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第七節 讃岐の陣
昼前には部隊の再編が完了し、忠政の隊は海路備後を目指して出航した。空は雲が疎(まば)らで、風も穏やかである。昨夜に比べ随分と乗り心地が好く、忠政は再び鎧(よろい)を外そうとした所、後ろから突然大きな声が聞こえた。
「成りませぬ。」
忠政は驚駭(きょうがい)して後ろを振り向くと、重武が顔を顰(しか)めて立って居る。
「これより三備地方。即(すなわ)ち、何時(いつ)敵が現れてもおかしくはない海域に突入致し申す。鎧を外して、不意に敵の矢を受けるが如き事有らば、一大事にござりまするぞ。」
重武の形相(ぎょうそう)に、忠政は慌てて緩(ゆる)めた肩の紐(ひも)を、きつく結び直した。
愈々(いよいよ)戦場(いくさば)に近付き、皆張り詰めた表情をし始めた。忠政一人が戦(いくさ)を知らず、皆から取り残されて居る様な気持に成った。昼間は視界も良く、同道する五十艘の船団が頼もしく見える。しかし陽が傾き、辺りが闇に包まれ始めると、次第に言い様の無い不気味さを、忠政は感じ始めた。
その不安は、間も無く一気に消し飛んだ。前方備中の陸に、追捕山陽道使の大陣営が篝火(かがりび)を盛大に炊き、夜空を煌々(こうこう)と照らして居るのが見え始めた。陣営に近付くと、十艘程の船団が此方(こちら)へ向かって来た。よく見ると、兵は此方を目掛けて矢を番(つが)え、臨戦態勢に入って居る。忠政は驚愕(きょうがく)して立ち竦(すく)んだが、知らぬ間に自軍司令船に掲げられた白旗を見た先方が、大声で問い掛けて来た。
「我等は山陽南海両道凶賊追捕山陽道使小野好古公の配下なり。その方等は何者ぞ?」
それを受けて重武が司令船の船首に立ち、此方も負けぬ程の大声で答えた。
「此度、朝廷の命を戴き参上仕(つかまつ)った。桓武天皇の玄孫平良将公が孫、平忠政様の軍勢にござる。」
そう告げると、先方は暫(しばら)く静まり返ったが、やがて再び声が響いて来た。
「では軍をそこに留め、将のみ此方の船に移乗されよ。本営に御案内致し申す。」
「相解った。」
重武が答えると、忠政、重武、宗弘の三将は小舟に移り、巡視の船団に向かった。ある程度近付くと、先方の将らしき者が確認出来たので、その船に横付けした。忠政以下三名が乗り移り、乗って来た舟は水夫に命じて、自軍に返した。そして官軍の将が、忠政等の前に名乗り出る。
「某(それがし)は前(さき)の征東副将軍にして、この度追捕副使に任官遊ばされし、清和天皇の御孫、経基王が配下の者にござる。我が将の元に御案内致す。」
「忝(かたじけな)い。」
重武が忠政に代わって答えた。
この時、重武には一つの不安が生じて居た。経基王は昨年武蔵介に任官し、武蔵権守(むさしごんのかみ)興世王(おきよおう)に随行して武蔵国に下向した。それまで武蔵には暫(しばら)く国守が不在で、代わりに政務を執って居た足立郡司武蔵武芝(むさしのたけしば)が税を軽減し、領民の人望を集めて居た。しかし興世王の家来は、正式な辞令が武蔵に届く前に民家に押し入り、略奪を始めた。それに対し武芝は、興世王に略奪を止める様進言したが、逆に恨みを買い、遂には兵を出して、武芝の館を襲撃した。武芝は何とか逃亡したが、生活に窮する様に成った領民が大挙して国府に押し寄せ、今度は身の危険を感じた興世王と経基王が、入間郡狭山の山中に逃亡した。武州が紛争状態に陥った事を懸念した隣国下総の将門は、興世王と武蔵武芝の間に仲裁に入り、両者は遂(つい)に和解に至った。しかし和睦(わぼく)を告げに向かった武芝の兵を、経基王の手勢が迎え撃ってしまった。疑心暗鬼に陥った経基王は、将門が興世王と武芝を味方に付けて、己を攻めて来る物と思い込み、急ぎ上洛して、検非違使(けびいし)庁に将門謀反と報告した。報せを受け、太政大臣藤原忠平は多治真人(たじのまひと)を東国に派遣し、事の仔細を調べさせた。結果五ヶ国の国司が、将門が仲裁に尽力した事を述べる公文書を提出した為、経基王の訴えは却下され、逆に誣告(ぶこく)罪で左衛門府に禁固と成った。しかしその年の十一月に将門が乱を起すと、朝廷は経基王に先見の明有りとして、従五位下に叙した。明けて今年の二月、征東副将軍を拝命し、藤原忠文の下、関東に下向したが、既(すで)に藤原秀郷、平貞盛等が乱を平定して居た為に軍功を挙げられず、無念の帰国と成った。そして此度、西国平定の為に追捕副使に任ぜられ、数日前ここに着任したばかりであった。
かつて疑心から将門を訴え、却(かえ)って誣告(ぶこく)罪に問われて禁固刑を受けた経基王が、当時将門に向けて居た恨みを、此度その子忠政に向ける事は無いか。重武の不安は、次第に膨(ふく)らんで行った。
