第六節 相馬軍結成

 この夏、東国では平将門の起した大乱が完全に治まり、藤原秀郷、平貞盛、平良文を中心とした、新たな勢力構造が築かれて行った。東国の平定が成った一方で、朝廷は今まで懐柔して来た伊予掾(いよのじょう)藤原純友を海賊と認め、追討を決定した。八月中旬、純友配下の水軍四百艘が伊予、讃岐(さぬき)を襲撃し、又備後(びんご)でも船が襲われた。これに対し朝廷は、畿内で兵を集め、右近衛少将小野好古を山陽南海凶賊使に任じ、西国へ派遣した。一方で海賊船団は、その活動領域を阿波(あわ)、備前(びぜん)、紀伊(きい)へと拡大して行った。小野好古は更(さら)に追捕山陽南海両道凶賊使に任命され、判官(ほうがん)には右衛門尉(うえもんのじょう)藤原慶幸、主典(さかん)には右衛門志(うえもんのさかん)大蔵春実が就任した。八月中に小野好古軍は、瀬戸内海において戦況を有利に展開し、藤原純友軍は西へ退(しりぞ)いた。そして戦場を安芸(あき)、周防(すおう)、土佐(とさ)へと移すが、一方で大宰府追捕使左衛門尉(さえもんのじょう)在原相安(ありわらのすけやす)の軍が敗北を喫した。十一月に入ると、かつて平将門と争い、藤原忠文の麾下(きか)、征東副将軍として東下した経基王が追捕次官に任命され、西国へ進発した。この月、純友は周防鋳銭司(じゅぜんし)を焼き討ちにした。

 その頃、都においては爽(さわ)やかな秋風が漂(ただよ)い、山野を錦色へと染めて居た。古雅(こが)な風景の中、都人(みやこびと)の表情は例年に無く、沈(しず)んだ様子であった。本年二月に収束した東国の大乱は、三月程で鎮圧に向かったが、此度西国の騒乱は昨年より燻(くすぶ)り始め、朝廷が本格的に討伐軍を派遣した後、既(すで)に三月が経って居た。官軍は戦況有利と雖(いえど)も、未だ純友水軍は瀬戸内海に健在である。中々鎮圧に至らぬ苛立(いらだ)ちが、人々の心を不安にさせて居る様に窺(うかが)える。

