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第五節 常陸の秘事
文月も末に成ると、盛夏の候の暑さは大分影を潜(ひそ)め、本格的に秋の涼しさが感じられる様に成って来た。稲穂は金色に頭(こうべ)を垂れ、収穫期の到来が近い事を感じさせる。又、赤蜻蛉(あかとんぼ)が飛び交い、秋の景色を深めていた。
未(ひつじ)の刻、一日で最も暑い頃であるが、夏の盛りを過ぎた今、皆涼しげな表情で、各々の作業に取り組んで居る。館の外では幾人かが、夏に伸び放題であった雑草を刈り取り、道端を綺麗にしていた。
そこへ二十騎程の一隊が、館に到着した。館の者は皆、礼を執って迎える。隊を率いて居たのは、村岡重武である。二十騎悉(ことごと)く、服は泥で汚れ、髪もばさばさであった。
重武以下二十名は、正門に入ると馬を下り、館の奥へ入って行った。重武等が向かう先、館内の政庁には、平良文や平忠頼の他、重臣達が軍議を開いて居た。
良文は京より関東へ戻ると、先ず相模国鎌倉郡の本拠地に入り、都に伴った兵を解いた。そして別に五百の兵を集め、ここ武蔵国大里郡の忠頼館に入ったのである。そして任地常陸の国府に赴く前に、国府周辺の様子を探るべく、重武等を先遣として送って居たのであった。
政庁で重臣達が意見を述べる中、重武等の到着が告げられた。重武等は政庁の広間に入ったが、汗を拭(ぬぐ)って服を着替えただけなので、大層臭いが漂(ただよ)った。しかし皆戦場(いくさば)で慣れて居る為、動ずる者は居ない。
二十名が広間の中央に座り礼を執ると、先ず良文が尋ねた。
「首尾は如何(どう)であった?」
それを受けて、最前列に重武と並んで座る少年が答える。
「上々にござりまする。」
良文は微笑(ほほえ)んで返す。
「そうか。それは御苦労であった。」
その少年は良文の子で、平忠光といった。忠頼の弟に当たる。そして良文の視線は、重武に向けられた。それを受けて、重武の口が開く。
「では、申し上げまする。先ず国府の地勢にござりまするが、国府は茨城郡に属し、直ぐ南には恋瀬川という川が流れて居りまする。西方には筑波山を望み、東南には内海(霞ケ浦)を擁しまする。又、北方には園部川が在りまする。故に大雨等で南北両川が氾濫(はんらん)した場合、北西筑波山麓には平貞盛殿の勢力が有り、南東には拠(よ)るべき処が無く、孤立の恐れ多き処と見受けましてござりまする。」
それを聞いて、良文や重臣らの表情が、俄(にわか)に険しく成った。忠頼が重武に尋ねる。
「ならば、もし貞盛殿と揉(も)める事が有れば、雨季においては、背水の陣を布(し)かざるを得ぬという事か?」
「御意。貞盛率いる真壁勢は、二千騎は下らず。又、長期戦に及んだ場合、友軍を武州、相州にて募(つの)ったとしても、下野の藤原秀郷や常陸の藤原為憲が連合し、味方を足留めしたならば、我が軍は崩壊に至る怖れがござりまする。」
それを聞いた児玉頼経が、脇から質問した。
「それでは地の利から、我等は真壁家の上には立てぬという事でござろうか?」
那珂頼為が、一案を述べる。
「ならば我等も大軍を率いて行けば、真壁勢も怖るるに足らぬのでは?」
それは即座に、隣の頼経に否定された。
「大軍を伴えば、それだけで軍費が嵩(かさ)む。その分を民から徴収すれば、殿の名声は失墜し、又真壁家に要らぬ警戒心を抱かせようぞ。」
「ああ、成程(なるほど)。」
頼為は直ぐに納得した。その様子がおかしかった所為(せい)か、周囲の者が笑い出した。それ等の声を制止する様に、大きな声で良文が重武に尋ねる。
「常陸の情勢は如何(どう)であった?貞盛は、秀郷や為憲との連携を維持して居るのか?」
「はっ、それに就(つ)きましては、これ等の者に御尋ね下さりませ。」
そう言うと、重武は振り向いて、顎(あご)で合図を送った。それを受けて、前方左手の者が報告する。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。某(それがし)は藤原為憲殿の館に潜入し、その動きを探(さぐ)って参りましてござりまする。為憲殿は従五位下大工介(だいくのすけ)に任官した後は都を拠点とし、朝廷の覚えを良くするべき方に力を注いで居る由(よし)。当面坂東の覇権に関しては、消極的に成る物と見受けましてござりまする。」
続いて、隣の者が言上する。
「某(それがし)は下野を担当せし者にござりまする。藤原秀郷殿は大乱平定後も兵の鍛錬を続け、隙(すき)有らば、関東中央に進出する野心無しとは申せませぬ。下野には注意を向け続ける必要有りと存じまする。」
更(さら)に、その隣の者が口を開いた。
「申し上げまする。某(それがし)は真壁郡の情報を得て参りましてござりまする。貞盛殿は京にて朝廷における地位を高めるべく、常陸を留守にし勝ちにござりまする。兵馬の調練にも熱心さが欠けて居りますれば、仮に合戦に及んだとしても、然程(さほど)苦戦は強(し)いられなき物と存じまする。」
最後に、重武が総括する。
