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第八節 初陣の時
その日の夕刻、朱色の太陽が伊予の大地に沈もうとして居る頃、忠政の陣を訪れる一団が有った。衛兵が取り次ぎ、忠政等将の元へ報告が成された。訪れたのが主典(さかん)大蔵春実と聞いて、忠政は急ぎ、ここまで案内して来る様に命じた。
忠政の陣は砂浜から背後の林に渡って展開し、小隊毎(ごと)に林の木を用いて、簡易の小屋を建てて居た。それ等の中央、林の出口に忠政の本陣が置かれて居る。忠政はそこに主典春実を迎え、又重武や忠宗、忠重といった重臣を同席させた。
林の中は日照が悪く、冬は大層寒い。坂東武者に取って、西国の冬の寒さは然程(さほど)厳しくは感じなかったが、都育ちの忠政の為に、風が入らず、火鉢で暖を取れる小屋を建てた。忠政はその小屋に主典を迎え入れ、出来るだけ粗相(そそう)の無い様に努めた。
寒風吹き付ける中、主典春実は忠政の小屋に到着した。重武が春実を上座に案内し、従者はその右手側の壁に沿って座った。忠政等は左手側、従者達の正面に着座する。春実は表情を綻(ほころ)ばせながら、目の前に置かれた火鉢に手を当てた。ある程度暖まると、春実は顔を忠政の方に向け、穏やかな口調で話し始める。
「忠政殿、折良く讃岐介藤原国風殿と同国警固使坂上敏基殿の援軍が有り、今宵(こよい)伊予へ出陣致す事と相成った。」
忠重が、「おお」と声を上げた。しかし重武に無言で睨(にら)まれ、直ぐに大人しく成る。忠政も又、俄(にわか)に心が高揚して来るのを感じた。それが闘争心なのか、将又(はたまた)恐怖心から生じた物なのかは定かでは無かったが、騒ぐ心を抑えて春実に告げる。
「愈々(いよいよ)総攻撃の時が参りましたか。我が手勢は出陣の時を待ち切れずに居りまする故、何なりと御命令下さりませ。」
しかし、春実は忠政に対して苦笑を見せた。
「其(そ)は頼もしき限りじゃ。されども今し方、好古様は我等に御命令を下された。この陣を守る様にと。」
「何と?」
忠政は二の句が継げなかった。春実は話を続ける。
「好古様は間も無く出陣される。ここには儂(わし)と其方(そなた)の二千騎が残る。共に力を併せて守り抜こうぞ。」
そう告げた後、春実は従者を引き連れて席を立った。忠政等は自陣の端まで春実一行を見送りに出たが、皆唖然(あぜん)とした顔と成って居た。
春実等の姿が見えなく成り、戻ろうと忠政が振り返ると、目の前に忠宗が立ち開って居た。そして呆然(ぼうぜん)とした様子で、後ろ髪を掻(か)きながら告げる。
「御大将に御願いの儀がござりまする。我が部隊、これより暫(しば)し休息に入りたく存ずる。」
急な事故(ゆえ)に、忠政は当惑して重武の方を見た。初春は未だ日が短い。それだのに、日暮れの交代時間を待たずに、早目の休憩を申し入れる事は、理解し難い事であった。
「御随意に。」
重武はさらりと返した。出陣を前に意気軒昂であったのが、留守を命ぜられて途端に消沈したのかと、重武には思えた。兎も角、今は少しの失態も許されない。近藤勢が突如持場を離れ始めた為、重武は休憩中の者も集めて、村岡勢全軍を守備に当てた。
*
やがて夕陽は没し、辺りが闇に覆われ始めると、讃岐の陣は俄(にわか)に慌(あわただ)しく成って居た。小野好古率いる三千の大部隊は、本陣から十町程西の海岸に兵と船団を移し、そこから海路、伊予へ向かった。船団が出航したのと同じ頃、本陣では篝火(かがりび)を盛大に灯(とも)して、何事も無かったかの様に見せて居た。
静かな夜であった。薪(たきぎ)が燃えて弾(はじ)ける音が時折聞こえるが、それがこの静寂を一層引き立たせて居るのか。もしくは夕刻に三千もの大軍が出陣し、その喧騒(けんそう)が失われた直後だからであろうか。忠政は夜空を見上げながら、その様な事を思って居た。今宵は天候も良く、満天の星空であった。北極星も煌々(こうこう)と輝き、北の方位を示して居る。しかし、夜の冷え込みは一層強く感じられた。忠政は悴(かじか)みつつ在る両手に息を吐(は)いて温め、小屋へと戻って入った。
程無く小屋に到着すると、直ぐに蒲団の中に潜(もぐ)り込んだ。何もしないで居ると、昼間、経基王に糾弾(きゅうだん)された事を思い出して腹が立つので、京を出てからここに着くまでの各地の景色を思い起して、懐かしんだ。そして何時(いつ)の間にか、深い眠りに落ちて居た。
暫(しばら)く経って、忠政の体を揺(ゆ)する者が有った。しかし忠政の眠りは深く、容易には目覚めない。
「御大将、千載一遇の好機が訪れましたぞ。起きて下され!」
声の主は近藤宗弘であった。忠政はその大きな声で漸(ようや)く起き上がった。
「何事ぞ?」
忠政は眠たい目を擦(こす)りながら尋ねた。
「伊予に攻め入った追捕使殿の軍が賊の迎撃に遭(あ)い、大敗を喫し申した。御味方は総崩れとの事にござりまする。」
それを聞いて、忠政の目は一気に覚めた。
「幕舎へ参る。」
忠政は床(とこ)から跳ね起きて、小屋の外に出た。陽は未だ昇らず、月の光が周囲を照らして居る。
幕舎に着くと、中では近藤忠宗が独り座って居るだけであった。忠政は忠宗の前に歩み寄って告げる。
「追捕使殿の軍が敗れたとか。皆で今後の対応を相談せねば。」
急(せ)く忠政に対し、忠宗はゆっくりと立ち上がり、落ち着いて答える。
「軍師殿を含め、村岡家の方々は先程歩哨の役を交代し、休まれたばかり。加えて、御大将が今仰(おお)せられし事は、怖らくは主典(さかん)殿ですら、未だ存じ上げぬ事と存じまする。」
忠政の胸中は、頓(ひたすら)慌てるのみであった。
「では急ぎ、主典殿に御報告致さねば。」
「はっ。我等近藤勢五百は、既に出陣の準備が完了して居りますれば、直ちに主典殿より許可を得て、出陣の命を御下し下され。」
「しかし、重武の意見も聞いて見たい。重武をここへ呼んで参れ。」
