第四節 御曹司元服

 六月に入ると、雷雨が滝の如く、これが最後とばかりに降り頻(しき)った。躑躅(つつじ)は疾(と)うに落花し、紫陽花(あじさい)も雨に打たれながら、終りを迎えようとしている。倭(やまと)の都に夏が訪れたのは、その翌日であった。

 陽光が昨日までとは、打って変った様な強さである。蝉(せみ)の声も聞こえ始め、長雨による湿気の多さと相俟(あいま)って、一層蒸し暑さを際(きわ)立たせた。

 その日、二人の男が京の東市に立って居た。平良文と村岡重武である。陽が未だ昇りつつ在る巳(み)の刻であった為、本格的な暑さは到来していなかった物の、良文の顔には苦痛が表れていた。
「ここに将門殿の首が晒(さら)されて居ったのか?」
「その様にござりまする。」
答える重武も、良文の心痛を察し、幾分声が重くなって居る。将門の首級は藤原秀郷が朝廷に献上した後、ここ東市に暫(しばら)く晒されて居た。良文はその話を聞き、哀れな甥(おい)に手を合わせに来たのであった。

 良文は眼を閉じて、長く黙祷(もくとう)を捧(ささ)げて居たが、やがて眼を静かに開いた。しかしその心は、未だ虚空をさ迷って居る様である。重武は心配に成り、声を掛けた。
「殿、そろそろ参りませぬと。」
「おう、そうであったのう。」
良文は直ぐに返事をしたが、普段の元気は無かった。二人は騎乗し、往来の人込みの中へと消えて行った。

 ここ京師は、正式には平安京という。延暦十三年(794)、桓武天皇の時代に長岡京より遷(うつ)された。東西は一五〇八丈、南北には一七五三丈の広さを持つ。北端中央部には大内裏(おおだいり)が置かれ、そこから南端の羅城門まで朱雀大路が走り、都を左京と右京に分断している。東側の左京には貴族が住み、華やかな平安文化を形成して行った。一方で、西側の右京には貧しい庶民が多く住んで居たが、やがて退廃して行った。

 内裏では激しい権力争いが続き、権力を手中にした有力貴族は贅沢(ぜいたく)な暮しを送って居た。その住居は、豪奢(ごうしゃ)な寝殿造りの邸宅である。南向きの寝殿、三方の廊の先には対屋(たいのや)が在り、寝殿の南側には庭と池が造られ、池の中島には釣殿(つりどの)も建てられて居る。

 左京の一角から、その様な精華(せいか)とは裏腹に、罵声(ばせい)が響いて来た。声の元は貴族の邸宅の、塀(へい)の内である。
「この鬼子(おにご)め、未だ京を荒らして居ったのか。さっさと東国へ帰ってしまえ。」
十人程の、十代前半の頃の童(わらべ)に囲まれた中に、同年代の少年が立って居た。少年は皆に罵(ののし)られた末、二、三人に組み伏せられて殴られた。
「御主の父は晒(さら)し首にされた。御主も仲良う晒し首にして進ぜよう。」
そう言って、一人が少年の首を絞め上げ、無理やり引き起こした。少年は苦しさで顔を赤らめ、頓(ひたすら)(もが)いて居た。

 そこへ来客が有った。童(わらべ)達は慌てて少年を放した。客とは、良文と重武であった。
「そこで何をして居るのか?」
重武は威嚇(いかく)する様な、鋭い声を放った。それに対して、童の一人が答える。
「この者は、大逆を犯せし者の子。それ故、罰を与えて居りました。」
「その童子自身は大逆を犯して居らぬ。又、その罪は朝廷が裁くべき物。朝廷を差し置く様な事は、せぬが宜しかろう。」
そう言われて、童達はその場を離れて行った。重武は少年に歩み寄り、少年の衣服に付いた土を掃(はら)って遣った。
「酷(ひど)い傷じゃのう。儂(わし)は武蔵の村岡重武と申す。童子の名は?」
「平小次郎。」
童子は顔を背けながら答えた。
「度々あの様な目に遭(あ)わされるのか?彼方此方(あちこち)に傷が有るではないか。」
そう尋ねた時、館から取次(とりつぎ)の案内が有った。重武が其方(そちら)に気を取られた隙(すき)に、小次郎は重武の手を振り解(ほど)いて、遠方に走り去ってしまった。重武と良文は暫(しば)し、童子の後ろ姿を眺め続けて居た。良文の口元は、幾分歪(ゆが)んで居た様である。

 良文達は家人(けにん)の案内で屋内に通された。この日は藤原忠文の招聘(しょうへい)を受け、館に招かれて居たのである。

 二人は館内の一室に入り、館の者からそこで待つ様に告げられた。その間は簾(すだれ)が上げられ、強い陽射しが部屋の中にも注ぎ込んで、一層明るく成っている。しかし清風は吹いて来ず、二人は暑さの為に滲(にじ)む汗を拭(ぬぐ)いながら、座って待った。時折二人の脳裏(のうり)を過(よぎ)るのは、初めて出会った将門の遺児、小次郎の事であった。