 常陸介に就任し、早半年近くが経とうとして居る平良文は、老臣村岡重武を伴い、都を訪れて居た。上洛して間も無く、良文は在京の重臣を集め、評定を開いた。

 重臣達を邸内広間に集めた時、既に陽は西方の山に掛かり始め、松虫の音色が次第に聞こえ始めて居た。その音色に、良文は己の足音を加えて入室して来た。重臣は一同座礼を執り、良文が上座に腰を下ろした時、重臣を代表して平忠重が挨拶を述べた。
「父上、御還りなされませ。常陸の国策は順調に進みしとの事、祝着(しゅうちゃく)至極(しごく)に存じ奉(たてまつ)りまする。」
良文はうむと応じて、重臣達に眼をやった。
「国府の再建は成り、天災も是(これ)無く、小豪族百姓皆服従し居る。藤原秀郷は所領を侵(おか)さず、藤原為憲や平貞盛は京に在り。貞盛が常陸に残せし舎弟繁盛も、当家と諍(いさか)う様子は無し。よって目下、懸かる不安は無い。」
そして良文は、忠重に眼を移す。
「忠重、京や西国の情勢は、如何(いかが)相成った?」
「はっ、平貞盛殿に就(つ)きましては、さしたる動きは今の所ござりませぬ。藤原為憲殿は大工介に任官せし事に因(ちな)みて、姓を工藤と名乗る様に成りましてござりまする。」
「ほう、では為憲殿には、関東を窺(うかが)う気配は無いと?」
「差し迫(せま)り、危惧(きぐ)する事では無いと存じまするが、東海地方の国守の座を狙(ねら)い、動いて居るとか。」
それを聞いて良文は思考し、やがて再び忠重を見据えて尋ねる。
「駿河、伊豆は我が本領の背後に当たる。本当に心配は要らぬと申すか?」
「はっ、朝廷の関心は今や完全に瀬戸内に集中し、新たな国守の任官は、西海の軍功に対する恩賞として成されましょう。為憲殿は既に、先の戦で恩賞に与(あずか)って居り、直ぐに国守に任官する事は難しいかと存じまする。」
「成程(なるほど)。では、瀬戸内の戦況は如何(いかが)相成った?」
「はい。依然として純友水軍は、瀬戸内の制海権を握って居りまするが、官軍はその数を頼りに瀬戸内海全域に戦線を広げ、純友軍の分散と疲弊(ひへい)を待って居る様にござりまする。」
「されば、当分戦は続きそうか?」
「いえ、純友軍は局部的には勝利を収めて居りまするが、その兵力は徐々に衰(おとろ)え、一方の官軍は新たに徴募した兵を続々と、西国に送り込んでござりまする。純友軍の敗北は、時間の問題と申せましょう。」
「そうか。」
良文は一息吐(つ)くと、改めて広間を見渡し、表情を厳しくして口を開いた。
「当家からも、西国へ兵を出そうかと思う。」
それを聞いて、重臣達の間から響動(どよ)めきが起った。常陸より良文に随行してきた村岡重武さえ、驚いた顔をして尋ねる。
「殿、畏(おそ)れながら当家には、水軍がござりませぬ。戦功を挙げる事は難しく、戦費も嵩(かさ)み、坂東における兵力も手薄と成りましょう。」
他の重臣からも、同様の反対が相次いだ。それに対し、良文は冷静に答える。
「確かに、皆の申す通りじゃ。されども、当家に縁深かりし人物で、参陣するだけでも意義の有る者が居ろう?」
一部の者は、もしやという表情を浮かべた。重武が彼等を代弁する様に尋ねる。
「御曹司忠政様にござりまするか?」
良文はゆっくりと頷(うなず)いた。重武は些(いささ)か慌てて、再度意見を述べる。
「忠政様は将門公の御子故に、未だ不安を抱く者少なからず。例え大いなる軍功を挙げたにせよ、周囲の妬(ねた)みを買えば、当家の不幸にも繋(つな)がり兼ねませぬぞ。」
他の重臣達も緊迫した顔と成り、揃(そろ)って良文の再考を請うた。良文は一旦皆を鎮め、改めて己(おのれ)の所見を述べる。
「確かに危険は伴う。だが相馬家を再興し、以(もっ)て当家の勢力を伸ばすには、千載一遇の機会とも思える。故に当家の不利益を最小限に留め、その上で相馬家を支援しようと思う。」
重臣達は皆、怪訝(けげん)そうな顔を呈して居る。そして一同の心境を代表する様に、忠重が諫言(かんげん)する。
「忠政殿が兵を持たぬ以上、当家から兵を出さねば成りますまい。さすれば、何(いず)れにせよ周囲は、当家が直接相馬家を援護せし物と見る事でござりましょう。」
多くの重臣達がそれに同調した。斯(か)かる中、良文は前方に控える村岡重武を見詰めた。その視線を受けて、重武の表情に緊張が走った。良文は静かに話し始める。
「村岡重武を、忠政の麾下(きか)に置く。但し、他の一族は皆、当家に残す。」
重武は驚愕(きょうがく)した。三十余年村岡平家に忠誠を貫き続け、今に至って他所(よそ)へ移れとの言葉は、かつて無い衝撃を、重武の心に与えた。重武は声を震わせて、良文に訴えた。
「某(それがし)は非才なれど、殿に忠誠を誓い、殿の相模下向以来久しく、行動を共にして参り申した。されど某(それがし)も早六十余。老兵は用済みとの仰せにござりまするか?」
良文は苦笑しながら、慌てて否定した。
「然(さ)に非(あら)ず、然に非ず。其方(そち)には忠政の他、もう一名も託したい。」
重武は、幾分冷静さを取り戻して問い返す。
「はて、何方(どなた)にござりましょう?」
「我が愚息忠重を、貰(もら)ってはくれまいか?これは長年儂(わし)に尽してくれた其方(そち)にしか、頼めぬ事じゃ。」
「何と?」
これには重武、忠重以下一同が驚いた。呆然(ぼうぜん)とする重臣たちを尻目に、良文は話し続ける。
「我が兵を、西国へ送る事は躊躇(ためら)われる。故に、忠臣重武に忠政の事を託したいが、村岡一族に累(るい)を及ぼす訳にも行かぬ。されどこれでは兵が足りぬ。よって忠重に常陸の所領を与え、そこの兵を連れて行って貰(もら)いたい。」
そう言うと、良文は忠重を見据えて尋ねる。
「忠重、重武の子と成り、忠政の家臣と成る事は出来ようか?御主は我が子の中で最も武芸に優れる故、最適であると考えたのだが。」
父の問いに対し忠重は、真顔を成って返した。
「今や西国の戦火は、国家の一大事。加えて忠政殿は、某(それがし)の盟友にござりまする。更(さら)に父上の御命令とあらば、断る理由など有りましょうや?」
忠重は常陸領の拝領と初陣に、期待を膨(ふく)らませて居た。良文はそれを見て微笑したが、直ぐに真顔に戻り、重武を見た。
「其方(そち)は如何(どう)かな?」
重武は良文に正対し、両手を床に付けて、畏(かしこ)まって答えた。
「殿の深き御慈心、並びに御期待に背かぬ様、相努めたく存じ奉(たてまつ)りまする。」
その言葉を聞いて、良文は漸(ようや)く胸を撫(な)で下ろした。忠重は重武の元へ躙(にじ)り寄ると、恭(うやうや)しく頭を下げる。
「義父(ちち)上、以後宜しく御指導の程を。」
重武は主君の実子から礼を受け、些(いささ)か戸惑った様子であったが、直ぐに父らしく、堂々とした態度で接した。良文以下周囲の者は、それを温かく見守って居た。

 一息吐(つ)いて、良文は和(やわ)らいだ表情で、再び重武に尋ねた。
「其方(そち)は西国に兵を伴うに当たり、幾(いく)ら必要であると考える?」
重武は暫(しばら)く熟考して居たが、やがてゆっくりと、体を良文の方へ向けて答える。
「されば五百騎。」
「五百、それだけで足りるのか?」
良文は意外な様子で聞き返した。
「確かに、忠政様の戦功を天下に示すには、些(いささ)か心細い数にござりまする。されどこれより多く引き連れれば坂東が手薄と成り、加えて村岡平家より独立せし勢力と、見られなく成る怖れがござりまする。五百も有れば、後は某(それがし)の経験にて打開致す所存にござりまする。」
良文は、重武の言を噛(か)み締めて返す。
「うむ、確かに其方(そち)の申す通りじゃ。では常陸より精鋭五百騎を集め、其方に与えるとしよう。」
「有難き幸せ。必ずや相馬軍団再建の為、粉骨(ふんこつ)努力致しまする。」

