、それは酒宴にて、憂(う)さを晴らして居るだけに見受けられた。

 宴(うたげ)の最中、忠文は己の席へ忠政を呼んだ。忠政が忠文の元へ来て座り、祝辞を述べると、忠文は笑顔を消して忠政を招き寄せ、小声で告げる。

「近々、其方(そち)にも朝廷より御召(おめし)が有ろう。されど与えられる恩賞は、怖らく其方の望む所には届くまい。しかしその折は必ず、有難く礼を述べねば成らぬ。其方の身は今も尚(なお)安泰では無き事、努々(ゆめゆめ)忘れる事の無き様。」
やはり、己は恩賞に与(あずか)る事が出来ぬのかと思い、忠政は表情を曇らせながらも、忠文には承知した旨を伝えた。忠文も忠政も胸中を察し、再び笑顔を作って話を続ける。
「深刻に悩む勿(なか)れ。橘遠保の様に一郡を賜る事は難しかろうが、主政か郷長位には成れるやも知れぬ。もしくは、位を賜る事も考えられる。其方(そち)に関しては、良文殿も独自に動いて居る故、儂(わし)の予想よりは良い結果と成ろう。只、其方が将門殿の実子である事から、随処に落とし穴が有ろう事、肝に銘じて置くが良い。」
忠文は話が済むと、忠政に下がる様命じた。忠政は忠告を戴いた事への感謝の気持を伝えると、立ち上がって己の席へと戻って行った。

 途中、忠政が忠文の方を振り返ると、忠文は勢い良く酒を呷(あお)り、僅かの間にその顔を赤らめて居る。忠政は今まで己の為に酔わずに居てくれた事を有難く思うと共に、酔って憂(う)さを忘れ様とする老公の姿に、同情を覚えた。

 忠政は己の席を通り過ぎ、宴席の広間を出て廊下に立った。吹き付ける夜風が大分暖かく感じられる。桃の花が衰えを見せ、桜の花はもう三分は咲いて居るであろうか。春の息吹(いぶき)を感じると、心にもその活力が伝わる。忠政は、義父良文が己の為に動いてくれて居る事を、至極(しごく)頼もしく感じた。春の夜空に浮かぶ満月の如く、忠政の心は明るく照らされて居た。

 二日後、良く晴れた日の巳(み)の刻、内裏より御召(おめし)の使者が、忠文邸に到着した。忠文は使者に、直ちに忠政を参内させる旨を伝えて戻し、次いで忠政を己の居間へと呼んだ。

 程無く、忠政が忠文の間に現れると、忠文は厳粛な態度で、忠政を迎えた。その様子を受け、忠政は御召が有った事を悟り、神妙に忠文の前に座した。忠文は忠政を暫(しば)し見据えると、やがて重々しい口調で話し始めた。
「遂(つい)に内裏(だいり)より、其方(そち)を召される使者が参った。これより其方は束帯(そくたい)を纏(まと)い、速やかに参内(さんだい)致す事。」
そう命ずると、忠文は家人を呼び、用意した武官の束帯に着替えるのを手伝わせた。やがて着替えを終えた忠政を見て、忠文は感嘆した様子で声を洩(も)らした。
「流石(さすが)は相馬武士の子。凛々(りり)しき出立(いでた)ちじゃ。」
忠文は立ち上がると忠政を連れ、表へと誘った。すると、庭では村岡重武と近藤宗弘以下、警固の兵十余名が仕度を整え、出発の時を待って居る。