忠政は心細さを覚え、重武に縋(すが)ろうとして居る。忠宗はそれを察し、溜息を吐(つ)いて言上する。
「御味方大敗の様子は、ここより一里も西に向かえば、窺(うかが)い知る事が出来申す。されど、それを他より一刻も早く伝え得れば、御大将の大功と成り申そう。相馬家再興の御志有らば、迷われて居る時ではござりませぬぞ。」
その言葉は、忠政の心を強く打った。
「相解った。忠宗殿、参るぞ。」
「はっ。」
忠政は意を決して幕舎を出た。忠宗は幕舎の入口に居る弟宗弘に、小言で告げる。
「我等は主典の陣より戻り次第、出陣する。村岡殿には出陣の直前に伝え、この陣の守備に留まる様にさせよ。」
宗弘は小さく頷(うなず)いて、二人が出て行くのを見送った。
忠政等が主典(さかん)春実の陣に着くと、衛兵に呼び止められ、春実が未だ就寝中である事を告げられた。
「火急の用にござる。春実様に御目通りを。」
忠宗が険しい形相で退(ひ)く気配が無いので、衛兵は渋々、二人を春実の寝所へ案内した。
衛兵は忠政等を陣屋の外で待たせ、一人中へと入って行った。間も無く、寝巻姿の春実が、欠伸(あくび)をしながら出て来た。
「一体何事ぞ?斯様(かよう)な夜更(よふ)けに。」
春実は未だ半分眠って居る様子で、頻(しき)りに欠伸を繰り返して居る。忠政が忠宗から話して貰(もら)おうと、振り返ろうとした時、後ろから忠宗に背中を突かれた。忠政はそれが、追捕使勢大敗の第一報を自分が告げる様に勧めて居る事を察し、春実の前へ歩み出た。
「我が手の者が知らせし所に依(よ)りますれば、昨夕伊予に攻め入りし追捕使様の軍勢、賊の待ち伏せに遭(あ)い、大敗した由(よし)にござりまする。」
「何と?」
春実は敗報に仰天し、目を大きく見開いた。更(さら)に、忠宗が言葉を接ぐ。
「御味方は潰走中の由なれば、我等は至急、援軍を出さねば成りますまい。援軍が遅れたが為に、追捕使様の身に万一の事有らば、如何(いか)なる責任を問われるか分かりませぬぞ。」
春実は俄(にわか)に狼狽(うろた)え、徘徊(はいかい)し始めた。
「急にと言われても、今から出陣の仕度を整えて居ては、夜が明けて手遅れに成るやも知れぬ。如何(いかが)した物か。」
春実の困り果てた顔は、忠宗に向けられた。忠政が初陣故に不安な表情を浮かべて居る一方、忠宗は尚も落ち着き払って居る。
「されば、我等が手勢の内、五百は直ぐにでも出陣が可能にござりまする。先ずはこれを以(もっ)て、追捕使様を御助け致しに向かいまする故、春実様は出陣の準備が整い次第、後を追って下さりませ。」
冷静に答える忠宗の視線を受けて、春実の徘徊する歩調は更に速まった。春実は小野好古より、相馬軍の動きには警戒を怠(おこた)らぬ様に厳命されて居た。されども、今援軍に出せるのは、その相馬軍しか居ない。春実は彼是(あれこれ)悩み果てた後、足を止めて忠政を見た。
「相馬殿に命ずる。至急手勢を率い、援軍に向かわれよ。」
春実は遂(つい)に、相馬軍に出陣の命を下した。忠政と忠宗は力強く承知の旨を述べた後、足早に自軍へと戻って行った。
自陣に到着すると、村岡重武、忠重父子が甲冑(かっちゅう)を纏(まと)って、周囲を見回して居た。そして忠政等の姿を発見すると、急ぎ駆け寄って来る。目の前まで来ると、重武は息を切らしたまま尋ねて来た。
「今、宗弘殿より聞き申したが、伊予にて追捕使殿の本隊が敗れたとか?これより援軍に駆け付けるのであらば、是非にも某(それがし)を出陣させて下され。」
重武の後ろから、忠重もその熱意を伝える。
「御大将、初陣は共に飾る約束を、よもや御忘れでは在りますまい。某(それがし)も是非御供に。」
忠政は両名が駆け付けてくれた事を嬉しく思い、ゆっくりと頷(うなず)いた。しかしその直後、脇から忠宗が重武に尋ねた。
「軍師殿、貴殿の手勢は、出陣の準備を整え終え申されたか?」
重武は一瞬言葉に詰まったが、直ぐに声を小さくして答える。
「今、急がせて居る所じゃ。」
忠宗は表情を変えず、さらりと言葉を接ぐ。
「今こそ、相馬家再興の好機にござる。暫(しば)しの猶予も成り申さず。軍師殿は手勢を以(もっ)て、この陣を守られよ。さすれば、追捕使殿も救え、又この陣を守る任務も果せ、二重の功と相成り申そう。」
「では、忠宗殿に御任せする事と致そう。されど御大将は初陣故、大事を取って御残り戴きまする。」
重武は已むなしと、溜息を吐(つ)いて答えたが、忠宗はその視線を忠政に向けて確認する。
「ほう、御大将は残られまするか?」
「いや。」
咄嗟(とっさ)に忠政は否定した。
「此度は相馬家の興亡に係わる一戦。初陣とはいえ、総大将が行かぬ訳には参らぬ。」
重武は慌てて、忠政に翻意を促(うなが)した。
「初陣に加え、況(ま)してや夜戦とも成れば、危険は高うござりまする。もしも総大将の御身に万一の事有らば、某(それがし)は良文様に申し上げる言葉も無く、自害する外ござりませぬ。」
重武の悲痛な訴えに、忠政は躊躇(ちゅうちょ)を覚えた。しかし、忠宗は笑みを湛(たた)えながら、重武の前に歩み寄って告げる。
「軍師殿、仮に御大将に万一の事有らば、某(それがし)の所為(せい)にて、軍師殿の非に非(あら)ず。加えれば、某(それがし)は瀬戸内海においては、貴殿よりも多くの情報を得てござる。即(すなわ)ち、賊の数や位置も掴(つか)んで居りますれば、危険は殆(ほとん)どござらぬ。故に御大将に陣頭に立って戴くとは申せども、安全に勝戦(かちいくさ)を得られる物と存じまする。某(それがし)とて本家忠文様より、忠政殿の御身(おんみ)を託されし者にござる。」
重武は、何も言い返す事は出来なかった。忠政は意を固め、皆に告げる。
「忠宗は此度、追捕使殿の敗北を逸(いち)早く掴み、既(すで)に出陣の手筈(てはず)も整え、多くの功を挙げて居る。私は忠宗を信じ、行動を共に致す。」
重武は最早、それを止める事は出来なかった。代わりに忠重が、忠政の前に進み出て申し上げる。