 村岡平家の軍議は決した。後日、参議藤原忠文邸に使者を送り、忠政出陣の許可を請(こ)う事と成った。

 秋の夕暮は、次第に冷たさを増して居た。紅葉も盛(さか)り時を過ぎ、大地を山吹(やまぶき)色に変えて行く。

 その日、村岡重武が良文の使者として、忠文の邸を訪れて居た。忠文は、良文の書状に目を通して居たが、やがてそれを畳(たた)みながら、深い溜息を吐(つ)いた。
「実頼めがのう、未だに儂(わし)を陥(おとしい)れんが為、何彼(なにか)と嗅(か)ぎ回って居る様じゃ。特に、忠政に関しては有る事無い事、太政大臣家に密告し居るとか。殆(ほとほと)頭を痛めて居る。」
重武は部屋の端に畏(かしこ)まり、恭(うやうや)しく答える。
「其(そ)は御気の毒な事にござりまする。藤原実頼卿は太政大臣様の御嫡男。将来栄達される御方にござりますれば、久しく険悪となられるは、参議様の御為(おんため)にも成られますまい。」
「確かにのう。故に儂は、弟御の師輔(もろすけ)殿に近付き、摂関家との繋(つな)がりを深め様として居るのじゃが。」
「難しい所にござりまするな。それで実頼卿との溝が埋まる訳でも無く、師輔卿が氏長者(うじのちょうじゃ)と成られる事を祈る他は無し。」
「まあ、その頃には最早、儂は生きて居るまがのう。」
忠文はそう言って、力無く笑った。重武はその間畏(かしこ)まり続け、忠文の笑いが止んだ後、静かに話し始める。
「当面、参議様の御身(おんみ)を安泰たらしむる為には、やはり忠政様の御出陣が、不可欠の事かと存じまする。参議様の下、忠政様が武功を挙げれば、天子様の覚えも目出度(めでた)き事でござりましょう。」
「成程(なるほど)、相解った。では儂より朝廷に、忠政を西国へ出陣する許可を戴(いただ)ける様、奏上する事と致そう。」
忠文は重武から満足の行く助言を貰(もら)い、些(いささ)か胸の支(つか)えが下りた様子である。
「早速の御聞き届け、恭悦(きょうえつ)の極みに存じ奉(たてまつ)りまする。」
重武はゆっくりと礼を執った。

 二人の間で後日、出陣に当たって総大将平忠政を、養父良文の元へ迎える約束が交された。軍費、兵力、全てを良文が供する為、村岡平家の邸において軍勢を整える故である。加えて良文には、もう一つの狙いが有った。此度の出陣に係り、村岡平家が相馬家と存亡を共にする事の無い様、良文は宿老一名を随行させるに止めた。これは、東西に相次いで大規模な反乱が勃発し、故に神経質と成って居る朝廷に、村岡相馬両平家の連合に因(よ)る、要らぬ警戒心を抱(いだ)かせなぬためである。故に忠政の軍は、村岡家からの独立性を帯びる事と成るが、その上で良文は、戦の後も確(しっか)りと傘下に収めて置く為の、布石を打とうと考えて居た。

 話が纏(まと)まると、重武は忠文に礼を述べて退出し、邸を後にした。重武が帰ると、忠文は一通の書状を認め、家臣に持たせて邸を出発させた。しかる後、忠政を自室に呼び寄せた。

 程無く、忠政は忠文の元に現れ、礼を執った。
「御呼びにござりましょうか?」
忠文は笑顔で忠政を招き寄せる。忠政が忠文の前まで進み、腰を下ろすと、一息吐(つ)いて忠文が話し始めた。
「今し方、其方(そち)の養父良文殿より使者が参っての、其方に西国へ出陣する様言って参った。其方は未だ元服を済ませたばかりの若輩者。戦場(いくさば)へ赴くは恐ろしいであろう?」
急な話で忠政は動揺したが、直ぐに意を固めた顔付きで申し出る。
「某(それがし)は忠文様と養父の御二方に、この身を救われし者。故に御二方の御意(ぎょい)なれば、征(ゆ)かねば坂東武者の名折れ。若輩の身なれど、必ずや戦功を立て、忠文様の御恩に報いたく存じまする。」
それを聞いて忠文は、にこにこと微笑(ほほえ)んだ。
「善(よ)くぞ申した。流石(さすが)は将門殿の御子じゃ。されば儂(わし)から其方に、餞別(せんべつ)を取らせよう。」
そう言うと忠文は、忠政を更(さら)に近くへ招いてから告げた。
「良文殿は其方の為に、兵五百を用意致すとの事。されどそれだけでは、些(いささ)か心許(こころもと)無い。故に儂も一族の者を其方(そち)に付ける事と致す。それを以(もっ)て、父の汚名を晴らして来るが良かろう。」
忠政は、自身の立場を好転させる、又と無い機会を得た事を感じた。もし己(おのれ)が父の名誉を回復出来たなら、生き別れた母や兄妹との再会も、叶(かな)うかも知れない。戦(いくさ)が何(ど)の様な物かは知らないが、斯(か)かる希望が忠政の心を、戦地へと駆り立てた。
「はっ、斯様(かよう)な機会を得られ、御礼の申し様もござりませぬ。」
忠文に礼を述べながら、その眼は遠く、西国を望んで居た。