 忠政が庭へ下りると、宗弘が忠政の愛馬黒駒を曳(ひ)いて来た。重武も忠政の元へ歩み寄り、そっと告げる。
「若殿は未だ朝廷の許しを得られぬ御身(おんみ)故、輿(こし)を用いる事は憚(はばか)る方が宜しいかと存じまする。されど、若殿も一個の武家の棟梁。騎馬にて御所へ向かいましょうぞ。」
忠政は頷(うなず)いて手綱を掴(つか)むと、振り返って忠文に礼を申し上げた。忠文は笑顔で見送って居る。
「何事が起き様とも、心中乱れる事の無き様にな。」
神妙に返事をすると、忠政はひらりと黒駒に飛び乗った。そして号令を下し、内裏へと向かって行く。庭の隅では、留守に残された村岡忠重と三郎が、その光景をじっと見詰めて居る。二人は若年の為、無礼が有っては成らぬと、邸に留め置かれた。しかし忠重は、忠政が己より年下である事を思うと、心配が募(つの)り、又口惜しく感じられるのであった。

 束帯に身を包んだ忠政は、堂々と左京の町を行き、やがて禁門に到着した。衛兵に御召(おめし)が有った旨を伝えると、確認を行った後に、忠政と重武だけが中へ通され、宗弘は警固兵を纏(まと)めて、別の場所にて待機する様指示を受けた。

 忠政は案内を得て内裏の内を歩いて居る間、心の臓が痛む程に緊張が高まって来るのを感じた。そして、指定の間に通されるまでの僅かな時が、とても長い物に思えた。やがて静閑な一室の下座にて、座って待つ様に告げられ、二人だけが残された。俄(にわか)に忠政は、不安な様子を顕(あらわ)にして、重武の方を振り返った。それを見た重武は苦笑して、小声で告げる。
「然様(さよう)に固く成られまするな。此度、命を懸ける事はござりませぬ。伊予の陣の折の方が、余程恐ろしかったか知れませぬぞ。」
重武は年の功か、参内にも拘(かかわ)らず、落ち着きを払った様子である。それを見て忠政は、幾分安堵を覚える事が出来た。その時、文官が入室し、関白藤原忠平の御越しを伝えた。忠政は体が硬直するのを感じながらも、何とか平伏をする。重武は、関白が直々に、将門の乱における忠政の罪を詮議するのか、という不安を覚えた。関白が直(じか)に沙汰を下すとは、徒事(やだごと)ではない。これで恩賞が位官である可能性は薄らいだ。追捕使小野好古でさえ従四位下だというのに、忠政に除目(じもく)が行われる程の高い官位が下されるとは、到底考え難い事であったからである。