 やがて、忠文が二人の前に姿を現した。先の五月十五日に凱旋入京を果して居たが、その様子は一ヶ月前と比べ、大分窶(やつ)れた様に見受けられる。
「良文殿、一月振りでござる。御変わりござらぬか?」
「御蔭様にて。ただ、参議様の御顔色が優(すぐ)れませぬ様で。」
「うむ。」
忠文は、閉じた扇子の先を額に当てて、俯(うつむ)いた姿勢で答える。
「大納言実頼が、敵に回ってしもうた。先の坂東における大乱の鎮圧に関しては、儂(わし)は恩賞に与(あずか)れぬ。平貞盛は正五位上(しょうごいのじょう)右馬介(うまのすけ)に昇進し、藤原秀郷は従四位下(じゅしいのげ)に昇った上、下野守(しもつけのかみ)に任官したというに。」
忠文は悔(くや)し気な表情を浮かべて居たが、良文は至って涼やかな顔のまま答える。
「確かに、実頼卿が敵に回った事は痛うござりまする。畏(おそ)れながら某(それがし)は、この度常陸介(ひたちのすけ)に任官する運びと成り申した。これに因(よ)り、秀郷が下野国を掌管する身分に昇ったと雖(いえど)も、我が軍が常陸と武蔵に在れば、常陸を本拠とする貞盛に睨(にら)みを利かせ、秀郷を東と南から挟む事が出来まする。此度の恩賞は、某(それがし)のみ成らず忠文卿に取りましても、意義の有る物と存じまする。」
忠文はそれを聞いて、ふと微笑(ほほえ)んだ。
「貴殿とは一蓮托生(いちれんたくしょう)故、其(そ)は何より。所で良文殿、西国では再び大戦が起りそうな雲行きとの事、御存じ在られるか?」
「大戦にござりまするか?」
「うむ。瀬戸内海で暴れて居った藤原純友を、以前は東国の将門と連携させぬ様、朝廷は従五位下(じゅごいのげ)の位を与えて懐柔(かいじゅう)して居った。だが東国の反乱が鎮圧された今、六月十九日付けで左中弁藤原在衡(ありひら)が提出せし純友士卒追捕(ついぶ)の草案が許可され、純友軍は海賊と認定された。これには太政大臣忠平公や、左大臣藤原仲平公の意向が有った様でござる。山陽道使小野好古が、純友追捕に向かう事でござろう。」
「何と、西国でその様な動きが?」
ここ一年で奥羽、坂東、瀬戸内で乱が起きた。東国の乱は既(すで)に鎮圧されたが、この先、天下に安寧は訪れるのか。良文は暗澹(あんたん)たる思いに駆(か)られた。一方の忠文は、思い詰めた表情に変わって居る。
「そこでじゃ、良文殿。儂(わし)は征討軍に志願致そうと思う。」
「何ですと?」
良文は驚駭(きょうがい)した。六十七歳の公卿が、坂東から引き揚げたばかりであるにも拘(かかわ)らず、此度瀬戸内へ出陣すると言う。東国での失点を挽回する他に、小次郎を護る為でもあり、良文はその慈心に感服した。
「忠文卿は老齢ながら、天下の為に奔走され、誠の忠臣にござりまするな。」
「そう言って戴(いただ)くと嬉しゅうござる。されど我等はこの先、一歩躓(つまず)けば九族没落の危機が続く。油断は成りませぬぞ。」
不安気な忠文に対し、良文は微笑(ほほえ)んで答える。
「確かに、忠文卿の仰(おお)せの通りにござりまする。しかし忠文卿御一人が無理をされて、御身体を壊されても行けませぬ故、今宵某(それがし)の館にて、小次郎を某の養子として元服させとう存じまする。某の養子なれば、参議様の御家に累(るい)を及ぼす事を防ぐ手もござりまする。」
「其(そ)は有難き事。そうじゃ、今小次郎を呼ぶ故、良文殿に御引き合わせ致そう。」
そう言って、近習に指示を出した。

 良文と後ろに控える重武は、館に到着した時の、傷だらけの小次郎の姿を思い起した。未だ十歳の童子から見れば、実の父を失い、大叔父とはいえ、新しい父が現れる事に、大きな動揺を覚えるであろう。先程、良文は遠くから眺めて居ただけであったが、此度は父として、どの様な言葉を掛けるべきか、深く思案した。

 小次郎は中々現れなかった。広間に居る者は徐々に、訝(いぶか)し気な表情に変わって行った。気不味(きまず)い雰囲気を和(なご)ませるべく、良文は四方山(よもやま)話を始めた。

 半時程経って漸(ようや)く、小次郎が広間に到着した。入口で座礼を執った後、忠文の招きで広間に入った。小次郎は入口付近に腰を下ろしたが、忠文がそれを見て声を掛けた。
「小次郎、ここにおわす御方が、其方(そち)の大叔父に当たる鎮守将軍、平良文殿じゃ。隣に座るが良かろう。」
小次郎が前方を見遣(みや)ると、一人の老将が此方(こちら)を向いて居る。その人良文は、小次郎に柔和(にゅうわ)な笑顔を見せた。小次郎は返事をして、良文の脇に進み出で、再び腰を下ろした。

 良文は莞爾(かんじ)として微笑(ほほえ)む。
「相模国は鎌倉郡村岡郷の、良文と申す。其方(そなた)の祖父良将公の、弟に当たる。此度父君の事は、誠に気の毒であった。」
小次郎は当惑し、言葉に詰まった様子であったが、眼を赤く充血させ、やがて涙が頬(ほお)を伝い出した。怖らく親族の居ない京で、孤独な日々を過ごして居たのであろう。又、先程の傷には薬が塗られ、服は新しい物に着替え、束(たば)ねた髪も整えられて居た。小次郎の到着が遅れたのは、良文の養子と成る話を聞いた周囲の者が、慌てて取り繕(つくろ)うのに時を費やして居たのではと、良文には察せらせた。