「某(それがし)一人なれば、直ぐにでも出陣できまする。共に御連れ下さりませ。」
忠政は笑顔で頷(うなず)き、そして再び真顔と成って、諸将に告げた。
「重武は村岡勢を率いてここを守れ。私は近藤勢を率いて出陣致す。忠重、其方(そなた)には馬廻(うままわり)を命ずる。頼むぞ。」
下知が済むと、忠政は船に向かった。直ぐ後ろには忠重も付いて居る。忠宗は二人を司令船に案内し、共に乗船した。忠宗は宗弘の座乗する先頭の船に松明(たいまつ)で合図を送り、程無く続々と船が岸を離れ出した。
やがて、忠政の乗る司令船も岸を離れて始める。浜を見ると、重武が暗闇の中に独りで佇(たたず)んで居た。忠政は良文から拝領した陣扇(じんせん)を、月下に翳(かざ)して見せた。初陣の意気込みを示した積りであったが、暗くて重武の反応は分からなかった。
初陣で重武が外れる事など、予想だにして居なかった。やがて月が雲居に掛かると、辺りは急に暗さを増した。誰もが静かに時を過ごす漆黒(しっこく)の闇の中で、忠政は己の心臓だけが激しく高鳴るのを感じて居た。
半時程が過ぎた。三野郡三崎の半島を回ると、遠く伊予の方で赤い光を放って居るのが、早くも確認出来た。讃予の国境を過ぎると、紅蓮(ぐれん)の炎に照らされ、多くの船が炎上して居るのが見える。近くの海面には、数多(あまた)の躯(むくろ)が漂流して居た。
「伝え聞く地獄とは、正に斯(か)かる物ではあるまいか?」
「然(しか)り。」
忠政と忠重は屋形を出て、表情を強張(こわば)らせながら、周囲に展開する地獄絵図に見入って居た。
その時、直ぐ近くで陣太鼓が鳴り響いた。先頭の近藤宗弘率いる一隊が、船脚を速める。忠政が目を凝らしてその先を見ると、十艘程の小舟が、此方(こちら)に向かって来るのが見えた。
「あれが伊予の海賊にござりまする。突撃の命を御出し下され。」
忠宗が、背後から厳しい顔で告げる。忠政は急に言われて狼狽(うろた)えたが、脇から忠重が笑顔を見せる。
「愈々(いよいよ)でござりまするな。相馬武士の胆力、篤(とく)と拝見仕(つかまつ)らん。」
忠重は忠政より僅(わず)かに年長の分、落ち着き払って居る様子である。忠政はそれを見て、自身も冷静さを取り戻し、そして陣扇を握る右手を、前方の賊船に向けて伸ばし、叫んだ。
「蹴散らせ。」
陣太鼓の音が変わる。先手は敵船との距離が二町まで縮まり、互いに弓を射掛け始めた。
揺れる船上において、近藤軍の弓術は賊を遥かに凌駕(りょうが)した。賊船は混乱を生じ、先手と刃(やいば)を交える前に遁走(とんそう)を始めた。宗弘の手勢は更(さら)に西へ進み、本隊はそれに続いた。
各地で官軍の船が燃えて居る為、周囲はかなり明るいが、陽炎(かげろう)を生じて、それ等をはっきりと視認するのは難しかった。間も無く、再び船団を組んで動いて居る影が見えた。船の大きさから、官軍の物と思われた。忠宗は隊を其方(そちら)に向ける様に指示し、近付いて見ると、それを三十艘にも及ぶ舟が追撃して居る。相馬軍五十艘は双方の間に割って入り、賊船団に火矢を浴びせた。賊船の彼方此方(あちこち)から炎が広がり、列隊は次第に乱れ始めた。しかし賊軍も応戦を始め、相馬船団にも無数の矢が突き刺さる。両軍入り乱れての戦闘と成り、忠政が座乗する司令船にも矢が届き始めた。突然、忠政は左腕を忠重に引っ張られ、楯の陰に倒れ込んだ。刹那、司令船にも数本の矢が突き刺さった。
楯の陰から辺りを見ると、至る所で味方が敵方の船に乗り込み、白兵戦を展開して居る。初陣の忠政に、斯(か)かる残酷な光景は精神に大きな衝撃を与えた。頭の中が混乱し、屈(かが)み込んで、両手で顔を覆(おお)った。阿鼻叫喚(あびきょうかん)の渦(うず)の中、何も考えられぬまま時が過ぎて行く。時折聞こえる忠重の声が、懐かしく感じられた。
突然、忠政は肩を掴(つか)まれ、仰向けに組み伏せられた。その衝撃で我に返ったが、同時に自分を組み伏せて居るのが忠重であると判(わか)り、驚いた。忠重は目を見開き、憤怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)を呈して言う。
「総大将が斯様(かよう)な事で如何(いかが)する?忠宗殿を見よ。冷静に局面の推移を見定め、迅速に指示を出して居る。大将たる者はああで無ければ、兵を無駄に死なす愚将と成る。」
忠政は、忠重の視線の先を目で追った。そこには戦場(いくさば)を見据え、各船隊に次々と指示を飛ばす忠宗の姿が在った。
「其方(そなた)の手に在る父より授かりし陣扇。かつての持ち主は、斯様(かよう)に卑怯(ひきょう)な真似(まね)はせなんだ。坂東武者の矜持(きょうじ)を抱け!鬼神と畏怖された将門公の片鱗を見せよ!」
そして忠重は、忠政から手を放して立ち上がり、更(さら)に言葉を接ぐ。
「其方(そなた)がここで崩れる様であれば、其方の母御と妹御等は救われず、今生の再会も叶(かな)うまい。」
その言葉は忠政の心を強く打ち、再起の気力を与えた。忠政はゆっくりと立ち上がり、忠重と向かい合う。その瞬間、忠政は左肩に冷たい物を感じたが、それは直ぐに熱く感じられる様に成った。見れば矢が一本、甲冑(かっちゅう)に突き刺さって居る。矢は浅くではあるが、忠政の腕まで達して居た。
「御大将。」
それを見た忠重は大声を上げ、急いで楯の陰に忠政を座らせた。そして、肩に刺さった矢を抜き取り、甲冑と上衣を脱がせた。露出した上腕からは夥(おびただ)しい出血が有り、紐(ひも)を用いて腕の付け根を縛り、止血を施した。応急処置を済ませると、二人は揃って溜息を吐(つ)いた。そして忠重は忠政を見詰め、掠(かす)れた声で告げる。
「御大将が立たねば、この矢は某(それがし)の胸を貫いて居った。御大将には命を救われ申した。」
忠政は忠重の言葉を心地好く感じ、それは腕の痛みを和(やわ)らげた。忠政の心は和(なご)み、穏やかに成った顔を忠重に向ける。