「常陸の土豪の内、千騎以上を擁する強豪と言えば、平貞盛殿と藤原為憲殿にござまするが、これ等両勢は朝廷の覚えの良い今、都にて公卿との繋(つな)がりを深める方が利多く、徒(いたずら)に常陸にて我等と悶着(もんちゃく)を起す事は考え難うござりまする。我等は今こそ常陸に勢力を伸ばし、坂東の中央を抑え、桓武平家の氏長者(うじのちょうじゃ)たる地位を確立すべきと存じまする。又、近時(きんじ)台頭著(いちじる)しい藤原秀郷殿に、付け入る隙を与えぬ様にせせねば成りませぬ。」
重武の話が終ると、暫(しばら)く広間には沈黙が続いたが、やがて重臣達が騒(ざわ)めき始めた。だが次第に、その声は纏(まと)まって行った。それ等を代表するかの様に、忠頼が大声で言い放った。
「異議無し。常陸進出は、当家の大いなる利と存ずる。」
そして右を向き、良文に尋ねる。
「父上の御存念は、如何(いかが)にござりましょうや?」
重臣達の目が一斉に、良文に向けられる。良文は広間を見渡し、静かに口を開いた。
「先の大乱より早半年、常州も戦火を被(こうむ)り、民は平和を望んで居る。我等は朝命に従い常陸へ進み、天下の為に民を安んずるべし。」
家臣は「おお」と声を上げ、評定は常陸入府を決定した。
軍議を終えると、良文は重武とその家臣一名を連れて、己(おのれ)の居間へと向かった。重武は周囲に人影が無い事を確かめ、最後に部屋に入る。三人が着座すると、先ず良文が話を切り出した。
「あの件の事だが、如何(どう)であった?」
重武は即座に察して答える。
「適当な地が無いか、極(ごく)小数の腹心に調査させ申した。されど、安全とは言い難き処ばかりにて。ただ、最も有望な処をこの者が探し出しました故、殿の元に連れて参った次第にござりまする。」
「ほう。」
良文は視線を、その男に向けた。話は、平小太郎一族を匿(かくま)うに適した場所であった。男は、余り覇気の有る面相では無かったが、性格は真面目(まじめ)そうである。
「殿に御説明致せ。」
重武が指示したので、男は答えた。
「はっ。では申し上げまする。某(それがし)は内海(霞ケ浦)の周辺、即(すなわ)ち行方(なめかた)郡、信太(しだ)郡を調査致し申した。されど、行方郡は鹿島郡下の豪族の影響が強く、鹿島は平国香殿の息が掛かりし者が多い為に、危険極り無しと存じまする。一方で信太郡を調査致したる所、万一敵対勢力に発見されし場合、浮島が最も難を避けるに適したる処と存じましてござりまする。」
「浮島とな?」
「はっ。浮島は内海(霞ケ浦)の南西にござりまする。島の北東には浦が広がり、南西には多少の起伏を持った丘が控えて居りまする。島には和田なる岬を擁し、そこから対岸の行方郡までは、一里と有りませぬ。又水運を用いれば、国府より一里の湊(みなと)に到着出来まする。近隣にも大した勢力は居らず、民衆も穏やかなる者多く、最適の地と判断致しましてござりまする。」
男が話を終えると、良文は深く考え込んで了った。
「重武、儂(わし)はそこを実際に見て回る事は出来ぬ。儂が赴任後早々に彼(か)の地を巡視致さば、近隣豪族の無用な注目を集めてしまう。其方(そち)自身も現地にて確認に及び、見込み有りと判断したのであろう。ならば、そこで良い。」
良文の言葉を聞き、重武とその家臣は平伏した。そして、主君が信頼を以(もっ)て答えてくれた事を、嬉しく思った。
話を終え、重武は家臣を下がらせる。そして二人は、館の奥へと移って行った。二人は館の中でも、取分け人の出入りの少ない蔵に立ち入った。そこには、石井御前や平小太郎、妹の五月姫、春姫が移されて居る。
二人が現れた事に気付くと、母子四人は直ちに礼を執った。数日前に、忠重屋敷よりここに移ったばかりであり、良文に会うのは三月振りである。
「御久しゅうござりまする。」
母御前が挨拶をすると、良文は笑顔で語り掛けた。
「石井(いわい)殿、喜ばれよ。其方(そなた)が次男、小次郎殿は元服し、名を平忠政と改めた。中々凛々(りり)しき武士に成長して居る。」
御前は驚き、良文に問い返す。
「其(そ)は、真にござりまするか?それに忠政とは?」
良文は表情をやや硬くして、御前に経緯(いきさつ)を話した。
「小次郎は儂(わし)の養子と成る事を承諾し、よって儂の子として元服致した。忠政の忠は儂の子に等しく付けて居る字であり、政の字は即(すなわ)ち相馬家の将である。今は参議藤原忠文卿も味方と成り、忠政を養育しておわされる。近い将来、相馬家の再興も夢ではあるまい。」
「おお。」
母御前は声を上げた。顔は些(いささ)か紅潮して居る。
「有難うござりまする。」
母御前と小太郎は礼を述べた。母御前の眼には涙が溢(あふ)れて居る。良文は姪(めい)に温かい笑みを向けて居たが、やがてその眼指を小太郎に向けた。
「儂は此度常陸介に任官し、彼(か)の地へ赴かねば成らぬ。その為、事前に国内を調査致した所、其方(そなた)が隠れ住むのに適した土地が有った。故に其方には、常陸へ行って貰(もら)いたい。ここは人の出入りが多い故に、何時(いつ)までも置いては置けぬのじゃ。」
小太郎は良文の言に対して、些(いささ)かも躊躇(ちゅうちょ)や不安を見せずに答えた。
「有難く存じまする。喜んで、仰(おお)せに従いとうござりまする。」