やがて船は陸に接岸し、陸上の陣営深くへと案内されて行く。幾千とも知れぬ兵が配置され、彼等を照らす無数の篝火(かがりび)が織り成す光の道を進むと、前方に幕舎が見えて来た。
案内を務めた将が先ず中に入り、忠政が到着した旨を告げた。程無くその将が幕舎から出て来て、忠政等に中に入る様告げる。許可を得て三人は、忠政を先頭に幕舎へ入って行った。
中では、机の両脇に二人の将が座って居た。三人は幕舎の入口で跪(ひざまず)き、礼を執る。すると、右手に座る将が口を開いた。
「其方(そなた)は平忠政殿と申されたな。平姓を名乗るとは高棟王の末裔か、それとも高望王の末裔か?」
忠政は落ち着いて答える。
「某(それがし)の曾祖父は平高望にて、又祖父は良将と申しまする。」
それを聞いて両将は顔を見合わせ、右手の将が再び忠政に尋ねた。
「良将公といえば、鎮守府将軍にして相馬平氏の祖。相馬家は今春、平貞盛殿や藤原秀郷殿に攻め滅ぼされた物と思って居たが。では、其方が父御(ててご)の名は何と申す?」
両将共、興味深そうに忠政を見詰めて居る。忠政はその視線に一瞬たじろいだが、やがてゆっくりと話し始めた。
「今では常陸介平良文の養子と成っては居りまするが、実父は先の戦(いくさ)で敗れし相馬御厨(みくりや)の下司(げす)、平将門にござりまする。」
それを聞いて、両将は驚いた顔を呈した。だが右手の将は、再び表情を和(やわ)らげて話を続ける。
「成程(なるほど)、平良文公の御養子と在らば心強かろう。某(それがし)は追捕使主典(さかん)を務める大蔵右衛門志(うえもんのさかん)春実と申す。此方(こちら)は追捕副使の経基王におわされる。」
村岡重武は眉(まゆ)を顰(しか)めた。目の前に座す男が将門のかつての敵、経基王であったからである。大蔵春実が話を続ける。
「追捕使殿と判官(ほうがん)殿は、故有って今は不在にござる。さすれば殿下、如何(いかが)した物でござりましょう?」
春実は経基王に指示を仰(あお)いだ。経基王は暫(しば)し忠政を見据えて居たが、やがてその口を開いた。
「官符を確認して置こう。」
それを受けて、忠政の後ろから重武が前に出て、朝廷より発行されし官符を差し出した。春実がそれを受け取り、確認した後、問題が無い事を経基王に告げた。経基王は更(さら)に、忠政に尋ねる。
「その方、兵は如何程(いかほど)連れて参った?」
「はっ、兵五百に小舟五十艘にござりまする。」
忠政は即座に答えた。が、経基王は忠政から目を背けて話を続ける。
「では讃岐に参るが良い。讃岐には判官殿が居り、陸より海賊共の拠点伊予を窺(うかが)って居る。その方は判官殿の指揮下に入る様。」
忠政は神妙に応じた。そして、春実より別に指示が下された。
「では、今日は既に日も暮れて居る故、今宵(こよい)は本陣東側の外れに陣を布(し)き、充分に休息を取られるが良かろう。」
忠政は春実に対し感謝の言葉を述べた後、重武と宗弘を伴い、幕舎を後にした。
その後ろ姿を、経基王はじっと見詰めて居た。かつて将門に辛酸をなめさせられた為、初めからその子忠政に対して、良い印象は抱かなかった。しかし平良文庇護の下に在り、朝廷からもその立場を認められて居る以上、迂闊(うかつ)に接しない方が良いと判断し、取り敢(あ)えず判官藤原慶幸に預けたのであった。
忠政等が幕舎の外に出ると、先程案内してくれた将の姿を見付けた。自軍の船に戻るべく、再び案内を頼む。その将は岸まで案内し、更(さら)に忠政の船団に、迎えを頼んでくれた。別れ際(ぎわ)、追捕副使の伝令が追い付いて来た。明朝、相馬軍が判官藤原慶幸の麾下(きか)に入る旨を記した軍令書を発行する故、それを受け取った後に、ここを出航する様に、との指示が下された。忠政は了解した旨を告げ、やがて迎えの舟が到着するとそれに乗り込み、重武や宗弘と共に自軍へと戻って行った。
*
翌朝辰(たつ)の刻、追捕副使より軍令書が忠政の元へ届けられた。既(すで)に朝餉(あさげ)を済ませて居たので、忠政の船団は直ぐ様備中(びっちゅう)を発ち、讃岐へと向かった。空は青く晴れ渡り、視界も良い。忠政は遠ざかる官軍の大陣営を眺めながら、胸中には次第に不安が広がって行った。備中、讃岐間の海域は未だ官軍の制圧下には置かれて居らず、何時(いつ)海賊団が出没してもおかしく無い処である。自ずと突然の襲撃を警戒する様に成り、その緊張感故に、忠政の顳顬(こめかみ)からは冷汗が流れ始めて居た。
