第三節 征東大将軍

 雨季が続いている。ここ数日は只々雨であった。遠くに雷鳴が聞こえ、雨脚は激しさを増していた。視界は徐々に悪く成っているが、その様な中、泥濘(ぬかる)み道を三千人の行列が通り過ぎて行く。行列の中には駕籠(かご)も有り、貴人が中に乗って居るらしい。

 行列は相模国鎌倉郡を通過していた。晴天であれば相模湾の海端が見えるのだが、その日は景色を楽しめる状況ではなかった。行列が進んでいる街道の北方一里程の処に、村岡郷が在った。当地は平良文の拠点である。

 平良文は相馬家母子と会った数日後、この地に戻って来ていた。良文は大館を築いて政庁を置き、領民の税を低く抑え、善政を施して居た。

 その館外の道を、遠くから三騎の騎馬武者が、館を目指して駆けて来た。編笠(あみがさ)を被(かぶ)り、蓑(みの)を纏(まと)ってはいるが、この豪雨の為に全身ずぶ濡れと成っている。三騎は正門から館に駆け込み、館奥へと消えて行った。

 その頃、平良文は自分の部屋に籠(こも)って居た。脇には武蔵国より伴って来た村岡重武もいる。重武は困った表情で、良文に話し掛けていた。
「藤原忠文様とは早急にお会いしたき所でござりまするが、丁度(ちょうど)猿島を発たれた後であったとは。少々間が悪うござりましたな。」
良文は淡々とした様子で答える。
「うむ、致し方無いのう。相模国府に向かわれた様子故、次は国府に使者を送る他有るまい。」
落ち着きを保つ良文に対し、重武は焦りを募らせて言上する。
「殿、征東大将軍が相模国府へ移るは、関東平定を完了した証にござりまする。よもすれば、国府を経由して帰京される怖れもござりまするぞ。」
「うむ、その可能性も有るのう。」
良文は相変わらぬ落ち着きを見せて居る。

 そこへ一人の若者が入って来た。服は乾いているが、髪が濡れて水滴が滴(したた)っている。
「外は随分と降って居る様じゃのう。」
良文は若者を見上げ、笑いながら語り掛けた。若者は二人の側まで歩み寄り、どかりと腰を下ろす。若者は苦笑しながら話し始めた。
「いやいや、急に雨脚が激しく成り申した。所で、征東大将軍の行列を直に見て参りました。やはり豪華な物にござりまする。雨に降られなければ、よりはっきりと見る事が出来たのが悔やまれまする。」
「そうか。忠文公は今、領内を通過しておわされるのか。されば三時後、再び国府へ使者を送って見る事に致そう。」
良文が涼しい顔で言うと、それに対して若者が、生き生きした表情で願い出る。
「父上、その役目、某(それがし)に御任せ下さりませ。必ずや征東大将軍との会見の約束を、取り付けて参りまする。」

 この若者は名を平忠通といい、平良文の息子である。忠頼、忠重の弟に当たる。良文は武蔵の所領を嫡子忠頼に預け、一方で相模を本領として、忠通を手元に置いて居た。先の奥州赴任の折には、忠通に村岡郷を託していた。その間、忠通は領内を頻繁に視察し、今ではどの家臣よりも、領内に精通して居る様であった。

 良文は少々考えた後に答えた。
「よし、其方(そち)に任せる。但(ただ)し、村岡重武を補佐役として随行させる。」
「はっ、必ずや成功に導いて見せまする。」
そう言って、忠通は部屋を出て行った。

 部屋の中は再び、良文と重武の二人だけに成った。そして、良文は重武に告げる。
「彼(あれ)は未だ怖い物知らずな所が有る。御主にはよくよく注意を払い、会見に臨んで貰いたい。此度は相馬家のみならず、当家に取っても重要な局面である。」
その後二人は暫く、会見に関する戦略を練り続けて居た。

 その日申(さる)の刻、平忠通と村岡重武は相模国府を訪れていた。供は二十騎程である。雨は大分小降りと成っていたので、蓑笠(みのがさ)で充分に防ぐ事が出来た。忠通は門番に征東大将軍への取次(とりつぎ)を頼んだ所、意外と容易に内へ通された。正面を入った処で供の者達と別れ、忠通と重武だけが藤原忠文の居る棟へと通された。