 平伏する二人の前方上座に、一人の老人が進み出て、腰を下ろした。齢六十二と成る関白忠平である。又二人の両脇には、忠平の側近と思われる四人の公卿も入って来て居た。

 皆が座り終え、部屋の中が再び静けさを取り戻すと、忠政の左手に座る公卿が、よく通る声で告げた。
「これより、関白様直々に、西国の戦役における恩賞を下される。」
それを聞いて重武は、此度の御召が詮議ではなく、恩賞の下賜である事が判り、ほっと胸を撫(な)で下ろした。そして関白より忠政に、言葉が掛けられた。
「平忠政、面(おもて)を上げよ。」
忠政はまだ緊張が解けて居ない様子で、恐る恐る顔を上げた。朝廷の最高権力者と聞いて居たので、恐ろしい顔を想像して居たが、見れば温厚そうな顔立ちをして居る。忠政は幾許(いくばく)か安堵感を覚える事が出来た。しかしその口から声が発せられると、忠政は再び緊張した。
「成程(なるほど)、滝口の陣にかつて、その方に似た衛士(えじ)が居った様な気もするのう。」
忠政の父将門は二十四年前、壮丁(そうてい)として都に上り、当時左大臣であった忠平に名簿(みょうぶ)を差し出して、臣従を誓った事が有った。忠平はその時の事を漠然と覚えて居たのであろう。忠平は引き続き泰然と構え、話を続ける。
「桓武平民の祖高望公は、従五位下上総介に叙され、坂東を鎮撫し、その子良将公は従四位下鎮守将軍として、下総三郡を治めた。その子将門は儂(わし)が相馬御厨下司(そうまみくりやのげす)に任命したが、後に新皇を名乗り、朝廷に叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)した。将門の犯せし罪は、九族に及ぶ大罪と申す者も居るが、良将、高望、延(ひ)いては高見王までをも罪人にする訳には参らぬ。先年の功労者、常陸介良文と右馬介貞盛の顔までをも、潰(つぶ)してしまう事に成るからじゃ。そこで、将門の乱にはその弟も加わったが故に、良将の子孫のみに罰を科するべきであるという声も有る。忠政、これに就(つ)いては如何(どう)思う?」
忠政の背後で、重武は慄然(りつぜん)として居た。関白が西国の乱における功ではなく、東国の乱における忠政の罪に触れて来たからである。しかし忠政は、関白忠平の温和な表情に緊張が幾分解(ほぐ)れ、素直に答えた。
「近年東西に相次いだ大乱を悉(ことごと)く平定し、官軍の力は海内に示され申した。暫(しばら)くは斯(か)かる大乱を企(くわだ)てる者が有ろうとも、先ず加わる者は居らぬ物と存じまする。されど、念を入れて朝賊の遺族を誅し、天下の見せしめと思(おぼ)し召されるのであれば、それも一理かと存じまする。」
忠平は驚いた様子で、忠政に尋ねる。
「ではその方は、死罪と成っても構わぬと?」
「畏(おそ)れながら、我が母は上総の伯父の妹。今は行方知れずの身なれど、もし発見されし折に御許しを賜れば、上総の平家は朝廷に恩を感じる事でござりましょう。又、妹は生きて居っても、将来朝廷に害を成す力はござりませぬ。これも御許し戴(いただ)ければ、諸侯は関白様の度量に感服致しましょう。」
ここまで申し上げて、忠政は急に口を噤(つぐ)んだ。兄と己を守るべき言葉が、見付からなかったのである。忠政の心は急に恐怖で覆(おお)われ、体は震え出し、手は袴(はかま)を強く握り締めて居る。その様子を見て、忠政の左手に座る関白側近の一人が、笑みを浮かべた。それに気付き、関白が怪訝(けげん)そうな顔で尋ねる。
「多治真人(たじのまひと)、何がおかしい?」
「これは失礼致し申した。某(それがし)は先年忠平様の命を受け、紛争が続く坂東に赴き、その原因を調査致した事がござり申した。その頃の将門殿は、武蔵武芝(むさしのたけしば)を救おうとしては経基王殿下を敵に回し、藤原玄明(くろあき)を迎え入れては藤原維幾(これちか)に攻められ、我が身を危険にしてまでも、弱きを助けた男でござり申した。その子忠政も又父と同じ様にて、これが相馬の者の質(たち)なのかと、彼是(あれこれ)思考致して居り申した。それ故に。」
「ほう、然様(さよう)であったか。されば父の様に所領を持てば、揉(も)め事に巻き込まれ易く、乱にも繫(つな)がり兼ねぬのう。かと申して高い位を与えても、政争に苦しむ事であろう。」
忠平はその視線を、多治真人から忠政の右手に座する公卿へ移した。
「兄上は如何(いかが)存ずる?」
「うむ。この若武者は中々利発で素直そうじゃ。平良文殿や小野好古殿の頼みも有る故、適当な地位を与え、所領は与えずに式家に養って貰(もら)えば良いのでは?さすれば、後々天下に禍(わざわい)も及ぶまい。」
「成程(なるほど)のう。」
忠平はそれを聞いて思慮に耽(ふけ)った。今、忠平に助言をした人物は左大臣藤原仲平といい、忠平の兄に当たる。その発言力は重く、忠平に方針の修正をさせる事も度々であった。

 冒頭、将門の子としての罪から話が始まり、肝を冷やした重武も、良文や、かつて伊予で窮地を救った小野好古までもが、左大臣に働き掛けてくれて居た事を知り、心強く感じられた。これで事態が好転するかも知れぬという希望が、忠政の心にも芽生(めば)えた。