良文は小太郎のその健気(けなげ)な質(たち)を見て、幾分同情の念が沸(わ)き起った。小次郎には参議忠文という後ろ楯が有る故に、公然と護(まも)ってやる事が出来る。されども小太郎は、乱の折東国に在り、嫡男なれど後ろ楯が無く、故に人里離れた処に匿(かくま)うのが精一杯である。更(さら)に、家中に仕(つか)えて日の浅い者や、小太郎を匿う事への価値に疑問を抱く者が、朝廷に密告する事は充分に考えられる。此度小太郎を匿う事の方が、先の忠政を助けた時よりも、家臣と協議出来ぬ分更(さら)に難しいと、良文は感じて居た。
良文が彼是(あれこれ)考えを巡らせて居ると、突然母御前が尋ねて来た。
「叔父上、我が娘達は如何(いかが)相成りましょうや?」
良文はふと姪(めい)の顔を見返した。その顔にはまざまざと、不安の色が出て居た。良文は眼を些(いささ)か細め、振り向いて重武に促(うなが)した。重武はそれを受けて、石井御前や姫達の前へ躙(にじ)り出た。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。姫君方には、常陸国筑波山が南麓に東福寺と称する寺院がござりますれば、そこに入って戴(いただ)きとう、御願い申し上げまする。」
「筑波の御山。彼(か)の地は敵将平貞盛が所領。危険過ぎまする。」
「確かにそうではござりまするが、彼(か)の寺の住持とは既(すで)に誼(よしみ)を通じて居り、又足元の方が、敵の目にも付き難いかと存じまする。貞盛殿は都を拠点として居りますれば、東国の、しかも領内の偵察には、然程(さほど)力を入れぬ物と存じまする。」
それを聞いて、母御前は静かに眼を閉じた。
「成程(なるほど)、解りました。我等には最早、村岡家の他に頼る処がござりませぬ。宜しく御願致しまする。」
母御前が良文と重武に頭を下げるので、重武は更(さら)に深く平伏した。一方で良文は、すっと立ち上がって申し渡す。
「出発は儂(わし)と時をずらして行う。詳しくはこの重武を通して、再び通知致す。怖らく五日後辺りと成るであろう。」
言い終えると、良文は母子の直ぐ前まで歩み出て、片膝を突いた。
「これで御別れじゃ。もう会う事も無いであろう。しかし、小太郎殿や小次郎殿が相馬家再興を果し得れば、或(ある)いは再び、一族が集まる事も叶(かな)うやも知れぬ。御身を御大切に。」
母御前は声を掛け様としたが、良文は立ち上がり、背を向けて蔵を出て行ってしまった。
「それでは後日。」
そう言って、重武も一礼した後、良文を追って蔵を後にした。母御前は、最後に伝えるべき言葉が見付からなかった。故に合掌して、具体化されない気持ちを唯(ただ)、念じるのみであった。やがて気持ちの一端が、涙と成って母御前の頬(ほお)を伝って行った。
*
三日後、良文は兵五百を伴い、常陸国府へ向けて出発した。しかし館奥に潜(ひそ)む母子には、その事は分からなかった。更(さら)に三日が過ぎ、夜も更(ふ)けた頃、母子の元へ村岡重武が、児玉頼経と那珂頼為を伴い、現れた。母御前は覚悟を固めた面持ちで、静かに尋ねる。
「愈々(いよいよ)、出立の時が参りましたか?」
村岡重武が答える。
「今宵(こよい)、姫様御二人に、先に出発して戴きまする。」
「妾(わらわ)や小太郎と、共に参る訳ではありませぬのか?」
母御前は驚いた様子で、尋ね返した。
「はっ。御前と若君を御移し奉(たてまつ)る事は、他国の者に知られては成らぬ一大事。姫君を伴うは発覚の危険高く、小太郎様の御為(おんため)にも成りませぬ。姫君方は必ずや、この那珂頼為が無事に送り届けまする。」
重武の後ろに控える頼為が、すっと座礼を執った。母御前は眼を瞑(つむ)り、暫(しば)し黙考して居る様であったが、やがて重武の方を向いて告げる。
「承知致しました。何卒(なにとぞ)娘達の事、宜しく御頼み申しまする。唯(ただ)一つ、娘達に伝えて置きたき事がござりまする故、少し時間を下さりませ。」
「別れの名残(なごり)がござりましょう。では我等は準備を整え、半時後、再び御迎えに参りまする。」
「有難く存じまする。」
重武以下三名は、礼を執った後立ち上がり、蔵を後にした。
三人の足音が遠ざかったのを聞いて、母御前は三人の子供達を己の傍(そば)へと呼んだ。そして一尺程の大きさの、直方体の包みを脇から取り出した。紫色の包みを解くと、中に包まれて居た物は厨子(ずし)であった。母御前が厨子の扉を開けると、一体の地蔵尊像が納められて居た。子供達は初めて見る物なので、不思議そうな表情を浮かべて居る。像は金色に輝いて居た。
「この地蔵菩薩は、父上の御祖父(じじ)様、即(すなわ)ち平高望公より当家に伝えられし家宝にして、我等が相馬家の者である事を証明し得る、唯一の物なのです。本来なれば小太郎が受け継ぐべき物なのですが、浮島という地に移りし後、妾(わらわ)等は如何(どう)成るか分かりませぬ。小次郎に再興の望みが有るのであれば、これは必ず必要と成る物。」
三人の子供達は黙って聞いて居た。そして母御前は上の娘、五月姫に顔を向ける。娘は母の視線を受けて、一瞬たじろいだ。
「其方(そなた)が仏門に入るのであれば、酷(ひど)い仕打ちをされる事も有りますまい。五月、母に代わってこの家宝を護っておくれ。」