 二人は忠文の間へ到着し、部屋の入口で座礼を執った。忠文は参議であり、式家の始祖宇合(うまかい)より数えて五代後の子孫に当たる。曽祖父緒嗣(もろつぐ)は正二位左大臣にまで昇り詰めた。父枝良(えだよし)は従四位下参議であったが、忠文は正四位下参議に任官して居た。この度は征東大将軍を拝命したが、副将にはかつて将門と抗争した経基王と、実弟忠舒(ただのぶ)が任命されて居た。朝廷においては太政大臣藤原忠平の下、朝議に参列出来る身分である。忠通は平伏したまま、落ち着いた口調で話し始めた。 「御初にお目に掛かりまする。某(それがし)は鎮守将軍平良文が子、忠通にござりまする。本日は忠文様にお願いの儀が有り、参上致しました。」
部屋の奥から、穏やかな声が聞こえた。
「面を上げられよ。御二人共、中に入りなされ。」
忠通と重武は一礼した後、忠文の間へと入って行った。

 二人が部屋の中央、忠文の正面に座った所で、忠文は口を開いた。
「良文殿は息災か?」
忠通は貴人を前にし、些(いささ)か躊躇(ちゅうちょ)しながら答えた。
「はい。極寒の奥州においても風邪一つ引かず、至極(しごく)達者にござりまする。」
「ほう、それは結構な事じゃ。良文殿は御幾つに成られた?」
「今年で五十四にござりまする。」
「ふむ。儂(わし)は既に六十七じゃ。良文殿が羨ましいのう。」
忠文は忠通に笑顔を向けて居たが、やがて俄(にわか)に無表情と成って語り掛ける。
「所で、良文殿が儂に何の用かの。」
忠文は、平良文の心意を計り兼ねて居る様子であった。にも拘(かかわ)らず、国府に到着したばかりの疲れた身で、簡単に使者を迎えた事で、忠文が村岡家に期する事が有ると推察された。それは怖らく相馬小次郎の事であると、重武は考えた。しかし、小太郎等四人を匿って居る事は、絶対に感付かれては成らない。故に重武は、経験の浅い忠通に迂闊(うかつ)な事を言われてしまっては御家の一大事と思い、忠通に代わって説明しようと、忠文に話し掛けた。
「畏れながら申し上げまする。」
忠通は急に話の主導権を奪われそうに成り、重武に不満気な表情を向けた。しかし重武は厳しい視線を返し、忠通を制止した。忠通が躊躇(ためら)う表情を見せた隙に、重武は話を続ける。
「此度は征東大将軍の威徳により、関東の大乱は早期に鎮圧されるに至り申した。主(あるじ)良文は大いに感服し、偉業を成し遂げられた忠文様を、是非にも御招き致したいと申して居りまする。将軍が多忙な御身(おんみ)で在らせられる事は重々承知致して居りまするが、何卒(なにとぞ)御聞き届けの程を。主が反逆者将門の一味と見られぬ為にも。」
忠文はそれを聞いて、声高に笑い出した。
「其(そ)は杞憂(きゆう)という物じゃ。良文殿は見事奥羽鎮撫の大功を立てられたばかりではないか。朝廷より恩賞に与(あずか)る事は有っても、連座により処罰される事は有るまい。ただ、儂も良文殿には久しく会って居らぬ。その申し出、受ける事にしようかの。」
「有難き幸せにござりまする。我が主も嘸(さぞ)かし喜ぶ事でありましょう。」
忠文は笑顔を湛(たた)えて居り、重武も穏やかな表情に変えて一礼した。しかし忠通だけは、詰めの所で重武に代わられ、面白くない顔付きである。

 その後、忠文と武重は具体的な日時を取り決めた。忠文、良文共に重要な話が有るが、互いに上洛を急いで居た為、翌日己(み)の刻と決められた。忠文に謁見した間には、その近習が数人居た為、重武は相馬小次郎の名を一切出さなかった。明日、良文と忠文が二人限(きり)で会見した時に、良文の口から話して貰った方が良いと判断した故である。