「礼を申すのは私の方じゃ。忠重は、恐怖に押し潰(つぶ)され掛けて居た私の心を救ってくれた。」
二人は互いに見詰め合い、そして莞爾(かんじ)と微笑んだ。
辺りでは多数の兵が傷つき、倒れて居る。忠政は恐怖心を克服し、それ等の惨(むご)い光景に目を向けた。将来は一軍を指揮出来る能力を備える必要が、忠政には有った。忠宗の采配は、味方に隙を作らず、敵を巧みに崩す見事な物で、実に勉強に成る。
暫(しば)し相馬軍は、忠宗の采配にて陣容を崩さず、形勢は相馬軍の有利が続いた。しかし賊船一艘が果敢にも、突撃を敢行して来た。将は勇猛で、無数の矢を刀で払い除(の)けて居る。やがて敵将は、忠政の乗る船の目の前にまで達し、大声で叫んだ。
「某(それがし)は前(さきの)山城掾(やましろのじょう)藤原三辰が郎党、豊田利光と申す。此度は見事な采配を拝む事が叶(かな)い、感服仕(つかまつ)った。願わくば、大将の御名(おんな)を御聞かせあれ。」
それを聞いた忠重は、勇んで船上を駆け、豊田利光の船に飛び移った。利光の船は未だ三名の武者が健在であったが、利光は己(おのれ)の後ろに下がらせた。そして、静かに忠重を見据える。忠重も利光を睨(にら)みながら、名乗った。
「某(それがし)は武蔵の豪族村岡重武の子、忠重と申す。此度は勅命を奉じ、主君平忠政に従い、伊予に参上致した。」
忠重は得意気な顔をして見せたが、一方の利光は、怪訝(けげん)そうに尋ねる。
「平姓とは、もしや右馬介貞盛殿か、あるいは常陸介良文殿の一族か?」
「いや。相馬御厨(みくりや)将門公が遺児、小次郎忠政様じゃ。我等が船団に掲げられし繋ぎ馬の旗が、目に入らぬか?」
「何と、相馬家は征東軍に敗れ、一族鏖(みなごろし)と成ったのでは無かったか?」
利光はかなり狼狽(ろうばい)した様子である。その時、相馬軍船に忠政が姿を曝(さら)け出して、利光に向かって叫んだ。
「私が平忠政じゃ。豊田利光に告ぐ。我等はかつて、一族誅滅(ちゅうめつ)の難に遭(あ)い掛けはしたが、朝廷に忠誠を誓う事により、恩赦を受けるに至った。その方等も今は賊の身なれど、朝廷に帰順し、乱の鎮定に協力致さば、必ずや九族に渡り救われる事であろう。」
利光はそれを聞いて大いに笑い、大声で忠政に答えた。
「噂(うわさ)に名高き相馬軍と手合せが叶(かな)いし事、実に光栄な事でござる。某(それがし)、これより陣に戻りて、我が主君に忠政殿の御言葉を伝えとうござる。」
「相解った。囲みを解く故、陣に戻りて大将とよくよく話すが良かろう。」
「有難く存じまする。」
忠政に礼を述べると、利光は振り返って、忠重に小声で告げた。
「小僧、命拾いしたな。」
利光は不敵な笑みを浮かべると、忠重を下ろすべく、相馬軍船の脇に付けた。忠重の怒りが心頭に発すると同時に、味方の兵に腕を引かれて乗り移り、直ぐに利光の船は離れて行った。利光は悠々と戦線を離脱し、それに倣(なら)って他の賊船も、撤退を開始した。忠重は口惜しさに、歯噛(はが)みする他無かった。
豊田利光の船隊を見送る忠政の肩を、ぽんと叩く者が有った。振り返って見ると、近藤忠宗が穏やかな眼指しで、忠政を見て居る。そして一言、忠政に告げた。
「理想的な決着の付け方でござる。友軍を救えた以上、更(さら)に死闘が続く様であれば、我が軍の被害は、某(それがし)の想定を超える所でござった。御大将の功にござりまする。」
それを聞いた忠政は、はにかんだ面持ちに成って返す。
「いや、軍功の大半は忠宗殿の見事な指揮による物。貴殿が我が陣営に居りし事、実に頼もしき限りじゃ。それより、先程助けた味方船団の将に会いに行こうぞ。追捕使殿の居場所が判るやも知れぬ。」
「承知致し申した。」
そう答えると、忠宗は素早く自軍船団の統率に移った。
相馬軍団は船上で松明(たいまつ)を掲(かか)げ始め、間も無く彼方此方(あちこち)で、闇の中から繋ぎ馬や九曜の紋の描かれた旗が浮かび上がった。その明かりに照らされ、先程敵の手から逃げ果せた官軍の船団が、近くの岸辺に待機して居るのが見えた。相馬軍船は隊列を整え、その一群に向かって艪(ろ)を漕(こ)ぎ出した。
相馬軍船が僚船に接近すると、将らしき武者が此方(こちら)に手を振って居るのが見えた。忠政の乗る司令船をその船の脇に寄せると、その将が判官藤原慶幸である事が判(わか)った。先程から頻(しき)りに手を振り、船団を近くの入江に収容する事を勧めて居る。既(すで)に付近に敵影は無く、風が些(いささ)か強まって居る様に感じたので、忠政は忠宗と諮(はか)り、慶幸の勧めに従う事とした。
相馬軍に判官勢が合流し、その入江に停泊すると、両将は共に船を下り、砂浜にて対面した。忠政の護衛は未だ誰も、目立った傷を負って居ないが、慶幸の兵は殆(ほとん)どが、何処(どこ)かしらに傷を負って居るのが見て取れる。そして忠政の背後に立つ忠宗が、先ず口を開いた。
「一体、何が起ったのか、御聞かせ願えませぬか?」
今まで笑顔を覗(のぞ)かせて居た慶幸の表情は、途端(とたん)に暗い物に成った。そして溜息を吐(つ)いて天を仰ぎ、か細い声で話し始めた。
「実を申さば、ここより二里程西の新居の浜にて、賊の待ち伏せに遭(あ)い申した。味方の陣形は崩され、又地理にも不案内であった故、好古殿は終(つい)には、全軍退却の命令を出すに至り申した。儂(わし)も手勢を纏(まと)めて、讃岐を目指したのでござるが、敵の包囲を受け申した。火矢を射掛けられながらも血路を開き、敵船を振り切ろうとした所、貴殿の軍勢に助けられた次第でござる。」
そう言うと、慶幸は再び溜息を漏らした。忠政は不安気な表情で、慶幸の方へ一歩詰め寄って尋ねる。
「して、小野様と王が今何処(いずこ)におわされるかは、見当が付きませぬか?」
「うむ。最も東側に居た我等が、辛うじて助かった事を慮(おもんばか)れば、両公の助かる道は、伊予に上陸して陸路東を目指して居られるか、あるいは北方の備後国に逃れたか。儂(わし)は前者であると思うのだが。」