五月姫は、未だ十歳にも満たない幼子である。母や兄との別れを前に、激しく動揺して居た。
「母上や兄上と、別れたくありませぬ。」
母御前は溜息を吐(つ)いて、暫(しば)し地蔵菩薩に念仏を唱えて居た。やがて直ると、菩薩像を納めた厨子の扉を閉め、布で包んだ。そして、それを五月姫の手に乗せて告げる。
「最早、母や兄上と共に居る事は叶(かな)いませぬ。されど、父上と共に過ごす事は出来ましょう。」
「何故(なぜ)にござりましょう?父上は亡くなられたのではないのですか?」
眼を赤く腫(は)らし、涙を流す娘に、母御前は優しく言葉を接いだ。
「この地蔵菩薩には、其方(そなた)の父将門公と、祖父良将公の魂が宿っています。これを肌身離さず持って居れば、必ずや祖先の霊が、其方を御守り下さる事でしょう。小太郎か小次郎が其方を迎えに参る、その時までの辛抱(しんぼう)です。その後は兄上が、其方やお春を護ってくれる事でしょう。」
母御前の哀し気な笑みを見て、五月姫はこくりと頷(うなず)いた。母御前は、五月姫の膝の上に置かれた包みから手を離し、袖(そで)で眼の辺りを拭(ぬぐ)った。下の娘、春姫も母の物を強請(ねだ)るので、逃避行の最中、襤褸々々(ぼろぼろ)に成った扇子を渡す。やれる物といえば、これ位の物しか残って居なかった。されど、春姫は大いに喜んだ。何時(いつ)までも名残(なごり)は尽きなかった。小太郎は言葉少な気に、只座って居た。母や妹の心の慟哭を感じ、己の無力さに憤(いきどお)って居たのである。
やがて村岡重武が、出発の準備が整った旨(むね)を告げに来た。母御前は二人の娘に、重武に付いて行く様に諭(さと)すが、娘達は中々母の元を離れる事が出来ない。母が思案に暮れるのを見兼ねて、小太郎は妹達に告げる。
「筑波の御山と浮島とでは、目と鼻の先じゃ。兄が後から迎えに行く故、今は大人しく、重武殿と先に行ってくれ。」
娘達は母親の悲し気な表情に気付き、兄の言を聞き入れて、ゆっくりと重武の元へ歩み寄った。
村岡重武は妹姫を、那珂頼為は姉姫の手を曳(ひ)き、蔵を後にしようとした時、母御前は突如、声を荒げた。
「重武殿、頼為殿。姫達の事、何卒(なにとぞ)よしなに。」
重武は足を止めて静かに頷(うなず)き、再び春姫の手を曳いて進み始めた。二人の姫は、姿が見えなく成る時まで、母や兄を見続けて居た。母御前と小太郎を残して皆蔵から出ると、児玉頼経が再び扉を閉め、蔵の中は闇に覆われた。この後、母子兄妹が再会する事は無かった。
重武は直ぐに近くの部屋で、姫達を大きな箱の中に隠し、腹心にその荷を担(かつ)がせた。そして庭で荷車に乗せ、主命と称して那珂頼為以下三名は、館門を出た。姫二人を入れた木箱には二、三ヶ所、節の所に穴が開いて居り、そこから外を覗(のぞ)く事が出来た。館の篝火(かがりび)が遠ざかって行く。五月姫は無事に館を脱した事に安堵したが、傍(かたわ)らで妹が震えて居るのを感じ、春姫にそっと囁(ささや)いた。
「お春、もう大丈夫じゃ。無事に館を出られました。早くも、母上から御預かりした地蔵菩薩の、御加護が有った様です。私達は先に常陸へ赴き、母上や兄上の到着を待つと致しましょう。」
「はい。」
春姫は姉の言葉に、些(いささ)か安心した様子であった。二人は長い事、狭く暗い蔵の中で過ごして来たので、この箱の中に居るのも、早々に慣れてしまった。箱の底には柔らかい布が敷かれ、荷車の揺れも心地好く感じられた。何時(いつ)しか二人は、深い眠りに入って居た。
*
翌日、那珂頼為等は下野国南端を経由して、常陸国を目指して居た。ここは藤原秀郷が支配する土地であったので、頼為等は野良着を纏(まと)い、姫達を隠した箱の脇に汚れた桶(おけ)等を置き、荷車で運ぶ農夫の偽装をして居た。
一行は下野国芳賀郡から南下し、常陸国新治郡に入った。ここからは平貞盛の所領である。将門の乱鎮圧から未だ日は浅いが、藤原家との同盟関係が保たれて居る為か、国境の警備は緩(ゆる)く、通過は頼為の予想通り、容易であった。その頃、陽は大分西の方に傾き、周囲は幾分暗く成り始めて居た。最も人の姿を視認し難く、怪しまれずに済む時間帯に、一行は貞盛の支配下に在る新治、真壁両郡を抜ける事が出来た。加波山から筑波山に連なる山並の西麓は、桜川に沿って平地が在り、荷車を押すのが思いの外順調であった事が幸いした。筑波山の西南方は筑波郡であり、その南端に流れる桜川を渡ると、そこは目的地である河内郡の松塚村であった。
陽が西の山並に掛かり、周囲が濃紺色に包まれ始めた頃、一行は東福寺山門に到着した。頼為が先ず山門を潜(くぐ)る。
「誰ぞ居られませぬか?」
然程(さほど)大きくは無いが、良く通る声であった。ふと、遠くより一人の僧が歩いて来るのが見えた。五十を幾分過ぎては居るが、矍鑠(かくしゃく)とした僧正(そうじょう)である。
「那珂の、頼為殿でしたな?」
「はっ、此度は主命を帯びて罷(まか)り越した次第にござりまする。」
「まあ御入りなされ。供の方々もどうぞ。」
頼為の指示を受けて、供の者達は荷車の上から姫達を入れた木箱を持ち上げ、僧正の後に付いて、寺院の中へと入って行った。