 動揺し、声の出ない小次郎に対し、良文は優しい声で話を切り出した。
「儂等(わしら)村岡平家と其方(そなた)の相馬平家とは、永らく誼(よしみ)を通じて居った。父君将門殿討死の折、儂は遠く奥州に居り、将門殿を助ける事が出来なんだ。その事は儂の、生涯の悔恨である。故に儂は、相馬家に一助を成すべく、其方(そなた)を儂の養子として護り、相馬家を滅亡の淵から救い出したいと思う。如何(いかが)であろうか?」
良文の目は、幾分細まった様であった。

 小次郎は、目から溢(あふ)れた涙を確(しっか)りと袖で拭(ぬぐ)い、何とか涙を抑(おさ)えて良文に正対し、姿勢を正した。そしてゆっくりと頭を下げる。
「有難うござりまする。」
小次郎は、小さな体を震わせて居る。発せられた言葉は、この一言だけであった。未だ幼子故に言葉が見付からないのか。ただ、礼節は忠文により、見事に仕込まれて居た。小次郎の健気(けなげ)な心根を感じ、良文は一層小次郎を護ろうとすべく、話を一歩進めた。
「今宵(こよい)儂の館にて、其方(そなた)の元服式を執り行いたい。儂が其方の烏帽子親(えぼしおや)を務めても良いであろうか?」
小次郎は初めて会った良文に、心地好い物を感じて居た。

 昨年十二月、将門が乱を起こして後、この事が太政大臣忠平の逆鱗(げきりん)に触れると、将門の実子である小次郎への風当たりは、途端(とたん)に強く成った。小次郎と同様、都へ学問を志しに来た地方豪族の子弟達は、特に冷たく成った。先程小次郎に悪さをして居た童(わらべ)等の事である。彼等は小次郎を責める事で、忠文の覚えが良くなると、期待して居る様であった。

 小次郎は一度、大きく頷(うなず)いた。怖らく元服という物も、烏帽子親という者も、確(しか)とは理解出来て居ないであろう。しかし良文は、それで良いと考えた。己(おのれ)の確信する道が、将来小次郎に取って最も幸いであると、判断した故である。

 小次郎の反応を見て、上座に座って居る忠文も、大いに喜んだ。忠文は慶事の祝いに太刀を一振り、小次郎に授けた。小次郎は、久しく感じ得なかった優しさに包まれ、再び涙が留処(とめど)無く流れ出した。

 やがて、良文と重武は忠文に遑(いとま)を告げ、邸を離れる時と成った。未だ未(ひつじ)の刻であり、陽は高い。されど忠文は、小次郎が早く村岡平家に馴染(なじ)める様に輿(こし)を用意し、良文等と供に出発出来る様、手配した。別れ際(ぎわ)、小次郎は輿に乗り込む前に忠文の前へ駆け寄り、深く座礼を執った。忠文も他の者への気兼ねが有り、今まで小次郎に優しく接する事は無かったが、良文の助けを得て、その心底に有る慈心を、小次郎に示す事が出来た。忠文は小次郎を抱え起し、輿へと導く。小次郎が輿に乗ると、忠文は良文に声を掛けた。
「宜しく御願い致す。」
「御任せあれ。」
そう返して良文は馬に乗り、別れの挨拶を交して駒を進めた。重武の馬と小次郎の輿がそれに続き、忠文の邸門を後にした。

 やがて良文一行は自邸に到着した。小者が礼を執り、近習が出迎える。庭に輿が止められると、下馬した村岡重武が輿の傍(そば)へ進み出で、片膝を突いて小次郎に声を掛けた。
「邸に到着致しましてござりまする。どうぞ、御降り下さりませ。」
小次郎がその声を受け、輿の簾(すだれ)を上げると、目下に履物(はきもの)が揃(そろ)えて在る。取り敢(あ)えず草履(ぞうり)を履いて見た物の、周りには見知らぬ人々が自分に頭を下げて居り、未だかつて経験した事の無い様子に、小次郎は当惑した。

 良文は既(すで)に履物を脱いで、上がろうとして居る。小次郎は後を追おうとしたが、その刹那、強く肩を掴(つか)まれた。振り向くと、手の主は村岡重武であった。小次郎が不安気な表情を示したので、重武は直ぐに相好(そうごう)を和(やわ)らげた。
「殿の仰(おお)せにござりまする。どうぞ某(それがし)と彼方(あちら)へ。」
小次郎は些(いささ)か物怖(ものお)じした様子で頷(うなず)き、重武の後に付いて行った。

 重武は厩(うまや)に入って行った。外が眩(まぶ)しかった分、中は随分と暗く感じられる。重武は一頭の黒駒の前で止まり、従者に馬具を付けさせた。そして重武は馬を曳(ひ)き、外に出た。小次郎も重武に付いて厩を出る。