 話が決まった頃、既に酉(とり)の刻と成り、外は薄暗く成り始めていた。重武と忠通は、忠文に辞儀をして、将軍の間を後にした。そして、国府正門辺りで供の兵と合流し、村岡郷へ向けて出発した。

 忠通と重武は馬に乗り、列の先頭を進んでいた。重武がふと横を見やると、忠通が大きな溜息を吐(つ)いて居る。重武が心配気味に尋ねる。
「如何(いかが)された、忠通殿?」
忠通は何か物思いに耽(ふけ)って居る様に、遠くを見詰めながら答えた。
「父上が居らぬ間、私は早う一人前と成るべく、修行して参った積りであった。此度使者の役目を戴(いただ)き、少しはその成果を示したいと思って居たのだが。重武には遠く及ばぬ様じゃ。」
重武はそれを聞いて、「ははは」と軽い声を発して笑った。
「忠通殿は元服こそ済ませて居りまするが、未だ十を過ぎたばかり。この先も修行を続けなされ。」
忠通は膨(ふく)れた顔をして、不満を表していた。重武は、未だ未だ青いと含み笑いを見せた。

 雨は止んでいたが、厚い雲が依然辺りを覆っている。月明かりが無い為、夜の到来が思いの外早く感じられる。未だ、村岡家から危機が去った訳ではない。闇の中、重武の不安は益々(ますます)増幅されて行った。長雨の為、街道の泥濘(ぬかる)みが酷(ひど)い。二十余名の一行は、道に深い蹄(ひづめ)や草履(ぞうり)の跡を残し、遠く夕闇の中に消えて行った。

 村岡郷の館に戻ると、重武と忠通は良文に会見の仔細を報告した。良文は冷静な様子で只聞き入って居り、最後にそれで良いと言っただけで、席を立って己の部屋に戻ってしまった。

 忠通は、父にこれといった反応が無かったので、少々困惑した様であった。一方で、明朝急な来訪と成った事の重要さを、良文が充分に感じて居る事を、年来の友である重武は解っていた。事は極秘を要する為、一対一の時に話す他は無い。良文はその日、早く床(とこ)に入り、以前に会った時の忠文の為人(ひととなり)を思い起し、如何(どう)接するべきかを、彼是(あれこれ)思考した。やて夜は更(ふ)けて行った。良文はある程度考えた後、明日に疲れを残さぬ様、眠りに就いた。

 翌朝は昨日のと同じ曇り空で、今にも雨が降り出しそうな空模様であった。ここ数日、雨雲は雷公を伴って来なかったのが幸いであった。が、今日こそは雷撃が来てもおかしくはない様な、どす黒い雲であった。

 卯(う)の刻、晴れて居れば旭が照らし始める頃ではあるが、黒雲に遮(さえぎ)られている為に、依然暗闇の中に在った。その闇の中を、五十騎程の一団が進んで行く。平良文は、平忠通と村岡重武の両名を伴っていた。

 一行は相模湾沿いを西へ進んでいる。相模川を渡る頃には、周囲は大分明るく成っていた。川を渡った先で、良文は家臣を二列横隊に展開させた。そこに暫し待機していたが、やがて二騎の武者が、此方(こちら)に駆けて来るのが見えた。武者達は二町程隔てた処で止まり、一人が大声で叫んだ。
「我等は征東大将軍、参議藤原忠文様が家臣なり。その方等は何者ぞ。」
それを聞いて、横隊の前列中央に居た良文が数歩、騎馬にて歩み寄って答える。
「某(それがし)は鎮守将軍、平良文でござる。忠文卿を御迎えに参上仕(つかまつ)った次第。」
武者は旗印を見て安堵したのか、口調を和(やわ)らげて返した。
「それは御苦労にござる。将軍は間も無く到着される故、暫し待たれよ。」
そう言って、二騎の武者は引き返して行った。

 陽は大分昇り、影が些(いささ)かはっきりと視認出来る様に成って来た。良文の脇に控えて居た忠通が、突然口を開いた。
「父上、現れましたぞ。」
良文は直ぐには分からなかったが、やがて遠くに軍勢の姿を確認した。暫くすると、その規模が窺(うかが)える様に成った。そして我が眼を疑い、傍(そば)に居る村岡重武に尋ねる。
「少な過ぎはせぬか?」
重武は目を細め、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて遠方を見詰めた。
「然様(さよう)にござりまするな。」
そう言った後、重武は少し間を置いて言葉を接ぐ。
「先方も、殿に気を遣(つか)われた御様子かと。」
重武は莞爾(かんじ)として、良文に笑みを向けた。藤原忠文は百騎程の手勢しか伴っていない様である。