 十日が過ぎ、村岡家より出陣の準備が整った旨(むね)の通達が、藤原忠文の元へ届けられた。既に朝廷からは、小野好古の指揮下に入る様、宣旨(せんじ)が下って居る。忠文は忠政を呼んで、出陣を明朝と決め、良文にその旨を通知した。

 その夜、忠政は邸の一室で、独り夕餉(ゆうげ)を取って居た。明朝は初陣だと思うと、様々な想いが脳裏(のうり)を過(よぎ)ったが、全ては朦朧(もうろう)として居た。戦地に赴けば、全てが鮮明と成るであろう。忠政は時折、戦慄(せんりつ)を覚えた。十一歳の少年に取っては、余りにも酷な現実である。只、忠政に取って唯一救いと思えた事は、虐(しいた)げられて居た己に、優しい手を差し伸べてくれた村岡重武と、兄の様に接してくれる村岡忠重が、同行してくれる事であった。

 忠政は夕餉を済ませ、膳を片付けると、自室で大の字に成った。溜息は幾度出たか分からない。ふと、部屋の外から人の声が聞こえた。
「忠政様、大殿(おとど)が御呼びでござりまする。」
一体何事であろうと思い飛び起きると、忠政は直ぐに忠文の部屋へと向かった。

 忠文は自室にて、太刀を眺めて居た。忠政が現れた事に気付くと、それを脇に置き、部屋の中に招き入れた。忠政は一礼した後、部屋の中へ進むと、忠文の背後に人影らしき物が見えた。忠政は眼を凝(こ)らして、その影を見る。明かりが遠く見辛かったが、よく見ればそれは、鎧(よろい)と兜(かぶと)であった。忠政は暫(しばら)く鎧兜に気を取られて居たが、やがて我に返り、その視線を忠文に戻した。忠文は顔を綻(ほころ)ばせて告げる。
「明日初陣を飾る其方(そち)に、直(じか)に餞(はなむけ)をやりたくてのう。」
忠文は些(いささ)かはにかんだ顔を湛(たた)えた。しかし直ぐに真顔と成り、話を続ける。
「かちて其方の父君より其方の事を託された故、本来なれば斯(か)かる時には儂が、初陣を祝ってやる物じゃ。されど依然、其方の事を彼是(あれこれ)申す者が居る故、個人的にしか祝って遣る事が出来ぬ。許せよ。」
忠文はそう述べて、静かに頭を下げた。忠政はその様を見て、唯(ただ)呆然(ぼうぜん)としてしまった。やがてその状態から抜け切らないまま、忠政は口を開いた。
「何と申しましょうか。忠文様から斯様(かよう)な御言葉を掛けて戴(いただ)けるとは、望外の喜びにござりまする。」
忠文は莞爾(かんじ)として立ち上がると、鎧兜の傍(そば)へ歩み寄り、そこへ忠政を招き寄せた。忠政は立ち上がり傍へ進むと、忠文は忠政に鎧を着せてやった。最後に兜の緒を締めると、忠文は少し距離を置いて、まじまじと眺める。そして小物入れより手鏡を取り出し、忠政に渡した。忠政は甲冑(かっちゅう)を身に纏(まと)った己の姿を、初めて見た。先程まで朦朧(もうろう)として居た想像の一部が、鮮明に成った様な気がする。

 忠文はもう一つ、先刻眺めて居た太刀を手に取り、その手を忠政の方へと伸ばした。
「この太刀や甲冑は全て、未だ小さき其方(そち)の体に合わせて作らせし物じゃ。甲冑は軽く、太刀は短いが、丈夫な物にしてある。其方は一応旗頭を務めるが、臨機応変に采配を振う事は未だ難しかろう。此度の其方の使命は、生還する事と考えよ。解るな?」
忠政はこくりと頷(うなず)いた。忠文はそれを見て、笑顔で告げる。
「ではこれを持って行くが良い。」
忠政は忠文の手から差し伸べられた太刀を、恭(うやうや)しく押し戴いたが、未だ些(いささ)か呆然(ぼうぜん)として居る様であった。

 翌朝は厚く雲が立ち籠(こ)め、幾分強い風が京の都に吹いて居た。朝だというのに周囲は暗く、その光景が初陣を前にした忠政の心境を、一層沈(しず)んだ物にして居た。

 忠政は早くに朝餉(あさげ)を済ませると、忠文より下賜された鎧兜を身に纏(まと)い、忠文の元へ出陣の挨拶をしに参上した。忠文は庭先まで忠政を見送りに出てくれたが、その後ろには見慣れない、三十路(みそじ)程の武者が付き従って居た。

