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反保炭礦 資料館
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当ホームページ作成者の高祖父は、明治七年七月七日に数え年二十歳で家督を相続し、福井県で松平侯爵家の土地の管理をしていたようです。

明治二十九年に、高祖父は福井を離れ、福島県に移住しました。

その後は、磐城炭礦の従業員として働いていたようです。上記資料は明治四十五年。

大正二年の請求書が、反保炭礦と記載された資料では、最も古いです。

大正六年以降の記録など。

大正八年、常磐炭鉱主会下半期収支決算報告書。

大正九年、合名会社鬼ヶ澤炭礦を登記。

大正十一年、磐城炭礦からの請求書。

同年、綴停車場(内郷駅)に接続する磐城炭礦専用鉄道の使用許可が下りる。

昭和二年、磐城炭礦取締役社長(浅野総一郎氏)からの手紙。

昭和四年、鬼ヶ沢百番地内に反保炭礦占有の線路有り。

同年、高祖父が亡くなり、曽祖父が相続する。

昭和五年十一月十四日、浅野泰治郎氏(二代目浅野総一郎氏)からの手紙。

昭和六年、反保坑附近図(現・鬼ヶ沢)。

昭和七年、立憲政友会石城部会内郷支会顧問の嘱託状。この年に五・一五事件が起き、犬養首相は暗殺されます。

太平洋戦争ただ中の昭和十八年、坑道を売却し、反保炭礦の歴史は終わります。翌月、祖父は大陸へ移りました。

常磐炭鉱主会解散に付き整理経費割当表(時期不明:大正八年に常磐炭鉱主会解散決議の通知あり)
終戦翌年の昭和二十一年、祖父は日本へ引き揚げ、曽祖父と再会しました。悲惨な戦争は、繰り返してはいけませんね。
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