 厩の前の庭はそこそこ広い。重武は庭の中央まで馬を連れ、そして後ろに立つ小次郎に話し掛ける。
「小次郎様は、馬には乗れまするか?」
小次郎は唯(ただ)首を横に振った。未だ幼い上、朝敵の子と在っては、馬に乗る事も叶(かな)わない。厩から従者がもう一頭、栗毛の馬を曳(ひ)いて来た。重武は黒駒を従者に託し、自身は栗毛に飛び乗った。
「小次郎様、御覧あれ。これが馬術の基本にござる。」
重武は小次郎等の周りを三周、馬を歩かせて見せた。小次郎は暫(しば)し、じっくりと重武の馬術を見て居たが、やがて自らも乗って見ようと、黒駒の前へ進み出た。黒駒は、じっと小次郎を見詰める。己の体躯より遥かに巨大な黒駒と向かい合い、幾分たじろぎながらも、小次郎はゆっくりと黒駒に近付いた。そして漸(ようや)く、馬体に手が触れた。

 黒駒は、全身の黒色が威圧感を呈(てい)して居たが、手で首を撫(な)でて見ると、気性は穏やかな様である。愈々(いよいよ)馬上に跨(またが)るべく、従者から手綱を受けた。しかし鐙(あぶみ)に足が届かず、如何(どう)して良いか困惑した。

其の時、重武から声が掛かった。
「某(それがし)の馬に御乗り下され。」
重武は一旦(いったん)下馬し、小次郎を補助して栗毛に乗せた後、自らも再び手綱を取り、鐙(あぶみ)に足を掛けて、一気に小次郎の後ろに跨(またが)った。
「姿勢を良く。では少し歩いて見せまする。」
そう言って、重武は栗毛を進ませた。馬上の高さから見える景色は、小次郎に取っては新鮮な物であった。今まで周囲から迫害を受け続けて来た小次郎は、久し振りに心を高揚させて居た。

 馬を進めながら重武は、前に抱える小次郎に語り始めた。
「小次郎様の故郷、坂東の武者は騎馬をよく用いまする。特に御父上が率いられた相馬軍団は騎馬が迅(はや)く、将門公の馬術はその中でも抜群でござった。小次郎様も御父上の名声を貶(おとし)める事の無き様、武芸に励まれよ。」
それを聞いて小次郎は、途端(とたん)に悲愴な気持に成った。そして、重武に言葉を返す。
「父の名声など、既に有りませぬ。」
小次郎の体から急に生気が失せた、と重武は感じた。僅(わず)かに沈黙が続いた後、重武が再び口を開いた。
「何を仰(おお)せられまする。小次郎様は久しく都に居られる故、御存知無い様にござりまするが、我等地方の武士に取っては、自身を護って下さる御方こそが大事。故に武芸に秀でた者は、自然と名望を得られる物でござりまする。大きな声では申せませぬが、将門公は百姓を大事に成された為、未だにその名を慕(した)う百姓は多うござりまする。」
「其(そ)は真であろうか?」
小次郎は振り向いて、重武の顔を見詰めた。重武は笑顔で答える。
「真でござりまする。坂東には尚、将門公の忠臣にして豪の者が多数残って居り、将門公の如く豪勇で清廉なる名将が、再び出現するのを待ち望んで居りまする。もし小次郎様が、彼等の期待に沿う立派な武士に成長されれば、彼等を召し抱え、その力を以(もっ)て相馬家を再興する事も叶(かな)いまする。」
小次郎は、些(いささ)か懐疑の様相を浮かべる。
「某(それがし)に、その様な力が有りましょうや?」
「其(そ)は小次郎様の努力次第。立派に成長された暁(あかつき)には、相馬家再興を支援する力を、我が殿は持っておわしまする。」
重武は黒駒の前で馬を止めた。そしてそれを指差し、小次郎に告げる。
「これは我が殿より、小次郎様への贈物(おくりもの)にござりまする。坂東より連れて参った名馬にて、将門公の愛馬にも似てござりまする。この馬を以(もっ)て馬術を鍛(きた)え、坂東武者を率いる力を蓄えられよと、我が殿よりの御言葉にござりまする。」
小次郎の心には、不安と希望が渦(うず)巻いた。ただ、重武に対する警戒心は、次第に薄れて居る様であった。

 そして重武は、両馬を従者に命じて厩(うまや)へ戻させ、自身は小次郎を伴い、屋内へと入った。廊下を歩くと、擦(す)れ違う者が皆平伏する。小次郎は不思議に思い、重武に尋ねた。
「翁(おきな)は貴人に候(そうら)わずや?如何(いか)なる御身分にござりましょう?」
重武はそれを聞いて、大いに笑い出した。
「某(それがし)を貴人と見て下さりまするか。何とも有難い事にござりまする。されど某(それがし)は一介の武者。無論(むろん)無官の身にござり申す。皆が平伏致すは、小次郎様が殿の御一族に当たられる故にござりまする。」
そう言われて見れば、納得出来ぬでも無いが、歳幼く、今まで平伏する側しか知らなかった小次郎に取っては、妙に違和感が付き纏(まと)った。実は、重武の論は正確ではない。村岡重武は、武勇においては村岡平家随一であり、過去の戦功でこれに並ぶ者は居ない。一方で性格は剛直であり、妄(みだ)りに偽(いつわ)り言(ごと)を言う事も無い。故に平良文の信任厚く、良文の嫡子忠頼の館近く、武蔵国大里郡村岡郷に采邑(さいゆう)を与えられ、武蔵領統治の大いなる助けと成って居る。率いる軍団も精強な騎馬隊を擁し、先の奥州戦役で抜群の戦果を挙げた事は、依然館内の者の記憶に新しい。館の者の中でも、重武を敬う者が少なからず居た。