 庭に出ると、二十余名の歩兵が待機して居た。その内一名が、忠政が良文より拝領した黒駒の轡(くつわ)を取って居る。忠政が庭に降りると、見慣れぬ武者は忠政の前に駆け寄り、畏(かしこ)まって名乗り出る。
「初めて御目に掛かりまする。某(それがし)は藤原忠文卿の一族にして、播磨国における荘園の地頭職を務める近藤左衛門尉(さえもんのじょう)忠宗と申しまする。忠文卿の御指示により、忠政殿の指揮の下、瀬戸内近海を荒らす賊共を討伐に参りまする。」
近藤忠宗は笑みを浮かべ、忠政を見据えながら立ち上がった。忠政は急な事に、些(いささ)か不安気な面持ちで、忠文の方を振り返った。忠文はにこにことした顔で告げる。
「これこそ儂からの第一の餞別(せんべつ)じゃ。左衛門尉には播磨において五百の兵を用意して居る。村岡勢と併(あわ)せれば、一千騎と成ろう。又、近藤家の兵には水戦の訓練を受けた者も多く、瀬戸内の地理にも明るい。必ずや其方(そち)の助けと成るであろう。」
それを聞いて、忠政は安堵した。
「重ね重ねの御配慮、有難く存じまする。必ずや大殿(おとど)の御期待に沿えまする様、全力を尽して参りまする。」
別れの言葉を告げて深々と礼を執った後、忠政は黒駒に飛び乗った。近藤忠宗も騎乗し、歩兵二十名を伴い、藤原忠文邸を後にした。

 忠政率いる一隊は、やがて平良文の邸に到着した。門番が正門を開けると。中では既(すで)に、五百名の士卒が整然と隊列を整えて居り、正面奥には、両脇に村岡重武、忠重を従えた良文の姿が在った。五百の軍勢の中を一行は進んだが、騎馬隊も多数加わり、その威容に初陣を迎える忠政は、圧倒されそうに成って居た。

 忠政は良文の前に来ると、膝を突いて礼を執った。
「義父(ちち)上、御久しゅうござりまする。」
良文は一歩前へ進むと、跪(ひざまず)く忠政の目の前に、古い陣扇(じんせん)を差し伸べた。
「凛々(りり)しき武者の姿、真遖(あっぱれ)なり。泉下の将門殿も、嘸(さぞ)や御喜びの事であろう。」
良文は和(やわ)らいだ表情であったが、話を進めるに連れて、次第に真剣な目指しを向け始めた。
「此度の戦(いくさ)、其方(そなた)に取っては初陣なれど、父の汚名を雪(そそ)ぎ、又相馬の再興に係る大事なり。故に其方は相馬家当主として、慎重な行動を執らねば成らぬ。」
良文は手に持つ陣扇を、忠政の前に翳(かざ)す。
「この陣扇は儂が未だ若き頃、父高望公から拝領せし物で、これを用いて数多(あまた)の戦場(いくさば)にて指揮を執って参った。これを持って行くが良い。曾祖高望公の御加護が、得られる事であろう。」
忠政はそれを聞いて、顔を強張(こわば)らせながら押し戴いた。己の出自に係る物等、何一つ持って居なかった故である。良文は、周囲に居並ぶ五百名の将士に、声高に告げた。
「忠政は此度、我等が桓武平家の祖、高望王の陣扇にて采配を振う。努々(ゆめゆめ)これに叛(そむ)く事の無き様。」
村岡重武、忠重を始め、五百の兵が一斉に跪(ひざまず)く。その統率の取れた動きは、確かな精鋭部隊である事を示した。

 しかし、良文には一つ気懸りな事が有った。良文が、忠政の直ぐ後ろに控える近藤忠宗に、藤原忠文が用意した兵力を尋ねた所、村岡勢とほぼ同数である事が判(わか)った。良文は少し黙考した後に、真顔と成って忠政に尋ねる。
「其方は未だ若く、経験も浅い。総大将の責任で、軍師を任命して置いた方が良い。されど、一体誰が適任であろうかの?」
急な問いを掛けられて、忠政は戸惑いつつも、よくよく考えて見た。村岡勢を率いる重武は幾度も面識が有り、気心も知れて居る。片や近藤勢を率いる忠宗は、先刻初めて会ったばかりではあるが、己を養育してくれた参議忠文の一族にして、瀬戸内の地理に通じて居るという。暫し考えた後、忠政は意を決した。
「では、重武殿を任命する事と致しまする。」
「ほう、何故じゃ?」
良文は些(いささ)か、意外である様な表情を呈して尋ねた。
「重武殿は忠宗殿より、倍も歳を重ねて居りますれば、その分経験に富んで居る物と存じまする。」
しかし、良文の脇から重武が歩み出て、膝を突いて忠政に言上する。
「それは成りませぬ。近藤様は藤原式家に連なりし御方。それに比べ某(それがし)は、一介の田舎者にござりまする。迚(とて)も軍令を出す事等適(かな)いませぬ。」
それを聞いて忠政は、悲し気な表情で返す。
「それを言えば、私とて無位無官の身。身分がそれ程大事であるならば、私とて総大将を務める事は能(あた)わず。」
「加えてもう一つ、理に沿わぬ事がござりまするな。」
後方より、近藤忠宗が口を挟んだ。
「我等は忠政殿を総大将に戴く者。だのにその任ずる所に従わざれば、斯様(かよう)な精鋭を率い様とも、必ずや指揮系統に乱れが生じ、その力を充分に発揮する事は叶(かな)いますまい。」
忠政の判断に迷いが生じ始めた時、忠宗がうまく纏(まと)めてくれた事は有難かった。
「では、忠宗殿を副軍師に任ずる故、重武殿の補佐を務めて貰(もら)いたい。」
小さな総大将の提案を、忠宗は笑顔で承諾した。正直忠宗は、此度の出陣における兵権よりも、この春に東北の地にて勃発した反乱に対し、迅速な平定をなし遂げた村岡軍の兵法に、より強い興味を抱いて居た。