天空を舞う鴎(かもめ)の一群が、冬の到来を告げて居るかの如く、海上には冷たい風が強く吹き付けて居る。忠政は辺りを見渡した。京から行動を共にし、一昨年は奥羽の厳冬の中を戦い抜いた坂東武者は、今は周りに僅(わず)かしか居ない。しかしその分、海に慣れた播磨水軍が加わって居る。加えれば、坂東武士団の主力も、現在水戦の調練を行って居る最中にて、当面は何の不安も無いと、忠政は己に言い聞かせて居た。
目的地である藤原判官の陣営は、讃岐国多度郡に置かれていた。忠政の船団は海賊に遭遇する事無く、無事に讃岐に入った。追捕使本営より渡された地図により、直ぐに判官の陣を発見する事が出来た。
大分陣に接近したが、呼び止めに来る者が現れない。更(さら)に陣に近付くと、判官の軍が陸で臨戦態勢を執り、自軍に対して身構えて居る事が判(わか)った。重武は船団を停止させ、宗弘に命じて判官の陣に向かわせる事にした。宗弘は白旗を掲(かか)げ、小舟に乗り換える。そして矢を射掛けられる事無く、宗弘は判官の陣に到着し、陸の奥へと消えて行った。
暫(しばら)く経ち、無事に宗弘が戻って来た。司令船に乗り込むと、忠政や重武の元へ早足で歩み寄って来たが、その表情は些(いささ)か翳(かげ)って居る様である。宗弘は二将の前に着くと、一旦息を吐(つ)いてから報告する。
「只今戻りましてござりまする。藤原判官様より、船団接岸の許可を戴いて参り申した。上陸の後、御大将に面会致したいとの仰せにござりまする。」
「うむ、御苦労であった。」
忠政は犒(ねぎら)いの言葉を掛けたが、宗弘の話には未だ続きが有った。
「加えて申しまするに、判官様の軍は千騎程にござりますれば、我が軍は当部隊の三分の一を占める事と成り申す。」
「何と。斯様(かよう)に少なき兵力で、伊予に侵攻しようと成されて居られるのか?」
重武は驚いて尋ね返した。
「それが、実際には三千近くの兵が居るのでござりまするが、先日海賊団の襲撃を受け、多くの軍需物資を載(の)せた船が沈められ、又多くの負傷者を出した由にござり申す。故に実質武具が行き渡り、健全な者は、千名程しか居らぬ様でござりまする。」
それを聞いて忠政は、遂に最前線に出て来た事を実感し、慄然(りつぜん)とした。一方で重武は、静かに笑みを浮かべて居る。
「ふふふ、行き成り斯様(かよう)な好機が訪れ様とは。ここで軍功を挙げれば、判官様の覚えも目出度(めでた)く、ともすれば朝廷に、相馬家再興を取り成して貰(もら)えるやも知れぬのう。」
そう呟(つぶや)くと、重武は自軍の船に、判官に指示された地点に接岸する様命じた。
接岸が完了すると、忠政は宗弘に留守を任せ、重武と共に藤原判官の本陣へと向かった。哨戒(しょうかい)に当たって居る兵士の側を通り、砂浜から裏の丘に向かった。鬱林(うつりん)の中、細い道を進むと、やがて人が横たわって居るのを認めた。近付くと、負傷兵が体中に布を巻き、血色も大分悪く成って居る様であった。忠政が以前、藤原忠文邸で参議家の家臣に虐(しいた)げられて居た時ですら、斯様(かよう)な傷を負った事は無い。又、その様な重傷の人を見たのも初めてであり、戦場(いくさば)の恐ろしさの一端を垣間(かいま)見て、身が竦(すく)む思いであった。更(さら)に進むと、同じ様に深傷(ふかで)を負った兵士が、多数横たわって居る。やがて陸の中腹に、簡易に築かれた砦(とりで)を発見した。
衛兵に呼び止められると、忠政は己の素姓を名乗り、追捕副使より発行された軍令書を提示した。それを確認し、衛兵の一人が案内を申し出る。案内の後に付き、砦の中に入ったが、小屋に向かうのではなく、足場の悪いごつごつした岩場の坂を登って行く。少し登ると、木々の間に大きく空が広けて、光が燦々(さんさん)と注(そそ)いで居る処が有った。そこでは一人の将が岩に腰掛け、遠く瀬戸内海の海を眺めて居る。
案内を務めてくれた衛兵は、その将の元へ駆け寄り、跪(ひざまず)いて報告する。
「申し上げまする。追捕副使の陣営より、平忠政様が御到着にござりまする。」
将は俄(にわか)に視線を此方(こちら)に向け、歩み寄って来た。忠政と重武はその将が近付くと、跪(ひざまず)いて礼を執った。
「ようこそ御越し下された。儂(わし)は此度、追捕使の下で判官職を務める藤原慶幸と申す。」
そう名乗ると深い溜息を吐(つ)き、再び話し始めた。
「三日前に海賊団の夜襲を受け、砂浜を守って居た我が部隊は壊滅的な打撃を受け、多くの船を焼かれてしもうた。故に転進する事も叶(かな)わず。本当に良い所へ来て下された。所で、」
そこまで言うと、慶幸は視線を重武に向ける。
「忠政殿は如何程(いかほど)兵を連れて参られた?」
重武が、苦笑しながら答える。
「畏(おそ)れながら、某(それがし)は平忠政様の家臣、村岡重武と申しまする。」
「何と?」