僧正は彼等を己の居間へと案内した。部屋の中に木箱を運び込むと、頼為を残して供の者は庭へと出た。見れば、辺りに幾人かの小坊主(こぼうず)が、何事かと此方(こちら)を見に集まって居る。僧正が小坊主達に、自分達の部屋に戻る様告げると、皆渋々とその場を離れて行った。
僧正と頼為だけが部屋に残り、簾(すだれ)が下げられた。両者が着座すると、先ず僧正から話を切り出した。
「御要件は既に伺(うかが)って居ります。先の戦乱で亡くなられた将門公の、二人の姫君を当院で預かって欲しいとの事でしたな?」
僧正は涼やかな表情で、さらりと言った。
「然様(さよう)にござりまする。是非(ぜひ)にも宜しく御願い致しまする。」
頼為は平静さを装って居るが、内心は村岡家存亡の大事を想い、緊張の極みであった。顳顬(こめかみ)には僅(わず)かに、冷汗が滲(にじ)んで居る。
僧正はふと、空(くう)を見上げて尋ねた。
「鎮守将軍は何故(なにゆえ)、朝敵の御子を御救いなさるのか?」
そう言い終えると、増正の視線は頼為に向けられた。頼為はその問いに対し、思う所を素直に答える。
「唯(ただ)、惻隠(そくいん)の情にござりまする。如何(いか)なる理由が有りましょうとも、幼子に助けを求められて、見捨てる事が出来ましょうや?」
真剣な表情の頼為に対し、僧正は穏やかに告げる。
「成程(なるほど)、私共の目指す百姓の求済に、通ずる所がござりますな。解りました。では御預かり致しましょう。」
その言葉を聞き、頼為は漸(ようや)く安堵(あんど)出来た。
「誠に有難く存じまする。主君良文も嘸(さぞ)や、喜ばれる事でござりましょう。では、姫君方に御会い戴(いただ)く事に致しましょう。」
頼為は木箱の紐(ひも)を解いた。蓋(ふた)を開けると、中では二人の姫達が眠り込んで居た。荷車の振動と、長時間に渡る緊張の持続で、身体共に疲れ切った様子であった。僧正は部屋の簾(すだれ)を上げ、庭で待機する頼為の従者等に、蒲団を用意して在る隣の部屋まで、運ぶ様に告げた。
二人の姫を床(とこ)に寝かせると、頼為は庭に下りた。僧正も共に庭に出て、頼為に尋ねる。
「もう御行きなさるのか?」
「はっ、長居は無用にござりますれば、我等はこれにて失礼致したく存じまする。」
「然様(さよう)か。この辺りは平貞盛殿の所領に近い。気を付けて行かれよ。」
「御忠告、有難く存じまする。されど、貞盛殿は在京なれば、東国への関心は薄れ、よって警備も手薄と成って居る様に見受けられまする。」
すると僧正は、頼為から目を背(そむ)け、北方の筑波山を指差した。陽は既に没し、紺色の大空の下に、漆黒の山嶺の影が浮かんで居る。
「霊峰筑波山の南麓に、水守(みもり)と称す地が有る。良正殿が京へ戻った後、貞盛殿は御舎弟繁盛殿に彼(か)の地を任せ、数百騎を伴い砦(とりで)を築かれた。あの辺りは米所故、繁盛殿は筑波郡の統治に力を注ぐ事でありましょう。国府からは僅かに五里、用心なされよ。」
頼為は僧正の忠告を真剣に聞いて居た。
「僧正、貴重な御話を拝聴出来た事、誠に有難く存じまする。」
深々と礼を執り、頼為は僧正に別れを告げる。
「もし何ぞ困り事が出来(しゅったい)された時には、国府に使者を御遣(つか)わし下され。では姫君の事、宜しゅう御願い致しまする。」
そう言って頼為等は、姫二人を寺に残し、夕闇の中へと消えて行った。僧正は合掌して見送りながら、真言を唱えて居る。その眼は、俗世の悲劇を痛んで居る様であった。
やがて陽は完全に落ち、辺りは闇に包まれた。筑波山の輪郭も、最早捉(とら)える事は出来ない。僧正は山門を潜(くぐ)り、寺院の中へと戻って行った。
*
翌朝、寺の小坊主達が、庭の掃除を始め出した。夏季である為、早朝にも拘(かかわ)らず、東の空は大分明るく成って居た。早旦(そうたん)の静寂の中、庭を掃く箒(ほうき)の音が際(きわ)立って聞こえて居る。
その音で、姉の五月姫は目を覚ました。未だ些(いささ)か寝惚(ねぼ)けて居る様であったが、周りを見渡し、隣で春姫が寝て居るのを認めると、ふと起き上がって、廊下とを仕切る簾(すだれ)を上げた。
不意に五月姫は、眠気が吹き飛んだ。急に目の前に、小坊主が現れたからである。年の頃は十歳辺りであったが、一回り年下の五月姫には、随分と大人に見えた。小坊主は莞爾(かんじ)として話し掛ける。
「御目覚めかな。確か、和尚様の親戚の方ですね。後で和尚様から呼ばれると思うけれど、もう少しゆっくり、休んで居なされ。」
そう言って、小坊主は去って行った。五月姫は再び簾(すだれ)を下げ、寝室の中を見渡した。程々の広さで、良く掃除が行き届いて居る。簾を一寸程開け、その隙間から外を覗(のぞ)くと、三人程の小坊主が、掃(は)き掃除をして居るのが見えた。別の一人が、濡れ縁の雑巾掛けをして、此方(こちら)に向かって来たので、五月姫は慌てて簾から離れた。再び蒲団に潜(もぐ)ると、足に何か固い物が当たった。取り出して見ると、母が別れ際(ぎわ)に託した、延命菩薩地蔵を納めた包みであった。五月姫は昨日の事を思い返して見る物の、木箱の中に隠れ、荷車で運ばれて居た事しか思い出せない。
やがて、横で寝て居た春姫も目を覚ました。寝惚けた様子で、辺りをきょろきょろと見回して居る。