 やがて忠政は、良文より出陣祝いの杯を受け、愈々(いよいよ)軍を進発させる事と成った。先陣は村岡重武、殿軍(しんがり)は村岡忠重が務め、中軍に総大将平忠政と、近藤勢の姿が在った。忠政の軍は、続々と良文の邸を出発して行く。良文は殿軍の将忠重の傍へ歩み寄り、助言をする。
「此度は其方(そち)に取っても初陣。養父の言う事を良く聞き、決して無理をするでないぞ。」
忠重も幾分緊張して居る様であるが、父の言葉に笑顔で応え、やがて前の部隊に続いて出発して行った。

 戦(いくさ)の経験の無い少年に、所属の異なる一千もの部隊を統率出来るのであろうか。良文の心中には不安が過って居たが、参議忠文の望み故に受け入れてしまった。斯様(かよう)な混成部隊に、初陣の我が子を加えた事も後悔して居た。良文に取ってもう一つ意外であった事は、若年の忠政に、老臣に対して己の意思を述べる気概が有った事である。ともあれ、重武には余り危険は冒(おか)さぬ様に言って有る。此度は忠政が官軍に加わるだけでも意義が有ると、良文は考えて居た。それ故、重武を副大将では無く軍師とし、近藤家と指揮権を巡る諍(いさか)いが起らぬ様にも配慮した。近藤忠宗の面相から野心が窺(うかが)えなかった事に、良文は大きな安堵感を覚えて居た。

 忠政率いる五百余騎は、朱雀大路を南へ、羅生門に向かって居た。軍勢の旗印には相馬家の家紋、繋ぎ馬の絵と九曜が描かれて居る。頼もしい仲間を得られた一方、久しく過ごした都を離れる事は些(いささ)か寂しく、これが見納めと成らぬ事を祈った。

 陽は幾分高く成り、街には人々の姿が多く成って居た。皆軍勢に道を譲り、反乱鎮圧を期待する言葉を掛けて居る。今朝は昨日より一段と冷え込んで居り、冬の到来が近いと思われた。斯(か)かる時節、厳冬の奥州で戦い抜いて来た村岡軍が味方に在る事は、真に心強く感じられた。

兵五百とはいっても、その殆(ほとん)どが荷駄隊等であり、実際の戦力はそれより劣る物であった。されどその分、武具、兵糧等の軍需物資は豊富である。

 一行が目指す処は摂津(せっつ)であった。摂津の浜にて近藤水軍の迎えを受け、来(きた)る海戦の前に、坂東武者を船上に慣れさせる積(つも)りであった。

 忠政の軍は京を発った日の夕刻、摂津の浜に到着した。天候には恵まれたが、海辺故に風が強く、舞い上がる砂埃(すなぼこり)に辟易(へきえき)した。眼や口に砂が入るのを堪えながら、近藤忠宗の郎党二十名を探索に当てる事半時、近くの入江に近藤水軍を発見したとの報が入った。村岡重武は探索に出た兵を隊に戻すと、直ちにその入江に部隊を向かわせた。

 入江には五十艘の舟と、五十人程の水夫(かこ)が居た。近藤忠宗は彼等を指揮下に加え、各舟に兵を十余人ずつ乗せ、一艘の輸送船には軍馬や軍需物資を積み、司令船とした。水夫の一人が、風が強い為波が高く、船の揺れが大きい事を進言した。されど重武と忠宗は、転覆する程の荒天では無い為、却(かえ)って兵を船に慣らすには好都合であると、出航を決めた。

 五十艘の船団は、次々と入江を出発した。忠政は船首に立ち、瀬戸内が夕焼けで朱色に染まる、煥然(かんぜん)とした光景を目(ま)の当りにした。これから凄惨(せいさん)な戦(いくさ)が待っている事を、すっかり忘れてしまいそうな程、忠政はそれに心を打たれた。
「御大将、西国の景色も中々でござろう?」
その声に振り返ると、真後ろに忠宗が立って居た。
「平時なれば、もう少し真面(まとも)な船を用意出来るのでござるが、粗方(あらかた)追捕使(ついぶし)に徴発された後にて、已(や)むなく漁船を集めるに至った次第。実に参り申した。」
そう言って忠宗は苦笑した。とは言え、初めて軍旅と行動を共にする忠政の目には、五百人の大移動は実に壮観に映った。