判官慶幸は心底驚いた表情を浮かべ、視線を忠政に向けて尋ねた。
「では其方(そなた)が?」
今度は、忠政が軽く溜息を吐(つ)いて答える。
「某(それがし)が、大将を務める平忠政と申しまする。」
慶幸は、待望の援軍の指揮官が少年であると判(わか)ると、酷(ひど)く落胆した。そして、ぼそりと呟(つぶや)く。
「追捕使殿は此方(こちら)の作戦を、然程(さほど)重視されて居られぬのかのう?」
それを聞いた重武は、一歩進み出て、語調をやや強めて、慶幸に申し出る。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。我等が部隊は常陸介にして先の鎮守将軍、平良文公の下にて、豪雪の奥羽を戦い抜きし者。又、他の将兵は播磨の海に精通せし者なれば、他の如何(いか)なる部隊にも引けを取る物ではござりませぬ。御命令とあらば、直ちに伊予に攻め入り、海賊共を討ち平らげて御覧に入れ申そう。」
重武の気迫に、慶幸はたじろいだ。
「いやいや、其方(そなた)の軍を侮(あなど)った訳ではないのじゃ。見れば、随分多くの兵を連れて来られた様子。」
「はっ、軍船五十艘に兵五百。更(さら)に播磨にて後詰(ごづめ)の兵が五百居りまする。」
重武は不敵な笑みを見せて答える。それを聞いて、慶幸の目の色が変わった。
「ほう、それ程に。」
慶幸は後ろを向いて、暫(しばら)く熟考した。
(五百の増援があれば、当面は持ち堪(こた)えられよう。しかしこの部隊は、百戦錬磨と雖(いえど)も、ちと扱い難そうじゃ。暫(しばら)く様子を見た方が良いやも知れぬ。)
考えが纏(まと)まると、慶幸は表情を和(やわ)らげて、忠政に告げた。
「其方(そなた)が援軍に来てくれた事、実に頼もしき限りじゃ。我等は現在、讃岐国府に軍需物資の補給を要請致して居る。それが完了次第、我等は伊予へ侵攻する。それまで、海岸線の防備を御願いしたい。」
慶幸の眼は忠政を見据えて居る。
「承知致しました。」
忠政は神妙に答えた。そして、重武が慶幸に言上する。
「では、我等は直ちに防備を整えまする。」
そう言い残して、重武は忠政を連れ、慶幸の元を離れた。
丘を下り、自軍に戻る途中、重武は小声で忠政に囁(ささや)いた。
「判官殿は手勢を多く失い、今は我が軍を利用せんと考えて居られる御様子。しかし、言われるままに軍務に就(つ)いて居ては、利少なく、危険の多い任務を言い渡され兼ねませぬ。斯様(かよう)な時は、少々考える振りを成さって下さりませ。その間に某(それがし)が、良い様に計らいまする。」
忠政は高官から依頼を受けると、よく考えぬ内に承諾してしまう癖(くせ)が有った。
「相解った。宜しく頼むぞ。」
忠政は重武を側に置いて良かったと、染み染み感じた。重武も、不用意なれど、徐々に大将らしく振舞う様に成って来た忠政の姿に、安心感を覚えつつ在った。
鬱林の切れ目から覗(のぞ)く空の色は、何時(いつ)しか朱色に成って居た。鬱蒼(うっそう)とした木々の間に広がる闇と、血の如き天空の色を見て、忠政は何やら胸騒ぎを覚えた。
*
讃岐の陣に加わって、一月近くが経った。師走も下旬に入り、瀬戸内と雖(いえど)も、時折雪がちらつく様に成った。兵が薪(まき)にする木を求め始めたが、浜の後ろの林は防備に役立つ故、その利を損なわぬ様、切り倒す木の選定にも、将は頭を働かさねば成らない。
その日、二つの報が忠政の耳に入った。一つは、当月十九日に土佐国幡多郡が、海賊の襲撃を受けた事である。これに因(よ)り、伊予の海賊の狙いが南に向いて居た事が判(わか)り、幾分安堵を覚えた。もう一つは、播磨の近藤忠宗が部隊の調練を終え、船も調達出来たので、近く讃岐へ進発するとの事であった。重武と忠宗の対立を懸念して、部隊を二つに割った物の、やはり皆が揃(そろ)った方が心強い。又、合流して正月を迎える事で、士卒の士気も揚がるであろうと、忠政は考えた。
それから五日程が過ぎ、白日の下、五十を数える船団が、備前方面より讃岐に接近して来た。その報を受けて忠政は、林の脇に布(し)いた陣より飛び出し、砂浜を駆けて海辺に到り、沖の船団を見霽(みはる)かす。背後より村岡重武が兵五名を伴い、慌てて追い付いて来た。
「御大将、正体の掴(つか)めぬ一軍を前に、一人飛び出すは危険でござりまする。」
重武は忠政の腕を掴み、急ぎ陣へ連れ戻そうとした。しかし忠政は踏み止まり、船団を指差して重武に告げる。
「あの船、我が相馬家の旗を掲げて居る。」
「何と?」
重武も立ち止まり、沖を凝視した。やがて重武の眼にも、九曜の紋が確認出来た。重武は家臣に命じ、友軍に自軍の位置を報せる様、伝令を遣(つか)わした。