「姉上、ここは何処(どこ)?」
五月姫は少し考えた後、ある事を思い出した。
「大叔父様の家臣の方が、御寺へ連れて行くと言って居たので、多分。」
春姫は惚(ほう)けたまま、更(さら)に尋ねる。
「母上と兄上は?」
「後から迎えに来て下さると仰しゃって居たでしょう。」
そう答えて五月姫は、溜息を吐(つ)いた。
暫(しばら)くして、廊下から話し掛けて来る者が有った。少年と思われる声である。
「もし、二人共起きて居なさるか?」
二人は一瞬驚駭(きょうがい)したが、直ぐに五月姫が「はい」と答えた。
「では、部屋の隅に置かれて在る箱の中の衣服に御召し替えの上、和尚様の部屋まで御越し下され。ここを出て、廊下を左に進んだ突当りにござりまする。」
「承知致しました。」
そう五月姫が答えると、廊下を歩いて立ち去る足音が聞こえた。言われた通り、部屋の隅に箱を見付けて開けると、中には二人分の衣服が畳(たた)んで在る。色は淡い萌葱(もよぎ)で、無地であった。五月姫は地味に感じて些(いささ)か落胆したが、着替えて見ると、楽で動き易かった。傍らに目をやると、春姫は幼き故に、着付けが上手く出来て居ない。五月姫は妹の着付けを直してやり、そして妹と共に和尚の間へと向かった。
廊下の突当り、先程指示された部屋の前に着くと、五月姫は膝を突いて、部屋の外から告げた。
「五月にござりまする。」
一瞬間を置いて、部屋の中から返事が有った。
「ああ、御入りなされ。」
五月姫は妹の手を曳(ひ)いて、静かに部屋の中へと入った。中を見ると、和尚と思(おぼ)しき老人の外に、一人の童子が隅に正座して居る。よく見れば、朝方出会(でくわ)した小坊主であった。二人の姫は僧正の言に従い、その正面に腰を下ろした。一息置いて、僧正が話し始める。
「儂(わし)は当山の住職、慧山(けいざん)と申す。姫君方は何故(なにゆえ)この寺に居るか、御存知有るか?」
それに対し五月姫は、幾分警戒しながら答えた。
「はい。相模の大叔父様が、当寺にて母上と兄上を待つ様に仰せられました。」
慧山和尚はそれを聞いて、些(いささ)か困った表情を呈したので、五月姫は不安を覚えた。再び和尚が口を開く。
「御迎えが来るのは、ここ数日という話では無い。それも、御存知有るか?」
その言葉には、流石(さすが)に五月姫も驚愕(きょうがく)した。
「何時(いつ)、逢えるのでござりましょうか?」
「それは分からぬ。姫君が心置き無く、御一族と再開する為には、兄君が御家の名誉を回復出来なければ成るまい。それには兄君の成長を、今暫(しば)し待たねば。」
五月姫の唇が、俄(にわか)に震え始めた。眼からも涙が溢(あふ)れ出して居る。武州大里の館を出た時は、急な事故に事態を充分認識するに至らなかったが、今思えば、家伝の宝を己に託したという事は、よくよくの事であると、感じ始めて居た。妹の春姫は、未だ良く解らない様子で、只悲し気な表情を湛(たた)え、姉の顔を見上げて居る。
僧正は表情を変えぬまま、部屋の隅に座って居る小坊主を己の近くに招き、姫達に告げた。
「この者は江沙弥(こうさみ)と申すのだが、元は常陸介藤原玄茂(くろしげ)殿の一族に当たる。先の戦乱で家族を悉(ことごと)く失い、天涯孤独の身と成ったのを、当寺で引き取ったのじゃ。玄茂殿は将門殿の重臣であった故、其方(そなた)等とも無縁ではあるまい。」
五月姫は沙弥の姿を見ようとしたが、涙が溢(あふ)れて顔を向ける事が出来ない。江沙弥は五月姫の元へ歩み寄り、懐紙を取り出して手渡した。五月姫はそれを受け取り、顔に押し当てる。そして江沙弥は、そっと告げた。
「貴女(あなた)の兄君小次郎様は、村岡良文殿の御養子と成り、平忠政と名乗られたと聞き及びます。相馬家の再興は遠い事では無き様に思われまする故、力を落とされませぬ様。」
五月姫は暫(しばら)く涙が止まらず、紙で顔を覆(おお)い続けた。その間、この先の事を彼是(あれこれ)考えて見た物の、この見知らぬ常陸の地においては、当寺の世話になるより他に、仕方が無かった。
*
和銅六年(713)、元明天皇は詔(みことのり)に由(よ)り、諸国地誌の編纂(へんさん)を命じた。時に、刑部(おさかべ)親王や藤原不比等(ふひと)等が「大宝律令」を編纂し、律令体制が始まった大宝元年(701)の十二年後に当たり、又藤原京より平城京に遷都し、奈良時代が始まってから三年後の事である。編纂された地誌は「古風土記」と呼ばれ、現存する物は少なく、完全に残されて居る物は「出雲風土記」のみである。現存する物の一つに「常陸風土記」が有り、これは当初置かれた十一郡の内白壁郡を欠き、河内郡の記載は逸文(いつぶん)と成っている。白壁郡は先述した平貞盛の父、平国香が本拠として居た処であり、後の真壁郡である。
これは、往古東国の様子を今に伝える貴重な資料であるが、各地の史跡には、これより更(さら)に昔の事を伝える物が多々有る。常陸国には日本第二位の面積を誇る湖、霞ヶ浦が在り、その南側は信太郡に属す。その内、霞ヶ浦の畔(ほとり)に浮島という村落が在り、そこにはかつて第十二代景行天皇が関東鎮撫の為行幸し、仮の宮を築いた跡が残されて居る。