 そして関白は遂(つい)に意を決し、忠政に向かい断を下す。
「平忠政、その方の此度南海における軍功に照らし、朝廷より恩賞を授ける。」
忠政と重武は静かに平伏するも、忠政の鼓動は強さを増して行く。そして再び静寂が破られ、忠平の声が広間に響き渡った。
「僅か十一にして刀を取り、朝廷の為に遠く西国まで出征せし事、真に遖(あっぱれ)なり。又、自ら手傷を負い、賊将の首級(しるし)を挙げたる段、実に諸将をも唸(うな)らせし大功にて、朝廷はこれに報いんが為、平忠政とその直系の子孫に、平将門に纏(まつ)わる罪を許す物とする。更(さら)に、これにて加えて従六位上(じゅろくいのじょう)に叙する。その方は未だ若年故に官職には就けぬが、この位が有れば、将来は衛兵府の大尉(だいじょう)として功を立てる事も出来よう。もしくは衛門府に入り、検非違使(けびいし)と成る事も可能じゃ。」
忠政は、位官の事は良く解らなかったが、我が身が許された事は理解出来た。忠政は緊張の糸が途切れ掛けたが、何とか関白に礼を申し上げ、辞儀をして、関白等が退出するのを待つ事が出来た。

 公卿等の足音が遠ざかり、漸(ようや)く頭を上げてほっと溜息を吐(つ)くと、未だ一人退出せずに、残って居る者が有るのに気付いた。承平の頃、坂東の調査を行ったという多治真人である。未だ何か告げられるのかと、忠政が不安気な表情を浮かべたのを見て、真人は微笑を湛(たた)えながら告げる。
「此度関白様が御自ら御越しになられたのは、かつて朝廷を脅かした平将門の子を、直(じか)に見てみたいという御希望による物である。何しろ、十一歳の童子が一軍の将を務め、長年平定出来ずに居た瀬戸内の戦(いくさ)にて大成果を挙げるに至り、更(さら)にはその手勢に譜代の者無く、急拵(ごしら)えの軍であったとの事。関白様はその報告を受けるや否(いな)や、強い関心を抱いた御様子に在らせられた。」
「某(それがし)は若輩者。関白様の御気に触れる無礼は、ござりませなんだか?」
忠政はふと、不安に感じ続けて居た事を尋ねた。対する真人は、淡々と為た様子で答える。
「朝廷の作法が行き届いて居らぬ事は、問題無い。其方(そち)の年齢にて酌量されようし、それ以上に軍功を挙げて居る。それ所か関白様は、其方(そち)に些(いささ)か期待されておわされる御様子。この後も武芸の腕を磨き、海内の治安回復に貢献致さば、将来は五位に昇り、父祖の代の勢力を取り戻せる望みも有ろう。」
「御教示、有難うござりまする。」
希望を抱かせる言葉を掛けてくれた真人に、忠政は心底より礼を述べた。真人は其のまま立ち上がり、部屋を出様とした所で立ち止まった。そしてぼそりと呟(つぶや)く。
「儂(わし)が以前、武州の騒乱を調べた折、将門殿は坂東の多くの豪族に慕(した)われて居た事が判(わか)った。あの時は経基王殿下が誣告(ぶこく)罪に問われたが、その後、同じく将門殿と対立して居た貞盛殿は、巧妙に常陸国府を巻き込ませ、将門殿を叛逆者に仕立て上げる事に成功した。その後、相馬軍は関八州を制圧してしまった為に、公(おおやけ)には申せぬが、未だ将門殿に同情を寄せる者は多い様じゃ。」
そう言い残して、真人は振り向きもせず、静かに広間を後にした。その後も暫(しばら)く、忠政は真人の言葉を噛み締めて居たが、やがて重武に促(うなが)され、退出して行った。

 禁闕(きんけつ)にて、宗弘が警固兵を従えて、忠政の帰りを待って居た。宗弘は忠政等の姿を認めると、駆け寄って、事の首尾を尋ねた。しかし忠政は上の空であり、代って重武が答えた。
「若殿は従六位上に叙され、父君将門公の御子なる故の罪に問われぬ様、恩赦が下された。」
宗弘はそれに納得したのか、重武共々、笑みも悲嘆な様子も見せないで居た。
「では、戻りましょうぞ。」
宗弘は警固兵を整列させ、忠文邸に戻る様に勧めた。忠政は言われるまま馬に乗り、禁闕を後にした。