 両部隊の距離が一町まで迫った時、良文は忠通と重武を率い、三騎で相手部隊の先頭へ駆け寄った。一方、向こうの部隊からは、輿(こし)が先頭に出て来る。良文は馬を下り、輿の前で平伏した。輿からは、狩衣(かりぎぬ)を纏(まと)った貴人が姿を現し、良文の前に歩み寄った。
「良文殿、奥羽鎮撫の功労者たる貴殿が、斯様(かよう)な事をされては。御手を上げられよ。」
優しい口調であった。良文が顔を上げると、忠文は老齢故の多くの皺(しわ)を湛(たた)えた顔で、朗らかな笑みを見せて居た。
「御久しゅうござるな。都で会うた以来でござったか。」
良文も笑顔を見せ、立ち上がって答える。
「はっ。忠文卿も御壮健で何よりにござりまする。此度は関東大乱の平定、誠に御目出度(おめでた)く存じまする。」
「有難き御言葉じゃ。されど儂が下向した頃には、既に粗方片付いて居ったわ。」
忠文はそう言って、声高に笑った。良文は苦笑し、取り繕(つくろ)って告げる。
「平将門は討てずとも、その残党を一掃し、関八州を平定したは兎にも角にも大戦果。さて、我が館へ御案内致し申す。」
忠文はうむと答え、自軍の方へ引き返した。しかし、輿には乗らずに馬を用意させ、騎乗して再び良文の元へ進んだ。既に馬に乗って居た良文に、忠文は温和な面持ちで話し掛ける。
「鎮守将軍、駒を並べて参らぬか。貴殿の如き兵と、馬上にて兵法等語り合いたい。」
忠文の申し出に、良文は表情を変えずに答えた。
「関八州は大乱が鎮まったばかり。某(それがし)が身を挺して、征東大将軍を御護り致し申そう。」
「其(そ)は心強き事。」
二人は笑顔で向かい合い、やがて並んで進み出した。村岡重武率いる平勢は前軍を務め、藤原勢が中軍と後軍を形成した。二将軍の姿は中軍に在り、良文の後方には忠通が従っていた。

 空模様は益々(ますます)怪しく成って来た観が有ったが、村岡郷の入口で遂に雨が降り始めた。二将は昨今の豪族に就いて話して居たが、良文が降雨に気付いた時、話が途切れた。
「忠文卿、雨にござりまする。御身体を害しまする故、輿に移られては。」
「ふむ、良文殿の館は未だ遠いのか。」
「いえ、後半里程にござりまする。」
「ならば、このままで良い。」
天候には恵まれなかったが、忠文は馬上から相模湾や丹沢の山並を見物し、至極(しごく)満足気であった。そして話を戻す。
「良文殿は坂東や奥羽等、東国の地で数々の戦功を立てられた。その良文殿が最も高く評する名将とは、如何(いか)なる人物でござろうか?」
良文は一度俯(うつむ)き、思考した後に答えた。
「若かりし頃、源宛(みなもとのあつる)と申す者と一騎討ちを致した事がござり申した。武芸に秀で、度量が大きく、中々の人物にござりまする。」
「うむ、貴殿と宛殿の仲は聞いて居る。後に管鮑(かんぽう)の交(まじわ)りの如く、深き親交を得たとか。宛殿は今、何処(いずこ)に居られるのか?」
「彼の者は、武蔵国横見郡箕田郷を所領としてござりまするが、既に老齢故、隠居したやも知れませぬ。息子にも武芸を仕込み、兵(つわもの)が揃って居る様にござりまする。」
忠文は少しの間、源宛という人物を思い浮かべて居る風であったが、直ぐに話を続けた。
「成程、では他には?」
暫し思い起した後、良文は答える。
「先の奥羽出兵の折、秋田城司源嘉生(よしお)殿の指揮は見事でござった。秋田城に押し寄せた反乱軍の行動に対し、逐次適切な対応を執って居り申した。秋田の乱を早急に鎮圧出来た第一の功労者は、嘉生殿でござりましょう。」
「ほう、秋田城にも然様(さよう)な兵(つわもの)が居ったのか。」
忠文は関心と驚きを併せた表情を浮かべた。
「では、当代随一の名将は源嘉生と御考えかな?」
「いえ。」
穏やかな口調を保って居た良文の声が、突然荒く成った様に感じられた。忠文が良文の顔を見詰めると、その眉間(みけん)には薄っすらと、皺(しわ)が刻まれて居た。
「下野国押領使(おうりょうし)藤原秀郷殿。」
「何と?」
刹那、忠文は驚愕した。良文は落ち着いて話し始める。
「此度の関東一円に及ぶ大乱を鎮めた功労者、その第一は平貞盛に藤原秀郷殿、次いで藤原為憲殿にござりましょう。何故(なぜ)かと申せば、将門打倒の為に、五千にも及ぶ連合軍の結成に尽力したのは貞盛であり、又連合軍の大半を率いて著(いちじる)しい軍功を立てたは、秀郷殿故にござりまする。かつて平将門は、平国香、平良兼、平良正、藤原維幾といった近隣勢力の大半を敵に回しながらも、勝利を重ねて参り申した。やがて関東の大半を制圧した後は、八千騎を抱えるに至るも、秀郷殿の軍略はそれをも凌駕(りょうが)してござりまする。怖らくは、当代に敵(かな)う者は居りますまい。」