 重武はふと歩くのを止め、傍(そば)の簾(すだれ)を上げた。そして、静かに小次郎に告げる。 「ここは殿の居間の一つにして、他の者が入る事は罷(まか)り成りませぬ。どうか御気を付け下さりまする様。」
小次郎はそれを聞くや、一歩部屋から遠ざかった。
「大叔父上に咎(とが)められまする。早うここを立ち去りましょう。」
「いえ、大殿の命にござりまする。部屋の奥、中央に掛けし太刀を御覧あれ。」
部屋の中には殆(ほとん)ど陽が届かず、全体的に薄暗い為、その広さも定かでは無い。されど、重武の指差す先には確かに、異様な光沢を放つ長刀が、闇の中に浮かび上がって居た。
「あの刀は、かつて高望王より殿が賜(たまわ)りし、村岡家の家宝にござる。小次郎様は、御自身の出自を御存知ござりまするか?」
小次郎は黙って首を振る。
「されば御教え致し申そう。今から百四十余年も昔、この地に都を遷されたのは、時の天子桓武天皇にござり申した。桓武天皇の皇子(みこ)の一人が葛原(かずわら)親王と成り、親王の御子の一人が高見王と成られ申した。その高見王の御子、高望(たかもち)王が従五位下上総介(かずさのすけ)の官位と平の姓を賜り、坂東に下向されて、坂東平氏の太祖と成られたのでござりまする。我が殿良文様は高望王の御子におわされ、御若き頃に相模を切り拓き、所領を隣国武蔵にまで拡大され申した。高望王には他にも御子がおわし、その一人が良将公にて、殿の兄君に当たられまする。下総国にて相馬、猿島、豊田の三郡を拓き、従四位下鎮守府将軍に昇られ申した。その良将公の御子が、小次郎様の父君、将門公にござりまする。」

 重武の話が終った後、小次郎は暫(しばら)く黙り込んでしまった。やがて小次郎は重武を見詰め、切に尋ねた。
「その様な立派な祖先を持ちながら、父上は何故朝敵と成られたのでしょう?何故某(それがし)は、虐(しいた)げられるのでござりましょう?」
重武は一瞬困り顔と成ったが、直ぐに温かい笑顔で答える。
「其(そ)は追い追い理解なされる事でござりましょう。ただ、御父上は決して人道を踏み外された訳に非(あら)ず。殿は、小次郎様には父君の志を理解し、相馬家の後継ぎに相応(ふさわ)しい精神を御持ち戴(いただ)ける事を、期待されてござりまする。少数の者の言に惑(まど)わされず、結論を急がず、ゆっくりと御考え下され。」
その答えには、小次郎は少々不満気な様子である。家宝を仕舞(しま)った後、重武は再び部屋の簾(すだれ)を下げ、小次郎を別室へと案内した。

 その部屋には、一人の少年が座って居た。重武が一礼して入ると、その少年は重武に笑顔を向ける。そして重武の後ろに居る小次郎を見付け、軽く辞儀をした。それを受けて、小次郎も頭を下げる。重武に導かれ、その少年と向かい合う様に、重武と小次郎は並んで座った。
「平良文の子、武州大里の忠重にござる。」
少年は名乗り、小次郎を見据える。小次郎は一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、直ぐに自らも名乗った。
「平小次郎と申しまする。宜しく御見知り置きの程を。」
忠重は莞爾(かんじ)として笑った。その笑顔を見て、小次郎も微笑(ほほえ)んだ。重武はそれを見て安心し、立ち上がる。
「では忠重様、某(それがし)はこれより他の用を済ませに参りまする故、小次郎様の事、宜しく御頼み申しまする。」
「相(あい)解った。」
忠重の返事を聞くと、重武は部屋を後にした。

 小次郎は重武が去った後、俄(にわか)に不安を覚えた。忠重は小次郎より僅(わず)かに年長である。忠重は小次郎を庭に誘い、又、年近い近習を集めて、弓矢と的(まと)を用意させた。忠重が先ず弓を持ち、矢を番(つが)えた。的までの距離は凡(およ)そ二十間。その手より放たれた矢は勢い良く飛び、的の端に突き刺さった。小姓達からは歓声が上がったが、忠重は的の中心から外れた事を、悔やんで居る様子である。

 そして忠重は、弓を小次郎に渡して言う。
「小次郎殿も射て見よ。相馬武士の弓技、篤(とく)と見物仕(つかまつ)らん。」
それを聞いて、小次郎は戸惑った。未だかつて、弓を射た事は無い。幼い頃、父の射る姿を見ていた記憶も、既に朧(おぼろ)げと成って居る。忠重は小次郎が未だ小さい故に、十間の距離から射る様に告げた。小次郎が前に進むと、先程より随分的が大きく見えるので、幾分安心した。小次郎は見真似(みまね)で矢を番(つが)え、放った。矢は力無く進み、的の足元で着地した。周りの小姓からは溜息が洩(も)れる。小次郎は気を落とし、俯(うつむ)いた。

 その時、後方から忠重の声が聞こえた。
「小次郎殿、だらしが無いぞ。それでも相馬武士なりや?父上の名が泣くぞ。」
それを聞いて小次郎は熱(いき)り立ち、再び矢を掴(つか)んで弓に番(つが)えた。次の矢も的には当たらなかったが、的の上を越した。引き続き三の矢、四の矢も的には当たらない。しかし矢は徐々に迅(はや)く成り、的に近付きつつあった。忠重は濡れ縁に腰掛け、それを面白そうに見詰めて居た。