浮島
その村落に向かい、輿(こし)を伴う十人ばかりの一行が進んで行く。未だ朝早く、浦の水分が蒸気と成り、辺りの山地に立ち籠(こ)めて濃霧を成し、視界は頗(すこぶ)る悪かった。普段は良く見える浦の対岸も、この時は全く見る事は出来ない。
村落は常陸の内海(霞ケ浦)に浮かぶ大きな島に在り、一行は島の西方から準備して居た舟に乗り、やがてこの島に到着した。すると直ぐに、集落の方から五十人程の出迎えが現れた。
到着したばかりの十余名の内、中央の男が前に出た。これは平忠頼の側近、児玉頼経である。頼経は島方の代表者と思(おぼ)しき者に名乗り出た。
「我は常陸介平良文が家臣にて、児玉頼経と申しまする。此度は主命を帯び、然(さ)る御方を御連れ致した次第。」
先方も前に歩み寄り、名乗り出る。
「某(それがし)は当村の長、木幡右近国豊と申し、人は浮島太夫とも呼びまする。よくぞ御出で下さりました。館に持て成しの準備もしてござりますれば、どうぞ御越し下さりませ。」
「然様(さよう)でござるか。其(そ)は忝(かたじけな)い。」
頼経の指示に従い、輿を伴った一行は、木幡右近に案内されて、島の奥へと進んで行った。
浮島の丘の挟間に、木幡右近の館が在った。辺りは鬱林(うつりん)が広がり、島の中央に在って浦が見えない。頼経一行が館に着くと、輿が降ろされ、一人の女性が姿を現した。又、頼経一行の列の中から、一人の男子がその側に歩み出る。相馬小太郎とその母御前であった。それに頼経を加えた三人が、木幡右近に案内されて、館奥へと進んで行った。
広間に着くと、居並ぶ木幡家重臣達が、一斉に礼を執った。その前を右近等が進み、小太郎と母御前を上座へと案内する。前列に右近と頼経が着座すると、広間には一時、静寂が広がった。外では小雨がしとしとと、降り始めた音が聞こえる。
その中、話を切り出したのは、木幡右近であった。
「この度は、ようこそ当家に御出で下されました。」
小太郎は、堂々たる面持ちで返答する。
「我等こそ、木幡殿の御厚情には痛み入り申す。貴殿の助け無くば、貞盛が虜(とりこ)と成る怖れも有った所でござる。」
小太郎は未だ童顔ながら、凛然(りんぜん)とした態度で答えた。それには木幡右近も、感服した様子である。
「当家は将門公より恩を受けし者なれば、御嫡男を御護り致すは当然の事にて。寧(むし)ろ北山の戦(いくさ)に参戦能(あた)わぬ事こそ、申し訳無き次第と存じまする。」
それを聞いて、右近の隣から頼経が声を掛けた。
「木幡殿は真の忠臣じゃ。某(それがし)も斯(か)く在りたい物よ。所で、もしも小太郎殿の事が平貞盛、もしくは藤原秀郷等に知られた場合、常陸全土が凄惨(せいさん)な戦場(いくさば)と化す怖れがござる。そう成らぬ為にも、木幡殿にはよくよく、周囲に警戒して戴きたい。」
頼経は睨(にら)め付ける様な目を向けて居るが、右近は笑顔で答えた。
「承知致して居りまする。当家の所領は浦に浮びし島ながら、丘を備えし故に山海の珍味に富み、有らゆる物を自給出来まする。よって島外との出入りは殆(ほとん)ど無く、島民は独自の訛(なまり)と生活風習を身に付けて居りまする。故に余所(よそ)者が侵入すれば、立ち所に露顕致し申す。よって小太郎様や御母堂様には、御安心下さりまする様。」
それを聞いて頼経は、微(かす)かに笑みを浮かべた。
「頼もしき御言葉なり。我が村岡家はこの後、相馬家の再興を支援致し申すが、木幡殿が相馬家を護り通せたならば、相馬家の副将として、更(さら)なる所領と地位を約束致し申そう。」
そう言うと、頼経はすっと立ち上がった。それを見て右近が尋ねる。
「如何(いかが)なされました?」
「我等はこれにて失礼致す。余り長居をしては、余計に怪しまれる怖れが有りまする故。」
そして、小太郎に向かって告げる。
「小太郎殿。相馬家を再興する為に、貴殿は多くを学ばれよ。その一助として、供に加わりし村岡家家臣斎藤将監を、師傅としてここに残して行き申そう。文武に優(すぐ)れたる武者なれば、何事も相談されるが宜しかろうと存ずる。」
「頼経殿、色々と御世話に成り申した。感謝の言葉も有りませぬ。」
頼経は無言で頷(うなず)くと、最後に木幡右近に念を押した。
「では木幡殿、小太郎殿の事を呉々(くれぐれ)も宜しく御願い申し上げる。」
そう言い残して児玉頼経は、広間を後にした。
再び静寂が訪れた。やがて木幡右近は、小太郎の元に躙(にじ)り出て言上する。
「長旅で御疲れの事と存じまする。一室を用意してござりますれば、朝餉(あさげ)を御持ち致すまでの間、そこにて御寛(くつろ)ぎ下さりませ。」
小太郎は頷(うなず)き、館の者に案内されて、母御前と共に広間を出た。その後、木幡家の家臣達も、ばらばらと退出して行った。
小太郎は宛(あて)がわれた部屋の中で、独り横たわった。今後は石井(いわい)館を出た時以前の如く、草陰や倉に隠れる事無く、暮らす事が出来る様に成った。一先ず落ち着く事は出来たが、未だ先が見えない事が不安であった。村岡家は支援してくれて居るが、本当に己(おのれ)が相馬家を再興する事が可能なのか。彼是(あれこれ)思いを巡らせて居る時に、部屋を訪れる者が有った。