 遠くに雷鳴が響き始めた。雨も次第に強さを増して行く。忠文は馬上で蓑笠(みのがさ)を着用した。顔には多くの水滴が伝っており、その表情は穏やかではなく成っている。忠文は良文に尋ねた。
「先月、秀郷は将門の首を持って都へ上ったそうじゃ。ともすれば、儂の帰還の前に論功行賞が行われ、秀郷に将門が旧領の多くが与えられるやも知れぬ。秀郷が関東中央へ進出致さば、後々大きな禍(わざわい)と成るまいか?」
他人への中傷に繋(つな)がる怖れが有ったので、良文は中正を求めて答える。
「秀郷殿は太政大臣家とも繋がる北家の一族。朝廷も余り警戒はせぬ物と存じまする。ただ、将門の旧領を秀郷殿、貞盛、為憲殿の三者で分割し、後に所領の問題が生じた場合、貞盛と為憲殿が連合しても、秀郷には太刀打ち出来ますまい。既に秀郷を宗主と仰ぐ豪族もござれば、秀郷への恩賞は慎重に決めねば成らぬ物と存じまする。第二の大乱に繋がる怖れもござりますれば。」
ふむ、と忠文は考え込んだ。

 突如、周囲に眩(まばゆ)い光が走った。同時に轟音が響き渡る。馬達は驚き、隊列は乱れた。
「近くに落ちましたな。」
忠文は涼しい顔で言った。
「忠文卿は肝が大きい。某(それがし)は一瞬肝を冷しましたぞ。」
忠文は声を出して、笑って告げる。
「良文殿、都では、雷には菅公の怨念が憑(つ)いて居ると言われて居り申す。それ故に雷鳴が聞(きこ)ゆれば、菅公流刑の地、桑原を唱(とな)う慣習が続いて居り申す。されどここは東国。西国に流された菅公の怨念が届く訳も無し。故に安堵致して居るのでござる。」
ははあと、良文は今一つ納得には至らない表情を浮かべて居る。菅公とは凡(およ)そ四十年前に、太政大臣忠平の兄、藤原時平によって筑前大宰府に左遷された、菅原道真を指している。忠文は穏和な顔で、良文に尋ねる。
「良文殿は、唐土(もろこし)の史書は読まれるか?」
「はて、海の向こうの物はさっぱり。」
苦笑しながら頭を掻(か)き、良文は答えた。
「今より凡(およ)そ七百五十年の昔、唐土(もろこし)は漢帝国の衰退が著しく、魏王曹操が勢力を伸ばして居たそうな。ある雨の日、曹操は盟友の劉備を招き、当代の英雄は誰かと尋ねた。劉備は大陸に割拠する群雄の名を挙げたが、曹徳は何(どれ)も大した事は無いと笑い飛ばし、最後に真の英雄は余と劉備の二人だけだと、劉備に告げたそうな。」
「雨天の中、英雄談をするとは、正しく今の我等と同じ状況で御座りまするな。ただ、某(それがし)は魏王から英雄と呼ばれる事は有りますまいが。」
そう言って良文は軽く笑ったが、忠文は真顔で話を続ける。
「その時、辺りに稲光りが走り、劉備は慌てて机の下に潜(もぐ)ったそうな。曹操はその様を見て、この男も大した事は無いと思ったが、劉備はその隙を突いて曹操のもとを脱出した。後に巴蜀の地を得た劉備は、曹操と覇権を懸けて戦い続けたそうじゃ。」