 やがて忠政は船首を離れ、重武等の居る屋形内に戻ろうとした。その時、船が大きく揺れ、忠政は蹌踉(よろ)けて、忠宗の懐に倒れ掛かった。初めて一日中、重い甲冑(かっちゅう)を身に纏(まと)い、長距離を行軍した為、忠政の身体は頗(すこぶ)る疲れて居た。忠宗はそれを気遣い、狭いが屋形の中に、旗で簡易の床(とこ)を拵(こしら)えてくれた。忠宗が屋形を後にした後、忠政は旗に包まって横になった。疲れたので早く寝てしまおうと思ったのだが、過度の疲労から全身に痛みを感じ始め、又慣れない船の揺れの為に、中々寝付く事が出来なかった。

 程無く日没を迎えた。月や星の光を受けて、周囲はかなり明るい。船団は月下、瀬戸内海を西に進路を取り、静かに播磨国を目指して居た。

 翌朝、何者かに体を揺すられるのを感じ、忠政は目を覚ました。よく見れば、起しに来たのは村岡忠重であった。
「御大将、間も無く近藤殿の所領に到着致しまするぞ。」
忠重も西国は始めてであった為、新しい物に対する期待感を抱いて居る様である。忠重の浮き浮きとした表情を見て、忠政も何か面白い事が待って居る様な期待感が芽生え、急いで起きようとした。所がその刹那、全身に激痛が走り、僅(わず)かに起き上がった身体は再び、横に成ってしまった。その姿を見て、忠重は声高に笑う。
「昨日の疲れが痛みに変わった様でござるな。されど、それに慣れねば総大将は務まりませぬぞ。」
忠重に引き起され、忠政は再び全身に痛みを感じた。

 屋形から外に出ると、海風が爽(さわ)やかに潮の香を運んで居た。播磨は山城より幾分暖く感じられ、忠政は陽光輝く下、瀬戸内の景色に見入った。前方には小島が多数見え、左手には淡路島の威容を見る。右手の陸が播磨であるなと、眠い目を凝らして見ると、一ヵ所、人が大勢集まって、此方(こちら)を見て居る。彼所(あそこ)に上陸するのだなと思って眺めて居た時、後ろから不意に肩を叩かれた。直後、忠政は肩の近辺に走った激痛に驚き、慌てて振り返った。そこには、忠政の具足を屋形から運び出した、忠重の姿が在った。
「御大将、具足を御召しなされ。我等がここにおいて既(すで)に臨戦の心構えである事を、近藤家の者達に篤(とく)と示しましょうぞ。」
忠政は重い甲冑を再び纏(まと)う事に閉口したが、忠重が態々(わざわざ)屋形から運んで来てくれたので、渋々身に付け始めた。

 やがて船団が目的地の浜に接岸し始めると、続々と上陸を開始した。接岸地点の中央は、忠政等が乗る輸送船の為に空けられ、司令船もやがて接岸した。船は砂浜より二十間程手前で停止し、傍に漕ぎ付けた小舟に乗り換えて上陸した。忠政は乗り慣れない船から陸の上に移り、半日振りの陸地を、些(いささ)か懐かしく感じた。

 輸送船を降りた一団の中から、近藤忠宗が先頭を切って歩き出そ其の内の一名を伴って、忠政や重武の元に歩み寄る。その男は顔立ちが忠宗に良く似て居て、年は若干(じゃっかん)若い様であった。忠宗はその武士と共に忠政の前で礼を執り、紹介をする。
「この者は某(それがし)の弟にて、宗弘と申しまする。今まで瀬戸内の戦況を探(さぐ)らせて居り、今後は某(それがし)と共に出陣致しまする。」
兄が話し終えると、続いて近藤宗弘が口を開いた。
「宗弘にござりまする。既(すで)に水軍五百名が戦(いくさ)の準備を整え、待機致して居りまする。」
「うむ。頼もしそうな武士じゃ。では館に案内して貰(もら)い、今後の計画を決めると致そう。」
忠政は笑顔で返し、宗弘はそれに恭(うやうや)しく応ずる。総大将と雖(いえど)も未だ少年の忠政に対し、名門の一族である近藤宗弘が気を遣(つか)って居る事は、忠政に取っては意外であった。忠政は腑(ふ)に落ちぬ面持ちのまま、宗弘の案内を受けて、村岡父子や忠宗等と共に、館内へと入って行った。

 館の一室に案内され、忠政がその上座に腰を下ろし、手前両側に其々(それぞれ)村岡父子と近藤兄弟が座する。一同には先ず、朝餉(あさげ)が振舞われた。村岡家と近藤家はこれまで繋(つな)がりが無く、唯(ただ)黙々と食べて居た。総大将は最も若く、故に両家の仲を取り持つ術(すべ)を持たなかった。