 陽は依然として高い。左京の大路は人通りも多く、賑(にぎ)やかである。その中を、忠政等の一行は、無言のまま進んで行く。ふと、忠政が重武に尋ねた。
「重武、初陣とは普通、幾つで致す物なのか?」
「はい。某(それがし)が所領とする村岡郷内では、良文様の入封以前は諍(いさか)いが絶えず、某は十四にて初陣に出申した。周りの者も、似た様な物であったと記憶致しまする。」
「宗弘は?」
「はっ。某(それがし)の故国播磨は比較的平穏にて、某は父の下、十七で海賊討伐に加わったのが初陣でござり申した。」
「然様(さよう)か。」
重武と宗弘は怪訝(けげん)そうな顔で忠政を見るも、忠政は再び押し黙ってしまった。

 平良文の筋書(すじがき)通り、先ずは恩赦を得る事が出来た。これに因(よ)り忠政は、最早過去の罪に問われる事は無く成ったが、未だにその心は晴れなかった。関白忠平の言葉をよくよく噛み締めれば、母や兄妹は依然罪人であり、共に暮らす事は叶(かな)わない。又、所領も拝領出来なかった為、今後も自力で生計を立てる事は難しい。位を貰(もら)っても、官職が無ければ功を挙げる場も無く、それ以前に今年十二に成る忠政には、未だ文官も武官も、務められる能力は備わって居ない。では何時(いつ)に成れば、一廉(ひとかど)の人物として扱って貰えるのかと尋ねれば、坂東に名を馳(は)せし村岡重武でさえも、後二年は掛かったと言う。考えれば考える程、忠政は焦燥(しょうそう)に駆られて行った。

 忠政の苦悩の様子を察した重武は、己の騎馬を忠政の横に寄せ、そっと囁(ささや)いた。
「御心配召されるな。未だ御若い身ながら従六位上に叙されるとは、平時は到底有り得ぬ事。怖らく先の戦(いくさ)で我等の力を見た者が、若殿へ恩を着せようとして動いて居るのか。それとも北家の方に、若殿を式家より引き抜く心積りが有るのか。将又(はたまた)多治様の如く、相馬家に同情を寄せる勢力が有るのか。何(いず)れにせよ、若殿の将来に取っては、有益でござりまするぞ。」
重武の話に忠政は頷(うなず)き、笑顔を見せた。それを見て重武は安心し、忠政から再び馬を離す。しかし忠政の心の中には、一つだけ納得して居ない物が有った。先の多治真人も含め、相馬家に同情を寄せる者は多いという。しかし、天朝に叛旗を翻した者に、何故(なにゆえ)朝廷内部にも同情者が居るのか?抑々(そもそも)父は如何(いか)なる人物であったのか?猿島(さしま)で父と別れた時は、未だ童(わらべ)であった為、父の面影(おもかげ)を朧(おぼろ)げにしか覚えて居ない。故に父の気質も殆(ほとん)ど記憶に無く、心の中では謎が深まって行く一方である。父を最も良く知る人物の一人、母に早く会いたい。忠政の心にはその様な気持が、急激に募(つの)って行った。

 ふと街に目を向けると、母御に手を引かれて歩く童(わらべ)の姿を、よく目に掛ける。己も昔はあの様にして貰った時が有ったのか。童の頃の記憶の糸を手繰(たぐ)ると、妙に心の奥底が痛む気がして、止める事にした。そして手綱を掴む手に力を込め、堂々たる姿勢で、忠文の邸を目指した。

 邸に戻った忠政は、早々に事の次第を忠文に報告したが、忠文は特に表情も変えず、
「然様(さよう)か。」
と言うのみで、淡々として居た。そして、自室に戻って寛(くつろ)いで居る様に指示を受けたので、忠政は忠文の間を辞して、自室へと戻って行った。