話を終えると、忠文は良文の眼を見詰めた。良文がそれを受けて、はっと忠文の意図に気付き始めた時、忠文は言葉を接いだ。
「儂と貴殿は共に軍功を立て、栄達すべき立場に在る。されど一方で、共通した問題を抱えて居る筈(はず)。先に述べた曹操と劉備の如く、相手を警戒し合い、隙を窺い、対立するに至っては、当家に取っても村岡家に取っても、不幸と成る事は必定。今日はその事を理解して戴きたく存ずる。」
思えば、現在反逆者の子息を預かって居る忠文の方が、これから相馬家を救おうとする良文よりも、立場は悪い。良文は、忠文が己に向ける期待を受け止め、忠文に答えた。
「良き話を聞かせて戴き、喜びに堪えませぬ。館に着きましたら、腹を割って語り合いましょうぞ。」
それを聞き、忠文の心に安堵感が広がった。二人の表情からは、翳(かげ)りが無く成っていた。

 やがて征東大将軍を伴った一隊は、村岡郷の館に到着した。全員ずぶ濡れと成って居たので、良文は忠文や近臣達の着替えを用意させた。又、兵士達には火を焚(た)き、暖を取らせた。暫し控えの間にて休息を取る様に、良文は忠文等に勧めた。参議の身分では、長時間馬に跨(またが)る事も少なく、況(ま)して六十を疾(と)うに過ぎた老体には、かなり応えて居た。良文は忠文の誠意を感じ、この会談を必ず、両家に実の有る物にさせる事を誓って居た。

 午(うま)の刻に成ったが、外は相変わらずの雷雨が続いている。大広間では相模湾の幸が膳に乗り、征東大将軍の一行に振舞われた。都には海が無い為、新鮮な魚貝類を食べる事は殆(ほとん)ど無い。故に都から来た物は嬉々として、舌鼓を打って居た。料理が片付き、食後の茶が用意された時、上座に座る忠文に対して、良文が話し掛けた。
「忠文卿は先程、某(それがし)に唐土(もろこし)の故事を語って下さり申した。その御礼に、面白き書物を御覧戴きとう存じまする。宜しければ、某の部屋へ御出で下さりませぬか?」
忠文は片手で茶を啜(すす)りながら、良文の顔を見て答える。
「ほう、それは興味が有る。是非にも御案内願いたい。」
二人は、供を連れずに広間を出て行く。広間の持て成しは、村岡重武が引き継いだ。

 良文の案内で、忠文は館奥の一室に辿(たど)り着いた。そこはある程度の広さを有し、隅には木箱が無数に積んで在る。良文は明かりを用意したが、陽の入らぬ部屋であった為、大層薄暗く感じられる。良文は、忠文に部屋の中央に座る様に勧めてから申し上げた。
「ここなら他の者の耳には届きませぬ。存分に語り合いましょうぞ。」
忠文は「うむ」と答えて腰を下ろし、良文もその正面に座った。