慶幸はそう言って、西南の陸に目をやった。
突如、近藤宗弘が忠政の元に現れて進言した。
「御大将、何時(いつ)賊の本隊が現れるやも知れませぬ。ここに長居するは些(いささ)か危険かと存じまする。急ぎ東へ戻るが得策ではありますまいか?」
しかし、その言を兄の忠宗が否定した。
「いや。我等がここまで来たのは、偏(ひとえ)に追捕使好古公を御助け致す為。味方の多くが伊予の陸を彷徨(ほうこう)して居る様なれば、我等はここに留まり、御味方を救うべきかと存ずる。」
確かに宗弘の言う通り、制海権を海賊が握る今、早急に撤退せねば、退路を断たれる怖れが有る。しかし官軍の本隊を救出出来れば、その功は甚(はなは)だしく大きい。又、伊予をさ迷う三千の官兵を再び味方に加えるのと、見捨てて悉(ことごと)く敵に討たれるのとでは、今後の戦況の推移に大きな差が生ずる事は、誰の目にも明らかである。
相馬方の将と判官方の将は、運命を共にして居る事も有り、互いに意見を述べ合い始めた。暫(しばら)くは決断が下らぬまま、議論が続けられて居た。斯(か)かる中、突然味方の兵の叫ぶ声が聞こえた。ふと声の元の方へ目をやると、傷ついた官兵が五人程、浜を歩いて此方(こちら)に向かって来るのが見えた。判官の兵が数名、彼等に駆け寄り、肩を貸して居る。その光景を見て忠政は、救える命が少なくない事を感じた。そして、判官慶幸の前へ歩み寄って進言する。
「やはりここは動かず、御味方の救助に当たるべきかと存じまする。我等はこの地に陣を張ろうかと存じまするが、判官様は如何(いかが)思われまする?」
慶幸は些(いささ)か驚いた表情をした。忠政は若く、実際の指揮権は近藤水軍の領袖、忠宗に有る物と思って居たからである。忠宗は忠政に指揮権が有る言動を示すも、それを諌(いさ)める様子は無い。忠宗も同じ考えである故か、もしくはこの小さな少年が本当に指揮権を掌握して居るのか、慶幸は当惑しながらも、忠政に自身の考えを告げた。
「我が手勢は今でこそ、百騎程しか残って居らぬ。されど、先刻船を沈められた者を纏(まと)め得るのであれば、我が手勢は五百を超えるにまで回復致す。そう成れば、相馬殿と併せて千騎。充分に好古卿を御助け出来る兵力にござる。よって我等も、ここに留まる事と致す。」
忠政は、慶幸が己の方針に賛同してくれた事を嬉しく思い、あどけない笑顔を見せた。そして、更(さら)に一つの策を示す。
「では、篝火(かがりび)を盛大に焚(た)いて、御味方に我等がここに在る事を、確(しっか)りと示し申そう。又そうする事に因(よ)って、敵に大規模な援軍が到着した物と誤認させ、賊の夜襲を防ぐ効果も有る物と存じまする。」
成程、と慶幸は思った。この歳にしては頭の回りが良い。加えて、常陸介平良文や参議藤原忠文が支援して居るとあらば、将来の事を考えるに、無駄に相馬と不仲に成る事も無い。それは近藤家も同様なのであろうと、慶幸は考えた。そして、家臣に命じて辺りの地形を調べ、相馬軍と共に布陣の協議に入った。
夜が明けるまでに、慶幸の元に復帰した将卒は、凡(およ)そ五百に達した。しかし多くの者は負傷し、戦え得る者は百騎程に過ぎなかった。
陽が昇り、瀬戸内の海面が俄(にわか)に輝き始めるのと同時に、相馬軍の陣容の脆弱(ぜいじゃく)さも又、露呈され始めた。多くの負傷兵を松林の中に隠すと、残りは近藤水軍を主力とした六百の水兵しか居らず、友軍が健在でなければ、直ぐにでも滅ぼされ兼ねない状況である。近藤忠宗は斥候を出し、官軍本隊の情報を調べさせた。
*
睦月の気候は、南国伊予と雖(いえど)も未だ寒い。忠政はその夜の冷え込みに加え、昨夜の地獄の光景が脳裏(のうり)から離れず、中々寝付けなかった。かなりの疲労は感じるが、本陣の床几(しょうぎ)に座り、只惚(ほう)けて居た。入江の砂浜に、松林を背にして布(し)いた陣からは、両側に突き出た丘に遮(さえぎ)られて、僅(わず)かに海を望む事しか出来ない。本陣には他に、藤原慶幸と近藤忠宗が今夜の方針を相談して居るのと、加えて隅の方の席では、村岡忠重が仮眠を取って居た。
漸(ようや)く忠政がうとうととし掛けた時、近藤宗弘が急ぎ本陣に入って来て、兄忠宗と慶幸に報告した。
「申し上げまする。西方三里程の処にて小野様、王の軍勢を発見。千五百程の兵を伴って居るとの由(よし)にござりまするが、現在賊の追撃を受けて居る様でござりまする。」
報告を受けて忠宗は、直ちに立ち上がった。
「おお、御健在で在られたか。では急ぎ追捕使様の元へ合流し、御救い致す事としようぞ。」
そう言うと、忠宗は未だ呆然(ぼうぜん)として居る忠政の前に歩み寄り、粛然と告げた。
「御大将、出陣の号令を。」
突然の事に忠政は狼狽(ろうばい)し掛けたが、辛うじて追捕使発見の報が頭に入って居たので、直ぐ様立ち上がって号令を下した。
「これより、追捕使小野好古様の軍と合流致す。全軍、西へ向けて出陣。」
そう告げながら、陣扇の先を西の彼方に向けた。寝惚(ねぼ)け眼であった忠政が、判官慶幸の手前、正しく号令を下せたのを見て、忠宗は安堵の溜息を吐(つ)いた。慶幸は幼い総大将を戴く相馬軍への不安感を払い、本隊と合流すべく、行動を共にする動きを見せ始めた。
やがて、隊列を整えた相馬、藤原連合軍は、全ての明かりを入江の陣に残し、闇夜を静かに西へ進み出した。被害の少ない相馬軍が先陣と成り、負傷兵の多い藤原軍は後詰(ごづめ)を務めて居る。又藤原軍の内、負傷者は残った船に乗せて、東方讃岐の陣へ戻した。
夜の海辺を、一千騎に近い軍勢が動いて居るが、海砂が馬蹄の響きを押し殺し、意外な程静かに感じられた。時折馬の嘽(いな)く声が聞こえるが、それ等も波の音に掻(か)き消されそうである。