やがてその船団は、忠政の船団が泊まる直ぐ側に接岸すると、先頭を切って一人の若武者が上陸し、陣に駆け寄って来た。
「御大将、何処(いずこ)におわされる?村岡忠重、只今到着致しましたぞ!」
その大きな声は、忠政の耳にも届いた。忠政は忠重の姿を見付けると、急ぎ駆け付ける。
「我はここぞ。」
忠政の大声に、忠重も気付いた様である。二人はゆっくりと歩み寄り、力強く抱き合った。
「御大将と共に、初陣を飾ろうと思って居りましたが、その願い、叶(かな)わぬ物と諦(あきら)め掛けて居りましたぞ。」
「未だ未だこれからよ。共に戦おうぞ。」
二人共、少年の顔で笑い合った。
そこへ、村岡重武が姿を現した。忠重はそれに気付き、急ぎ礼を執る。
「義父(ちち)上、村岡兵四百及び近藤兵百、只今合流致しましてござりまする。」
重武に報告する忠重の表情からは、先程までの笑顔は消えて居た。重武も又、落ち着いた様子で応ずる。
「御苦労であった。して、近藤殿は?」
「はっ、同道して参りました故、間も無く下船して来られる物と存じまする。」
「うむ。所で、兵の調練の程は如何(どう)であった?」
「一通り、操舵と水上戦における兵法を学んで参り申した。」
「其(そ)は上々。年明けまで出陣は無い故、鋭気を養って置くが良かろう。」
忠重は返事をすると、重武の元を離れた。その後、忠政が自陣まで忠重を案内した。忠政は久し振りに歳近き友に会う事が出来、心底嬉しかった。忠重は四百の部隊を統率する任を終え、達成感と安堵感を覚え、一回りの成長を遂げて居た。
重武は到着した船団に向かい、大分近付いた処で、近藤忠宗が下船して来るのを確認した。重武は忠宗の方へ歩み寄り、忠宗も重武を認め、向かって来る。兵士が船荷の搬出に追われている最中、重武と忠宗は砂浜の上にて対面した。
「兵の調練、御苦労でござり申した。陣へ案内する故、付いて参られよ。」
重武は犒(ねぎら)いの意を込めてか、微(かす)かに笑みを浮かべた。しかし忠宗は表情を変えず、淡々として居る。
重武は忠宗を伴い砂浜を歩きながら、ふと口を開いた。
「我等は暫(しば)しこの地に滞陣するも、未だ敵の影を見ず。貴殿はこれに就いて、如何(いかが)考えなさる?」
忠宗は黙ったまま、重武の後に付いて歩いて居たが、やがて答えを返した。
「軍師殿が到着される前に、判官殿の部隊は甚大な痛手を被(こうむ)ったと聞き及び申す。一方で追捕使殿は頓(ひたすら)に、三備の守りを固めて居るとか。陸で守られては海賊共も不利と考え、官軍に動きを与えるべく、先ずは土佐を攻めて見せたのでござろう。しかしそれでも、追捕使殿は動き申さず。」
「ほう、追捕使殿は長期戦の構えでござろうかのう?」
「それも考えられまするが、今一つ考え得る事が。」
重武は急に立ち止まり、忠宗の方へ振り返った後、睨(にら)み付ける様な目付きで尋ねた。
「よもや讃岐から?」
「然様(さよう)。伊予を攻めるに、瀬戸内や豊後からでは海戦と成り、官軍は多くの被害を受ける物と思われ申す。又、土佐は中国地方と隔(へだ)たり、補給が困難でござる。他方、讃岐は瀬戸内と繋(つな)がり、又伊予とは陸続き。最も官軍に有利でござり申そう。」
しかし重武は、些(いささ)か怪訝(けげん)そうな表情を浮かべて居る。
「されど、讃岐より伊予に攻め入るのであれば、主力はここに置いた方が良いのではあるまいか?」
忠宗は依然、冷静に話を続ける。
「官軍が勝利を収めた後、海賊が瀬戸内海の小島に散ってしまっては、首領を捕える事が困難と成り申す。されど、主力が中国地方に在ると思わせて置けば、賊は壊走した後、怖らくは九州へ向かう他に道は無き物と存ずる。賊を陸に上げてしまえば、その後の掃討が楽に成り申そう。」
「成程。では伊予侵攻は何時(いつ)頃有る物と御考えか?」
「年内は準備が間に合いませぬ。元旦は兵に鋭気を養わせ、その後数日以内かと。中国の陣容を賊に見せ付けるのは、そこまでで充分でござろう。余り鎮圧が遅れる様では、追捕使殿も朝廷の覚えが悪(あ)しゅう成るのを懸念なされる事であろう故。」
重武は忠宗の言葉の節々から、忠宗が何処(いずこ)からか、多くの貴重な情報を得て居る事を窺(うかが)い知った。流石(さすが)は四位に繋がる武門の家と、侮(あなど)り難い、畏怖に似た感情が起こって居た。そして、その根幹となる兵法や地理の知識に学ぶ所多しと考え、低頭、忠宗に教えを請(こ)うた。忠宗は、その老齢にして真摯(しんし)な姿に心を打たれ、快く承諾した。
「某(それがし)の如き青二才が、老将軍に教える事など無き様に思われまするが、出来るだけ御期待に応えたく存ずる。」