 居間に戻ると、村岡重武、忠重、近藤宗弘、三郎の四人が待って居た。皆、黙って忠政に座礼を執る。忠政は無口のまま、皆の前を通り過ぎ、部屋の奥に腰を下ろした。
「皆面(おもて)を上げよ。」
忠政がぼそりと呟(つぶや)くと、四人共が揃(そろ)って顔を上げ、忠政に視線を向ける。この時、忠政は強い不安に駆られて居た。ここに居る面々は、かつて西国の戦(いくさ)で苦楽を供にし、絆を深めた者達である。この内、村岡氏には二百騎、近藤氏には百騎の配下と、その家族が有る。今の忠政には未だ、それ等を養う力は無く、良文や忠文の援助が無ければ、彼等を其々(それぞれ)故国へ帰す他は無く、忠政は再び孤独の身に成ってしまう。それでも、三郎を連れて来た事を思えば、未だ救いが有った。

 忠政の心配を余所(よそ)に、重武は得意気な顔で皆に話す。
「我等が主君忠政様は、本日を以(もっ)て、関白様より直々に従六位上に叙され、子々孫々に至るまで、父君将門公に纏(まつ)わる罪への恩赦が下された。本日遂に、相馬家は再興するに至り申した。」
重武の言葉を受け、他の三人は挙(こぞ)って忠政に、祝いの言葉を申し上げる。忠政の不安が吹き飛ぶ程に、場の雰囲気は明るく成った。思えば、ここまでは全て、良文の思惑通りに事が運んで居る。己は未熟な知能で彼是(あれこれ)悩んで居るが、良文は既(すで)に先の手を打って居り、それを知る重武が、他の者に懸念は無用である事を示し、この場を和(なご)ませて居るのではあるまいか?そう考えると、忠政の心は軽く成り、部屋に集う者達に、和(にこ)やか語り掛ける。
「今日の私が在るのは、皆の助けに因(よ)る物である。これより皆で、転機と成った西国の思い出話等、致そうではないか。」
忠重や宗弘は大井に賛同し、口火を切って話し始めた。暫(しば)し忠政の部屋からは、笑い話が絶えず響き渡って居た。

 翌日の昼下り、忠文の邸を平良文と藤原忠舒(ただのぶ)が訪れた。この時自室に待機して居た忠政も、重武に呼び出されて、忠文の間へと向かった。

忠政が部屋に入った時、そこには未だ忠文しか居らず、忠政は重武を従えて、忠文と正対する下座に腰を下ろした。程無く良文と忠舒が現れ、一礼して部屋に入って来た。ここに揃(そろ)う者は皆身内の様な者なので、和(なご)やかな雰囲気で迎えた。

 先ず良文が、忠政に笑顔で話し掛けて来た。
「御事(おこと)、此度は恩赦ばかりでなく、従六位上に叙されたとか。その年で六位とは、余程名家の者しか成れぬ物ぞ。」
「有難うござりまする。左府様方の話に依れば、小野好古様辺りからの御推挙も有ったとの事。」
「成程。伊予では相馬軍の精強振りを、たっぷりと見せ付けて差し上げた様じゃからのう。」
良文の笑顔を受けて、自然と忠政の顔にも笑みが溢(あふ)れる。しかし、それも束(つか)の間であった。
「その兵じゃが、相模に派遣して見ぬか?」
「相模にござりまするか?」
「実は、忠舒殿が相模権守として税を徴収し様にも、素直に納めぬ者が多く、殆(ほとほと)手を焼いて居られるそうな。そこで御事の三百騎を忠舒殿に貸し、相模の治安回復に役立たせてはくれまいか?」
良文の言葉に逆らう力が無い事を解って居る忠政は、即座に承諾した。されど、重武や宗弘が己の側から離れて行ってしまう事を考えると、心が押し潰(つぶ)される様な、強い悲しみが生じて来て、忠政の表情を曇らせた。