 当初、忠重は小次郎の兄、小太郎を匿(かくま)う役を仰せ付かって居たが、その後良文は小太郎等の身を、嫡子忠頼の腹心である児玉頼経に預け、上洛に忠重を伴った。忠重に取って、坂東を離れたのはこれが初めてであったが、山野を駆け巡る事の出来ない日々に、些(いささ)か倦(あ)き始めて居た。

 忠重が止めないので、小次郎は既に二十本の矢を放って居た。慣れぬ事故、腕に力が入らなく成り始めて居たが、的に当てられない悔しさが募(つの)り、再び渾身の力で矢を放った。矢は見る見る的に接近し、的の中央より僅(わず)か左下に突き刺さった。それを見た忠重は立ち上がり、
「遖(あっぱれ)。流石(さすが)は相馬武士惣領の倅(せがれ)なり。」
と称(たた)えた。小次郎は急に、疲れがどっと押し寄せて来るのを感じたが、忠重が誉(ほ)めてくれて居る手前、それを堪(た)えて、歩いて忠重の元へと戻った。

 次郎から弓を受け取った忠重は、小次郎の疲れを察して告げる。
「交代じゃ。小次郎殿はここに座って居ると良い。今度は某(それがし)の技を御見せ致さん。」
そう言って、小姓の一人に命じた。
「馬を曳(ひ)けい。」
やがてその小姓は、厩(うまや)から一頭の白馬を曳いて来た。先程の黒駒に匹敵する、見事な体躯(たいく)である。忠重は右手に弓矢を持ちながら、白馬にひょいと駆け上った。そして、左手の手綱と鐙(あぶみ)を利かせて、白馬を走らせた。ふと見ると、小姓が的を、馬場の中央に置いて居る。小姓が的から離れると、忠重は馬場の端から中央へ向けて、駒を走らせた。やがて的に近付くと、手綱を放して弓矢を番(つが)えた。的の二間程手前に来た処で、忠重は矢を放った。その後、体勢を崩す事無く走り去って行く。矢は見事、端ではあるが、的に命中して居た。

 間も無く遠くから、忠重が馬を歩かせ戻って来た。小姓の一人が称(たた)える。
「御見事にござりまする。その御歳で斯様(かよう)な事が出来る者は、そうは居りますまい。」
忠重は馬を下り、小次郎の元へ歩み寄った。
「これを騎射と申す。坂東武者には使い手が多く、戦(いくさ)に有用な武芸でござる。」
小次郎は興奮して居る。
「成程、馬術に長(た)ければ、あの様な技も可能と成りましょう。」
「うむ、小次郎殿も腕を磨(みが)かれよ。」
「はい。叶(かな)いますれば、忠重様に御教授願いたく存じまする。」
「承知した。」
忠重が承諾すると、二人は顔を見合わせ、大いに笑った。

 その声を聞き付け、声を掛ける者が有った。
「何やら楽し気にござりまするな。弓の鍛錬にござりまするか。」
現れたのは、村岡重武であった。重武は濡れ縁を歩き、小次郎の側に進む。小次郎は一瞬戦(おのの)いた。重武から緊張した気配を感じた為である。しかしよく見ると、重武は優しい笑みを湛(たた)えて居た。
「殿の御呼びにござりまする。某(それがし)に付いて来て下さりませ。」
小次郎は今し方の緊張感が抜けないのか、唯小さく頷(うなず)いただけであった。重武は離れ際(ぎわ)、忠重にも声を掛けた。
「準備、万事整いましてござりまする。」
「相解った。」
忠重は淡々と答えた。それを受けて、重武は館の内へと歩み出す。小次郎は只、重武に言われるまま、後に付いて行くばかりであった。

次に向かった先は、客間であった。そこには、着替えが用意してあった。
「これは?」
小次郎は振り向いて、重武に尋ねた。
「此(こ)は小次郎様の束帯(そくたい)にござりまする。御着替え下さりませ。」
小次郎は訳が解らぬまま重武に手伝って貰(もら)い、束帯に着替えた。

 やがて客間に入って来る者が有った。見れば、平良文である。二人は直ぐ様、その場に平伏した。良文は小次郎の元へ歩み寄り、その手を取る。
「何とも凛々(りり)しい。宛(さなが)ら将門殿の若き頃の様じゃ。」
急にこの様な装束(しょうぞく)を着せられ、小次郎は幾許(いくばく)かの不安を感じて居たが、良文の言葉を聞いて些(いささ)か、安堵(あんど)出来た。
「有難き御言葉にござりまする。」
良文は莞爾(かんじ)として笑顔を湛(たた)え、小次郎の手を放した。そして一呼吸置いた後、笑みを消し去り、小次郎に話し始める。
「これより、其方(そなた)の元服式を執り行う。儂(わし)が将門殿に代って烏帽子親(えぼしおや)を務める事と成るが、重ねて聞く。其方(そなた)は真に異存は無いのだな?」
小次郎は恐る恐る、「はい」と返事をした。良文は未だ不安を払拭(ふっしょく)出来ず、再び小次郎に尋ねた。
「儂が其方(そなた)の烏帽子親を務めるという事には、其方が儂の養子と成る意義が含まれる。それも承知の上であろうか?」
我が身は最早、天涯孤独の身であると小次郎は思って居たが、それを大叔父が養父に成ってくれると言う。又、先程会った忠重は、義兄の続柄と成る。今まで虐(しいた)げられ続けて来た小次郎に取って、これ程有難い事は無かった。
「はい。有難き仰(おお)せと存じまする。」
小次郎の言葉を聞き、良文は再び笑みを浮かべた。
「相解った。ではこれより、其方(そなた)の元服式を執り行う事とする。後は重武の指示に従うが良い。」
そう言って良文は立ち上がり、客間を後にした。