忠宗は初めて、重武に心底からの笑顔を見せた。村岡家と近藤家、其々(それぞれ)を代表する心の重荷は、西国の大戦(おおいくさ)を前に、融解して行く様に見えた。
*
年が明けて天慶四年(941)と成った。新春と雖(いえど)も山並みは白銀に染まったままで、梅の梢(こずえ)の蕾(つぼみ)も未だ固い。官軍の陣営では元旦、二日と動きは無く、只今にも雪が舞って来そうな曇天(どんてん)と、荒涼たる灰色の瀬戸内海を見詰め続けるのみである。兵士に取って幸いであったのは、正月祝いとして一杯の酒が振舞われ、彼方此方(あちこち)で笑顔が見られた。殊(こと)に、昨年奥羽の陣を経験した兵達は平気な顔をして、
「寒さは東北に比べりゃ未だ増しだが、海戦で海に落ち様物なら、即座に御陀仏やも知れぬな。」
などと、冗談を言う者も居た。そかしその笑い声は、一人の兵士の声で掻(か)き消された。
「船団が此方(こちら)に向かって来るぞ!」
兵士達は皆真剣な顔付きと成り、楯の後ろや砂浜の窪(くぼ)みに身を潜(ひそ)めた。
讃岐の、判官藤原慶幸に陣には緊張が走った。友軍が合流して来る報せ等は、受けて居ないからである。正体不明の船団は百艘程で、大型の戦船は伴って居なかった。更(さら)に船団は、陣へ迫って来る。やがて讃岐の陣の中から、響動(どよ)めきが起った。船団には官軍の旗が翻(ひるがえ)って居る。船団は間も無く動きを止め、三艘だけが浜に近付き、接岸した。
船から浜へ下り立った将の一人が、大声で此方(こちら)に向かって叫ぶ。
「追捕使小野好古様、並びに追捕副使経基王殿下、主典(さかん)大蔵春実様の御到着である。判官様の元へ案内して戴きたい。」
丁度(ちょうど)その時、官軍現るの報を受けた判官藤原慶幸が、浜へ下りて来た所であった。側には千騎を従える平忠政と、それを補佐する村岡重武、他慶幸の重臣数名が付き従って居る。判官等は急ぎ、追捕使の元へ向かった。慶幸以下は追捕使に礼を執って迎えると、裏山の砦へ案内し、一方で追捕使の船団を迎え入れる様、指示を出す。追捕使首脳は一団を成し、砦へ向かい歩いて行った。
判官は、追捕使一行を砦内の陣屋へ案内した。そして奥の席に追捕使と追捕副使が並んで座り、その両脇に判官と主典(さかん)が、そして下座には、主立った将が続々と着座する。忠政は追捕副使側の列、やや後方に、重武と並んで座った。
急な追捕使の訪問に、判官配下の将の緊張は、弥(いや)が上にも高まった。三千の大軍を預かりながら、手痛い敗北を喫し、讃岐から動けずに居た故である。
判官より追捕使に申し上げ様とした所、追捕使はそれを制して、先ず判官に尋ねた。
「讃岐の戦況は、如何(いかが)相成った?」
追捕使は淡々として居たが、判官にはその態度が余計に不安で、たどたどしく答えた。
「一度大きな合戦がござり申した。その時に多くの兵が負傷し、その後はこの戦線を維持するべく、努めて参った次第にござりまする。」
追捕使は怪訝(けげん)そうな顔をして、更(さら)に尋ねる。
「ほう、それにしては、軍備が充実して居る様に見えるが?」
「はっ、平忠政殿が千騎を以(もっ)て、援軍に駆け付けてくれた御蔭にござりまする。」
判官は、恐縮しながら答えて居る。追捕使は手に握った扇子の端で、額を支える様に俯(うつむ)いてしまった。
「何という事じゃ。」
その言葉に判官は、慄然(りつぜん)とした。追捕使は俯いたまま、話を続ける。
「痛手を被(こうむ)り、戦線の維持に追われて居る物と存じて居ったのだが。この増強振りでは、敵も怖らく此方(こちら)の動きを警戒して居ろう。儂(わし)はここより、伊予を急襲する積りであったのだが。」
そう言うと、追捕使は深い溜息を吐(つ)いた。忠政は、自軍を邪魔物の様に言う追捕使に、大きな不安を感じて居た。
「一体誰が、此処に千騎もの兵を送る様命じたのじゃ?」
判官は慌てて、追捕使に告げる。
「忠政殿からは、追捕副使経基王殿下より、讃岐へ向かう様に命ぜられた軍令書を、提示されて居りまするが。」
「そういえば。」
主典(さかん)は、忠政が本陣を訪れた時の事を思い出した様であった。そして陣屋の中では、将達の囁(ささや)き声が起り始めたが、追捕使の一声で、皆は静まり返った。
「経基王、儂(わし)に断りも無く、一千もの大軍を動かされたか?」
追捕使は、横に座る追捕副使を見据えた。それに対し経基王は、恐縮した様子で、頭(こうべ)を垂れて返答する。
「滅相も無き事にござる。追捕使殿は朝廷より、西国平定の大命を拝されし御方。その方針に叛(そむ)く者は、正に朝敵とも申せましょう。某(それがし)は追捕使殿の戦略に支障を来(きた)さぬ様、気を配って参り申した。されど讃岐の陣が突破されれば、賊が畿内に押し寄せる怖れもござりまする故、念の為に、数百の兵を差し向けたに過ぎませぬ。当時この者は、これ程の兵を率いては居りませなんだ。」