 やがて皆の食事が済み、膳が下げられた。同時に近藤宗弘は地図を用意し、一同の中央に広げる。宗弘が己の席に戻ると、先ず村岡重武が話を切り出した。
「これより軍議を開き、我等の今後の指針を決め様と存ずる。では先ず宗弘殿より、入手した西国の情勢を御聞かせ願いたい。」
宗弘はそれに応ずると、地図の傍に躙(にじ)り寄り、説明を始めた。宗弘の情報に依れば、海賊は官軍に対し各地で劣勢であれども、依然四国近海において健在であり、追捕使(ついぶし)小野好古は讃予両国に睨(にら)みを効かせるべく、備後に本陣を置いて居るとの事であった。それを聞いた重武は頷(うなず)いて、先ず己の考えを述べる。
「成程(なるほど)、官軍は慎重に戦(いくさ)を進めて居ると見える。となれば、我等一千騎が官軍に合流し、その指揮下に入ったとしても、目立つ戦功を挙げる事は難しかろう。よって我等は単独で讃岐、伊予に攻め入り、先ず戦果を挙げた後に、追捕使と合流するのが良いと思われる。水戦で万一不利な状況に陥(おちい)ろうとも、我が騎馬隊は未だ、陸戦で後れを取った事はござらぬ。」
重武の案に対し、続いて忠宗が意見を述べる。
「先の奥州の反乱を、豪雪の中、短期間にて鎮圧した村岡軍の御言葉、誠に頼もしき限りと存ずる。されど此度の戦場(いくさば)は海にて、敵の潜伏し易き小島が多く、奇襲を受け易い不利がござり申す。又、連日夜襲を受ければ、我等の兵は疲弊し、進軍は困難と成りましょう。」
重武は腕を組み、忠宗を見据えて反論する。
「ふむ、忠宗殿は中々慎重な御方と御見受け致す。されど一千もの兵を抱えて居る今、その考えは少々弱気に過ぎるかと存ずる。当家は相馬家再興の使命がござれば、多少危(あや)うい橋を渡る覚悟はござる。」
忠宗は腕を組んで思案し始めたが、やがて隣に座る弟宗弘に尋ねた。
「やはり儂(わし)は危険だと思うのだが、御主は如何(どう)考える?」
兄の言を受け、宗弘は些(いささ)か動揺した様子で黙考して居たが、やがて床に手を突いて、頭を下げた。皆何事かと驚き、忠宗が弟に問う。
「一体何事ぞ?」
宗弘は頭を上げて、怖(お)じ怖じしながら話し始めた。
「以前、兄上より兵五百、軍舶百艘を用意致す様命を受け申した。されど先日、追捕使の指令でそれ等の軍船を全て供出してしまい、我等にはその後集めた輸送船一艘と、漁船五十艘が有るのみ。故に兵は、五百しか乗せられませぬ。」
そう報告すると、宗弘は再び頭を伏せた。

 それを聞いて、一同は黙り込んでしまった。先程の意見の衝突で、今後更(さら)に溝を深める事を危惧(きぐ)した重武と忠宗は、共に意見を出す事に消極的に成ってしまった様である。今まで只重武や忠宗の言う通りに為て来た忠政は、総大将と為て、己の意見を述べて見たく成った。辺りを見渡し、両者が思案し続けて居るのを確認すると、遂に忠政の口が動いた。
「我に策有り。」
一同は、一斉に忠政の方を向いた。忠政は一瞬動悸(どうき)を打った。そして皆が無言で此方(こちら)を見て居るのを感じながら、話を続ける。
「船が足りぬのであれば、五百の兵のみで進む事は已(や)むを得ぬ。されば村岡、近藤の両軍を其々(それぞれ)二隊に分け、船戦に慣れぬ村岡勢四百を近藤兵百が此の地で調練する。残りの村岡勢百と近藤勢四百を以(もっ)て、我等は先ず備後の追捕使に合流する。」
忠宗は驚いた表情で、忠政に告げる。
「流石(さすが)は総大将。良き着想でござる。今はそれが最善でござろう。のう、軍師殿?」
重武もその意見に賛同した。総大将が案を示し、配下が皆それに同意する事は、部隊の統率に良い影響を及ぼす事であろうと、重武は考えた。一方で忠政は、重武、忠宗の二将が衝突する事を懸念し、更(さら)にもう一つの提案を示した。
「部隊を二つに分けるに当たり、将の配置も決めて置きたい。備後に向かう部隊は近藤勢が多数を占める故、忠宗殿に同行して貰(もら)うのが良いとも思うのだが、やはり当海域に最も通じた宗弘殿を伴いたい。故に備後へは私と重武殿、宗弘殿で向かう事と致す。播磨の大将は忠宗殿とし、調練を受ける隊の纏(まと)め役は忠重殿とする。」
皆、重武と忠宗の二大将が同道する事に、統率権に係る不安を感じて居たので、この案は容易に採択された。忠宗から見れば、自身は半数の兵の大将と成り、本隊も宗弘を始め、大半を近藤家の兵が占める。面目も立ち、又軍功を挙げる機会も得られ、忠宗は至極(しごく)満足であった。一方の重武は、本隊を心置きなく指揮出来る様に成り、此方(こちら)も又満足して居た。更(さら)に忠政に取って見れば、百戦錬磨の重武が傍で指揮を執ってくれる事が、迚(とて)も心強かった。
「では某(それがし)の隊は調練を終え、船戦(ふないくさ)の調達が出来次第、本隊と合流致したく存じまする。」
忠宗の言を重武が了承し、今後の方針が一先ず決定された。

 軍議が終り、部隊の再編の為に、皆席を立って行く。この時、近藤忠宗が以前より己に敬意を払ってくれて居る様に、忠政には感じられた。確かに忠宗は、未だ子供と言っても過言ではない忠政に、既(すで)に人の心を動かす能力を秘めて居ると感じ、些(いささ)かの畏怖を覚えて居た。ともあれ、忠政は何気無く嬉しさを感じて居た。しかしふと、再び船に乗らねば成らない事を思い出し、辟易(へきえき)とした気分に成った。

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