 それを察した忠舒は、穏やかに忠政を諭(さと)す。
「この度、相馬軍を相州へ下向させるは、只治安回復の助勢を得るのみに非(あら)ず。かつて常陸、上総の兵を圧倒し、関八州を制圧した平将門率いし下総三郡の従類(じゅうるい)衆。坂東の地に堂々と、相馬家繋(つな)ぎ馬の旗を掲(かか)げし軍を進める事で、未だ野に隠るる彼等を集め、忠政殿の下に旧相馬軍を再建させる目的も有る。」
「何と、亡き父の遺臣が、再び集まるのでござりまするか?」
忠政は嬉しさが込み上げて来る一方で、何処(どこ)か信じ切れない気持も有った。重武が不意に、忠政の背後より強く申し出る。
「殿、是非某(それがし)に御任せ在れ。必ずや相馬軍団を再興して御覧に入れ申す。」
重武は代々の武州武士。勇猛にして機智に富み、最も信頼の置ける人選である。又、彼(か)の精強な将門武士団が百騎も直属に加われば、忠政は当主として充分に、家臣団に威信を示す事が出来る。

 忠政は嬉しそうな面持ちで、重武に頷(うなず)いて見せると、再び正面に向き直った。忠政の表情が晴れ晴れとして居るのを見て、良文は念を押して尋ねる。
「では、真(まこと)に村岡重武以下二百騎、近藤宗弘以下百騎を関東へ派遣する事に、異存は無いのじゃな?」
「はい。宜しくお願い申し上げまする。」
そう答えると忠政は、静かに頭を下げた。

 その様子を見て居た忠文は、忠政が藤原式家と村岡平家の提案に素直に応じた事に、至極満足そうな様子である。忠政は滅亡した相馬平家を再興し、良文はそれを以(もっ)て、村岡平家の坂東における軍事力を増強する。又、忠文等藤原式家はそれ等の武力を背景に、朝議での発言力を強めるという。三家に利の有る密約が、忠文と良文の間には交されて居た。忠文は嬉しそうに忠政に告げる。
「其方(そち)の暮しは心配要らぬ。もう少し大人に成長するまでは、忠重、三郎共々、当家にて養育致し、その後は三人共、適当なる官職に推挙致そう。」
「有難き幸せに存じ奉(たてまつ)りまする。」
自分の将来が開け、忠政は心の底から安心し、今までに無い高揚感を覚えた。他の三人は皆、話がすんなりと決まり、甚(いた)く満足気であった。

 そして話も纏(まと)まり、良文と忠舒の両名は各々の邸へ戻る旨を告げ、静かに部屋を後にした。

 この時、忠政は義父を見送りに出様としたが、忠文に無用であると差し止められた。忠文からして見れば、密約が交された以上、両家の仲睦(むつ)まじさを公然と晒(さら)す事に因(よ)って、藤原北家に警戒されるのを避けたかった様である。良文と忠舒は時を隔(へだ)て、僅(わず)かな供を連れて邸を離れ、朱色に染まる夕刻の、左京の町中へと消えて行った。

 忠政も重武と共に忠文の間を辞し、自室へと戻った。部屋に入ると、座りながら雑談をして居た三人の視線が、俄(にわか)に忠政と重武に集まる。忠政は真っ直ぐに宗弘の元へ進み、目の前に腰を下ろした。傍(そば)に居た忠重と三郎は遠慮して、少し距離を置く。

 忠政は一息吐(つ)いたが、些(いささ)か表情が曇って居る。そして、寂しさを押して話し始めた。
「宗弘には藤原忠舒様に随行し、手勢百騎を率いて、相模へ向かって貰(もら)う事と成った。そして同行する重武と共に、相州の治安回復に当たる様。我が軍三百騎の扶持(ふち)は当分の間、相模権守忠舒様より支給される。そして、」
そこまで言って、忠政は口を宗弘の耳へ近付け、小声で告げ始めた。忠重や三郎は信頼の置ける家臣であったが、忠文等があれ程慎重にして居る以上、忠政もそれに倣(なら)い、年若い二人には告げずに置いた。