 外では雨が勢いを増し、雷鳴は未だ響き続けている。話は、良文から切り出された。
「本日は当家に御越し戴き、誠に有難く存じまする。」
それに対し、忠文は些(いささ)か緊張が解れた表情で返した。
「いやいや、儂も都を出てからは気を緩(ゆる)められる時が無く、今日は鎮守将軍と共に寛(ゆったり)と相模の山海を眺める事が叶(かな)い、無上の喜びでござった。」
一旦、良文の表情も晴れやかと成った物の、俄(にわか)にその様が失せ、やや重い口調で話し始める。
「実は、本日忠文卿に御越し戴いたのは、折り入った相談が有った故でござりまする。」
忠文はつと、良文と眼を合わせた。良文も忠文を見詰めたまま、話を続ける。
「前の大乱で朝敵と成り討たれた平将門の、次男に就いてでござりまする。」
「ほう」と言って忠文は、数寸身を乗り出した。
「将門の次男とは、儂が都に預かって居る、小次郎の事か?」
「然様(さよう)にござりまする。」
「彼(あれ)も不便(ふびん)な奴よ。当人には何の咎(とが)も無いというのに、逆賊の子と、周囲から責められて居る。未だ十歳程の童(わらべ)だが、父が起した事が事なだけに、儂にも庇(かば)い切れぬ。」
その言葉は、良文の心に少なからず衝撃を与えた。良文は表情を平静に保ちつつ尋ねる。
「小次郎は今後、如何(いかが)相成りましょうや?」
忠文は俯(うつむ)き、少し考え込んだ後に口を開いた。
「死罪も覚悟せねば成るまい。此度の大乱は太政大臣家に強い恐怖感を与えた様じゃ。再び斯様(かよう)な事が起らぬ様、見せしめとされる公算は高い。良くとも、遠国に流罪か薙髪(ちはつ)であろう。」
そう言い終えると、忠文は一歩躙(にじ)り出て、良文に真顔で告げる。
「実は儂も今日、貴殿に会いに参ったのは、小次郎に関する事を頼みたかったからなのじゃ。」
良文も忠文の顔を見詰め、二人の目が合った。忠文は一呼吸置いた後、話を続ける。
「我が身も、小次郎を庇(かば)い続けて居ては危うい。此度征東大将軍の役目を志願したは、将門の子を預かる当家に対する、太政大臣家の疑惑を晴らさんが為。されど、儂が坂東に到着した時、既に将門は討たれ、乱は平定されつつ在った。儂は功を挙げる事能(あた)わず、故に小次郎を庇(かば)えるだけの発言力を得るに至らず。今の儂には、当家を守る為、自ら小次郎を処する他は無し。されど、御一族の良文殿は、これに就いて如何(いかが)御考えか?」
「成程、御心中御察し申し上げまする。某(それがし)としましては、相馬小次郎は甥(おい)の子に当たる故、命は助けたく存じまする。又、長子小太郎が未だ所在不明の為、小次郎が剃髪(ていはつ)しては相馬家断絶の怖れが有り、兄良将以来の血脈が途絶えてしまいまする。剃髪もさせたくはござりませぬな。」
「では、良文殿には何か考えが御有りにござるか?」
忠文の表情が、微(かす)かに明るく成った。
「某(それがし)は坂東の乱が起きて間も無く、陸奥へ下り申した。進発した時には、未だ常陸にて小競り合いが起きたに過ぎず、将門の子を養子に貰(もら)って居たとしても、咎(とが)は有りますまい。」
「されど、朝敵の実子である事は事実。巧(うま)く事が運べようか?」
良文は僅(わず)かに忠文に躙(にじ)り寄って、笑みを浮かべる。
「それは今後の策次第。太政大臣家に、小次郎よりも秀郷や貞盛を恐れる様、仕向けて下さりませ。我等の朝廷に対する忠誠が伝われば、必ずや事は成りましょう。」
そう言い終えると、忠文も笑みを湛(たた)えて、良文の手を取った。
「鎮守将軍、これ程心強き事は無い。良文殿の養子と成るので在れば、小次郎を助けられるやも知れぬ。実は儂も怜悧(れいり)な子供が処罰される事には、やる瀬無い思いをして居ったのじゃ。」
安堵した様子の忠文に、良文は更(さら)に話を続ける。
「征東大将軍に、某(それがし)から一つ御願いの儀がござりまする。」
忠文はきょとんとして答えた。
「はて、何でござろう?」
「小次郎を某(それがし)の養子にすると雖(いえど)も、今後共忠文卿の傍に置き続けて戴きとうござりまする。」
「其(そ)は如何(いか)なる存念にござろうか?」
忠文の表情に、些(いささ)か懐疑の相が浮かんだ。
「京師に居りますれば、再び地方に反乱が起りし時に功を挙げ、父の汚名を雪(そそ)ぐ機会を得易うござりまする。相馬家が名誉と所領の回復に至れば、必ずや忠文卿に忠節を尽す事でござりましょうし、加えて相馬家の軍事力が手に入りまする。将門の旧臣を従え得れば、海内一精強な軍が配下と成るやも知れませぬぞ。」
「うむ。」
忠文は満更(まんざら)でもない様子である。現在の参議の地位に加え、坂東に強大な軍事力を抱えて居れば、朝廷における発言力は格段に上がるであろう。