小太郎が中に入る様告げると、齢(よわい)四十程の武士が現れ、入口で名乗った。
「御初に御目に掛かり申す。某(それがし)は村岡良文様が家臣にて、斎藤将監邦貞と申しまする。」
そして武士は部屋の中に上り、小太郎の前でどかりと腰を下ろした。小太郎は面識が無い為、些(いささ)か警戒した。斎藤将監と名乗る武士は、腕は筋肉が隆々とし、見るからに逞(たくま)しい体躯(たいく)である。されども粗野な感じは受けず、幾許(いくばく)かの作法を習得して居る観も有った。小太郎は将監を観察するも、将監は親しく話し掛けて来る。
「某(それがし)は小太郎様の叔父君、四郎将平殿と共に、かつて都にて、菅原景行公の元で学びし者にござりまする。」
「何と、叔父上を御存知でござるか?」
小太郎は驚き、又嬉しそうな表情を浮かべた。その後、小太郎と将監は打ち解けて、出自や故郷、特技の事等を、暫(しばら)く話して居た。
夕刻の頃には、小太郎はすっかり将監の事を信頼して居た。己が知らない、亡き父や叔父の話を聞かせてくれたからである。しかし優し気に話して居た将監は、母御前も招いて共に夕餉(ゆうげ)を食べ終えると、途端(とたん)に表情を強張(こわば)らせて、低い声で話し始めた。
「実は、我が主君より一つ、言い付けがござりまする。」
小太郎と母御前は一瞬訝(いぶか)しがったが、小太郎は直ぐに笑みを浮かべて尋ねる。
「将監殿、何の遠慮が要り申そう。大叔父上は我が大恩人にござる。」
将監は衣服を整え座り直し、一息入れた後に話し始めた。
「小太郎様にはこれより、御名(おんな)と身形(みなり)を変えて戴きまする。即(すなわ)ち、元服の儀を執り行いたく存じまする。」
母御前は驚き、将監に問う。
「確かに其(そ)は、小太郎に取って安全な策やも知れませぬ。されど一体、何方(どなた)が烏帽子親(えぼしおや)を努めて下さるのでしょう?木幡右近殿に御頼みするのでござりましょうか?」
将監は静かに母御前の方へ、向きを変えた。
「木幡殿は、相馬家から見れば家来筋にござりまする故、それは成りませぬ。」
「では何方(どなた)が?島外の者には極秘でござりましょうに。」
「畏(おそ)れながら、良文様は某(それがし)に命ぜられ申した。又、小太郎様の御教育も、仰せ付かってござりまする。」
それを聞いて母御前は、俯(うつむ)いて溜息を吐(つ)いた。
「叔父上の仰せとあれば、それが宜しいのでござりましょう。小太郎の事、何卒(なにとぞ)よしなに。」
母御前は将監に頭を下げた。将監もそれを受けて、深々と平伏した。
その時、儀式の手筈(てなず)はほぼ整って居た。将監が既(すで)にこの事を、木幡右近に告げて居た為である。準備が整うと、木幡家の家臣が式場に並んだ。その広間は結構な広さである。夕方から雨は上がって居り、雲間より月光が辺りを照らして居た。上座には斎藤将監が座り、脇には母御前も控えて居る。
やがて小太郎が束帯(そくたい)を身に纏(まと)い、廊下より広間に入ってきた。そして広間の中央に座ると、将監より儀式を始める言葉が述べられた。話が終ると、将監は剃刀(かみそり)を受け取り、小太郎の元へ歩み寄って、粛々と前髪を落した。そして髪を結い直し、烏帽子を被(かぶ)せて、元の席へと戻った。
周囲の者は暫(しば)し、小太郎の凛々(りり)しい姿に見惚(ほ)れた。母御前は袖で目頭を押さえて居る。
「将門様が御健在なれば、如何(いか)に喜ばれ様か。」
母御前の心境を察し、木幡右近が笑顔で頷(うなず)きながら言った。小太郎は表情を崩さず、母の様子を見て居た。
やがて、斎藤将監が小太郎に告げた。
「これにて小太郎殿も、一個の坂東武者にござる。この後は、かつて精強を誇りし、相馬武士団の棟梁に相応(ふさわ)しい武者と成れる様、日々精進されよ。」
「はっ。」
小太郎は将監に礼を執った。更(さら)に将監は、懐(ふところ)から紙を取り出して告げる。
「小太郎殿は時が来るまで、今の姓を捨てられた方が良い。そこで良文公が、新たな御名(おんな)を授けられた。」
将監は手元の紙を、小太郎の方へ広げて見せた。
「信田将国。」
小太郎は小さな声で、紙に書かれて在る字を読んだ。
「然様(さよう)。信田はここ浮島の属せし郡名より。将は相馬家祖良将公より伝わりし一字。国は忠臣、木幡国豊殿の一字に通じ申す。則(すなわ)ち、木幡家と共に信太に拠り、将(まさ)に国を興さんという意味にござる。」
小太郎はその意味を察すると、深々と頭(こうべ)を垂れた。
「有難き御名にござりまする。」
そして、脇から木幡右近が躙(にじ)り寄って言上する。
「御目出度(おめでとう)ござりまする。この後木幡家は将国様の下、相馬家再興に尽力致しまする。」
信田小太郎将国は、それに対し莞爾(かんじ)として頷(うなず)いた。
儀式が終ると、続いて将国の元服を祝う宴(うたげ)が催された。皆久し振りの宴席を、満面の笑顔で楽しんで居た。唯(ただ)母御前だけは、流れる涙を禁じ得ない様子である。そして、隣に座る元服した小太郎の姿を見るに連れ、久しく会わない都の、小次郎の姿が想像された。母御前は長男の元服を嬉しく思う一方、遠く離れた次男の事を心配して居た。