 相馬軍再建の話を聞いた宗弘は、神妙に承った。大役である事を認識し、表情も険しく成って居る。

 忠重と三郎が訝(いぶか)しがって居るので、忠政は次に二人に告げる。 「我等三人は、当邸に置いて貰える事と相成った。暫(しばら)くすれば、忠文様が官人(かんにん)にして下さるそうな。よって両人には、これからも傍(そば)で支えて貰いたい。」 二人も神妙に承服したが、忠重は養父重武と離れる事と成り、物憂気(ものうげ)な様子である。そして皆で、相馬家が今までのまま存続出来た事を喜び合ったが、所領を持たぬが故に不安定さは否(いな)めず、笑顔の中にも何処(どこ)か影を落して居た。

 半月程経つと、遠く見霽(みはる)かす山々は、俄(にわか)に色付いて居た。山桜が彼方此方(あちこち)で満開と成って居るのであろう。連日の穏やかな日和(ひより)を受けて、種々の虫が活動を始め、草木も活況を呈し始める。

 その時分、洛外に藤の紋を掲げた百騎程の軍勢が、西方より到着して居た。大将は近藤忠宗である。そこへ洛中より、五十名程の一団が合流した。先導する大将は藤原忠舒である。忠宗はそれを認めると、馬を駆って忠舒の元へ赴いた。
「播磨より近藤宗弘が手勢百騎、只今到着致し申した。」
「遥々(はるばる)御苦労に存ずる。では宗弘殿、軍を掌握されよ。」
忠舒の言葉を受け、その直ぐ後方に居た宗弘が、馬を進めて前へ出る。
「兄上、御久しゅうござりまする。」
「御事も元気そうで何よりじゃ。坂東は荒くれが多く、気候も畿内や西国より、冬の寒さが厳しいと聞く。身体には留意せよ。又此度の働き次第では、御事は郡司に劣らぬ地位を得られるやも知れぬ。心して勤めよ。」
「御忠告、誠に有り難く存じまする。兄上も御達者で。ではこれにて、暫(しば)しの別れにござる。」
宗弘はそう言って兄に一礼すると、馬を走らせ、忠宗が率いて来た軍勢へ向かった。そして小隊の大将を確認すると、相模権守忠舒の警固兵として、忠舒本隊の後方に、隊列を整えた。

 ここまで忠舒に随行して、見送りに着て居た忠政以下、忠重や三郎、護衛の者五名ばかりが、忠舒の隊列から離れた。そして重武だけが、忠舒の側に残る。村岡勢二百は瀬戸内の戦(いくさ)の後、速やかに武州村岡郷へ戻して居たので、重武は今、軍勢を伴っては居ない。側近が三騎居るだけである。

重武は表情を引き締め、大声で忠政等に告げる。
「我等はこれより天下の為、相州へ下向致し申す。忠政様、そして忠重に三郎。相馬家の将来の為、確(しか)と学問、武芸に励まれよ。」
忠政は重武の目を見据え、深く頷(うなず)いた。そしてその横で、忠重が大声で答える。
「御心配には及びませぬ。義父上こそ、御身体御自愛下され。」
忠重の声に、重武は笑顔で答えた。

 やがて忠舒の指揮の下、百五十に及ぶ軍旅は、遠く箱根の難所よりも更(さら)に先、相模国国府に向けて進発した。山々は萌え始め、桜が盛りを迎える候である。坂東に到着する頃には、躑躅(つつじ)が咲いて居るであろうか。

 忠政は相模軍が見えなく成った後も、暫(しばら)く野原に佇(たたず)んで居た。思えば、重武は旗揚げ以来、無敗の強さで忠政を助けてくれた功臣である。それが遂(つい)に、我が身の傍(そば)を離れた事を認識するに連れて、忠政の心には虚無感が広がって行った。忠重が帰京を促(うなが)すので、戻る事にしたが、忠政は虚(うつ)ろな表情のまま、駒を進めて居た。

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