 良文が去った後、小次郎と重武は暫(しばら)くその間にて待機したが、やがて使いの者が呼びに現れた。二人は立ち上がり、使者に付いて小次郎、その後ろを重武が歩き、式場へと向かった。陽は嵐山の向こうに沈もうとして居る。久し振りに夕空が真紅に染められて居た。高まって居た緊張感が、自然の色彩の中で浄化されて居る様に感じられる。小次郎の心は暫(しばら)く異郷を彷徨(ほうこう)して居たが、式場の間の手前で再び現世に戻された。

 小次郎はふと足を止めた。重武も立ち止まり、尋ねる。
「如何(いかが)なされました?」
「私は、不安にて。」
それを聞いて重武は、莞爾(かんじ)と微笑(ほほえ)んだ。
「心配なされまするな。某(それがし)が付いて居りまする。」
重武は小次郎の背中を、ぽんと叩いた。

 式場には良文以下、村岡家の重臣が居並んでいた。良文の妻子は忠重を除(のぞ)き、坂東に残して居た為、その場に列席する一族は、忠重のみである。

 その時、広間に小次郎の到着が告げられた。小次郎は重武と共に広間に入り、良文の前へ歩み出て着座した。両側からは、重臣達の視線が緊々(ひしひし)と感じられる。

 小次郎が良文に一礼すると、暫(しば)し広間に沈黙が続いた。良文は上座で辺りを見据えて居る。やがて良文は、口を開いた。
「皆の者、これが儂(わし)の養子の、小次郎じゃ。訳(わけ)有って、参議藤原忠文卿に御預り戴(いただ)いて居った。宜しく見知り置いてくれい。」
(にわか)に重臣達は騒(ざわ)めいた。前方に座る家臣の一人が、良文に問い掛ける。
「畏(おそ)れながら申し上げまする。小次郎様とは、亡き将門公の御曹司に候(そうら)わずや?されば後々、太政大臣家の不興を買う事は必定。某(それがし)は賛同致し兼ねまする。」
他の重臣からも、その意見に同意する声が上がり、広間は次第に騒々しさを増して行った。
「鎮まれい!」
良文の一喝により、再び静けさが戻った。小次郎は広間の中央に座りながら、只呆然(ぼうぜん)と座っている。やがて良文は辺りを睨(にら)む様にして、静かに口を開いた。
「儂が小次郎を相馬家より貰(もら)いしは、将門殿が乱を起こす前、即(すなわち)ち昨年夏の事である。故に小次郎は、朝敵の子に非(あら)ず。又、小次郎はこの後も、参議忠文様の元にて、学問の修業に励む事と成って居る。朝廷においては、忠文様が当家の楯と成って下さろう。」
そう言い終えると共に、重臣の一人が尋ねて来た。
「確かに参議様が当家の味方と成って下されれば、此(こ)は心強き事にござりまする。されど、太政大臣が本気で当家を潰(つぶ)しに来た場合、果して防ぎ切れましょうや?」
良文は暫(しばら)く沈黙した。小次郎の後ろに控える重武は、深刻な表情で良文を見詰めて居た。額には冷汗が滲(にじ)んで居る。

 その時、良文左手の列の筆頭に座って居た忠重が、突如口を開いた。
「小次郎殿自身が朝廷に刃向かった訳では無く、又我等の一族でござる。幼少の小次郎殿を罪に問うが如き理不尽を、太政大臣家が成されるならば、我等は坂東武者の誇りに懸けて、これに抗しようではないか。」
周囲からは、響動(どよ)めきとも称賛とも取れる声が上がったが、再び良文の一喝にて静まり返った。
「黙れ。弱輩者が口を挟むでないわ!」
忠重は一瞬剥(むく)れた表情をしたが、口を噤(つぐ)んで控えた。

 再び良文が話し始める。
「先程の意見の通り、確かに太政大臣家が本気と成れば、参議様諸共、当家を潰(つぶ)しに来る危険は有ろう。但し、それより更(さら)に大きな問題を、当家は抱(かか)える事と成った。即(すなわ)ち、関東における変遷なり。乱の前、関東平野には我が兄弟が割拠し、良将公亡き後に、相馬家に所領の問題が生じ、一族の諍(いさか)いが続いた。斯(か)かる折、特に強い武士団に成長して行ったのが、相馬家であった。しかし乱が終息した後、藤原秀郷が下野国司に任官し、関東中央に進出し易く成った。又、平貞盛や藤原為憲等の常陸勢力とも同盟関係に在り、その勢力は今や一万騎に達するやも知れぬ。貞盛とは今まで誼(よしみ)を深めて来なかった故、後々あれ等の勢力との対立が懸念されよう。そこで小次郎を擁して、精強なる旧相馬武士団を味方に加え、当家の増強を図る積りである。」