「確かに。」
経基王の言葉に、主典(さかん)が相槌(あいづち)を打つ。経基王は立ち上がって、更に言葉を続けた。
「思いまするに、追捕使殿の作戦を覆(くつがえ)すが如き勝手な振舞いは、天下の大罪と申せましょう。斯様(かよう)な者をそのままに捨て置けば、他の将にも示しが付きませぬ。何卒(なにとぞ)この者に御処分を。」
経基王は追捕使に、忠政の処罰を求めた。それを聞いて、慌てて重武は忠政を伴い、中央へ歩み出て、深く頭を下げる。そして苦衷の表情で、追捕使に言上した。
「我等は一重(ひとえ)に天下の御為(おんため)、兵を集めて海賊を討伐せんと、官軍に加わりし者。この罪は海賊征討の軍功を挙げる事にて、償いたく存じまする。」
重武は額を床に当てたまま、硬直した。経基王は席を発ち、ゆっくりと歩を進める。そして忠政の前で立ち止まり、平伏する忠政を暫(しばら)く見下ろした。やがて振り返って、追捕使に告げる。
「この者は昨年、坂東一円に乱を起こせし逆賊、将門の倅(せがれ)にござる。斯様(かよう)な者を傍に置いては、追捕使殿の身の為に成りませぬぞ。」
そう言うと、経基王は再びゆっくりと歩き出し、己の席に着いた。
陣屋は俄(にわか)に騒然と成った。追捕使も険しい表情で、忠政を見据えて居る。忠政はここにおいても尚、逆賊の謗(そし)りを受ける我が身に無念さを感じ、俯(うつむ)いた顔のその目には、涙が溜って行く。重武も成す術(すべ)が見付からず、苦悶の表情で只居竦(いすく)まるのみであった。護り切れぬか、と重武は己の力が足らぬ事を悔やみ、諦(あきら)めの気持ちが起り始めた。
その時突然、一人の武者が陣屋の入口に現れた。それに気付いた将達は一斉に口を閉じ、その武者を注目する。武者は静かに跪(ひざまず)いた。
「何用か?」
判官が尋ねた。
「某(それがし)は追捕使殿の深き軍略も知らず、浅はかにも千に近き部隊を当地に送り込み、その作戦を台無しにしてしまい申した。何卒(なにとぞ)御処分を。」
急な申し出に一同は驚き、言葉を失った。やがて、追捕使が直に尋ねる。
「其方(そち)は何者か?」
武者は膝を突きながら、顔を上げて答えた。
「播磨の地頭職を務める、近藤忠宗と申しまする。この度は宗家の当主、参議藤原忠文の命を奉じ、一軍を率いて当地へ罷(まか)り越した次第にござりまする。それが軍略の支障と成ってしまった事、真に申し訳もござりませぬ。」
そう申し開いた後、忠宗は再び頭下げる。それを聞いて、追捕使は表情を曇らせた。忠政の背後に常陸介平良文が付いて居るだけなら未だしも、参議忠文までもが付いて居るのであれば、この場で忠政を処罰するは、両者の面目を潰(つぶ)す事に成り、迂闊(うかつ)な事は出来ない。考えあぐねた挙句(あげく)、追捕使は処断を下した。
「成程。事情は良う解った。しかし其方(そち)が忠政殿の下に居る以上、忠政殿にも責任は生じて参る。よって、忠政殿には伊予攻めに加わって貰(もら)う故、其方(そち)は忠政殿を支援し、罪を償(つぐな)うに値する軍功を挙げられよ。又忠政殿も、この戦(いくさ)にて父上の名誉を回復出来る様、励まれよ。」
忠政と重武は畏(かしこ)まって、承服の意を伝えた。そして、追捕使から下がる様に言葉が有り、忠宗を伴い三人で、陣屋を後にした。
陣屋では再び軍議が続けられた。讃岐の官軍は五千。しかしその二割に当たる一千騎が、忠政率いる相馬軍である。本来は有用な駒である筈(はず)なれど、平将門所縁(ゆかり)の者故に、迂闊(うかつ)に用いる事も躊躇(ためら)われる。その上、追捕副使との関係には、痼(しこり)が有る様に思われた。追捕使は思案を重ねて居た。その心底を察してか、軍議の趨勢(すうせい)は、相馬軍を用いない方向に傾いて行った。結果、相馬軍と主典(さかん)の併せて二千の軍を讃岐の陣に残し、残る三千を以(もっ)て、追捕使自ら伊予へ攻め込む事と成った。加えて奇襲を仕掛けるべく、出発は今夕と決まった。追捕使は、既(すで)に伊予海賊の拠点を掴(つか)んで居る様で、絵図を用いて、諸将に進路の詳細な指示を与え始めた。
一方、忠政等三人は陣屋を離れ、狭い林道を自軍の陣へ向かい、歩いて居た。皆黙って居たが、ふと、先頭を歩く忠政の足が止まった。それを見て、後ろの重武と忠宗も立ち止まる。忠政はゆっくりと、俯(うつむ)きながら振り返り、二人に正対した所で顔を上げた。互いに向い合うと、皆切ない顔をして居る。皆の表情を見ると、誰もが口を噤(つぐ)みたく成った。だが忠政は笑顔を作り、話し掛ける。