相馬軍は水陸に兵を分けて進んで行く。敵の水軍を敗る事が出来れば水路悠々と帰還できるのだが、もし賊の水軍に敵(かな)わない場合、船団を諦(あきら)めて、全軍陸路で退却せねば成らない。その場合、形勢不利な官軍は、多大な犠牲が出る事が予想される。
忠政は養父良文より拝領した黒駒に跨(またが)り、陸路を西へ進んで居た。その前を近藤忠宗が行き、後ろには村岡忠重が付いて居る。馬上の揺れが心地好く、再びうつらうつらとし始めた忠政に、後方から忠重が声を掛けた。
「御大将、愈々(いよいよ)夜が明けまするぞ。」
はっと、忠政は目を覚ました。そして、頭を擡(もた)げて忠重の方を振り返ると、東の彼方が白み始めて居るのが確認出来た。
刹那、忠政の心底に再び恐怖心が台頭した。周囲は次第に明るく成る。近く、この大部隊の存在が敵に知れる事は、容易に想像が付く。ここは既(すで)に、賊が根城とする伊予国(いよのくに)。敵は如何程(いかほど)の兵を擁して居るのか。不安が留処(とめど)無く、忠政の胸を過(よぎ)る。忠政は再び振り返って、忠重に尋ねた。
「忠重殿、追捕使殿の軍勢を発見した処まで、後何(どれ)位掛かるのか?」
忠政の不安気な表情を見て、忠重は微(かす)かに困惑したが、直ぐに笑みを作って返した。
「然様(さよう)、間も無く斥候が発見の報を持ち帰った辺りに入ると存じまする。御大将、相馬家興亡の一戦と成りましょうが、万一武運拙(つたな)く敗れ様とも、未だ父重武が無敗の村岡軍団を擁して健在なれば、必ずや援軍に駆け付け申そう。故に最後まで諦(あきら)めなさらぬ事が肝要にて、今から斯様(かよう)な不安顔をされて居ては、勝てる戦も勝てなく成り申そう。もそっと大将らしく、大きく構えて居なされ。」
忠重の笑顔を見、言葉を聞き、忠政の心は漸(ようや)く軽く成った。その時、斥候の一人が慌(あわ)てて忠宗の前に駆け付け、息を切らせたまま跪(ひざまず)く。
「申し上げまする。ここより十町程西の林の中にて、官軍と賊軍が交戦して居り申す。御味方の旗は、追捕使様の物にござりまする。」
報告を聞くと、忠宗は兵に犒(ねぎら)いの言葉を掛け、元の隊へ戻した。そして辺りを見渡し、三人の伝令を呼んだ。
伝令の一人には、水軍を指揮する弟、近藤宗弘への指示が伝えられた。敵が近くに居る為、半里後方の入江にて身を潜(ひそ)めて居る様にとの指示である。もう一人には、後詰(ごづめ)の藤原慶幸に敵の居場所を報せた上、警戒を促(うなが)す様に命じた。そして、最後の一人には耳打ちにて伝え、その兵は戦場(いくさば)と成って居る方向の、林の中へ消えて行った。
近藤忠宗は振り返って全軍を見渡し、大声で告げた。
「これより突撃を敢行する。怖らく敵は、伊予海賊団の主力に相違無い。厳しい戦いが予想されるが、怯(ひる)む勿(なか)れ。この一戦にて、追捕使小野好古公を御助けし、海賊共の主力を粉砕せしめれば、我等の名声は海内に響き渡り、一門の栄達も望めようぞ!」
近藤水軍はそれを受けて、一斉に咆哮(ほうこう)した。忠宗は陣扇を林の奥に向け、兵の声に消されぬよく通る声を上げ、全軍に指令を発した。
「総軍、前進。」
相馬家繋(つな)ぎ馬の旗を最前列に掲(かか)げ、相馬軍は静かに前進を始めた。近藤忠宗は前軍に入る。最初に遭遇するのが官軍か、それとも海賊か。よくよく見極めて攻撃の指示を出さねば成らぬ為である。総大将平忠政は村岡忠重を伴い、後軍に入った。夜明けと雖(いえど)も、林の中は未だ暗い。忠政は何時(いつ)敵と遭遇するか分からぬ緊張の中、慎重に林の中を進んで行った。
五町程進んだ処で、先鋒隊は複数の人影を発見した。忠宗が前に出て、目を凝らして見ると、負傷した官軍の兵達である。向こうも此方(こちら)に気付き、動揺して居る様子を示したので、忠宗は大声で呼び掛けた。
「我等は官軍の将、平忠政の軍勢にござる。追捕使様の危急を聞き、援軍に駆け付けに参った。追捕使様の所在を教え給(たも)れ。」
それを聞いて、兵達は忠宗の元へ駆け寄り、切れた息を整え様としながら報告する。
「我等は経基王殿下の兵にござりまする。殿下は追捕使様と共に行動されて居り申した故、怖らくここより五町と離れぬ、西南方におわされましょう。」
忠宗は頷(うなず)き、自軍本営の在る浜の位置を敗残兵に伝え、そこへ逃れる様に告げた。そして、再び軍を西南方、林の奥へと進めて行った。
陽は次第に高さを増し、鬱蒼(うっそう)とまでは感じない、間隔の空いた木々の間からは、陽光が燦々(さんさん)と照り付け始めた。ふと、先鋒隊の兵が何か物音を聞いた。忠宗は全軍に身を低くする様に命じ、そっと前方の藪(やぶ)に取り付いた。そして藪を掻(か)き分け前進すると、藪の切れ目の向こうに再び人影を見た。よく見れば、官軍が何者かと交戦して居る。相手は一見、簡易な具足を纏(まと)っただけの漁師の様だが、怖らくあれが海賊なのであろう。そう思った忠宗は、後軍に敵発見の報を伝えさせ、藪の中で静かに抜刀した。周囲の、味方の士気が高まって居るのを確認すると、刀を敵勢に向けて伸ばし、大声で叫んだ。
「突撃!」
藪の中から鬨(とき)の声を上げた一軍が、続々と海賊目掛けて斬り掛かった。海賊達は不意に側面から急襲を受け、混乱に陥った。
前方から鬨の声が上がったのを後陣で聞いて居た忠政は、唾(つば)を飲み込むと、脇に居る忠重に視線を向けた。
「愈々(いよいよ)にござりまするな。」
忠重は微笑(ほほえ)みながら答えるも、その眼は殺気立って居た。やがて前方からの伝令が、後陣に届けられた。
「敵発見、全軍突撃!」
それを聞いて兵達は次々と駆け出し、前の者が切り開いた藪の中へ突進して行った。
直ぐに忠政と忠重も、前の兵に続いて藪の中へ駆け入った。藪を抜けると、視界が開けた林の中で、味方が有勢と成って敵を崩して行くのが見える。忠政は一計を案じ、近くに居た法螺貝(ほらがい)を持つ兵を五名程呼び止め、一斉に吹かせた。その大音は山野に谺(こたま)し、味方には援軍の到着を知らせ士気を高め、逆に敵には大きな動揺を与えた。追撃を受けて居た官軍も、敵の潰走を見て、再び反撃に出た。