 良文の意見を聞き、広間には再び重臣達の相談する声が聞こえたが、やがてそれ等は、異議無しとの声に変わって行った。大方の同意が得られた様子を見て、良文はすっと立ち上がった。それを受けて重臣達の声がぴたりと止み、広間には再び静寂が訪れた。

 良文は重武に剃刀(かみそり)を持って来る様命じ、そして居並ぶ重臣達に告げる。
「これより我が子小次郎の、元服の儀を執り行う。」
重臣達は一斉に平伏した。

 良文は小次郎の元へ歩み寄り、脇に控える重武から剃刀を受け取り、小次郎の前髪を落した。頭髪を成人の型に整えると、一旦重武が周囲を片付け、最後に良文が小次郎の頭に烏帽子(えぼし)を被(かぶ)せた。顎紐(あごひも)を確(しか)と締めた後、再び自らの席へと戻り、腰を下ろした。

 小次郎の姿を見詰め直して見ると、成人の恰好に成ったとはいえ、やはり顔には未だ、幼さが残って居る。しかしこれにて、正式に良文の養子であると、村岡家家臣団に知らしめす事が出来た。良文は側の家臣から一枚の紙を受け取り、皆に広げて見せた。それには、「忠政」と書かれて在る。 「小次郎に名を授ける。以後は平忠政と名乗るが良い。忠の字は儂(わし)の子に付けて居る物で、又其方(そなた)の師、忠文卿の一字にも通ずる。加えて政の字は、相馬家の将の字に由来する。今の其方(そなた)の立場では、将の字を用いる事は、些(いささ)か危険が付き纏(まと)う故な。」

 それを聞いて、小次郎こと忠政は深く頭を下げた。
「有難うござりまする。」
そして居並ぶ重臣達も一斉に頭を下げ、
「御目出度(おめでとう)ござりまする。」
と声を揃(そろ)えて申し上げた。近くで忠重が、忠政に告げる。
「これで小次郎殿も一人前。そして我が弟じゃ。」
二人は見詰め合い、そして嬉しそうに微笑(ほほえ)み合った。

 その後、邸では忠政の元服を祝う宴(うたげ)が催された。家臣は皆楽しそうに歌ったり、酒や料理に舌鼓を打って居る。しかし忠政は、昼間の弓の疲れが出て、うつらうつらし始めた。良文は忠重に指示し、忠政を寝所へ運ばせた。

 忠重が忠政を背負い、寝所へ向かう途中、忠重は肩の辺りに忠政の寝息を感じた。もう眠ってしまったのかと呆(あき)れたが、よくよく考えて見れば、忠政に取って今日は、様々な事が有った。怖らく心の疲れも有ったのであろうと、忠重は思った。やがて忠政の寝所に着き、忠政を敷布団の上に降ろし、掛布団を掛けた。忠重が部屋を後にしようとした時、忠政は俄(にわか)に声を発した。
「父上。」
それを聞いて、忠重は胸が詰まった。母や兄妹が存命とはいえ、今後再会する事は難しいであろう。唯一会う事が叶(かな)うとすれば、平忠頼に嫁した姉位の物である。そして新しい父を迎えた忠政の心中は、如何(いか)(ばか)りであろうか。忠重は宴席へは戻らず、静かに自室へと向かって行った。

 翌朝、忠政は村岡平氏一族として、良文や忠重と共に朝餉(あさげ)を取った。それが済むと、愈々(いよいよ)参議忠文の邸へ戻る事に成る。忠政に取って、ここで一族の温(ぬく)もりを感じた事は、宛(さなが)ら夢の様であった。この後、再び以前の生活に戻る事を思うと、些(いささ)か憂鬱(ゆうつ)である。忠政には輿(こし)の他、重武以下二十余騎の護衛が付けられた。

出発に当たり、忠政は良文に別れの挨拶を申し上げた。
「此度、某(それがし)の為に様々な御配慮を賜(たまわ)り、御礼の申し様もござりませぬ。」
「うむ。立派な挨拶じゃ。其方(そなた)は元服した以上、以後は今までに無い試練と遭遇して行くであろう。決して挫(くじ)けず、立派な相馬武士と成ってくれい。都には忠重を残して置く故、何か有れば相談致すが良い。」
「良文様は?」
未だ、父とは呼べなかった。しかし良文はそれに対し、特に気に懸ける様子は見られない。
「儂(わし)は常陸介に任官した故、任地に赴かねば成らぬ。重武も伴って参る。」
忠政はそれを聞き、残念そうな表情を浮かべた。
「では、これにて失礼致しまする。」
そう言って一礼し、忠政は輿(こし)に乗り込んだ。
「何か有れば、私に報せるのだぞ。」
忠重も別れの言葉を掛けた。重武は馬に跨(またが)り、一隊を率いて門を出る。行列の中には、良文が忠政に与えた黒駒も伴われて居た。

 良文は忠政等を見送りながら、心は既(すで)に常陸へ向かって居た。忠政の方は、うまく事が運ぶに至った。しかし坂東において小太郎等の処遇を誤れば、これ又村岡家の存亡に係る大事である。

 未だ巳(み)の刻であるというのに、もう陽が高い。雲も少なく、今日も暑い日と成る事が予想される。見送りが済むと、館内は俄(にわか)に慌(あわただ)しく成った。良文の関東下向が、数日後に迫って居たからである。

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