「経基王殿下には参った。当家は朝廷の為に兵を出したと雖(いえど)も、未だに朝敵の汚名を着て居る事が解った。しかし忠宗殿の助け船無くば、今頃はその汚名を雪(そそ)ぐ機会すらも失われて居たやも知れぬ。忠宗殿、心底より御礼申し上げる。」
忠政は丁寧に頭を下げた。暫(しばら)く頭(こうべ)を垂れ続けて居るので、忠宗は恐縮して歩み寄る。
「御大将、御手を御上げなされ。某(それがし)は追捕副使殿が仰せられた通り、勝手に前線付近にて軍を動かしてしまった事を、心配して居たのでござる。もし御大将を陥(おとしい)れ様と企(たくら)む者有らば、必ずや危(あや)うき目に遭(あ)われる事と存じた故。特に御大将は、賊に内通の怖れ有りと、猜疑(さいぎ)の眼で見られ易き御身(おんみ)。よって御大将に冤罪(えんざい)を掛け、それを以(もっ)て己(おの)が手柄と成そうとする者も現れると見ねば成りますまい。」
忠宗は話して居る内に、次第に普段の淡々とした様子に戻って居た。忠政も又、忠宗の助言を聞いて居る間に、元の和(やわ)らいだ表情に戻って行った。
今まで、忠政は重武に信を置く一方、度々重武と意見を衝突させる忠宗に対し、今一つ警戒心を解くには至って居なかった。されど、此度の忠宗の行動を見て、漸(ようや)く忠宗に対する心の壁が融解した様な感じがした。それは同時に、漸(ようや)く真の副軍師を得られた気持であった。
一方、重武は未だに苦悶の表情を浮かべて居る。それを見て忠宗が、話を重武に振った。
「しかし、追捕副使殿が真っ先に御大将を陥(おとしい)れ様となさったか。以前より評判の宜しくない人物でござるが、よもや二度目の対面で早仕掛けて参るとは。御大将を若蔵と侮(あなど)ってか、もしくは他に訳が有るのか。重武殿は如何(いかが)思われる?。」
重武は忠宗の方を向いたが、その表情は翳(かげ)ったままである。視線はちらちらと、頻繁に忠政の方を向けたので、忠政は重武が何かを知って居ると察し、訝(いぶか)しむ表情に成った。やがて重武は、二人に聞こえる程度の小声で、かつて武蔵国で起きた事件を話し始めた。
経基王による父への誣告(ぶこく)と、因果応報の経基王自身の禁固。将門の乱勃発による経基王の復帰と、藤原忠文の下、征東副将軍としての坂東下向。忠宗は忠文からある程度は情報を得て居る様で、唯(ただ)じっと聞き入って居る。忠政に取っては全てが初耳であり、呆然(ぼうぜん)とした様子であった。
「些(いささ)か厄介(やっかい)な事に成って参り申したな。」
忠宗がぼそりと呟(つぶや)くと、重武は忠宗を見詰め、無言で頷(うなず)いた。そして、静かに尋ねる。
「貴殿には、御大将に向けられし罪を一身に被(かぶ)って戴き申したが、御身(おんみ)は無事に済むであろうか?」
忠宗の無表情の顔が、一瞬含み笑いをした様に見えた。
「御心配戴き、痛み入り申す。某(それがし)の背後には藤原式家が付いて居りますれば、追捕使殿と雖(いえど)も、迂闊(うかつ)な事は出来ますまい。心配は無用にござる。」
「然様(さよう)か。それならば宜しいが。」
二人は視線を合わせて一笑した。その時、忠宗の心底には不思議な感情が起って居た。これまでは味方と雖(いえど)も、気を許すには永い月日を要して来た。されど、重武という人物相手に話して居ると、探りや警戒が無用な物の様に思え、楽な心地に成れる。
(不思議な御方よ。無骨さと実直さのなせる業(わざ)であろうか?)
忠宗は珍しく、心底からの笑顔を見せて居た。
しかし、俄(にわか)に忠宗は表情を翳(かげ)らせた。
「重武殿、我等の活躍の場は、遠ざかった様でござるぞ。」
「何、案ずる事は無い。我等精鋭一千騎を遊ばせて置いて勝てる程、この戦(いくさ)は甘くはあるまい。」
一方で、忠政は経基王の事を考え、惚(ほう)けて居る様であった。重武の言葉を聞いて、案ずる事が有ったのである。自軍が出撃する必要が無いのであれば、確かに事は安泰である。しかし、当然手柄を立てる機会は無く、只経基王の如き輩(やから)に陥(おとしい)れられるのを待つのみで、その先に希望の光は無い。忠政が他の将並の処遇を受けられる様に成るには、是が非でも前線に赴き、軍功を挙げねば成らない。その事を再認識すると気が重く成るが、重武や忠宗が己を支援してくれて居る。そう思うと、忠政の心には再び晴れ間が見えた。
「陣に戻ろう。忠重も待って居る。」
忠政は二人に呼び掛けると、足取り軽く狭い林道を下り、自軍が待機する浜へと向かった。
陽は次第に昇って行く。林道は鬱蒼(うっそう)たる木々の為に光が届かず、夕闇の如き様相を呈して居るが、前方に広がる海には陽光が注(そそ)がれ、水面に反射してきらきらと輝いて居た。