忠政等は先鋒に追い付くべく、再び前進を開始し様とした。その時、十名程の一団が、忠政の元へ歩み寄って来るのが見えた。よく見れば、追捕使小野好古以下、追捕副使経基王、讃岐介藤原国風、讃岐国警固使坂上敏基の姿が在った。忠政は彼等の方へ駆け付け、好古の前で片膝を突き、礼を執った。
「将軍の下知を受けずに兵を動かしましたる段、何卒(なにとぞ)御許しの程を。」
「いや、臨機応変なる用兵は孫子にも通ず。此度の事は功と成れども、罪に問われる事は無し。」
好古の表情は、緊張が残りつつも和(やわ)らいで居た。忠政はそれを見て安堵し、一つの提案を示した。
「我等はここより十町程北東の浜に、水軍を待機させて居りまする。されば、これよりそこへ赴き水軍と合流し、讃岐に戻りて陣を立て直すが良策かと。」
「然様(さよう)か、では案内してくれ。」
若輩の忠政の提案に、斯様(かよう)にあっさりと同意するとは、忠政自身、意外な事に感じられた。又、先にあれ程己を誹謗中傷した経基王も、只黙って従って居る。その様子から忠政は、怒りよりも不思議さを覚えた。忠政は後陣の兵十余名と官軍の負傷兵を加え、二百の集団と成って浜へと戻った。忠重は兵の一人に、この次第を忠宗に知らせる様命じ、前線へと送った。そして忠政の供に戻り、その一団は戦場(いくさば)を離脱して行った。
*
海辺では近藤宗弘が、兄の指令に従って水軍を入江に移し、周囲の防備を固める為に、柵や土塁を築いて居た。藤原慶幸は動ける兵を指揮して、この作業に協力して居た。そしてふと、西方の林から数百にも及ぶ兵団が現れたのを認め、周囲の兵に備える様命じた。突如として、陣営には緊張が走ったが、間も無くその軍勢が官軍旗を掲(かか)げて居るのが確認された。その中から一騎、村岡忠重が伝令として、先に陣へ乗り込んで来た。
「村岡忠重にござる。守将は何処(いずこ)におわされる?」
馬上より大声で叫ぶと、丁度(ちょうど)直ぐ側に居た慶幸が現れて、尋ね返した。
「何事か?」
忠重は慶幸の姿を見付けると、馬を下りて言上する。
「追捕使小野好古様以下、御帰還遊ばされ申した。御出迎え下さりませ。」
「何と、好古様は御無事で在られたか。」
慶幸はその報せに驚喜し、十名ばかりの兵を伴い、勇んで迎えに出て行った。一方で忠重は、辺りの者に宗弘の居場所を尋ね、再び騎乗して走り去った。
陣を出た判官慶幸は、配下を整列させて立たせ、小野好古の一団に対して礼を以(もっ)て迎えた。好古は先頭と成って着陣し、慶幸の前で立ち止まった。
「右衛門尉(うえもんのじょう)、其方(そち)も無事で在ったか?」
「ははっ。好古様も御無事で、何よりでござり申した。」
二人は笑顔で再会したが、直ぐにその表情に翳(かげ)りが見え始める。
「我が別動隊は半数を失い、その内多くの兵が負傷して居り申す。本隊は如何(いかが)相成られたのでござりましょうや?」
好古はその問いに顔を顰(しか)め、慶幸から眼を背けた。
「陣にて話を致そう。」
そう呟(つぶや)いて、陣中へ進んで行く。慶幸は慌てて好古の側へ駆け寄り、陣の中を案内した。官軍約二百の将兵は、続々と陣の中へ入って行く。されどその多くは傷付き、陣内の士気は鈍(にぶ)るばかりであった。
本陣では近藤宗弘が座り、村岡忠重から報告を受けて居る。宗弘は追捕使救出の報に一旦は胸を撫(な)で下ろしつつも、やはり純友水軍本隊の反攻が気に懸かって居た。そこへ藤原慶幸に導かれ、小野好古ら官軍の将が幕中に入って来た。宗弘達はそれに気付くと、慌てて隅に身を退き、礼を執った。小野好古は宗弘の前で歩みを止め、顔を宗弘の方へ向けて尋ねる。
「其処許(そこもと)が当部隊の将か?」
相手が官軍の総師である故に、宗弘は近藤家の代表、又相馬平家の一将として、敗軍の将の勘気を蒙(こうむ)らぬ様に注意を払った。そして神妙に答える。
「近藤忠宗が弟、宗弘と申しまする。兄が出撃の間、当水軍の将を代行してござりまする。」
「然様(さよう)か。されば軍議に加わるが良い。其処許(そこもと)に尋ねたき事も有る故。」
「はっ。」
宗弘の重い声を聞くと、好古は再び歩き出して、上席に腰を下ろした。上座から順に追捕副使経基王、判官藤原慶幸が座った。そしてその次に座ろうとした将を、好古は左掌(てのひら)を伸ばして制し、後方に待機する将に向かって呼び掛けた。
「平忠政殿、近藤宗弘と村岡忠重を伴い前へ。」
それを聞いた忠政は、狼狽(ろうばい)しながらも中へ進み、好古が示した席へ腰を下ろした。そしてその後方の床几(しょうぎ)に、宗弘と忠重が座った。
周囲は俄(にわか)に騒つき始めた。忠政と忠重は未だ齢(よわい)十代の前半にして、到底軍議に加われる歳ではないと思われた。しかし好古は、官軍の主力が大打撃を受けた今、戦況を挽回する為には、相馬軍の兵力が絶対不可欠であると考え始めて居た。
*
近藤忠宗の手勢が伊予海賊と交戦して居る最中、宗弘の陣では官軍の軍議が行われた。先ず、追捕使好古が諸将への宣布を行った。
「此度、我が軍は賊の奇襲を受け、手痛い打撃を被(こうむ)った。危うき所ではあったが、忠政殿の援軍を得、斯(か)かる窮地(きゅうち)を脱する事が出来た。忠政殿は讃岐守備の軍令を犯(おか)せども、官軍本隊を救った功は大きく、一切の罪は問わぬ事とする。各々(おのおの)方、宜しいかな?」
諸将は一斉に、承服の意を示した。
続いて、自軍の損害と敵兵力の報告が有った。藤原慶幸率いる別動隊は一千の内半数を失い、本隊二千も又、帰還したのは僅(わず)かに二百程である。出発時三千騎を誇(ほこ)った軍旅は、この一戦で七百に減って居た。讃岐守備隊二千の内、近藤水軍五百が援軍に駆け付けた為、現在伊予に在る兵力は一千二百である。されど、その殆(ほとん)どは傷付いて居た。一方、別動隊を襲った敵水軍は、昨夜近藤水軍が粗方(あらかた)殲滅(せんめつ)したが、本隊を襲撃した敵勢は、視界の利かぬ林の中故、その数を把握出来ぬという。官軍首脳の苛(いら)立ちは、未だ海賊の規模を性格に掴(つか)めぬ所に在った。