 両者の思惑は一致した。館外では未だ豪雨が降り注ぎ、雷の音が鳴り響いていた。されど、二人の表情は晴れ晴れとして居る。互いに抱えて居た不安の種が、両家を強く結んだからである。良文は一つの提案を示した。
「御互い、近い内に上洛する事と成りましょう。その折には、某(それがし)が烏帽子親(えぼしおや)を務め、小次郎を元服させたく存じまする。」
忠文はそれを受け、膝を叩いて喜んだ。
「其(そ)は有難き事。鎮守将軍が烏帽子親を務められれば、周囲も小次郎を鎮守将軍の子であると認め、彼(あれ)への嫌がらせも止むであろう。小次郎は未だ十歳なれど、元服させるのは今年しかござるまい。遅れれば、乱の前に既に養子に引き受けて居たとは、言えなく成るやも知れぬ。」
良文は、この密議を余人に見られたしても怪しまれぬ様、手の上に広げて居た書をパタリと閉じた。そして、ゆっくりと立ち上がり、脇の棚の上にその本を置いた。
「さて、家臣達の処へ戻りまするか。」
良文の言を受け、忠文は「うむ」と答えた。二人は部屋を後にし、再び広間へと戻って行った。

 征東大将軍一行の持て成しは、その後一時程続いた。多くの従者は、相模山海の珍味に満足感を覚えた様子である。藤原忠文は表情こそ普段のままであったが、従者の誰にも劣らぬ充足感を得て居た。

 村岡の館を出る時、雨は幾分小降りと成って居た。良文は五百騎を編成し、相模川まで忠文を見送った。相模川を渡る手前で、良文は忠文の輿(こし)に歩み寄った。良文の到来を近習から聞いた忠文は輿を下り、良文も又馬を下りて、共に向かい合った。
「本日は鄭重なる御持て成し、誠に有難く存ずる。又、有意義な時でござった。」
「畏(おそ)れ入り奉(たてまつ)りまする。次は怖らく、都にて再会出来申そう。それまで御達者にて。」
「うむ。鎮守将軍もな。」
暫し、二人は見詰め合ったままであったが、やがて忠文は踵(きびす)を返し、再び輿に乗り込んだ。

 征東大将軍の手勢は、水嵩(みずかさ)の増した相模川に架かる橋を渡って行った。雨足は俄(にわか)に激しさを増して居る。視界は急激に悪く成り、対岸の軍勢の姿も捉(とら)えられなく成った。その時、良文の元へ村岡重武が駆け寄って来た。
「殿、忠文卿は如何(いかが)にござりましたか?」
不安気な表情を浮かべる重武に対し、良文は満面の笑みで答えた。
「上々じゃ。次の戦場(いくさば)は都に成るぞ。重武、付いて参れ。」
良文は馬を駆って、来た道を走り始める。重武は慌てて良文を追った。

 五百騎が動く音は、雨音にも劣らぬ轟音を鳴り響かせた。良文は帰途、荒れ狂う相模湾の荒波を見た。
(呑み込まれては成らぬ。)
そう呟(つぶや)いて、兄良将の姿を思い浮かべた。己が理想として来た良将の思想は、将門の代で潰(つい)えてしまった。このままでは、南関東の地は藤原秀郷に取って代られるか、同族とはいえ貪欲な平貞盛に奪われてしまうであろう。己こそが、兄達さえも築き得なかった民衆の楽土を築いて見せる。そう誓った後、良文の心は未だ見ぬ小次郎に、思いを馳(は)せていた。

 雨は更(さら)に激しさを増し、兵士達の体に強く打ち付けた。誰もが、穏やかな陽光が射し込む晴天を、心待ちにして居た。

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