昨夜の水戦の報告を聞いて、忠政はふと左肩に受けた矢傷を思い出した。膏薬(こうやく)を塗って布で患部を縛(しば)り、止血をしたが、思い出すと再び鋭い痛みが襲って来る。忠政は都に帰りたいという気持ちに駆られ掛けたが、国賊の子と虐(しいた)げられて居た頃を思い起せば、今では身分の有る将軍から賛辞の言葉を戴くに至って居る。そう考えると、都に戻りたいという気持ちも、自然と薄れて行った。
やがて軍議は、今後の方針に就(つ)いての論議に移った。諸将の大半は、即時撤退を主張した。敵地奥深くにて惨敗を喫したばかりなだけに、ここに留まる事は非常に危険であると、誰もが感じて居た。軍議の趨勢(すうせい)を見計らって経基王が立ち上がり、隣の小野好古に進言する。
「好古殿、諸将が申される様に、今と成っては早急に退却せねば危のうござる。敵の水軍は未だ現れて居りませぬ故、今なら讃岐への海路が開いて居り申す。」
そして忠政へ視線を移して、冷淡な口調で告げる。
「忠政殿、官軍の内健在であるのは、其方(そち)の手勢だけじゃ。殿軍(しんがり)を務め、我等が無事讃岐へ戻れる様に致せ。」
忠政は、経基王の冷やかな視線を受けて当惑した。そこへ透かさず、経基王は声を幾分荒げて、詰問するかの様な言葉を浴びせて来た。
「ほう、返事をせぬという事は、其方(そち)の心底はやはり、官軍に楯突いて居るか?」
「その様な事はござりませぬ。」
忠政は困惑窮(きわ)まり、無意識に立ち上がって反論した。その時、好古が手を伸ばして、二人の動きを制した。両者共口を閉じて座ると、好古は忠政の先に視線を向けて尋ねる。
「近藤宗弘殿、其処許(そこもと)は瀬戸内に通ずる者と聞く。この現状から其処許は、如何(どう)するべきと考えるか?」
諸将の眼が宗弘に集中するが、宗弘は冷静さを保って答える。
「はっ、追捕副使様が仰せられ申した様に、確かにこの地に留まるは、河を背にして陣を布(し)くが如しと存じまする。」
それを聞いて諸将は表情を緩(ゆる)ませ、経基王は笑みを浮かべた。好古は重ねて問う。
「ではやはり、急ぎ退却すべきであるか?」
宗弘は好古を見据える。
「其(そ)は追捕使様の御覚悟次第。敗残の兵を纏(まと)めず撤退しては、今後兵卒の数が足りなく成り、再び伊予へ攻め入る事は、当分の間叶(かな)いますまい。」
それは、好古も懸念して居た事であった。ここで撤退すれば、暫(しばら)くは乱平定の目処(めど)が立たなく成り、朝廷から更迭(こうてつ)される怖れが有った。好古は宗弘に一歩詰め寄る。
「ではここに留まった後、勝利を収める算段は有るのか?」
「其(そ)は、必勝とは申せませぬが、必ず負けるとも申せませぬ。」
「具体的に申せ。」
「我が兄は忠政様の御力添えを得て、賊方の大物に調略を仕掛けて居りまする。我等がここで善戦致さば、必ずやその者は投降し、伊予は容易に平定される事でござりましょう。」
好古の表情は俄(にわか)に明るく成り、諸将もそれを聞いて期待の声を上げた。しかし経基王は、冷静に宗弘に質(ただ)す。
「その調略を仕掛けた者とは、何者か?」
宗弘は、暫(しば)し沈黙した後に答えた。
「存じ申さず。」
「何と?」
辺りは再び騒(ざわ)つき始めたが、宗弘は依然沈着として話を接ぐ。
「兄忠宗が行い居る事にて、某(それがし)にも仔細は明されては居りませぬ。見込みの程を判断出来得るのは、兄のみにござりまする。」
諸将はそれを聞いて唖然(あぜん)としてしまった。沈黙の中、やがて経基王が笑い声を上げた。
「これでは話にも成らぬわ。好古殿、ここは退却の他有りませぬぞ。」
しかし好古は熟考を続け、経基王の言葉には反応を示さない。
やがて好古は決断を下した。
「近藤左衛門尉(さえもんのじょう)殿は先程、賊軍への奇襲に成功し、敵を押し戻して居った。敵も我等に伏兵が有る事を知り、容易には攻めて参るまい。先ずは左衛門尉殿が戻るのを待つ事と致そう。」
諸将は承服の意を示すも、皆表情は曇って居た。
陣の配置も決まり、軍議は終った。忠政は宗弘、忠重を伴い、自軍へと戻って行く。忠政や忠重に取って、官軍本営の深刻な局面における論議を聞くのは、初めての事である。共に、兵事に関し多くを学べたと、満足感に浸(ひた)って居た。
突如、北東より強い寒風が吹き付けて来た。
「風が出て参りましたな。」
宗弘が表情を翳(かげ)らせて言った。
「うむ。」
忠政は何気無く返したが、宗弘は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて呟(つぶや)いた。
「海路を退くは難しゅう成り申した。讃岐へ戻るには強い向かい風となり、殆(ほとん)どの軍船は、操舵の巧みな海賊の餌食(えじき)と成り申そう。追捕使様が先刻退却を命じて居れば、怖らくは今頃、賊の虜(とりこ)と成って居られた事でありましょう。」
「そうであったか。」
忠政は平然と頷(うなず)いた。しかしよくよく考えて見れば、援軍の頼めぬ敵地に孤立してしまった事を悟り、次第に恐怖心が込み上げて来た。
(父上なれば、斯(か)かる事態を如何様(いかよう)に処されるのか?)
かつて父の将門は、平国香、良兼、良正、源護(みなもとのまもる)等連合軍の侵略を受けながらも、終(つい)にはそれ等の勢力を撃退し続けて来た。その勇姿は、幼き頃豊田館(とよだのやかた)にて、幾度か目(ま)の当りにした記憶が有る。忠政はふと、昔の事を思い出して居た。
(母上、兄上、妹達、未だ何処(いずこ)の地にて生き存えて居られるのか?)
母兄妹の事に想いが及ぶと、生きて手柄を立てて帰り、再び皆が揃(そろ)って暮らせる日が来る様に励まねば成らぬ。そういう気持ちが起って来るのを、小さき武者は感じて居た。